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紅の調律者

偽島用。

Alive時代の前振り4期?:Last Day

島に平和が訪れて、退去の日。
字数制限が大幅に緩和された特別な日に、やったのはこれでした。

お茶会はずっとメッセや何やらで出来れば良いと言っていたのを盛大に実現させたものです。

そして二人だけの超絶赤面企画。最後も歌で〆るという暴挙。お互いに歌の詞を書き、それに対する返歌を考えてセットに。さらに彼女には二人で歌う姿まで描いてもらっています。
絵はあるけど許可が出ないだろうので残念ながらここでは出せませんw
許可が出たら載せるかも。

この後二人は大陸に戻りしばしの静かな時間を得るのですが、それから先はまた別のお話。


 最終的に探索者たちが辿り着いた場所。終わりなき、終末の浜辺。昨日の夜はそこに飛ばされて呆然としていた彼らも、今日はいそいそと自らの目的地に向かうために荷物をまとめていた。望んだ場所へと、島の主は送り届けてくれるという。気の早い者は朝も空けぬ内から自らが待ち望んだ場所へと消えていった。それでも、多くの者たちはこの島での生活を名残惜しむように、互いに挨拶を交わしたり、思い出話に花を咲かせたりと、最後の時間を思い思いに過ごしていた。
 災厄は去った。探索者たちの一丸となった抵抗により星から来たものは倒れ、襲撃者は駆逐された。だが、それはまた島の終わりをも意味していた。
 そんな中、砂浜の一角にとてつもない大きさの天幕が立てられていた。その周囲には机や椅子が並べられ、辺りには白く塗られた木の柵が張り巡らされていた。それぞれの机の上には紅茶のポットが置かれ、椅子の数だけソーサーとカップも用意されている。また様々な大きさの皿の上には、果物やクッキーといった茶請けが用意されていた。
 そこが正面なのだろう、柵が途切れた一角にはご丁寧に白いポーチが設えられ、くすんだ白いケープを纏った細身の男がいた。その右肩に小さく輝いて見えるのは彼の大切なパートナーなのだろう。二人はいつもの様にして共にあった。
「よォ、嬢ちゃん。イチバン乗りだぜ。よく来たな。」
「やったー、おかし食べ放題だよね?」
 いつもの様にして人を食った笑みを浮かべて手を挙げ、アイヴォリーが初めての来客に挨拶する。ドワーフの英雄の名を継いだ幼く気高き戦士。ルミィ=ナイツはいつもの旅装で、いつものように無邪気な笑みを浮かべている。
「うん、いっぱいあるから遠慮しないでね?」
 アイヴォリーの肩で足を遊ばせながら弾けるような微笑みを浮かべ、メイが嬉しそうに言った。幸い最後の日は神様も大目に見てくれたらしい。天気も良く、日の光を燦然と浴びて煌く羽翅をはためかせるその姿は、彼女が信じる風乙女にも負けてはいない。
「まァ入りな……ッてナンだ、このニオイは?」
 眉を顰めてアイヴォリーがルミィに顔を近づける。確かに妙に甘い臭いが漂っているような気もしなくもない。

「うん、今日はれいこくな女はんたぁもフェロモン全開なんだよ?」

「ッて、オマエ、後ろに着いてきてるのはナンだアリャッ?!」

 ルミィの後ろにはぞろぞろと、その臭いに惹かれたのか動物が集まり始めている。と、奥の方で皿の割れる音がした。何ごとかと天幕の方を覗こうとしたアイヴォリーを押しのけて、薄い黒のドレスを纏った妙齢の女が出てくる。彼女はルミィに飛び掛ると喉を鳴らして顔を擦り付けた。

「うにゃ~~~。」

「あァ~……嬢ちゃん、とりあえずイヴと奥で遊んでろ。コレ以上ヘンな動物が来たらコマる。」

 しっしっと手を振って二人を追い払うアイヴォリーに、後ろから声がかけられた。

「ウィンド殿、ご招待いただき光栄に存じます。このような場に無粋ではあると思いましたが、正装といえばこれしかなかったもので……。」

 アイヴォリーが振り返ると軍服で着飾ったハルゼイとアッシュがいた。苦笑したアイヴォリーは手を差し出してハルゼイと握手する。

「イヤイヤ、似合ってるぜ。後ろのにーちゃんもな?」

「お詫びという訳にはいきませんが、これもよろしければ。どうぞ。」

 ハルゼイが差し出した大振りの包みを受け取ったアイヴォリーは、その包みをその場で開く。中には色とりどりのキャンディや、果物を使って作ったらしいパイが入っていた。

「ん、マンゴーにパパイヤか。サスガにこの島らしいやな?」

「あっ、アイだけずる~い!」

 一欠け口に放り込んだアイヴォリーを見て非難の声を上げるメイ。苦笑してヤレヤレと呟きながら、アイヴォリーはメイの口にもパイを押し込んでやった。

「そうそう、後、今日は皆さんに楽しんでいただけるものを用意できると思いますよ? 
 “盛大なフィナーレ”に“華”を添えるにはもってこいのものを……。」 

「お、ハルゼイテメェもナンか仕込んできやがったな?
 へへ、アリガトよ。さァ、とりあえず中に入ってクツロいでくれ。最後の日くレェユックリしたってバチは当たらねェさな。」

 ハルゼイに奥を手で示すと、すぐに次の客が来ていた。背の低い、黒い影のような少年と青い髪の少女。サトムとホリィだった。

「オヤ、猫のにーちゃんやホカの連中はどうしたよ?」

 いつもサトムと行動を共にしていた猫人の青年の姿が見えないので、アイヴォリーはサトムに聞いた。だが何を納得したのか、もしくは勘違いしたのか、一人でうんうんと頷くとにやけた笑いを浮かべてサトムに耳打ちする。

「へっへっへ、お二人さんはゴ一緒に今日一日ごユックリとデートですか。イイねェ、お似合いだぜ?」

「いえ、そっ、そんなんじゃあ……。」

 そう言いながらも満更でもなさそうなサトムの後ろではホリィがいつもの如くにこやかに微笑んでいる。肯定も否定もしない。さすがはアイヴォリーも認める“役者”といったところか。アイヴォリーがサトムたちを中に入れると今度はセーラー服の少女がやってくる。

「わー、アイヴォリーさん、ご招待ありがとうございますっ♪」

「オヤ、黒騎士のヤローは一緒じゃねェのか。おかしいな、来ると思ってたんだケド。」

 首を傾げるアイヴォリーの後ろですさまじい勢いで砂が撒き散らされると、いつもの黒装束が立っている。いつもながらの含み笑いを漏らしながら“ドリルッ”などとよく分からない技を出しているのは黒騎士だ。

「テメェ、ソレは中ではヤるんじゃねェぞ。影犬とかも出さねェでイイからな。まァ入れ。」

 黒騎士を適当にあしらいながら敷地の中へと入れると、次の客は霞と密だった。依頼人とメイド──もしくはボディガードだったかも知れないが──には到底見えない二人組だ。

「おゥ嬢ちゃんににーちゃん、最後までオツカレだったな。……そういや包帯巻きのアッシュはどうした?」

「アッシュさんは~、荷物をまとめてから来るってぇ~、言ってましたぁ~。」

 アイヴォリーがそれに答える前に、いつもの格好をした架那と朔夜が何かを担いで戻ってきた。今日はディンブラとともに裏方で使われているらしい。怪しげな黄色い物体が入った大きなたらいを軽々と担いで、架那は朔夜とともにすたすたと入ってくる。

「おい、アイちゃん、これくらいあれば足りるのか?」

 どうやら二人はアイヴォリーに頼まれて辺りのサンドジェリーを狩りに行ってたらしい。大きなたらいに山盛りにされているのはサンドジェリーの蛍光色の死骸だった。

「あァ、使っちまって悪ィな。ツイでにもういっちょ頼まれてくれ。奥に残ったタネがあるからよォ、一緒にソコに運んで中に全部ブチまけといてくれねェか。」

「……全部……入れるのか?」

 顔を顰めながらも二人は厨房に当たる小さな天幕へと向かっていく。今頃ディンブラがその中で必死で紅茶を精製しているはずだ。

「アイ、またお客さんだよ~?」

 メイの声にアイヴォリーは次の客を出迎えるためにエントランスに走って戻っていく。



   +   +   +   


「ヤレヤレ……まァみんな楽しんでるみてェだし、ヨシとしときますかねェ?」

 ずずり、と上品とは言えない音を立ててアイヴォリーは紅茶を啜った。テーブルではようやく紅茶の精製から解放されたディンブラがげっそりした様子で座り込んでいる。その横では、メイとアイヴォリーの頼みを聞いてやってきたアッサム、それに架那と朔夜がテーブルを囲んで談笑しており、その横ではネオンがレモンクッキーの皿を囲い込んで貪るように食っていた。

「イヤァ、アッサムさん、悪ィな、レディにまで働かせちまって。」

 余り悪いとも思っていなさそうな表情でアイヴォリーがアッサムに向かって指を振ってみせた。穏やかに微笑んでアッサムがそれに答える。

「いえ、せっかくですから他の兄弟たちも使ってくだされば良かったのに。」

「イヤ、知り合いでもねェヤツにまでこんなコトは頼めねェよ。アレ疲れるんだろ?」

 アイヴォリーは肩を竦めて彼女が精製したアッサムを飲んでいる。横でやつれて呆然としていたディンブラが白い目でアイヴォリーに突っ込んだ。

「アッサム姉はほとんど出してないだろ……ほとんどディンブラじゃねぇか。」

「ヤレヤレ、ディンブラごくろーさん。」

 ディンブラが普段やるようにしてぱたぱたと手を振り、至極適当にディンブラにもいたわりの言葉をかけるアイヴォリー。アッサムにかけているものに対して、はっきり言ってこちらには労わりの気持ちが微塵も感じられない。

「お前なぁ……。大体紅茶搾り出すって、分かってるのか?
 俺の紅茶は金やミスリル以上の価値だぞ?」

「まぁまぁ、いいじゃないですか。好きなだけ使ってくださいな。」

 いつもながらのアッサムののほほんとした様子に、ディンブラは引きつった表情で答えた。

「……アッサム姉、それだけで人間通貨のどんだけの価値が有ると思ってるんだ?」

「まァイイじゃねェか。カネじゃ人はもてなせねェしよ。同じだけの金やらミスリルが今ココにあったってちっともイキじゃねェさ。」

 アイヴォリーの言葉にアッサムも頷きながら同意する。“粋”かどうかはともかく、桁外れの金銭感覚を持つがゆえに、彼女もアイヴォリーの言いたいことが分ったらしい。

「そうそう、美味しいお茶と楽しい時間はどんな価値にも変えがたいですからね。」

 彼女の言葉を聞いたアイヴォリーは急に遠い目で、いつかの情景を思い出しているらしい。それまでの調子とは打って変わって静かに、真摯な声音でディンブラに言った。

「……メイがずっとヤリてェッて言ってたんだよ。お茶会をさ。ホントにアリガトな?」

「まぁいいけどな……。」

 アイヴォリーの様子に毒気を抜かれて苦笑し、彼を見上げるディンブラも、満更でもなさそうな表情をしている。これだけの人間の“陽”の気が充満することは中々ない。しかもそれが自分の紅茶によってもたらされているというのは、ディンブラのような存在にとってはエネルギー源となるのかも知れない。

「アイ~、お客さんよ~?」

 入り口からメイの声がアイヴォリーを呼んだ。また誰かやってきたらしい。

「げっ、まだ増えるのか……お前一体何人呼んだんだよ?」

「うはは、イッパイ来てくれリャイイんだケドな?」

 恨めしげなディンブラの視線を躱すようにして、笑いながらアイヴォリーは上機嫌で天幕から出て行った。


   +   +   +   


 ハルゼイがフィナーレに添えた“華”で盛大に盛り上げられたお茶会は、それからアイヴォリーの声で解散を告げられた。宴会は終わり、集まった者たちも島の力によって自らの望む所──ある者は故郷、ある者は大切な者の隣、そしてある者はこの島の真の部分にある遺跡──へと去っていった。全員がそこを去った後に、砂地に立てられた大きな天幕や机、椅子、食器などは、ディンブラが砂から創り出したもので、お茶会自体が夢だったかのように一瞬で掻き消えた。ディンブラが魔法で一時に砂へと返したのだった。
 辺りにはもうアイヴォリーとメイリーの二人の影しかない。その影も、この島で過ごす最後の一日の終わりを告げるように、長く長く伸びていた。紅に染まった砂地に腰を下ろしたアイヴォリーは、近くに生えていた草を千切って小さく穴を開け、それを口に押し当てる。祭りの終わりに相応しい、優しくも物悲しい音が旋律を伴って辺りに響いた。一旦草笛から口を外したアイヴォリーは、砂の向こうで夕日に赤く染まる海を見つめたまま右肩に座っている彼の姫君に呟いた。

「……なァ、メイ……聴いてくれるか。オレはこの前、大切な人から歌を貰った。だから、今度は、自分の言葉で想いを伝えてェんだ。借りモノじゃなく、自分の言葉で。」

 草笛が奏でた旋律が、今度はアイヴォリーの口から零れる様に、囁きかける様に流れ始めた。

冥い冥い闇の中、僕は宝物を探して
ずっと暗闇に怯えて逃げ回っていたけど
それでも欲しかった、僕だけの宝物が
僕だけの、僕だけが大切にできる宝物が

そっと小さな世界の中、僕はその蓋を開いて
そよぐ風と森の囁き、風と翼
その中で見つけたんだ、僕だけの宝物を
僕だけの、とても小さな優しくて白い光

ほら、羽をひろげて
僕がどこまでも送り届けてあげる
君の信じる風は、きっと優しくて途切れない
ほら、どこまでも行こう
僕がいつまでも傍にいてあげる
君を護ってる風は、いつも強靭で吹き止まない

僕は、そんな風になりたかったんだ
僕だけの宝物を優しく包めるような、吹き止まない風に


 ワンコーラスが終わるとそれに合わせる様にして、小さな歌姫が歌い始めた。アイヴォリーは彼女の意図を察してもう一度始めから歌い始める。アイヴォリーの旋律に合わせ、お互いの歌を追う様に、追われる様に、先に後になりながら、自然と調和の取れた二人の歌声が響く。

Side-A:Ivory
冥い冥い闇の中、僕は宝物を探して
ずっと暗闇に怯えて逃げ回っていたけど
それでも欲しかった、僕だけの宝物が
僕だけの、僕だけが大切にできる宝物が


そっと小さな世界の中、僕はその蓋を開いて
そよぐ風と森の囁き、風と翼
その中で見つけたんだ、僕だけの宝物を
僕だけの、とても小さな優しくて白い光


ほら、羽をひろげて
僕がどこまでも送り届けてあげる
君の信じる風は、きっと優しくて途切れない
ほら、どこまでも行こう
僕がいつまでも傍にいてあげる
君を護ってる風は、いつも強靭で吹き止まない


僕は、そんな風になりたかったんだ
僕だけの宝物を優しく包めるような、吹き止まない風に


ほら、僕は見つけた
僕をどこまでも導いてくれる宝物
僕の信じる光は、いつも優しくて迷わない
ほら、どこまでも行こう
僕をいつまでも強くしてくれる宝物
僕が信じる光は、きっと微笑んで振り向かない


僕が、そうして光に包まれてるんだ
僕が苦しんでもまた立ち上がれるような、煌いてる光に


だからどこまでも、だからいつまでも


Side-B:Meyre
籠の森を抜け出して
自由を求めて飛び立ったあの日
いつのことだったかな
とおい昔かそれとも昨日か

あの日から世界は変わって
時間なんて必要なかった
森での生活が夢?
目の前の君が夢?
でも、これだけは確かなのよ
わたしの中のあなたへの想い

君の全てがわたしの全て
どんな些細なことでも
幸せな気持ちになれるの
もっとたくさん笑って見せて
きっとわたしも笑顔になるわ

君に声をかけられて
迷うことなく手を取ったあの日
忘れるはずなんかない
あの日が今まで繋がってるの

君はわたしの希望そのもの
君が傍に居てくれるなら
どんな事も乗り切れるわ
もっと強く手を握り合おう
ずっと君の近くに居たいから

君の全てがわたしの全て
どんな壁があるとしても
二人でなら超えられるわ
もっとたくさん笑って見せて
ずっと君と笑っていたいから

あの日から今へ 今からこれから
大切な君と一緒に
大切な君へ 大好きな君へ

…ずっと一緒に居ようね


二人で最後の部分を歌い終わると、思わず目が合って、二人で優しく微笑みあう。ふふ、と小さく忍ぶように笑い声を漏らしたメイが今度はアイヴォリーに語りかけた。

「ボクもね、同じ事考えてたんだ。今度は誰かが歌ってた歌じゃなくて、ボクだけが歌える歌を、ボクが捧げたいと思う人だけに歌いたいって。……聴いてくれる?」

 メイが歌いだしたその歌に、今度はアイヴォリーが彼女にやったようにして歌を重ねた。何を打ち合わせた訳でもなく、それでもお互いに語り合う様に、確認し合う様に、息の合った二人の歌が二人だけの砂地に響く。

Re:Side-A:Ivory Reply

ずっとずっと忘れはしないさ
初めて会ったあの日から何もかも
一度目は他にするように飯をくれて
二度目はぼろぼろになるまで戦った
それからいつも傍に居て
傍にいられるだけで嬉しくて
盗んだつもりが盗まれてたなんて
盗賊の誇りにかけて言えないけど

編み込まれたお下げのブロンド
君は知ってるかい?
撫でてるだけで安心するんだ
薄く煌く羽の軌跡
君は気付いてるかい?
その光がどんな時でも俺の力になる
ご機嫌損ねてむくれた膨れ面も
クリームが鼻に付きっ放しのご満悦の笑みも
俺の名前を呼んで微笑う
全部が大好きだ
俺の愛するお姫様
今日はどこまで行こうか

長く重ねた二人の毎日
でもまだ全て君を知ってる訳じゃない
いつこの儚い輝きが消えるかと
胸を締めつけて夜も眠れないんだ
暗い話なんてしたくない
捨てたもので泣きたくもない
でもそんな事があったから
ずっと俺は護っていける

二人を包む穏やかな風
きっと大丈夫
導かれるままどこまでも行こう
二人を包む優しい風
きっと大丈夫
吹き続ける限りずっと先まで
いつも負けずに浮かべてる強い笑みも
たまに先を見つめる真摯な翠の瞳も
俺の名前を呼んで微笑う
全部が大好きさ
俺の愛するお姫様
明日はどこまで行こうか

君の心の優しい翼
壁を越える翼だから
俺の右肩の白い輝き
ずっとずっと傍にいるさ


Re:Side-B:Meyre Reply

あなたは覚えているかしら?
最初に出会ったあの日のこと
ほんとに気まぐれだったのよ
あなたに声を掛けたのは
気付けばとても近くに居て
余りにも大きな存在になってて
クールでタフガイなシーフさんは
わたしから何を盗んだのかしら

長く伸びた白髪の髪
あなたは知っている?
陽に透けると銀に見えるの
印象的な緋色の瞳
あなたは気付いてる?
その目に引き込まれてるの
口端吊り上げて笑う笑顔が好きよ
赤くなって困る顰めっ面も好きよ
わたしの名前を呼んで微笑う
あなたが大好きよ
わたしの愛する騎士さま
今日はどこまで行こうか

長く過ごした二人の日々
でもまだ全てあなたを知ってる訳じゃないの
時折見せる辛そうな顔が
胸を締めつけるけど理由が全然分からないの
無理なら言わなくていい
辛いなら泣いてもいい
どんな事があったとしても
きっとわたしは近くに居るわ

二人を包む穏やかな風
きっと大丈夫
導かれるままどこまでも行こう
二人を包む優しい風
きっと大丈夫
吹き続ける限りずっと先まで
呆れた時のいつものセリフ好きよ
必死で言い訳けする文句も好きよ
わたしの名前を呼んで微笑う
あなたが大好きよ
わたしの愛する騎士さま
明日はどこまで行こうか

あなたの肩は特等席
わたしだけの場所だから
そこはずっと空けておいてね
ずっとずっとそこに居るから



 もう一度二人で優しく微笑み合って、心を繋げて。今までやってきたように強く、優しく。沈んでいく夕日に目を細め、アイヴォリーは彼女を落とさない様にそっと立ち上がった。

「ソロソロオレたちも行くか、お姫サマ。竜か、不死鳥か。次はナニが見てェよ?」

「ボクはアイが行く所なら、どこでもいいよ。」

 その答えに思わず苦笑したアイヴォリーは、ケープに付いた砂を払うと島の奥を振り返る。幻でない真の島。そこにある筈の遺跡。その中では宝玉に近い物が眠っているという。

「シーフが宝モノ見過ごしたとあッチャ、名折れだよな?」

 くすりと笑ったメイの髪を撫で、藍に染まり行く空を見上げる。二人なら、どんな壁だって越えられる。どんな遺跡だって制覇出来る。そこには、また新しい二人の冒険がある筈だ。

「ヨシッ、決まった。行くぞ、メイッ!」

「うんっ、どこまでも一緒に行こう♪」

 目を閉じた二人は、未だ見ぬ冒険を思い描く。二人で創っていく冒険を。
 砂地に微風が吹き、砂が巻き上げられた後にはもう誰もいなかった。
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  1. 2007/05/16(水) 12:08:05|
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Alive時代の前振り4期?:93~96日

いよいよ最後、九十六日目でリトルグレイが倒されてついに島生活も終了。アイヴォリーはスペードに一度負けて装備を整え直し、スペードを倒して最後のジョーカー、というところでタイムアップ。最後まで中途半端な人生でした<ぉ
無論島での生活は“結果”はあくまでも一つの要素でしかなく、全てではなかったのですが。
ちなみにディンブラが言ってるエリィは彼の相方で、アイヴォリーに絡んでくるエリィとは別人。後で読むと悲惨な偶然の一致というかややこしいことこの上ありません。

九十三日目:朝
 惨敗、という表現が正しいのだろう。要するに、全く勝つ見込みがなかったということだ。アイヴォリーとメイは、スペード戦の傷も癒えぬままにその森を離脱した。

   +   +   +   


「クソッタレッ!
 メイ……大丈夫か?」

 口汚く罵るアイヴォリー。それは主に自分に向けての言葉だった。
 発光体の四つ目、スペードを甘く見過ぎていたのだ。先人のいくつもの戦闘結果から相手の戦力を充分に予想できたはずなのに、敗北した。それはひとえに油断が生んだ敗北だと言えた。
 ロージィスペードは、アイヴォリーたちが予想していたよりもずっと強敵だった。そもそも、グレイダイヤモンドまでの三つの発光体はそれほど対処に困るような敵ではなかったのだ。アイヴォリーの石化毒を含む攻撃シルバークラットで動きを封じられ、そこをメイのシルフとイフリートが焼き払う。ほとんどこちらには被害も出ないような一方的な勝利だった。それだけに、アイヴォリーは次のスペードの力量を見誤っていた。これまでと同じように、次も獣に多少毛が生えた程度のものだろうという楽観と、今までに確立した二人の連携で充分に押さえ込めるという誤算が生じていたのだ。
 無論、ルミィたちからスペードの厄介さは耳にしていた。トリプルエイドにより段々と固くなっていく相手には、それでなくても物理攻撃は通りにくい。そして各種の状態異常に対する耐性を持っているために、アイヴォリーの得意とする毒での足止めも効果が薄い、と。しかし、グレイダイヤモンドも耐性は持っていたのだ。その耐性を凌駕する毒の量を相手に与えられたのだ。間違いなく自分に止められないものではない、そうアイヴォリーは過信していた。

「うん……大丈夫だよ。でも悔しいなぁ……。」

 僅かに肩を落とした彼女の顔には憔悴と疲労の影が見える。それに気付いたアイヴォリーが、メイを自分のケープの中へと引き入れた。
 このまま、何の戦術もなしに明日もう一度戦っても絶対に勝てない。アイヴォリーにはそれが今日の戦いで分かってしまった。それほどまでに勝機がなかったのだ。そして、勝機がないのであれば、明日の朝早くにこのキャンプを撤収しなければならないだろう。一端退却して戦術を練り直す必要がある。
 疲れから眠ってしまったメイの、ケープの下からの微かな寝息を耳にしながら、アイヴォリーも倒れこむようにしてテントに潜り込む。メイを寝袋に入れてやり……そこでアイヴォリーも意識が途絶えてしまった。

   +   +   +   


「悔しい~~っ!!」

 次の朝。アイヴォリーはいきなりの叫び声で叩き起こされた。獣か人狩りでも襲撃してきたのかと慌ててテントを出る。そうするとそこには、火を起こしてシチューを温めるためにお玉を持ったままで絶叫しているメイがいた。どうやら朝食の準備をしている途中で昨日の敗戦を思い出したらしい。

「あァ、メイ。朝ッパラから元気だな?」

 思わず安堵の苦笑を漏らしてアイヴォリーが言った。お玉を振り上げて憤慨するメイはそのまま叫び続けている。

「禁魔術まで使ったのに、何あの固さ!
 おまけに抵抗されちゃうし。」

「あァ、悪ィ。昨日のはちょっとばかしアマく見スギてたオレのミスだ。」

 実際、スペードは最初の行動で空中に舞い上がると、炎を纏って烈火のごとく攻撃を仕掛けてきた。空中から赤い魔弾を浴びせかけ、そのままこちらへ向かって突撃してくる。攻撃を食らえば火をつけられるばかりか毒までくれるという念の入用だ。しかも、攻撃のパターンが二種類あるらしく、鋭い勢いで突っ込んでくると延々と纏わり付いて攻撃を浴びせる。すぐに集中砲火を浴びたイヴが戦闘不能に陥り、二匹のメイのペットたちも同じように地に伏すことになった。
 しかも上から降り注ぐ魔弾は質量を伴った物理攻撃で、躱し切れないメイが傷を増やしていく。アイヴォリーの気絶毒や睡眠毒は、ある程度は効果があるものの明らかにそれまでの敵に比べて効きが悪い。神経毒や石化毒に対する耐性が高いのだ。メイの最終手段、禁魔術の奥義で敵は半壊したものの、そこからは上空から魔弾を放ちながら回復行動をとった。トリプルエイドの回復力は大したもので、奥義を撃ってしまったメイと、回復するたびに固くなる相手に物理で攻撃するしかないアイヴォリーは圧倒的不利に追い込まれた。結局はメイが魔弾に耐え切れずに戦闘から離脱した直後に、アイヴォリーも攻撃を躱し切れずに倒れ、完全な敗北を喫したのだ。アイヴォリーも、相手がここまで強いとは思っていなかった。

「うん、ボクも甘く見てたみたい。ごめんねー。」

 だが、昨日の夜は落ち込んでいた彼女も、一晩眠って体力は一応回復したらしい。あそこまで叫べるのなら大丈夫だろう、そう思ってアイヴォリーは安堵の苦笑を抑えることが出来ない。

「まァ、このまま戦っても勝てねェな。イッペン退くぜ。
 態勢整えて、シッカリ戦術考えてからリベンジだ。」

「うん、今度は絶対倒そうね!
 だって、行けない事ないと思うもの!」

 まずは一端退却が妥当だ。リベンジはそれからでも良い。もう島に時間は残されていないが、後二日程度はあるだろう。いや、あって欲しい。アイヴォリーはそう願わずにはいられなかった。最後の戦闘が負けでは島から気持ち良く去ることも出来ないというものだ。

「そうさなァ……でも、どうヤるかが問題だよな……。」

「ギフトもなくしちゃったしね。」

 幸運なことに、万が一を考えてアイヴォリーは欠片にギフトを預けていた。それが残っているのが不幸中の幸いだった。

「まァとりあえずは……片付けかねェ。」

 昨日疲労困憊で帰ってきた二人のキャンプは散らかり放題だ。アイヴォリーは鬱々とした声でそう言ってから、辺りの生活道具をまとめ始めた。

九十三日目:昼
 アイヴォリーたちは何とかしてキャンプを撤収し、自分たちの支援のために待機してくれていた欠片とともに近くの砂地へと退避した。そこにはハルゼイたちが既に陣を構えており、比較的この辺りでも安全な場所だと言えた。傷も癒えきらぬままでの行軍は中々に厳しかったのか、ハルゼイたちの近くに自分たちのキャンプを設営すると、アイヴォリーはどっかりと砂地に腰を落とした。

「おや、ウィンド殿にリアーン嬢。それに……欠片さんでしたか。
 どうしました、その傷は?」

「あァ……コイツはなァ、ちっとミスッちまってな……。」

 アイヴォリーが溜め息とともに肩を竦める。スペード戦の顛末を聞かされたハルゼイは、頷くと口を開く。

「あぁ、シャッフル同盟のスペードですか。あれには我々も苦戦しましたからね。ルミィ君でも苦戦しましたから。」

「あのヤロー、どうやリャ倒せるか見当もつかねェぜ。アソコまで毒が効かねェとはな……。」

 アイヴォリーのさすがにうんざりとした調子の呟きに、ハルゼイはふむ、と独り呟くと眼鏡の位置を直し何事か考え始めた。アイヴォリーとメイ、二人の周囲をうろうろと歩き回ると、時々何やら独りで自分だけ納得しているのか頷いたり、また首を捻ったりしている。

「あァ、どした?」

「いえ、ウィンド殿にはお世話になっていますからね。少しでも力になれないかと思っているのですが……装備をもう少し見せていただけますか?」

 ハルゼイは彼らの戦術と装備から、最良の戦術を考えているらしい。少しの時間考えてから、彼は大きく頷いた。

「おゥ、ナニか分かったのかよ?」

 アイヴォリーの問いにハルゼイが頷く。どうやら答えが出たらしい。自信満々のハルゼイの顔を、二人は期待のこもった視線で見上げる。

「ええ。分かりました。
 今のお二人の戦力では、全く勝ち目がありません。」

「んなコトは今さら言われなくても、昨日の時点で充分思い知らされたぜ……。」

 返ってきた最悪の、しかも冷静な答えに、アイヴォリーがうんざりともう一度溜め息を吐く。確かにあれだけ一方的にやられたのでは、勝機も何もそれ以前に勝負になっていない。

「そうですね……おや、それはアメジストフラワーですか?」

 勝てないと結論を出した上で、それでもハルゼイは何事かを考えているらしい。今度は一緒について来た欠片の持ち物を検分し始めている。

「そうだな……紅術ならウィンド殿とは相性がいいし……。」

 一人でぶつぶつと呟くハルゼイ。挙句の果てに自分のキャンプへと走っていくと、紙とペンを持ってすぐに戻ってきた。それに書き付けては破棄し、また書き付けるという繰り返しをやっている。

「オイ、ハルゼイよォ、ナニヤッてんのか全然分からねェぜ?
 少しは教えて」

「ウィンド殿、少しお静かに。今考え事をしているところです。」

 もう飽きたのか、アイヴォリーは肩を竦めたままでハルゼイをせっついた。だが、眼鏡のレンズをきらり、と光らせたハルゼイの視線は、戦闘中のアイヴォリーの視線にも匹敵するほど冷たく、冴えていた。ハルゼイのそれは、思わずアイヴォリーが言葉を途中で切ってしまうほどの眼力を持っていた。

「ハイ……。」

 教師に叱られた子供のようにアイヴォリーが小さくなる。ハルゼイはそれを気にした様子もなく彼らの装備の検分を続けていた。

「そうだな……リアーン嬢、貴女は確かパンデモニウムを覚えていらっしゃいますね?」

「パンダも煮るん?」

 全く意味不明の会話にまたアイヴォリーが首を突っ込んだ。とりあえず自分に分からないことが進んでいると不安になる性質らしい。

「うん、使えるよ。
 ん~っとねアイ、パンデモニウムっていうのは魔法のひとつで、複雑な魔法円を辺りに描いてそこからどんどん召喚するの。まだボクも試したことがないんだけど……何でも良いからどんどん召喚し続けるんだって。」

「ナンか聞くだけで物騒な魔法だなオイ。」

 二人がそんな会話を続けている間にもハルゼイは何かを書き留めている。彼はもう一度自分のキャンプに戻ると、今度は丸めた大きな紙筒を持ってくると、それを拡げて地図のように大きな表から何かしら探し始めた。

「コリャ……マタスゲェ表だな。いってェナンだよコレ?」

「これは……合成の表だね。ここまで詳細なものは僕も見たことがない……。」

 いつの間にか横から覗き込んでいた欠片が、珍しく小さな声で感嘆を漏らす。最早アイヴォリーには全く理解不能な領域だ。

「ほう、これは……これを合成して……ふむ……。」

 ひたすら表と手元の書き付けを行ったりきたりしていたハルゼイがようやく顔を上げた。新たな紙に、整理した結果を書き込んで、満足そうな顔で頷く。

「ウィンド殿……貴方は非常に運がいい。上手くいきそうですよ。」

 笑顔を浮かべて書き付けを示すハルゼイ。だが、アイヴォリーにはさっぱり内容が分からない。横から覗き込んだメイも首を捻っている。

「これなら、あるいは勝機があるかも知れません。」

「だからナニよ、ソレは?」

 全く理解できないアイヴォリーは最早お手上げらしい。だが、合成を生業にしている欠片には意味が分かったのか、その書き付けを見て頷いている。

「これは……忙しいな。二日間いっぱいいっぱいで働かなきゃこれは揃えられないよ。」

 欠片は書き付けを読み終わると、ふう、と大きく息を吐いた。それからアイヴォリーに向けて諦めたような視線を送る。

「仕方ないな……助けてやるから次は絶対に勝てよな。」

「だから、ナニ?」

 ハルゼイはしきりに頷くと、アイヴォリーの肩に手を置いた。不審気にその手を見返すアイヴォリー。

「ウィンド殿はマジックポーションCを急いで作ってください。時間がありません、今日中に仕上げて欠片さんに渡してください。いいですね?」

「はァ……?」

 有無を言わさぬというのはこういう状況を言うのだろう。ハルゼイはにこやかな笑みをうかべたままで眼鏡をもう一度光らせた。

「私はガムとキャンディの作成に入ります。時間がありませんので失礼します。」

「ガム?キャンディ??」

 まるで難しい数式の解を見つけた少年のような、そんな瞳の輝きがハルゼイにはあった。颯爽と立ち去っていくハルゼイ。

「……で、ナニ?」

 取り残されたアイヴォリーの問いに答える者はもう誰もいなかった。

九十三日目:夜
「アイ兄ちゃんは、足手まといだった時期は……小さい時見上げた誰かはいなかったの?」

 夜、アイヴォリーは妙なモニタの前に座っている。辺りには所狭しと何に使用するのかも良く分からない機材が並んでいるのだが、どうやらそれは何ならの法則によって効率的に並べられているようで、あくまで整然としていた。壁際に並べられた機材の群れは、あたかも古代の大図書館か、もしくは博物館か何かのような印象すら与える。

