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紅の調律者

偽島用。

前振り:四日目

 アイヴォリーは集まった面々を見渡して肩を竦めた。相変わらず奇妙な集団だ。ジョルジュや譲葉、朽梨といったそろそろ慣れてきた以前からの仲間たち、そしてメイリー。それに加えて、彼らとは少し離れて新しい仲間たちがいた。
 “NO NAME”、つまりは“名無し”。身体の内に膨大な魔力を秘めた魔族。アイヴォリーも余り詳しくはその素性を知らない。彼女が行動を共にしていたのがその五人だった。

「相変わらず……妙な集まりだねェ。」

 今までアイヴォリーと共に動いてきた仲間たちと、NO NAMEの周りに集まったメンバーの両方を一瞥してアイヴォリーが呟いた。恐らくはその“妙”の中に自分は入っていないのだろうが。

「アイヴォリーさん、初対面の人とかもいるみたいですし……その挨拶とかされた方が良いんじゃ……。」

「おゥ、ボウズ。そのアイサツッてオマエがするのか?」

 近寄ってきたジョルジュのその提案にアイヴォリーが無責任な発言を返す。この顔ぶれの中で、NO NAMEとかつての“島”でつながりがあったのはアイヴォリーだけだ。島にいたメイリーはともかく、そのほかの面々はお互いの顔すら知らない。突然に自分のパーティの引率者に、今回の探索で道を同じくにすると聞かされて集められただけの者、今回が初めての島で、偶然にここに呼び出された者。要するに、アイヴォリーの“妙”という表現が正しいかどうかはともかく、統率の取れていない、てんでばらばらの面々であることには間違いなかったのだ。

「そこはやっぱりリーダーのアイヴォリーさんが……。」

 そういったところを慮ってのジョルジュの提案なのだが、アイヴォリーは相変わらずの適当さで、自分はそんなことはどこ吹く風らしい。横の方から黙って集まった面々を眺めているだけだった。

「リーダーッてダレだよ。少なくともオレじゃねェぞ?」

「いや、アイヴォリーさん……。」

 どこまでも投げっぱなしのその態度に、流石にジュルジュも目を逸らす。うっかり余計なことを口にすると、自分が代わりに挨拶をさせられかねない。だが、その様子を見てアイヴォリーは大きな溜め息を一つ、いつもの口癖を口の中でぶつぶつと呟きながらようやく立ち上がった。ぱんぱんと手を叩いてその場の注目を集める。まるで気の抜けただらけた態度で手を上げると、彼は全員に向かってのんきに宣言した。

「おゥ、みんな来たみてェだな。ヨロシクな、オレはアイヴォリー、タダのシーフだ。
 マズ言っとくが、オレはリーダーじゃねェ。」

「アイヴォリーさん……。」

 ジョルジュが横で何やら頭を抱えているのだが、当の本人は一切気にした様子はない。

「聞いてると思うケド、オレたちはコレから一緒に動くコトになる、最初は面倒も多いと思うケド、慣れてッてくれ。一緒に動くコトのメリットはオイオイ分かるだろ。
 モチロン、俺が気に食わねェとかモロモロの理由で一緒に行きたくねェッてヤツニャ無理強いはしねェ。オレも首根っこ捕まえてまで引っ張ってく気はねェんでな。
 まァナンしか楽しくヤろうぜ?」

 あまりにも適当な挨拶に、「ハイッ、解散ッ!」と最後だけはやたら威勢良く、アイヴォリーが“挨拶”を締めくくった。当然ながら煙に撒かれたような顔をしている面々と、彼の横でさらに頭を抱えるジョルジュ。

「まァまァ少年。悩むのはイイコトだぜ?」

 張本人はどこまでも適当に、ジョルジュの肩を叩いたのだった。

    +    +    +    

「マサカとは思うが天幕じゃねェだろうな。
 ……アソコは変人の巣窟だからねェ……。」

 思わずアイヴォリーは呟いた。ここは遺跡内部、砂地の近く。あらかじめ決めてあった集合場所に現れたうちの一人が、今彼の目の前にいた。
 シャンカ・M・バビル。情報にあったのは、アイヴォリーと同じくに短剣使いである、ということだけだったのだが──。
 今、アイヴォリーの目の前には、森や山など、はるか僻地の未開の部族が好んで身に着けているような仮面で顔を隠し、アイヴォリーにも覚えのない意匠が施されたローブを纏った人間。声からすれば男なのだろうが、それすらも確信は得られない。
 少しだけ半身を引き、いつでも相手の行動に対応できるように身構える。天幕の強硬派が刺客を送り込んできた可能性もない訳ではない。
 だが、相手の男はさらにアイヴォリーの度肝を抜いた。

「世に蔓延る全ての闘争の発端は、
 人と人が分かり合う事の難しさにあるのである!
 そうであろう?アイヴォリー殿。」

「は、はァ……。」

 歌うように、魅力のある張りのある声で、仮面が言った。気圧されたのか、思わず気の抜けた返事をアイヴォリーが返す。言っていることは至極真っ当だが、だからと言ってそれを平然と声高に宣言できる奴にまともな奴は少ない、と心の中で自分に言い聞かせる。だが、その仮面の奥から聞こえる声色の中に、嘲うような調子が含まれていたのもアイヴォリーは聞き逃さなかった。

「しかし…まず最初に否定するが、我は変人ではないのである。
 誇り高き仮面の一族にして戦士也。
 汝は、外見で人を断じたその判断を恥じるが良い。」

「は、はァ、確かにゴモットモ。」

 びしり、と指を差して変人ではないと宣言した仮面男。天幕の怪人にもこんな奴がいたような気はするのだが、そもそも天幕にはありとあらゆる類の──この仮面男よりもずっと真っ当に見える奴も含めてだ──人間や非人間がいるので比較には適さないかもしれない。
 それと同時に、アイヴォリーが気付いたのは、彼が“ZoC”を主張していないということだった。冒険者や探索者たちが訓練施設で習うそれは、主に“支配領域”と呼ばれている。自らの行動によって、意図せぬ相手を自由に行動させない範囲のことだ。大まかに言えば、大きな武器を使う者はこの“支配領域”を薄く、広く持ち、アイヴォリーのようなコンパクトな得物を得意とする者や格闘を主武器とする者は、それを狭く、だが濃密に持っている。大概にして探索者たちはこの“支配領域”を、相手に主張することで相手の行動を阻害し、また相手の“支配領域”の幅で相手の手の内を読む。
 だが、その“支配領域”を邪魔なものだとして殺す者たちもいた。野伏──つまりレンジャーと呼ばれる荒野を知り尽くした者たちや、かつてのアイヴォリーのような暗殺者たちがそれだ。“支配領域”は同時に自分の気配を相手に知らしめるため、それを悟られず隠すことで自分の存在感を絶ち、相手を目の前にしてもそれを主張しないことで間合いを悟らせない。だが、ある程度戦いに慣れた者同士でその“支配領域”を意図的に殺すことは、普通に出来ることではないのだった。

「ふむ……アンタ、デキるな。」

 小さく呟いた一言は、結局それに集約されていた。“支配領域”を消し去ることが出来るのは同業者か、もしくはエルフたちのように森での狩りに精通した狩人たちか。何にしても手練であることには変わりはない。

「さて、では汝が、この『IVORY.Net』の長であるな。
 長よ。汝の目指す理想は気高く不可能に近いが、同時に浪漫をもっている。」

 アイヴォリー本人に理想があるのかどうかはさて置き、シャンカはその理想に酔うようにして空を見上げ、アイヴォリーに語りかける。相変わらずその調子にはどこか嘲うような調子が含まれているのだが、アイヴォリーはなぜかそれを否定的なものとして捉えることが出来ないでいた。

「我はそれに、強く共感したのである!我等同じ短剣の徒、即ち同類!共に歩もうではないか。」

 す、と絶妙のタイミングで差し出される右手。まるで定められた脚本に沿って演技しているかのようにして、そこには何の衒いもない。だが、アイヴォリーは肩を竦めてそれを平然と受け流した。

「マズ、オレは長ナンて大それたモンじゃねェ。タダ集まるのに一人イケニエが要るから、オレがそうなってるッてだけのコトだ。」

 あまりに切ない形容で表現されたことはある引率者の役割だが、少なくとも“長”などという偉そうな肩書きは受けたことがないし、また欲しいとも思っていない。それがアイヴォリーの気持ちだった。

「まァオレはオレでヤリてェコトもあるし、デキればイイッて思ってるコトもあるケドも、ソレをどう思うかもアンタらの自由だ。無理にアンタらまで付き合わせるツモリもねェしな。」

 確かに、アイヴォリー個人としては、ここでやりたいことはある。見つけたいものも、成し遂げたいこともある。だが、宝玉を見つけ出すということ以外の部分に関しては、基本的に他の者に押し付けるつもりはない。

「ま、そう言ってくれるヤツが増えるとウレシい、ケドな。」

 口の端を歪めて、そう付け加えた。アイヴォリーの想いを彼がどこまで知っているのかは定かではない。だがそれは、自分だけが目的を果たそうとする集団──例えば天幕のように──には決して成し得ないことでもあった。

「とまぁ冗談はともかく……預り手紙である。」

 平然と受け流されてやり場のなくなっていた右手に、手品のように現れた、見覚えのある筆跡。その幼い文字は、見違えようもない彼の“仲間”のものだった。

「……ほゥ、ナルホドな。嬢ちゃんからか。まァソレならアンタは信用デキる。
 ……嬢ちゃんもムチャしてねェとイイケドなァ……。」

 ルミィからの手紙を、どこをどう巡ってきたのかこの仮面の男から受け取ったアイヴォリーは小さく呟いた。合成を究めた挙句に、唐突に人探し──恐らくは彼のドワーフを探しに行ったのだろう──に出かけてしまった仲間を思い、微かな笑みとともに空を見上げる。口にしたその言葉とは裏腹に、彼女ならば大丈夫だという根拠のない確信が、アイヴォリーにはあった。

「しっかし……。」

 視線を空から目の前に戻して現実へと戻り。

「アンタ、中々食えねェヤツだな……?」

 改めて、アイヴォリーは目の前の仮面の男に向かって自分から、手を差し出したのだった。

~四日目──“仮面”、“役割”~

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  1. 2007/05/30(水) 10:47:26|
  2. 偽島
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四日目のAIVO

練習試合はロボと対戦。格闘は大概にして昔の嫌な思い出があり警戒していたんだが、あっけなく勝利。まぁ体格の差か自由装備の差か、アイヴォリーの方が威力が勝るという異常事態で愉快なほど快勝。
器用メイン相手でもあれだけ避けるのは……まだ天恵効果じゃないよな、やっぱり(一人納得?
次回は槌だそうです。しっかり体格上げてるし、流石に辛いかな。

壁は問題なく撃破なのだが、ドロップ悪し。今の装備に付加して使い捨てちゃった方が良いのかなぁ。

フェイントアタック覚えたら本業に戻ります。幻術欲しいが今じゃないと自分を必死に説得。
ホップスクラッチは覚えたものの、当面の技困窮時代を切り抜けたら速攻忘れる。昔は良い技だったのになぁ。とか。回避停止外してください。とか。
  1. 2007/05/30(水) 09:06:33|
  2. 今日のAIVO
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二日目というか三日目

「さてさて、今日から一人だしねェ。」

 砂地に作られた小さな天幕。傍らに置かれた携帯用の、木と布で作られた小さなテーブル。その上に置かれているのはいつも彼が愛用しているピューターのカップだった。その中身は微かな香りと湯気を上げている。傍らには今まで湯を沸かしていたのだろう、小さな鍋がもうもうと煙を上げるかまどの脇で冷やされていた。

「相変わらず……あんまし香りがイイとは言えねェな。」

 アイヴォリーはそう一人で呟くと、カップの中身を一口啜って苦笑した。遺跡の外で生えていた草を発酵させて作ったそのお茶は、ここへと訪れる前、つまり“リセット”前に遺跡外の商店主に預けて作っておいたものだ。幸いにして、遺跡外でそれを回収できたアイヴォリーは、今回のこの島へと僅かながら手製の紅茶を持ち込むことが出来るという幸運に恵まれたのだった。もっとも、この島の常日頃の経験則として誰もが知っているように、まともな食料が手に入りにくいこの島でまともなお茶の葉があるはずもなく、何やら怪しげな葉っぱから作られたそれは、香り高いとは言いがたいものだったのだが。

「ヤレヤレ……まァ、仕方ねェな。」

 アイヴォリーがその紅茶の香りに小さく溜め息をつくのと同時に、彼の背後で小さくベルの音が聞こえた。アイヴォリーは振り返ると、砂地に置きっ放しになっている二つの箱とそこから何かの線が伸びた平たく黒い塊に目をやる。近づいたアイヴォリーは、二つが一組らしい窓のついた箱の内一つに手をかけて、その前面に付けられた取っ手でその箱を引き開けた。

