学園の後、アイヴォリーはメイリーとともに彼らの生まれた世界の、大きな街に戻ることになります。そこから再び呼び出しがかかったのは、学園ではなく別の世界でした。
それ用Intro。Seven Devilsに現れた二人は天幕の一員として塔を上ることになります。ちょうど塔が崩壊し、同時にあの招待状が届くまで。
アイヴォリーはあれから緩やかな時の流れの中にいた。天使の顔をした悪魔も姿を見せず、学園は閉鎖され再び呼び出される様子もない。いつか二人で過ごしたはずの見知らぬ街で、いつか過ごしていたような、和やかな時。許されるはずのなかった安寧が今の彼には与えられていた。
「アイ~、今日の晩ご飯どうするの~?」
キッチンから、甘い香りとともに流れてきた声に、アイヴォリーはしばし思案する。内ポケットを探って取り出した銀貨は、生活するには困らないにしても彼が思っていたほどに多い訳でもなかった。
実際のところ、街で生活をしていくためには金が必要だ。シーブズギルドから指南役としてたまに与えられる講師の役も、それなりには足しになるものの十分ではない。学園からこの世界の通貨に換算できるものを大して持ち出せなかったのも、生活の枷になっていた。一番価値がありそうなのはアイヴォリー本人の装備一式なのだが、こともあろうか彼は、それを売り払うどころか法外な金額を払って修理したのだった。
それでも、当面の生活に困るほど困窮している訳ではない。好きな菓子を焼かせてやり、日々の糧を得る程度には。
「そうさねェ、じゃ今日はオヤジんトコにクリ出すか。」
彼が“オヤジ”と呼ぶ酒場の主人。実のところアイヴォリーが籍を置いているシーブズギルドの関係者なのだが、その店がそれなりの酒と旨い肴を出すということで、表の仕事の方でもそれなりに繁盛している。アイヴォリーはギルドとの連絡はもちろんのこと、ちょっとしたつまらない依頼──人探しや形式だけの護衛といったような──を主人から回してもらうといったようなことまで彼にしてもらっていた。無論、そういった口利きの対価として、ギルドに回すまでもないような開錠や鑑定といったような作業があるのだが。とりあえず今のところはお互いに持ちつ持たれつで上手くやっていた。
「う~ん、それもいいけど……。」
メイリーがキッチンからふわり、とアイヴォリーの傍らへと飛んできた。“島”の時にそうだったように、今の彼女は本来のフェアリーのサイズになっている。魔力を身体の組成に使っているフェアリーにとって、学園のように無理なく人間の大きさでいられるということは稀らしい。それでも、その“島”の時と同じくに食べる量は人間と変わらないのだから、食費という面に関しては何の援助にもなっていない。だが、人間の大きさで彼女が背中に背負うその羽翅はあまりに人の目を引く。そういった意味では十分に彼女の大きさは、アイヴォリーの役に立っていた。何せ、これだけ穏やかな時間が流れていても、あくまでもアイヴォリーは逃亡者なのだ。あの運命の調律者を気取る男の言葉を信用するならば、少なくとも天幕からの追っ手はないにしても、アサシネイトギルドに関しては全く解決していない。それに、そもそもあの緋色の魔術師の言葉はどこまで信用できるのか怪しいものだった。
アイヴォリーが装備を手元に、万全の状態に整備して置いているのもそれが理由だった。いつ何時追っ手が現れても後悔だけはしなくて済むように。そういった意味では、やはりアイヴォリーに本当に平穏な時間というのは訪れることはないのかも知れなかった。
「お金……大丈夫なの?」
だが、そのために装備一式を整備したその金額を、アイヴォリーは最も知られてはならない人物に──そもそもこの街ではそんな存在は一人しかいないのだが──知られてしまっていた。たまたま買出しで彼がいないときに、あの腕に関しては信頼できる鍛冶屋は彼の宿にご丁寧にも装備を届けてくれたのだ。請求付きで。その結果、その法外なまでの金額は留守番をしていたメイリーの知るところとなり、責められこそしないものの未だに理解はされていない。ついでに財布の事情も知られてしまった、という訳だ。当然メイリーからすれば、エルフの姿隠しの外套はともかくとして、革の手甲と脚甲にどうして騎士が式典で着る全身鎧ほどの金額がかかるのか理解できないのは当然のことだったのだが。