「ウィンド殿、返信はそこのボタンです……いやいや、そこは触らないでください。」

 アイヴォリーはハルゼイのラボにいた。噂には聞いていたのだが、実際にこうして訪れるのは初めてだ。これだけの機材を島の中で調達したというハルゼイに、アイヴォリーは密かに舌を巻いた。もっとも、そのほとんどは用途すらアイヴォリーには分からないものだったのだが。目の前にはルミィの顔が、モニタに映し出されていた。スピーカーからは彼女の声が聞こえている。どうやら通信装置らしい。
 アイヴォリーは、ルミィと天幕に対する遣り取りを行っていた。ハルゼイとアイヴォリーが彼の英雄グババ──つまりは彼女の育ての親にして祖父──の話をしているのを、彼女は聞いてしまったのだ。彼らが“クソッタレ”と呼ぶあの組織に、かつて傭兵を纏め上げた老練な猛者がいるのは確からしい。それゆえに、ルミィは彼女なりにそのドワーフのことを案じ、こうして彼らの中に入ってきてしまったという訳である。
 無論、ハルゼイもアイヴォリーもルミィに無茶は止めるようにと諭した。彼ら二人には各々天幕との因縁──ジンクのことが発覚した現在では、それは恨みと呼べるものにまでなっていた──がある。そして、何よりも彼らはいざという時の覚悟がある程度はできていた。だが、ルミィはまだ幼く、これからがある世代である。さらに二人ともが何らかの形でグババに恩とでも言うべきものがあったために、彼女を危険に晒す訳には行かないのだった。だが、ルミィの幼さは裏目に出ていた。彼女は純真さゆえの頑なさでハルゼイとアイヴォリーの中に混ざってしまったのだ。もちろん彼女も年以上に優れた一流の戦士であることは異論はない。共に戦えば強力な味方であるのは分かっている。だが、相手が相手だけに彼らにとってこの少女はある種の頭痛の種だった。
 今日も、たまたまハルゼイの近くまでやってきたアイヴォリーがルミィを説得しようとしていたのだ。だが、言葉を渋るアイヴォリーに彼女が突きつけた言葉がそれだった。

「オレの周りニャ、クソッタレしかいなかったさ。見上げるようなダレかナンていなかったんだよ。死ぬホド殴るクソッタレ教官と平気で裏切るクソッタレ同級生はいたケドな。」

 アイヴォリーはかつてのことを思い出すかのように目を閉じ、自嘲に近い笑みを口元に浮かべながらそう吐き捨てた。あの、死と隣り合わせの訓練だけが永久に続いて行くと思われた時代、アイヴォリーには尊敬に値する人物などあろうはずがなかったのだ。それからアイヴォリーは閉じていた目を開けると、モニタの中のルミィを見据えて言葉を継いだ。

「オレはな、そんなクソッタレドモの中で生き残ってきた、言うなリャクソッタレの中のクソッタレさ。アサシンてのはな、そういうコトナンだよ。」

 スラムの中、他の者たちと同じように行き倒れていたアイヴォリー。もしかしたらあの時にアサシネイトギルドに拾われていたのは自分ではなく隣にいた少年だったかも知れなかったのだ。だが、幸運にも──もしくは不運にも──その時にアサシネイトギルドが助けたのはアイヴォリーだったのだ。

「じゃあなんで今でもしーふなの?」

「シーフとアサシンは違うッ!」

 何気なく口にしたルミィが驚いてひっくり返るような、それほどに唐突な叫びをアイヴォリーは思わず口走っていた。だが、自分で気付いた時には既に遅かった。そして、一度口にした思い──想いは自分でも止められなかった。

「イイか、盗賊と暗殺者は似てるようだケドな、全然逆のモンだ。暗殺者は殺す、盗賊は生かす。アサシンは死ぬ、シーフは生きる。ぜってェの開きが、そのアイダニャあるんだよ。」

 “流れる風”。かつて、彼は自分のことを通り名でそう名乗った。本名も知らず、ただ僅かな、朝から昼までの半日を過ごしただけの若い男。
 彼はただ、使わなくなって中途半端に埋められ、上を板で塞いであっただけの“トラップ”に落ちた少年を見つけ、彼を抱えて簡単に井戸の壁面を駆け上がった。“流れる風”にすれば、普段やっているような離れ業に比べれば児戯にも等しい高さだったのだろう。だが、少年にとっては絶対に上がれない壁であり、その時の彼にとっては死の象徴だったのだ。その絶望の壁を、一跳びで自分もろとも超えてしまった男。それが“流れる風”だった。
 男は自分のことを、唯の盗賊だ、そう言った。盗賊は名前なんて持っちゃいない、でも呼びにくけりゃ“流れる風”とでも呼んでくれ。そう言ったのだ。少年は男を賞賛の籠った眼差しで見上げ続け、彼が仲間たちと街から旅立つその間、ずっと手を振り続けた。

「俺か。俺は唯のシーフさ。大層なもんじゃない。」

 彼は、そう確かに言ったのだ。そして、アイヴォリーは長い月日の後にようやくアサシンという職業から解放されたその時に、初めて自分をシーフだと名乗った。唯のシーフだ、と。それからずっと自分で思い続けてきたのだ、自分は暗殺者でなく、唯のシーフだと。

「その人……きっとかっこよかったんだね。あたしのじいちゃんみたいに。」

「あァ、アイツはサイコーにカッコよかったさね。」

 ぽつりとルミィが言ったその言葉に、アイヴォリーは昔の懐かしい光景を大切に味わうように思い出しながら答えた。そう、彼はアイヴォリーが唯一“見上げた人”だったのかも知れない。
 回想から戻らないアイヴォリーをよそ目に、真摯だったルミィの顔つきが歪んだ。その表情は、敢えて言うならアイヴォリーが人狩りを罠に嵌めた時の表情に近いものだろうか。

「じゃ、その人が天幕にいたら助けに行くでしょ?行くよね?」

 画面いっぱいにルミィの顔が大写しになって迫ってくる。アイヴォリーはしまった、という表情を浮かべたが既に遅かった。

「ぬあァァァァ、ウルセェ!ウルセウルセウルセ!」

「ほっとかないよね?ね?」

 まだまだ続きそうなルミィの精神攻撃に、アイヴォリーは手当たり次第にボタンを押しまくって回線を切断する。後ろから覗き込んでいたハルゼイの顔が青褪めているような気がしたがアイヴォリーはそれどころではなかった。

「ヤレヤレ、仕方ねェな……説得するツモリがハメられちまったじゃねェか……。」

 がっくりと項垂れてアイヴォリーが力なく呟く。アイヴォリーが設定を無茶苦茶にしてしまった通信機の再調整を行っていたハルゼイは、そのアイヴォリーの様子に苦笑した。

「いや、ウィンド殿にもそんな時期があったんですねえ……。」

「ウルセウルセウルセ~~ッ!!」

 ハルゼイが思わず口にしてしまった一言がアイヴォリーに止めを刺したのか、アイヴォリーはひたすらそれを連呼しながらハルゼイのラボから逃げていった。

九十四日目:朝
「こうやってたまには綺麗な栄養素も補充しないと寿命が縮まりそうな気がしてねぃ。」

 いきなり訪れた紅茶の妖精は、そうやってけらけら笑っている。アイヴォリーの歌を聴いた後のことだった。アイヴォリーはあからさまに嫌そうな顔でディンブラをジト目で睨んでいた。

「キレイな栄養ねェ。へ、殺しまくって殺すのにアキたようなアサシンの歌でもキレイだってか。」

「あぁ、少なくともお前は覚悟が出来てるからな。」

 ディンブラの唐突な言葉に、僅かにアイヴォリーが動揺する。覚悟ほどアイヴォリーから程遠いものは無いといって良い。いつも迷っては一歩踏み出し、やはり戻り、またそろそろと足を出す、そんな生き方をしているアイヴォリーにとっては。だが、アイヴォリーはそれを押し隠して言葉を返した。

「キレイな栄養素が人の想いなら、汚ねェ栄養素ナンて有んのかよ?」

 アイヴォリーの言葉に、ディンブラは獣のように口を歪ませて笑うと一言、人間とだけ答える。頭痛がしてきた振りをして、アイヴォリーは頭を抱えた。
 そう、人ほど汚れたものはない。私利私欲で人を騙し、時によっては殺す。彼らに言わせれば、生きるためだけにしか殺さない動物たちの方がよっぽど純粋なのかも知れなかった。さらに突き詰めて言えば、人間を綺麗にも、汚くもするのは、その想いのベクトルの違いなのかも知れない。アイヴォリーはふと思った。

「別にきたねェんでもイイケドな、ハラが減ってもオレは食うなよ。」

「まずそうだよなぁ……まぁ毒入りでスパイシーかも知れないけど。なぁ?」

 ディンブラが相づちを求めて振り返る。そこにはネオンがいた。

「ひっさしぶりだネ~♪
 寂しかったヨ。久しぶりにおてあわせしようヨー?」

 その様子を見たアイヴォリーは、振りではなく本当に頭痛がしてきて再度頭を押さえた。泣きっ面に蜂とはいうが、本当にろくでもない時にろくでもないことが重なるものだ。

「オマエらな……今オレがどういう状況か分かってんのかよ?
 森だぞココは。遺跡のだ。ココニャ発光体が現れて、倒したヤツニャ成長促進の恩恵がある。だケドな、発光体ニャランクがあってソイツらは段々強くなってちょうどその四回目の挑戦でオレたちはこのマエ負けたトコなんだよしかもそのリベンジが今からで今日の夜ニャ真剣勝負だッつってんだろがごるァァァァァッッ!!」

「お~、すごいすごい。さすがの肺活量だなアイちゃん♪」

 すごい剣幕で捲し立てたアイヴォリーの意見は全く参考にされなかったらしい。全く関係ないところを賞賛してぱちぱちと手を叩くディンブラと、準備体操なのか身体を伸ばし始めたネオンを見て、アイヴォリーは溜め息を吐いた。

「まぁちょうドいいよネ~?
 スペードの前哨センになるんじゃナイ?」

 地面に座って足を伸ばしながら平然と駄目押しをしたネオンに、アイヴォリーは諦めたようにもう一度溜め息を吐いてみせる。やはり彼らには何を言っても無駄らしい。

「ヤレヤレ……仕方ねェな。ソコまで言うんならヤッてやるよ。その代わり、ホンキで行くぜ?」

「そうこなくっチャ♪」

 嬉しそうに呟いたネオンは、座ったままの状態から掻き消えると即座にアイヴォリーの眼前に現れて手刀を繰り出してきた。それを躱したアイヴォリーが、ネオンの腕を引き込んで地面に引き倒す。すぐに消えたネオンがアイヴォリーの後ろに現れた。

「ダメだヨ、返シ技じゃ?」

 横薙ぎに払われた拳をしゃがんで避け、アイヴォリーはそのまま前に小さく跳ぶ。背中を見せたままのアイヴォリーをネオンが追いすがろうとしてさらに一歩踏み出したところで黒煙に包まれた。

「シーフの鉄則、勝てば官軍ッてな?」

 黒煙に振り返ったアイヴォリーの足を、さらに後ろに現れたネオンが低い体勢で払った。不意を付かれて倒れこんだアイヴォリーにネオンの足が落ちてくる。転がって躱したアイヴォリーが、膝を付いて半身を起こした時にはもう一撃綺麗な中段蹴りが待っていた。

「ッつッ……。」

 両手を交差させ、相手の蹴りの勢いで自分から後ろに吹き飛んで威力を殺す。空中で身体を捻って体勢を立て直したアイヴォリーは、着地点辺りにネオンが現れたのを見た。

「あ~、ソコもワナだぜ?」

 ネオンが巻き込まれた落とし穴の横に降り立つと、アイヴォリーは背中から突き出された手刀を腕で巻き込み、ネオンの腕を引いて穴に叩き落そうとする。だが案の定ネオンは先に消え、穴を挟んだ反対側に現れた。

「ダメだって、返シ技じゃ。」

「ッつーかワナにかかったらスナオに落ちろよなァ……。」

 思わず苦笑混じりにアイヴォリーが呟くと、その隙にネオンが後ろに現れた。獣のように手を地面について伏せた格好で現れたネオンは、アイヴォリーの背中を見上げて笑みを浮かべる。

「ッていうカ、ホンキなら武器使ってヨ?」

 そう言ったネオンの右手は、アイヴォリーの右足に佩かれた真新しい短剣の柄にかかっていた。それを見て、アイヴォリーが蒼白になり叫ぶ。

「あァッ、ソイツはダメだネオンッ!」

「いっただキ~♪」

 ネオンがその、翼が意匠された短剣を抜き放った直後に、辺りは紅蓮の業火に包まれた。

   +   +   +   


「お前なぁ……。」

「だからヤメロッつーったろーがよ。」

 魔法障壁で炎を防いだディンブラが白い目でアイヴォリーを見ている。ネオンも咄嗟に消えたので僅かな火傷で済んだようだった。アイヴォリーはそのことに安堵していつもの人を食ったような笑みを浮かべてみせる。

「じゃなくてな……何で紅術の効果が俺にまで及ぶのか、俺はそれが聞きたいぞ。」

「それはディン君も敵だと思わレてるからじゃナイ?」

 お~、と賞賛の声を上げながらぱちぱちと手を叩くアイヴォリー。余程戦いの前にやられたのが気に入らなかったらしい。

「良く分かったな。アレは敵全部を巻き込む効果でねェ、見境ねェからな。」

「見境がないのはお前じゃないのか?」

 引き攣った笑みを浮かべながらディンブラがアイヴォリーに詰問する。どうということのない程度の炎上効果だったのだが、観戦モードでいたのをいきなり燃やされそうになったのだから無理もない。

「オレだって遊んでるだけじゃねェんだよ。負けるワケニャイカねェ相手だっている。そういう相手と戦うときニャ、こういうモンがいるッつーコトさ。」

 そのふとしたアイヴォリーの真剣な調子に、それまで調子の良い笑みを浮かべていたディンブラがすっと笑みを消した。自分の方に向き直ったアイヴォリーに対して、その真紅の瞳を迎え撃つようにディンブラも蒼い瞳で見つめ返す。

「ディンブラぁ。」

 その声は、彼の表情に比べてみれば非常に気の抜けた、気安いものだった。だが、アイヴォリーは自分で勝手につけた愛称ではなく、彼のことをしっかりと、名前で呼んだ。

「オマエは……オマエはあの島へいかねェのか?
 みんなが戦ってるあの島へ、いかねェのか?」

 アイヴォリーの瞳の色はあくまで優しい。だが、そこに問い詰めるような、非難するような響きがあるのもまた真実だった。今、“あの”島では、空から落ちてきたものに対して、島の住人たちが力を合わせて戦っているのだ。そして、その資格がないアイヴォリーに対して、ディンブラは資格を持つ者──宝玉を規定数以上に持つ者──だった。アイヴォリーが、他の仲間たちのために駆けつけたくてもそれを許されない場所へ行くことが、ディンブラには出来るのだった。その、アイヴォリーの嫉妬か羨望にも似た眼差しに対して、ディンブラはそれを平然と受け止めるようにして笑みを浮かべたまま言った。

「そうだねい。島がどーなろうと俺には興味はない。」

「オイオイ、オレたちはその島で三ヶ月も暮らしてきたんだぜ?」

 そのアイヴォリーの言葉を聞いて、ディンブラはある種冷たく、嘲りにも似た笑みを浮かべてみせた。それは、きっとアイヴォリーには伝わるだろうと思ったから。

「形あるものな……いつか滅ぶんだよ。
 それに今のとこ、俺には色々面倒見なきゃいけない奴らがいるから、な。」

 そういったディンブラの顔には、あくまで気負いはない。ただ彼の表情には、自分に信頼を寄せる者への愛情と、確かな覚悟があるだけだった。永遠とも言える時間を生きる者は、いつか別れを経験する。それは避けられない。アイヴォリーは、もっとも大切なものとの別れこそ経験しなくて済むのかも知れないが、それでもその事実は、彼が知っておかなければならないことだった。
 そのディンブラの言葉に対し、アイヴォリーは目を伏せる。まるで、拗ねた子供のような目で彼は、僅かな、それでも必死のいつもの笑みを浮かべて、アイヴォリーは搾り出すようにしていった。

「オレは、大切なヤツらが戦ってるのを横で見てるだけってのニャ耐えられねェ。
 ケド……ケド、ディンブラの言うコトくレェは分かってるさね……。」

 それからどうにか、アイヴォリーは顔を上げてやっといつもの微笑みで、ディンブラの目を正面から見つめ返した。捻くれたその笑みは、いつもの彼一流の仮面でその心を隠しながらも、それでもディンブラにはその若さが痛いほど伝わっていた。
 だから、ディンブラもいつものように笑った。

「へへ、アリガトよ。まァオレも、自分のデキるコトを、最後までヤるだけさね。」

 まァ見てなよ、そう呟いてアイヴォリーは風と翼が意匠されたダガーをブーツに収め、もう一度ニヤリと二人に微笑みかけた。島には、宇宙から来た者がその所有権を主張して降臨している。島が沈む日は近い。それでも二人の間には、最後まで変わらぬ遣り取りが続くだろう、アイヴォリーはそう感じてもう一度微笑んだ。

九十四日目:昼
「しかし……スペードが卒業試験とは難儀なものですね?」

 自らの相棒を調整していたハルゼイが苦笑しながら言った。かく言う彼も以前スペードには痛い目に合わされている。いずれリベンジを果たさなければならない。

「アンタもソイツはお互いサマだろ?」

 苦笑しながら砲塔に腰掛けていたアイヴォリーがそう言った。彼は遺跡の遥か向こうを見透かそうとでもいうのか、砲身の向けられた東の方を腕組みをしたままでずっと見つめている。

「サトムたち……ウマくヤッてるとイイんだケドな……。」

「彼にはこんな島で倒れられては困りますよ。これから先、もっと厳しい戦いが待っているのですからね?」

 ハルゼイは他人事のようにしてそう言った。この先、島を出れば本格的に天幕への反攻作戦の実施に入らなければならない。その道のりは、この島での生き死にとは比べ物にならないほどに厳しいものになるはずだ。

「まァ……アイツも若ェからな。ルミィの嬢ちゃんと一緒で、デキリャ巻き込みたくはなかったんだけどねェ。」

 運命を調律するあの男に言わせれば、それこそは運命なのだろう。だが、アイヴォリーにしてみれば自分がこの島に逃げてきたことでハルゼイやルミィ、サトムまでもを巻き込んでしまったという罪悪感は消えるものではない。

「彼はしっかりと、自分の役目を果たして戻ってきますよ。ウィンド殿も、しっかりと自分の役目を果たせばいい。私がこうやって後方から支援を行うのが現在の役目であるように、人がそれぞれ出来ることは違うのですから。」

「あァ、ソイツは分ってるんだケド、な。」

 ハルゼイやアイヴォリー自身に言わせれば、アイヴォリーの今の役目は、彼にとっての大切なものを守り抜くことに他ならない。それでも、他の者たちが今もこうして島のために戦っているときに自分がその場にいないというのは非常に悔しいことではあった。無論資格以前の問題として、アイヴォリーはたとえメイと二人であの孤島へ行く条件が整っていたとしても、彼女を連れて行く気にはなれない。かと言って彼女をここへ放り出していくことも出来ないだろう。結局今の自分には、彼女を護ることしか出来ないのだ。

「まァ……精々今日の戦いで、イイトコ見せれるようにキアイ入れますかね。」

 準備をするには余りにも短い時間だった。実際には一日があっただけなのだ。それも準備のあれやこれやに追われてろくに訓練すら出来ていない。もっともアイヴォリーに関して言えば、彼自身は薬品調合を多少しただけで大した作業は行わず、もっぱら戦闘訓練と作戦の吟味に時間を割いている。かつて、休息も戦士の仕事だ、という格言もあったが、アイヴォリー自身は充分に身体を休めることが出来た。後は欠片から送られた新しい短剣“風と翼”と今までのキリングダガーの二刀流というかつてのスタイルに戻すおさらいぐらいのものである。
 だが、アイヴォリーの装備とメイの装備の二人分を請け負った欠片と、そして自分の仲間たちの上にアイヴォリーのための薬品まで揃えたハルゼイはほとんど徹夜に近い突貫作業だったはずだ。特にハルゼイは、昨日の作戦立案に始まって、実際に今日彼自身も戦闘を行わなければならない。かなりの強行軍のはずだ。

「オイ、ハルゼイテメェ大丈夫なのかよ?」

「いえいえ、軍人にしても化学屋にしても、ここ一番で無理が利かなければ役に立ちませんからね。」

 そういうハルゼイの顔は、少しやつれてはいるものの精気に満ちていた。確かに彼が言う通りらしい。

「まぁ私が成さねばならない準備も終わったことですし、スペード戦までに一休みしておきますよ。」

 そういうとあくびをひとつ。ハルゼイは鋼鉄の相棒に背中を預けると静かに寝息を立て始めた。

「あァ、アリガトよ。恩にキるぜ。」

 ハルゼイの寝息を聞きながら苦笑を浮かべるアイヴォリー。思えば三ヶ月程度の間に色々なことがあったものだ。そんな中で、彼のような友人が出来たことは非常に幸せなことなのだろう。
 アイヴォリーは静かに砲身から飛び降りると、辺りに警戒用の罠を敷設するために森の奥へと姿を消した。自分に出来ることは大してない。でも、だからこそ、これくらいはしてもいいはずだ。

九十四日目:夜
 薄暗い夜の森。その木々の影を透かして、真紅の薔薇色をした発光体が踊るように乱舞している。その光景は幻想的であり、ある種の美しさを伴っていた。だが、その紅色は死を呼ぶ炎の舞であり、触れるものを焼き尽くす劫火であることを今のアイヴォリーは知っている。
 霞から聞いた話では、その強さは西の島で現れるエージェントにも匹敵するという。西へ行くことを許されなかったアイヴォリーたちにとって、それは勝ち目のない戦いだった。それでも、アイヴォリーたちは再びこの森を訪れていた。
 島が沈む日は刻一刻と迫っている。たとえこの“スペード”を倒したからといって何かが変わる訳ではない。だが、負けたままで終わる訳にはいかないのも、彼らにとってはまた事実だった。
 隣ではハルゼイが、祈りを捧げるように静かに瞑目している。彼もまた以前にスペードに倒されたことがあるのだ。偶然にも同じ日に、同じように二人は前回の雪辱戦に挑んでいた。

「ウィンド殿、リアーン嬢。それでは、ご武運を。」

「あァ……テメェもな。」

 ハルゼイが目を開き、居住まいを正してアイヴォリーに向き直って敬礼した。彼は彼で、戦いの準備をしなければならない。アイヴォリーは木に体を預けたままで、二本指で適当な敬礼を返す。相変わらずの無礼さだった。しかも口の中にはガムまで入っているのだから、これはこれで根性が座っていると言える。ハルゼイが踵を返して自らの“相棒”のところへ向かっていくのを見て、思わずアイヴォリーは苦笑を浮かべた。

「どしたの、アイ?」

 いつも通り肩に腰掛けていたメイが、アイの笑みを見て不思議そうな顔をして尋ねた。それに答えずに、アイヴォリーは口の中のガムを風船のように自分の息で膨らませ、口でその大きさを変えて遊んでいる。その風船は、夜の闇にも劣らぬ漆黒の色をしていた。

「わっ!」

 風船に驚いたメイが“特等席”から転げ落ちそうになるのに腕を出して助けてやる。それと同時に、アイヴォリーの作っていた風船が弾けた。

「うっわ~……アイ、顔が……あはは……ふふ……」

 支えられたメイが改めてアイヴォリーの肩に腰掛けると、アイヴォリーの顔を見て笑い出した。弾けたガムを拭い取りながら、まだメイは笑っている。アイヴォリーは苦笑を浮かべたままで、メイにされるがままになっていた。
 だが、その瞳は笑っておらず、ただずっと、発光体へと向けられたまま揺るがない。舞い踊るスペードを視線で殺そうとでもするようにして、ただアイヴォリーはそれを冷たい視線で見つめていた。

「軍人ッつーのは、どうもおカタくていけねェやな。」

 唐突にアイヴォリーが呟いた。発光体へと向けていた視線を、ハルゼイが消えていった夜の闇へと向ける。もうその闇は、アイヴォリーの瞳でも見透かせないほどに濃く、ハルゼイとはかなり距離が開いている。彼は彼で、自分の戦いがあるのだ。
 だが、この二日間でアイヴォリーは彼から充分な支援を得ていた。彼が口にしているガムもそのひとつだ。ブラックガムは、自らの感覚を鋭くすることで、効果的に状態異常を叩き込むことが出来るようになる特殊な薬だった。同じように抵抗を上昇させるキャンディ、一時的に打撃力を増すパワーC、身のこなしを軽くするスピードC。アイヴォリーは暗殺者時代にも劣らぬほどの薬品を今日一日で服用していた。全てはスペードに勝つためだ。

「よっと。」

 反動をつけて立ち上がると、アイヴォリーはブーツに佩かれたダガーの鞘を確かめる。アイヴォリーは鞘から静かにダガーを抜き放つと、その刃を僅かな光に翳すようにして確かめた。欠片から送られたその新しいダガーは、柄に絡み合う風が、つばには翼の意匠が施されている。風と翼、アイヴォリーとメイの象徴だ。白銀の柄と、目立たぬように輝きを抑えられた刃。微かに刀身が赤く見えるのは、彼が付与した魔力──紅術と呼ばれる魔力付与──のためだった。右のブーツにそのダガーを戻す。左のブーツには、いつものパリィングダガーではなくこれまで使っていたキリングダガー──架那が鍛えた、“喪失を告げる囁き”──が佩かれていた。暗殺者の時代と同じく、この戦いでは防御よりも攻撃を、アイヴォリーは優先しているのだ。こちらにはいつもの昏倒毒と睡眠毒が塗り込まれている。“風と翼”に仕込まれた麻痺毒、そしてシルバークラットの石化毒も合わせれば都合四種類の毒が、彼の両の獲物に仕込まれていた。

「ヤレヤレ……ソロソロ行く、か。」

 ガムを噛みながらそう呟いたアイヴォリーは、急に顔を顰めると口の中のガムを地面に吐き捨てた。にやり、といつもの笑みを浮かべて、ハルゼイが歩き去った方へと再び視線を送る。

「アジだけは、もうちょっとマシにするように言っとかなキャな。」

 再び苦笑を浮かべるアイヴォリー。正面の発光体に視線を戻すと、二人はゆっくりとそちらへと向かい歩き始めた。

   +   +   +   


「行くぜ、メイ。」

 小さく呟いて彼女を促すと、メイが肩から飛翔するのと同時にアイヴォリーは発光体に向かって疾走する。充分に戦闘距離だ。低い姿勢から、アイヴォリーは左右のダガーを同時に抜き放つと一直線に発光体へと跳躍した。振るわれる軌跡に赤い残像が、炎を走らせたように微かに残る。

「シロガネの……一撃ッ!!」

 振り抜かれた右手を追うようにして、逆手に構えた左手が撫でるように発光体を切り裂く。空中ですれ違ったアイヴォリーは、そのまま木の幹を足場にして通り過ぎた発光体を見下ろす。石化毒が白っぽく広がっているのが見えた。同時に他の毒も叩き込んだが、どれだけ効果があったのかは分からない。一跳びで抜けた発光体の向こう側、メイが詠唱する呪文に合わせて彼女の周囲に複雑な魔法円が白く輝きながら浮かび上がっている。禁魔術の奥義が発動されようとしていた。それだけのことを、アイヴォリーは幹を蹴るまでの僅かな間に見て取った。薬による効果で感覚が普段よりも研ぎ澄まされているのがアイヴォリー自身にも感じ取れた。

「風よッ!」

 暗殺者の訓練法とエルフの精神を統一する方法から編み出した、独自の技でアイヴォリーが“風”を纏う。そのまま滑空して振りぬいた刃が赤く、煌きを放って炎を辺りに振りまいた。

「いっけえーっ!」

 アイヴォリーが着地すると同時にメイの詠唱が終わり、次々に彼女の周りを異形の者たちが包む。“業魔殿”の名を与えられた禁魔術の奥義が異界に封じられていた様々な者たちを呼び起こし、あっという間にスペードはその異形に飲み込まれた。

「ヤッたかッ?!」

 呼び出された魔物たちが消えていく中を見透かすように、アイヴォリーが上空に目をやる。だが、スペードはまだ消えてはいなかった。

「クソッタレ!」

 アイヴォリーが再度跳躍した。戦いはまだ始まったばかりなのだった。

九十五日目:朝
"Retake"─Do you have a dream?─

「えっと、お嫁さんにして下さいって……言うのかなぁ?」

 メイの言葉はいつも唐突だ。そして、アイヴォリーを驚愕させるのもいつもと同じだ。間抜けな叫びを上げたアイヴォリーは、彼女が発した言葉の意味を理解するために間抜けな顔のままでしばし固まった。

そうそう、あの時はビビッたぜ……。マトモに答えもデキなかったか……

 だが、すぐに意図を理解したアイヴォリーは、メイの俯いた小さな顎に人差し指をかけ、優しく自分の方へとその目を向けさせる。メイが恐る恐る見上げたアイヴォリーの瞳には、いつもの茶化すような笑みすらなく、真紅の瞳は唯真摯な色を湛えていた。

「メイ、オレでイイのか?」

そうそう、マッタク会話になッて……ッてえええッ?!

「あ、あのねっ!
 ルミィちゃんにプロポーズの事話して、色々勉強したの♪」

 メイの瞳は切実さすら伴って痛々しい。その瞳を真正面から受け止めて、アイヴォリーは優しく微笑んだ。

「安心しろ、メイ。オレはドコへもいキャしねェ。ずっとオマエのソバにいて、オマエを護る……。」

イツだッ!イツそんなコッパずかしいコトをオレが言ったッ!!

