「チッ、コレじゃ間に合わねェッ!」
アイヴォリーは舌打ちしてそう叫んだ。何を急いでいるのか、大慌てで目の前に置かれた得物を振るう。
「仕方ねェ、コイツは使いたくなかったが……イクぜ、“右と左のカマイタチ”ッ!!」
見事な六連撃は、その対象を過たず等分した。膾切りにされた相手が地面に落ちるよりも早く、アイヴォリーは地面で足元を思い切り踏みつける。足元に置かれた板が跳ね上がり、ちょうどその上だった次の対象が反動で宙を舞った。
「“クモの巣”!!」
傍らに引かれた警戒用のワイヤーをダガーで一撫で、鋭い金属音に僅かに遅れて見えない風の刃が跳ね上げられた対象を襲う。周囲には綿密に計算されて張力を拮抗させた金属線が縦横無尽に張り巡らされているのだ。アイヴォリーはこれを“蜘蛛の巣”と呼び、鳴子の警戒装置から空間攻撃の武器まで、幅広く流用している。休息時に太い鋼線を張っておけば、どこかのバランスが崩れたときにアイヴォリーの傍らに引かれた線に結わえられた鈴が鳴り、戦闘中には錘を付けた細い鋼線を使うことで、その張力がそのまま威力に変化するのだ。限界まで張られていたそのワイヤーは、巧妙な潜伏から一転して彼を中心に吹き荒れる嵐と化した。アイヴォリーの頭上では、対象が四方から襲い掛かるその鋼線に玩ばれて切り刻まれながら跳ね踊っている。
「次ッ!」
未だ空中で踊るものには目もくれずアイヴォリーは振り向いた。その瞳にはどこか焦りの色が見え隠れしている。どんなときでも人を煙に巻く笑みを浮かべている彼にしては、中々に珍しいことではあった。
「ダメだ、間に合わねェッ……風の乙女、オレに加護をッ!」
暗殺者の時代から訓練された、意識の集中による潜在能力の覚醒方法。それはエルフや野伏たちが編み出した精神集中の方法と彼によって独自に組み合わされ、肉体の限界を超える速度をもたらす。アイヴォリー自身滅多に使わない“自己加速”の能力だ。だが、隠密と幻術によってこの島の“忍術”を会得したアイヴォリーは、その独自の方法と組み合わせることで効果こそ薄いものの簡易な“自己加速”を習得していた。普段よりもさらにその身を軽くしたアイヴォリーが一瞬で間合いを詰める。
「全部まとめて料理してヤるぜ!」
そう宣言したアイヴォリーは、駆け寄ったテーブルの上に置かれている板状の機械──ノート型のコンピュータ──のキーを一つ押した。画面上で目まぐるしく数列が変化し、その命令に従って意味を知ることさえ困難な複雑な計算が処理されていく。
「座標特定──物質転送を開始します。」
画面に表示されたそのメッセージと共に、アイヴォリーに切り刻まれた様々なものが掻き消えた。それらは瞬時に集められて、アイヴォリーの背後の空間に再び現れる。
「コレならイケるッ、点火!!」
振り返り様に、アイヴォリーは包丁を投げつけた。その無理な投げ方にもかかわらず、狙いは正確に転送されてきた具材の下、鍋が置かれた竈へと定められていた。包丁が吸い込まれた竈の奥で火花が散り、彼がダガーに仕込んでいる燃える液体に一気に火をつけた。
「……よし、コレなら間に合うな。ヤレヤレ……毎日毎日ラクじゃねェぜ……。」
ようやく十五人分の食事の準備を終えたアイヴォリーは、そう言って疲れた、だがどこか満足感の見える清々しい顔で一人呟いた。
+ 「ねえ、アスカロン……あれってどう見ても才能の浪費じゃないかな。」
「間違いなく、ね。」
※ 全部妄想です。 + + + 「ん~、コレッてホントに食えんのかよ?」
アイヴォリーは倒した敵を捌いて集めた鍋を覗き込みながら、傍らのメイリーにそう呟く。メイリーと細雪とともに敵を倒したアイヴォリーは、いぶかしみながらも敵の死骸を手際よく切り分け、傍らの食料袋へと放り込んでいた。この辺り、以前の“島”でも訓練されているせいなのか口調の割には手つきに迷いがなかったのだが。
アイヴォリーが切り分けて食用にしたのは、砂の中から現れた軟体生物だった。海でたまに網にかかるそれに良く似ていた。海の悪魔と呼ばれてあまり食用として出回ることもなく、足が八本に頭が乗っているというその独特の風貌も相まって、あまり食べたいと思える代物でもない。だが、少なくとも海で採れるそれは漁師たちが自分で食べていたから食べられるはずだ。それにそっくりなのだから、これも食べられるはずだ。海にいるそれよりもかなり巨大──人の胸くらいまでの大きさがあった──で、海のそれにはない鎧状の甲殻が身体のあちこちを覆っているにはしても。砂蛸は、そんな遺跡には割と有りがちな生物だった。
「せめて足が取れリャ良かったんだけどねェ……。」
「だって足はアイが戦ってる間からあっちこっちに切っちゃったんでしょ~。」
蛸の足は美味いらしい、というアイヴォリーの戦闘前の豆知識にもかかわらず、戦闘が終わって集められた砂蛸の肉は、そのほとんどが胴体のものだった。口から墨を吐く以外は、その攻撃手段は全て足によるもの──足と頭しかないのだから当然だが──だった。使い慣れない斧を手に戦ったアイヴォリーが、早々に相手の攻撃手段を封じるために斬り飛ばしてしまったのだ。後から三人で探してはみたものの、どうしても足は見つけられなかった。斬り飛ばした後も結構な時間動いていたから、もしかすると足だけで逃げたのかも知れない。アイヴォリーはそんなことを思いながら呟いた。
「逃げ足の速ェ野郎だぜ……。」
アイヴォリーの駄洒落はさて置き、シルヴェンの守護者たちからその食べ方を聞いたアイヴォリーは、持ってきている調味料に砂蛸を漬け込むつもりらしい。話によると、砂蛸は砂の中に棲む生物のため、砂抜きをしなければならないらしい。これだけ切り刻んで肉の状態になってしまったのに砂抜きが出来るのかどうかも怪しいものだったのだが、昨日の晩アイヴォリーはその肉を相手に、夜遅くまで何やら作業をしていた。料理用に汲んだ近くの水に晒していただけらしいのだが、海の悪魔ならぬ砂漠の悪魔の肉を相手に、小さな明かりだけで暗殺者が短剣を片手に下拵えをするその様はあまり目にしたくないものだったとシルヴェンの守護者が後でメイリーにこっそり教えてくれた。
「さて、じゃソロソロメシの準備にすッかねェ。」
いつまでも眺めているだけでは仕方がないと判断したのか、鍋の中身から目を逸らしてアイヴォリーが呟いた。持ち込んでいる発酵調味料の一つが入れられた小瓶をサックから取り出して鍋の中に空ける。
「うッわ~……。」
「えええええ……。」
アイヴォリーの奇声に驚いて、一度目を外したメイリーも再び鍋の中へと目をやった。が、そんなことしなければ良かったと彼女は即座に後悔した。鍋の中では、昨日切り刻んでアイヴォリーが殺した砂蛸の肉が、その調味料の刺激に反応したのか、うねうねごろごろと再び悶えていたのだ。
「あ、アイ……死んでるのよね?」
「と、当然だろ。し、新鮮ッてコトだ。」
まったく意味不明な答えをアイヴォリーが返す。親が漁師だった冒険者の知り合いからこんな光景を聞いたことがあったな、とアイヴォリーは今さらながらに思い出した。だが、それは捌いてからいくらも経たない時間の話で、一晩経った状態でこうなるなど聞いたこともない。無論、砂蛸の話ではなかったのだが。
「ッつーか、ホントに食えんのかよコレ。」
「ボクに聞かないでよね。アイが食べられるって言ったんでしょう?」
同じ問いをもう一度誰にともなく発したアイヴォリーにメイリーが強張った声で答える。確かに見ていて気持ちの良いものでもなければ美味しそうに見えるはずもない光景ではあった。
「ホレ、食ってみるか?