「まァな。ソロソロウデもナマッてきそうだしな。ちッとばかしアソビに行こうかと思ってよ?」
「ふふ……。」
アイヴォリーの言葉を聞いた妖精が容姿にしては大人びた忍び笑いを漏らす。いつも彼女がアイヴォリーをからかう時にそうするように、メイリーは人差し指を立てると彼の目の前で振って見せた。
「そろそろだと思ってたっ♪」
「ヤレヤレ、仕方ねェな……。」
いつも口癖を呟いて、アイヴォリーが渋い顔でケープを取り上げた。
+ + + 「悪いな、今お前に回してやれる仕事はない。」
まさに即断即答とはこのことだ。酒場の主人はアイヴォリーが最後まで言い終わらない内にそう答えた。予想外の答えだったらしく、さすがのアイヴォリーも普段見せないような間抜けな顔で凍り付いている。仕事の内容をある程度──犯罪すれすれのものは除外するとしても──選ばなければ、それなりに仕事はあるものだ。第一、それでなければ冒険者などという職種が食っていけるはずもない。
「オイオイ、ソリャねェダロ。オレとアンタの仲じゃねェか?」
「んー、実はな、ちょっと前に団体様が来てあらかた仕事は持っていっちまったんだ。明らかに腕が足りてねぇ奴も混ざってたんだけどな……。俺は止めたんだが、一気に腕を上げるためだとか何とか言ってよ。どうしても、っつーんなら俺も紹介しねぇ道理もなかったんでな。」
主人曰く、ある程度の頭数を揃えたパーティが複数、この一週間の間に訪れたらしい。彼らが受けれるだけの仕事を根こそぎ持っていってしまったというのだ。腕が足りていない、というのは主人から見て、仕事の表面上の難易度から推察されるものでしかないから、主人の方も紹介している以上無意味に断る訳にも行かない。無論、そこには最終的には依頼が達成できるだろう程度の主人の調整は入っているのだろうが。
「ふむ……マイッタねェ。」
アイヴォリーとしては、今日ここである程度の報酬がある依頼を受け、ついでに同じ方角にある遺跡を簡単に覗いて帰ってくるつもりだった。そのための景気付けに派手にやりに来た、というのももちろん含まれてはいるのだが。
完全な遺跡の探索だけでは空振りに終わる可能性も高い。自分たちの腕に見合わない場所であることも考えられる。かといってただ依頼を遂行するだけではこの平和な地域ではスリルも見込めない。そんなつもりでアイヴォリーはここへやってきたのだが……。
「まァ仕方ねェな。とりあえずメシにすっか。」
メイリーを促して適当なテーブルにつく。少し遠出をして他の街の依頼を当たらねばならないようだ。どちらにしても景気付けは必要らしい。
「オレはトリのジゴクソテーな。イツものヤツ。」
アイヴォリーの注文を聞いてメイリーがあからさまに顔をしかめた。よほど彼の注文が気に入らないらしい。
「アイ~、またあの辛いの?
あれ辛くて食べれないよ……ほっんとに辛いもの好きなんだから。
あ、おじさん、ボクは“神の酒”ね。今日は桃にしようかなっ♪」
「メイリーこそ、あんな甘ェモンよく飲めるよな……。」
“神の酒”とは、この地域に伝統的に伝わる極々軽い酒のことだ。だが、その異様なまでの濃度と甘さは他のどの酒にも負けないといわれている代物で、普通の酒とは違った意味で飲む者を選ぶ。要するにどっちもどっちといったところらしい。
「あ~。」
アイヴォリーが何を考えていたのか、突然間の抜けた声を上げた。早くから席を陣取っていた数人の目を気にすることもなく、無意味なほど大きな声でアイヴォリーは主人に呼びかけた。
「やっぱイイ。ココで食うのはヤメだ。天気もイイしな。適当にホカのモンも見繕ってバスケットに入れてくれや。」
主人があからさまに迷惑そうな顔をするのも構わずに、アイヴォリーはさっさとケープを羽織って代金をテーブルに置いた。メイリーがようやく来たグラスに口をつけようとしてあたふたとそれを机に戻す。
「ちょっとアイ、いったいどうしたのよ?」
宝物を目の前から奪われた子供の表情で、口を尖らせて彼女は相方に抗議した。いつも行動が唐突で説明がほとんどないアイヴォリーの行動に、これで済むのも彼女が慣れているからなのだろうが。
「セッカクだしよ。外で食おうぜ。ちょっとのアイダ、この街ニャ帰ってこれねェみてェだしなァ。」
他の街まで遠征するとなれば、確かにある程度の期間この街に帰ってくることはできなくなる。そこで仕事を請けるのならばなおさらだ。何を思っているのか、アイヴォリーはろくに説明もせずにメイリーを急かし、嫌そうに主人が差し出したバスケットを受け取った。