 その普段からは想像も出来ぬような真剣なアイヴォリーの様子に、メイは安心したようにして静かに瞳を伏せ、ゆっくりと閉じた。

「王子様のキスがないと目覚めないんだよ?
 このお約束は、ぜったいふへんの真理なんだぉ。
 これが出来なきゃ、度胸無さそうなおにーさんに格下げしちゃうぞ。」

 いつかルミィに言われた言葉が甦る。そんなことを言われずとも、アイヴォリーはその時がくればそうするつもりだった。目を閉じたまま睫毛を振るわせるメイの小さな顔を目に焼き付けて、アイヴォリーも静かに瞳を閉じる……

   +   +   +   


「アイちゅわ~ん♪」

「ッてうわわわわッ!!!」

 目の前に大写しになったディンブラの顔に、アイヴォリーは良く分からない悲鳴を上げながら飛び起きた。危うくディンブラと接吻けしそうになって、普段でも見られないような驚異的な体勢でディンブラの顔を躱すと、起き上がって彼を睨むアイヴォリー。

「テメェ、イツからいたんだよ?」

「いや、最初から。いや~、アイちゃんってば大胆な夢見るのなぁ?
 しかも本人に了承無しで、なぁ?」

 我慢できないほど可笑しいといった様子で、アイヴォリーの肩をばしばしと叩きながらディンブラは豪快に笑い転げている。それを聞いてアイヴォリーの表情が引き攣った。

「テメェッ、ユメん中ノゾいたのかよッ?!」

「いやいやいや、あんまりアイちゃんが悶えながら寝てるもんだからさぁ、悪夢だったらかわいそうだな~と思って眠りの精に頼んで行ってみたらな?
 うはははは……ひ~……」

 最早硬直してしまったアイヴォリーからは言葉すら出ない。毒使いが石化している様子など間抜け以外の何物でもないのだが、まさにアイヴォリーは“石化”していた。

「いやっはっはっは……そーか、アイちゃんも身を固める気になったかぁ!
 うひゃっひゃっひゃ……」

 相変わらず硬直したままのアイヴォリー。まだ笑い続けているディンブラは、アイヴォリーに駄目押しで止めの一撃を見舞ってやることにした。

「そうだな、なんなら俺が式進行してやろうか?
 いや~、精霊の王族に司会進行してもらえる奴なんて滅多にいないぞ?
 良かったな、うわはははは……。」

「ディンブラ……?」

 ぎぎぎぎぎ、と壊れた機械のように、不自然に首だけを回してディンブラの方を向くアイヴォリー。もっとも、壊れていないかと言えばこの場合そうでもないので当たらずとも遠からずといったところではあった。妙に無表情のまま、アイヴォリーはゆらりと立ち上がった。低い姿勢を保ったままで、暴走した人型決戦兵器のような体勢になっている。

「いや~、うはっはっはっは……」

「……とオサ……す……クゴは……たか?」

 しゃり。極々小さな音で、アイヴォリーの両ブーツからダガーが静かに抜き放たれ。

「どぅるぁがぁぁぁぁッッ、ディンブラ、待ちヤがれ~~~ッ!!!」

 そうやって、いつも通りの──いつもよりは少々過激だったかも知れないが──二人の追いかけっこが早朝から始まったのだった。さすがの騒ぎに眠い目を擦りながら、寝惚け眼のメイがテントから姿を見せる。

「ふわ~ぁ……アイ~、お客さん~……?」

「アイちゃんがな、アイちゃんがなっ!」

 危うく顔を反らせた、叫び出しそうなディンブラの口元を鋭い音とともにダガーがすり抜ける。後ろの大木にそのダガーが突き立ち、一体どんな毒を仕込まれているのか大木はどろどろと溶解して一瞬前の立派な姿からただの粘液の塊へと姿を変えた。

「待てッ、神妙にしヤがれッ!
 ソコへナオれ~~~~ッ!!!」

「断るっ、今お前に捕まったら拷問どころじゃ済まないだろっ?!」

 相変わらず笑い声を上げながら木の奥へと駆けていくディンブラを、野生動物のように壊れたアイヴォリーが追いかけていった。そして、辺りには早朝の静寂が戻る。

「??」

 まだ眠たそうな目で首を傾げ、ハテナマークを頭に浮かべるメイだけがその場に残されていた。

九十五日目:昼
 ようやくアイヴォリーたちは、以前ハルゼイたちとキャンプをともにした砂地へと帰ってきた。さすがに疲れたのか、アイヴォリーは荷物を下ろすのもそこそこにどっかりと地面に直に腰を下ろす。無理も無い、メイのパンデモニウム二連撃が去った後を引き継いでひたすらシルバークラットを撃ち続け、ようやくスペードを固めて倒したのだ。最後の辺りでは集中力が尽きるぎりぎりのところで、何とかメイの攻撃と石化毒によって相手が根負けしたような具合だった。そもそも、アイヴォリーの石化毒は揮発性の薬品の占める割合が大きいために、すぐにダガーを鞘に戻し毒を刃の上に新たに補充してやらなければならない。純粋に挙動が増えるということはその分疲労の度合いを増す技だということでもあった。その技を延々相手に打ち込み続けたのだ、さすがのアイヴォリーも冗談抜きで疲れていた。

「ウィンド殿、リアーン嬢、お疲れ様でした。そしておめでとうございます。」

 ハルゼイがやってきて、律儀に頭を下げる。アイヴォリーは言葉を返すのすら億劫で、メイの方を振り向いてにやりと笑みを浮かべると、ハルゼイに向けて無言で親指を立てて見せた。

「イヤ……悪ィな。オレたちの分までヤッカイゴト背負わせちまったせいで……。」

 うつむいたままでアイヴォリーが呟く。そう、ハルゼイ自身は昨日のスペード戦で敢え無く敗北を喫したのだ。それがアイヴォリーにとっては気がかりだった。

「いえいえ、卒業試験ですからね。まだ時間はあります。三度目の正直という奴ですよ。」

 穏やかに微笑むハルゼイ。ようやく顔を上げたアイヴォリーが、疲れた様子でハルゼイを見上げた。

「で、ホントにヤるのかよ?」

「大丈夫ですか、ウィンド殿。何でしたら今からでも彼女に断りの連絡を入れてきますが……。」

 疲弊した様子のアイヴォリーの問いに対してハルゼイが逆に聞き返した。彼が問うたのは、今日の昼に決まった夜陰との決闘の話だ。スペード戦が終わってハルゼイたちに合流したアイヴォリーに、彼女が申し込んだのだ。

「オイオイ、レディの誘いを断れッかよ。第一ねェさんの方はジョーカーとヤッて来たんだろ。向こうにそう言ってやりてェぜ。
 それにな、アサシンッつーのは、ココイチバンでムリが利かねェと商売にならねェんでな?」

 “レディの誘い”という、いかにもアイヴォリーらしい言葉を聞いてメイがくすりと笑みを漏らした。そして昨日のハルゼイの言葉をそのままに返したアイヴォリーに、ハルゼイもまた苦笑する。

「分かりました。ではそうですね、私は観戦席で楽しませてもらうとしましょう。」

 苦笑を浮かべたままで軽く敬礼してハルゼイはキャンプの設営のために去っていた。戦闘工兵の部隊にいた彼にとっては、こうした普段の生活も仕事の一部であるのだ。それを見送ってから、アイヴォリーはメイを振り向くともう一度いつもの笑みを浮かべて見せた。

「メイ、シッカリ応援頼むぜ?
 ……ソレまで少し、休むとすッか……」

 すぐに寝転んだアイヴォリーからは寝息が聞こえ始める。優しく笑ったメイは、そっと長く伸びた彼の白い髪をかき上げる。

「……アイ、キャンプどうするの?」

 だが、その声はもうアイヴォリーには届いていなかった。

九十五日目:昼
 マズ、危険なのはあのねェさんのウデから繰り出される一撃が重いッつーコトだ。ウッカリイテェのを貰っちまったら、ソレだけでも体格で負けてるオレは不利だ。第一、装備の質は向こうの方がイイ。筋力とエモノのキレが相乗的に効果を生む。デキるだけ貰わねェコトに越したコトはねェ。ッつーコトはイツも通り、相手を動かさせずに封じ込めるラッシュしかオレにメはねェッてコトだ。
 ソレに、あの“吸血鬼への制裁”ッつームチはヤベェ。昨日の人狩りと同じで、テキが流した血を本体に還元する。ソレでなくても一撃の軽いオレの攻撃で負わせた傷をアレで直された日ニャ、ホトンド完封もイイトコだ。
 後は、あのねェさんが暗殺術に長けてるッつーコトも注意しとかねェとな。デッドライン──要するにエッジ、死線ッつーヤツだ──が見えるってコトは、オレのスキを見逃さずにえげつねェ一撃を入れてくるッつーコトだ。油断はデキねェ。
 ムチ自体も危険だ。トワインストリングみてェな連打もあるし、第一アレで足を絡め取られたりすリャ行動に支障が出る。ヤッパリ食らうワケニャいかねェな。
 だケド、オレにも有利な点はある。凍結と炎上が効かねェッつっても、毒はソレだけじゃねェ。連撃で麻痺、昏倒、睡眠のドレかが入っていけば充分に相手の動きを封じられるハズだ。ソレに、今のオレニャ宝玉の加護がある。ねェさんは宝玉を持ってねェ分、装備の不利は多少でも補えるハズだ。
 後はそうさな、ワナ次第ってトコかねェ。ラックの女神サマがドレだけオレに笑ってくれるかが勝負の分かれ目ッつートコか。

   +   +   +   


「オンナのナリしたヤツとヤリ合うのは気が進まねェんだけどな……ホントにヤる気かいねェさん?」

「当たり前ですの。覚悟は良いですの?」

 二人が砂地で向かい合っている。遠巻きにするようにして二人の仲間たちが輪を作って彼らを囲んでいた。

「ヤレヤレ、仕方ねェな……じゃちっとばかしホンキで行かせて貰うぜ。見切ってみな、右と左の鎌鼬ッ!」

 低い体勢でアイヴォリーが一直線に彼女へ向かって走り込んだ。両のブーツから音も無く二振りのダガーが躍り出る。二人を仲間たちの歓声が包み込んだ。

九十五日目:夜
「……テキか。」

 常人には聞き取れないほど微かな警戒音。だが、自分で張り巡らせた不可視の要塞に抜かりはない。先日ジンク──ハルゼイのかつての戦友だった男──に襲撃されてから、アイヴォリーの警戒用の罠はさらに緻密なものにされていた。
 まさについさっき、つかの間の休息を得て仮眠についたハルゼイの周囲に、警戒用の罠を敷設してやったところだ。ハルゼイたち自身は、今日の深夜のスペード戦までは移動の予定はない。つまりは、ハルゼイのところへ向かっている何者かが存在するということをアイヴォリーの罠は示していた。

「ヤッカイな時に来ヤがるぜクソッタレ……。」

 自分たちのキャンプからは、その移動方向からして掠める程度で接触はしそうにない。だが、その未確認の何者かが向かっているらしいキャンプの主は、アイヴォリーたち二人のために徹夜で作業を終えたところだ。僅かに目を細めて無言で逡巡すると、アイヴォリーはメイに声をかけた。

「メイ……テキだ、行くぞ。」

「うん……っ。」

 僅かな緊張に眉を寄せ、彼の小さな姫が答える。こちらから打って出る気はなかったのだが、自分のために働いてくれた大切な友人が狙われているとなれば話は別だ。ブーツのダガーを確認すると、アイヴォリーは滑るようにして森を駆けだした。

   +   +   +   


「オイ。」

 樹上に陣取ったアイヴォリーは、敢えて相手に声をかけた。般若の面を被ったその男は鎌らしき武器を抱えている。動物を二匹連れているものの、単独のようだった。不意を突いても良かったのだが、できれば戦わずに帰って欲しかったのだ。メイは基本的に人同士が争うことを好まないのだから。

「こっから先はオレたちのキャンプだ。用がねェんなら近寄るんじゃねェ。」

 それでなくてもアイヴォリーは苛立っていた。食料の確保はもちろん、夜には大切なスペードへのリベンジが控えているのだ。こんな面倒には出来れば関わりたくない。だが、その一方で、獣のように軟弱ではない、それなりの腕試しの出来る相手に対して新しいダガーの出来を試してみたいという気持ちがあることも、アイヴォリー自身感じていた。

「殺すか殺されるか……Dead or Aliveといきましょうか!!」

 ゆっくりと顔を擡げる男。その表情は般若の形相をした仮面に隠されていて分からない。だが、押し殺したような笑いの後に聞こえたのはそんな言葉だった。いつものにやけたそれではなく、皮肉と嘲笑に満ちた冷たい笑みを浮かべてアイヴォリーは吐き捨てるように言った。

「徒党を組んで人を狩る……ケモノだな、アンタらは。」

 その言葉とともに、メイがアイヴォリーの肩から飛翔し、アイヴォリーが跳躍する。男の構えた鎌がぼんやりと光に包まれるのが見えた。神剣の使い手らしい。イヴがアイヴォリーの影から走り出るようにして横へ回り、その白い翼を広げた。戦闘開始。結局人狩りとそれを忌み嫌う者は相容れずに刃を交えるために距離を詰める。

「風はどんな隙間からでも忍び込む。例えば、オマエの鎧の間からだってな。」

 薄い笑みを浮かべたままでアイヴォリーは石化毒を前にいた仮面の男に叩き込んだ。たとえ脅威と言われる神剣の使い手であっても、一人に対して遅れを取る気などアイヴォリーにはさらさらない。死神よろしく黒い外套を纏ったその隙間に“風と翼”を鋭く突き入れ、鼻で笑う。そのまま男をすり抜けると、アイヴォリーは跳躍し、ようやく戦闘態勢に入ろうとしている二匹の獣の内片方に体重を預けるように着地する。バランスを崩して倒れる猿の顎を正面から踏みつけ、背後に近づいた犬をとんぼ返りで飛び越えると石化毒を頭に叩き込んだ。

「自業自得、アンタに救いの術はねェ。死ぬほど後悔しながら死にな。」

 もう一度鼻で笑うと、アイヴォリーは男に向き直る。だが、石化毒の入りが甘かったのか男は両手を広げると不可聴域の音を辺りに放った。

「貴様が逝くか、俺が逝くか……楽しもうではないか!」

 聴覚の限界を超えた音によって相手を朦朧とさせる呪歌の一種だ。直接身体に危害を及ぼす訳ではないが、その振動は脳に負担をかける。放射状に広がった不可視の攻撃にメイがよろめいて地に落ちるのが見えた。アイヴォリーもこめかみに手を当ててその衝撃に耐える。

「クソッタレ、風よ集え!」

 一瞬で過ぎ去ったその衝撃波を耐え抜くと、アイヴォリーは歯を食いしばって集中する。敵はこれでまとめて相手の動きを止め、それから動けない相手を叩く戦術らしい。相手を何らかの方法で拘束し、一方的に攻撃して被害を最小限に減らすというその戦法は、アイヴォリーもそうであるようにこの島での常道のひとつだ。ようやく衝撃の余韻から立ち直ったアイヴォリーの視界に、男が攻撃に出ようとしているのが見えた。
 だが、相手の行動を封じるのはアイヴォリーの得意とするところだ。一歩足を踏み出した男の足元から黒煙が立ち上り、相手の視界を殺す。

「ご苦労さんッ!」

 メイはまだ動けそうにない。メイの攻撃が壁役の動物ではなく人狩り本人に入るように動物たちを前もって排除しておくのはアイヴォリーの仕事だ。もう一度男に肉薄すると、アイヴォリーは相手のこめかみに肘を入れ、相手が仰け反っている間に改めて動物たちに止めを差す。アイヴォリーの頭に冷たい血が流れ込んでいた。暗殺者の性である、殺しに淫する血が。鮮血色の瞳を熱っぽく輝かせアイヴォリーは思わず快哉を上げていた。

「くはははッ、アサシンの奥義をソノ目で見てェのかよ!」

 暗殺者として培われた身体の切れが、今の自分には戻ってきていることをアイヴォリーは実感していた。それはスペード戦のために服用した複数の薬の力だ。だが、アイヴォリーはその力に酔いしれていた。

「切り裂け、シルフの抱擁の如くッ!」

 低い姿勢から相手の懐に潜り込んだアイヴォリーは、その小回りの差を活かして連撃を浴びせていく。相手の血を浴びその瞳はさらに輝きを帯びていた。

「怒涛の如く吹き荒れる嵐、翻弄されてオドッて見せろよォォォッ?!」

 両の手にキリングダガーを帯びたアイヴォリーが、相手の身体を切り刻むかのようにダガーを掠らせていく。もうどれほどの毒が叩き込まれているのかアイヴォリーにも分からなかった。ただ鼠を追い込む猫のように、毒で身動きの取れない相手に延々と連撃を掠らせていくだけだ。

「ボクの本気、見せてあげるっ!!」

 メイを中心に収束する禁魔術の魔力が風を起こし、不意にアイヴォリーを我に返した。気付けばアイヴォリーの周囲を煌く風花のような魔力が包んでいる。アイヴォリーがあまりに隣接しているのでメイは保護の魔法をかけてくれていたのだが、それすら今までアイヴォリーには気付けなかった。メイが魔法を撃ち込むのに合わせて跳躍し、範囲外へと飛び下がる。

「中々に……やってくれる……」

 呟きとともに、ようやくアイヴォリーの乱撃から解放された男がメイに向かって駆け込んだ。威力があり、そして薄そうなフェアリーから落とそうとしたのだ。鎌が神剣の力により輝きを増し、風とともにメイに襲い掛かる。だが、彼女の横にいたサラームがメイの前に出て、攻撃に割り込んだ。遠心力とともに神剣の力で高められた一撃は、サラームを行動不能に追い込むのに充分な威力だった。サラームに突き立った鎌の刃からは流れる血を糧とするように赤黒く輝く魔力が流れ、男に向かって収束したそれは男に活力を送り込んだ。

「一回で済むと思ったら間違いなんだからっ!!」

 だが、目の前で可愛がっていたペットを倒されたメイの目は、珍しく真剣な怒りに満ちていた。禁魔術で生み出された衝撃波が男を吹き飛ばした。

「そっちの運が、悪かったのよ。」

 ぎり、と冷たい視線で睨み付けたメイは、動かなくなった男に向かってそう言い放った。アイヴォリーもまた、わざわざやってきた人狩りに同情してやる気はなかった。

   +   +   +   


 それは昨日の昼、ハルゼイの周囲に警戒用に罠を仕掛けた後のことだった。結局、あの後装備と食料を奪い取ると、アイヴォリーは自分たちのキャンプから離れた辺りで引きずっていた男を投げ捨てた。その拍子に、これを見つけたのだ。アイヴォリーの手の中には、確かに見たことのある赤と青のガラス玉のようなそれがあった。投げ捨てた男の懐から転がり出たそれは、ゆっくりと浮遊するとアイヴォリーの手の中へと飛び込んだのだ。まごうことなき、火と水の宝玉だった。だが、アイヴォリーは奪われてからずっと求め続けていた、自らの足枷になっていたそれを皮肉な笑みで見つめていた。

「ちっとばかし……遅かったかねェ……。」

 切なげな瞳で自分の頭の上を見上げるアイヴォリー。ようやく肩を並べて戦うことが出来ると思ったというのに。もう、光の輪は消えてしまっていたのだった。

九十六日目:朝
 島の崩壊が始まっていた。それは、手始めに複雑な構造を持つ部分から起こっていった。今では島の住人たちを保護する役割を帯びている遺跡。かつては宝玉を秘め隠し、探索者たちからそれを護り、壁として存在していた場所。星の攻撃によっても侵されることなく、外が荒れ野と化したときでも探索者たちに充分な食料を与えていた場所。
 だが、島の大半は宝玉の力によって“創造された”ものであり、その力が弱まった以上、島が崩壊していくのは止むを得ないことだった。そして、宝玉の力により支えられていた複雑な部分である遺跡から、島は崩壊を始めていた。

「ヤレヤレ……次はジョーカー殺せると思ったのにな……。まァ、仕方がねェか。」

 崩壊する遺跡から投げ出され、海に沈んでいくその地域から脱出したアイヴォリーたちは、今では小さな池のようになってしまった風の遺跡の辺──もしくは畔──にいた。溜め息を吐いたアイヴォリーは、今一歩で次々と自らの目的を阻まれたことで切なそうに空を見上げる。今一歩のところで光の輪は消え、今また、今一歩のところでジョーカーとの戦いが叶わなくなったのだ。無理もない。ジョーカーを倒せることもまた、この島においての一定の強さの指標だと言われることもあっただけに、この島での最後の挑戦としてジョーカーを倒すことを目標にしていたアイヴォリーにとってはショックは大きかった。

「仕方ないよ。でも……夜に外にいるのは怖いね。」

 メイが空を見上げて呟く。また星が降ってこないとも限らないのだ。とりあえずは荒野から比較的安全な場所へ移動してキャンプを設営する必要がある。アイヴォリーもまた、その青い空を見上げると小さく舌打ちした。後数日、何としても彼女だけは護らなければならない。本当に逃げ場のなくなった、この島の中で。

   +   +   +   


「あァ……クソッタレ、イテェ……あのねェさんホンキでシバきやがったな……。」

 アイヴォリーは鋭く切り裂かれた傷口に手を当てた。鋭い金属片を混ぜて織り上げられたしなやかな革の鞭は、当たればその部分を切り裂くのだ。それは遠心力でその威力を高められて、質量で物体を断ち切る剣などよりも余程繊細な武器だった。ナイフの如き切れ味を持つその威力を体感してアイヴォリーは毒づいた。

「ヤレヤレ……あァもカテェとはな。オレが非力スギるだけ、か……。」

 いつもの自虐めいた笑みを浮かべて溜め息を吐く。罠も発動しなかった訳ではないのだが、流石に相手の行動を完全に束縛するほどではなかったようだ。そして、アイヴォリーが見落としていた点がもうひとつ。
 彼女は優れた防具の作製師なのだ。思えばこの島に来て、初めて防具を作ってもらったのは彼女にだった。その時に夜陰は言っていたのだ。戦える作製師になる、と。防具を作製する者は、それを自ら作り出すが故にその特性を熟知している。つまり、その防具の性能を最大限に発揮できるということだ。しかも、優れた作製師であるためには器用さに長けていなければならない。それは戦闘の際には正確に相手に武器をもたらし、さらに相手の弱いところを的確に攻撃することができるのだ。身の軽さが一番の身上であるアイヴォリーを持ってしても、そのうねるような複雑な攻撃の軌道からは逃げることが出来なかった。

「も~、ボク酷い怪我して帰ってきたら承知しないって言ったよね?」

 眉を吊り上げて彼の小さなお姫様が怒っている。彼女はアイヴォリーの周りをふわふわと飛んで傷を探しながら、白魔術でアイヴォリーの傷を癒している。それでなくても、アイヴォリーはその能力で彼女の傍にいれば大概の傷は癒えるのだが、それではメイが納得してくれなかった。アイヴォリーは大丈夫だと言い張ったのだが、本気で怒り出しかねないメイの剣幕に敢えて彼女のしたいようにさせ、されるがままになっていた。

「もうっ、こんなに怪我してっ!
 子供みたいなんだから!」

「イテッ、キズを殴るヤツがあるかよッ?!」

 アイヴォリーは苦笑して彼女を捕まえた。痛がってはみせるものの、実際にはほとんど傷は塞がりかけている。妖精騎士の妖精騎士たる所以のひとつだ。彼女をいつものように“特等席”──アイヴォリーの右肩──に乗せると、アイヴォリーはメイに優しく微笑みかけた。

「もう、馬鹿。」

「ん?」

 小声で呟いたメイに、アイヴォリーは微笑んだままで聞き返す。これぐらいの傷はいつものことだ。次の戦闘で倒れることはもちろん、後れを取るほどですらない。怪我の内には入らない程度のものだ。実際に昨日の夜、決闘が終わった後での群れ狩りをアイヴォリーは悠々とこなしてみせたのだ。
 だが、微笑んでいるアイヴォリーの目の前で、メイの表情があっという間に崩れた。怒りに満ちていた瞳が突然に潤んで、一筋頬に跡を残す。

「……いっつもこうやって、前で戦って……怪我ばっかりして……。
 馬鹿!馬鹿馬鹿馬鹿!!」

 その濡れた瞳を隠すようにして、首にかじりついてきたメイの髪を、アイヴォリーはいつも通りに指でかき回す。その瞳の色は、暗殺者“涼風”と呼ばれたそれからは程遠く、“微風”の名で知られたお調子者のそれでもなかった。機械のような無表情ではなく、運命を笑う道化師の笑みでもなく。ただ純粋に愛しいと思う者へ向けられるそれだった。

「ソイツは仕方がねェな。ソレがオレのイチバン大切な、“役目”ナンだからよ?」

 それから鼻で笑ったアイヴォリーは、メイを肩に乗せたまま器用に肩を竦めた。自分の護りたいと思うものを、自らの身体で護る。それは決して苦痛ではなく、彼にとっては自慢できる“栄光”だった。

「そういや、意味シンなコト独りで呟くんじゃねェよ。気になっちまうじゃねェか。な?」

「意味深って?」

 首を傾げた彼の姫君に、アイヴォリーは僅かに寂しそうな顔で呟いた。まるで、そんなことは聞かなければ良かった、とでも言うように。

「独りゴト……言ってたろ。
 ソイツを言うなら“今まで”じゃなくて、“コレからも”じゃねェのか?」

 僅かに拗ねたように、アイヴォリーは明後日の方を向いたままで呟く。だが、それを聞いた白い妖精は突然笑い出した。

「オイ、ナニがオカシいんだよ?」

「だって……あはは……アイ、あれね、大事にしてた弓の事よ。
 アイには、“これからも”一緒にいて貰わなくちゃ♪
 …じゃないと、ボクが困っちゃうよ。」

 くすくすと笑い続けるメイを見て、アイヴォリーが気抜けしたように溜め息を吐いた。自分に苦笑を浮かべて彼女をもう一度“特等席”に戻すと、アイヴォリーは空を見上げる。星から来たものがあるにも関わらず、その空は遠く、そして青い。

「ヤレヤレ……。そうさな。
 さてッ、じゃあ次はドコに行きますかね、お姫サマッ?」

 もう、島は沈み始めている。完全に沈んでしまうまでに幾日もないだろう。それでも、最後まで二人で、この島で。
 そしてそれからも、ずっと“生きて”いく。

「大丈夫、ずっと一緒さ。ずっとずっと、な?」

 アイヴォリーは風を読むように空を見上げると、声を張り上げて宣言した。まだまだ冒険は終わらない。

九十六日目:昼
 ディンブラがやってきた時に、いつもと彼の“風”が違っていたのにはアイヴォリーもすぐに気がついた。だが、いつも通りの笑みを浮かべ、アイヴォリーは彼を出迎えた。

「おゥ、ディンブラ。毎日来るたァ熱心だな。」

 俯いていたディンブラが、珍しく真剣な様子でアイヴォリーを見据えた。それからゆっくりと口を開いて彼は言った。

「エリィが……行っちまう。」

 それだけを言うと、ディンブラは再び俯く。それは、今までアイヴォリーが見たこともないような、ディンブラの、本当の悲しみの表情だった。まるで母親に置いていかれた幼子のような表情で、彼は無理やり笑ってみせた。

「はっ、別れは突然、てな。」

 切り株に腰掛けたまま、アイヴォリーは何も言わない。彼に正面を向けることもせず、片方のダガーを手の中で玩んでディンブラの言葉を聞き流している。

「エリィがいなくなる。……どうやら俺は、思っていたより寂しがりらしくてな。」

「で、テメェも帰るってか。
 まァサバイバルに疲れたカラダニャ、王宮のナマ暖けェ空気も悪くはねェだろうさ。」

 口の端で、嘲笑するように笑みを浮かべてアイヴォリーが呟いた。誰だって一人では生きていけない。アイヴォリーにしてみても、メイがいなければこの島で生きていなかったかも知れない。彼の痛みが分かるからこそ、アイヴォリーはいつも通りの調子でディンブラの言葉を受け流した。痛々しい笑みを浮かべたままで、ディンブラは言葉をつぐ。

「この宝玉、お前にやれたら、良かったのにな。」

 言葉が終わるか否かの内に、鋭く風が動いた。ディンブラに一息で詰め寄ったアイヴォリーは、本気でディンブラに拳を叩き込んでいた。体格ではディンブラに明らかに劣るアイヴォリーだが、流石に格闘に慣れた一撃はディンブラを吹き飛ばしていた。

「……いってぇなぁ、アイちゃん。」

「ざけんじゃねェッ!
 テメェ、オレにケンカ売ってんのか?」

 上半身を起こして口元を拭うディンブラを見下ろして、吐き捨てるようにアイヴォリーが言った。普段のじゃれあいではなく、本当に怒っているアイヴォリーの瞳は鮮血色に染まっている。そのままダガーを抜いて踊りかかりそうな勢いだった。

「どうしたの……?
 っ、ディンさん、アイ、何したのよっ!」

 アイヴォリーの怒号を聞きつけてメイがテントから顔を覗かせた。二人の様子でアイヴォリーがディンブラを殴りつけたことを悟ったらしい。メイは怒りを露わにするとアイヴォリーに詰問する。だがアイヴォリーは、メイには目もくれずにディンブラを見下ろしたまま怒鳴りつける。

「オレはオレが自分で必要だと思ったらブン盗ってでも手に入れる。オレを見クビるのもタイガイにしろよ。」

「アイっ、止めなさいっ!
 ……ディンさん、大丈夫?」

 メイの怒声を聞くと、アイヴォリーは小さく舌打ちしてもう一度切り株に腰掛けた。ブーツのダガーを抜き、再び手の中で玩ぶ。メイが魔法で手当てをしようとするのを遮ってディンブラは僅かに笑みを浮かべた。

「……まァ、テメェがそんなツモリで言ったんじゃねェとは分かってるケド、な。」

 ぽつりと独り言を呟くように、明後日の方向を見据えたままでアイヴォリーが呟いた。それから小さく溜め息をつき、ディンブラのところまで行って手を差し出す。ディンブラは素直にその手に捕まると立ち上がった。

「精々兄弟ゲンカで殺されねェように、な。
 メイは悲しむだろうケド、まァソレでなくてももうすぐオワカレだしよ。」

 ふっと微笑みを浮かべ、アイヴォリーはそう言った。もうその瞳には怒りの欠片もない。瞳の色は、血のそれからいつもの暗い赤に戻っていた。

「ディンさん……帰るのね?
 また……また会える、よね?」

 メイが今にも泣き出しそうな顔でディンブラを見つめる。その涙脆い姫君を後ろから捕まえて“特等席”に座らせると、アイヴォリーはメイの髪を撫でてやった。

「そうさな、マタ会える……イヤ、マタ会おうぜ。あばよ、ヤンチャな精霊の王子サマ。」

 優しい笑みを消し、いつもの捻くれた笑みを浮かべて、アイヴォリーはディンブラに親指を立てて見せた。僅かに俯いて鼻で笑うようにして苦笑を浮かべたディンブラは、それに応えていつものようにぱたぱたと手を振って二人に背を向ける。

「じゃあな、アイちゃん、メイちゃん。二人とも仲良く、な?」

 いつも通りの、二人のやり取り。二人に背を向けて歩き出したディンブラに、アイヴォリーがその背中に向けて声をかけた。

「イツかオレがテメェを呼び出したら、そん時はいうコト聞いてもらうぜ?」

 もうその声に、ディンブラは振り返らなかった。ただその頬には、優しい笑みが浮かんでいた。

九十六日目:夜
 遺跡の崩壊により、地上に叩き出されたアイヴォリーはようやくハルゼイたちと合流した。地上のほとんどは以前の星たちの襲撃によって荒地と化している。僅かに残った砂地に、探索者たちは身を寄せ合うようにして逗留していた。相変わらず空は紅く、空から来たものがこの島にいることを如実に表していた。今日孤島に残っているのは宝玉を合計で五つ以上集めた者たちだけだ。それはつまり西の島で宝玉を手に入れた者ということだ。要するに、その数はかなり少なくなっているのだった。

「あァ、テメェは良くヤッたよ。でもな、コレからはカンタンに自分のカラダを他人に貸したりするんじゃねェぞ。テメェもオトコなら自分の力でナンとかしてみやがれ。」

 アイヴォリーはハルゼイの通信機でサトムと話していた。昨日、リトルグレイと最後の戦いになると予想したサトムは、ギフトを使って暗夜に自分の体を貸し与えたのだ。サトムなりの最高の手段だと思ったのだろうが、アイヴォリーにはあまりそのやり方は気に入らなかった。

「でもそうしなければ何もできないと思ったんですよ。しっかりみんなを守ってみせろって言ったのはアイヴォリーさんじゃないですか!」

 勝手なことを言いながら、自分は孤島で他の者たちとともに肩を並べて戦うこともしていないのだ。さすがに語気を荒げてサトムはモニタの向こうのアイヴォリーを睨みつけた。だが、平然としてアイヴォリーはその言葉に耳を貸す様子もない。

「テメェでデキるコト以上のコトは、どうヒックリ返ったってデキやしねェんだよ。んなコトくレェは自分で分かってんだろ?
 イイか、イチバン大事なのは自分がデキるコトをヤッて、生き残るコトだ。どうやっても生き延びるコトだ。じゃなきゃ、その先はねェんだからな。覚えとけ。勝手にイキがって死にザマサラしたってダレもヨロコんじゃくれねェぞ。」

「それはそうですけど……。」

 だが、言い澱むサトムを見つめてアイヴォリーはふっと笑みを漏らした。それまでの口調とは裏腹に、優しい微笑みだった。

「まァオマエは良くヤッたさ。ソコで少しのアイダ休んでろ。疲れただろ?」

 それだけを一方的に言って、アイヴォリーは席を立った。ハルゼイに向けて、後は任せたぜ、とだけ呟くとアイヴォリーはハルゼイの天幕からさっさと出て行ってしまう。苦笑を浮かべたハルゼイはアイヴォリーの後を引き継いでモニタの前に座ると、サトムに話しかける。

「ウィンド殿も、あれで中々サトム君のことを気にかけているのですよ。」

「ええ、それは分かっています。」

 僅かに俯いて答えるサトムに、ハルゼイは続けて言った。確かに彼はよくやったと、そうハルゼイも思っていた。人にはそれぞれできることが違い、できるだけのことをやるしかない。それで良いのだ。後方支援に徹しているハルゼイはそのことが痛いほど分かっていた。

「とにかくそちらはまだ未開拓です。気をつけてください。こちらでも遺跡の崩壊によって地上に全員が投げ出されました。今夜……何かが起こるかもしれません。充分警戒するように。……私も貴方も、こんなところでくたばってしまう訳にはいかないのですからね。」

「分かりました。そちらも気をつけてください。」

 通信が終わり、ハルゼイは小さく吐息を漏らした。そう、自分もサトムも、そしてアイヴォリーも、こんなところでのたれ死ぬ訳にはいかないのだ。この先、もっと厳しい戦いが待ち受けているのだから。何があっても対応できるように、抜かりのないように。ハルゼイは立ち上がると、自らの相棒の整備に向かった。

   +   +   +   


 自分のテントへと戻ってきたアイヴォリーは、厳しい目を空へと向けた。夜の闇に満ちて暗いはずの空は、血のような紅に染まっている。嫌な色だった。

「メイ、大丈夫か?」

「うん。何もなかったよ。でも……何か起こるような気がする。精霊様が騒いでるよ……。」

 不安そうに瞳を揺らせてアイヴォリーを見つめる彼女に、アイヴォリーは口元に笑みを浮かべて優しく言葉をかける。どんなことがあっても、誰が来ても、この前のように追い返すだけだ。

「“風”が騒いでヤがるな……でも心配すんな。ナニが来たって護ってやるさね。」

 いつものようにメイの髪を掻き回し、テントの中に置かれた机に背中を預ける。今までやってこられたのだ。後数日、どうということはない。アイヴォリーは自分の不安を鎮めようとでもするかのようにして、無意識にメイの頭をかき回しながら必死で自分に言い聞かせていた。リトルグレイで“終わる”のか。何かが孤島以外でも起こるのか、島は沈むのか。何ひとつ分かることはなかったが、アイヴォリーがすることは決まっていた。

“二人で生き延びること”だ。
  1. 2007/05/16(水) 11:56:02|
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歌~:風になりたい/HERO:90~92日

島が崩壊を始め中央の小島に襲撃者が降り立つ中、島の住人たちは力を合わせてその撃退に動き出します。島の意思に呼応して。宝玉を失いながら、少しずつ襲撃者の力を削り、自らも脱落していく探索者たちに力を与えたのは歌でした。
とある歌い手が呼びかけた島の住人全てへの声は、次第に大きな集まりになり、島との時間を惜しむように流れていきます。
そんな中で島にやってきたジンクも、それを撃退したアイヴォリーも、自らの歌を歌っていました。

的な大団円への足音。

九十日目:夜
 歌が聞こえていた。夜の森、しかも人狩りの常駐しているこの場所で。しかもそれは、一人の歌声ではなく複数のものだった。
 それは、一人の少女が提案した壮大な“イベント”だった。同じ歌を、島に生きた者たちが歌う。島というひとつの世界の崩壊を間近にして、生きる喜びを歌う。友と出会えたことを、この島で過ごした日々を、この島で“生きた”ことを。それは、“生きる”と名付けられたこの“イキスギたエンタメ”にぴったりのイベントだった。
 地上では星が降り、ついに島に住む者全てに対して宣告が行われた。それは、島を崩壊させようとする力に対して戦いを挑んで欲しいという、島としての願いでもあった。間違いなく、島に住む者たちを滅ぼすために星は降っていたのだ。そして、宝玉を護っていた守護者たちは、かつて宝玉を探索者たちに託したように、島の命運を探索者に託した。島の東部にあった塩水湖には、いまや隆起した小さな孤島が現れそこに島の崩壊をもたらす者が“降臨”したのだ。崩壊をもたらす者を倒したとしても島の崩壊は最早避けられない。それは彼の紅のローブを纏った男に言わせれば「書き換えられない運命」とでもいうものだった。つまるところ、別れの時間が来ているのだ。
 アイヴォリーは、頭上に浮かぶ小さな光の輪を見上げて苦笑を浮かべた。それは自嘲の笑みだった。アイヴォリーには、その孤島へ行く権利がない。その孤島で探索者の命を守るものは宝玉であり、西の島への転送装置と同じように宝玉がある程度揃っていなければ転送してくれないのだ。それ故に、島を守るための最後の戦いにアイヴォリーは参加できない。だが、今のアイヴォリーの傍には、今まで通りに小さな妖精がいた。彼女は島を守ることよりも、彼の傍にいることを選んでくれた。アイヴォリーにはそれだけで充分だった。アイヴォリーにはサーガに登場するような英雄になるつもりはないし、なれるとも思っていない。自分は唯の裏切り者の盗賊なのだ。ただ彼女を護るためだけに戦う力があれば、アイヴォリーにはそれだけで充分だったのだ。
 探索者たちは、ある者は崩壊をもたらす者に立ち向かうために孤島へ渡り、ある者は人を狩り、そしてある者は最後まで同じように、思い思いの方法で残された島での時間を過ごす。
 そんな中で、残された時間を惜しむかのようにして、彼らは歌っていたのだった。声を合わせ、想いを合わせ、同じ歌を歌っていた。“風になりたい”、と。

   +   +   +   


 メイはその意図に賛同し、他の者たちと同じようにして歌っていた。彼女の歌は、最近練習を始めたこともあって大分巧くなっている。二人きりのキャンプに響くその歌声は、今日のような、冬の朝の澄んだ空気にも似た、そんな声だった。

「……あのね、この歌……アイに、あげる。」

 まるで独りで呟くかのようにそう囁いてから、彼女は力一杯歌いだした。“風になりたい”と。
 その歌は、まるで二人に誂えたかのように、二人のことを歌っていた。壁さえ越え、微風を捉え、追い風を受けて。その手の温もりを抱き締めて。彼ら二人にとっては、間違いなく“彼らの歌”だった。この歌を歌う全ての者がそう感じるのと同じように。
 どこまでも風が続いていくように、歌は一人の者が喉を嗄らし、途切れさせても終わることはなかった。他の者が後を継ぎ、それに同調する者が声を合わせ。終わることなく続いていた。

「へへ……みんなモノズキだねェ……。」

 小さくなった、揺れる火を見つめながらアイヴォリーは小さく呟いた。あくまでも歌声を妨げぬように、そっと。歌い疲れたメイはもう眠っているだろう。テントの中に下げられた彼女の寝袋で、今頃みんなと声を合わせて歌い続けている夢でも見ているのかも知れない。アイヴォリーはそんな彼女の、どこまでも止めることのないひたむきさに、微かに苦笑した。
 アイヴォリーは歌わなかった。無論メイにも勧められたのだが、断ったのだ。自分は“風”だ。“微風”の名を名乗る者が“風になりたい”では余りに情けない。歌の、そしてイベントの意図に賛同しない訳ではない。その歌に込められた想いは彼にも分かる。
 だが、彼には人に与えられたものでなくても、既に歌うべき歌があった。歌うならば、その歌を、たった一人に向けて、その一人を前にして歌わなければならなかった。しかし、その一人は今ではもう眠りに就いてしまっていることだろう。機会を逸した自分に苦笑して、島に響くこの歌は恐らく島が崩壊するその日まで途切れることはないだろうと、そう思う。要するに、臆して彼は自分の歌を歌う機会を完全に失ったのだった。
 だからアイヴォリーは、火を見つめながらもう一度口の端で苦笑した。それから、ブーツに佩かれたダガーを鞘ごと外し、それで近くの石を叩いてリズムを刻みながらゆっくりと歌いだした。静かに、島に響く歌声に掻き消されてしまいそうなほどに、静かな声で。その歌は、島に響く歌声ほど勢いに満ちたものでもなく、生きる喜びに満ちたものでもない。ただゆっくりとした旋律に乗せて、アイヴォリーは語るようにして歌っていた。

HERO ─Ivory=Wind version─


Example, sacrifice any life for to save this world all,
but I only wait to call others, I only wait to others.
Only one, my only white shinin', change me to a fearsome only thief.