サンドジェリーのときも率先して食ってたじゃねェか。コレも案外ミカン味とかかも知れねェぞ?」
そんな訳はない。
「やっぱり、作った人がまず味見してみないとっ!」
メイリーの切り返しに、アイヴォリーが硬直した。至極もっともな意見ではある。目の前でうねうねごろごろしているこんな状況でなければの話だが。
「…………。」
「…………。」
微妙な間が二人の間に流れ、アイヴォリーが気を取り直して妙に明るい声を上げた。振り返った彼は、今日のもう一つの食材を手にする。
「確かコイツも一緒に酢に漬けるッて言ってたよな……。」
砂蛸と一緒に現れたのは、見事な足を持つ雑草だった。すごい勢いで走り回るそれは、その健脚から繰り出す様々な足技でアイヴォリーたちを苦しめた。こちらは先ほどの蛸とは逆に、足以外の部分を率先して持ち帰り、足は捨ててきた。理由はもちろん、人間の足にそっくりで気持ち悪かったからだ。
「すごい走ってたよね?」
「お、思い出させるな。」
その健脚ぶり──というよりその足そのもの──を思い出してアイヴォリーが顔を顰める。まぁこれは足のなくなった今の状態では唯の野菜か何かに見えなくもない。アイヴォリーは雑草の太い部分を手早く輪切りにすると、未だに動いている蛸が入った鍋にそれも放り込んでさらに調味料を足した。追加された調味料に、さらに足がうねうねごろごろと動き回る。
「止めとけばいいのに……。」
「ヤメとキャ良かった。」
二人で目を合わせて一つ頷きあった。とりあえずこれ以上調味料を追加するのは薦められたものではない。主に精神衛生上の問題で。二人の意見はぴったり一つにまとまっていた。
「二人で何頷きあってるのかな?」
酢の臭いに刺激されたのか、鼻をぴくぴくと動かしながら細雪が天幕から出てきた。鍋を覗き込むと彼女は眼を輝かせる。
「わー、昨日の蛸だ、おいしそう!」
「あッ、あ、あー……。」
アイヴォリーが止めようとする間もなく、食の権化である獣人の姿をした彼女は鍋に手を伸ばしてまだ動き回っているそれを一つ手にすると、口の中に入れた。
「…………。」
「…………。」
心配そうに細雪を見やる二人。宙を見あげて味を見ながら咀嚼する細雪。
「う、ウマいのか……?」
「うん、新鮮で歯ごたえが良くっておいしいんだよ。でももっと酸っぱくても良いかな?」
おいしいものを食べて嬉しそうに笑顔を浮かべる細雪に、二人がどこか間の抜けた表情で視線を送っていた。もうこれ以上うねうねごろごろは見たくない、とアイヴォリーがメイリーに目で助けを求めたが、彼女は悲しげにゆっくりと首を振っただけだった。
~二十八日目──料理は才能?~
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- 2007/11/27(火) 05:30:54|
- 偽島
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僕は、お気に入りの椅子に身体を預けたままで、少しの間茫然としていた。今さっき、この瞬間まで、確かに腕の中に彼女の重みがあったのだ。その、僕以外には気付くことも出来ないほど微かな笑みが、確かに僕に向けられていたのだ。そのどこまでも透明な灰色。
だが、その現実は僕の午睡みとともいとも簡単に破られてしまった。
あれからどれくらいの時間が過ぎたのだろう。十年、二十年、いや、もっとなのだろうか。僕は常に彼女の影を追い求め、そのときに自分が為しえる全ての手段をもって彼女の“再臨”の準備を整えていた。あるときは唯神に祈り、あるときは神を恨み、またあるときは知る者すらない玩具を直すものを求めて最果ての図書館へと足を運んだ。あるときは手に入れた力を制御するために様々な紙に様々なものを綴った。だが、未だ僕の望みは果たされていない。あのときから一体どれだけの時間が過ぎたのだろう。
僕は小さく溜め息をつくと首を振った。そう、時間など存在しない。僕は、あのときに進むことを止めたのだから。僕の時は止まり、あのときから僕は動かない。彼女の時間と共に、僕は自分の時間を止めたのだから。やらなければならないことを成し遂げるまで、僕に迷うことは許されないのだから。
それでも、稀にこうして残虐な神様は僕に未だ為しえないことをいとも簡単にやってのける。たとえそれが偽りの、儚い間だけの幻であるにしても。
僕は少しだけ唇を噛み締めて身体を起こした。机の隅に据えられた異界の時計が、僕にとって意味のある時間を指しているのを見て、僕はようやく気付く。普段気にしていないはずなのに、僕の時間は止まっているはずなのに。それでも、どこかで何かが成し遂げられるたびに、この時計は進む。そうして、あのときをまた僕に訪れさせる。
「もう少し、もう少しだから……もう少しだけ、眠っていてくれないか……。」
僕は冷めた紅茶を一口啜り、幻の重みと微笑みを振り捨てた。どこまでもう少しなのかも分からないままで。
+ + + 「さようなら、人の子。貴方と過ごした半年の間、とても楽しかったわ。」
空を映す湖のような青い瞳。澄んだ空の、湧き出る泉の、どこまでも透明な青。彼女は彼を責めることもなく、淡々とした様子でそう彼に告げた。流暢な人間の言葉で。
予定通りに任務を遂行した彼の正念場は、実際にはここからだった。それはいつものことで、完璧にお膳立てされ、そこまでを機械的に進めていく暗殺の瞬間までと異なり、そこから帰還までの道のりは全く定められていない場合が多い。定められた回収の期限──それは同時に任務の期限でもある──が存在するだけだ。それまでに作戦が成功で終わり、本人が帰還出来なければ、今度はギルドが能動的に探しに来る。つまり、抹殺するために。
ギルドは任務遂行後の安全までお膳立てしてはくれない。回収の約束がなされた時間と場所までは自分で生き延びなければならないのだ。それは単に暗殺者を訓練するためには莫大な費用が必要で、任務を達成できるほど有能な暗殺者をもう一度使わないのはコスト的に無駄だからだ。そもそもギルドが受け取る報酬は、有形無形に関わらずで言えば一つの仕事だけで暗殺者を一人育て上げる以上になるのだから、ギルドとしては仕事が達成されてさえいれば最低限の元は取れることになる。そういった理由から、暗殺者の仕事は、任務を達成させてから帰還までの時間が、本人の生死に関しては正念場なのだった。