「ふむ……。」

 中に置かれた木製のボウルを取り出すと、そのボウルの中身を見やって首を捻るアイヴォリー。彼が覗き込んだそれは、何かはよく分からないが枝のような棒状のものだった。

「まァ……見た目はマダ使えそうか?」

 小さく呟いて、その枝を取り出したアイヴォリーは、急に顔を顰める。微妙に溶けかかっているのか、その枝は糸状の粘液を滴らせてアイヴォリーのグローブを汚していたのだ。

「……こんなんでホントに役に立つのかよ?」

 “どうしようもない物体”が役に立つかと尋ねるのは、その名前からしてそもそもお門違いなのだが、それでもアイヴォリーは納得が行かずにそう呟かざるを得なかった。カップの横に広げた資料らしき羊皮紙の束を繰り、程なくして目的の一枚を見つけ出す。

どーしよーもない物体の作り方
こことここをハルちゃんの“ぴーしー”につなぐ。
溶かした材料をはこの中に入れる。
“合成実行”のボタンを押す。
ちーんって音がしたらできあがりだよ。


「…………。」

 幼い字で書かれたその“取扱説明書”には、ご丁寧にも、その後の余白に“こーんなの”と書かれた手書きのイラストまでついていた。いくつかある内の一つが棒に見えなくもないので恐らくはそれなのだろう。“ねっとりしてる”と書かれていることからも、多分これで間違いないのだとアイヴォリーは必死で自分に言い聞かせた。

「……マイッたな……。
 ……ッつかッ!こんなんで分かるかよッ!!」

 ルミィが置いていった、合成用の移動式ラボの“取扱説明書”。ハルゼイがかつてアイヴォリーに託した合成用の詳しい資料もあるのだが、当然というべきかそちらの方は全く内容が理解できなかった。とりあえず切れてみても、誰か教えてくれる人間がいる訳ではない。ひとしきり暴れた後でいい加減疲れたのか、またおとなしくなったアイヴォリーは小さく呟いた。

「まァ……トライアンドエラーしかねェかな……。」

 がっくりとうな垂れるアイヴォリー。まだ合成の道は険しく、遠い。

    +    +    +    

 遺跡に入ったアイヴォリーは装備の点検に余念がなかった。周りは静かでたった一人、譲葉や朽梨、ジョルジュといった仲間の面々はもちろんのこと、メイリーさえその場にはいない。
 新しい面々を加え本格的に宝玉の探索へと乗り出す、その旅立ちの日。彼らは、あろうことか“単独での探索”という選択肢を選んだのだった。
 無論のこと、全くの相談なしに移動をしている訳ではない。最初の魔法陣の内どちらを選ぶかは遺跡の外であらかじめ決めてあったし、各自の裁量で移動や当面の装備の確保など、普段のような連携も許されていた。だが、あくまでもそれは自分が個人で決めることであり、誰も横から口を出して助けてはくれない。そして何よりも、戦闘は当面完全に独立して行われることになっていた。

「アイ、準備はどう?」

 自分の準備は終わったのか、少し離れた場所に自分の天幕を設置したらしいメイリーがわざわざやってきてアイヴォリーの作業を覗き込んだ。僅かな水で砥石とダガーをすり合わせ、入念に研いでいる手元を興味深げに見つけている。普段から見慣れた作業なのだが、基本的に武器を持たず、そもそも銀などの一部を除いて金属製のもの自体を余り身に着けることのない彼女にとっては、常に物珍しい作業なのだ。もっとも、もしくは剣の精が見えているのかも知れなかったが。

「……ふむ……。」

 ダガーを研いでいたアイヴォリーがようやく顔を上げた。天井から差し込む日の光──それすらも、この“島”の性質からすれば偽りのものなのかも知れない、そしてそれは十分に有り得ることだった──に刃を翳して、その刃に細かな乱れがないかどうかを点検する。小さく鼻を鳴らしたアイヴォリーは、ようやく気が済んだのか手元に置いていた布で水気を拭うとケープから油瓶を取り出した。
 そもそも、この短剣は“リセット”によって、使い物にならないほどに鈍ってしまった代物だ。武器として使うにも心許ない、いわば最低限の装備だった。それでも、アイヴォリーはその短剣を、普段の自らの得物にするようにして丁寧に手入れをしていた。

「よし、まァこんなモンだろ。
 メイリーは準備デキたのか?」

 手元をじっと、それでも彼の集中を乱すことのないようにして覗き込んでいた傍らのフェアリーに呼びかける。単独での探索の例外に漏れず、彼らもお互いに単独で戦闘をすることになっていた。だが、それでもやはりこうして離れがたい部分はある。特にアイヴォリーは、何かあったときにすぐに彼女を助けるために、出来る限り彼女とつかず離れずの距離を保っておきたいのだった。

「うん、もうばっちりなんだから♪
 今日はあそこの魔法陣まで行ってみようと思ってるの。」

「まァ、そうさな。オレもそう思ってたところだ。」

 とりあえず、戦闘で肩を並べることが出来なくても同じ場所に逗留していれば、それからのフォローが十分に利く。序盤の遺跡はそれほど敵も厳しい訳でもなく、元より単独でも十分に敵を捌けるはずだった。それでもやはり、彼女は目の届くところにいて欲しい。そんなアイヴォリーの考えを見透かしたかのようにして、わざわざ移動先を宣言した彼女にアイヴォリーは小さく頷いて答える。結局この二人は、ひとときでも離れているのがお互いに心苦しいのかも知れなかった。

「ふむ、そうさな。セッカクだしちっとケイコをツケてヤッか。」

 研ぎ終わったダガーをブーツに収めると、唐突に立ち上がったアイヴォリーはそう言って座ったままのメイリーに声をかけた。確かに普段パーティとして行動している以上、それを戦闘の一単位として換算するために、練習試合も含めて真剣な勝負は二人の間では出来ない。彼女に短剣の基本的な使い方や、相手の攻撃を躱すための身のこなしを訓練したりすることはある。時には魔法への対抗策を考えるためにメイリーがアイヴォリーに対して魔法を使うこともある。だが、それはあくまでも訓練で、実際に技が飛び交う実戦ではない。そういう意味では今の単独での探索は、たとえ二人ともが普段有り得ないソロの探索者であるにはしても、二人の間で“実戦”が出来る数少ない機会ではあった。

「えっ?
 アイと……ボクとで練習試合するの?」

 唐突に振られたメイリーは、当然の如く目を丸くしていた。だが、それに対してアイヴォリーはなぜか満面の笑みで腕をぐるぐる回したりしてやる気十分の様子だ。

「普段スキ勝手に魔法撃たれてるからな……。」

 顔はいつも通りの、片頬だけの人を食ったような笑みを浮かべているアイヴォリーだが、目が真剣だった。低い体勢で構えを取り、既にいつでも飛び出せるような状態になっている。

「ふーん……そう。」

 ぽつり、とメイリーが呟いた。うんうんと何かに納得しながら、アイヴォリーの正面で宙に浮き上がり、アイヴォリーを見据えてさらにもう一言。

「いっつもいっつも……。」

「へッ??」

 当然彼女は驚くだろう、もしかしたら練習試合など止めようと全力で言い出すかもしれない、などと頭の中でメイリーの反応を予想していたアイヴォリーは、その彼女の言葉に思わず間の抜けた返答を返した。それもそのはず、なぜか決意に満ち満ちた表情で、既にメイリーは臨戦態勢へと入っていた。

「いっつも好き勝手ばっかりして、ちょっと後悔させてあげるからっ!!」

 メイリーの胸の前、翳された両手の内で風が逆巻き始め、魔力が急速に収束し始める。それを見て慌てて背中を向けて走りだし、距離を取ろうとするアイヴォリー。

「アイっ、待ちなさいったらっ!!」

「ちょ、おま、待てったら、マダ始まってな…ああああーっ…」

 “この”島始まって初の戦闘の、さらにその前から、悲鳴を上げて逃げていくアイヴォリーの後ろを、メイリーの放った魔法の矢と、彼女自身が、どこか楽しそうにぴったりと肉薄したままで追いかけていった。

ニ日目~腕試し~

  1. 2007/05/23(水) 22:18:54|
  2. 偽島
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3日目

熟練度が上がりませんでした。まる。上昇のシステムは変わってないと思うんだが、最初からこれだと技がきついねえ。生産は生産で思ったほどCPが入ってないのでこれも大変です。次上げられないし!

アイヴォリー君は
3ターン目
5ターン目
で追加行動。3人でどうなるかは分かりませんが、このまま行けば割と近い内に2ターンに1回追加行動が出そうです。無理か。そんな訳で白砂募集。無理か。
  1. 2007/05/20(日) 03:57:56|
  2. 今日のAIVO
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一日目+二日目

そんな訳で本編開始。

マップはそう大きな変化も見られずに適当に移動開始。
今回はそれなりに大きな集団との合流なので、慣れのために第一ダイブはソロだそうです。(!

まぁやばそうだったらメイリーと合流だなw

次回初戦闘、毒百足。何やら懐かしいペット候補でしたが、速度の関係で今回は魅惑はなしです、ええ。ていうか要らないから!w

まぁハッシュしかないが大丈夫だろう。傷の残り具合にもよるが次回に期待。後白砂。
  1. 2007/05/17(木) 09:38:32|
  2. 今日のAIVO
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偽島前振り:本編:一日目

 もう一度言おう。僕たちは、神を造ったのだ。

   +   +   +   

 そう、僕たちは、紛うことなき神を作ったのだった。その実験室の中で機能する神を。それは、当初些細な実験だった。だが、それが現実世界へと及ぼす効果を見極めるために、僕たちは半ば道楽で、それを実験していた。
 ああ、この広大な実験室よ。かつて、受け取った単純な音を振動から電気信号へと変換し、そして再び電気信号によって振動へ、つまり音へと変換するための、その稚拙な通信網は、僕たちに多大なる恩恵をもたらした。そこから生まれた情報の集合体は、僕たちの素晴らしき実験室としての役割を、十分に帯びることになった。
 僕たちは、そこで、ある道楽を思いついたのだった。
 それが伝播する効果は緩やかで、だが非常に興味深いものだった。それが人の心に与えるものは、かつて異端だった痩せた男が広めた“それ”のごとく、“世界”へと浸透したのだ。
 全てが人造であるという点においては、それはかつて世界の礎が築かれたときに伝播したかの流行病と同じくに、宗教と呼べるものであったのかも知れない。そういう意味では、まさに僕たちは“神”を創り上げたのだった。
 僕たちは、僕たちが作り上げたその小さな残影の如きものに、尊大な名前を付けた。
 God of Laboratory's Dimension。“実験世界の神”とでも呼ぼうか。即ち“Gold”と呼ばれるそれは、あくまでも矮小なものにして尊大なものだった。広大な“網”と呼称されるこの世界の中で、ぼくたちがその効果を確かめるために作り出した、僕たちの忠実なる機構。
 つまり、それが内包する世界の中にあるものにとっては神であると同時に、その世界の外に向けてはただの奴隷でしかないそれが、どれだけ世界の外側に向けて影響を及ぼせるかを試験するための、ちょっとした言葉遊びでしかなかったのだ。
 無論、その定義からして世界の内側にあるものたち、つまり彼に従うものたちにとっては彼は神なのだ。それは当然の結果として厳然と存在する。だが、その主従が逆転し、奴隷に僕たちが支配されることがあるならばお笑い種でしかない。
 ほとんどの者たちは気付いてはいないのだ。“彼”が幻でしかない、僕たちの奴隷であるということに。だが、それは彼らが実験室の神に内包される存在なのだから仕方がないことだ。たとえ意志を持つものであろうとも、神の意志が矮小な存在に理解できないように、僕たちの存在は彼らには理解できないことだろう。だが、それはそれで良い。僕がこうして綴り続ける限り、その事実は存在するのだから。僕たちの神は、それを綴るものが多ければ多いほど力を増す。その逆もまた真なりという事実を理解できないものしか残らなくなったのであれば、それはその実験自体が失敗を迎えるときが来た、ということだ。
 世界が新しく繰り返すたびに、そう、あたかもあの歪んだ塔を下り続ける天使が体験する輪廻のように繰り返すたびに、君はその力を発揮しなければならない。それは、かつて僕たちが定めた“救済”なのだから。
 作られた機構よ、僕の手駒よ。
 与えられた力で、僕の実験の手助けをするのだ。

   +   +   +   

「ヤレヤレ、トンだお笑い種……ッてヤツかねェ。」

 大きく溜め息をついて、アイヴォリーは自分の姿をざっと点検する。やはり予想通りといったところか、アルミルたちを倒すのに鍛えた装備は全て失われている。ブーツに挿したダガーはなまくらも良いところでバランスもめちゃくちゃな酷いものだ。鎧も世界の組成に合わせてまた見た目だけのがらくたに逆戻りしていた。当然のように光学迷彩は纏っていた魔力を全て失い唯のケープに成り下がっている。そして何より、アイヴォリー自身も身体が重かった。