I heard Saga that kill dragons in my childhood.
But I don't think the foolish thing I want to become that the him.


But I want to be the Hero for you, only for you.
If you stumble over a stone or take a false,
I take your hand with usual smile.


In the time, time goes with cruel at any times makes a man of me.
I don't feel sad, I don't feel painful.
But only that did all things over again,
Yes, only that will do all things over again,
My happy, My precious.


I want to be the Hero for you forever, only for you.
I'm not mysterious at all, and now I don't have a secret at this time.
But I want to be the Hero for you, only for you.
If you stumble over a stone or take a false,
I take your hand with usual smile.



例えば、ダレか一人の命をイケニエに世界を救えるとして
オレはダレかが名乗り出んのを待っているだけのヘタレさ
愛すべきたったひとつのキラメキが、オレをヘタレのシーフに変えちまったんだ


小さい頃竜を倒すよなサーガで聞いた
憧れになろうだナンてバカなキモチはねェ


でもヒーローになりてェ、タダ一人、君にとっての
つまづいたりミスッたりするようなら
イツもの笑みで手を差し伸べるよ


残酷にスギる時間の中で、きっとオレも充分にオトナになったんだ
悲しくはねェ、寂しくもねェ
タダ、こうして繰り返されてきたコトが
そう、こうして繰り返してくコトが
嬉しい、愛しい


ずっとヒーローでありてェ、タダ一人、君にとっての
ちっともナゾめいてねェし、今さらもうヒミツはねェ
でもヒーローになりてェ、タダ一人、君にとっての
つまづいたりミスッたりするようなら
イツもの笑みで手を差し伸べるよ


九十一日目:朝
「……ふ……俺もヤキが回ったか……少し遅かったらしい……。」

 アイヴォリーの追跡が確実にないことを確認できるところまで移動して、ようやく血塗れの額を拭うと、中年の軍人はぽつりと呟いた。野戦服は衝撃でぼろぼろに裂け、無残な状況になっている。極められかけた右腕は当分使い物になりそうにない。拳銃は蹴り飛ばされて回収する暇がある訳もなく、短機銃の予備弾倉も僅かだった。
 アイヴォリーに飛びかかられる前に、しっかりと地形を頭に入れておいたから助かったようなものの、後僅かでも手榴弾を投げるのが遅かったら、今頃自分は肉片になっていただろう。これくらいで済んだのだから幸運だと言えた。
 動かない身体を叱咤して、ジンクは立ち上がった。これ以上休んでいては本当に動けなくなる。何としてもそれまでに、ハルゼイに行きつかなければならなかった。荷物どころか食料も水すらもない。だが、一帯の地形とハルゼイの位置は既に頭に入れてあった。

「悪いが……まだ俺にはやらねばならんことがある……仲間のために、な。」

 ジンクは命令を果たすためにゆっくりと歩き出した。

   +   +   +   


 その背中はもう既に疲弊しきっているように見えた。自分ならばフィードバックを考えても魔筆で傷を癒していることだろう。アイヴォリーが極めた右腕は、折れてはいないものの使い物にならないのはもちろんのこと、痛みが激しく銃を支える役にも立ちはしない。爆風で吹き飛ばされた石か木片が当たったのだろうか、額が裂けて延々と血を流している。ヘルメットがあったからまだ良かったのかも知れなかった。

「おやっさん……。」

 運命の調律者の肩書きを持つその男は、その様子を見て思わず右手を持ち上げた。彼の右手の辺りには緋色に煌く魔力が即座に収束し、今から綴られるはずの文字を構成して現実化するために編成の準備段階へと入っている。だが、その魔力は唐突にかけられた一言によって霧散した。

「どうですかな、様子は?」

 後ろから声をかけたその男は、口髭を蓄えたいかにも尊大そうな男だった。その黒い司祭服には胸に銀色の刺繍で十字の意匠が縫い取られている。ほとんど銀色と言っても差し支えないほどの薄い灰色をした瞳、綺麗に撫で付けられた銀の髪。そしてその首からは司祭服には似合わぬ、銀製の豪奢なペンダントが下げられていた。

「“銀十字”、イヤ、シロガネ……君の入室を許した覚えはない。5秒やるから用件を告げてさっさと帰れ。非常に不愉快だよ、この部屋に君がいるという、その事実が。」

 いつもの傲慢で尊大な振りすらせず、明らかに感情を露わにして赤き魔術師が吐き捨てた。振り返りもせず、その瞳はジンクが映し出された水晶球をただ見据えている。部屋の主に呼応して、ゆっくりと部屋の中央に不快な存在が姿を現し始めた。それは、言うなれば虹色に輝く泡の塊、とでも表現すべき姿をしており、意思を持っているのか蠢いてその形を緩慢に変えながら、ゆっくりと空中をシロガネと呼ばれた司祭服の男に向かって進み始めた。

ヨグ=ソトース……全にして一、一にして全なるものですか。貴方がお気に召していらっしゃる召喚物ですな。」

 平然とその異形を見つめ、シロガネと呼ばれた男は呟く。まともな神経をしている者であれば直視することはもちろんのこと、意思を持っていると想像するだけでもおぞましい存在のことを言っているようには到底聞こえないような口振りではあった。だが、そのシロガネと同じように平然とその赤い邪眼で虹色の存在に目をやった紅のローブの男は、口元を歪ませて不敵な笑みを形作ると肩を竦めてみせた。

「これは僕が召喚していると言っても、僕は単にこの存在がここへ来易いように道筋をつけているだけだ。僕の命令に従う訳ではないよ。……もっとも、僕には契約があるから襲っては来ないだろうけどね。少なくともその無邪気さで僕の頭をもぎ取って遊ぶようなことはしないだろうな。」

 確かに、名高いこの存在を召喚するのは天幕でもこの赤き魔術師かそれに連なる者だけだ。召喚方法が秘されている訳ではない。実際、この運命を編纂する男が住む居室の膨大なデータを漁れば、天幕全体の知識として整理され上梓された召喚の方法が書かれていることだろう。だが、普通の神経の持ち主はこのような危険なものを召喚しようとは思わない。本当に契約があるのかどうかは疑わしいが、実際この古き存在は人間とは全く違った精神構造をしており、人間の想像もつかないような残虐なことを平気でやってのけるのだ。それでなくてもこの常軌を逸した姿ゆえ、見る者の精神を脅かす危険な存在である。だからこそ、他の人間はこういった、忘れられた太古の神を使役することはしないのだ。

「ふ……ではそのような目に合わされぬよう、私はそろそろお暇すると致しましょうか……。」

 同じく虹色に染められた粘液質の触手が、虹色の集積物から伸ばされシロガネの方をしきりに探っている。自分に与えられた贄を探しているらしい。さすがに僅かに不快な表情を浮かべて、シロガネは一歩後ろへと後退さった。

「ですが……貴方に与えられた任務は彼を見張ること。“象牙”のフォローはもちろんのこと、あの軍人の手助けも一切許されてはおりません。それをお忘れなきように……。」

 じりじりと進み来る虹色の集積物に押されてもう一歩後ろへ下がると、それでもシロガネは皮肉な口調でそう運命の調律者に警告した。そう、この赤きローブの男が彼らの運命に干渉することを見越して彼はこの書斎を訪れたのだ。その皮肉の笑みは、彼に対する勝利の宣言でもあった。

「分かっているさ……それよりも、次に勝手にこの部屋に君が入るようなことがあれば、その君の魂を、この不定なる存在が跡形もないまでに汚し尽くすことだろう。
 さっさと出て行け!」

 左手で扉を指し示して、R,E.D.はシロガネを半ば強制的に部屋から排除した。本来であれば“金色”の直属の腹心である“銀”に対してのこのような行いはどの団員にも許されてはいない。“金色”との個人的な繋がりがある彼でなければ許されるようなことではなかった。
 その“運命を操る赤”にしても、与えられた命令に違反することは出来ない。どのような結末を迎えるにしろ、彼がジンクの運命に干渉することは許されてはいないのだ。
 R,E.D.が再び水晶球に目を向けると、その中でジンクは呻きながらも歌を口ずさんでいた。戦いに向かう男たちを嘆き、慈しむ兵隊たちの歌。ハルゼイたちがかつて共に歌ったその歌を、ハルゼイとアッシュが歌い、その調べがジンクへと届いているのだ。
 唇を噛み締めて、R,E.D.は目を閉じた。彼がその気になれば、この結末がどうなるのかは詳細に知ることも出来る。だが、それは書き換えることを許されていない運命であり、恐らくは知りたいと思いもしないもののはずだ。R,E.D.はゆっくりと自らの椅子に身を沈めると、深く溜め息を吐いてから彼の監視を再開した。島にも、そしてエルタ=ブレイアと呼ばれる地にも、もう時間は残されていない。そして、ひとつの物語が結末を迎えるのも後僅かなところまで来ていた。その物語を見届け、記録しなければならないのだ。R,E.D.は虚ろな瞳で水晶球の中の景色を呆然と眺めていた。

九十一日目:昼
 かつて『狂王の試練場』と呼ばれた多層の迷宮を擁し、その最下層に座する悪の魔導師を打ち倒す者には、多大なる報酬と騎士への道が与えられたという都。永遠の命を持つ魔導師が、後に甦りその魔除けを自らの手に取り戻すべく災厄を撒き散らしたという都。戦争に狂い血に飢えた王が支配する、腐れた赤子の怨嗟の声によって、灰からですら死人を甦らせる秘術を持つ教団があった都。リルガミン。
 そこでは、遥か東方の伝説が今なお生きていると言われる。完全なる殺人機械にして奇異なる獲物を振るい、相手を一撃の下に打ち倒す存在。彼らは“忍者”と呼ばれた。

「ん~と、マズは相手の不意を突くべし……んなコトは言われなくたって分かってるッつーの。」

 アイヴォリーは何やら古びた巻物を広げ、それを熱心に読みいっている。そこには漢字やひらがなと呼ばれる東方の言語が並んでいるのだが、妙に博識なところのあるアイヴォリーは、そういった言語の知識を持っているらしかった。
 東方から伝わった伝説の存在、忍者。彼らはひと目で相手の急所を見抜き、どんな存在であっても一撃の下に屠り去る奥義を持っていたという。その身の軽さで相手の攻撃をことごとく躱し、音もなく相手に忍び寄り、その首を刈り取る。それは、かつてのアイヴォリーたちのような暗殺者にとって、ある意味目標とすべき姿だった。彼らアサシネイトギルドにもその伝説は伝わっており、その秘術を体得すべく東に調査隊が送り込まれていたほどなのだ。だが、綿密なる調査にもかかわらずその存在は謎のままで、結局のところ“忍者”の名前はアサシネイトギルドの実働部隊の中では、畏敬の念を示す言葉として広がっていた。要するに「あいつはニンジャな奴だ」というようにして、その実力を評価する一種の称号となっていたのだ。
 だが、アイヴォリーは今、偶然にもその“ニンジャ”の教えが書かれた書物を手にしていた。そしてそれを研究し、アイヴォリーなりの“ニンジャ”を実現しようとしていたのだった。

「ん~、素手を用いて相手の急所を一撃の下に刎ねる……」

 奇異なる獲物、“シュリケン”と呼ばれる投げナイフを自在に操り、その獲物なくしても素手で相手の首を刈る。それは忍者が相手の急所を見抜く独自の技術を持っていたからであり、一撃で相手を行動不能に追い込むその術は忍者の秘伝だとその書物は語っていた。

「マズはばぶりーすらいむにて良く訓練を行うべし。そはアクマでも粘液の集合体なれど、行動を司る“首”はアリ。そを見極めるコトこそ一撃の美学と知れ……ば、バブリースライムってあのアレかァ?」

 アイヴォリーが妙な声を上げる。スライムというのは洞窟などに生息する粘液状の生物である。彼らは言うなればアメーバのようなもので、細胞の集合体に過ぎない。それに首があるから見極めろ、と言われても普通の人間には理解できないのは当然だと言えた。

「ナンジどんな姿にあっても敵の攻撃をカワすスベを知れ。マズは一糸纏わぬ姿にてその訓練を行うべし。その姿にて敵の攻撃を捌ききるコトは容易あらざれど……ちょっと待てッ!ソレじゃ変人じゃねェかよッ!」

 素っ裸で相手の攻撃が当たるかどうかはともかくとして、自分がその相手であれば出来るだけ係わり合いになりたくないというのが本音だ。そんな格好で修行をするくらいなら、暗殺者時代のお浚いでもしていた方がよっぽど気が休まるというものだろう。第一そんな格好でメイの横で戦うのは御免蒙るというか、ある意味獣どころかメイにとっても非常に敵対的な行為であるとすら言えた。恐らく一生まともに口も利いて貰えなくなるだろう。

「マッタク……コレホントにホンモノかァ?」

 “リルガミン奇譚”と書かれた巻物を横に捨て、流石にアイヴォリーはやる気をなくしていた。第一島で忍術を覚えている者の中で、人狩りに身包み剥がれた者はともかく、そのような格好で戦っている者をアイヴォリーは見たことがない。見たら敵と見做して即刻排除していただろうが。
 諦めてアイヴォリーは次の書物に手を伸ばした。それはいかにも安っぽい、薄っぺらな紙の束で、無意味に原色を用いたカラフルな表紙に、真っ白な鎧を身に着けた侍のような男が赤と青の蜘蛛の巣を模った仮面を被った細身の男と丁々発止の戦いを繰り広げている様子が描かれている。

「シルバーサムライVSスパイダーマン!世紀の大決闘!!
 ……コレも……なァ?」

 ぱらぱらと中身を捲っていくアイヴォリーの目に、銀色の鎧を纏った“シルバーサムライ”らしき男が、布を手に風景に同化する様子が書かれている。後ろには吹き出しで“NINJUTU!!”と派手な文字が躍っていた。

「イヤ、こんなんで隠れられねェだろ、ッつーかバレバレじゃねェか……。」

 いい加減眉根をひくつかせてその冊子を閉じたアイヴォリーに、後ろから声がかけられた。相変わらず気配を察知させることをしない。

「どうです、忍術の勉強の進み具合は?」

 奇妙な仮面を被った黒装束の男、黒騎士。天幕に所属する人間でありながら、特別な任務を与えられる様子もなく神出鬼没で現れる謎の男である。こちらの方がよほど忍術だと言っても過言ではない。

「ドレもコレもウソくせェ……ホントにニンジャッてこんな変人ばっかかよ?」

 至極真っ当なアイヴォリーの意見に、黒騎士は大げさに肩を竦めると天を仰いで見せた。オーゥ、ノォォォ、とか言っているのはアメコミに影響されているのかも知れない。

「忍術と言えばシルバーサムライ!ハラダケヌイチローですよ!彼が全ての忍術の発端と言っても差し支えありません。
 もっとも、他の資料が少ないために探すのには苦労しましたが……。」

「オレはこんなドハデなヨロイを着るシュミはねェぞ。」

 アイヴォリーの真似なのか、ちっちっちと人差し指でジェスチャーしてみせる黒騎士。どう見ても怪しいその姿は忍者と言うよりは怪人の方が的を得ていると言える。

「ノンノン、それではニンジュツの奥義は究められませんよ。自分の背丈ほどもあるシュリケンを投げて相手を固め、そこからのコンボでさらに相手を固める!延々とシュリケンキャンセルで相手を固めるのが常道です。」

「イヤ、サッパリ意味不明ナンだケドもな……。」

「まぁそれはお貸ししておきますから、ゆっくりと忍者の道を究めてください。
 では……ニンジュ~ツ!」

 黒騎士は、シルバーサムライよろしく布をはためかすと一瞬で姿を消した。呆然としたアイヴォリーが一人残される。

「イヤ、ソレは前にも見たケドな。」

 学習の方向が完全に間違っていることを誰も指摘する人間がいないのが、この場合のアイヴォリーの不幸であった。

九十一日目:夜
 メイの魔力は日に日に向上している。特に風の乙女シルフと炎の魔神イフリートを召喚する精霊の攻撃魔法と、そして相手を薙ぎ払うエクシキューター、無限の穴を相手の足元に呼び込み相手を叩き落すボトムレスホール、重力球を相手に向かって放つグラビティブラスト。禁魔術に属するこれらの魔法の威力には目を見張るものがあった。しかも、欠片が回魔に付加した加速によって、メイの行動速度はかなり上昇している。技を放った後の隙が少ないのだ。アイヴォリーたち二人にとって、メイの行動速度の上昇は威力に直結するだけに重要だった。

「ふむ……後は混乱対策かねェ……。」

 それだけの威力を持つということは、混乱している状態でそれがアイヴォリーに向けられればひとたまりも無いということを意味する。ある程度の魔法攻撃ならば着弾点を予想することで回避することができる。しかし、後ろから、しかも現在のメイの詠唱速度で突然撃ち込まれたのでは躱すことは出来ないというのが実際のところだった。実際、今まで行われたトーナメントの内数回の敗因はそこにある。二人の組み合わせは、お互いがお互いをフォローし合う形式ゆえに、お互いの技を受けることには長けていない。アイヴォリーかメイが敵味方の見境無しに技を放てば相方を容易に打ち倒してしまうのだ。最近ではアイヴォリーは、混乱した場合の対抗策として風を読むことに終始するようにしている。これならば被害は出ず、次の攻撃の布石にもなるからだ。同じような方法がメイにも必要だった。後ろから吹き飛ばされて戦闘離脱では、アイヴォリーも些かやりきれない。

「エレメンタルブレシングかねェ……。」

 精霊を呼び出し、炎と水の加護を自らに与えるこの魔法ならば被害は出ない。二回目からは無意味になるものの、味方を巻き込んで自滅するよりはましだろう。

「うん、分かった。良い作戦だと思うよ?」

 メイは笑顔で頷くと、自分の行動を整理し始めた。混乱して前後不覚になった時でも、ひとつ発動させる技をしっかり覚えておけば大丈夫だろう。
 次のダイヤモンドは大した脅威ではない。実際、多少の状態異常耐性を持つとはいえ、アイヴォリーの初撃に含まれる石化、睡眠、気絶の三種類のどれかが入れば相手の行動は阻止できる。そうすればアイヴォリーの連撃とメイの魔法で一時に焼き払えるだろう。だが、問題は次のスペードにあった。トリプルエイドを乱射されればその内にアイヴォリーの手数が尽きる。そうなってからではメイの魔法だけでは押し切ることができない。どこまで集中砲火を浴びせて一体を素早く倒せるかにかかっている。
 島が崩壊しようとしているこの時でも、二人はそうやって自らを高めることに心を砕いていた。お互いが相手の足を引っ張ることなく、少しでも相手の力を引き出すための役に立ちたい。その想いが、島に来てから延々と続いてきたこういった訓練を、未だに二人にさせていた。

だケド、ソレももう少しで……終わり、ナンだよな。

 ふと、アイヴォリーの心に寂しさが過ぎった。この島で出会った者たち、前の島から連れ立ってきた仲間。そんな者たちも、島が崩壊すれば各々が自らの目的に向かって違う道を歩み始める。ハルゼイやサトムは天幕と戦うための準備に入るのだろう。ルミィもあの伝説の英雄である自らの大切な人を探して天幕と係わり合いになるのかも知れない。ディンブラや架那たちは、またどこか新天地を求めて旅立つのだろうか。
 アイヴォリーたちもその類に漏れる訳ではない。天幕の刺客としてあのハルゼイの戦友が差し向けられたということは、あの運命調律者がアイヴォリーに与えていた一時的な庇護は既にないものだと考えるのが妥当だった。それでいて島の崩壊が近いことを知っている天幕は、島が崩壊して再び彼らの行方が掴めなくなる前に始末しておこうと考えたに違いないのだ。ハルゼイには悪いことをしたが、アイヴォリーにはあの中年の軍人の話をハルゼイにするつもりはなかった。そんなことをすれば、暴走癖が再発してハルゼイは天幕に一人で殴りこみをかけないとも限らない。少なくとも、アイヴォリーは自分の友人たちがこれ以上天幕の手によって消えていくのを見ていたくはなかった。いつかその時が来るのならば、自分もその中に混じり、一太刀を浴びせなければ気が済まなかった。
 だが、今のアイヴォリーには、護らなければならない白い煌きがある。共にあることを望み、傍にいることを選んでくれた彼女を置き去りにして天幕に無謀な戦いを挑む訳にはいかない。少なくとも今はまだその時ではない筈だった。

「メイ、次はドコへ行くよ?」

 アイヴォリーの気の長いその問いに、メイは小首を傾げて疑問符を浮かべてみせる。唐突に問われたのだ、当然だろう。

「う~ん、次も、ここみたいなとこがいいなっ♪
 たくさん自然があって、たくさん友達がいて、いろんなイベントがあって。
 それで、アイのいる、そんなところが。」

 いつも通りなのだろう。彼女にしてみればいつもの通り、思っていることを口にするだけで、アイヴォリーの欲しかった答えを、彼女は見事に答えてみせた。そう、いつもアイヴォリーを支え、常に前向きに進ませて来てくれた、いつも通りのやり取りだった。

「そうさな、じゃあ次はドコにイキますかねェ……。」

 思わず目を細めて、アイヴォリーは遠くを見やる。心なしかその口元には優しい笑みが浮かんでいた。

「ほんとはね、アイのいるところならどこでも良いんだ♪」

 そう言ってくすりと笑みを漏らし、自分の“特等席”に腰掛けた小さな白い煌きを、アイヴォリーは優しい笑みで見やってからその頭をいつものようにして掻き回す。いつも通りの二人のやり取り。
 島は間もなく沈む。それは今日にも起こることかも知れないし、まだ数日先のことなのかも知れない。それでも、二人はこの島に来たときと同じようにして沈んでいく夕日に目を細めていた。
 どこまでも。どこまででも。二人である限りはずっと続いていく。その確信は、アイヴォリーにささやかな安心感をもたらしていた。

九十ニ日目:朝
 この世界を創造した存在がいるとして。その存在が世界の崩壊を望んだとすると、世界は崩壊すべきなのだろうか。その存在を神だと信ずる人間からすれば、その“神”が世界の終末を望んだその時には、世界は崩壊すべきであるのだろう。なぜならば世界を創造したのは神であり、当然その所有権は神に帰属すべきものであるからだ。我々は生かされているに過ぎず、世界は我々にとって借り物でしかない。神がそう望むのであれば返さねばならぬ。
 だが、私は敢えて諸君らに問いたい。神は何処におわすのか、と。
 それは他でもない、諸君らの心の中である。神とは、誰かからその存在を断ぜられるものではなく、あくまで自らが、自らの意志によって、自らの心の中に見出すものである。その自発的な作業を経て初めて、神がこの世界に在ると断ずることができるのである。であるから、この世界は創造者のものではない。その神が、創造者であるとどうして言えようか。その神は、見出した諸君ら一人一人のものである。つまり、世界が神に帰属したとしても、その神はまた、諸君らに帰属するのである。神とともに在れという教えは、即ち自らの内から、神を見出せということに他ならないのだから。
 だから私は、敢えて諸君らに宣言しよう。世界は、創造者のものではない、と。たとえ創造者が崩壊を望んでも、決してそうなるべきではない、と。諸君らの見出した、諸君らそれぞれの神は、世界の創造者ではない。最終的に世界が帰属すべきは、まさに我々一人一人であるのだ。
 諸君らが崩壊を望むのならば、それもまた良かろう。だが、創造者が崩壊を望むからといって、その通りになる必要はない。もし、世界が崩壊するとするのであれば、それは諸君らが望んだ結果である。この世界に息づく我々一人一人が、世界の真の所有者であるからだ。諸君らが、自らが生きるこの世界の崩壊を望まぬのであれば、戦うが良い。崩壊を望む者に宣戦布告せよ。私は諸君らに剣を取って振るえと言っているのではない。そうではなく、崩壊を望まぬというその意志を、自らの意志を示して欲しい。この世界は我々の生きる場所であり、我々のものであると、その揺るぎない意志を示して欲しいのだ。それこそが崩壊を望む者への宣戦布告であり、戦いである。そして、諸君らの意志が揺るぎなきものであるのならば、諸君らの心の中におわす諸君らの神が、諸君らに力を与えて下さるであろう。
 良いか、世界は諸君らのものであり、その行く末は諸君ら自身が決めるものなのだ。それを、忘れないで欲しい。

エリィ=マクシミエル、凶星現れし時、怖れる村人たちへの説教


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 世界の、島の崩壊をもたらす者は、紅き星から産まれた。そして堕ちてきた。それは赤子の姿をしていたが、人外のものだった。それは強靭で、恐るべき耐久性を有しており倒すことは不可能だと思われた。
 それでも、探索者たちは少しずつでも未来を切り拓こうとして、その存在に対し攻撃を始めていた。僅かでも相手の体力を削り、自らが倒れても次の者が続きを引き受けた。そこでは、この島に彼らが降り立って以来初めて、探索者の意志がひとつになっていた。たとえそれは、敵を打ち倒した者に対する報奨──汝の望みを叶える、という法外な──のためであったとしても、探索者たちはひとつの同じ目的に向けて戦っていた。

「クソッタレ……。」

 そんな中、アイヴォリーは機嫌が良くなかった。行けないとは分かっていても、実際に戦いが始まったのだ。戦うことに長けた自分は、そこにいなければならない人間のはずなのだ。そんな焦燥にも似た苛立ちがアイヴォリーを蝕んでいた。

「アイ……?」

「言うな、メイ。その話は前にもしたハズだぜ。」

 分かっている。自分には資格がないこと。自分は祈るしかないこと。自分には彼女を護るという大切な役目があること。全て分かっていた。だがそれでも、いや、それだからこそアイヴォリーは、苛立っていた。
 伏し目がちにアイヴォリーに問いかけた彼の姫は、これまでと同じようにそんなアイヴォリーの苦しみを理解してくれていた。だからこそ、機先を制されて言葉を封じられても彼女は続けた。

「分かってるよ、アイのことだもの。行きたいんでしょ、あの島に。
 ボクの……ボクの宝玉で行ってきたらどうかなっ♪」

 思わず途切れてしまった言葉を取り繕うように、メイは無理やり明るい調子で言葉を切った。だが、そんな彼女をアイヴォリーはちらりと見ただけですぐに明後日の方角へと視線を戻す。

「オレは、裏切らねェ。裏切るとしたって、ダレを裏切るかくレェ自分で決める。
 ……オレを裏切りモノにさせねェでくれ。」

 ギルドを裏切り天幕を裏切ってまで助けたはずの白い少女。だが、アイヴォリーはそれさえも裏切って今、ここにいる。今までずっとそうしてきたように、生きるということがこれから先も同じように二者択一の繰り返しなのであれば、もうアイヴォリーが選ぶものは変わることはなかった。それにより戦友を裏切ることになろうとも、仲間を裏切ることになろうとも、そして世界を裏切ることになろうとも。何かを選ぶことが、もうひとつの何かを捨てることと同義だというのならば、アイヴォリーは常にたった一つの物を選び続け、他を捨て続けるだろう。
 何故ならば。それが、アイヴォリーの見出した“生きる”ことなのだから。

「でもでも、きっとアイが向こうに行けばみんなの役に立つしっ!」

 その言葉を聞いて、アイヴォリーは穏やかに首を振る。大切なのは、そんなことじゃない。誰かの役に立つ、みんなの力になる。そうではなく、たった一人のために役に立つこと。たった一人の力になること。それだけが、彼の生きる意味。
 確かに、一度は宝玉の加護を四つまで受けた身だ。あの死神を名乗る男が言うように、ポテンシャルは高いのかも知れない。それでも、それを発揮できなければ無意味なのだ。そして、その力はたった一人のためにある。もしもあの赤い星が、アイヴォリーの傍で輝く煌きを奪うと言うのならば、その時にはアイヴォリーは戦うだろう。たとえ他の者全てが倒れ、既に時が遅くとも、一人で彼は戦うだろう。
 だが、それは今ではない。

「イイか、メイ。オレのナカマたちは、ドイツもコイツも一筋縄じゃイかねェヤツばっかだ。サトムも、ルミィの嬢ちゃんも。レイナって嬢ちゃんやかーまいん、アッシュもそうだ。
 連中は、デキるだけのコトをヤッて帰ってくるさ。オレの出番じゃねェ。ソレまで、連中が帰ってくるまで、オレはシッカリと、自分のヤレるコトをヤる。だから、もうその話はナシだ。
 な?」

 自分の大切なものは、すぐ傍にこうしてある。それだけが、全て。
 焦燥感を背負ったままでは、ジョーカーどころかスペードにも勝てないだろう。それでは孤島へ飛んだ彼の仲間のいい笑い者だ。
 アイヴォリーは大きく深呼吸すると、指を鳴らしていつもの笑みを浮かべた。大丈夫、彼らならやり遂げるはずだ。自分も負けている訳には行かない。アイヴォリーはメイの頭を掻き回してから、鼻で笑った。この島の“エンタメ”がどれほどのものなのか。まずは今日の戦いでお手並み拝見だ。

九十ニ日目:昼
 予想もしていなかった訪問だった。アイヴォリーはてっきり、彼も他の仲間たちとともに孤島へと飛んだものとばかり思っていたのだから。

「ウィンド殿。調子はどうですか?」

 いつも通りの落ち着いた様子でハルゼイが問いかける。内心アイヴォリーは彼の度胸に舌を巻いた。何しろ、今日にもかつての戦友──ジンク=クロライドが現れるかも知れないのだ。戦いになればどちらかが傷つくのは避けられない。ジンクは、恐らくはアイヴォリーと同じように、何かを選び、過去を捨てたのだ。二人が出会えば戦いは、恐らくは避けられない。それでも、化学屋を名乗るこの軍人は落ち着いているように見えた。

「おゥ。そうさな、今日次第ッてトコですかね……。」

 今日の夜の戦闘は楽ではないはずだ。それはアイヴォリーも分かっていた。
 元々、アイヴォリーはジンクと遭遇し戦闘になったことを、ハルゼイに話すつもりはなかった。ハルゼイのことを慮ったことと、そして彼のかつての戦友を自らが傷つけたという後ろめたさもあって、ジンクのことを話す気にはなれなかったのだ。しかし、後でアイヴォリーが調べて分かったことは、まだあの中年の軍人が死んでいないということだった。自爆するかのように見せかけて姿をくらましたのだ。その戦場慣れした見切りと判断にはアイヴォリーもさすがに驚かされた。何しろ彼は、爆風に紛れて自らの獲物である短機銃すら持って消えたのだ。そして、そこから分かることはアイヴォリー自身は本来の標的ではない、ということだった。不利な戦闘を続けて戦闘続行が不可能になるよりも、本来の目的を果たすためにジンクは巧妙に撤退したのだ。そうだとすれば、あのときの言葉通り、本来の目標はハルゼイであるということになる。それをハルゼイが知らぬままジンクに遭遇したときのことを考えると、さすがに話さずにはいられなかったのだ。

「オレはアンタもテッキリ、ルミィの嬢ちゃんたちと一緒に行ったモンだとばかり思ってたんだケドな。残ったのか。」

「ええ、私は私でやらねばならないことがありますから。
 私が行っても足手まといでしょうからね。相棒は転送されないでしょうし。それに、後方支援には慣れていますからここからでも充分彼らの援護は出来ますよ。」

 確かに転送を使えば、徐々に減退する戦力を補充することもできるだろう。そして、そんなことよりも彼は、彼の“生きる”目的を見出したのだろう。それはアイヴォリーがそうであったように島を救うことではなく、自らのしがらみを解決することだったのだ。
 昨日ハルゼイは、既に運命を調律するあの赤い魔術師から今回のような出来事が起こり得るということを聞かされていたと語った。そして、ルミィが島へと向かったことも教えてくれたのだ。アイヴォリーはハルゼイがすぐに彼女たちの後を追うのだろうと思っていたのだが。