相手はエルフ、しかも場所は彼らの知り抜いた森の中。彼らの長を手にかけられたエルフたちは、彼が知る中ではかなり怒っていることだろう。それこそ彼らがその風習で森の中心として崇める“生命の樹”を切り倒しでもしない限りは、今以上に彼らを怒らせることはできないはずだ。やはり人間など信用するに値しなかった、と息巻いているだろう彼らは必死でその暗殺者を探し出そうとするはずだ。
そんなエルフたちの中で、彼女だけは全く──彼の想像を超える──反応を見せたのだった。一度は人間たちの組織的な侵攻から自らを守り、もっとも信頼していた人間に親を殺された場面に行き当たってしまった彼女は、当然それまでの悠久の時の中で培った魔術で自らと森を手酷く裏切った男を焼き尽くすはずだった。少なくとも、彼はそう考えていた。だが、どこまでも澄んだ瞳でまっすぐに彼を見つめた彼女は、ただ彼に逃げるように促したのだった。予定外に一戦交えなければならないと覚悟を決めた彼は、彼女の言葉に一瞬戸惑い、それからすぐに背を向けた。そもそも任務を遂行するために近づいたのだ、戦う必要がないのであればそれに越したことはない。それに、彼女の魔術の恐ろしさは彼自身、森へと侵攻して来た人間たちを迎え撃ったときに彼女と肩を並べて戦ったためによく知っていた。とてもではないが、彼には彼女と戦って無事に帰れるとは思えなかった。
そうして背を向けた彼に、彼女は視線を外すことなく、声をかけたのだった。
「さようなら、人の子。貴方と過ごした半年の間、とても楽しかったわ。」
彼は、その言葉に答えずに、夜の森の闇の中へと姿を消した。そして彼女の導きに従って、無事に森を出た。
二つの国を分かつようにして広がるその森は、どちらの国に対しても魅力的な土地だったのだ。肥沃な土壌、広大な土地。人口が増えてゆく中で、農地を確保するのは容易いことではない。ある者は武力で制圧することを推し、ある者は共存することで彼らの森を少しだけ切り開く同意を得ようとした。だが、一つの国の中でさえも、その意見は一つではなく、政治を執る者たちは対立していた。エルフたちは協調路線に同意しようとしていたが、長が暗殺されたことで一気に態度を硬化させた。エルフたちは人との交渉を取り止め、人間たちもそれに呼応するかのように武力での制圧を推し始めた。協調推進派は失脚し、エルフたちは森を守るために絶望的な戦いを強いられることになる。
そうして、そこにあった広大な森は全て消えた。
エルフたちは、基本的に森なくして生きていくことは出来ない。たとえ森から旅に出る者があっても、決まった時期には必ず戻ってくる。その戻る森を失ったエルフは、行く当てもなく世界をさ迷い、どこかで立ち枯れの木のようにして朽ち果てる他ない。
彼女を裏切って長を殺めた暗殺者は、森を抜け出して、森を消して、彼女を間接的に殺して、それでもまだ生きている。それでもまだ、その青い瞳に追いかけられ続けている。
+ + + アイヴォリーは薄らと目を開くと微かに身震いした。そろそろ冷たい夜気が身に染みる季節になってきた。それで目が覚めてしまったらしい。目を閉じてもう一度眠りに戻ろうとしたアイヴォリーだったが、一度感じて目を覚まさせたその冷気は彼の感覚を刺激して、どうしても眠らせてくれなかった。身体を縮こまらせて、毛布を身体に巻きつけていたアイヴォリーはややあってから不機嫌そうに身を起こした。毛布を払いのけると、頬を掻きながら気合の入らない様子で天幕の外へと出る。まだ外は朝さえ遠く、真っ暗闇の砂漠だった。自分たちが歩んできた方角へと視線をやると、この前戦って宝玉を手に入れた森の一角が遠く、遺跡の床の向こう側にあるはずだった。訓練によってある程度暗闇の中でも目が利くアイヴォリーだが、当然ながらここまで離れてしまえば森は見えない。だが、その身を貫くような寒さは、あの時と同じそれだった。
「そういや、こんなときだったよなァ……。」
あの時は長を手にかけ森を滅ぼした。今度は宝玉を持ち去って──島の力の根源である宝玉を持ち去れば、あの森は消えていくのだろうか──また同じことをしようとしているのかも知れない。アイヴォリーは小さく身震いするとその想いをどこかへと押しやるようにして溜め息をつく。
昔のことを悔いても仕方がない。それは分かっている。それでも、あの青い瞳はまだこうやって彼を追いかけてくる。
あのときと同じ季節が来たから……思い出しただけさ。
強くそう自分に言い聞かせ、アイヴォリーは自嘲の笑みを浮かべた。そう、もう何も出来ることなどない。あのときに戻ることは出来ないのだから。
「アイ……どうしたの?」
寝ていたはずの彼の相方が、彼の背中に声をかけた。アイヴォリーは彼女に背中を向けたままで肩を竦める。
「ナンでもねェさ。ソレより戻らねェとカゼ引くぜ?」
「うん……寒いね。」
言われた言葉とは逆に、彼女の声が近づいてきてそっと手に温もりが伝わった。手甲越しにでも感じられる、確かな暖かさと重み。小さな、アイヴォリーのそれよりもずっと小さな手。
それでも、彼女は、確かな存在感を彼に与えていた。
イイじゃねェか。今は大切なモノがあるんだから。今は、ソレで。
「サムい、ねェ。」
言葉とは裏腹に、自分を包むケープを外して彼女の肩にかける。エルフたちからあの村で作り方を教わった唯一の、本当の魔法の品のケープを。真の闇に近い暗闇の中でも、その姿隠しの外套は充填された魔力で淡い光の粒子を吐き出した。一瞬だけ、彼女の髪がそれを反射して仄かに煌いた。
「さァ、寝ようぜ。明日も全力で移動だ。休みナンかねェからな?」
ようやく彼女に振り向けるようになったアイヴォリーは、いつもの笑みでメイリーにそう言った。思い出してしまった青い瞳は、もう彼の心の中から消えていた。
~二十七日目──昔の思い出~
- 2007/11/27(火) 05:29:32|