「もう~、どこ行くっていうのよ~?」
「ハイハイ、ハナシは後だ。おっと、そういうワケで一月くらいアケるんでよ、頼んだぜオヤジ。」
まるでフェアリーを攫う奴隷商人さながらにメイリーを捕まえると、主人にそう言い残してアイヴォリーはあっという間に出て行った。
+ + + アイヴォリーは街の門を抜けると、そのまま街が築かれている山を登っていく。山の中腹に築かれたこの都市は、居住区こそ山の中腹にまとめられているもののその小さな山全体にかつてのドワーフ郷が存在し、それを利用することで全ての方角の敵に対して迅速に兵力を向けられるようになっていた。だがアイヴォリーは、そういったドワーフ郷跡の入り口を目指すでもなく、かつて初めてここに人が移り住んだときに築いた、山の頂上の遺跡へと入り込んでいった。かつては様々な者たちが想いを抱いて集ったであろうこの街の出発点は、今では全く人気もなく、ただ崩れかけた石造りの家々がひっそりと佇んでいる。
「わぁ~……。」
迷宮じみた遺跡の角をいくつか曲がったところで、メイリーが溜め息とも歓声ともつかない声を上げた。そこには、沈んでいく夕日に照らされて古々しい巨木が、ひっそりと立っていた。その老木は、衰えてもその大きな枝全てに白い花をつけていた。夕日に染まり、その淡い桃色の花は赤く燃えている。それでもなお、その赤に立ち向かうようにして花の白さは際立ち咲いていた。
「昔ココに来たヤツらの一人が、小さな苗木を持っていた。旅で弱り、ほとんど枯れかけていた。ココに辿りついた連中と同じように。
ソレでも、ソイツはココに苗を植えた。自分たちの運命を託すかのようにして。
もうホトンドのヤツはそんなコトがあったナンて覚えていない。ソレどころか知らないヤツがホトンドだ。
……ソレでも、この木はこうやって毎年花を咲かせている。小さな集落がやがて大きくなり、村が街になってこうやって、人々が眼下に移り住んだ後も。そうやって見守っている。」
「さく……ら、だよね?」
メイリーの呟きに、アイヴォリーは街を見下ろしたままで頷いた。
「昔バナシさね。
イツか見たいッて言ってたろ?」
それだけを言うと、アイヴォリーは手近な石の土台に腰を下ろしてバスケットの中身を取り出し始めた。“神の酒”と、自分が飲むエールを樽から詰め直した瓶。アイヴォリーが頼んだ鳥のソテーやメイリー用に別に味付けされた鳥、パンや米を炊いたものらしい飯盒など、思ったよりも中身は豪勢だった。
「へへ、オヤジも気が利くじゃねェか。」
「わぁ~、これって同じ花かな?」
メイリーが開いた飯盒には、桜の花とともに炊いたらしい、ほんのりと桃色に染まった米がまだ微かに湯気を上げている。どうやら訪れる前から大まかなアイヴォリーの行動は彼に読まれていたらしい。アイヴォリーは微かに苦笑するとグラスを取り出し“神の酒”を注いでやった。
「すぐに散っちまうからな。多分今日見とかねェと今年は見れねェぜ。今日は風流に花見だ。」
「うん、ありがとアイ。」
めいっぱいの微笑みを浮かべた彼女と、二人してアイヴォリーは頭上に咲く桜の木を見上げた。夕日は沈み、東の空からは夜の藍が迫ってきている。だが、同じ東の空には大きな満月がかかり、日が沈んでもカンテラに火を入れるような無粋なことはせずに済みそうだった。
「ホイ、お疲れさん。」
何に対してなのかは分からないがアイヴォリーがそう言ってグラスを合わせる。乾いた音がして、映った星が揺れた。
+ + + 「う~ん、綺麗だね~、アイ。」
「あァ。」
とうに日は暮れ粗方皿も片付いて、アイヴォリーは斜面に寝転がって空を仰いでいた。いつかそうしていたようにして、胸甲の上にはちょこんとフェアリーが座っている。月と星に優しく照らされ、夕日の中で見たそれとはまた違った趣きを巨木は見せていた。
「さッてと。ダレかさんが寝ちまわねェウチに撤収しねェとな?」
「それ誰のことよ。……も少しだけ良い?」
メイリーのその問いに、喉の奥で発したからかうような忍び笑いだけが答えた。はらり、はらりと、冷たい光の中で白い花びらが一枚ずつ散っていく。幻のような風景に二人は同時に小さな吐息を漏らした。
「ずっとこうしてられたらいいのにな。」
「マタ来年は来年の新しいハナが咲くさね。」