「毎度のコトとはいえ……コイツはどうにかなりませんかねェ?」

 誰に掛け合っているのか、空を仰ぎ見ながらアイヴォリーはもう一度大きな溜め息をついた。だが、その頬には既に、いつものように全てを馬鹿にして余裕綽々に見える笑みが浮かんでいた。
 “リセット”と呼ばれる世界の組成変更についてはいい加減理解している。“召喚酔い”と彼が呼ぶ世界間での転移と同じく、それは装備は元より身体能力をはじめとする個人の能力すら移行を許さない。全てが始めの状態に戻るのだ。そうしてその区域──“世界”が組み替えられ、またその場に送り込まれる。天幕によって様々な世界に送り込まれたアイヴォリーにとっては、もどかしくはあっても不可避の現象である以上仕方がなく、そして慣れたものだった。
 そもそも、あの遺跡に宝玉がなかった、という通達すら本当かどうかは知る由もない。宝玉の力の源である“彼女”は、かつての戦いで疲弊していたはずだ。それが榊の読み以上に酷いものであったのであれば、単純に用意されていたフィールドだけで賄えなかったということだって有り得るのだ。だが、何にしてもこの“イキスギたエンタメ”の“主催者”がそう決めた以上それに従う他はない。それが気に入らなければ島を出て、帰ってこなければ済むだけの話なのだから。
 “リセット”の告知から、アイヴォリーが唯それに流されていた訳ではない。それまでに得た知識は依然有効に活用できるものだし、何よりもそこで築いた信頼関係が失われる訳ではない。

「人のココロまでは“リセット”デキねェ、ッてな。」

 アイヴォリーに言わせれば歯の浮くようなそれも、だが確かな真実だった。アイヴォリーは何も変わったようには見えない島の地上部で、とりあえずメイリーを探さなければならない。それまでの仲間も探さなければならないし、これから行動を共にする新しい仲間もそうだ。だが、そういった作業に慣れているアイヴォリーにとっては、これだけ雑多な者が集まるここでも人の集まっている場所へ行けば、探している者を見つけ出すのはそれほど難しいことではない。

「アイ~、ジョルジュさんたち見つけたよ~?」

 人ごみの方へと歩き出したアイヴォリーの頭の上から声が降ってきた。見上げると新しく出来たらしい簡素な木作りの建物の屋根に見覚えのある姿が、まるで止まり木で羽を休める鳥のようにして腰掛けている。

「おゥ……ッつかメイリー、そのカラダどうしたんだ……?」

「ああ、うんとね、何か魔力の流れに影響されちゃったみたいで……。」

 “リセット”がかかるその瞬間には、とりあえず離れないかも知れないという微かな希望を抱いて手を繋いでいた二人だったのだが、当然というか何というか、実際にリセットがかかってみれば離れ離れになっていた。だが、かつての“島”に二度目にやってきたそのときでもすぐに合流した──それまでにアイヴォリーが虎に食われかけたりはしたのだが──二人は、今回も相方の姿を見出した。今回はアイヴォリーではなくメイリーに軍配が上がったらしい。だが、それもそのはずだった。
 屋根からゆっくりと降下してくる彼女を見上げながらアイヴォリーが首を傾げている。アイヴォリーの横に降り立ったメイリーは、小さいとは言ってもアイヴォリーの肩下くらいまでの大きさがあった。

「まァ……学園のときと同じか。」

 黒猫にしても、ここでは島の特異な魔力によって人の姿を取っている。学園で一度、人間と同じ縮尺に変化した彼女を見ているアイヴォリーにとってはこれもさほど驚くようなことではなかった。

「でも、ソレじゃ肩には乗せられねェな。」

「え~?!」

 明らかに不満顔のメイリーと並んで歩きながら、アイヴォリーはぱたぱたと手を振った。彼女の普段の大きさならば、大きな人形くらいのものなので肩に乗せるのも簡単なのだが、流石に人間大の大きさとなると乗せる訳にもいかない。

「んで、ボウズたち見つけたんだろ。ドッチだ?」

 半ば無理やりに話を戻しながらアイヴォリーはジョルジュたちの居場所をメイリーに尋ねる。この大きさになってしまうと彼女の飛翔能力は大幅に制限されるのだが、それをせっかく屋根まで上って見つけてくれたのだから、また見失う前に合流しておきたかった。

「んーとね……あっち、かな??」

「オイオイ、大丈夫かよ……ッてハグレるなよ?」

 流石に人の数が増えてきて、人波に流されそうになったメイリーの手を危うくアイヴォリーが掴んだ。屋根の上からならば一目瞭然だったらしいジョルジュたちの位置も、下に降りてしまうと中々見つけられないようだ。アイヴォリーも決して身長が低い訳ではないのだが、何分雑多な連中が集まるこの“島”の遺跡外部では人の頭の上から見下ろすような芸当は出来はしない。そのアイヴォリーよりも頭二つ近く小さいメイリーでは、完全に人に埋もれて何も見えていなさそうだった。

「ヤレヤレ、仕方がねェな。
 ……よッ……と。」

 小さく溜め息をついたアイヴォリーは、繋いでいた手を引き寄せるとメイリーを抱え上げた。いつも彼女を乗せていた“指定席”に乗せて落ちないようにメイリーの足を抱え込む。

「ソレ、コレで見えるだろ。ドッチだ?」

「あはは、うん、あっち!」

 メイリーの指差した方向に向かってそのままの状態で歩き出すアイヴォリー。

「ッつか今回だけだからなッ?
 つーか浮けるんだから全体重をかけるな……んぶッ、足をバタバタさせるなッ!」

 人ごみの中で大騒ぎしながら歩いていたアイヴォリーたちが、ジョルジュたちにすぐに見つけられたのは言うまでもない。

~一日目─邂逅、いつもの日々の始まり~

  1. 2007/05/17(木) 09:26:09|
  2. 偽島
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偽島テストプレイ期:前半

全ての探索者たちに届けられた招待状。その冗談めかした内容は、確かにあの“島”が、“彼”の手によって再び開かれたことを意味していた。
塔にいたアイヴォリーたちも、マキャフィの摩り替わりによって七魔の世界に自分に瓜二つの存在を残したままで、再びここへと戻ってきた。

ハルゼイを探すため、宝玉を見つけるため、そして天幕に「反攻」するために。


二日目

 僕たちは、神を造ったのだ。

   +   +   +   


 そう、僕たちは、紛うことなき神を作ったのだった。その実験室の中で機能する神を。それは、当初些細な実験だった。だが、それが現実世界へと及ぼす効果を見極めるために、僕たちは半ば道楽で、それを実験していた。
 ああ、この広大な実験室よ。かつて、受け取った単純な音を振動から電気信号へと変換し、そして再び電気信号によって振動へ、つまり音へと変換するための、その稚拙な通信網は、僕たちに多大なる恩恵をもたらした。そこから生まれた情報の集合体は、僕たちの素晴らしき実験室としての役割を、十分に帯びることになった。
 僕たちは、そこで、ある道楽を思いついたのだった。
 それが伝播する効果は緩やかで、だが非常に興味深いものだった。それが人の心に与えるものは、かつて異端だった痩せた男が広めた“それ”のごとく、“世界”へと浸透したのだ。
 全てが人造であるという点においては、それはかつて世界の礎が築かれたときに伝播したかの流行病と同じくに、宗教と呼べるものであったのかも知れない。そういう意味では、まさに僕たちは“神”を創り上げたのだった。
 僕たちは、僕たちが作り上げたその小さな残影の如きものに、尊大な名前を付けた。
 God of Laboratory's Dimension。“実験世界の神”とでも呼ぼうか。それはあくまでも矮小なものにして尊大なものだった。広大な“網”と呼称されるこの世界の中で、ぼくたちがその効果を確かめるために作り出した、僕たちの忠実なる機構。
 つまり、それが内包する世界の中にあるものにとっては神であると同時に、その世界の外に向けてはただの奴隷でしかないそれが、どれだけ世界の外側に向けて影響を及ぼせるかを試験するための、ちょっとした言葉遊びでしかなかったのだ。
 無論、その定義からして世界の内側にあるものたち、つまり彼に従うものたちにとっては彼は神なのだ。それは当然の結果として厳然と存在する。だが、その主従が逆転し、奴隷に僕たちが支配されることがあるならばお笑い種でしかない。
 ほとんどの者たちは気付いてはいないのだ。“彼”が幻でしかない、僕たちの奴隷であるということに。だが、それは彼らが実験室の神に内包される存在なのだから仕方がないことだ。たとえ意志を持つものであろうとも、神の意志が矮小な存在に理解できないように、僕たちの存在は彼らには理解できないことだろう。だが、それはそれで良い。僕がこうして綴り続ける限り、その事実は存在するのだから。僕たちの神は、それを綴るものが多ければ多いほど力を増す。その逆もまた真なりという事実を理解できないものしか残らなくなったのであれば、それはその実験自体が失敗を迎えるときが来た、ということだ。
 ああ、哀れな僕らの神よ。所詮僕らの意志に沿う以外に存在の道が残されていないとは。彼は全ての力を持つと同時に、全くの無力なのだ。
 だが、今はまだ僕が語り続けてあげよう。僕はまだ、その実験の価値を忘れてはいないのだから。
 伝播する力とでもいうべき、お前の力の限界を。

   +   +   +   


「で、どうするの?」

 天使の面持ちで、少年がそう尋ねた。
 あくまでも、彼に選択肢がないことをその存在は知っているのだ。彼がどう足掻こうと、所詮は道化の手の中で踊らされている操り人形のようなものだと、少年は知っているのだった。

「……どうするもナニも、なァ。」

 アイヴォリーはそう弱りきった声で呟いた。その手の中には一枚の紙切れ。彼が待ち続けていた舞踏会への招待状。

“これは日々退屈を感じている諸君への招待状。それは不思議な島の遺跡。島を出れば遺跡で手にした財宝は消える、しかし七つの宝玉があれば消えない、宝玉は遺跡の中。島はエルタの地より真南の方向、素直に信じる者だけが手にできる財宝―――胡散臭いですかなっ?ククッ・・・疑えば出遅れますよ、パーティーはもう始まっているのです。”

 その文章は、アイヴォリーもよく知る特徴的な喋り方をそのまま模してあった。ただ“島”と呼ばれ、多くの者が集い、戦い、生き、そして全ての者たちが踊らされた、盛大なる“イキスギたエンタメ”。その先導役として、島を守る力を持つ宝玉へと冒険者たちを導き、空から来たものと戦わせた一人の男。島の意思の代弁者。
 その男の口調そのものだった。

「オレは……行くぜ。テメェらにどうこう言われるスジ合いはねェ。元からあのクソッタレた場所に戻るまでの約束だ。」

「じゃあ……彼らを見捨てていくんだよね。そうだね、何てったって、キミは“裏切り者”なんだから。」

 アイヴォリーの言葉を聞いて、得心したように少年が囁いた。彼が振り返って指した部屋の壁の向こう側、隣の部屋には、その曖昧な関係でつながった三人がいると敢えて知らしめるようにして、その単語を強調しながら。それを聞いてアイヴォリーの瞳が僅かに曇る。

「そうだよね。キミはあのメガネの軍人を見つけなけりゃいけない。天幕に仇なす宝玉の力の数少ない理解者。仲間を救うためにその全ての知識を総動員して、しかもその仲間に撃たれ……」

ウルセェッ!

 アイヴォリーの怒号が小さな部屋の中に響く。臆した鳥が羽ばたいたかのように、部屋に黒と白の羽が舞い散った。だが、それを撒き散らした張本人は怯えた様子もなく、どちらかといえばこの状況を楽しむように喉の奥でころころと笑い声を忍ばせた。

「怖い怖い。じゃあキミに伝言を見せてあげるよ。……ほら。」

 その柔和な笑みを湛えたまま、少年が清水を掬い上げる仕草で両手を目の前に持ち上げた。その中には小さな光。ゆっくりと、少年が拡げる手に合わせて光は広がり、弾けた。

“君が探すものは、あの中にある。”

 たった一文のそれは、紅の魔力を微かに振りまきながら古風な手書きの文字で宙に浮かんでいる。その色は血にも似て、あまりにも少年が放った光とは似ておらず、また似つかわしくもなかった。

「意味は分かるよね。そして、彼の力も。そこから生み出される、この言葉の意味も。」

 あくまでも念を押すために、少年はそうアイヴォリーに囁いた。つまり、あの運命編纂者の仕組んだ筋書きには、一片たりとも過ちは存在しないと伝えたのだ。
 なぜならそれは、“既に書かれた”のだから。

「もうひとつ、彼からの贈り物をあげる。」

 本当に天使の笑みで──もちろん彼の本性を知らないものにとっては、だが──二対の羽を持つ天使は彼に止めを刺すことにした。傍らに置かれたカンテラの窓を静かに閉め、辺りに暗闇を呼び込んでから、少年は再びその手の中に光を呼び出す。

 首をねじ切られた黒いローブの死体。
 ガラスの筒に収められ、様々なコードを繋がれた艶やかな肉片。
 眠りから覚め、ガラスの棺桶の中で開く赤い瞳。

 “自分”と目が合ったその瞬間、光が迸った。僅かに硬くしたその身を緊張から解放すると、部屋の中には優しい炎の明かりが満ちている。アイヴォリーは小さく舌打ちした。

「アイツ……ナンでソコまで……。」

 アイヴォリーは小さく呟いて友人の“死”を悼む。それすらも、仕組まれたものであると分かっていながらも、アイヴォリーはそう導かれてしまった彼の運命に、微かに吐息をついた。そう、全ては自分の為なのだ。自分の所為なのだ。ただ自分を島へ導くというそれだけの目的のために、そこまでのお膳立てを平然と遣って退ける紅の魔術師が憎かった。