「そうだ、コイツを返しとくぜ。」

 アイヴォリーが何かを思い出し、自分のテントへと戻る。再び出てきたアイヴォリーの手には、ハルゼイが預けた紙の束の一部があった。

「大体こんなモンだろ。コレでもマダ厳しいケドな。仕方ねェさな、ソレだけの相手だ。」

 ハルゼイから預かった内の、天幕に対抗するための作戦要綱。それにアイヴォリーが書き加え、修正を施したものだった。ハルゼイがそれを数枚捲ると、中には普段お調子者を演じているアイヴォリーからは想像もできないほど、きっちりと綿密な作戦が書き添えられていた。

「これは……ありがとうございます、ウィンド殿。」

「大体の内容はオレのアタマの中にも入ってる。ソイツはアンタが持っといてくれ。」

 おどけたように自分の頭を指差し、アイヴォリーが言った。それでなくても武器になりそうな厚さの紙の束に、結構な小さい字でぎっしりと内容が書き込まれているものだ。さすがにハルゼイも、アイヴォリーがどの程度覚えているのか不安になったらしく、彼に目で聞き返した。

「あァ、アサシンッつーのは作戦覚えてねェと仕事にならねェからな。大丈夫さ。」

 涼しい笑みでそう言ってのけるアイヴォリー。どうやらその意外な几帳面さも人外じみた記憶力も、ともに暗殺者時代の遺産らしい。ハルゼイは改めて感嘆の吐息を漏らした。

「あ~、後な。
 アイツは多分右ウデが使いモンにならねェハズだ。銃の反動も抑えられねェくらいに、な。だから、遮蔽のねェトコロで狙われたら絶対に左へ飛べ。
 利きウデじゃねェウデを使って相手にタマを当てるニャヨッポド訓練が必要だケドな、ソレくレェはアイツもヤッてのけるだろうさ。でもな、自分のカラダの内側ニャ撃ち込みにくいハズだぜ。利きウデじゃねェならなおさらだ。
 だから、左に飛べ。イイな?」

 アイヴォリーが極めたジンクの右腕は、腱が伸びていて使い物にならないはずだ。そう考えてアイヴォリーは念のためにハルゼイに言い含めておいた。もっとも、できるならば二人が撃ち合いになるような状況は起こって欲しくないというのが、アイヴォリーの本音だったのだが。

「分かりました。助言をありがとうございます。」

 軍人で銃使いのハルゼイに対して銃の云々をアイヴォリーが語るのはおかしな話ではあったが、ハルゼイはアイヴォリーの戦闘中の動きがどれだけ計算し尽くされた上での挙動なのかもまた知っていた。だからハルゼイは素直に頷いた。

「そうさなァ、セッカクだし、メシでも食っていくか?」

 肩を竦めて言うアイヴォリーに、ハルゼイは苦笑を浮かべながらそれを辞去する。

「まだあちらへ届けなければならないものもありますし……せっかくの申し出を申し訳ないのですがね。
 また一段落したらお願いします。」

「あァ、イツでも来な。」

 もう一度アイヴォリーが肩を竦めて、背を向けたハルゼイに声をかける。その声は、普段のアイヴォリーを知る者からすれば余りにも冷たい、怜悧ささえ帯びた声だった。

「アイツはオマエの命を狙ってるテキだ。どんなコトがあっても油断はするな。
 ムリも、な。」

 驚いたハルゼイが思わずアイヴォリーを振り返ると、アイヴォリーはいつもの人を食った笑みを浮かべてにやりと微笑んでいた。踵を返し敬礼するハルゼイに、アイヴォリーは指を二本だけ揃えて適当に返す。まるでそんな言葉など口にしていないかのようなアイヴォリーの軽い様子に、ハルゼイはそっと微笑んだ。
 ハルゼイが、近づいている自らの結末に気付かなかったのも無理もない。そう言ったアイヴォリーでさえ、一瞬の不安が過ぎっただけで、何も気付いてはいなかったのだから。

九十二日目:夜
 暗殺者の仕事は、一般にはその名前が示す通り暗殺だと思われている。だが、実際にはアイヴォリーたちアサシネイトギルドの実行部隊が行っていたのは、“信頼の破壊”という作業に他ならなかった。
 無論対象を直接的に殺害することで完了する任務もある。だが、それにより残った者がより結束を固め、依頼者の障害となるようでは何の意味もない。それよりも、依頼者の排除したいと望む勢力を裏から自壊させてやる方が都合の良い場合も多いのだ。ばらばらになった勢力は最早脅威ではなく、依頼者が各個撃破するなり懐柔するなり、好きなようにすればいいのだ。彼らアサシンに求められるのは、そこまでの筋道をつけることだった。
 そのために目標に取り入って信頼を勝ち得る必要がある。アイヴォリーがエルフの村でやったように数ヶ月、時には年単位で相手の中に潜伏することもあるのだ。そういう意味では、彼らは暗殺者というよりは間諜に近い役目を与えられていた。彼らは国から何かしらの保護を受けている。それは国政の利便性を考えてのことであったり、また権力に近しい個人が繋がっている場合もあるが、どんな方法にせよ、公には明かされない権力の庇護を得ているのだった。
 アサシネイトギルドは徹底的な恐怖政治で成り立っている。渉外とそれ以上上のクラスからなる上層部が、実際に任務を遂行する実行部隊を搾取するという図式だ。幼い頃に、他に生きる術のない子供──政治的に抹殺された貴族の子息であったり、純粋に最下層の生活レベルにある者たちが売り払った息子など──は、最初に数人の“見せしめ”を与えられることで恐怖政治に適応させられる。後は厳しい訓練とお互いを疑心暗鬼にさせる精神操作で組織に絶対服従の実働部隊が育っていくのだ。そうした訓練や任務の中で、特別に才覚を発揮した者だけが上層部に組み込まれる。それの繰り返しによって暗殺者は育てられていた。いくら初期の段階から容赦のない選別が行われるとはいえ、それだけの人間を養うには非常に大きな金額が必要になる。それゆえに、依頼は非常に高額だった。だがそれは決して実働部隊に回されることなく、上層部のみがそれを享受する。要するに、実働部隊は唯の駒であり、機械としての役割しか求められていなかった。
 信頼を破壊するための精巧に作られた機械。基準に満たない不適合は排除されていくしか道はない。彼らは組織に永遠の忠誠を誓う者でありながら、自らの命を守るために人を殺す究極の利己主義者だった。

 裏切り。それは信用の破壊だ。誰かから得られる信用という心情を、自らで放棄する。それを仕事として生きる暗殺者という職業は、言うなれば“裏切り者”の役割を与えられて生まれた彼にとっては、就くべくして就いたということだったのかも知れない。
 だが、その与えられた運命ゆえに、彼はギルドすら裏切ることを定められていたのだった。そして、彼が“運命を超越する者”として認められる──その運命を与えた者に──かどうか、まだ答えは出ていないのだった。


おまけ

前々回の「HERO」ですが、ご覧になった方はご存知の通り、2回目のAメロからサビまでが、音楽番組よろしくすっぱーっとカットされていました。これは僕が、最後が切れるのを恐れたためで……ゴメンなさい、半分はウソです。
実際の主な原因は、1L目の「映画」という言葉の時点で「ハイ、ファンタジー化無理!」となり、サビの部分で「無理無理無理無理無理ィッボツ!」と匙を投げてしまったためです。そのままでも良かったのですが、自称物書きらしく、一応〆てみました。笑いながら見てやってくださいOTL


For to save damn person's life
They abandon nation's lives
No, I hope to world that only a thing
That all live with smile

My heart is saved by your clearly eyes
Clearly lights dissipate my darkness soul

To live in too long our life with always funnin'
Sometimes we will be drenched in rainy days
Sometimes we will be hungry,
Sometimes we will be damaged
And some day you will smile in the end
At that time, I want be with you


ダメなヤツらを支えてくタメに
カンタンに命が捨てられてく
違うオレらが見ていてェのは
みんなが笑う世界だ

オレのココロ握る碧の目
スッとココロの闇を溶かしてくんだ

人生をずっと通して深く味わうためニャ
食えねェようなクソッタレの時もあるさ
時には苦かったり
シブい時もあるだろう
そして最後にデザートをヨロコぶ
君の笑みをオレは見てェ
  1. 2007/05/16(水) 11:35:09|
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Alive時代の前振り4期?:84~89日

島が崩壊を始める前触れ、赤い凶星が現れた頃。実際にジンクが島に送り込まれ、ハルゼイに向かう彼に気付いたアイヴォリーと遭遇、戦いが始まる。
凶星から降って来たのはあかちゃんでした。赤だけに<何

そんな中でアイヴォリーは相変わらずのんびりとトランプイベントをこなしてましたw
イヤ、以前宝玉を奪われたせいで島に渡れなかったのが原因ですが。この顛末は後々まで彼の苦い思い出になってしまいます。

八十四日目:朝
 忍者。元々その呼称は、東方にあるとある島国の間諜を指す言葉だった。だが、その国自体が持つ神秘性とさらに隠密行動を主とするその活動内容から、彼らは様々な伝説を生み出した。曰く、様々な術に長けており、人外の能力を持つ。曰く、素手に軽装で、板金鎧に身を包んだ騎士の首を一撃の元刎ね飛ばす。様々な国を超えてその伝説は、その通過した国々の良く似た職業が持つ能力を吸収し、名前だけが残って完全な超人を指し示すようになってしまっていた。
 アイヴォリーは、特にその出自ゆえに忍者を完全なキラーマシーンとして認識していた。彼がギルドで聞いたそれは、異国の術で相手の目を幻惑して姿を闇と同化し、音もなく対象に忍び寄って一撃で相手を葬り去る、究極の暗殺者としてのそれだったからだ。
 そして今、アイヴォリーはその伝説に、少しだけ近づこうとしていた。エルフたちが用いていた光学迷彩と、それを駆使する基礎的な幻術。身体に染み付いた隠密の技。そして、長年の冒険者の生活の中で聞いてきた様々な伝承。それらを全て総合し、彼は彼なりに、“忍者”を再現しようとしていたのだった。

「んむゥ……。」

 今更過ぎて分かりきっていることではあるが、アイヴォリーには魔法の才能は皆無といっていいほど、ない。メイも幻術の知識はさほどではないため、教えを請う教師すらいない。絶望的な状況である。シェルでもいれば適当な見本になるのだろうが、昨日の昼から召喚に応じないままでそれも叶わない。結局、メイの魔法の知識を頼りに少しずつ基礎的な学習から始めるしかないのだった。

「だからね、魔法っていうのは集中して、身体の中の魔力を集めて外に出すのよ。」

「で、どうやって魔力を集めるんだ?」

「集中して……ん~と、ぱーっと……。」

 元々妖精というのは、魔法に非常に近しい種族である。エルフたちと同じく元々は妖精界、つまり物理的なこの世界と魔法的な精神世界の中間に位置する世界から来た種族なのである。彼らは普通の人間たちに比べて遥かに身体の中に宿している魔力が大きい。つまり、生まれながらにして魔法を使う素質を持っている、ということだ。さらに生まれたときから魔法のある環境で過ごしてきた妖精である彼女は、魔法を学ぼうという明確な意志を持って魔法を学んだことはなく、言葉を学ぶのと同じようにして、成長の過程で自然にそれを身につけた。つまり、全く素質のない人間に教えるには、同じ学習過程を辿っていないだけに不向きなのだ。しかも、メイは明確な言葉として、魔法理論を説明するのに向いている性格では、当然ない。
 結果、今のような何をどうしていいかも分からない遣り取りがもう一日以上も繰り返されているのだった。毒塗りのために、毒物の知識を過去の記憶から引っ張り出すのにもいい加減うんざりして途中で投げ出しそうになっていたアイヴォリーである。そもそも学んだことのない魔法などというものを学習するのには無理な状況が揃いすぎていた。

「ん……ヨシ、分からん。」

 何が良いのか全く分からないのだが、アイヴォリーはとりあえずそう結論付けた。今日の魔法の授業は終わりらしい。代わりにアイヴォリーは、厚手の葉で蓋をされた幾つかの椀を取り出した。蓋代わりになっていた葉を丁寧に取り除けると、中からは椀ごとに盛られた様々な色の粉末が現れる。

「それはなあに?」

 椀を覗き込んだメイに、アイヴォリーは肩を竦めて答えた。その様子から、あまりこちらにも乗り気でないことが窺えた。

「コイツはな、ハルゼイの兄ちゃんにこの前会った時に、ちょっと分けてもらったのさね。」

 呟きながら、胡椒のような黒い粉末と、明るい黄色をした粉末を適当に混ぜてゆくアイヴォリー。その方法は明らかに適当な目分量で、とてもハルゼイのやっていたのと同じ精密な配分をしているようには見えない。

「オレがワナに爆発物を使うようになったときにヤッてたろ。アレのヤリ直しさね。」

 以前アイヴォリーは、カーマインが遺していった手製の榴弾を参考にして、罠に爆発物を仕込む方法を研究していた。その時に、確かに同じようなことをしたのだ。その時は付け焼刃である程度の知識を得た。だがそれは、カーマインの遺した榴弾が非常に参考になったということと、それまでに持っていた薬品の知識が役に立ったからだった。今では明らかに使うことのないその知識は、結局爆発物を仕込む方法を編み出し、その手順を機械的に暗記してからは、そのまま忘れていってしまっていた。
 だが今、罠に新たなバリエーションを加えることをアイヴォリーは必要としていた。今の方法では、威力の高い罠を設置することは出来ても、罠を発動させたその行動そのものを阻害するに過ぎない。それでも、確かに相手の不意を打ち機先を制することは出来るのだが、アイヴォリーとしては、そのキーとなった行動以上に、さらに相手の行動を束縛しておきたかったのだ。例えば、自らの武器に使っている、相手を眠らせるか、もしくは昏倒させる毒を応用できれば、その行動からさらに後まで相手を拘束することが出来る。だが、そのためにはまだ知識が必要だった。

「ん~……コイツをこのくらいで……。」

 アイヴォリーは調合の配分に必死になって、彼女が来たことに気付いていなかった。そして、運の悪いことに彼女はアイヴォリーの予想すらしていなかった場所から現れた。

「やっほー。メイちゃん、アイにーちゃん、久し振りなのら!」

 アイヴォリーのすぐ前にあった茂みを掻き分けて、いきなり彼女は現れた。そして、その勢いのまま不幸にも──主に不幸なのはアイヴォリーだけだったのだが──アイヴォリーが置いていた椀のひとつを、盛大に蹴散らした。

「ぬおわッ?」

 美しいカーブを描いて飛翔する椀。あたかもそれを燃料として椀を本来あるべき場所でない空中に飛ばせたかのように、その椀の後ろに尾を引く黒い椀の内容物。要するにルミィに蹴飛ばされた椀は、アイヴォリーめがけてその中身をぶちまけた。

「あちゃー……。」

 さすがにしまったと思ったのか、登場早々ルミィが慌てた表情になる。その目の前では、頭に椀を斜に被り、体中真っ黒になったアイヴォリーが硬直しきっていた。

「…………。」

 無言のままで、硬直の解けないアイヴォリー。

「あはは……ちょっとタイミングの悪いときに来たみたいなのら。じゃ出直すねアイにーちゃ」

 語尾に近づくにしたがって早まくりになり、言葉を最後まで言わずに後退を始めるルミィ。

「テンメェェェェェッ、ちょっと待てええェェェェッ!!」

「きゃ~メイちゃん助けて~アイにーちゃんがいじめるぉ~!」

 当然のようにして、キャンプで鬼ごっこが始まったのだった。

八十六日目:昼
 結局、捕まえたルミィに後片付けをさせた後で、アイヴォリーは座り込んで顔を拭きながら、なぜか掃除のご褒美としてシチューの残りをルミィによそってやっていた。

「ホレ。」

 アイヴォリーが突き出した椀を受け取り、添えられた木のスプーンで掬ってシチューを口に運ぶルミィ。腹が減っていたのか、彼女は目をきらきらさせながらあっという間にそれを平らげた。

「ふ~、ろうどうの後のご飯はおいし……。」

 アイヴォリーの白い目が、ルミィの言葉を途中で断ち切った。大きく嘆息して、アイヴォリーは肩を落とす。

「ヤレヤレ……嬢ちゃん、ワナだって張ってあっただろ。よくオレに気付かれずにあんなトコまで近づけたな?」

「れいこくな女はんたぁを罠にかけるなんて百年早いのら。」

 再びジト目になったアイヴォリーを見て、ルミィは手をぱたぱたと振りながらあっけらかんと言う。

「てゆーか、気付いてないのはアイにーちゃんだけだったのら。メイちゃんもイヴちゃんも気付いてたのに、アイにーちゃん必死で一人だけ気付いてなかったんだもん。」

「ん……まァ、そうだケドな……。」

 確かにそのとき、アイヴォリーは化学の調合実験に必死で、周りは何も見えていなかった。メイが気付いたということは、警戒用の罠も発動していたのかも知れない。その音を聞き逃すほどアイヴォリーが必死だったのは、あまりこの島に時間が残されていないということを肌で感じ取っていたからなのだが。

「だいたい、相手のふいをついてしかくに忍び込め、って教えてくれたのはアイにーちゃんなのら。それが罠のきそだって言ってたぉ?
 アイにーちゃんしかくだらけだったのら。」

「んあ~……まァソリャそうなんだケドな……。」

 自分で教えた罠の基本を逆に諭されて、アイヴォリーは渋い顔になった。確かにそれは罠の基本中の基本であり、そこから相手を罠にかけるための仕掛けが編み出されているといっても過言ではない。

「……そうかッ!」

 突然アイヴォリーが叫び声を上げた。黒いすすを頬につけたままでニヤリと笑みを浮かべて、ルミィの頭をがしがしと乱暴に撫で始める。

「ヨシ、嬢ちゃんでかしたぞッ。ホレ、もっと食え!」

「ん……?
 いいのら?」

 もちろんアイヴォリーの突然の上機嫌の理由が分からないルミィは不審気な表情で、それでも差し出された椀を受け取り食べ始める。そんな彼女をそっちのけで、アイヴォリーは戦闘中に配置する罠を全て書き出し、何ごとか呟きながら書き付け始めた。相手の行動を予測することで、より巧妙な罠を作成できるはず、そんな基礎にして基本の考えに立ち返りながら、アイヴォリーは確信めいたものを感じていた。

八十四日目:夜
 訓練と教育は、人を愚鈍にするのにもっとも有効な手段の一つである。無論自分の向上を目的として、自発的にこの二つに邁進するのであれば、人はその分野において優れた能力を発揮していく可能性を秘めている。たが、強制的にこの二つを与え、ひたすらそれに没頭しなければならない状況を創り出せば、それは例外なく人を愚鈍にする。失敗に罰を与え、成功に報奨を与えれば、その機構はさらに効率よく発揮される。そしてそれは、自発的に訓練を行った人間よりもさらに高い能力を、その分野において発揮することとなる。
 故に、失敗に死をその罰として与えられるような訓練を、休みなく継続して行わせれば、その人間は次第に自我を失ってゆき、命令を遂行する高性能かつ忠実な機械とすることができる。失われた自我は任務に応じて学習により記憶させれば良いことであり、普段の訓練を行うに当たってはその効率を下げるものでしかない。疑問を持たず、ただ命令に従属するように訓練と教育を繰り返し行うのが、優秀な暗殺者を育成するための第一の目標であると言えるだろう。

『暗殺者の教育におけるその指針と実務』序章より抜粋



八十五日目:朝
 暗殺者には、時間の概念が希薄な者が多い。決められた範囲での時間の計測には、どんな条件でも恐ろしく正確な能力を発揮するのだが、自分が何歳であるとか、自分がこの職業に就いてからどれだけの時間が経ったのかとか、そういった、時間と自分を結びつける作業に関していうと恐ろしく無知である。無知であろうとする。
 それは当然のことだ。いつ終わるとも知れない──終わるのは、自分が命を落とす時以外にはないのだが──訓練と任務の繰り返しの日々の中では、“明日”というものは存在しないのだ。それは、任務の遂行にとって邪魔なものでさえある。暗殺者は、自分の身を省みずに目標を葬り、依頼を遂行する。そこには、終わりのない“死のやり取り”という絶望的な事実が厳然として横たわっているだけで、自分と時間を結びつけるというその行為は、自らを狂気に追い込むことはあっても、生きるための気力とはならないのである。そこでは、終わりない今日という訓練日の繰り返しと、たまにやってくる任務遂行の時間。そしていつか訪れる死の瞬間しか存在しない。
 また、暗殺者は宗教に基いた行事にも疎いことが多い。彼らは聖誕祭や断食節など、各々の宗教が持つ特別な行事とは関係なく任務を遂行するからだ。
 そういった宗教的な行事は、国家が戦争行為を行う際には重要な節目となる。そうした際には戦争を一時的に停止するのが国家としての常識なのだ。当事者である国家が同じ宗教に属していれば勿論のこと、たとえ戦争の相手国が違う宗教に属していたとしても、その間に戦争行為を行えば、その宗教を信仰する全ての国家に対して戦争行為を仕掛けるに等しい行いであるからだ。また同時に、大抵の国家は農業が休閑期である冬に戦争を行う。それは、職業軍人だけでは戦争というものが成り立たないことを如実に示している。戦争の規模が拡大すれば拡大するほどそれに必要となる兵力は増大し、それを賄うために日々訓練している職業軍人だけでは足りなくなってゆくからだ。無論国の基幹を担う農業従事者を戦闘に駆り出しその数を減らすということは、直接国力の疲弊に繋がるのだが、農民たちが自分を統治する者が変わっても生活が変わらないのとは対照的に、国家自体は戦争という行為に勝利しなければ存続し得ない。それゆえに、滅亡か疲弊かを二択として提示された場合には常に疲弊を選択し、農民を戦争に兵士として向かわせるのだ。
 そういった、全ての戦争行為のデメリットを解消する手段が、暗殺者なのだ。宗教的行事に縛られず、国家に所属しないために責任を追及されることもなく、農民たちの数を減らすこともなしに、ただ、国家の根幹たる統率者を抹殺する。それによって方針の転換を無言の内に迫るのである。その代償は、隠密裏に行われるギルドに対する保護であったり、またもっと直接的に現金である場合もある。その代償は法外に巨大なものであり、現金で言えば小国の国家予算にも匹敵するほどの額であるとすら言われている。だがしかし、彼らには失敗はなく、受けた依頼を遂行するまではどれほどの損害を受けようとも退くことをしない。つまり、依頼が彼らアサシネイトギルドに了承され、その代金を支払えば、確実に標的は“死ぬ”のである。
 そこには、その実際の遂行者である暗殺者の権利はない。彼らは、唯その日のためだけに鍛え上げられた技術でもってその任務を遂行し、役目を終える。任務を達成した暗殺者はギルドに帰還し、次の任務までの時間、さらに技術を磨く日々が再び訪れる。もっとも、そうやってギルドに帰還できるということ自体が実力ある優秀な暗殺者であるか、よほど幸運に恵まれているということではある。ギルドは手塩にかけた暗殺者たちを回収はしてくれるが、それは絶対にギルドに被害が及ばない位置でのことでしかない。裏を返せば、絶対的な安全圏に逃れ出るまでは完全に暗殺者の自己責任である。対象を殺害するまでは訓練通りに自らの技量を揮えば良い。しかし、そこから先は今までに身につけた、全ての自分の技術を動員して逃れなければならないのだ。実際、帰還できる暗殺者の数は、その依頼によって様々だが多い訳ではない。それでなくても、ギルドは最初から暗殺者が帰ってこないものとして報酬を算出しているのだ。任務を遂行した暗殺者が帰ってくれば、その暗殺者を育てるためにかかった費用がそのまま利益に上積みされるだけであり、それが金額的に大きいものであるからギルドは暗殺者を回収するだけのことなのだ。

 そんな中では、アイヴォリーは稀有どころか、唯一の存在だった。訓練で篩い落とされることなく生き残り、幾度かの任務を遂行して生き残り、そしてギルドの歴史の中で初めての裏切り者として所属する街のギルド詰め所にいた同僚を全て殺して出奔した。勿論それは、彼を実験体としてこの世界に送り込んだ人間の、運命の庇護があったからに過ぎない。その人間は運命によってアイヴォリーを守護し、そして自らが与えた“裏切り者”たる運命の力を超越することを望んでいた。そうして、裏切りを必然として与えられた彼は、様々なものを裏切りながら生き、今では組織ではなく、たった一人の小さな妖精に自らの拠り所を見出していた。
 今のところは、彼がその運命に、また翻弄される兆しはない。ただその小さな妖精を護り、愛しんで、彼女の傍にいる。だがそれが、彼が遂に運命の悪夢めいた螺旋から抜け出ようとしているところなのか、それともただ単に次の裏切りのための周到な準備期間に過ぎないのか、それは彼本人にも、そして送り込んだ張本人にも分かってはいなかった。

   +   +   +   


 とりあえずそんなこととは一切関係なく、アイヴォリーはゆっくりとした時間を過ごしていた。メイの言う「神様が自分の子供の誕生を祝う日」が過ぎ、年の区切りが過ぎても、今のところは平穏な時間が続いている。星の襲撃は地上に限られた出来事で済んでいるようだし、それならば食料の豊富なこの遺跡の中の方が快適だとさえ言える。人狩りの襲撃には気をつけなければならないが、向かうところが人口の密集した場所である以上、その内に襲われることも覚悟していなければならない。それさえ注意していれば、獣もそれほど凶悪ではないこの遺跡は、過ごしやすいところだと言えた。

「ねぇっ、これ見てよアイっ!」

 メイが歓声を上げて動物の皮で作られた袋を見せる。ぎくりとして思わず表情を変えそうになったアイヴォリーは、今までに鍛え抜いた鉄面皮でどうにかそれを押し隠した。

「あァ、ナンだソリャ?」

「中にね……ほら!」

 袋からメイが取り出したのは、アイヴォリーには見慣れた──というかあまり見たくはない──雪の結晶を模ったクッキーだった。必死で表情が表に出ないよう、平静を装ってアイヴォリーが間の抜けた声で聞く。

「ん……どうしたんだソレ。でぃんぶ~にでも貰ったのか?」

 アイヴォリーの真似なのか、メイは気障な仕草で指を立てて振ると、にやりと笑みを浮かべた。思わず吹きそうになるのを必死で堪えてとぼけた表情を維持するので精一杯のアイヴォリー。

「なんとね、入ってたのよ!
 靴下の中に!起きてみたら!!
 あの日は雪も降ったし、プレゼントなのよ?!」

 大喜びでアイヴォリーの周りを飛び回る彼女に苦笑しながら、アイヴォリーは肩を竦めて見せた。

「あァ、そんなコト言ってたな。良かったじゃねェか。」

「うん、たくさんあるからアイにもおすそ分けねっ?」

 アイヴォリーはメイからクッキーを受け取って一口齧る。まぁ冷めても問題ないレベルの味であることを確認してアイヴォリーは心の中で安堵の吐息を吐いた。だが、続けられたメイの言葉にアイヴォリーは仰天した。

「じゃ次はディンさんにあげてこよっと♪」

「ま、待てッ、ソレはマズいッ!」

 メイならばともかく、あの紅茶の精霊ならば口にせずとも匂いだけでも誰がそれを作ったのか気付いてしまうだろう。その後の彼の笑みを想像してアイヴォリーは必死で彼女を止めようとした。

「どうして?
 せっかくの贈り物なんだもの、みんなに分けてあげなくちゃ。」

「ど、どどどうしてもだッ!」

 その理由のない理由は、どうにも彼女のご機嫌を損ねたらしい。メイは急に不機嫌な顔になるとぷいっとそっぽを向いてテントから飛び出した。

「ディンさんはアイのお友だちでしょ。どうしてそんな意地悪なこと言うのよ~。良いよ、ボク一人で行ってくるから。」

「イヤ、待て、ソレはッ!」

 慌ててメイを追いかけながら、アイヴォリーは引き攣ったような笑みを浮かべる。この後に起こるであろう、ディンブラのお楽しみタイムができるだけ早く収束することを密かに願いながら。

八十五日目:昼
「どうして私たちがこういった技に優れているか分かる?」

 透き通る湖のような、澄んだブルーの瞳で彼女は男を見つめて聞いた。彼女の向かいに座って、それとはなしに彼女の作業を見つめていた、彼女とは対照的な真紅の瞳をした男はゆっくりと左右に首を振る。暗殺者として、そして盗賊として罠の知識にはそれなりに秀でているつもりだった彼だったが、確かに彼女の技は、彼にとっても驚嘆すべきものだった。

「どうして君たちは……エルフたちは、それほど巧妙な仕掛けを作れるんだい?」

 男の問いに、彼女は柔らかく微笑んで静かに空を見上げた。その空色の瞳に本当の空が映り込み、彼女の目が合わせ鏡のように奥行きの見えないほどの静かな煌きを湛えたのを見て、微かに男は息を呑む。

「それはね、私たちは、自然とともに生きているから。風の声を聞き、水と歌い、木々の囁きに耳を傾け、大地の鳴動に瞑目する。貴方たち人間が忘れてしまった、自然の声を聞くことを、まだ忘れていないからよ。」

 それを聞いた男は微かに苦笑した。確かに自分は、屋内の罠の知識には秀でているが、屋外でのそれは野伏にも到底及ばない。それは、人工物を使った仕掛けではなく、エルフや野伏たちのそれが自然を巧妙に利用した作りになっているからだと気付いたのだ。

「俺もいつか、そんな生き方が出来るようになるのかな?」

 彼女がしているように自分も空を見上げ、その遠さに暫し目を細める。暗闇を見通すように訓練された彼の目には、その遠さは少しだけ明る過ぎた。

「ここで暮らしていれば、きっと。」

 静かな微笑みを湛えたままで、彼女がそっと男の手に自らの手を重ね合わせる。彼にとっては偽りであっても、その時、確かに平穏な時間が流れていた。

   +   +   +   


 はっと身を起こし、アイヴォリーは辺りを窺った。どうも少しうたた寝をしていたらしい。いくら休息時間だといっても無用心過ぎだ。気の緩んでいる自分を戒めるようにして首を振ると、夢の残滓が静かに彼の脳裡から零れ落ちていった。

「ヤレヤレ、テメェはイツでもそうやって、裏切り者のオレを助けやがるのな?」

 静かに呟き、あの時のように空を見上げる。空は今日も高く、そして届かないほどに遠かった。

八十五日目:夜
 メイが発した言葉は、アイヴォリーにとっては突然の言葉だった。何事か思いに耽る彼女に、どうしたのかと尋ねたのは彼の方だったのだが。

「ねぇ、アイ。ボクの宝玉……アイに渡せないのかな?」

 彼女が懐から取り出したのは、青く透き通ったガラス片のようなそれと、中に小さく炎の揺らめきが透かして見えるそれ。彼らが最初に獲得した二つの宝玉、水と火の宝玉だった。そして、それは今では、メイだけが持ち、アイヴォリーは持たない宝玉だった。
 その様子を見て、珍しくアイヴォリーが顰め面になった。前回の宝玉に関する、二人の間での些細な諍いは、それでも彼の心の中から消え去った訳ではない。それは、結果的には彼女との繋がりをより深くする結果になったものの、あの時に自分が吐き捨てるように言った言葉が、メイのことを理解していなかったが故に──それは、彼が自分に言い訳をするならば、あまりの事態に彼が多少なりとも動転していたということだったのだが──彼女を傷つけるという結果を引き起こし、それでも彼女が未だに傍にいてくれるというコトに対して、引け目とでもいうものを感じていたからだ。その小さな傷は、指先に刺さった刺のように、小さいが故に、未だにアイヴォリーにその時のことを忘れさせず、時折痛んで彼を刺激していたのだった。

「言ったダロ。宝玉は闘わなキャ、その所有者は変えられねェ。……見てみな?」

 メイの取り出していた宝玉を、アイヴォリーは神速の指先で彼女の手から掠め取った。盗賊として長い時間を過ごしてきたアイヴォリーにとっては、この程度のことは造作もない。だが、一瞬の後にアイヴォリーの手の平に現れた二つの宝玉は、まるで嫌がるようにしてアイヴォリーの手から浮き上がり、本来の所有者であるメイの手元へと勝手に戻った。

「コイツらは、自分の持ち主がダレか、シッカリ分かってやがる。その刷り込まれた記憶をヒックリ返すニャ、闘って奪い取るしかねェんだよ。」

 それだけを言うと、アイヴォリーは自嘲の笑みを浮かべた。その笑みは、あの、戦いによって宝玉を奪われた時のことに対してなのか、もしくはその後の、彼がメイに向かって叩きつけた心ない言葉に対してだったのか。それは彼自身もよく分かっていなかった。ただ、自分の不甲斐無さに対して自然と嫌な笑みを浮かべてしまっただけのことだ。

「人狩りも、人狩りさんを狩るのも、勝敗以前に何だか気が引けるよ……。」

 そう、アイヴォリーに残された手段は、その二つしかない。アイヴォリーが幾度となく自問自答した、その二つの選択肢以外には、手段はないのだった。
 アイヴォリーは、自分が人狩りを宝玉のために狙うと言えば、彼女も一緒に闘ってくれるということを、計算ずくの上で考えていた。たとえそれが、人狩り相手ではなく、宝玉を持つ弱い探索者相手であってもそれは同じだろうと考えていた。そう、自らの流儀に反することであっても、笑顔で自分と行動を共にしてくれるだろうと。だがそれが、彼女の微笑みの裏で大きな葛藤を引き起こすであろうことも、当然分かっていた。だからこそ、アイヴォリーはそれしか選択肢がないにも拘らず、未だにそれを実行に移していなかったのだから。

「でも、方法はソレしかねェんだよ。」

 アイヴォリーは、自分には手段がないということを、平然と言ってのけた。盗賊とは、技術もさることながら、幸運に大きく支配されている商売である。自分が“ツイてない”ことを認めることは、自分が生きていくためには絶対に必要なものだった。それが出来ない盗賊は、幸運の女神が他所を向いている間に失敗する。だから、それを認めることに対しては、自分に対していくらでも冷静に、そして冷徹になれるようになっていた。だから自嘲の笑みを浮かべることも出来た。
 だが、その自分の笑みを打ち消すようにして、アイヴォリーはいつもの捻くれた、だが優しい笑みをその瞳に浮かべてメイの顔を覗きこむ。そのまま人差し指を振って、いつもの気障な、否定を意味する仕草をすると、冗談めかした口調でアイヴォリーは彼女に語りかけた。