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結局、ジョルジュに頼まれたのは、普通の斧だった。普通といっても、それはあくまでもアイヴォリーの普通であって、唯の斧という訳ではない。確かに見た目に関しては、遺跡外でも良くありそうな極普通の手斧というやつだった。だがその見た目にもかかわらず、斧頭として使う金属の比重から柄の細かい長さまで詳細な指定が付けられていた。振るうときのバランスを取るためにそういった全ての指示が為されている。身の軽さによって相手の攻撃を凌ぐアイヴォリーにとって、そういった質量で攻撃する武器は一歩間違えば命取りになるかも知れない代物だ。手数によって相手を圧倒し、常に自分の回避を優先する彼の戦い方においては、自らのバランスを崩す攻撃というのは、それで相手の止めを刺すとき以外には決して行われない類の行動だからだ。
「どうすれば良いかなぁ……。」
ジョルジュは悩んでいた。与えられた素材は優秀な武器を作るのに十分なものだ。それは斧でも同じことで、アイヴォリーが与えた指示通りに作っても見事な手斧が出来上がるだろう。アイヴォリーは素材の性質までを考えた上で全体的な武器の完成図を頭の中に持っているらしく、一見すれば与えられた素材を使ってこの指示以上に優れた武器を作ることが不可能なほどに、彼の指示は的確そのものだった。
だが、それに納得できない自分がいることにも、ジョルジュは気付いていたのだった。昨日の簡単な立ち合いを見るまでもなく、彼のように身軽さを身上とする軽戦士タイプの前衛にとって、斧というのは非常に相性が悪い。バランスのために全体の重量を下げれば、それは一撃の威力という斧の利点を殺して単なる使いにくい棍棒になってしまうし、かと言って重量を上げても筋力が足りなければ十分なスピードを乗せることが出来ない。威力が乗らなければこの手の武器は簡単に見切られ、弾かれることで致命的にバランスを崩してしまう。そもそも、両手で別々の武器を操りながら手首の動きによって多くのフェイントを繰り出すアイヴォリーの戦闘スタイルには、真正面からスピードを乗せて一直線に叩き付ける斧というのは、いかにも相性の悪いものだった。それは、アイヴォリーの絶妙な武器への知識を持ってしても、それ自体が武器の特性という根源的なものに由来しているだけに、避けようのないものだった。
「う~ん、こんな感じかな……アスカロン、手伝ってくれるかな?」
何かを決めたらしいジョルジュが、自らが常に佩いて手放すことのない聖剣に声をかける。いつものように、表面だけはうんざりした表情を浮かべて具現した少女が、ジョルジュが描き始めた武器の設計図を覗く。
「あんた、こんな言われてもないもの作ったりしたら、またあの男にうるさく言われるわよ?」
聖剣のそんな呟きにも耳を貸さずに、ジョルジュはアイヴォリーが寄越した詳細な指示を脇へ届けると、自分が練り上げた武器を実現するために手早く設計図を描いていく。彼から与えられた指示をそのまま実行するだけでは越えられない壁を越える何かを、自分なら創り出せる。そう信じていた。
+ + + 完成品を見せられたアイヴォリーは、ただ小さく鼻を鳴らしただけだった。ちらりと目をやって、鼻を鳴らして。
「……どう、です。アイヴォリーさん……。」
これを作っている間、ずっとアスカロンに“アイヴォリーがどれだけこの斧に対して文句を言うか”を、様々なバリエーションで延々と言われ続けたジョルジュは、流石に恐る恐るといった感じでアイヴォリーに尋ねる。それに対して、アイヴォリーは彼女が言っていた反応の内の、どれでもないものを返して来たのだった。
ジョルジュが創り上げたのは、今までに誰も見たことのない“斧”だった。何に近いかといわれれば、ハルバードの穂先に一番近いだろうか。ショートソードほどの片手で握る柄と、その先にあまりにもバランスの取れていなさそうな巨大な斧の刃が取り付けられた奇怪な武器。まるで護拳のようにして斧の刃が柄よりも長く垂れ下がり、さらに先端側は次第に細くなってグラディウス──幅広の小剣のように突き出している。あまりにも珍妙な武器だった。どう考えてもアイヴォリーが喜ぶとは思えない、異様な形の武器だった。
「まァボウズ、ちょっとソイツ貸してみろ。」
ジョルジュがおずおずと見せるその“斧”に手を伸ばし、彼からそれを受け取るアイヴォリー。柄を握りこむと、まさにその刃は護拳であることが分かる。握った拳の周りを取り囲んで守っているのだ。結構な重量があるものの、刃が手首の周りに配置されているためにそれほど重くは感じられない。もう一度小さく鼻を鳴らして、アイヴォリーはジョルジュを促した。
「ちっと手伝え。」
ジョルジュを天幕の外へと連れ出し、適度な間合いを取ったジョルジュにアイヴォリーは顎をしゃくる。促して剣を抜かせ、アイヴォリー自身は構えることすらしない。左手にその“斧”を持って自然な体勢で立っているだけだ。
「ホレ、実際に使ってみねェと分からねェダロ、さっさと来な。」
ジョルジュを急かし、いつものように口の端で笑みを浮かべる。気乗りのしない様子でジョルジュは剣を構えた。昨日の、斧に振り回されるアイヴォリーの様子は無論彼の記憶に新しい。それでなくても昨日の練習試合ではジョルジュの大技を避け損ねて手酷い一撃を被ったアイヴォリーは、その後もかなりの間足元がおぼつかない様子だったのだ。それでまた切りかかれと言われても、躊躇しない方がどうかしているというものだろう。
「じゃ、じゃあ行きますよ……?」
恐る恐るといった様子で、どこか腰の引けた一閃をジョルジュが放った。鋭い金属音とともにその一撃を跳ね上げて、今まで立ち尽くしていたアイヴォリーがジョルジュの懐へと滑り込み、その喉元に斧の刃を突きつけていた。その護拳で一撃を受けて跳ね上げ、そのまま間合いを詰めたのだ。
「……ボウズ、ソイツは手をヌキスギじゃねェか?」
冷たい目で、吐息が触れ合わんほどの距離で。アイヴォリーが押し殺した声で呟いた。ジョルジュが後悔のいろを瞳に浮かべるがもう遅い。
結局、武器の出来を手放しで喜ぶほどに認められたにもかかわらず、ジョルジュは予定通りアイヴォリーに延々と怒られたのだった。