「そりゃあ、マキャフィは“端役”だからさ。彼にとっては、キミを効率よく動かすために準備した駒のひとつでしかない。知ってるよね?」

 ならば、彼の人生は何だったのか。これからの彼の人生は何なのか。そう叫びそうになってアイヴォリーはどうにかその衝動を押さえ込んだ。そんなことは聞かずとも知れている。それが彼に、赤い道化師が与えた“運命”なのだ。その僅かひとときの“導き手”のために。

「オレは……“テメェ”を絶対ェに許せねェ。ナニがあっても、イツかあのクソッタレをブッチメる。」

「そして、そのためにハインツ=クロード=ハルゼイを探せ。あの中で。」

 その通信者を通してアイヴォリーが伝えた言葉に、イレギュラーと呼ばれた魔物は託っていた言葉で返した。まさに用意されていたものとして。

「……クソッタレ……ッ。」

 小さくついた悪態には、今までのどんなそれよりも多くの想いが込められていた。もしかすると、その中に小さな感謝さえ混じってしまうほどに。アイヴォリーはその悪魔を睨み付けると唇を噛んだ。

「じゃ、摩り替わりの手順だけ説明しとくね。ちょうどキミが借りたそれ、その魔法陣にちょっとした細工をしておいたから。明日の朝、十二階にたどり着く前に使ってね。そのときにメイちゃんも近くにいるようにしないとダメだから。キミの代わりは十二階に着いた時点で現れるようにしとくよ。いつも通り“召喚酔い”が発生する。小さな装備とかちょっとした身の回りのものは転送できるかな。向こうで裸じゃ困るしね?」

 アイヴォリーの意図など全く無視して、何でもないことのように少年はまくし立てた。一方的に伝達事項を伝え終わると、有無を言わさずに彼は本来の姿である翼持つ光球へと変わる。

「ひとつだけ聞かせろ。マキャフィは……そう望んだのか?」

 アイヴォリーの、ただひとつの、切ない望み。それは、答えが分かっているだけに苦しく、狂おしく、彼の安定剤となるものだった。

「そうだよ。だって運命編纂者がそう書いたんだもの。」

 予想通りの、準備された答えを返し、シェルと名づけられた電子妖精は空へと溶けた。

   +   +   +   


 帰還した。つまらない僕の城よ、懐かしき我が家よ。
 ここにいれば僕は天幕の魔力回路から全てを知ることが出来る。全てを得ることが出来る。やはりこの便利さは何物にも変え難い。便利に従えられた奴隷とはまさにこのことよ。
 とりあえず異空間へ放り込んであった銀は再度金色に与えてやることにした。あれがなければ十二分に天幕の威光を示すことも出来やしない。どう使うかは金色に任せるとしよう。意識を持たせた“銀”は失敗だったということくらいは“金色”も理解しただろうから、同じ過ちは繰り返さないとは思うのだが。二度とあんな面倒事の始末を僕にさせることがないように願いたいものだ。
 全ての準備は整った。後は少々の手直しをしながら、僕は自分の実験の様子でも綴っているとしようか。

   +   +   +   


 “オレはたくさんのモノを踏み台にしてココへと帰ってきた。だが、ソレでも周りには信じられる仲間たちがいる。そして傍らには大切な、護るべき存在がいる。
 だからオレは、踏み台にしてきたモノ全てのタメに、アイツを見つけなキャならない。選ぶコトが捨てるコトだッてくれェはオレにだって分かってるさ。
 待ってろ、必ず見つけるから。”

──ニ日目の動向──




三日目

──この世界に、“絶対”など存在しない。

 ただ、どれだけの数の共同幻想が存在し得るかのみによって


 その主観的存在の強度が決定されるに過ぎない。──




   +   +   +   



 僕が送り込んだものである以上、天幕の現地部隊は彼のことを把握している。僕としてはここで“金色”から与えさせている“聖域”を解除したくてたまらないのだが、流石にそれは性急というものだろう。今そんなことをしてしまえば、何よりも天幕にいる実働部隊の連中が困惑する。今、まさに宴が始まらんとしているこの時に彼らに動揺を広げるのは無意味だ。彼らには、適度な“壁”として立ち塞がるように努力してもらわなければならないのだから。
 正直、この面倒な狂言回しの役目を放棄してどこか静かなところに“潜伏”しようかと思ったことがない訳でもない。だが、そんな僕を思い止まらせたのは他でもない、興味という原始的な衝動だった。
 今後“彼ら”が、この仮初めの中で如何にして自らの存在理由を確保していくのか。存在が揺らがぬようにそれを固定させ、確立していくのか。唯単に、それが見てみたかったのだ。
 そのためには、僕は此処に留まらなければならない。たとえどんなに下らない積み重ねであろうとも。たとえどれほどまでに滑稽な道化であろうとも。それだけの理由で、僕は此処へと戻ったのだ。
 やれやれ、“好奇心が猫を殺す”、とはよく言ったものじゃないか。そのつまらない衝動のせいで、まさに僕は“忙殺されている”のだから。
 そう、殺してしまうのはこの世界では簡単なことだ。全てが仮初めであり、唯幻のみによって存在し得る此処では。だが、その虚構が僕を殺すのであれば、それは例の虚構の王の力にも似て興味深いことだ。実存に創造された虚構がその枠を超え、現実を侵す。そう、まさに同じ起源に由来するものだ。

 全ては、虚構でしかない。歴史が主観でしかないのと、同じように。

 だからこそ僕は、此処にいられるのだ。
 だから僕は、此処に在り続けなければならない。僕はもう少しこの牢獄で続けていよう。僕を、維持するために必要なのだから。



   +   +   +   



 今回の“イキスギたエンタメ”の、最少運用単位は三人と決められている。即ち、戦闘における参加可能な最大人数、パーティと呼ばれる探索者の集団の数がそれだ。もっとも、その中にはペットは含まれていないのだが。また、そのパーティ同士が連携しギルドやクランと呼ばれるものを形成するのだが、あくまでも基本の単位はパーティを構成する探索者の数であり、それが戦力の基準を形成している。
 前回の島、そして学園と呼ばれた場所では二人だったそれが、今回は三人なのだ。それは一部の参加者にとっては時に大きな意味を持つ。例えば、ここで唸っている元暗殺者のような一部の参加者に。

「ヤレヤレ……コッチにトンで来たはイイケドよ、アイツ大丈夫なのか?」

 アイヴォリーはそう言ってメイリーの表情を探るように右肩に視線を飛ばした。だが、もちろんそれはメイリーのことを意味する訳ではなく、“イキスギたエンタメ”のルールで許された三人目のことを指していた。

「う~ん、ボクは大丈夫だと思うけどな?」

 いつもながらのメイリーの答えはアイヴォリーを安心させてくれはしない。そもそも、誰とも分からない人間を彼は信じることをしないのだ。それは長かった暗殺者としての生活が培った、最低限の身を守るための術だったのだが。
 アイヴォリーたちの前には、少し距離を置いて座禅を組み瞑目する男がいる。それを男と呼ぶか、少年と呼ぶか、もしくは“何か”と呼ぶのか。アイヴォリーは率先して最後のそれを選びたい心境だったのだが。
 口元を隠す襟巻き。髪とそれの間から覗く容貌はまだ青年とは呼び難く、どこか幼さを残している。東方の島国でよく見られる一風変わった服装と草履。傍らに立てかけられた槌。それだけならば東方の戦士見習いかなにかでしかないのだが。
 その槌には何かを隠すように──もしくは閉じ込めるように──して、アイヴォリーにも理解できない言葉で書かれた札が至るところに貼り付けられている。そして、その得物よりもさらに異質なのは──。

「アイツ、マモノかナンかじゃねェのか?」

 アイヴォリーはそう小さく呟いた。ある程度の腕を持つ戦士にならば感じられる“気”とでもいうものが、彼の知る中では最も魔物の類に近かったのだ。それは、彼に言わせるところの“凪”だ。自らの“風”を拒み、威圧する間合い。張り巡らされた死線。“召喚酔い”で能力を均されたアイヴォリーにでも感じられる圧力とでも言うべきもの。

「まァ……ウデは立ちそうだケド……ねェ。」

「悪い人じゃなさそうだよ?」

 無遠慮な二人の会話はいつものごとく、声を潜めてされるそれではなく、明らかにその“三人目”にも届く大きさで為されている。だが、その男は動じた様子はない。その様子に、アイヴォリーはいつものようにして口の端で苦笑を浮かべた。少なくとも肝は据わっている。それに、メイリーが大丈夫だというのならばそうなのだろう。彼女は無意識の内に相手の思考に感応する。妖精の勘とでもいうべきそれは、特に邪気に対しては敏感なのだ。それは、初対面の相手を信用しないアイヴォリーが唯一信じるものなのだ。

「ふむ……。」

 アイヴォリーは歩みを進めると、さり気なくその男の間合いに踏み込んだ。全く気負った様子を見せずに、だが身体の全てのばねに力を溜め込んで。

 ふ、と彼が目を開いた。どこか茫洋とした視線が、アイヴォリーとその肩に羽を休める妖精を、確かに貫いた。

「……ほゥ……。」

 アイヴォリーが静かに息を漏らす。口の端に笑みを貼り付けたままで、僅かにその笑みを深くして。

「ま、今日からタイクツはしねェで済みそうだな?」

 ニヤリと浮かべた笑みのままで、アイヴォリーが誰ともなしにそう言った。彼は彼なりのやり方で、この槌使いを試したらしい。アイヴォリーの反応からすると、恐らくはお眼鏡に適ったということなのだろう。

「コレからヨロシクな、兄ちゃん。」

 不遜な笑みを浮かべ、傲慢にも顎を反らして見下ろしたままで、アイヴォリーがそう呟いた。彼はそもそも疑うことをしない。敵でないならば、それ以上疑う必要がないからだ。それはまた、長かった盗賊としての生活で培った最低限の生きるための彼なりの作法だったのだが。

 まだ彼は、メイリーと僅かな“彼”の友人以外の誰にも、この島へと戻ってきた本当の理由を明かしていない。集まった数人の“仲間”たちは、彼の中ではあくまでも“敵ではない誰か”にしか過ぎないのだ。この島に眠る宝玉が、唯の宝探しのための道具ではないことも、それを求めて彼の敵もまたこの遺跡にやってきているであろうことも。何もアイヴォリーは話していなかった。疑うには多く、信じるには少ない。信じるには多く、疑うには少ない。この島にやってきた者たちと、その中に存在する“仲間”。

「マズは品サダメ、ッてトコですか。」

 相変わらずの気の抜けた、どこか皮肉な笑みが“三人目”の向こう側へと飛んだ。遺跡の闇の中に、微かに現れた気配の元へ。
 そう、まだ始まったばかりなのだ。



   +   +   +   



 ぼくは、だれもみすてない。みすてられるもののいたみをしっているから。
 ぼくは、誰もきずつけない。きずつけられるものの痛みをしっているから。
 僕は、誰も殺さない。殺される者の痛みを、知っているから。

 選ぶことは、棄てることだ。



   +   +   +   



「ヤレヤレ……コレは中々に……疲れるものだね。」

 顔に似合わない大きな溜め息をついて、ケープをまとった盗賊は天井を見上げた。いかに塔の探索で強行軍が続くとは言え、僅かながらその中には休息の時間も存在する。そんなときには決まってこの盗賊は、自らの役目を放棄して縦横に走っている横道の一つに姿を消すのだが、幸か不幸かその元々の身体の主の性格から、誰もそれを咎めようとはしない。そのお陰で彼はこうして僅かな“休息”を得られるのだった。

「さてと……うん、まぁ拒否反応はそれほどでもないみたいだしね。普段は存在だけ入れ替えちゃうからなぁ、あんまり頭丸ごとっていうのはしたことないんだよね。」

 はらはらと、光と闇の羽毛を舞い散らせながら傍らに浮かぶ光球が言った。その光の中から伸びた光線が一条、盗賊の白い髪の中へと消えている。ときおり強い光の塊が光線を伝って両者を行き来するところからして、何かの情報交換をするための“線”のようだった。

「とりあえず、いきなり杖でぶん殴ったりとかそういうのは止めてよね?
 あくまでもキミはアイヴォリー=ウィンドなんだから、さ。」

「分かっているよ。与えられた役割はきっちりとこなす。“操り人形”ってくらいだからね。」

 盗賊は不器用に光の球へとウィンクをしてみせると、それでもうんざりした表情で自分の足元を見やった。その足はバランスよく伸びているが、その末端は明らかに自らの役割には不必要な重厚なブーツで覆われている。爪先を主としてあちこちに鉄のプレートを仕込まれたそれは、今まで普通のブーツで仕事をこなしてきた彼にはいささか重いものだった。しかもその両脇、膝から下の部分には巧妙に革のベルトで固定されたダガーが鞘ごと収まっている。元の主のそういうところだけは几帳面な性格から、抜け落ちたり不用意に音を立てたりすることは一切なかったが、その明らかに不便な位置に括り付けられた得物は、“彼”の当面の問題の中で一番重大なものだった。