「そうさなァ、西に行きてェなら、ハルゼイのにーちゃん辺りに同行を頼んでヤッてもイイぜ?
 コレからヒマがデキるみてェなコトも言ってたしなァ。」

 西の島に渡る。それは、この島にやってきて、宝玉を全て集めることを目的にする探索者ならば避けて通れない道だ。そして、アイヴォリーには数少ない方法でしか達成出来ない遠い道だ。それならば、彼女が望むのならば、メイをしっかりと護ってくれる人間に彼女を託すのも良い。ハルゼイならばそれを成し遂げてくれるだろう、アイヴォリーはそう考えていた。
 それを聞いたメイは、大きく目を見張った。ぶんぶんと、アイヴォリーが驚くほどの勢いで首を横に振りながら、僅かに怒った表情でアイヴォリーを見やる。

「いいよ、アイ。いまさらそんな気を遣わなくても。
 宝玉は、そりゃあ、西に渡りたかったって言うのは本音だけど……やっぱりどうしようもないのかなぁって思っただけ。」

 それから、ふう、と小さく溜め息を吐いた彼女は、アイヴォリーの口調を真似して仕方ねェな、と呟いた。彼女の容姿と口調のあまりのギャップと、同時にその口真似が全く似ていなかったことで、思わずアイヴォリーが素直な笑みを溢す。それから自分も微笑んで、メイはアイヴォリーの右肩──彼女の“指定席”──に飛び乗ると、僅かに自分よりも下にある、間近なアイヴォリーの顔を見つめて言った。

「ボクはずっと、終わるまでアイの傍に居ると思う。
 ただ、取り戻すことが可能なら、出来たらいいなぁって思ったの。
 ごめんね、変な話して?」

 微笑みと、泣き顔がないまぜになったような、そんな困った表情でメイは微かにうつむいた。いつもの笑みに戻ったアイヴォリーが、そんな彼女の髪を、いつものようにして人差し指でかき混ぜる。

「イイさ、気にすんな。」

 アイヴォリーは、彼女の気遣いを素直に嬉しく感じている自分を見つけて、表には出さずに驚いていた。いつもならば、また彼女にそうやって気を遣わせたことで自分を責めるのだ。だが、今は素直に、彼女の気持ちが嬉しいと、アイヴォリーにはそう感じられた。
 アイヴォリーに頭をかき回されてぐちゃぐちゃになってしまった髪を直しながら、メイがいつもの笑みを浮かべる。いつもの、天真爛漫な笑みを。

「ずっと一緒にいるって、そう言ったじゃない?
 ……ずっと一緒にいてくれるって、そう言ってくれたじゃない。」

 小さな姫君の、小さな囁き。彼女の眩しい微笑み。今のアイヴォリーには、それだけで充分だった。

八十六日目:朝
「はァ、駄石がねェ……。」

 アイヴォリーはどう答えて良いものか分からずにそう呟いた。駄石とは、要するにあまり使用する目的もないような、どこにでも転がっている石だ。

「うん、幾らでも出てくるみたい……。」

 不思議そうな表情で、そしてなぜか真剣な面持ちでメイは答えた。それから、件の袋の中を興味深げに覗き込む。だが、そうやって覗いてみても中には何か入っているようには見えない。そう、出てくるはずの──実際に出てくるのだが──駄石すらも、その袋の中には見当たらなかった。
 その袋は、一見どこにでもありそうなザック程度の皮袋だ。唯一ザックと違うのは、その袋の正面に赤と白の派手な文字で「福」と書かれていることだろうか。

「うゥむ、駄石が出てきてもねェ……他のモンは出てこねェのかよ?」

 試しにアイヴォリーが、そのザックに片手を突っ込んで中を探る。始めは中に何かある様子もなかったのだが、袋の中を探っている内にアイヴォリーの指先に何かがこつりと触れた。アイヴォリーはそれを掴んで袋から手を引き出す。
 そうして、また何の役にも立ちそうにない小石がひとつ増えた。それを試すすがめつしながら、アイヴォリーは困ったように呟いた。

「まァ……カマド作るのニャ、苦労しねェで済むケドな……。」

 確かに、いちいちキャンプを移動するたびに、竈を作るために適当な石を見繕ってくる手間は省けるかも知れない。だが、これでは装備品はおろか、何かの付加にさえ使えそうになかった。

「ソイツ、重くねェのか?」

 アイヴォリーが不思議そうに──普段は何も入っていないのだから、その質問の方がよっぽど不思議かも知れないが──メイに尋ねる。聞かれたメイも不思議そうな表情で頷いた。

「うん、何も入ってないかばんくらいの重さなんだけど……。」

『う~む。』

 二人して、二人の真ん中に置いた袋を見据えて首を捻る。二人は真剣なのだが、明らかに滑稽としか言いようがない、そんな様子ではある。

「あっ!」

 メイが何かを思いついたようにして、大きな声を上げた。それから目をきらきらと輝かせながら、何かの曲に合わせて突然歌いだす。

「ぽっけっとのなっかには、ビスケットがひっとっつ♪」

 スラムで育ったアイヴォリーは知る由もないが、要するに童謡のひとつだ。ポケットを叩けば叩くほど、ビスケットの数が増えていくというそんな内容だった。

「イカにもメイのスキそうな歌だねェ……。」

 思わず苦笑したアイヴォリーはそんな感想を漏らした。む~、とうなって上目遣いでアイヴォリーを睨むメイ。

「だってだって、ビスケットがどんどん出てくるんだったら素敵じゃない?」

 ソリャ割れてるだけじゃねェのか、と至極大人の嫌な意見を口にしそうになったアイヴォリーは慌てて口を噤んだ。まぁ確かに、望んだものをいくらでも出してくれる魔法の品もあるくらいだ、ビスケットが出てきても何の不思議もないのかもしれない。それに、現にこうして石は出てきているのだ。ビスケットが出てきても状況的にはおかしくない。ついでに言えば、ビスケットが出てくれたら今後食料に困ることもないかも知れないし、さらにはメイにクッキーだのケーキだのを延々とせがまれる状況も脱出できるかも知れない。
 そんな様々な想像がアイヴォリーの脳裏を過ぎり、最終的にアイヴォリーは満足げに頷いた。よく分からないが、自分の好都合と不都合を天秤にかけて、ビスケットが出てくるならばそれに越したことはない、と結論が出たらしい。アイヴォリーはにこやかに頷くと、メイを促した。

「うん、そうだな。ヤッてみな?」

 非常に自分勝手な理由から、良く分からない結論を導き出して他人事のようにメイを促すアイヴォリー。いつもながら現金な性格ではある。

「うん、じゃあアイも一緒に歌ってね?」

「ゲッ、オレも歌うのかよ……。」

 そのメイの純粋な要請に、明らかに嫌そうにアイヴォリーが顔を顰める。まぁいい年をした大の男がお遊戯よろしく楽しげに歌うのは、傍目から見てもあまり美しいものではない。だが、メイはそんなことは当たり前だと言わんばかりに、平然と彼のプライドを守る術を打ち砕いた。

「当然でしょ?
 みんなで歌わないと出て来ないんだから~。
 ほらっ、ぽっけっとのなっかには♪」

「ポケットの中には……。」

 明らかに嫌そうに、念仏でも唱えるような調子でブツブツと呟きながらも、一応彼女に従って歌詞を口ずさむアイヴォリー。

「ビスケットがひっとっつ♪」

 妙に嬉しそうなメイと、妙に苦しそうなアイヴォリーの、二人の歌声に合わせて、メイが袋を叩くとその中に手を差し入れた。それから彼女は、ゆっくりと、何かを握って手を引き出す。
 そうして、また竈を作るくらいにしか役に立たない小石がひとつ、その数を増したのだった。

八十六日目:昼
「星が降るのが……止んだ?」

 アイヴォリーは独り空を見上げて呟いた。つい数日前に、シェルから聞かされていた星の“襲撃”。それは青天井になったこの風の遺跡からも確認できる現象だった。ただ、遺跡を破壊してしまうことを恐れるかのようにして、星たちは遺跡には落ちてはこなかった。
 だが、昨日の夜のそれは、根本的に違っていた。いや、正確に言えば、それは普段通りに戻っただけに過ぎないのだが。しかしアイヴォリーは、その星空に違和感を感じずにはいられなかった。あれだけ苛烈な“攻撃”を加えたのだ、今更その手を緩めるなどというのは不自然だった。

「もしくは……選んでヤがるのか?」

 それは、アイヴォリーが考えて口に出したことではなく、無意識の呟きだ。逆に、彼ら──星たちと呼んで良いのかどうかすら定かではないのだが──がここで“攻撃”を止めたということは、つまり彼らが、元々その“攻撃”によって島にいる探索者たちを完全に滅ぼすつもりではなかったということだ。

つまり、追い込まれてるッつーコトか。

 アイヴォリーが想像していたように、今や島の中で安全と言えるのは遺跡の中だけにほぼ限定されていた。島の表面の大部分は星たちによって焼き払われ、恵みのない荒野と化していた。そこで生活し得ないのであれば、探索者たちは日々の糧を確保できる場所──遺跡の中──に移動せざるを得ない。行動可能な範囲が減れば、それだけ人口の密度は上がり、生き残れる者が限定されてくる。彼らの本当の目的は、「全てを滅ぼす」ことではなく、「淘汰する」ことだったのかも知れないのだ。それであれば、充分に彼らは目的を達成したと言える。

「後は……マダこッからナンか起こるか、だケドな……。」

 つまり、これは単なる第一段階だったという発想だ。こうやって探索者を追い込んでおいて、さらに集まったところに何かしらの“攻撃”がないとも限らない。

その場合は……アブねェのは安全そうに見えるトコ、か……。

 そういう意味では、人の集まるところは危険だ。そして、彼らが今から向かおうとしている場所はそういう場所だった。昨日干上がった水路は、またすぐに沈んでしまうだろう。そうなれば、この狭い閉鎖空間の中で、逃げる場所さえも限定された状態で、数多くの探索者の中から生き残らなければならなくなる。それは非常に分の悪い賭けだった。

「まァ……ヤるしかねェか。」

 ぽつりと呟くアイヴォリー。そう、もう彼らは水路を越えてしまったのだ。ここから先、再び戻る道が現れるまではどうやってもこの狭い場所の中で生き残らねばならない。
 幸いにして、アイヴォリーからしてみれば隠れるところはいくらでもあり、そして遺跡の薄暗いこの状況は、闇を見通す目を持った自分にとっては有利な状況だと言えた。隠密に長けたアイヴォリーと、そして体躯の小さなメイの二人ならば、どうにか隠れ通すこともできるだろう。
 あの時のように、最強に近くなくても良い。ただ、大切な、護るべきものを護れれば。
 薄闇を通して、この区画の一番奥にある、発光体が現れるという小さな森が見える。もうそれは目の前に迫っており、引き返すことはできなかった。

「大丈夫さ、メイと二人なら。」

 自分に言い聞かせるように呟いて、アイヴォリーはキャンプの準備に戻った。いつまで続くのか、そしていつ終わるのか。そんなことはアイヴォリーには知る由もない。ただ、最後の時まで彼女を護り続けることができればそれで良い。アイヴォリーは自らの為すべきことをもう一度噛み締めるようにして、彼女に近づくものを薙ぎ払うための自らの技を、彼らの拠点の周囲に黙々と張り巡らせていった。

八十六日目:夜
「よっこらしょ。」

「今は特に報告することはない。全て順調に進んでいるよ。」

 自らの天幕に入り込んだ侵入者を振り返ることすらせずに、その赤いローブの男は言った。明らかに邪魔者扱いされた、二色の翼を持つ対立せぬ矛盾は、それを気にした様子もなく、自らが持ち込んだ空色の旅行鞄をどっかりと地面に置き、近くにあった椅子を引き寄せる。

「第一、用がない時にはわざわざ来なくて良いと言っておいた……あぁ、その椅子は止めた方が良い。まだ構成が安定していないから。」

 しかし既に腰を下ろそうとしていたシェルには、忠告は遅すぎるものだった。その美しい少年が腰を下ろすと同時に、椅子の周囲の空間が捩れたように椅子がぐにゃりと歪み、僅かの後には、地面に尻餅を付いたシェルと、壁か何かに叩きつけて壊したかのように完膚なきまでに破壊さればらばらになった、椅子だったものが散らばっていた。

「いてて……もう、そういうのは先に言ってよね。」

 ローブの裾を叩きながらシェルが起き上がる。それを気にすることもなく、緋色の男は椅子の残骸を見て独り言を呟いた。

「ふむ……構成が破壊されたために元の世界観に引きずり戻されたのか。本来ならば存在の否定が生じて世界観との反発で跡形も残らないはずなのに……やはりここの魔術構成は他とは少し違っているね。」

「要するに君が壊したんでしょ?」

 シェルの鋭い指摘にも、その乱れた黒髪の下から一瞥を投げかけただけで、彼は動揺した様子もなく平然と居直って見せた。口元には笑みすら浮かんでいる。

「さっき思わず“これでも食らえ!”を叩き込んでしまってね。あの世界の魔法はうっかり口走ると発動するから危険だな。今はもう発動リストから外しておいたけれど。
 で、その後魔筆を使って椅子の世界軸だけをずらしたんだけどね。安定する前に君がこの世界の軸にそのかわいそうな椅子を引き戻してしまった、という訳だ。」

 珍しく饒舌な運命の調律者のその解説を、対立せぬ矛盾は聞くともなしに聞き流しながら他の椅子を探していた。お互いに相手の話を余り聞かず、二人は似たところがあった。それもそのはずだろう、彼らは同じ“本体”を持つものなのだから。

「それで、何の用だい?」

 新しい椅子を引きずり出して腰掛けたシェルに、R,E.D.が問いかけた。普段用がなければ、彼からシェルを呼び出すことは滅多にない。自分の力場である書斎の管理を任せており、その方が自分の些細な用事よりも重要だからだ。そして、シェルの方からここを訪れるということは、前回の訪問がそうであったように、最重要機密に属する部類の連絡でしかありえない。蓬髪の向こうで、何かを予感してその真紅の邪眼が細められた。

「はい、これ。」

 天使かと見紛うばかりの、その繊細な顔の少年が差し出したのは、その風貌に似合いすぎるほどよく似合った、古びた羊皮紙に、古風な文体で書かれた手紙だった。それを受け取って簡単に目を通した運命の調律者から、珍しく舌打ちが漏れた。

「仕方ない、彼に伝えてこよう。」

 それだけを、答えとしてシェルに投げかけると、緋色のローブを揺らして彼は立ち上がり、天幕の入り口へと向かった。そして、その入り口にかけられた垂れ布を持ち上げて、ふと思い出したように二色の翼を振り返る。

「書斎に置いたリッチ、あれはどうにかならないのか。僕がアクセスするたびに認証を要求されるのは不便だ。僕のコードは通過するようにカスタマイズしておいてくれ。そうだ、ついでに、システムに使っているメモリを、リモートアクセス用に1ギガほど解放してくれないか。その作業テーブルではサイズが小さすぎる。」

 緋色の男は、天幕の中に置かれた小振りな書き物机を差して言った。要するに、あれでは小さいからもっと大きなサイズに変えておけ、ということらしい。

「う~、めんどくさいなぁ。リッチは構成が古いから、コード書き換えるの手間かかるんだよね……。」

 あからさまに顔を顰めたシェルを天幕に残し、R,E.D.は自らの天幕を後にした。そのまま自らの足で、かつて傭兵たちを束ねたドワーフの英雄がいる、別働隊の宿営地へと足を向ける。

「ヤレヤレ……仕方ないな。“空白の記憶”は元の教会に送り返させるとしても……そうか、島もそろそろ終わりか。」

 その、彼の言う“島”で生活する、白い盗賊と同じ口癖で呟くと、彼は小さく溜め息を吐いた。島が終焉を迎えるその前に、部隊にいる“軍曹”ことジンク=クロライドにひと働きしてもらわねばならない。それは過酷な任務であり、同時に、心を持たぬかのように人の運命を冷徹に書き換える彼にとっても胸の痛む“踏み絵”だった。

「おやっさん……もう、時間が残されていないんだ……。」

 その任務を遂行すると同時に、あの白い風を次にどこへ飛ばすのか、それも考えておかねばならない。一度に複数の世界が終焉を迎えているせいで、彼には考えなければならないことが多すぎた。

「まぁ……少しの間、ここはシェルに任せるしかないかな……。」

 不安もあるが仕方がない。幸い同じ“本体”から分かれたものだ、能力の書き換えを行えば、今の彼の程度の役割は果たせることだろう。自分はその間に書斎へ戻り、彼を転送するための様々な準備に取り掛からなければならない。何しろ、島は今この時にも刻々と終焉へと向かっているのだ。余り悠長に構えているほどの時間は残されてはいなかった。

「仕方ない、動き始めるしか、ないんだよね?」

 空を見上げ、誰かに──彼とひと時の、彼にとっては唯一幸福だった時間を共に過ごした、その存在へと──問いかけると、彼は自分に言い聞かせた。
 傭兵の長の旗印の下、四つの天幕が並ぶその中で、周囲の自然に偽装しやすいように暗い緑に染められた、その天幕へと彼は歩き始めた。

八十七日目:朝
「お~、やっと来やがった。」

 適当な石の上に腰掛け、遠くを目を細めるようにして眺めていたアイヴォリーがそう呟いた。そのはるか向こうには、数人の団体が見える。彼らはグループで行動しているようだ。その集団が徐々にこちらへと近づいてくるのを確認して、アイヴォリーは独り、微妙な笑みを浮かべている。その笑みは、いつものそれとは違った、ある種酷薄な、皮肉なそれだった。
 集団が近づいてくるに連れて、一人一人の風貌が何とか見分けられるようになっていく。その中の一人に、背の低い黒い影を見つけて、アイヴォリーの笑みが一際、深くなった。

   +   +   +   


「おゥ、やっと来やがったな。待ちクタビレたぜ?」

 ファルやホリィたち、サトムの仲間の面々は、幾度か見かけたその白い外套を纏った盗賊の視線と言葉が、ウィンドミルである黒い影のような少年、サトムに向けられていることを見て取った。

「やぁ、アイヴォリーさん。そう言えば近くにいたんでしたね。」

 サトムたちもまた、同じように風の遺跡の中の、水路に隔てられた一角にいたのだ。彼らに限らず、この奥にいる発光体から得られる能力上昇の恩恵を求めてこの区画を目指す探索者は少なくない。こうして出会うのも不思議ではないはずだった。
 しかし、アイヴォリーは、サトムに対し“待ちくたびれた”と言った。それはつまり、この邂逅が偶然のもたらしたものではなく、この白い盗賊が仕組んだものだということだった。それに気付いたサトムが、アイヴォリーの普段とは違った雰囲気に、僅かに身を固くした、その時だった。

「悪ィケド、ギャラリーの皆さんニャもうちょっとばかし下がってもらおうかねェ?」

 アイヴォリーが無造作に、ケープの影から背後へと小振りのナイフを投げた。はるか遠くで、金属音とともにナイフが壁に当たって落ちる音が響き、同時に“網”がサトムと仲間たちを隔てた。
 黒く塗られた、金属の糸で編みこまれたそれは、まさに“網”だった。一瞬にして現れたそれは、壁から壁まで蜘蛛の巣のようにして廊下を塞ぎ、そこを通り抜けることが出来ない状態へと仕立て上げた。細く、刃のような鋭利な鋼線と、もっとしっかりとした太いワイヤーが交互に編みこまれ、細い鋼線を太いワイヤーが支えるようにして、その危ういバランスでそれは立ちはだかっていた。

「何の真似です、アイヴォリーさん?」

 僅かにその網の方へと、サトムが後退る。影から作り出した無形のナイフを使えば、一瞬にして人間の通る隙間くらいは確保できるはずだ。アイヴォリーの異変よりも、今はこの“敵らしい”障害を如何にして排除するか、サトムの神経はそこに向けられている。後ろ手で影のナイフを作り出し、サトムがその“蜘蛛の巣”にそれを放とうとした瞬間、アイヴォリーが薄く笑った。

「オイオイ、ソイツを切っちまったら、どうアバレるかオレにも予想はつかねェぜ?」

 ぎりぎりの張力を維持しながら大きな網を作るために、太いワイヤーでその支えを作る。張り巡らされたどこかのバランスが崩れれば、細い鋼線は鎌鼬の如く辺りを蹂躙する。今まででアイヴォリーが作り出した最大の“蜘蛛の巣”だった。思わず手を止めて影のナイフを消したサトムに、薄く冷たい笑みを浮かべたままで、アイヴォリーは静かに言った。

「“生きる”ッつーコトの意味は見つかったか?
 生きる目的がねェんなら、今すぐ表の連中みてェに、ヤメちまえ。そうすリャ、“光”だけが残って天幕の連中は大ヨロコビだろうさね。
 ……“光”と比べて消えるくレェなら、今ココで、オレが終わらせてヤるよ。」

 アイヴォリーが、その酷薄な笑みを唐突に消して──突然低い体勢で走り込んできた。弾かれたように自らの獲物を抜き放つサトム。彼の意志に応じて、彼の仲間が鍛え上げたその業物が薄暗い遺跡の中で虹色の軌跡を残す。

「遅いですよ!」

 叫びながらアイヴォリーの進路を阻むために、影のナイフを呼び出したサトムの視界から、アイヴォリーの姿が揺らめき、消えた。エルフの穏身の粋を凝らした、彼の光学迷彩は、遺跡の背景に合わせて絶妙に調整されていたのだ。

「サトム、上だ!」

 目ざといファルの助言に、咄嗟に上を振り向いたサトムの目が、自分に向かって降ってくるアイヴォリーを捉えた。空中から落ちてくるアイヴォリーは絶大な隙なのだが、見上げた時にはもうナイフを準備する余裕はなかった。衝撃とともにアイヴォリーの足が腕に絡みつき、そのまま落下の速度と彼の体重によってサトムは地面に引き倒される。

「確かにオレより早ェのは認めてヤるが、不意打ちニャ気をつけろよ?」

 二人で倒れた瞬間、耳元でアイヴォリーが囁いたその言葉の意味をサトムが理解する前に、アイヴォリーの右手が絡め取られたサトムの左腕を掠った。

「シロガネの一撃ッ!」

 手の平に石化毒を塗り込むようにして、ダガーが一文字に傷をつける。傷口から血が流れるよりも早く、手の平が強張っていくのを感じてサトムは必死に空いた右手を振り上げた。

「影のナイフ!」

 振り上げた右手から空中へと影が拡散し、それが複数のダガーの形状を取る。投げ上げられたようなその影たちは、サトムの意志に応じてその切っ先をサトムとアイヴォリーに向けた。

「これなら!」

 サトムが叫び、空中に停滞していた黒い影が一斉に二人に降り注ぐ。慌ててアイヴォリーはサトムの腕を解放して後ろへ転がった。サトムに当たった影のナイフは、それがサトムから生み出されたものであるが故に彼を傷つけない。ただ火に当たった淡雪のように溶け、彼に再び吸収される。対して転がって離れたアイヴォリーは、避け切れなかった刃にケープを幾ヶ所か裂かれ、頬にも浅い傷を負っていた。すぐに跳ね起きたサトムは、頬を拭いながら起き上がろうとするアイヴォリーに向かって走り込む。徐々に広がっていく左手の石化毒が、完全に自分の行動を阻害する前に決着をつけなければ勝機はない。

「この速さ……見切ってみろ!」

 サトムが放った連撃を、地面を蹴って避けるアイヴォリー。だが、その隙のない攻撃はアイヴォリーの避けた先へと追い縋る。

「まだまだ!」

 さらに加えられた連撃を何とか身体を捻って躱し、左のダガーを構えた状態で後退するアイヴォリー。さらに三連撃を加え、サトムは徐々にアイヴォリーの防御を崩していく。それは大陸でアイヴォリーが名を馳せていた時の、澱みなく延々と続く連撃──右と左の鎌鼬、アイヴォリーはその技をそう呼んでいた──に勝るとも劣らないものだった。
 連撃によって体勢を徐々に崩されたアイヴォリーが、後ろへと下がるときに不意に姿勢を崩し背後へと倒れこんだ。

「もらった!……永遠の蒼!!」

 サトムのダガーである“彩剣”が、サトムの魔力に呼応して冷たい青にその色を変える。魔力を込めた必殺の一撃を、サトムは無防備なアイヴォリーに叩き込もうと踏み出した。

「……悪ィ、ソコ、ワナナンだわ。」

 サトムの踏み出した足元を中心にして、噴き上がるように黒煙がサトムを包んだ。同時に、その黒煙の中でサトムの意識が遠のいた。

「これは……武器に使われている気絶毒……?」

 徐々に晴れる黒煙の向こうで、アイヴォリーがいつもの人を食った笑みを浮かべているのを見たところで、サトムの意識が途絶えた。

   +   +   +   


「オイ、あァ、ちっとヤリスギたかねェ……シッカリしな?」

 びしびしと容赦なく頬を叩かれ、サトムの意識が僅かに覚醒する。戻ってきた視界の中で、アイヴォリーを含めて仲間たち全員が自分を覗き込んでいるのが見えた。

「イヤァ、悪ィ。ちょっと新しい技を試してみたくてな……。」

 ニヤリと笑みを浮かべ、アイヴォリーは悪びれた様子もなくそう言ってのけた。とりあえずサトムが意識を取り戻したので安心したらしい。

「目的は……続いていくものです。ひとつを越えれば、また次の目的があって……。」

 まだ朦朧とする意識の中で、アイヴォリーに言おうと思っていたことをサトムは口にした。それを聞いて、アイヴォリーの笑みが深くなった。

「あァ、ソレが生きるってコトさね。ソレの繰り返しが、な。」

 そう言うと、まだ覚醒しきっていないサトムの頭を無常にも放り出し、アイヴォリーは立ち上がった。持ち上げられていた頭を急に放り出され、床に頭をぶつけたサトムの意識が再び遠くなりかけた。

「ソイツが分かってるなら、ドコでだって生きていけるだろうさね。もう、オレの教えるコトはホントにねェよ。」

 独り言を呟くように言って、アイヴォリーはサトムたちに背を向ける。もう彼は大丈夫だという確信がアイヴォリーにはあった。足早に自らのキャンプへと戻りながら、苦笑してアイヴォリーは独り、少しだけ寂しそうに呟いた。

「ヤレヤレ、しかし速くなったモンだねェ……マジでヤラレるかと思ったぜ。」

 だが、その呟きは寂しさとともに、充実感をも伴った、そんな呟きだった。

八十七日目:昼
「ヤレヤレ……人狩り連中も律儀なコトだぜ。ワザワザこんな不便なトコで集まらなくたってイイだろうにねェ……。」

 アイヴォリーは森の中で、木の影に見を隠しながらそう呟いた。辺りには数組の人狩りを含むかなり多くの探索者がいるらしい。それらは大概は、この発光体目当てで来ている者たちだった。そして、アイヴォリーたちもその例に漏れず、その発光体を倒すためにここまで来ていた。

「メイ、あんまりサワぐなよ。余計な連中の注意は引きたくねェ。」

 横目で肩に乗った小さな妖精にそう話しかけ、アイヴォリーは静かに木の影を縫うようにして森の中央へと進んでいく。この小さな森の中心部に発光体はいるらしい。

「しかしまァ、ドコまでヤレるかねェ。」

 空を仰いで、木々の隙間から星を眺めたアイヴォリーは小さく溜め息を吐いた。昨日会ったルミィの話によると、地上では星たちの襲撃によって脱落者がかなりの数で出ているらしい。その多くは島に来てまだ日の浅い探索者たちだということだった。確かに、それも無理もない。島で生きる方法──それは島の理とも言える──を身につける前に、あのような手荒な洗礼があったのでは、それを受ける方はたまったものではないだろう。それでなくても、もうすぐ島が沈もうとしているのだ。探索を早めに切り上げて島から脱出する方が賢い選択だと言えた。

「大丈夫だよ、アイ。ボクたち二人なら、きっとやれる。」

 アイヴォリーの呟きに、メイがしっかりとした声で答えた。それに対して無言で頷き、アイヴォリーは小さく彼女に微笑みかけた。

そう、メイと二人なら大丈夫さ。

 いつだってそうやって乗り切ってきた。獣に負けたときも、人狩りから命からがら逃げ出したときも。いつだって二人で乗り越えてきた。
 今日辺り、また星たちが何かを仕掛けてくるのかも知れない。だが、まずは目の前にある、自分たちの目的が先だ。

「行くぜ、メイ。」

 アイヴォリーは、目の前に迫った森の中心部へと、静かに歩を進めていった。自分たち二人であれば大丈夫だ、そんな確信を胸に秘めて。

八十七日目:夜
 エリィは差し込む朝日に目蓋を焼かれ、ゆっくりと目を開けた。見慣れた古い教会の簡素な石組みの天井が、徐々に光に慣れた目に映る。一瞬、自分の体験してきたことは全て夢だったのではないかという錯覚に囚われそうになって、エリィは壁に視線を移した。
 そこには、昨日の夕方に彼女の結界であるこの教会へと戻ってきて丁寧にハンガーヘかけておいた、炎を意匠した純白のドレスがかかっていた。それを見て、半ば安堵したように、半ば寂寥感に囚われたように、エリィは目を細めて溜め息を吐く。煌くような朝日の中でも、その純白の衣装は燦然と輝いていた。

「このような形で、此処に戻ってくることになろうとはな……。」

 自分の吐息は、誰にも答えられることはなく、ただ壁で反射してエリィの心をさらに寂れされただけだった。そう、いつも答えてくれていた、この美しいドレスの送り主はもう彼女の傍らにはいなかった。ここは彼女の師が命を賭して創り上げた、外界のものの侵入を拒む、絶対的な結界だった。この世界で生まれ育ったもの以外は、どんな存在であろうともこの教会に侵入することは出来ない。唯一、その師が契約を為して結界を作らせた、二色の翼を持つ存在を除いて。その矛盾を内包する存在以外には、人も、異界に住む異形のものも、全ては侵入を許されない。

「いつか、エリィちゃんの育った教会を見てみたいな?」

 ここは、あの強く、澄んだ青い瞳でそう言った、エリィの友人である魔術師でさえも、侵入できないところなのだ。だが、それ故にこの教会は天幕の脅威からもエリィを守る強固な城となっていた。この教会には、この世界で生まれ育った──例えば、あの白き風のように──存在でなければ、足を踏み入れることも許されないのだ。彼女の唯一の友人であるあの青い魔術師がそう言った時、エリィはいつものように無表情で言ったものだ。

「あのようなところ、何も残ってはいない。ただ生活のための道具と、名も無き忘れられた神が祀られているだけだ。」

 だが、そう言った彼女の頬には、誰にも悟られぬほど僅かに、だが確かに、緊張が漂っていた。それ自体は嘘ではない。エリィは信仰云々という以前に嘘を吐くような性格ではなかった。だが、彼女の、唯一の友人であるあの魔術師のそのささやかな希みを叶えることは、エリィにも、その神にも永久に出来ないことだった。
 エリィは身を起こし、簡単に身繕いをすると庭へと出た。司祭といっても、この世界で信仰者の極少ない彼女の宗教にあっては、このような辺境の教会に置かれるのは司祭一人とその家族だけである。生活のための全ての雑事は自分でこなさなければならない。たまに巡礼の途中の信仰者が立ち寄る程度で、その他には訪れる者すらない。街の中にあって、だがその教会は明らかに街に溶け込まずに異彩を放っていた。
 庭にある井戸から水を汲み、それで顔を洗う。冬の朝の井戸水は、はっとするほどに冷たかった。桶に映った空と、その手前の自分の顔を見てエリィはあの世界の最後を思い出していた。

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「ではこのままで良いから私の話を聞いていただきたい。
 聞いた後に、私を倒すなり何なり決めればよろしいでしょう。」

 アッシュという銃を使う神官と知人だと言った男、そしてあの白い風の友人だと語った男ハルゼイは、彼女にそう前置いてから全ての状況を、まるで報告でもするかのようにして語った。自分が今、アイヴォリー──彼女にとっては涼風という通り名の暗殺者──と同じ島にいるということ。自分の部下が、とある事件から天幕にその身柄を置いているということ。自分はその部下を取り戻すべく、散らばってしまった過去の戦友たちの居所を探していること。
 そして、彼はここにやってきたその経緯も彼女達に語って聞かせた。“宝玉”と呼ばれる無限の力を内包する宝石。その力を使って開発した転移装置。この世界軸を調べるために、アイヴォリーがシェルを呼び出し、その記録を解析したこと。全ては繋がっていた。

「そう、か……。」

 エリィは独りごちて呟くと、白き風の傍にいるという、小さな妖精の姿を思い描く。きっと二人はお似合いだろう。いつでも苦笑を浮かべる分からず屋のおどけた盗賊と、煌く羽翅を羽ばたかせる天真爛漫な少女。そう、それはありふれた、しかしずっと言い伝えられてゆくサーガの一遍のように絵になっていた。

「もう、気が利かないんだから!」

 隣で雫が怒っている。そのメイリーという少女とあの白き風が、永遠の約束を交わしたということまで喋ってくれたハルゼイに腹を立てているらしい。乙女心が分からないという奴だ。苦笑すると、エリィは吐息を吐いてハルゼイを見つめた。

「貴君、その装置は、あの矛盾を内包する存在が訪れたところならば、何処へでも行けるのだな?」

「ええ、恐らくは……いえ、私がここにいるのです、必ず。」

 その化学屋の、自信に満ちた瞳の色を見て、エリィは決意した。荷物を全て開け、この世界に由来するものを全て雫に押し付ける。だが、最後に自らが身に着けているドレスをどうするか、少し迷った後に、エリィは柔らかく微笑んで雫に言った。

「これは……記念に貰っていっても良いか?」

「エリィちゃん?」

 雫は、恐らくは状況が理解できていないのだろう、それでもエリィの決然とした表情を見て唇を一文字に結んだ。

「行くのね?」

「あぁ、パーティは終わりだ。
 この男が此処を訪れたことによって、最早此処は安全ではない。良いか、もしも私のことを尋ねる輩が現れたら、そんな女は知らないと言え。」

 いつか、ドレスを彼女から貰ったときと同じ台詞を無意識に口にして、エリィはハルゼイに向き直った。彼女は顎でハルゼイを促すと、有無を言わせず転送装置のある場所へと案内するように命じる。

「ですが、まだあの装置は安全とは言えませんよ?」

「此処にいるよりかは幾らか安全だ。私と彼女とでは、天幕の攻撃には耐えられぬ。」

 有無を言わさぬ調子でハルゼイを急きたて、エリィは歩き出した。そして、ふと何事かを思い出したかのように、エリィは雫を振り返った。

「短い間だったが、本当に楽しかったよ。
 全ての想いを込めて、さらばだ。」

 今まで雫が見た中で──それはエリィの人生の中でと同じ意味だったが──最高を笑みを浮かべたエリィに、雫は力一杯手を振った。

「今まで本っ当に有難う。とてもとても楽しかったよ。
……また会える日まで、元気でね。」

 その言葉に対して、エリィはいつもするようにして、軽く片手を挙げて応えた。そして、二度と振り返らずに歩いていった。

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「で、どこへ?
 ……あの“島”ですか?」

 転送装置を前にして、ハルゼイのその問いをエリィは一笑に付した。リストアップされた転送場所の一覧を見ながらひとつを指差し、彼女はハルゼイに示す。

「ふ、わざわざ邪魔をしに行く程に野暮ではないわ。私の帰るところは唯ひとつ、此処だ。」

 カプセルのような転送装置に自ら足を踏み入れ、自分で扉を閉じる。扉越しに、エリィはハルゼイに念を押した。

「しっかりと送り届けてくれよ。もう訳の分からぬ場所へ飛ばされるのは御免だ。
 ……尤も、それも悪くは無いかも知れぬがな。」

 自らの性質の悪い冗談に苦笑して、エリィは目を閉じた。一瞬の浮遊する感覚とともに、転送装置を使用するときに独特の、自らが粒子の集合体に分解されるような僅かな不快感を覚え、エリィは僅かに眉を寄せる。それは、彼女が使い慣れた、古き存在の虹の門と同じ感覚で、彼女はそのことに安堵した。

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 気付くと手に掬った水は全て流れ落ち、自らの司祭服の裾を濡らしてしまっていた。片頬に、自らを苦笑する笑みを浮かべて呆然と思いに耽っていた自分の居場所を確認する。

「ふ、感傷とは、私らしくも無い……な。」

 その語尾は、いつものエリィの言葉ほどには、自信に満ちてはいなかった。それでも、彼女は微笑みを浮かべて狭い教会の庭から、大きな冬の空を仰ぎ見る。その空は、友人と過ごした世界のあの空と同じ、澄んだ色をしていた。

八十八日目:朝
「さて、と。」

 アイヴォリーは自らのキャンプでダガーを砥いでいた。無論、辺りに警戒を緩めずに、全ての警戒用の罠が立てるかも知れない極々小さな音を聞き逃さぬように、静かにゆっくりと砥ぐので、一向に作業は進まないのだが。
 昨日のレッドクローバーという第一の発光体は、周囲の獣とさほどの差も無く、楽なくらいだった。初撃を叩き込んで石化毒で行動を阻害し、連撃でたたみかける。耐久性も大したことは無く、あっという間に戦闘は終了した。人が多いせいか、昨日は人狩りにも会わずに済んだ。無論、それなりに人を避けるような行動パターンで移動していたこともあったのだろうが。
 西の島では、宝玉を揃えた連中が島の最南端へと向かっているらしい。西の島に到達した者の前に現れた、榊という怪しげな男がそう言ったのだ、宝玉を揃えて島の南へ向かえ、と。同時に、昨日は星たちは襲撃こそなかったものの、怪しく集い光を増していた。そろそろ本当に、島の終局が近づいているのかも知れない。
 アイヴォリーは人知れず溜め息を吐いた。前の島を脱出する時には、次の行く先が決まっていた。ディンブラもサトムも、そして勿論メイも、同じように、当然のように同じ次の島へ──ここへ来た。だが、次の行く先は今のところ、全く示されていない。まだ終わってもいないのに次というのもおかしな話だが、しかし確かに終わりは来るのだ。

「メイ……。」

 前の島を出る数日前、アイヴォリーはメイに言った。どこか遠いところへ行こう、と。そしてここへ来た。

もう充分じゃねェのか?
メイはイイ加減アキアキしてるんじゃねェのか?