+ + + 遺跡の中で、床と呼ばれる通路部分はその他の地形よりもいわゆる“遺跡”に近い。その地域によって材質は異なるものの、床はほとんどが舗装されていて、壁も存在する。ところどころ剥がれた石畳や崩れた石柱などが転がって障害物となっていたりもするが、ほとんどの部分は寒々とした石造りの灰色の地形だった。
「ヤレヤレ、こういうトコはなァ……コマるんだよな。」
うんざりした様子で呟くアイヴォリー。“床”では現れる敵が砂地や平野に比べて格段に強い。必要がなければわざわざそこで野営する者も少ないのが“床”だった。だが、今のアイヴォリーはそういった“目の前にある危機”に対してではなく、もっと日常的な問題に対して愚痴をこぼしているのだった。
遺跡の地面が完全に石畳では、火を起こすのが非常に手間がかかる。それはつまり料理をするのに不必要な時間がかかることを意味していた。それでなくても、アイヴォリーの料理というのは自然の中では、その様々な要素を使って行われている。石を組み合わせて竈を作り、枯れ木を使って火を起こし、地面を掘って蒸し焼きにする。そういった全てが石畳では行えないのだった。
結局、アイヴォリーが今やっているのは持ち込んだ固形燃料で小さな火を起こし、携帯用の保存食を水で戻して煮込んでいるという、探索者にはありがちな、味気ない食事の準備になっていた。
それでも、火を起こせるだけでもありがたい。この固形燃料にしても、エルフの村でその作り方を教わっていなければ今こうして火を起こすことさえ出来なかったのだ。よく乾いた草を練り込んだ粘土と一緒に、発火の小魔法を封じ込めた糸を巻き乾燥させたもの。この粘土で作った泥団子のような見かけの小さな物体は、その見かけによらず安定した火力で結構な時間の間暖かな火を提供してくれる。エルフたちが森の中で培ってきた、自然と魔術を高度に融合させた日常の生活用品だった。だが、それ単体での火力は大きな焼き物をするには不十分で、水を沸かすか覚めたシチューを温め直すくらいにしか使えない。彼らの知識はあくまでも自然の中で用いるために考え出されたものだからだ。
「ヤレヤレ、まァ仕方ねェやな……。」
アイヴォリーは中々温まらない鍋の中を覗き込みながら、手元の小さなクッキーを齧った。これもエルフたちから教わったものだ。彼らは長距離を素早く移動しなければならないときに必ずこれを食料として携帯していた。“焼き菓子”という意味のエルフ語で名付けられたそれは、魔術師や野伏たちには“エルフの焼き菓子”として知られている。一欠け口にすれば一日を不眠不休で乗り切れる。一つ食べれば一週間何も採らずに移動できると言われる、魔法のような糧食だった。
実際に、エルフの森にいた頃にアイヴォリーはそれを口にしたことがあった。蜂蜜を練り込んで焼かれたそれはほんのり甘く、どれだけ時間が経っても焼き立てのような歯触りで、それは感動したものだ。
だが、今アイヴォリーが齧ったクッキーは、味こそ似てはいるものの、こういった遺跡特有の湿気を吸ってぼそぼそとした味気ない、時間の経ったクッキーでしかなかった。それもそのはず、アイヴォリーは未だにあの“エルフの焼き菓子”を作れないでいた。エルフたちの秘伝の一つ、本当の魔法の品。固形燃料のような日常の便利な道具ではなく、あれはエルフたちが長い時間の中で作り上げてきたものなのだ。作り方を知らない訳ではない。あの村で偽りの平和なときを過ごしていた人間の間者は、取り入ったエルフの娘と一緒によくあの焼き菓子を作っていた。だが、そのときから一度も上手くいったことはなかったのだ。それは、人間では到底及ばない、長く平和な、時の止まったエルフたちの時間の中で覚えるものだったから。
「チッ、ウマくねェな、相変わらず。」
自分で作ったクッキーに不平を漏らし、アイヴォリーは鍋をかき混ぜる。メイリーが絶賛してくれるそのクッキーは、彼には今でもどこか苦く、裏切りの味がした。
まだ壁は乗り越えられていないようだ。
~二十六日目──“壁”~
- 2007/11/27(火) 05:27:52|
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アイヴォリーがようやく手にした、一つ目の宝玉。この“島”の力そのもので、その属性の精霊力がその中に封じ込められている。この“島”が何千人もの人間たちを抱える許容量のある巨大なものだけに、その力は欠片といっても大きなものだった。
その途轍もない、宝玉の秘めた力を、かつて独力で解析しようとした者がいる。彼は今のこの場所と同じであって同じではない“島”、かつての“島”でそれを成し遂げようとした。その成果は完璧ではなかったものの、一定の成功を収め、彼が姿を消した後も彼の友人たちへと引き継がれていた。彼が宝玉から動力として純粋なエネルギーを取り出す方法を発見し、それにより彼の温めていた研究──物体を別の場所へと瞬時に移動させる方法──は現実のものとなった。
そう、その知識は今も引き継がれている。彼がこの島で出会った小さなウィンドミルの少女を介して。
「あァァァァッ、ナンでウマくイカねェんだよッ?!」
静かな朝の野営地の中で奇声をあげる男が一人。そのウィンドミルの少女ルミィから、ハルゼイがかつて築き上げた転送や合成の全てを託され、今その技術を引き継いでいるのは、不幸にも一切そういったものに向いていないこの盗賊だった。
アイヴォリーの目の前には、“移動式ラボ”とそれまでの先達が呼んでいたものを極限まで簡素化したシステムだ。全ての統合を行い制御する軽量のノート型コンピュータ。そこから命令を伝達され、実際に物体の分解と再構築を行うための電子式組成装置が二つ。言ってしまえばそういう構造なのだが、残念ながら当のアイヴォリーにとっては“繋がった魔法の板”と“魔法の箱”にしか過ぎなかった。
「えェい、クソッタレッ!」
怒りに任せて目の前の“魔法の板”を殴りつけようとして、勢い良く振り下ろされかけた拳が直前で止まる。昨日友人の一人に聞かされた話では、実はこの機械は繊細なものらしい。うっかり壊してしまえば中の記憶が全て消えてしまう上に、取替えも利かないということだった。無論その機構を理解した者が必要な部品を揃えれば修理も出来るのだろうが、残念ながらというか当然というか、今の継承者であるこの白い盗賊にそんな技術はない。要するに、これを壊してしまえば今までの苦労が水の泡になってしまうのだった。