「第一……こんな抜きにくいところに、よくもまぁ自分の命を預けるものを差しておけるね……。それでなくてもリーチが足りなくて不便だっていうのに。」

 半ば諦めた口調で盗賊はそう呟くと、それでも案外器用にブーツに佩かれたダガーを抜いてみせる。その様子を見ていた光球からころころと笑い声が洩れた。

「ま、その様子なら大丈夫だと思うけどね。じゃ、しっかり頼んだよ?」

 調査が終わったのだろう、光球から白い頭へと伸びていた光線は掻き消え、笑い声と共にその本体も薄く闇に溶け始めている。それを見て、慌てて盗賊は聞かねばならないと今日一日思い続けていた問いを口にした。

「“彼”は……うまくやっていけそうかい?」

 それが、自分が“ここ”へとやってきた理由なのだから。そのためだけに、自分はこの不便な居場所へと落ち着いたのだから。彼がそう聞きたいのも無理からぬことだった。

「そんなことよりも、キミは自分の方を心配した方が良いと思うけどな?」

 既に暗闇に戻った廊下の、頭上のどこかから、そう問い返す少年の声が響いた。それを聞いて、闇の中で盗賊は小さく溜め息をついて肩を竦める。そろそろ戻らなければならないが、少年の姿を取る伝達者がもたらした答えは不十分だった。だが、それでもその肩を竦める仕草が“彼”のそれと瓜二つに見えるように気を遣うほどには、彼にも余裕があった。
 自分の今の居場所はここなのだから。そして、上手くやれるということを、示さなければならないのだから。
 かつて“鉄面皮”と呼ばれた暗殺者は、“彼”が良くそうしていたように片側の頬だけに笑みを貼り付けて仲間の元へと戻り始めた。



──それぞれの三日目──


四日目

「ヤレヤレ……仕方ねェなァ。」

 アイヴォリーはそう言って大げさに溜め息をついた。自分の腕の包帯を取り替える手つきは慣れたもので、左手だけでくるくると巻いていた包帯を外しながら新しい包帯の束を足で引き寄せる。下から現れた傷は湿布のお陰か大分腫れは引いたものの、まだ裂傷までは癒えてはいない。

「ちょっと~、アイ、お行儀悪いよ?」

 いつもながらに自分のことは棚に上げたメイリーが、アイヴォリーの足癖の悪さを指摘した。苦虫を噛み潰したような顔になって、それでもアイヴォリーは、片手なんだから仕方がないといった類の不平を垂れながらも、残りの距離を足ではなく手で包帯を引き寄せた。

「しっかしダイブイカレましたねェ。」

 傷を覗き込みながら他人事のように言うアイヴォリー。ある程度その場所の道理に慣れ、回復の魔術を行使できるように自らの魔術を再編成できるようなレベルになれば、治療はメイリーの仕事なのだが、まだそういった便利なものが存在しない現状では戦闘で負った傷を手当てする方法は、アイヴォリーの野伏の知識くらいしかないのだった。

「う~ん。生命の精霊さんかせめて白魔術がうまく働けばいいんだけど……。」

 メイリーが申し訳なさそうな調子で眉根を寄せる。だが、当人のアイヴォリーは新しい包帯を持ったままでその端をひらひらさせながら手を振って見せた。

「まァコイツもイイクスリさね。」

 そもそも、油断しているからこういう目に遭うのだ。アイヴォリーに言わせれば自業自得以外の何物でもない。第一、自信がないのならば最初からそういった役目を引き受けなければ良いのだ。
 以前の“イキスギたエンタメ”では、メイリーと二人だけで片を付ける必要があった。彼女が詠唱を完了するまでの時間を稼ぎ、魔術に耐性を持つ相手を優先的に自分が仕留めてメイリーの魔術で残りを焼き払う。神経を遣うのは彼女とのタイミングだけで良かった。だが、今回のこの場所では味方がもう一人いる。それは無論心強いことなのだが、同時に遭遇する敵の数を増やすということも意味していた。これまででも、島に入った最初から群れを狩ったことなどない。あくまでも状況を観察し、その場で勝てる算段をつけてから余裕を持って敵の数を少しずつ増やしていった。だが、人数が増えればその分敵に気づかれる要素は増え、結果的に敵の数そのものが増える。だが、それを分かっていながらアイヴォリーはあの少年の槌使いに対し、自分は囮となることを宣言したのだ。

「オレの方がテメェよりも身が軽ィ。ソレに一撃の重さはテメェの方が上だ。オレはデコイで相手の注意を逸らす。アンタはソレを使ってブン殴る。カンタンだろ?」

 そう言ってのけた結果がこれだ。自信過剰か自業自得のどちらかか、もしくは両方でしかないといったところだった。

   +   +   +   

「昔はねェ……よく呼ばれたモンさ。両手のダガーで相手を踊らせる“純白の涼風”ッてな?」

 滑るように相手の懐へと入り込む。動きを捉えきれずに視線を泳がせる規格外の兎に対し、アイヴォリーは通じるとでも思っているのかいつもの口の端を歪ませた笑みで後ろからそう声をかけた。

「相変わらず……ココの生きモンは意味もなくでけェな。」

 だから前の島でも飢えずに済んできたことなどお構いなしに、アイヴォリーはそう愚痴りながら一撃を入れ、すぐに間合いを外す。その兎で視線を遮って死角になった歩く雑草が本来の目標なのだ。

「疾風ッ!!」

 だが、アイヴォリーもそれ以上追うことはしない。自分のすぐ後ろをついてきた遊次郎と名乗った天狗の少年が槌を振り被ったのが見えているからだ。アイヴォリーの影を追うようにして兎に肉薄した遊次郎の一撃が兎を襲う。

「申し訳無いが、此れも儂自身の為でなあ。しゃあないんじゃ。」

 振り抜かれたその歪な槌がその頭部を綺麗に薙ぐ。普通の動物ならば明らかに死んでいる角度にへし折られた首をぶら下げながら兎は後退った。

「マズは……ッ、後ろか?!」

 兎に背中を向けようとしたアイヴォリーの、その初撃を模倣したかのように低い体勢から、アイヴォリーが一撃を入れた雑草が踏み込んできた。避けきれずに、今はまだ素手で得物を持たぬ側の腕を盾として一撃を受けるアイヴォリー。予想以上にその一撃が重いのは、敵が強いからではなく自分がまだ弱いからだ。腕の骨と肩の関節が軋むのを冷静に感じながらアイヴォリーは相手の動きを分析している。だが、その頭の回転とは別に身体は衝撃を受けきれずに泳いでいた。

「ッ……。」

 もう一匹の兎が背中から体当たりを仕掛けてくるのを地面を蹴ってどうにか躱し、ようやくアイヴォリーは自分の身体が想像以上に言うことを聞かない現状を認めざるを得なかった。無理なステップで泳いだ身体はまだバランスを取り戻さない。相手の攻撃を受けて傷ついた側の腕で地面を押してどうにか距離を取るとアイヴォリーは毒づいた。

「クソッタレ……。」

 メイリーの魔法の矢が止めを刺したはずの兎がさらに追い討ちをかけてくるのを躱し、さすがに苛々した声でアイヴォリーは叫んだ。

「イイ加減しつけェんだよテメェらはッ!」

 間合いを詰め、懐から差し出すようにして相手の中心へとダガーを送り込む。さらに遊次郎の一撃が間髪入れずに加えられ、体勢を崩したところに魔法の矢が降り注いだ。十分以上に動きを止めた兎に対して、それが見えているのかいないのかアイヴォリーは眉間を狙って鮮やかに踵を打ち込んだ。

「アイっ……、もういいよっ!」

 さらにダガーの柄を叩きつけようとしたところを、聞き慣れた声と腕を掴む誰かの手に邪魔された。思わず睨み付けると、その手の先には昨日初めて見た茫洋とした視線が合った。

「もうええ、十分じゃけ。」

 その聞きなれない方言に、それでもアイヴォリーは我に返る。さすがにやり過ぎたことを今さらのように悟ってアイヴォリーはばつが悪そうに目を逸らすことしか出来なかった。

   +   +   +   

 結局、身体がついてきていないのだ。十分に踏み込んだはずの一撃は相手の急所を捉えるには浅く、余裕を持って避けられたはずの一撃を危うくもらうところだった。遊次郎に任せて素直に下がればいいものを無駄に相手の間合いに留まり、さらに背後から攻撃を許した。要するに何もかもが甘いのだ。

「まァ……仕方ねェよなァ慣れるまでは……。」

 盗賊は身が軽いのが身上だ。それがこなせないのならば戦闘は彼らに任せ、自分は応援でもしている方がよっぽどましだ。アイヴォリーはもう一度小さく溜め息をつくと、今日はせめて無様な姿を晒さなくてもすむように、と願わずにはいられなかった。

   +   +   +   

「“混ぜると危険な流動食(象牙色)”、お届けにあがりました~。」

 いったい誰の真似なのか、妙に景気の良い声音でアイヴォリーの天幕に入ってきた女が一人。手にはその“混ぜると危険な流動食”なのだろう、アイヴォリーの持っていたパンくずを刻んで煮込んだらしい怪しげな半固体の入ったボウルを持っている。

「……ダレだ、そんなイカにもキケンそうな物体をオーダーしたヤツはッ?!」

「いえ、確かに承ったのですが。」

 差し出されたボウルを受け取りもせずに中を覗き込んだアイヴォリーが素っ頓狂な声を上げた。それからそのボウルを持ってきた──それはつまりその中身を調理した、ということなのだが──張本人に、明らかに白い目線を送る。

「なァ、オレはある程度は食えそうな、人間としては非常に生活ランクは低いにしてもマダ人間が食えそうなモンを、アンタに渡したよなァ?」

「ええ、その“最終形態”がこちらです。」

 アイヴォリーの白けた視線を気にした様子もなく、平然と──どこか楽しそうな雰囲気すら感じさせる──そんな口調で彼女は言った。それを聞いてアイヴォリーの眉根に深いしわが刻まれる。

「で、ナンだっけか?」

「こちらが“混ぜると危険な流動食(象牙色)”です。」

「カッコはイイッ、カッコ閉じも要らんッ、つーかナンでこんな毒々しい色にあのタダのパンクズがが変色してんだァァァァァァッ!!!」

 思わず叫び声をあげるアイヴォリー。思わず叩いた折りたたみ式の机が跳ね、上に置かれたボウルからまさしく象牙色の何かが飛び散った。

「いえ、貴方にお似合いの素敵なお色。
 それに、身体に良いものは得てしておいしくなさそうに見えるものですよ?
 毒も薬、薬も毒と申しますし。」

 確かにアイヴォリーの言うように、薬には一切見えないそれは、常人からすれば明らかに口に入れるべきものの範疇には一切存在しない、そんな色をしていた。

「ほら、たーんと召し上がれ?」

 微笑みだけは艶やかに──ある意味毒々しく──彼女が小首を傾げて微笑んだ。何から逃げ出そうというのか、泡を食ったようにあたふたと、アイヴォリーが座っていた切り株から後ろにずり落ちる。

「あ、あのなァ。まァオレはイイ。アサシンの訓練で毒ニャある程度耐性もツイてるからな。でもな、オマエこんなアブなそうなモンホカのヤツらにも食わす気かッ?!」

 彼女、語部朽梨はアイヴォリーが連れてきた“料理人”だった。別段“地獄の料理人”とかそう言った怪しげな二つ名を持っていた訳でもなく、単に自分の身を最低限自分で守ることができ、料理が出来る人間を探していたところ彼女が引っかかったのだ。そのときにはアイヴォリーは、ようやくこれで島の有り合わせ料理のメニューを考えなくて済むと、諸手を挙げて彼女を招き入れたものだった。
 だが、早くも一品目のメニューから、アイヴォリーはそのときの選択を後悔し始めていた。

「ほう、暗殺者さんというのは毒に耐性を持っていらっしゃるのですか。」

 話だけでもアイヴォリーに合わせておこうというのか、それとも他の意図があるのか、彼女はアイヴォリーの言葉に反応してそう聞き返した。こめかみに指を当てたまま、思わずさらに叫びそうになるのを必死で堪えながら答えるアイヴォリー。

「……あァ、オレたチャ仕事ガラそういうのも必要だったんでな。」

 希釈した毒を常に飲ませて毒への耐性を付与するというのは、アサシネイトギルドの方針によっては一般的なやり方ではあったのだが、当然ながら一般的には非常識なやり方だ。

「では暗殺者さんというのは薬も利かなかったりする訳ですか?」

「別に全部の毒に耐性があるワケじゃねェ。もらいそうな毒やら任務がソレ以上続けられなくなるようなクリティカルなヤツに対して耐性があるだけだ。第一アッパー系やら痛みを麻痺させんのやらは逆にねェとコマるようなコトもあったしな。」