 そんな否定的な問い──もしくは答え──が、アイヴォリーの頭に浮かんでは沈殿していく。消えるのではなく、澱のようにして溜まっていく。たとえそれが、自分の頭だけで考えていて、メイ本人の意見には一切触れていないことが自分で分かってはいても、アイヴォリーにはその考えを打ち消すことが出来なかった。

「クソッタレ……。」

 こんなことに気を取られていては、警戒どころか戦闘が始まっても充分に自分の力を出し切れない。“思い”は“重い”であり、行動を確かに束縛するのだ。
 暗殺者であった時には、訓練の繰り返しによって全く抹殺されていた、自分の内省的な性格は、今ではアイヴォリー自身把握していた。だからこそ、道化の仮面を被ってそれを押し殺していたのだ。それは、ある時までは完璧に作用していた。そう、大切なものを手にしてしまうまでは。もしくは、傍にあるそれが、本当に自分にとって大切だと認識してしまうまでは。それは、戦闘においてはアイヴォリーの力であると同時に、巨大な枷にもなり得るものだった。

「ッ……。」

 小さく舌打ちをして砥ぎ終わったダガーを構え直し、それで近くの木に向けて狙いをつける。軽く握っているつもりのダガーの柄が、自分の汗で湿っているのが分かる。正確にダガーを投擲するときに必要な集中力と、力の入り過ぎない握り方。そのどちらもが欠けているのが自分でも分かっていた。それを認識できる程度には、アイヴォリーは動揺してはいなかったということなのかも知れないが。

「ふッ!」

 僅かに気を吐くと同時に、ダガーを近くの木に向けて投げつける。だが、予想通りにダガーは狙った木から逸れ、その後ろの木に突き立った。

「ヤレヤレ……マイッタよなァ……。」

 呟いたアイヴォリーの言葉に重なるように、くすくすと笑い声が響いた。聞き覚えのあるその声に、アイヴォリーは明らかな顰め面をする。

「いやぁ、仲良く歌ってたと思ったら、今度は一人で溜め息か?」

「て、テメェ、聞いてやがッたのか……。」

 自分の今の動揺よりも、メイと歌っていた──正確には歌わされていた、なのだが──あの恐るべき状況をディンブラに見られていたことに焦り、アイヴォリーは思わず絶句した。

「ビスケットが欲しかったのか?
 ん?アイちゃん♪」

 心底嬉しそうに、アイヴォリーの耳元に口を寄せてディンブラが囁くように耳打ちした。同時にアイヴォリーの表情が、苦しいような怒っているような、何ともいえないものに変化した。

「……忘れたな?
 もう忘れたなッ?」

「ぐぇっ……首を絞めるな……。」

 いきなり飛びかかったアイヴォリーが、ディンブラの頭をぐわしぐわしと前後に揺さぶって確認する。確認というか強要か脅迫のように見えなくもない。

「イイな、忘れたよなッ?!」

 念押しというか、駄目押しというか、最後に、既に首が後方にぐらぐらとしているディンブラをがくがくと揺さぶり、アイヴォリーはディンブラを解放した。首を擦りながら、案外何事も無かったかのように平然とした顔でディンブラがアイヴォリーを睨む。

「お前最近手加減なくなってきたんじゃないのか?」

「アリがてェコトに、ダレかさんたちのお陰サマでな。」

 明らかなジト目でアイヴォリーはディンブラの言葉を即座に切り返した。ははは、と妙に快活な、しかし乾いた笑いを上げながらディンブラが意味もなくアイヴォリーの肩を叩く。

「いやいや。まぁいいや、面白い歌を聞かせて貰ったお礼だ。これやるよ。」

 ディンブラが懐を探ると、無造作にアイヴォリーに向かって包みを投げてよこした。咄嗟に受け取ったアイヴォリーは包みを解いた。

「ほゥ、イイなコレは。」

「うちの姉貴特製の紅茶クッキー。絶品だぜ。」

 確かに、紅茶の精が作った紅茶クッキーならば申し分ない。その芳香を嗅いだ瞬間、思わずアイヴォリーは以前のことを思い出して、柄にも無く僅かに赤面した。その紅茶の香りが、同じ芳香である彼女の体臭とその時にされたことを思い出したからだ。

「アイちゃん、何一人で赤くなってんだ?
 じゃ、中良くねぃ♪」

 そのアイヴォリーの様子を鋭く見抜いたディンブラは、けらけらと笑いながら唐突に次元を切り裂き、自分の元いた場所へ帰っていった。充分堪能した、ということらしい。
 一人残されたアイヴォリーは、じっとそのクッキーを見つめていた。あの時も、自分は苦しんでいた。自分の中にある迷いや不安で、先が見えなくなっていた。そしてそんなアイヴォリーに対し、彼女は言ったのだ。約束を守る、その力が彼にはあると。

へへ、あのヤローイッツもイイタイミングで出てきやがって……。

 思わず苦笑を浮かべたアイヴォリーのその表情には、ディンブラのやってくる前にあった迷いはもうない。包みを手早くまとめると、アイヴォリーは大きな声で自分の小さな姫に呼びかけた。

「メイッ、でぃんぶ~からイイモンもらったぜ?」

 そう、きっと自分にはその力がある。行く先が見えなくなった時は、その時にまた迷えば良い。今は、今のこの島で精一杯生きるだけだ。島が沈むまでにはまだ時間がある。それまでは、出来る限りのことをやれば良い。改めて、アイヴォリーは彼の“クソッタレな友人”に感謝した。

八十八日目:昼
「アイに~ちゃ~ん。おなか空いたぉ。」

「ヘッ?」

 夕食の準備をしていたアイヴォリーは、唐突に聞き覚えのある、だが聞けるはずの無い幼い声にそう言われ、思わず間抜けな声を出した。うっかり取り落とした木製のおたまが無残にシチューへと沈んでいく。諦めて声の主を見やったアイヴォリーは、意外な──もっとも声からすれば当然そこにいるべきの──小さな人影を見つけた。

「おゥ、ルミィの嬢ちゃんじゃねェか。西の島に行くッてココ出て行ったんじゃなかったのか?」

 そう、二日ほど前に彼女は、西の島に行くと言い残してアイヴォリーたちとすれ違うような形で風の遺跡の転送装置の方へ向かっていった、はずだった。ハルゼイとアイヴォリーの会話を聞いていた彼女は、彼女の育ての親であるドワーフの英雄からの連絡が途絶えたことに不安を抱き、その理由が天幕にあると凡そながらに想像して、西の島に残る二つの宝玉を取りに行ったのだ。

「うん、流されちった。」

「な、流されちったッて、あの水路は五日おきじゃなかったかよ?」

 ハルゼイから聞いた情報によると、風の遺跡の基本的な部分とこの区画を隔てている水路は、五日ごとにしか干上がらない。つまり、流されて戻ってきてしまった彼女は五日間はこの区画から出ることが出来ないのだ。そういうアイヴォリーも、ここに入る時にはうっかりと一日分目測を誤って水路の前で右往左往したのだが、敢えてそれは今は秘めておくことにした。

「は、は、はくしっ!」

 ルミィが豪快なくしゃみをした。どうにも水路で流された時に濡れたのだろう、あまり顔色が良くない。風邪でも引いているのかもしれなかった。

……ナンとかは風邪は引かねェッつーケドな……。

 口に出せば力一杯斧で殴られそうな感想を心の中で呟いて、アイヴォリーは思案する。とりあえずまだ薬草類が残っていたはずだ。

「お~いメイ、カップとハーブの袋、持ってきてくれねェか?
 あァ、嬢ちゃんは火の傍に座ってな?」

 火の傍にいくつか置いた、まだ座りやすそうな石のひとつを指差してアイヴォリーは言った。ついでに自分がいつも羽織っている薄汚れたケープをルミィの足元に投げる。

「まァソレでもカブッてな。暖けェからよ。」

「あ、ルミィちゃん久し振り~♪」

 久し振りの来客を目にして、メイが嬉しそうな声を上げる。アイヴォリーが頼んだカップを彼の近くに置くと、彼女は机の端に腰掛けて袋を開いた。

「そうさなァ……ミントとカモミールくレェかね、効きそうなのは。後は……あァ、エキネシアの葉がマダあったろ。一掴み入れてくれ。」

「あれ入れるのね……アイ?」

 恐る恐るメイが袋を探って葉を取り出す。ミントとカモミールはともかく、最後の葉はメイには好かれていないらしい。

「人をオニみてェに言うな。一番効くんだよ。クスリのプロが言うんだからマチガイねェぜ。」

「うわ~、あったかいぉ。これ何でできてるのら?」

 アイヴォリーの光学迷彩を羽織ったルミィが歓声を上げた。元々暗殺者用の静音性に優れたケープだ。音を外に漏らさないということは、それだけ空気が逃げないということである。彼のケープは保温性には優れていた。さらに、彼のそれは森で一生を過ごすエルフの知恵が加えられている。普通のものよりも上質に作られていた。
 アイヴォリーは、メイが千切ってカップに入れた葉の上から火にかけていた薬缶から湯を注ぐ。辺りにミントとカモミールの爽やかな香りが立ち込めた。即席ハーブティといったところだ。カップをルミィに手渡すと、アイヴォリーも近くの石に腰を下ろした。

「まァ、ググッといけ。あ、アツいから気をつけるんだぜ。」

 アイヴォリーに促されて、啜るようにしてハーブティを飲むルミィ。恐る恐るその様子を見守るメイ。

「うわ~、これすっごく苦いのら。」

「ん~、リョウヤクはクチにニガシ、ッてな。全部飲めよ?」

 妙に嬉しそうなアイヴォリー。だが、はっと何かを思い出したようにして立ち上がると、彼はシチューの鍋に駆け寄った。

「おッ、おたまがッ!」

 ある種、平穏な時間ではある。

八十八日目:夜
 適当に食事を済ませ、既に辺りには暗闇が満ち、空には星が煌いている。外であれば危険な星だが、とりあえず遺跡の中にいれば安全らしい。

「わ~、うごいた~っ♪
 きゃ~!」

 向こうの方で、ルミィとメイがガーディで遊んでいる声が遠く聞こえてきた。確かに一度乗せてくれとルミィがメイに頼んでいたのをアイヴォリーは何となく思い出す。

「うわ~、すごく高いぉ~♪」

 遠くから響く歓声と火の温もりが、アイヴォリーの眠気を誘う。だが、まだ眠ってしまう訳には行かない。今日も発光体との戦いがまだ終わっていないのだ。休んで体力を温存する分には良いが、寝惚け眼ではまともな戦いが出来るはずもない。アイヴォリーは脇に置いたカップから、冷めたコーヒーを一口啜った。

   +   +   +   


「ん~、じいちゃん……」

 寝言でルミィが、彼の傭兵を呼んだ。今は天幕に組し、実働部隊として他の世界で戦っている英雄を。ルミィが跳ね除けた毛布をかけ直し、ついでに寝床からはみ出して落ちそうになっていたメイをそっと戻してやる。僅かな苦笑を浮かべながら、アイヴォリーは誰にとも無く呟いた。

「大丈夫さ、そう、明日だってきっと。爺さんも、メイも、オレも。みんな、大丈夫さね……。」

 暗闇に満ちたテントの中で、その言葉は確信をもって森の奥へと消えていった。

八十九日目:朝
「やぁ、おやっさん。調子はどうかな?」

 黒装束を纏った男たちがその場から消えると、何事も無かったかのように平然と、真紅のローブを纏った男は暗緑色の天幕の中へと入り、中にいた人物に声をかけた。ジンク=クロライド。かつて島にいる科学者ハルゼイの元で軍曹として働いていた中年の軍人である。今は天幕の元で働く彼に対し、運命の調律者を名乗る男はひとつの特殊な作戦を与えなければならなかった。“踏み絵作戦”と呼ばれるそれには、この中年の軍曹とともにこの様々な略号を持つ男も、“必要不可欠”な人材だった。

「おや、こうして直接お会いするのは久し振りですね。R,E.D.殿。何か用向きでも?」

 伝説に謳われるほどの技量と名声を持つドワーフ、傭兵の長であった男の下で働くこの軍人は、いつもと同じように堅苦しい様子で客人を出迎えた。紅の男は、天幕の中での一般的なヒエラルキーには属していないが、その立場ゆえに、この軍曹は彼を目上として扱っている。

「君に特別な任務が与えられた。その任務のために、君を一度本部に送り返す。自室で待機するように。詳細は待機中にある召集により、会議で知らされるだろう。良いね?」

 口元にいつもの不敵な笑みを浮かべたままで、運命の調律者は普段使わぬ軍人口調で言った。その“命令”に、珍しく一瞬の逡巡を見せてから、軍曹は姿勢を正す。

「……了解しました。」

「分かっているよ。残していく、彼らのことが気がかりなんだろう?」

 人の心を読み意のままに操ると言われる赤き邪眼を、その伸びた髪の下から輝かせながら、紅のローブを纏った男は彼の逡巡を見抜いてみせた。口元に浮かべられた笑みが深くなり、それは嘲笑する悪魔の如きものになる。

「心配しなくても良い。僕から彼には伝えておくよ。それに、任務達成後には時間軸をずらせて次の行動に間に合うように此処に送り返すから。」

「分かりました。」

 もう一度頷いた軍曹を見て、平然とした様子で赤い男は魔筆から緋文字を紡ぎ始めた。煌く赤い軌跡が綴られるにつれて、天幕の中の空気が揺らぎ始める。

「夢の国の王、全にして一、一にして全なるもの、銀の門の鍵の守護者よ、我が前にその道を示せ。いぁ、いぁ、よぐ……。」

 詠唱とともに綴られた文章が意味を成し、天幕の中には光り輝く扉が現れた。少しだけ開かれたその扉の向こうには、澱んだ虹の色彩が渦巻いているのが見える。運命の調律者たる彼が、転移の術式で構成する次元の扉だ。

「僕から彼には話しておく。先に言っていてくれ。」

 不動の笑みを浮かべたままで、赤い男はその怪しげな扉を指し示した。扉に手をかけたジンクを後にして、彼は天幕から出て行こうと歩みを進め、ふと足を止めた。

「そうそう、転移中は目を閉じていた方が君のためだろうね。かの古々しき存在の姿を垣間見てしまわないとも限らないから。任務が始まる前から使い物にならないのでは困るから、ね?」

 恐ろしいことを冗談めかした様子で口にした尊大な存在は、今度こそ彼の天幕から出て行った。

   +   +   +   


 それから運命の調律者は、すぐ近くに立てられた冒険者たちが良く使うような、質素な天幕を訪れた。見た目は良くは無いが作りはしっかりとしていて、外気を取り込まず内側の温度を逃がさないように作られている。中では“英雄”の呼称に相応しい、繊細にして豪胆なドワーフがいつも通り、その獲物である彼の身長ほどもある巨大な斧の手入れをしていた。彼は訪問者にちらりと目をやると、再び自らの獲物にその視線を落とした。

「珍しいの。お主からこちらへ来るとは。何か用でも出来たか。」

「良い夜だね、グババ翁。まるで誰かの名を讃えるが如くに。」

 口元に笑みを貼り付けたままで、赤いローブを纏った男は近くの小振りな椅子に腰掛けた。その笑みは冷たいものではあるが、ある程度の柔らかさを持っていた。

「下らぬ戯言は止せ。何か用があって来たのじゃろ?」

 白くなった口髭に覆われた口元は窺うことも出来ないが、薄く笑みを浮かべているらしい。それは、赤き男のそれとは違い、駄々をこねる幼子に向ける苦笑のようでもあった。それに対し、運命の調律者は僅かに眉根を寄せる。彼ですら、この大きく柔らかな、包容力とでも言うべきものを備えたこのドワーフの前では子供のような仕草を見せてしまうのかも知れなかった。

「用件は二つ。ひとつは、君の隊のジンク=クロライドを少しの間借りる。」

「それは……お主のOAKに、ということか?
 出来れば勘弁願いたいところじゃな。儂らは四人の誰が欠けても充分な働きが出来ん。お主にもそれは分かっておると思うたが。」

 僅かに険しくなった視線を赤い魔術師に向け、ドワーフは静かに言った。四人一組でパーティを構成するこの世界では、四人それぞれが役割を分担し、それに特化していることが多い。それによってお互いの長所を伸ばし、短所を補うのだ。だがそれは、一人でもその構成から外れることがあればひと時に戦力が落ちるということをも意味している。睨まれた紅の男は、ゆっくりと首を振るとそれを否定した。

「彼には、少しの間他の世界へと行ってもらう。明日の朝までには……次の行動までには間に合うように此処へ帰そう。時間軸をずらして、ね。」

 R,E.D.は、「彼が生きて帰ってくれば」という言葉を意図的に言わなかった。ドワーフはその意味を察し、僅かに不機嫌な様子を滲ませながら冷たい瞳でこの冷酷な魔術師をねめつける。

「断る……と言いたいところじゃが、命令じゃな?」

 無言で頷く運命の調律者に対し、ドワーフは静かに、だが力強く迫った。

「ひとつだけ約束せい。彼奴を無事に帰す、その努力をするとな。」

「できる限りのことはするよ。僕だって、仲間を失いたくはない。」

 自らの口から発せられた“仲間”という言葉が、余りにも空々しく響くのを自分でも意識しながらも、運命の調律者たる男はそう約束した。それは、彼の本心だった。自らの目的のためであればどんなものでも犠牲にするであろう自分が、そう吐いたその言葉は、空々しさを通り越してもはや滑稽でさえあった。それでも、彼の本心であることにも変わりはなかった。

「……よかろう。頼むぞ。」

 再び仮面のような冷笑を浮かべた彼の表情を見て、仕方ないといった様子でドワーフは小さく溜め息を吐いた。彼のその笑みが、自虐から生まれたものであるのを見抜いたからだった。

「じゃあもうひとつの用件を話そうか。」

 ようやく自虐的な笑みを消し、紅の男は尊大に足を組むと右手に握った魔筆を玩んだ。だが、それが彼が自らを守るためにしている仕草であることを、今ではもう理解しているドワーフは、小さく頷き返しただけだった。幾多の戦いと、そしてそれに伴う苦悩により鍛え上げられた強靭な彼の精神の前では、その炯々と輝く邪眼も、出来の悪い手品程度の物でしかなかったのだ。

「君も知っての通り、この世界は崩壊を迎えようとしている。もう始まっていると言っても良い。
 ……君はどうする?
 無論、僕と交わした約束については成就させよう。君は好きなところへ行けば良いし、天幕に残るのでも構わない。だけど、そろそろ撤収の準備を始めた方が良い。複数の多層世界を強引に引き寄せて創り上げた仮初めの世界だ、崩壊は早い。その崩壊に巻き込まれでもしたら、世界は重要な人材を失うことになる。」

 その、彼に似合わぬ饒舌な言葉に対して、ドワーフは微かな笑みを再び浮かべ、ゆっくりと首を振った。世界の崩壊に巻き込まれてその存在を消失するのならば、それもまた彼の言う“運命”ではないのか、そう言いたげな様子だった。

「それはその時に決めるかの。お主を疑う訳ではないが、儂を必要としているところがあるのならばそこへ行く。その時にならねば分からんよ。」

 この青年は、どうやら彼なりに自分や他の仲間のことを気遣っているらしい。そう思うと、ドワーフの口元に隠しきれない笑みが綻び出た。冷酷で尊大に振舞い、運命という大きな武器を使ってドワーフの英雄すら走狗とするこの男にも、それなりに人間らしいところがあるのかも知れない、そう考えると笑みを隠し切れなかった。

「まぁ、むざむざと崩壊に巻き込まれたりはせぬよ。安心せい。」

 この男にも救うことが出来ないのであれば、それこそ“運命”なのかも知れない。そう中年の律儀な軍曹の行く先を思いながら、赤きローブの肩に手を置いて、彼を先導するようにグババは天幕の外へ出た。
 冬の冷気は思いの外強く、肌を裂くようだった。自らの天幕へと闇へ溶けていく赤いローブの後姿を見送りながら、ドワーフの英雄は白い息をひとつ、静かに大きく、吐き出したのだった。

八十九日目:昼
 メイが、上目遣いでアイヴォリーに話をする時は、大概内容は決まっている。アイヴォリーにとっては余り良くはない相談で、しかもそれはノーと言えない類のものだ。例によって、今回も余りアイヴォリーにとっては良い話ではなかった。

「ねぇアイ、相談があるんだけど……。」

 上目遣いで、半ば恐る恐るメイが聞いたのは、いつもの彼女の癖のようなものだった。それは彼女が彼女である所以でもあるのだが。

「おなか空かせてる人が気になるよ……。近くだし、このお肉送っちゃだめ、かな……?」

 それは、アイヴォリーが予想した通りノーと言いにくい類の提案で、メイが予想した通りアイヴォリーは渋い顔をした。それも当然だ。既に分かっていることとして、この場所に現れる獣──背徳の児を獣の分類に入れるのであれば、だが──からは、一切食用に適した材料が採取できない、要するに、食えないのだ。今のところは発光体が落とす携帯食料で食いつなげてはいるが、一日の内で普段よりも一戦多く戦闘をして、それでも食糧事情は赤字なのだ。食えるものがあるならば、それをさっさと食糧に変えて大食漢であるメイの二匹のペットに食わせてやった方が良い。アイヴォリーにしても一日で手に入る携帯食料で自分とイヴがぎりぎり食いつなげる量なのだ。そして、それよりも圧倒的に食料効率の悪いメイのペット達のために、彼女の食料を入れたザックの中身は、既に半分ほどしか残っていなかった。
 アイヴォリーは、いまいちな渋い表情を引っ込めて目を細め、何かを見透かすようにしてメイを見た。上から見下ろすようにして冷たい目で無感情に人を見やるその様子は、メイが相手でなければ嘲りの表情と取れなくもない。だが、すぐにいつもの人を食った笑みを浮かべたアイヴォリーは、若干の意地の悪さを含ませた声音でメイに問いかけた。

「ッつーか、もう送ったんダロ?」

「えへへ……うん。」

 ばつの悪そうな笑みを浮かべて頷くメイに、アイヴォリーは苦笑しながら肩を竦めた。本当に人の好過ぎるにも程がある。狩られた者がそのまま世界から消えてゆくことも珍しくはない。負けても再び食料を集め、装備を整える気力があるものばかりとは限らないのだ。それでも、彼女は無駄になるかも知れない援助を行うのだ。まさにお人好しといったところだ。だが、だからこそこうしてアイヴォリーが傍にいるのだった。

「ヤレヤレ、仕方ねェな……イッタン退くかねェ。」

 森の奥を見透かすように眺めると、アイヴォリーは苦笑を浮かべたままでメイの頭を撫でる。今すぐに食料が足りなくなる訳ではないが、いつ足りなくなるとも分からない。ここは一度平地に出て食料を確保し、その上でもう一度戻ってくるのが得策だろう。アイヴォリーは素早く打算を働かせ、荷物をまとめ始めた。幸い、二種類の発光体を倒したことである程度の成長促進の恩恵を既に得た。食料を集める間くらいはその分の訓練も出来るだろう。

「ホレ、そうと決まったらさっさと戻るぜ?
 ちょうどイイや、待ちくたびれてるあのにーちゃんに、また装備強化でもしてもらうとすっか。」

 あの陰を帯びた青年は、成長促進にはさほど興味もないようで、それよりも人狩りの危険を避けたいと言って少し離れた平地で待っている。最近は物質の合成に凝っているらしく、枝豆から香水を創ったとか言っていた。もっとも、枝豆から出来る香水がどんなものなのかはアイヴォリーには想像も出来ないものだったのだが。

「うん……ごめんね、アイ。」

「違ェよ。ソロソロ人が少なくなってきたしな。隠れるのも辛ェ。まァ次の発光体に対する戦術も考えなキャイケねェし、な?」

 自分のせいで時間を無駄にしているのではないかと顔を曇らせたメイに、アイヴォリーは笑いながらそう言った。その理由は嘘でも気遣いでもなく、実際にアイヴォリーが言う通り、発光体の森には人狩りが待ち伏せを続けているせいで次第に人口密度が下がり、その目標が自分たちに設定される確率はその分だけ上がっていた。

「ホレホレ、さっさと準備しねェと置いてくぜ?」

 時間は無限ではなく、残されたそれはもう限りなく少ないが、それでも全くない訳ではない。闇雲に突撃して危ない目に遭うのは愚か者のすることだ。罠を窮め、ニンジャと呼ばれる忍びの技術の奥義を身につけてからでも遅くはない。アイヴォリーは、残された時間を幸せに過ごせるようにと、そう祈りながら荷物を片付けていった。

九十日目:朝
「紅い星ねェ……。」

 アイヴォリーは遺跡の青天井を見上げながら呟いた。その空は今日も良い天気で、ここ数日の夜の出来事などなかったかのようにすっきりと晴れている。聞いた話では、星たちの襲撃が昨日の夜から再開されたらしい。しかも、その中には今まで見られなかった真紅の星が混じっていたという。
 紅の色をした星は、大抵の文化では凶星と位置づけられている。大きな国の崩壊や偉大な人物の死、そして世界の終わり。そういったあまり人間にとって好ましくない時間の区切りを告げる星の色は、得てして赤い。それは、その色が血や炎といった不吉なものを連想させるからだろうか。アイヴォリーは“イキスギたエンタメ”の、誂えられたようなクライマックスに冷たい笑みを浮かべた。凶星が現れようが現れまいが、島での残された時間が長くないことは前から分かっていた。いまさらそれを知らされたとてどうというものでもない。要するに、それが自分の凶星とならなければそれで良いのだ。それに、血も炎も、生きるのに必要な、“生の証”だ。

「空が、気になりますか。」

 横から唐突にハルゼイが声をかけた。律儀にも、ルミィと同じく遺跡のこの区画に残ったらしい。アイヴォリーに言わせれば“オメデタい連中”とでも言ったところだが、口ではそう言うものの、彼らの連帯感やその心境は分からなくもなかった。たとえばメイが同じように流されたとして、そこへ向かう手段があるのならばアイヴォリーも同じようにするだろうから。

「あァ、ココももう長くねェかも知れねェな。ハルゼイのにーちゃんも気をつけろよ。転移は連中の目につきやすいからな。」

「ええ、ご忠告感謝いたします、ウィンド殿。」

 いつも通りの格式ばった答えを聞いて、僅かにアイヴォリーが苦笑した。時空の転移を用いて各所に散らばった過去の戦友たちを集めなければ、彼の目的は果たせないことも分かっていたが、それでも今天幕に目を付けられるのは彼にとって得策だとは言えないだろう。だからアイヴォリーは敢えてそう言った。

「転移と言えば……アッシュこっちへ来てくれないか。」

 ハルゼイが何かを思い出し、人を呼んだ。アッシュと呼ばれた男がこちらへとやってくる。

「やれやれ、ひっでえところだな、ここは。クロード、何か用か?」

「彼はウィンド殿。ここでは幾度となく世話になっている。今の戦友……と言ったところかな?」

 見知らぬ青年に紹介されたアイヴォリーは肩を竦めていつもの笑みを浮かべて見せた。どんな相手に対してもその態度を崩さないのは彼の癖のようなものだ。

「ヨロシクな、にーちゃん。オレはアイヴォリー、アイヴォリー=ウィンドッつー通り名の、タダのシーフさね。
 アンタらの言い方をすリャ、間諜ってトコですかね。」

「へぇ……アンタ、クロードの戦友……ねぇ?
 ……ずいぶんと変わった戦友が出来たもんだなぁ?」

 相変わらずの人を食った笑みを崩さず、隙だらけのだらけたアイヴォリーの様子に、アッシュと呼ばれた青年が呼応して相好を崩す。ハルゼイを面白そうにちらちらと見やりながらアッシュは喉の奥で笑った。

「ま……よろしくたのまぁ。」

 アッシュは挑戦的な笑みを浮かべたままで、アイヴォリーに右手を差し出した。だが、その瞳の奥には鋭い眼光が宿り、アイヴォリーを射抜くように見つめている。ハルゼイがアイヴォリーを“戦友扱い”したために、ともかく表面上は手を差し出した、といった感じだった。試されている、そう感じたアイヴォリーは、同じように不適な笑みを浮かべ、その視線を真正面から受け止めながらアッシュの手をグローブのままで握る。ハルゼイがアッシュの気配を察してさり気なく間に入った。

「彼はアッシュ、あのときの戦友です……ウィンド殿のお陰で実際にこうして見つけることが出来ました。こうやって積み重ねていけば、必ず彼を救出できるはずです。」

 確信に満ちた目でハルゼイはそう呟いた。彼は未だに、あの天幕にいるという男を“救出”すると表現していた。もしかすると敵として相見えるかも知れないというのに、だ。それは、そう言葉にすれば現実となってしまいそうだという彼の不安の表れなのかも知れなかった。

「しっかし、アッシュッつーのはナンでこうアレなヤツが多いかねェ……。」

 “流転する者”のアッシュ、ディンブラの狼もアッシュと名付けられていた。どのアッシュも特徴的で違ったタイプだが、一癖も二癖もある連中ばかりだ。もっとも、狼のアッシュは本人よりも飼い主のディンブラに起因するところが大きいのだが。ハルゼイが間に入ったために離れた二人だが、お互いに視線を外そうとしない。アイヴォリーの言葉に反応して、アッシュがハルゼイの肩越しに彼を睨みつけた。あまり気の長い方ではないらしい。

「何だてめぇ、文句でもあんのか?」

「へへ、まァアンタも気を付けなよ。ココはアンタが経験してきた戦場ナミにヒデェトコだから、な?」

 いかにも挑発的に人差し指を突きつけて、嫌味ったらしくアイヴォリーがにやけ顔でそう言った。アイヴォリーはアイヴォリーで、こういう性格の人間をからかうのが楽しくてたまらないらしい。

「なんだと?」

「よさないかアッシュ!
 失礼しましたウィンド殿、どうにも頭に血が上りやすい奴でしてね……。」

 アッシュを止めながら苦笑するハルゼイ。だがその間に、いつものようにしてアイヴォリーはさっさと姿を消してしまっていた。

「やれやれ……相変わらずだな、どちらも……。」

 もう一度苦笑してハルゼイが呟いた。

九十日目:昼
「おかえり、おやっさん。すぐにまた出発の準備をしなければならないけれど、ね。」

 おやっさんことジンク=クロライドは、あの黒い三人組との作戦会議の後、この赤き魔術師の居室である書斎に向かうように言われた。会議室で告げられた“特別指令”に意気消沈し、悄然としたまま会議室を出たジンクだったが、その入り組んだ廊下を進み、秘められた書斎の扉を開く頃には、再び彼の目には決意が満ちていた。それは長らくの軍人生活がもたらした恩恵──与えられた状況を受け入れ、最善策を練るという──によるものだった。軍人は戦場で躊躇することは許されない。迷いを抱いた者から死んでいくからだ。迷わず、疑わずに敵を屠ること──それが軍人の仕事だった。そして彼には諦めもなかった。軍人は戦場で諦めることも許されない。諦めた者から死んでいくからだ。諦めず、最善を尽くして生き残ること──それもまた軍人の仕事だった。
 そうして、決意を秘めて古風なつくりの書斎の扉を押し開けたジンクに対し、ローブの男はいつものように書き物机に向かい、彼を振り返ることすらせずに彼を出迎える言葉を口にしたのだった。部屋に入ったジンクは、預けてあった自らの荷物が置かれたソファに座り、装備一式を無言で点検し始める。短機関銃とそのスリング、拳銃とホルスター。それぞれの予備弾倉。背嚢には数日分の食料と水、戦闘工兵として愛用してきた携帯用の折りたたみ式スコップやロープ、信管や爆薬に至るまで、様々なものが詰め込まれていた。その重さは痩せた少女ほどもあるだろうか。だが、その重さを確認して、ジンクは僅かに安堵を覚えた。自らが為すべきことは、いつだって示されてきた。そしてそれを達成し生き残ってきたのはこれらの装備のお陰でもあるのだ。
 黙々と装備を検める軍曹に向かい、ようやくこの部屋の主が椅子を回転させて声をかけた。ジンクの様子を見守るその様は、やはりどこか皮肉に満ちていて尊大だった。