“ねずみさんを繋いでね。”と書かれた一番弟子の、彼向けの取扱説明書と睨めっこしながら鼠に良く似た操作用の機械を探し、あるべき場所に接続するのに一日かかった。“アイコンを押してください。”と書かれた、この機械の製作者の難解な資料と格闘しながら、実際に画面に映る四角いアイコンをいくら指で押しても何の反応もないことに嫌気が差し、三日間放棄したときもあった。それまで山猫避けに使っていた光る円盤に膨大な量の情報が詰め込まれていると知ったときには、この情報で自分が全知全能になれると確信したものだ。
だが、そんな日々も今は懐かしい。アイヴォリーは、確実に進歩していた。デスクトップに貼り付けられていた合成表のテキストを間違えて開き、合成の理論を理解した。たまたま他のアイコンを適当に押してみた結果、島の別の場所にいる生き物たちをその場に召喚するという魔術のような別の機能も発見した。そして今、動力源となるはずの水の宝玉を手に入れたアイヴォリーは、この機械の本来の目的を実行するために、画面に映る数式と格闘していた。
「コレが……分解の精度で……コッチが再構成の合成率だろ……ココが……ヤッパ再構成の位置のハズナンだケド、ねェ……。」
溜め息をついて目頭を揉む。細かい作業が得意なアイヴォリーだが、これはまた別なのか非常に目が疲れるのだった。もう一度画面を注視し、作業に戻る彼の背中はパソコンが不得手なせいで仕事が進まず残業で一人残されたサラリーマンばりに煤けていた。
この移動式ラボを作り上げた彼の友人ハルゼイは、これで遠く離れた味方へと支援物資を送り届けていた。別の世界にいた部隊の仲間の下へと自らを転送し、その仲間を連れ帰ってきた。このラボを彼から譲り受けたルミィは、この装置を使って自らを転送させ、どこかへと旅立って行った。彼の先達二人は、確かにこの機械を使って“それ”を成し遂げたのだ。それならば、アイヴォリーにも同じことが出来るはずだった。ハルゼイは宝玉が動力源として使えなければ不安定すぎて転送を行うのは危険だと言っていたのだ。だが、それに続いたルミィに至っては宝玉さえ無しに自らを転送した。今のアイヴォリーには、彼らがそれを成し遂げたこの“魔法の板”と、そして宝玉がある。絶対に、出来るはずなのだった。
「あァ……まァイイか、実行。」
適当に数字を入れ替え、実行のボタンを押す。コンピュータの裏に設えられた丸いスロットにはめ込まれた水の宝玉が光を放ち、箱の中が輝いた。まさか“島”も“榊”も、宝玉がこんなことに使われているとは思わないだろう。そして輝きが収まると、聞きなれた鐘の音と共に箱の中にどうしようもない物体が一つ現れた。
「だァァァァァッ?!」
叫びながら箱からどうしようもない物体を取り出し、それを思いっきり遠くへと投げ捨てるアイヴォリー。本当ならば箱自身を投げたいところなのだが、これも取り替えが利かないので仕方なくどうしようもない物体に当たっているらしい。これで何回目の挑戦なのか、アイヴォリーの周囲にはどうしようもない物体が山のように散乱していた。
「だからッ!ナンでッ!合成すんだよッ?!転送しろッつーかもうどうしようもない物体とか有りアマッてるからッ?!」
清々しい冷気が立ち込める爽やかな朝っぱらから、コンピュータを相手に一人で怒りまくるアイヴォリーを、仲間たちが心配そうに、だが明らかに遠巻きにして見ているのは、単にアイヴォリーが怒っているからでないのは明白だった。
こんなとき、このコンピュータを創り上げた男、ハルゼイが横にいたら苦笑しながらこういっただろう。
「ウィンド殿、物質転送はこのアプリケーションではなく、このアイコンから起動する別のアプリケーションで行うんですよ。」
と。だが、非常に残念なことに、今アイヴォリーの周りにはそれを理解して指摘できる人間は誰もいないのだった。結局数日後に、自棄を起こして画面中をめちゃくちゃにクリックしまくったアイヴォリーが偶然そのアプリケーションを発見するまで物質転送は実現されなかったという。
+ + + 「あ、アイヴォリーさん……本当にやるんですか?」
なぜか恐れを滲ませた顔でジョルジュがアイヴォリーに確認する。その問いに、アイヴォリーはどこかうんざりした様子で頷いた。
「ヤると言ったらヤる。オトコに二言はねェ。」
その言葉を聞いて、ジョルジュの顔が歪んだ。どこか悲壮な決意を固めてジョルジュは腰に佩かれたその剣を抜く。
「じゃあ……行きますよッ!」
「どッ……こらせとうおッ?」
牽制で横薙ぎに振るわれたジョルジュの一撃を済んでのところでどうにか躱すアイヴォリー。だが、持ち上げようとした借り物の得物はその場に置き去りのままだった。
両のブーツに佩かれたダガーは両方とも抜かれていない。その代わりに、アイヴォリーの目の前には、子供の身長ほどもある巨大な斧が地面に突き立てられている。一目見て業物であることが分かるそれは、ジョルジュが普段剣と共に使っている斧だった。
かつて仲間として共に彼と戦ったウィンドミルの少女ルミィが振るっていた、彼女の身の丈ほどもある斧を参考にして、ジョルジュが作り上げた名品。質量で叩き斬る武器の象徴とも言える斧の戦い方に忠実に非常に堅牢な作りで仕上げられ、これまで仲間たちの武器を一手に引き受けて打って来たジョルジュの武器作製の技術の粋が込められている。黒く鈍く光る刃は剣呑で、そこには本来の威力をさらに増すために加速の呪が刻み込まれており、それによってさらに刃は速度を増して相手に迫る。長めに作られた柄は重量のバランスを考えられてのもので、力いっぱい相手に叩きつけても使い手の重心を崩さず、すぐに次の攻撃や防御に移行できるように考え抜かれたものだった。
「アイヴォリーさん……やっぱり無理なんじゃ……。」
どうにかしてその斧を持ち上げようとして、たたらを踏んだアイヴォリーを見てジョルジュがそう声をかける。肩に担いでようやく持ち上がったものの、アイヴォリーの足元は未だにふらついていて、振るうどころか斧に潰されそうな雰囲気すら漂わせていた。
「ウルセェッ、オレだってアサシンの端くれ、武器のジャンルなんて選ばねェんだよッ!