 いかにもなるほど、といった様子で頷く彼女。

「神経系の毒は種類によっては有効、と。」

「だからオマエはオレにナニをするツモリナンだッ!!」

 我慢も空しく、そんな怪しい叫び声がアイヴォリーの天幕から響いたのも無理からぬことだった。

   ──四日目の実情、及びそれに付随した一幕──   



五日目

 石英をジョルジュに託したアイヴォリーは、本当にそれが当座凌ぎの装備なのかというほどに細かい注文をつけた。しかも彼が与えた石英の大きさからすれば、明らかに僅かな失敗も許されないぎりぎりのサイズを指定してくる。つまり、材料も道具も足りないこの島の遺跡で、彼は剣鍛冶でもない騎士に無茶な注文をつけたのだった。

「えっと……僕は使い方は心得ていても鍛える方はちょっと……。」

 アイヴォリーから渡されたそのやたらに詳細な指示書を見て、ジョルジュが思わず目を逸らす。それをいつもの性格の悪い笑みで見やりながら彼は事も無げに言った。

「じゃあテメェは戦場に出向いたときに、自分のエモノの整備はどうするツモリだ?
 あァ、アレか、オツキの偉ェ鍛冶とかがついてきて、ナニからナニまでヤッてくれんのか?」

「僕たちは、そういう騎士ではありません。」

 むっとした表情で思わずアイヴォリーにジョルジュは言い返した。それを全く気にした様子もなしにアイヴォリーは喉の奥で笑う。

「ソレなら尚のコト、テメェの大事なエモノはテメェで管理デキねェとな。マンガイチッてときに、代わりを調達デキねェヤツはどんなにウデが立ったッて、実力も発揮しねェママで死ぬぜ?」

 相変わらずの笑みを浮かべたままでそう告げるとアイヴォリーは立ち上がる。一方的に話を終わらせるのはいつものことだ。

「テメェも武器で自分を守る人間の端クレなら、ちょっとコダワッたトコ見せてみな?」

 ジョルジュの天幕を出る前に、肩越しに振り返ってそれだけをアイヴォリーは付け足した。ジョルジュの視線が自分の背中を見送っているのに気づいて。頬に浮かんだ笑みは最後まで変わらない。

「分かりました。やってみます。」

 アイヴォリーの答えは、僅かに揺れた肩と、鼻で笑ったのだろう、揺らいだ空気だけだった。

   +   +   +   

 結局、アイヴォリーはその最後の一言を引き出したかっただけなのだった。アイヴォリーにとっては不幸なことに、彼らの一団の中には、今回の島で指導者足りえるような適切な年長者がいない。本質的な意味で、状況を冷静に判断でき、適切な選択肢を提示できる人間がいれば、いわゆる“リーダー”などはお飾りでも構わないのだ。本当の意味での指導者は、横から適切な助言を与えられる参謀なのだから。
 今回の、そしてこの場合、そこまで任せていられる人間がいなかったのはアイヴォリーにとって不幸だった。あの“招待状”が届き、やむを得ず表立って仲間として行動を共に出来そうな人間を集めたものの、このままではいつまでたっても誰も成長しない。アイヴォリー個人としては、いつも通り全体を適当に見渡して本当に必要なときにだけ、最小限の“助力”をしていたいのだが、この状況下ではそうもいかないのだった。

「アンマリ向いてねェんだケド、ねェ?
 まァ……当分は仕方ねェかな。」

 そう独りごちる。たとえば、ジョルジュに石英をあのまま預けても良かったのだ。結果にそう期待をしている訳でもない。所詮現在の材料や機材では出来るものなどたかが知れているのだ。もしくは、あの宝剣が本当に伝説にあるそれなのかはまだ分からないが、あのインテリジェンスソードの力で持って現状では到底不可能な品質のものを仕上げてくるかも知れない。
 だが、それでは本質的に意味が無いのだ。なぜなら、この島で生きていく上で、最初に、そして最後まで必要なのは、才能でも、技術でも、もちろん助力を与えてくれるマジックアイテムでもないのだから。
 自らで生きるという意志。それが無ければ、この島では、どれだけ実力があろうともいずれ朽ちる運命にある。最後まで生き残れない。アイヴォリーは、自らの呼びかけによって集まった人間には、誰一人として脱落して欲しくなかった。
 だからこそ、いつもの笑みを浮かべて、自分で引き受けざるを得ない役回りに対して肩を竦めて。

「ヤレヤレ、仕方ねェな。」

 苦笑を浮かべると、アイヴォリーはそう呟いた。

   +   +   +   

 結局、ジョルジュが渡してきたパリィングダガーは、アイヴォリーからすればまぁまぁの出来といって良かった。確かに護拳を兼ねる柄の部分の形状は歪だし、そもそも刃の部分が指定した長さを満たしておらず、寸足らずだ。だが、それでもアイヴォリーは何も言わなかった。

「おゥ、アリガトよ。ボウズ、中々イイデキじゃねェか。」

「ぼ、ボウズって呼ばないでくださいっ!」

 そのジョルジュの要求は一切聞こえなかった振りをして、メイリー辺りにするようにし無造作にジョルジュの頭をぽんぽんと気安く叩く。空いている左のブーツのポケットに新しい得物を佩くと、アイヴォリーはベルトの長さをその鞘に合わせて調節し、それを入念に固定しなおした。
 そもそも、その装備の品質がどのようなものであろうと、アイヴォリーはその与えられたものでどうにかする自信を持っていた。それは普段から装備に対して異常なほどに几帳面でうるさい彼の性格とは矛盾するようだが、実は裏返しでしかない。
 第一自分も暗殺者の端くれだったのだ。暗殺者というものは装備がどうであっても任務は果たさなければならなかった。そして、アイヴォリーは盗賊でもあったのだ。盗賊たちは、どんなときでもその場にあるもの全てを最大限に利用し、味方につけて生き延びる方法を模索する。それが盗賊たちの最も基本的で、どんなときでも奪われることの無い最後の“武器”なのだから。だが、だからこそ、得られる得物には自らの納得がいくまで注文をつけ、出来る限りの品質を要求する。納得しなければ、いつか襲ってくる敗北を、自分ではなく装備のせいにしてしまうからだ。要は、一定以上のクオリティが必要なのではなく、“そのときに、その場で得られる最高のもの”であれば、それで命を預けるに足る。その作り手が全力で作ったものならば、アイヴォリーはそれで認め、それを使う。

「オレも、そろそろマシなヨロイを調達デキるようにしとかねェとな?」

 この“世界”にアイヴォリーが持ち込んだ装備は、転送の際にこの世界の“理”において再変換されたためにがらくた同然なのだ。エルフの隠身の技術の粋を集めて織り上げられた姿隠しのクロークに至っては、魔術の編成が行えないために唯のケープでしかなくなってしまっている。整備に毎回騎士鎧一式ほどの金をかけて使い込んでいる革の鎧にしても、見た目や形状こそ変わらなかったが、明らかにまともなものではなくなっていた。要するに、“存在としての強度”が弱いのだ。早急に手を入れて部品をこの世界のものと取り替えていかなければ近い内に崩壊してしまうだろう。短剣にしても同じことだ。

「ヤレヤレ、結局コッチに来てもヤマ積み、ッてなァ?」

 何をするにしても、その準備は必要だ。その目標が大きく、難しいものであればあるほど。アイヴォリーは小さく溜め息をつくと、当面やらなければならない仕事に頭の中で順序をつけ始めた。

   +   +   +   

 メイリーの魔法の矢がいつも通りに戦闘の口火を切る。彼女の詠唱中にアイヴォリーが間合いを詰め、相手との中ほどで魔法の矢が彼を追い越して敵に着弾するのもいつも通りだ。敵に肉薄するとアイヴォリーは走り込んだ勢いを使ってブーツから抜いたダガーをすれ違い様に相手に掠らせる。メイリーの魔力が上がっているのだろう、最初の魔法の矢でかなり酷い状況になっていた蠍は体液を撒き散らしながらアイヴォリーの一撃を受けた。そのまま横をすり抜けたアイヴォリーはその奥にいるもう一匹の巨大な蠍に正面から踵を叩き込む。

「一つ、次ィッ!」

 だが、アイヴォリーを追うようにして駆け寄ってきた遊次郎は、前で暴れる死にかけた蠍に阻まれて奥まで入り込むことが出来ない。メイリーの二発目の魔法の矢までが本来致死量以上のダメージを負っている前の蠍に阻まれたのを見て、小さくアイヴォリーは舌打ちした。

「チッ!」

 舌打ちしたアイヴォリーではなく、最初の一匹に阻まれて動きを止めた遊次郎に蠍の攻撃は集中した。その一撃は重い訳ではないが、尾に毒が秘められているのだ。見ていて安心できるものではない。それが最期の足掻きだったのだろう、集中砲火を受けた方の蠍はようやくそれで動きを止めた。

「疾風ッ!」

 自分に後ろを向けた蠍の尾に向かってダガーをねじ込む。それでこちらへと敵の意識を向けさせるのだ。アイヴォリーと遊次郎に挟まれ、一度ならず攻撃を加えられた蠍はアイヴォリーの予定通りに彼に向き直った。注意が逸れた隙に、遊次郎の槌が後ろから蠍の胴の中央に叩きつけられる。
 振り下ろされた尾に、アイヴォリーは横から手を添えて押しやることで軌道を逸らして一撃を避けた。それを最後に二匹目の蠍も動かなくなる。

「ヤレヤレ、終わったみてェだな。」

 小さく息を吐き出してアイヴォリーが入念に蠍に止めを刺した。だが、立ち上がるとアイヴォリーは二人を見て肩を竦めた。

「オマエら二人とも、後で“補習”な。」

「えええっ?!」

「なんとっ?!」

 二人の恨みがましい声をよそに、アイヴォリーはすたすたと一人キャンプへ戻り始めた。

   +   +   +   

「イイか、オマエら……ソレはツマリオレもだが、マダイキが合っちゃいねェ。コレジャそのウチ限界が見えるぜ。」

 二人をキャンプ近くの森に呼び出し、アイヴォリーは戦闘の準備をさせた。さすがに彼のやることに慣れたメイリーがうんざりした顔をしているような気もしなくは無いが、アイヴォリーは敢えてそれに気づかなかった振りをして言葉を続ける。

「イイか、ソコの木三本が仮想敵だ。全員が違うターゲットに、順番が重ならねェように、一発ずつ入れろ。」

 確かに、戦闘も二日目とあってそれなりに捌けてはいるのだ。遊次郎の打たれ強さもあって致命的な傷は誰も負っていない。だが、アイヴォリーには気に入らない点があった。各人の意思疎通が完璧ではないのだ。全員が効率良く動けば、今日の敵にしても同時に倒すことが出来たはずだった。だが、致命傷を負ってなお暴れる蠍に阻まれて二人の攻撃が、そのそれ以上攻撃する必要の無い蠍に向かってしまったのは、アイヴォリーにとって今日の戦闘の一番重要な点だった。三人が三人ともに、お互いの呼吸を読み、他のメンバーの次の攻撃対象を把握することは容易くない。だが、それが出来なければ、耐久力のある敵に攻撃を集中して早めに倒すことも出来なければ、数の多い敵を分担して捌くこともままならないのだ。

「イクぜ?」

 近くの石を拾い、アイヴォリーが中に投げる。地面で乾いた音を立てたその石の横をアイヴォリーは駆け抜けた。後ろを遊次郎がついてくる。アイヴォリーは小刻みにステップを踏んで必要以上に方向を変えながら走り込んだ。彼はその妖力なのか、アイヴォリーに敏捷性で劣る分を人間技ではない跳躍力で補って彼の後ろをついてくるのだが、それでは直線的にしか動けない。だからわざとついて来難い動きで相手との距離を詰めたのだ。アイヴォリーの予想通り、彼がトリッキーな横ステップを踏んだところで風が横を駆け抜け、遊次郎がアイヴォリーを追い越した。メイリーの詠唱が完了し魔法の矢が中央の木で弾けたが、アイヴォリーは身体を起こして木との距離を詰めるのを止めた。

「ダメだダメだ。もう一回、最初からな。
 イイか、オレの体重移動を見て、次にドッチにオレが跳ぶのかを予測しろ。そうすリャツイてこれる。イイな?」

 遊次郎に無茶な注文をつけ、走り出した位置へと戻るアイヴォリー。彼は小石を拾い直すとげんなりした表情の二人に向かって高らかに宣言した。

「イイか、成功するまで終わらねェからなッ!」

 この後“補習”は日が落ちて暗くなるまで延々繰り返されたという。

──五日目、抜けない“教師癖”──



六日目

──夢 ~いつか、どこかの~──
「裏切り者、“象牙”。ハインツ=クロード=ハルゼイとともに天幕の危険人物として抹殺する。」

 かつてハルゼイの戦友だったはずの男は、その戦友の名前を敢えてフルネームで呼んでから、自分が余計なことを口にしたことに気付いて僅かに眉を顰める。それを打ち消すようにして、ジンクは腰から抜いた手榴弾のピンを抜き、窪みに向かって放り込んだ。
 乾いた金属質の音を聞き、アイヴォリーが窪みの外へと跳躍する。アイヴォリーが木の陰に転がり込むのと同時に窪みの中で爆発音が響き、爆風が辺りのものをなぎ倒した。