そのアイヴォリーの言葉に応えるようにして、唐突に一陣の風が吹いた。巻き起こったその風に、アイヴォリーはメイリーを摘み上げると、口の端を歪めながら舌打ちし立ち上がる。
「来ヤガッたな……。」
「お楽しみのとこ悪いけどね。来ちゃった。」
舞い散る白い花びらの中。黒と白の翼を背負い、あまりに似合い過ぎる少年がそこには立っていた。その整った中性的な顔立ちには柔らかな微笑みが浮かんでいる。だがそれが偽りの仮面であることを、アイヴォリーは嫌というほど思い知らされていた。小さな嵐を巻き起こし、ひっそりと咲く花を散らした天使は、まだ宙を舞う花びらの中で口を開く。
「時間だよ、“象牙”。」
その言葉を聞いて、メイリーがはっと身を竦ませる。いつか夢で聞いた言葉。自分の一番大切なものが奪い去られたそのときに、天使の顔をしたこの少年が発したその言葉。
「テメェのスキ勝手させるかよッ!」
「ダメっ、アイっ!!」
アイヴォリーも、彼女の記憶に感応したかのようにして奇しくも同じ台詞を吐いた。だからメイリーは思わず彼を遮った。低い姿勢から地を蹴って間合いを詰めようとするアイヴォリーの前に出て、まるで彼を守るかのようにしてメイリーは両手を拡げる。
「オイッ!?」
メイリーを吹き飛ばしてシェルに詰め寄る訳にもいかず、アイヴォリーが咄嗟に手を突いて自分の勢いを殺した。そのまま片手を軸に宙返りして着地すると再びいつでも走り出せるように低い姿勢へと戻る。そこにくすくすと忍び笑いが聞こえてきた。
「まぁ聞いてよ。今度はキミだけじゃない。キミをフォーマットする気もないよ。
……ただ、約束は守ってもらわなきゃね?」
そう言って、その柔和な面持ちの少年は似合わぬ皮肉な笑いを口の端に浮かべた。アイヴォリーがいつもそうしているように、だがそれよりもずっと冷徹に、かつて様々な略号で呼ばれた深紅の手品師が浮かべた笑いで。
「……学園か……イヤ、違ェな。まァオヤジのトコに手が回ってた時点で来るのは予想してたケドな。」
そう言って舌打ちしたアイヴォリーは彼の特異な戦闘態勢を解いた。だがその鋭い視線は少年から外されることはない。
「で、今度はドコに行けッつーんだ。言っとくが、オレだけ戻される気はサラサラねェぞ。」
「キミたち二人で、ここへ行って欲しいんだ。天幕が優秀なシーフを探している。当面の目的はこの中央にある塔の制覇だよ。その間の報酬は出す。手に入れたものも分配されたものは自由に使って良いよ。」
シェルとアイヴォリー、二人の間に煌く魔力で構成された見取り図が現れた。大きな街と、その中央にそびえる塔。それ以外、街の外は大まかな地図しかない。
「ウカウカ行ったらイキナリブスリ、じゃねェだろうなァ?」
「キミたちの安全はまだ“金色”に保障されてるよ。もっとも、運命調律者の保護はないけれどね。」
そう言うと天使は物憂げな顔で小さく溜め息をついた。だが、口を開こうとしたアイヴォリーを制するように首を振ってシェルは言葉を継いだ。
「キミたちの準備が良ければ転送するね。僕もここにいるのは疲れるから。」
有無を言わさぬ彼の調子に、アイヴォリーはメイリーへと視線をやった。決定権は彼女にある、とでも言うようにして。その無言の問いを察して彼女がいつものように微笑む。
「ボクは大丈夫だよ。どんなところでも、どんなことがあっても。今までも、これからも。
……それに、約束は守らなくっちゃね?」
宿を出るときと同じように小さく笑いを漏らした彼女の顔を見て、苦笑しながらアイヴォリーはわざとらしく溜め息をついた。大げさに、いつのようにして肩を竦め。
「ヤレヤレ……仕方ねェな。オレは“裏切り者”だぜ?
約束ナンざ守らなくてもイイんだよ。」
「あら、今は違うでしょう?
ほら、じゃあ早く行こう。どうせ冒険に出かけるつもりだったんだしね?」
もう一度溜め息をついたアイヴォリーの周囲を包むようにして虹色の魔力が渦巻き始める。メイリーが慌てて彼女の“指定席”に腰掛けた。
「ずっと……一緒だよ?」
「あァ。」
その短いやり取りを最後に、再び二人はこの世界から姿を消した。
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- 2007/05/16(水) 15:51:32|
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