さっさとかかって来やがれッ!!」
「……困ったなぁ……。」
アイヴォリーに急かされて、小さくそう呟いたジョルジュが明らかに気乗りしない様子で手を抜いた一撃を放つ。それを受けるアイヴォリーはというと、その攻撃を避けるためにさっさと斧を投げ出し後方に飛び下がっていた。
「アイヴォリーさん……それじゃ意味ないんじゃあ……?」
「ウルセェ、もっかい担ぐからちょっと待ってろッ?!」
その業物を使いこなすとかいう以前の問題として、そもそも一度もそれを振るえていないアイヴォリーの様子を見てジョルジュは困ったように苦笑を浮かべた。いきなり呼び出され、回避の訓練に付き合ってくれ、と頼まれて彼と対峙したのだが、とりあえず回避をしてはいるにしても、そこにわざわざ頼まれて持ち出したこの斧が関係しているようには見えない。どう見ても普段通りに避けているだけだ。多分この後で斧を作れと言われるのだろうが、その重量をどうやって削れば良いのか。必死の形相でもう一度その斧を担ぎ上げようとしているアイヴォリーを他人事の視線で眺めながら、既にジョルジュはそのことで頭がいっぱいだった。
~二十五日目──“猫に小判”~
- 2007/11/27(火) 05:26:24|
- 偽島
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ようやく水の宝玉を手にしたアイヴォリーたちは、遺跡外での休養もそこそこに遺跡へと舞い戻っていた。食料の買い足し、明かり用の油や各々が必要な雑多なもの。付加や合成など、足りない生産の調達。他にも砥石や矢といった武器に必要になるもの。そういった様々なものが探索には必要になる。そんな買い出しを終えると、さほど時間は残らない。それでも、アイヴォリーとメイリーは残った時間で遺跡外の露店を冷やかしながら散歩した。その結果、とんでもない面倒に巻き込まれたのだが。
「アイ、昨日の怪我は大丈夫?」
「んあ~、まァな。結構ザックリイカレたケド、まァイツもに比べリャ大したモンでもねェさ。」
アイヴォリーが真新しい包帯が巻かれた腕をぐるぐると無意味に回してみせる。昨日メリルに斬られた傷の跡だ。その包帯の下は、昨日斬られたときこそかなり深手に見えたのだが、それでも見た目ほどには深いものでもなかった。突発的なものだったとはいえ、あくまでもそれは練習試合であって死力を尽くした果し合いではない。恐らくは手加減されたのだろう。
「ヤレヤレ……クソッタレ……。」
アイヴォリーが不機嫌そうに呟いた。腕に巻かれた包帯を無造作に巻き取ると、既にその下の傷は癒えている。それを見て、さらに不機嫌そうにアイヴォリーは舌打ちした。
「勝手なコトしヤガッて……オレならもっとカレイに避けたッつーの。」
どうやら、アイヴォリーの怒りの矛先は、その傷を付けた少女に対してではなく、突然やってきて勝手に身体を使った赤い道化師に向いているらしい。実際にアイヴォリーが彼女たちと立ち合って回避できたかどうかはともかくとして、自らの身体を勝手に使われるという不快感は拭い去れないものだったらしい。
気付いたら終わっていた、というのならばまた違ったのだろうが、アイヴォリーはそのとき、まだ自らの中に存在する意識を感じていた。その感覚は妙なものだった。自分の身体を使って他人が、自分の意志とは関係無しに戦う様子。大家が店子の商売を横目で傍観しているようなものだ。気に入らないのだが、契約期間の間は追い出すことも出来ない。だがその問題は、その契約期間がいつまでなのかも分からず、いつになればその店子を追い出せるのか大家に分からなかったところだった。
「さてさて、ウデも大丈夫みてェだし、マタ今日からガンバッて行きますかねェ……。」
「うん、頑張ろうね♪」
腕を擦ってから首を回し、アイヴォリーは自分に気合を入れた。あれだけの傷を負えば、いくら手加減されていたとしても翌日に傷が残らないなどということは有り得ないのだが、妖精騎士としての恩恵は今も現れているらしい。いい加減その驚異的な回復能力に慣れてしまったアイヴォリーには、それを別段不思議とも感じられなかった。実際にはそれは、
“傷は思いの他浅いものだった。”と記された結果だったのだが。
「よし、じゃあソロソロ移動すんぜ。嬢ちゃんを呼んできてくれ。」
メイリーに、もう一人の仲間である妖怪の少女を呼んでくるようにいうアイヴォリー。正直なところ、戦闘中や訓練の非情さからか、アイヴォリーよりもメイリーの方が彼女と分かり合えているらしい。もっともそれは、性別と年齢の違いというだけの話なのかも知れなかったが、アイヴォリーもわざわざそんな自虐的な質問をしてみる気にもならない。
「そういえば今日、やえちゃん見てないわね。アイと違って寝坊とかしないんだけどな?」
「ナンでソコでオレが出て来んだよ……。」
必要以上に“アイと違って”の部分を強調してそう言ったメイリーに、アイヴォリーが白い目を向ける。だが、普段他人の目があるところではさぼって寝てばかりいるアイヴォリーの言葉には、当然ながら説得力はない。
「じゃちょっと探してくるね。アイは荷物まとめといて?」
「おゥ、早めに戻って来いよ。」
気のない返事を返して、どこかに感じる違和感に首を捻りながらアイヴォリーは空を見上げる。気のせいだと良いのだが、と心の中で呟きながら。
+ + + 「アイっ、どうしよう……っ!」
「ふむ……まァ、仕方ねェダロ。」
メイリーからその報告を聞かされたアイヴォリーは、思いの他動揺していなかった。彼にしてみれば、嫌な予感が当たった、というだけの感想でしかなかったのだ。こういった彼の嫌な予感は、悪いものであるほど的中する。それは今回も例外でなく、それゆえにアイヴォリーは小さく鼻を鳴らしただけだった。
「仕方ないって……どうするのよ、もう出発しないとダメなのにっ!」
その報告をしたメイリーの方が慌てていた。そんな大切な相方の様子を冷静に見ながら、アイヴォリーは口の端を少しだけ歪めた。彼女に気付かれない程度に、冷ややかに。
「大丈夫だ。オレたち二人だけで行くぜ。」
「ってアイっ?