「テメェ、天幕の差し金で来ヤガッたのかよッ!」

 アイヴォリーはハルゼイがジンクというこの男のことを話すときの表情を思い出しながら、再び光学迷彩を起動した。アイヴォリーの叫びに呼応してジンクの短機銃が木の皮を跳ね散らすが、貫通には至らない。銃撃が止んで、ジンクが木を避けて銃撃できる位置へ走り出した音を聞き、アイヴォリーも静かに木の陰から滑り出た。すぐに彼が隠れていた場所に三点射が浴びせられるが、既にそこにアイヴォリーの姿はない。だが、あの機銃がある限り、アイヴォリーが自分の間合いに持ち込むことはできない。SMG、つまり彼の世界で後にサブマシンガンと呼ばれるようになるMachinen Pistole 40、MP40の連射速度は尋常ではない。それは一掃射されたアイヴォリー自身が良く分かっていた。

「ちっ、光学迷彩か!」

 叫んですぐに、ジンクは背中を木に寄せて短機銃の弾倉を落とし、新しいものと取り替える。連射速度が早い分、その弾の消費は激しい。姿の見えない相手に対して撃ちまくるようなことができるような代物ではないのだ。ジンクはできるだけ死角の少ない場所に静かに移動を始めた。銃撃が止んで、森の中に静寂が戻る。

「テメェ……ココロまで天幕に売っちまったのかよ?」

 森のどこかから、低く押し殺したアイヴォリーの声が響いてきた。意図的に声を抑えて発生源を曖昧にしているのだ。視覚に頼れないこの状況では、音だけでは凡その方向は掴めても狙って銃撃ができるほど正確な位置は特定できない。それでなくてもこの鬱蒼とした森の中で相手を視認し辛いのだ。しかも、低音は高音に比べてより位置の特定がし辛いという特長があった。だからあの男は押し殺した声で喋っているのだ。場馴れしている、ジンクはアイヴォリーのことをそう評価した。ジンクが彼に答えずにいると、アイヴォリーはそのまま言葉を続けてきた。

「テメェ……アンタのタメに、ドレだけハルゼイのにーちゃんが苦労してるか知ってんのかよ?」

「っ!」

 思わずジンクが唇を噛む。それが相手の心理作戦だと分かっていても、覚悟を決めてやってきたと言っても、やはり今から殺すために彼の元へ向かわなければならないハルゼイのことを言われるのは辛かった。だが、無情なまでに、押し殺した無感情な声のままでアイヴォリーは先を続ける。

「アイツはなァ……この島に来て宝玉を集めてやがった。ナンのタメだと思うよ?
 次元転送装置とやらを作って、ソレでアンタら昔の戦友に会いに行く、ッつってんだぜ?
 しかもあのヤロー、ホントに」

「黙れぇぇぇぇっ!!」

 遂に聞くのに耐えなくなって、ジンクは身を乗り出し、膝立ちの状態で見当をつけた方向へめくら撃ちを始めた。自分の運命を呪うその声が聞こえなくなるならば、たとえこの銃声でも構わないと、そう思った。
 ジンクの視界を、黒っぽい影が横向きに掠めた。そちらを振り向き、その影に向けて残った全ての弾を叩き込む。黒い、人にしては余りに小さな塊に弾が吸い込まれるようにして収束し、残っていた残弾が誘爆して爆発したことで、ジンクはそれが先ほど自分が捨てた弾倉であることに思い至った。

「ソコまでマジで腐っちまってるんなら、ハルゼイに会わなくてもイイ。オレが殺してやるよ。」


   +   +   +   

 アイヴォリーは致命的な見過ごしをしていた。

「オイ、メイリー。ナニ食ってんだ?」

 なぜかアイヴォリーに隠れるようにして、こっそりとメイリーが何かを食べていたのだ。綺麗にデコレーションされたそれは、ぱっと見には小さなタルトか何かのように見えた。目を白黒させて、慌てて口の中の残りを飲み込むメイリー。

「ふぁ、ふぁみもふぁべてないひょ?」

「……口の端に残りモンがツイてんぞ……?」

 やれやれといった表情で小さく溜め息をつきながら指の先でメイリーの頬を拭ってやるアイヴォリー。だが、その時に不必要なほどに甘ったるい匂いがアイヴォリーの鼻を掠めた。

頭の中で、じわじわと、侵食するように。少しずつ実体化していく嫌な予感。

「……オイ、ソイツは……ダレから来たんだ?」

 食材を確保することが第一課題として議題に上るほどに食糧事情の厳しかった“イキスギたエンタメ”。それを引き継いだかのように困難な現在の食糧事情。彼らの当面の唯一の食料である、パンくずと草。

そして、彼らの唯一人の料理人。

 そういえば昨日の戦闘終了後に、メイリーが朽梨と何か楽しそうに話し込んでいたような気がする。ちょうどその頃、アイヴォリーは自分の武器の調達と合成の依頼で飛び回っていて一緒にいてやる余裕がなかったのだが。
 そういえば今日の朝早く、メイリーが横で何か歓声を上げていたような気もする。また寝惚けているんだろうと考えてアイヴォリーはすぐにまどろみの中に引き返したのだが。

「…………。」

「…………?」

 微妙に絡み合う二人の視線。

「吐けッ、とりあえず吐くんだッ!」

「やーっ、何するのよアイっ!!」

 その後敵が現れるまで延々と二人はキャンプの中を走り回って仲睦まじく追いかけっこをしていたという。

   +   +   +   

「へッ、やっぱしアンタは気付いてヤガッたか?」

 白い盗賊の顔をした、いつもの苦笑を浮かべる男。その特徴ある言葉遣い、無駄な力の一切入っていないリラックスした所作の一つ一つ、そして人を食ったような意地の悪い、それでもどこか茶目っ気のある笑み。全てが完璧でありながら、それでもその本人はそれが演技であると言ってのけた。
 僅かに視線を険しくし、斜に構えたままで、“象牙”と呼ばれた男は大きく溜め息をつく。それから彼は、まるで似つかわしくない満面の笑みを浮かべて見せた。

「姿形、動作と寸分違わずとも…この’目’は誤魔化されぬと宣言。」

 暗い緑のローブ、目を隠す長い髪。その下から射抜くように光るそれは眼光と呼ぶにはあまりに鋭く、硬質な。モスと呼ばれる天幕の少年はアイヴォリーの姿をしたものにそう答えた。

「で、どうするツモリさね。オレが“アイヴォリー=ウィンド”でなかったとして、よ?」

 満面の笑み、糸のように目を細め柔和に笑う白い盗賊。いつも片頬を吊り上げて皮肉に笑う彼には、ある意味ではもっとも遠い、そんな笑い方で。だが、モスは何も答えない。

「ふん……それを知っていたのなら、なぜ十二階へやって来たときに僕を助けた?」

 笑みの次に、口調が変わった。“鉄面皮”と呼ばれ、常に笑顔を絶やすことのなかった変装の達人のそれに。
 消えた男色のエルフの魔術師。転送されてきた天幕の異端者。そしてその舞台裏の出来事に一役買った邪眼を持つ緑の少年。彼はあの少年の姿を取る、光り輝く異界の伝達者との情報交換によって、全てを知っていた。彼ら第三班が雫というエルフの魔術師を拾い上げて、再び街の中心に聳える塔へと十二階への直通路で移動していたその時に、一つ上の十三階ではアイヴォリーを天幕からの刺客が待ち受けていたのだ。だがそれと同時に、十二階へ降り立ったアイヴォリーは既にエレベーターへと乗り込んだアイヴォリーではなかった。紅の観察者の介入によって、メイリーと共にアイヴォリーはかつて訪れの島へ転送されていたのだ。
 入れ替わりに十二階に降り立ったのが“アイヴォリー=ウィンド”の姿をした彼だった。だが、彼を殺すためにやってきた必殺の暗殺者は、結局彼らと遭遇することはなかった。一人のエルフと共に、永遠に塔に同化したからだ。
 アイヴォリーが天幕の実働部隊の一人として大陸で宝玉争奪戦に参加し、その後に“金色の暗殺”に失敗してから現在まで、“象牙”ことアイヴォリー=ウィンドには、天幕始まって以来の、唯一の裏切り者という汚点という評価と、同時に“金色”の勅令による不可侵の指示が出されている。理由は明かされず、唯アイヴォリー=ウィンドに絶対に手を出さない旨の命令だけが全ての構成員に通達されたのだ。それはその裏切り者に傷をつけることはおろか、交戦するだけでも厳罰に処すという厳しいもので、裏切り者を例外なく抹殺してきた虹色天幕の、唯一の例外を天幕の人間は揶揄するようにして“聖域”と呼んでいた。
 そのような訳で、それ以来天幕とアイヴォリーの間で何事も起こってはいない。だが、一部の過激な思想の持ち主──“金色”の命令を無視してでも裏切り者を抹殺しようというような──が現れることがない訳ではない。そういった内の一人が刺客だったのだ。

「本当の彼ならばともかく……僕であると知っていて守る理由は君にはないはずだ。」

 アイヴォリーの姿をした暗殺者は満面の笑みのままで、軽い足取りで緑の魔術師との間合いを一歩詰める。その完璧な笑みからは微塵も殺気は感じられない。だが、その状態のままで任務を達成できるのが“純白の涼風”、今ではアイヴォリーと名乗る男と彼との、最大の違いだった。

「“アイヴォリー=ウィンド”が公に抹殺される良い機会だったというのに。
 本当に余計なことをしてくれたものだよ。役目を果たし損ねてしまったじゃないか?」

 あの時培養層で、いや“泥”と呼ばれる天幕の命令系統の一人に踊りかかったあのときから既に、彼は“そのとき”を待っていた。天幕の人間の目の前で、“アイヴォリー=ウィンド”が命尽きる、そのときを。それが、自らを端役であると悟った一人の暗殺者の、最期の舞台と決めたのだから。
 緑の魔術師は、笑みを浮かべる白い盗賊を静かに、その邪眼で見つめている。

   +   +   +   

「うるせェ、アイツのヤリ方ニャ……ヘドが出るぜ。ダレが……ダレがッ!!」

 アイヴォリーが机を殴りつけて声を荒げた。それも、常に傍らにある小さな妖精に対して。突然声を荒げたアイヴォリーに対して、メイリーはただ身をすくめている。ただ彼女は、彼の古くからの友人であるマキャフィ=シモンドールという男のことを、アイヴォリーがいつものごとくその口の悪い言葉で言ったからなのだが。その言葉に対してまさに過剰反応したアイヴォリーは、思わず漏れ出た自分の激情にメイリーが怯えてしまったのにようやく気付き、はっとした表情を浮かべて目を逸らす。

「ダレが……そんなコト……頼んだよ……ダレが……。」

 ばつの悪い、長く重い沈黙の後にアイヴォリーが呟いたのは、まさしく悔恨のそれだった。あの招待状が二人の下へも届いて、それに続いてあの電子妖精が現れた。アイヴォリーを唆したあの天使の笑みを持つ悪魔は、確かに与えられた役割を果たしたのだろう。アイヴォリーとメイリーはそれを利用して、このかつての“イキスギたエンタメ”の遺跡へとやって来た。だが、それを利用したがゆえに、アイヴォリーにはその代償が心の中で足枷として残っているのだ。
 アイヴォリーたちが遺跡へと旅立つことを決める前から、あの男は信じられないような方法で、彼の身代わりとなったのだ。まるで、アイヴォリーの逃げ道を塞ぐがごとくに。

「自分のカラダ捨……イヤ、イイ。ナンでもねェ。」

 目を閉じて、アイヴォリーは苦渋の表情でそう呟いた。
──六日目、すれ違う想い──



七日目

 アイヴォリーが、普通の意識では考えられない光景を繰り広げていた。昨日の戦闘で倒した蚯蚓の肉を、細かく千切って自分の足元に投げているのだ。その奇行に対して、メイリーと遊次郎、特にメイリーは遊次郎の三倍ほども、アイヴォリーから明らかに不自然な距離を置いている。

「アイ~、それ、どうにかならないの~?」

 不自然な距離から、これまた不自然な大声で、メイリーがアイヴォリーに声をかけた。蚯蚓の肉から、傷み始めている部分を選んで一心不乱にダガーで細かく切り分けていたアイヴォリーがようやく顔を上げる。それだけを見れば、パーティのメンバーの体調のためにやっている作業のように見えなくもない。だが、彼の表情にはどこか危険な香りを感じさせる何かが、確かにあった。

「腐りかけの方がな……イイんだよ。」

 顔を上げたアイヴォリーの、少しだけ普段よりも剣呑な瞳の輝き。いつもの笑みを貼り付けたその口元が酷薄な嘲笑に見えるのは距離のせいか。もしくはその明らかに物騒な言葉のせいなのかも知れなかった。