「さて、準備は出来ているかな、軍曹?」

 赤き邪眼を輝かせた男は、紅のルージュが引かれた口を歪ませて笑い、彼に問いかけた。だが、天幕を訪れてから実働部隊として長い時間を共にしたジンクには、その笑みが彼の心を守るための防壁であるということに気付いていた。だからジンクは決然と顔を上げ、睨み返すようにしてその邪眼を正面から受け止めながら頷いた。

「小官の準備は既に完了しております。いつでも転送してください。
 ……ただ……。」

 そこでジンクは口ごもり、僅かに目を伏せた。今から向かう島にいるという、ハルゼイの友人、“アイヴォリー=ウィンド”と名乗る男は、この運命調律者の管轄下なのだ。その庇護があるからこそ、アイヴォリーという男は天幕に離反しながらも未だに生き延びている。運命を編纂する役割を帯びたこの“赤”が、“金色”と特別に懇意の間柄であるということだ。
 だが、あの黒い三人組は、“金色”の命令に反してアイヴォリーを抹殺するようにと告げた。そう、それはアイヴォリーが天幕に背信したのと同じく、天幕に対する背信行為に等しい。その事実を“金色”に近しく、アイヴォリーという男を管理下においているこの男に告げておけば、何らかの反撃になるかも知れない。ジンクはそう考えたのだ。それは些細な、悪足掻きにも近いささやかな“反撃”だった。だが、背信者“象牙”を管轄するこの男は、言葉でジンクの機先を制し、彼の言葉を封じた。

「良いよ。何も言わなくて。君は任務を遂行し、戻ってくればそれで良い。これ以上君の立場を悪くするようなことは心の中にしまっておくんだ。
 大丈夫、僕は全ての時の中に存在する“運命を編集する役割”だ。この僕に把握出来ないことなど存在しない。かくしてなるように、僕が書いておく。
 さぁ、行くんだ。僕はここから君の行動を監視する役割を与えられている。」

 そう言って促すと、赤いローブの魔術師は常にその右手に携えている魔筆を振るい、緋文字を宙へと紡ぎ出した。存在すら忘れられた大いなる存在を讃え、時空を超えるその門を貸し与えるようにと願う、忘れられた言葉だった。
 空気の焼ける乾いた匂いとともに、来客用のソファの前に虹色の門が現れる。その向こう側で、様々な略号を持つ男は、自らの蓬髪をかき上げ、未だかつて誰にも晒したことのなかったその瞳をジンクへと向けた。その瞳は、髪の陰から覗いていたあの邪眼ではなく、赤い光をその中に湛えてはいるものの、澄んだ灰色をしていた。そうして、自らの瞳をジンクに晒した後で、彼は柔らかく微笑んだ。何の邪気もなく、素直な微笑みで。

「虹色天幕Gチーム所属、ジンク=クロライド……行って参ります。」

 その、魔術師に似合わぬ微笑みをしっかりと受け止めてから、ジンクは虹色の門に手をかけ、開いた。中には澱んだ色彩が渦巻いており、向こう側の様子どころか扉の向こうにあるはずの、書斎の景色すら見えてはいない。鉄帽を深く被り直すと、ジンクは一歩踏み出した。

「おやっさん……もし僕が書き換えられないのならば、それは罰なのかも知れない。僕に対する罰は、常に書き換えられない運命として現れる。彼女のときと同じように。
 僕は、おやっさんを僕の目的のために利用しようとしていた。僕の、目的のために。
 それに対する……罰、なんだ……。」

 俯いて、赤い男は一人で呟くようにして言った。ジンクはその言葉にはっとして、彼に目をやった。だが、その表情は、運命の調律者を名乗る男が俯いているために定かではなかった。

「小官は、戻りますよ。」

 子供をあやすような調子で、柔らかい笑みを浮かべてジンクは言った。その刹那、澱んだ虹色が彼を取巻き、ジンクは旅立った。彼の島へと。

   +   +   +   


 一人残された彼の居室で、R,E.D.は古風な水晶玉を覗き込んでいた。そこには、どこかの森へと転送されたジンクが映っている。彼はもう一度装備を検めると、森の奥へと向かい、歩き出した。

「こんな……こんな……」

 ルージュの引かれた、紅い唇が噛み締められて歪んだ。自らの書斎から一部始終を見守るように命を受けた男は、小さな声で吐き捨てるように呟いた。

「こんな玩具じゃ、仲間一人守れないってのかよ……。」

 時の狭間に位置するこの書斎では、全ての結末が彼には見える。見えてしまう。たとえそれが望まず、書き換えられない結果だとしても。
 蓬髪から、頬を伝って真紅の涙が一筋零れ落ちた。

九十日目:夜
 ふと、アイヴォリーが眉を顰めた。まるで、何か自分の気に入らないことを思いついてしまったかのように。それは、彼にとってはいつも通り、風の流れとして感じられた。一箇所からの風が弱くなった、そうとでも表現すれば良いのだろうか、ともかく、そこの方角だけが妙に頼りなくなったかのような、そんな印象をアイヴォリーは感じていた。
 アイヴォリーが咄嗟にしたことは、キャンプ周囲に張り巡らせた“蜘蛛の巣”の一部を確認することだった。“蜘蛛の巣”は、どんな時でも全体が絶妙で危険なバランスでもって成り立っており、一部が切れたり、そこまで行かなくとも引っ張られたりすれば、他にその皺寄せが来るのだ。アイヴォリーはキャンプの身近なところに、その“皺寄せ”を確認できるような鋼線を引いていた。何も変化がないからといって信用はならないが、変化があればどこかで異常が生じているということになる。 だが、その確認用のワイヤーは何事もなかったかのようにアイヴォリーが設置したときのままの状態を保っていた。

「ふむ……。」

 アイヴォリーは独りごちると、辺りに鋭い視線を飛ばした。相変わらず見た目には何の変化もない、平穏ないつものキャンプ風景だ。それでも、アイヴォリーは立ち上がるとブーツに佩かれた左右のダガーを確認し、音を潜めて歩き出した。自分の“風”には誤りはない。そう信じて、彼は辺りを索敵することにしたのである。

   +   +   +   


 エルフの奥義の粋である光学迷彩を起動して、アイヴォリーは静かに樹上を跳んでいた。暗殺の技と隠身の技術、そしてこの光学迷彩によって、ほとんどその姿は森の木々に同化している。僅かな枝の揺れだけが、アイヴォリーが移動していく方向を物語っていた。嫌な予感がしていた。戦闘のときに彼の頭に流れ込む冷たい血が、今のアイヴォリーの頭に勝手に流れ始めている。ただ迷い込んだ探索者なのかも知れないし、単なる獣かも知れない。それどころか、まだ本当に侵入者がいると分かった訳ではないのだ。

なのに、ナンだこの反応は……。

 単に気の迷いかも知れない。一度そうだと思い込めば、人間はその思い込みを自分で増幅して強化することができてしまう。それは自家中毒のようなものだ。その思い込み自体がさらに自身を強化して、際限なく螺旋を描き続けていくのだから。
 だが、アイヴォリーには自信があった。何らかの危険が、すぐ傍にある。
 そして、偶然に目が合った。暗い緑の野戦服だろう、きっちりと襟を詰めた軍人風の男が、屈み込んでこちらを見ていたのだ。

見えてねェ……ハズだッ!

 思わず身動ぎしかけたアイヴォリーは、心の中でそう自分に必死で言い聞かせて、自らの動作を殺した。それは暗殺者としての訓練の賜物だった。やはりこちらには気付いていなかったのか、その軍人は再び視線を手元に落とすと小さく呟いた。その顔は森の暗さと、彼がヘルメットを深く被っているためにアイヴォリーには分からなかった。ただ、鋭い刺し貫くような視線だけがアイヴォリーの印象に残った。

「これは……思っていたよりも厄介だな……。」

 その飄々とした口調からは大して大変そうには聞こえない。男は暗い森を縫うワイヤーの黒い軌跡を無言のまま目で追っていた。それは、そのワイヤーの意味を彼が知っているということでもあった。

ナニモンだ、コイツ……?

 どうやらただの探索者ではないらしい。ここが彼のキャンプだと知っていて、どういう罠があるかすら事前に知っているようなその口振りに、アイヴォリーはこの軍人が敵だと判断した。彼の背後に回りこむために、アイヴォリーは静かに地面へと降りた。だが、下の枯れ葉が極僅かに乾いた音を立てた。

シマッたッ!!

 思わず顔を上げ、軍人を見やる。彼はその、風にかき消されてしまうような小さな音を聞き逃していなかった。僅かに差し込んだ光が、ヘルメットの下の穏やかな顔を、偶然にも照らしていた。

「テメェッ、ハルゼイの!」

 言葉を最後まで言い終わらない内に、アイヴォリーは思わず後ろに仰け反って倒れこんだ。そのまま後転して地面の窪みに転がり込む。その後を追うようにして、アイヴォリーの僅か前の地面が次々に弾けて行く。軍人は肩から提げた銃をこちらに向けていた。そこから放たれた弾丸が地面を抉ったらしい。アイヴォリーがそれを躱せたのは、“死線”が銃口から見えたからだった。急激な運動によって解除されたケープに舌打ちし、すぐにアイヴォリーは体勢を立て直す。

「裏切り者、“象牙”。ハインツ=クロード=ハルゼイとともに天幕の危険人物として抹殺する。」

 かつてハルゼイの戦友だったはずの男は、その戦友の名前を敢えてフルネームで呼んでから、自分が余計なことを口にしたことに気付いて僅かに眉を顰める。それを打ち消すようにして、ジンクは腰から抜いた手榴弾のピンを抜き、窪みに向かって放り込んだ。
 乾いた金属質の音を聞き、アイヴォリーが窪みの外へと跳躍する。アイヴォリーが木の陰に転がり込むのと同時に窪みの中で爆発音が響き、爆風が辺りのものをなぎ倒した。

「テメェ、天幕の差し金で来ヤガッたのかよッ!」

 アイヴォリーはハルゼイがジンクというこの男のことを話すときの表情を思い出しながら、再び光学迷彩を起動した。アイヴォリーの叫びに呼応してジンクの短機銃が木の皮を跳ね散らすが、貫通には至らない。銃撃が止んで、ジンクが木を避けて銃撃できる位置へ走り出した音を聞き、アイヴォリーも静かに木の陰から滑り出た。すぐに彼が隠れていた場所に三点射が浴びせられるが、既にそこにアイヴォリーの姿はない。だが、あの機銃がある限り、アイヴォリーが自分の間合いに持ち込むことはできない。SMG、つまり彼の世界で後にサブマシンガンと呼ばれるようになるMachinen Pistole 40、MP40の連射速度は尋常ではない。それは一掃射されたアイヴォリー自身が良く分かっていた。

「ちっ、光学迷彩か!」

 叫んですぐに、ジンクは背中を木に寄せて短機銃の弾倉を落とし、新しいものと取り替える。連射速度が早い分、その弾の消費は激しい。姿の見えない相手に対して撃ちまくるようなことができるような代物ではないのだ。ジンクはできるだけ死角の少ない場所に静かに移動を始めた。銃撃が止んで、森の中に静寂が戻る。

「テメェ……ココロまで天幕に売っちまったのかよ?」

 森のどこかから、低く押し殺したアイヴォリーの声が響いてきた。意図的に声を抑えて発生源を曖昧にしているのだ。視覚に頼れないこの状況では、音だけでは凡その方向は掴めても狙って銃撃ができるほど正確な位置は特定できない。それでなくてもこの鬱蒼とした森の中で相手を視認し辛いのだ。しかも、低音は高音に比べてより位置の特定がし辛いという特長があった。だからあの男は押し殺した声で喋っているのだ。場馴れしている、ジンクはアイヴォリーのことをそう評価した。ジンクが彼に答えずにいると、アイヴォリーはそのまま言葉を続けてきた。

「テメェ……アンタのタメに、ドレだけハルゼイのにーちゃんが苦労してるか知ってんのかよ?」

「っ!」

 思わずジンクが唇を噛む。それが相手の心理作戦だと分かっていても、覚悟を決めてやってきたと言っても、やはり今から殺すために彼の元へ向かわなければならないハルゼイのことを言われるのは辛かった。だが、無情なまでに、押し殺した無感情な声のままでアイヴォリーは先を続ける。

「アイツはなァ……この島に来て宝玉を集めてやがった。ナンのタメだと思うよ?
 次元転送装置とやらを作って、ソレでアンタら昔の戦友に会いに行く、ッつってんだぜ?
 しかもあのヤロー、ホントに」

「黙れぇぇぇぇっ!!」

 遂に聞くのに耐えなくなって、ジンクは身を乗り出し、膝立ちの状態で見当をつけた方向へめくら撃ちを始めた。自分の運命を呪うその声が聞こえなくなるならば、たとえこの銃声でも構わないと、そう思った。
 ジンクの視界を、黒っぽい影が横向きに掠めた。そちらを振り向き、その影に向けて残った全ての弾を叩き込む。黒い、人にしては余りに小さな塊に弾が吸い込まれるようにして収束し、残っていた残弾が誘爆して爆発したことで、ジンクはそれが先ほど自分が捨てた弾倉であることに思い至った。

「ソコまでマジで腐っちまってるんなら、ハルゼイに会わなくてもイイ。オレが殺してやるよ。」

 怒りを無理に押し殺したようなその声は、ジンクが考えていたよりも間近で聞こえた。同時に走り込んで光学迷彩が消えたアイヴォリーが一直線に飛び込んでくる。我を失って連射しながらも、常日頃から軍人の癖として残段数を数えていたジンクは残弾のないMP40を即座に捨て、ホルスターから拳銃を抜き放つ。

「スキにさせるかッ、この間合いでッ!!」

 P38を抜き放った右腕を足で跳ね上げられ、そのまま拳銃が弾き飛ばされる。ジンクは止むを得ず腰に佩いていたサーベルを逆手で抜き放ちながら切りつけたが、その一撃をアイヴォリーは左手に持ったソードブレイカーで軽々と止めてみせた。冷たい笑みを浮かべる余裕すら見せて、アイヴォリーがソードブレイカーを捻ると絡め取られたサーベルは宙を舞った。近接戦で銃使いに負ける気は毛頭ない。冷たい笑みを浮かべたまま、アイヴォリーは容赦なく右のダガーの柄をジンクの顎に叩き込んだ。仰け反ったジンクの足を払い、そのまま右腕の関節を足と手で極める。一気に力をかけて腕を折ろうとしたアイヴォリーの目に、彼の左手が掴んでいるものが見えた。

「バカなッ?!」

 叫んでアイヴォリーがすぐさま飛び退る。ジンクの左手には、ピンの抜かれた手榴弾が握られていたのだ。アイヴォリーが木陰に伏せるのと同時に爆発が起こった。

   +   +   +   


「ナンで……クソッタレが!」

 肉片すら残さずに弾け飛んだのか、爆発が起こった辺りは小さく地面が抉れているだけで、ただ吹き飛ばされた木片や土がぱらぱらと降り注いでいる。その抉れた地面を見つめながら、アイヴォリーは唇を噛み、もう一度呟いた。

「クソッタレ!」
  1. 2007/05/16(水) 11:28:48|
  2. 過去前振り:Alive!
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2nd Special Day

二回目のクリスマス。同時に島の命運を握る星が現れたのがこの日だったようです。記録では83日目になってるんですが、なぜか日数が足りません。多分どっかでMA無しの日が三日くらいあったんでしょう。要はサボリw

八十日目?:朝
 遺跡の中にいたアイヴォリーには、何が起こったのかは知る由もなかった。当然だ。その流星雨──もとい、星たちの襲撃──は、空から齎されたのだから。

「あァ?
 だからいってェどうなってんのかッて聞いてんだよ!」

 この島の地図を握り潰さんばかりの剣幕で、アイヴォリーがシェルに迫る。シェルは島の状況をあるがままに地図に焼き付けたに過ぎないのだが、アイヴォリーの剣幕はまるでそれをシェルが引き起こしたかのような態度だった。

「僕に言われてもなぁ。原因は分かってないよ。ただ星たちの声が聞こえて、それに襲われたってだけしか伝わってきてない。実際、天幕でも原因を解明できてないくらいなんだから。」

 アイヴォリーの真似をして、シェルは肩を竦めてそう言った。彼の言うように、天幕でもその原因を特定することが出来ずにいる。天幕が、この現象の一応の答えと今のところ出せたのは、島が沈む日が近いのだろうという、至極適当な予想と、これから食料の調達が難しくなるであろうという至極妥当な予測だけだった。

「クソッタレ……マイッたねェ……。」

 口汚く悪態をついてから、アイヴォリーは大きな溜め息をついた。結局、事象として起こったのは、昨夜遅くに地上に多くの星が降り注いだこと、そして、それによって島の広い地域が──実際、“それ”は島の東部においても、その面積の半分以上を占めていた──荒野と化してしまったということである。
 そして、その事象が起こる前に聞こえてきた会話は、おおよそこのようなものだった。

「……近い!
 主よ、ついに滅びの刻みの一片が訪れた!
 我々の命運は託された、果たして地上の質は如何ですかなっ。」

「黙りなさい。この声は地上を伝ってしまうのですよ?」

「ククッ!良いではないですか!
 もはや知るのも時間の問題、美しい夜空の理由を知って拝むのもまた気持ちが違うもの!」

「断片が何を……。全てが貴方と一緒ではないのです、……遮断しますよ。」

「さァ皆さんッ!
 生存の意志を持ちハッピーエンドを迎えるためにその力を注いでくださいませ!
 今宵開始のショータイムッ!
 貴方達はもう逃げられ―――――」

 これだけの会話──聞いた者の話では音声ではなく、思念として伝わったものらしいが──の後で雲が一斉に消え失せ、無数の星が現れて強い光を放ち、空が美しく輝き、地上を明るく照らして、星が向かってきたということだった。
 そして、夜が明けて島の全貌が見渡せるようになるとこの有様だったという。温泉を含めいくつかの場所や遺跡は無事だったらしいが、平野の八割方は焼け野原となってしまった。至る所に動物の炭化した死骸が転がり、豊かだった草原はもうその姿を失っていた。
 幸い、この風の遺跡の中にある平野に関しては異常がなかったようだ。他の遺跡も含めて、遺跡の中にいた者たちでこの“声”を聞いた者もおらず、それ故にこの“声”の主の少なくともどちらか片方が、今回の出来事の“張本人”であるということは容易に想像できた。それも、恐らくこの出来事を引き起こした“張本人”は探索者たちにとって友好的なものではないらしい。

今じゃ、外よりもココの方が“安全”だってか。

 皮肉な笑みを浮かべて、無言のままアイヴォリーはそう結論付けた。明日からもこの現象が続くのかどうかは定かではないが、少なくとも今の段階では外の荒地よりもこの遺跡の中の方が食料の確保は容易であるのは確かだった。
 だが、この島の中で真実安全な場所などは、どこにもないということくらいはアイヴォリーも理解していた。安全なところには探索者が休むために集まり、そしてその集団を狙って人狩りが現れる。つまり、外の人間が遺跡に逃げ込むことで遺跡の人口密度が上がり、人狩りたちも効率ゆえに遺跡内にやってくる。逃げる場所が減るために、結局は危険度は上がるのだ。

とりあえずは、今日どうなるか、かねェ?

 今日、再び星の襲撃が起こり、さらにこの島の荒廃化が進むのか。そして、進むのであればそれは外に限られたことなのか、それとも遺跡内部をも含むのか。それによって、安全な場所の面積は変わってくる。最悪の事態を迎えれば、残った食料を奪うために今まで人を狩らなかった者たちも人狩りとなることも考えられる。そして食料を奪われた──戦闘に破れた弱かった者たちから──次々に餓死していくのだ。何にしても、最悪の事態のためには、自分たちの食糧確保の方法と身の安全を考えておく必要があった。

こんな島で餓死ナンて終わり方は、したくねェからな。

 どうしようもなくなれば、たとえメイと二人だけになっても最後まで生き残らねばならない。どんな方法を用いてでも。もしくは、この島から脱出しなければならない。だが、“貴方達はもう逃げられ”という、星たちの言葉は、島が沈むまでは、それすらも許さないという意味なのかも知れなかった。

「……どうしようもなくなったら、いくつか方法はあるよ。」

 シェルのその言葉で、アイヴォリーは我に返った。そう、ハルゼイの開発している転送装置、そして、R,E.D.たち、虹色天幕も転送技術を持っている。

メイだけは、どうしたって護らなキャ……な。

 アイヴォリーは、改めて“全ての手段”を用いてメイを護る覚悟を決めた。たとえ、それが自分が人狩りとなることであっても、そして、自分の命を捨てるということであっても。

「だケド……オレは、二人で生き残るッ!!」

 気を吐き、シェルを睨みつけながらアイヴォリーが小さく叫んだ。それは、アイヴォリーの決意の──そして覚悟の──表れでもあった。

八十日目:昼
 狩りが終わり、ようやくひと段落着いたところで、アイヴォリーは昼の食事の支度をしていた。メイは近くの草原を荒地に変えに──イヤ、象の食事らしいが──行っている。そこに、突然遠くから、鈴の音が響いてきた。音の発生源を探し、思わず抜けた遺跡の天井、空を見上げるアイヴォリー。そこには、不気味な顔が正面に貼り付けられたバイクのようなものが、黒い人影と赤い人影、対照的な二人を乗せているのが遠めに見えた。ややもして、それがこちらに向かっていることを理解し、アイヴォリーが嫌な顔をする。超人的な視力を持つアイヴォリーには、その乗り手が誰か見えたらしい。

「マタ来やがった……。」

   +   +   +   


「で、来てみました。」

「来てみましたじゃねェよ怪人黒サンタ男。」

 何の捻りもない命名で、やってきた怪しげな二人組を一瞥したアイヴォリーが言った。確かに黒白の鯨幕と赤白の紅白幕のような、慶事と弔事がまとめてやってきたような奇妙な二人組ではあった。黒騎士は普段の黒装束に、なぜか白いふさふさの毛が付いた妙な格好、かーまいんに至っては意味もなく短いスカートのサンタ服らしきものを着せられている。

「み、見えてませんよね?」

 かーまいんはかーまいんで、その怪しい出で立ちは気にせずに細かいところを──そのやたらに短いスカートを──しきりに気にしている。そんな二人を白い目で見ながらアイヴォリーは、あからさまに嫌そうな表情で言う。

「で、テメェらこの忙しい時に何しに来やがったんだよ?」

 アイヴォリーたちは、現在この風の遺跡の中で、水路によって切り離された一角を目指している。その地域の奥にはカードを模した光の球体がいるという噂があり、彼らは戦闘力もさることながら、倒したときに成長を革新的に促進する効果があるという。それを目当てに、人狩りを含むかなりの人数がこの地域に集まっており、かなりの賑わいを見せていた。しかし、その水路は一定日数でしか開閉されないために、通過するためにはタイミングを見計らう必要があった。ただ開くのを、目の前で待っていれば通り抜けるのは簡単なのだが、それでは完全に人狩りの的となる。そんな訳で、彼らは今、かなり微妙な状況にあるのだった。

「もちろんプレゼントを渡しに来たんですよ♪」

 それを聞いてもアイヴォリーの白い目は相変わらずだ。もっとも、この二人組から何かをくれてやると言われても、丁重にお断りしたくなる人間の方が圧倒的に多いとは思うのだが。

「じゃあナニも要らねェからこの地域の人狩りを一人残らず殲滅してくれ。」

 無茶苦茶な要求を突きつけるアイヴォリー。まぁ確かに、それが実践されれば彼らの悩みの種は全て解決するのだが。要するに帰れと言いたいようだ。

「分かりました。ではかーまいんさんよろしく。」

「えええええっ?!」

 余裕の笑みで──もっとも仮面の下でどういう表情をしているのかは皆目検討も付かないのだが──黒騎士がかーまいんに振った。当然かーまいんは驚愕の声とともに黒騎士に非難の目を向ける。

「そんなの無理に決まってるじゃないですか。第一殲滅できたら私だって苦労しませんよ。」

「いえ、私は島のルールに従っていないので、そういった行為を公に為すのは非常に問題がありますから。」

 既にそういう問題ではない気もするのだが、黒騎士はそう平然と言い放った。要するに一言で言うと“出来ません”ということだ。だが、黒騎士は全く動じた様子も見せずに──しつこいようだが仮面の下でどういう表情なのかは知る術もないが──布で出来たクッションのようなものを取り出した。

「では、こんなのはどうでしょう。等身大のメイちゃん抱き枕!」

「オレはドコぞのヲタかッ!」

 差し出された等身大のメイらしき絵が描かれたクッション──抱き枕と言ってもメイの等身大のため、枕くらいにしか使えそうもない──を黒騎士に投げつけてアイヴォリーが叫んだ。黒騎士が描いたのだろうか、その絵は非常に本人に似せて描いてあったが、確かにこんなものを持ち歩いていたら変質者と間違われかねない。

「仕方ないですねぇ……要求するとは贅沢な。では温泉で撮った着替えシーンなど……」

「おゥ、よく写ってるじゃねェか……ッてこんなモン持ってたら疑われるだろうがッ!」

 アイヴォリーの覗き疑惑は、不可抗力であったという彼の主張にも関わらず未だに解決を見ていないというのは有名な話だ。アイヴォリーは本気の前蹴りを黒騎士に叩き込んだ。派手なリアクションととも吹き飛んだ黒騎士は、上半身を死に体で起き上がらせながら、懐からもう一枚写真らしきものを取り出す。

「じゃあかーまいんさんので……」

「何時撮ったんですかっ!」

 今度はかーまいんが黒騎士の頭を踏み躙りながら、彼から写真を取り上げた。二人にボロボロにされた黒騎士は首を変な方向にねじったままで起き上がると、ふう、とどこからか出てきたハンカチで顔を──正確には仮面を──拭う。

「じゃあ何が良いんですか。聞ける範囲でならばお聞きしますが。」

「そうさなァ……。」

 暫し考え込むと、アイヴォリーは空を見上げた。そして一言、諦めたようにして呟く。その顔には、珍しく自嘲の笑みが浮かんでいた。

「雪……イヤ、氷かねェ……。」

「はぁ、そんなので良いんですか?
 では失礼して……。」

 黒騎士は抜けた天井を見上げて、携帯電話を取り出した。おもむろにどこへか電話をかけ始める。そんな黒騎士を、明らかに信用していない視線で眺めながらも、アイヴォリーは小さく溜め息を吐いた。元々シェルに頼んで持ってきてもらおうと思ったのだが、いくら呼びかけても朝には来ていたシェルが来ないのだ。アイヴォリーは召喚手順に従って血を流し、召喚呪文まで詠唱するという本来の手段も試してみたのだが、それでも翼持つ矛盾を内包する存在が呼びかけに応えることはなかった。

「あぁ、ええ、M-18にドカ雪一丁。すぐ届けてね!もうこっちは一時間も待ってるんだから!」

 不意に黒騎士がそう言って携帯を切ったことで、アイヴォリーは我に返った。黒騎士は既にその怪しいトナカイの顔がついたバイクに跨っている。アイヴォリーは白い目で見ているものの、とりあえず彼らが帰るようので何も言わないことにした。

「では、ご機嫌よう。ほら、かーまいんさんも行きますよ?」

 慌てて促されたかーまいんが後ろに乗ると、トナカイバイクは再び鈴の音を響かせながら空に舞い上がった。段々と遠ざかる鈴の音を聞きながら、やっと戻ってきた静けさに安堵しながら昼食の準備に戻るアイヴォリー。

「ん?」

 不意に風の流れが変わり、辺りを冷気が包んだ。身震いをしたアイヴォリーは思わず空を見上げる。

「まさか……。」

 アイヴォリーが見上げたその空には、もう重たい雪が降り始めていた。思わず苦笑を浮かべたアイヴォリーが肩を竦めているその間にもその量は増し、次第に吹雪といっても良いようなすごい量の雪が降り始める。

「ままま、待てッ!
 ヤリスギだッ!」

 だが、既にアイヴォリーの声を聞く者は誰もいなかった。そしてその後、アイヴォリーがひたすら雪かきをしなければならなくなったのは言うまでもない。

八十日目:夜
 夜が訪れて、辺りに静けさが満ちていた。突然とんでもない量の雪が降るというハプニングはあったものの、どうにか今日も無事に一日を終えられそうだという感覚に、アイヴォリーは思わず安堵の吐息を漏らす。そうして吐いた自分の息が白く見えることに気付いて、改めてアイヴォリーは苦笑した。

「うう~っ、寒いねアイ。」

 いつも薄着のメイが本当に寒そうに身震いする。いつかも似たようなことがあったのを思い出して、もう一度アイヴォリーが苦笑する。

「そうだアイっ、靴下持ってる?」

 唐突に、意味不明なものを要求されたアイヴォリーは、思わず間抜けな顔でメイを見返した。だが、当人は至って真剣な表情で、既に自分の小さな靴下を準備していた。間の抜けた表情のまま、アイヴォリーがメイに問いかける。

「そのクツシタで、ナニすんだ?」

「今日はね、神様が自分の子供の誕生日をお祝いして贈り物をくれる日なのよっ!
 だからこうやって、靴下を吊るしておくの!」

 そういうメイは、既に自分の靴下を洗濯物を干すために張ったロープに紐で結わえ付けている。怪訝な表情のままで靴下を差し出すアイヴォリー。メイはそれを受け取ると、同じようにしてロープから吊るそうとしている。元々洗濯物を乾かすために張ったロープなので、どう見ても洗濯物にしか見えない。

「ここをこうして……うわっ!」

 空中でバランスを崩したメイが、頭からアイヴォリーの靴下の中に落下する。もぞもぞ中で動き回って、いい加減アイヴォリーが出るのを手伝ってやろうとした頃に、メイが頭だけをひょっこり覗かせた。

「あったか~い。ねね、ミノムシさんみたいでしょ?」

 おおはしゃぎで、吊り下げられた靴下を揺らして遊ぶメイを見て、アイヴォリーはまた苦笑を浮かべた。

「今日はここで寝よっと。」

「オイオイ、じゃあオレのプレゼントとやらはドコに入るんだよ……。」

 苦笑したままのアイヴォリーが肩を竦める。アイヴォリーは別段本気で何かを誰かがくれるとは思っていないので特に気にはしている訳ではないのだが。

「あっ、そろそろ焼けたかなぁ?」

 メイがアイヴォリーの靴下から飛び出して、テントの外へと出て行った。再び合流した欠片と自らを呼ぶ青年が、幸運にも小麦粉を持っていたのだった。それに生活のために集めていた卵や山羊の乳などを使ってケーキを焼いていたのだ。アイヴォリーはアイヴォリーで、唐突にもたらされた雪を使って卵などと混ぜた乳を冷やし、クリームらしきものを作っていた。

「うん、アイもう良いよ♪」

 自分が乗れそうな大きな皿に、焼けたケーキを載せてメイがやってくる。アイヴォリーは良く冷えたボールの中で、一応混ぜた代物がクリーム状になっていることを確認して安堵した。
 そのクリームをケーキに二人で塗ると、歩行雑草の実から作ったジャムを雪の中で凍らせたものをトッピングする。普段とは全く違う料理にメイは大喜びで、大騒ぎしている。焚き火の小さな明かりに照らされながら、アイヴォリーは料理用のナイフでケーキを切り分け、メイの食べやすい大きさにしてやった。火にかけていたシチューを火から下ろし、二人分を持ち歩いている木の器に注ぐ。

「よしッ、じゃあ食うかッ!」

「いただきま~す♪」

 二人の夕食を、暖かい竈の火が照らしている。

   +   +   +   


 夜も更けて、焚き火の火が熾き火に変わる頃、食欲を満たしたメイの寝息が、アイヴォリーの吊るされた靴下の中から聞こえていた。その穏やかな寝息を、息を詰めるようにして聞いていたアイヴォリーは、暗闇の中、誰にも見られることなく穏やかな笑みを浮かべる。静かにテントを出ると、アイヴォリーは優しく光を放つ熾き火の中に隠していた、動物の皮で包んだ包みを取り出した。それを拡げて、いくつかの欠片の内のひとつを口に入れる。焼け具合は悪くないようだ。口の中にはトッピングに使った、凍らせたジャムと同じ甘い香りが広がる。
 いくつか、割れてしまったものを取り除いてから、アイヴォリーはダガーを器用に使って、それを焼くのに使った動物の皮を裂き、綺麗な袋状に仕立て上げた。そしてその中に、雪の結晶の形に焼かれたクッキーを──それも、メイの大きさに合わせて焼かれていた──滑り込ませてから、自分の髪を縛っている、メイが結んでくれたリボンを少しだけ切り取る。それで器用に拳よりも小さなその袋の口を縛ると、再び足音を忍ばせてアイヴォリーはテントへと戻った。
 相変わらず、メイの幸せそうな寝息が聞こえている。アイヴォリーは、彼女が吊るした靴下の中に、持ってきた袋を押し込んでから、眠っているメイに微笑みかけた。

サイコーのプレゼントは、もう貰ってるさ。ちゃんと、クツシタの中に入ってるみてェだけどな?

 心の中で呟き、自分の人差し指に軽く接吻けてから、それを眠っている小さな彼の姫君の額に押し当てる。闇を見通すその赤い瞳を閉じて、アイヴォリーは小さく囁いた。

「オヤスミ、オレのお姫サマ。」

 彼の大切な人が、寝言で何か答えるのを聞きながら、アイヴォリーもまた眠りに落ちていった。
  1. 2007/05/16(水) 11:07:11|
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プロフィール

R,E.D.

Author:R,E.D.
crossing daggers,
edge of the wind that coloured BLANC,
"Clear Wind" assassin of assassins,
blooded eyes, ashed hair,

"Betrayer"

his stab likes a ivory colored wind.
He is "Ivory=Wind".

二振りの短剣
“純白”と呼ばれし鎌鼬
“涼風”として恐れられた暗殺者
血の色の瞳、白き髪

“裏切り者”

その一撃、一陣の象牙色の風の如く
即ち、“実験体”。

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