それって置いていくってことなのっ?!」
アイヴォリーの冷たい言葉に、彼の小さな相方は抗議の声を上げた。それも当然のことだ。今回のダイブは探索の今後を左右する重要なものだと聞かされている。その初日に、予定していた三人ではなく二人で探索を始めようなどと彼が言い出すとは。
そう、アイヴォリーの嫌な予感は的中した。つまり、やえは集合時間になっても現れず、どこを探しても見当たらなかった。移動先は告げてあるものの、共に移動しなければその日の戦闘を共に行うことが出来ない。それはここまで三人で組み立ててきた戦術が機能しないことを意味している。そしてそれ以前の問題として、この白い妖精にとっては、新しく出来た友人を置き去りにしていくということを意味していた。
「心配すんな、すぐに追いついて来んだろ。」
本人にその気があればな。続いて口に上りそうになった言葉は胸の内にしまいこんで口には出さない。今それを彼女に告げてこれ以上彼女を落胆させる必要もないのだ。
「もう移動しねェと、オレたちの方がハグレちまう。心配すんな、昔はこうして二人で冒険してたじゃねェか。
懐かしいしねェ、メイリーと二人旅ッつーのもオレは悪ィ気はしねェぜ?」
「えっ?
う、うん……それはそうだけど……。」
アイヴォリーが戦術的に口にした歯の浮くような言葉に、純粋な彼の相方は彼の予想通りに微かに頬を赤らめ、俯いてほんの少しだけ同意する。彼女に嘘を吐いているような罪悪感が胸を小さく、だが鋭く刺した。だが、アイヴォリーはそれを押し殺す。そもそも本当に戻ってこないと決まった訳ではない。
「さァ、オレたちも行こうぜ。今回は遅れるワケニャイカねェんだ。怒られるのはゴメンだぜ?」
メイリーを急かしてまとめた荷物を担ぎ上げる。そう、今回は今後の探索のためにも、予定を曲げる訳には行かない。
「……悪ィな、メイリー。」
視線を前に据えたままで、アイヴォリーは小さく呟いた。このままならば、自分もメイリーももう彼女と会うことはないだろう。予感はこんなときばかり当たるのだ。外れたことはない。
漏れるように口にされたその言葉は、アイヴォリーに押し殺されることはなかった。それがアイヴォリーの、彼に出来る最大限の、せめてもの彼女への気遣いだった。
+ + + 夜になって、アイヴォリーとメイリーの前には一人の仲間。かつて一度別れ、再び道を同じくにした仲間だった。
「じゃあ、まだ分からないけどこれからよろしくなんだよ?」
「うん、もし一緒に戦うことになったら楽しくやろうねっ!」
メイリーが彼女の特徴的な口調での挨拶ににこやかに答えた。それに応えるようにして、新しい仲間の特徴的な耳がぴこぴこと動いた。
細雪。その特徴的な耳から猫系の獣人に見えるが、実際にはそうではないらしい。見かけの華奢さに反してかなり体力に秀で、アイヴォリーでさえも嫌がるような弓を引く膂力の持ち主。今回の島の探索を共に始めた彼女は、一度は休養のためにアイヴォリーたちと別れ、遺跡外で身体を休めていた。だが今回のダイブにおいて、魔法陣で偶然出会った彼らはお互いのために再び同道することを決めたのだった。
結局、夜になってもやえは現れなかった。半ばそれを予想していたアイヴォリーは、毎日行われる仲間内での会議の際に全員にそれを伝え、当面メイリーと二人で仲間たちに追いついていくことを宣言した。
だが、予定されていた三人での戦闘ではなく、二人での戦闘になることは、当然ながら仲間たちの同意を得られなかったのだ。それもそうだろう、今まで前衛の重要な役割である後衛を守る仕事はやえがそのほとんどを受け持っていたのだから。身が軽く、相手の攻撃を回避と受け流しでやり過ごすアイヴォリーは、その補助や遊撃としての能力には秀でていても、一人で前衛を受け持つには不向きなのだから。
そこで提案されたのは、同道しながらも単独で探索を続けようとしていた細雪との共闘だった。無論お互いの安全のため、この提案は非常に魅力的なものだ。アイヴォリーは、その身軽さのために犠牲にしている一撃の重さを彼女の弓から得られる訳だし、細雪にしても単独で探索する際に発生する様々な突発的な厄介ごとから身を守ることが出来る。だが、その魅力的な提案に反対こそしなかったものの、なぜかアイヴォリーは仏頂面だった。
「ナンでマタよりにもよってネコミミナンだよ……。」
「アイヴォリーさんもよろしくなんだよ!」
あの耳でいながらにして、自分の呟きが聞こえなかったはずはないんだが、そう思いながらも、笑顔を向けてきた細雪の言葉にアイヴォリーも笑顔で応える。絶対に聞こえていたはずだ。アイヴォリーの呟きに耳がぴくっと動いたのを、彼は見逃していなかった。
別に、アイヴォリーは細雪が気に入らない訳ではない。その裏表のない真っ直ぐな性格はもちろんのこと、体力に優れた戦闘能力もアイヴォリーは認めていた。当然すぐにメイリーとも仲良くなれるだろう。
だが、そういったアイヴォリーの彼女に対する評価とは全く関係なく、問題は別のところにあるのだった。
「マタあらぬウワサが立つじゃねェか……。」
シャルロット戦と、それに前後したメイリーのちょっとした遊び心。それ以来アイヴォリーに降りかかった疑惑はまだ忘れられていない。特に、彼の仲間たちの中でその疑惑を広めた者たちには。
それでも、最初にメイリーに挨拶したときよりもその耳が少しだけ悲しそうに垂れているのを見て、悪いことをしたかなと少しだけヘコんだアイヴォリーだった。
~二十四日目─“予定外”~
- 2007/11/27(火) 05:24:43|
- 偽島
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