「とりあえず、その考えはあまり賛成できんねえ……。」

 遊次郎が小さく呟いたそのとき。一条の鋭い何かが、無気力に垂らされたアイヴォリーの腕から地面に向かって突き刺さった。その様子を見て、また二人が一歩アイヴォリーから距離を置く。
 顔をしかめながら目をやった遊次郎の視界に入ってきたのは、アイヴォリーの足元で蠢く何か。アイヴォリーと戯れるように、彼が落とした腐肉に纏わり付いている何か。微かに、その外骨格が触れ合うしゃらしゃらという音が遊次郎には聞こえた。かちかちと、火打石を鳴らすような硬質な音も。

「名前がねェ……あるんだぜェ?」

 囁くように、歌うようにアイヴォリーが呟いた。アイヴォリーの言葉の意味を理解したのか、足元で踊っていたその何かがひたり、と動きを止めてその鎌首をもたげ、二人を威嚇するようにその異音を響かせる。さらに二人はもう一歩後退った。

「Poisondart。」

『ってそれ投げるんかいっ!!』

 二人のツッコミを理解したのかしないのか、その硬質な目はあくまでも虚ろに光を反射していた。

──七日目の幕間、有り得ないペットというか武器──



   +   +   +   

オレに与えられる幻視ナンてモノは、大概はあのサイコーのクソッタレからの運命調律に決まっている。

 アイヴォリーは小さく溜め息をつくと、目の前にいる少年に気付かれないようにして肩を竦めた。恐らくはシェルが、アイヴォリーがこの島に着いたときに埋め込んで行ったであろう性質の悪い仕掛け花火に引っかかってしまった自分に対して。
 自分を包む白銀の騎士鎧。恐らくはこのアイヴォリーの前に立つ年若い少年にも理解できるような形で明示したのだ。あくまでも上品に鎧に施された装飾は妖精たちが好んで使う自然をモチーフにしたもので、それが腰に佩かれた立派な剣にまで施されている。後光として後ろで光り輝いているのはメイリーを意味しているのだろう。その余りの気障ったらしさに、アイヴォリーは少しだけうんざりした。

「夢……?」

 幻視から解放されて、目の前の少年が呆然と呟く。アイヴォリーが、このジョルジュという少年と接触することを引き金として発動するように設定された幻だったのだろう。だが、それはあの紅の魔術師だけが起こしたものにしては、表現の趣味がいささか上品だった。

「イヤ……オレも見たぜ?」

 仕方なしにアイヴォリーは目の前の少年にそう言ってやる。それが設定された引き金によるものならば、彼と行動を共にする以上遅かれ早かれ発動してしまうものであったし、それに、それが神などではなく一介の人間による作為でしかなかったとしても、やはりあの運命調律者が描き出す幻は、まるで現実を模写して綴られたかのようにして真実に迫っていた。だからアイヴォリーは、彼に分かり易いように説明してやることにした。

「アレってなんです?」

「運命、さ。」

 あの運命の道化師の与えた筋書きに乗って演じているだけにしても、アイヴォリーにとってそういった類の言葉を空々しく口にするのは面映い。照れから来る苦笑が思わず自分の口元に浮かんでしまうのを感じて、アイヴォリーはそんな自分にさらに苦笑した。
 それに、踊らされているだけにしても、あの緋色の男は、アイヴォリーに言わせればお節介と言えるほどの情報をアイヴォリーにも与えていた。その少年の腰で輝く、一振りの宝剣。それは時代を感じさせると共に今なお古びることなくその切れ味と、所有者に与える運命を物語っていた。象徴するかのようにして、彼を守護するものが、少年の傍らに立っているところまで見せてくれた。
 だが、そんなことよりも、アイヴォリーはその少年の一途な瞳が気に入った。それだけは踊らされているのではなく、確かな自分の感触として。だから、アイヴォリーは素直に手を伸ばした。

「オレはアイヴォリー、タダのシーフだ。ジョルジュ、オレはオメェをナカマにしてェ。
 どうだ、ツイてくるか?」

 この少年が、運命などという安易な言葉のさらに向こう側を知り、それに踊らされることがなくなる時が来るだろう。それを見届けること、それもまた、自分の役割なのかも知れない。アイヴォリーは素直にそう思えていた。ひと時の逡巡の後に、少年が手を伸ばしてアイヴォリーの手を握る。

「ボクはジョルジュ。騎士です。」

「あァ、知ってるさ。IVORY.NETへようこそ、ッてトコだな?」

 アイヴォリーは、その仕組まれた出会いに苦笑しながらその少年を迎え入れた。

   +   +   +   

「ヤレヤレ……結局こうなんのかよ……。」

 アイヴォリーは大きな溜め息をひとつつくと、干からびてもはやパンどころかパンくずですらなくなりつつある食料を投げやりに放り出した。次に自分の背負い袋の中から、悲しくも使い慣れてしまった愛用の浅い鍋と返しを取り出す。

「今回はラクデキると思ったんですけどねェ……。」

 昨日の一件から、アイヴォリーの中で一つの決意が芽生えていた。それは本当にささやかな。だが、とても重大なことだった。

「メイリーにあんまモン食わせるワケにはいかねェからな……。」

 明らかに意気消沈しているアイヴォリー。だが、悲しいことに道具一式を準備するその手際は、中年の主婦が慣れ親しんだ自らの台所で食事の準備をする様にも似て、素晴らしく手馴れている。自分でそれに気付いて、アイヴォリーはもう一度大きな溜め息をついた。現在彼らの仲間の中で唯一の料理人である朽梨の料理は、普通の人間にはいろいろな意味で危険すぎた。実際には今までのところ、彼女の調理した料理によって弊害は一切出ていないのだが、逆にどうして何の影響も出ないのかが不思議になるほどの危険なメニューだ。黒猫に至ってはうっかりとねぎの入ったスープを食べさせられそうになって逃げ出したらしい。こんな状況では、いつか料理によって死人が出かねない。もしくは、料理が原因になって争いが起こりかねない。冗談にしか聞こえない話ではあったが、アイヴォリーには、それが絶対に冗談だとは断言できなかった。
 そうこうして、諦めという名のスパイスがふんだんに用意されたアイヴォリーの料理道具の準備が整い、彼の手元に今ある食材は二つ。
 パンくずではなくなりつつある乾燥した何かと、蚯蚓を解体して得た肉。片方は余りにも食事として調理するには乏しく、もう片方は昨日の戦闘が思い出されるがゆえにあまり気乗りがしなかった。だが、それでも決めた以上はどうにかしなければならない。思い返せば、長い遺跡の探索行の中では、食料すら自給するしかなく、竜の肉を盛大に焼いただけで食べるような時はまだ良く、ひたすら巨大な芋虫を狩って食料を確保したり、それすらも無理なときには玄室に追い込んだ動き回る苔の集合体を繁殖させて食糧貯蔵庫としていたような、そんなときもあったのだ。それに比べればパンはれっきとした食品だし、蚯蚓は食用のそれがあるくらいなのだからあの苔よりかはましというものだろう。ちなみに、あのときに繁殖させて腹を満たした動き回る苔はカリフラワーにそっくりの味だった。

「ヤッパ……予想はしてたケドもコイツはヤッカイだねェ……。」

 こうして戦闘以外にももう一つ、この島恒例のアイヴォリーの悩みの種が増えたのだった。

──七日目、出会いと運命──



八日目

 いつものように、ダガーをブーツに収めたままの状態で疾走し間合いを詰める。自らの体重が加速の妨げにならぬように重心を前に、低く。相手に自分の次の挙動を悟らせないように不規則に左右にステップを刻みながら相手に肉薄する。

「ふッ!」

 気を吐き、アイヴォリーが低い姿勢のままで跳躍して最後の一跳びを詰めた。左右に展開した山猫と大鳩の間に割り込むように飛び込みながら空中で身を縮める。自らの意思で躍り出るようにブーツから抜かれた二振りのダガーが撫でるように、通り過ぎる両側の敵を掠る。細かい粉末が太陽の光に反射して虹色の光彩を撒き散らす。

「昔はねェ……よく呼ばれたモンさ。両手のダガーで相手を踊らせる“純白の涼風”ッてな?」

 敵の間を飛び抜けたアイヴォリーは音もなくふわりと地面に降りると、いつもの笑みを浮かべたままで無駄口を叩いた。すぐに振り返り敵の動きに合わせて体を捻る。だが、アイヴォリーの計算よりも敵の動きが早い。

「つッ!」

 飛び込んできた大鳩のその動きは見えていたのだ。だが、軌道を変えるために右から繰り出した手の平は僅かに相手の飛翔よりも遅く空を切った。一瞬だけ、敵を懐に抱きかかえるようにしてアイヴォリーと大鳩が絡み合う。追い払うようにして振るった拳も空を切った。

「……ッ!」

 舌打ちして思わず左の脇腹を押さえるアイヴォリー。元の世界から持ち込んだ革鎧は世界ごとの法則の変化についていけずにがらくた同然なのだ。その中でも特に弱っていた部分にくちばしを捩じ込まれ、鋭利な刃物で切り裂いたようにその部分が裂けていた。かつての島での経験を元にあり合わせの物で作り出した“死の霧”はそれなりに効果を挙げたらしい。動きの鈍った山猫の一撃を余裕を持って遊次郎が躱したのを見てアイヴォリーは吐息をついた。

「ちぃと、いてぇ目を見てもらわにゃあ、ならんのじゃ。」

 毒により麻痺した身体で無理に行った攻撃を躱され、泳いだ山猫の身体に遊次郎の反撃が綺麗にめり込む。その鈍い打撃音は威力をはっきりと伝えるようにして重い。
 メイリーの短い詠唱と共に緩やかな風が巻き起こり、その柔らかな風が彼女を中心にして収束する。敵を挟んで彼女を見やるアイヴォリーには、メイリーの傍らに一瞬だけ透明なはずの風が、その精霊の象徴である乙女の姿を取るのが見えた。

「風の精霊様、少しでいいの……力を貸してっ!」

 彼女を中心に収束するその風は、あくまでも優しく、だが意思を持って敵を絡め取るように渦巻いた。纏わりつく風の乙女は対象から僅かに体温を奪い、それを詠唱者へと還元する。同時にアイヴォリーが左手を翳すと、そこから矢のように一条の閃光が伸び山猫を撃った。アイヴォリーが魔術を使ったわけではなく、彼の篭手からPoisondartが攻撃を仕掛けただけなのだが。

「イクぜ、“右と左の鎌鼬”……見切ってみヤガれッ!!」

 再び間合いを詰めたアイヴォリーがダガーを振るって山猫に止めを刺した。綺麗に斜め下から薙ぎ上げる一撃が右手から伸び、同時に振るわれた山猫の鋭い前脚は逆手に持ったダガーを軌道に割り込ませて阻止する。

「コレ以上ムリすんじゃねェよ。あんましエグるのも趣味じゃねェ。」

 口の端で笑うアイヴォリー。だが、その背中に大鳩が再度飛び込んだ。裂かれた鎧の無くなった部分に鋭いくちばしを捩じ込まれて鮮血がアイヴォリーを包むようにして散る。唇を噛み締めて振り払い、アイヴォリーは離脱しようとする大鳩に追いすがると一撃を入れた。よろめいた大鳩に遊次郎の必殺の一撃が繰り出されるものの、まだ相手を落とすには足りなかった。空中で綺麗に孤を描き、再度上空で狙いを定め直すようにして滑空する大鳩は、その途中でメイリーの魔術の矢を躱す余裕すら見せた。

「マズいッ!」

 口の中で呟いたアイヴォリーの足は止まっていた。大鳩の狙いが自分に、しかもその破られた鎧の隙間に正確に向けられていることを悟り、それでも回避するには遅いことをも理解したのだ。三度、絡み合うようにして大鳩とアイヴォリーが倒れこむ。左手で引き剥がそうとしたところで自分の篭手が白く煌くところまで、アイヴォリーには瞬時に見えた。

「……こんなんじゃナニも変えられねェッつーんだよ……。」

 Poisondartがずるり、と自らの腕から這い出るのを感じながら、アイヴォリーは遠くなる意識を手繰り寄せようと必死に集中し、それでも昏倒した。せめて自分よりも先に敵をペットが食ってくれるように祈りながら。

   +   +   +   

 アイヴォリーはまだ痛む腹を擦りながらも浅鍋を振るっていた。昨日の戦闘は、自分と同時に大鳩が倒れたせいで、アイヴォリーの戦線離脱も大して影響はなかったらしい。自分の身体を張ってデコイの面目躍如か、とアイヴォリーは心の中で呟くと苦々しい様子で自嘲の笑みを浮かべた。昨日ひたすらに突っつかれた革鎧は大きく裂けて胴回りが使い物にならなくなっていた。幸いメイリーの持っていた素材で新しく鎧を作ってもらっていたところだったので問題は無かったのだが。だが、真新しい鎧の下ではしっかりと巻かれた包帯が傷を締め付けている。こういうときだけは、アイヴォリーも自分が暗殺者であったことに感謝する。そうでなければ今日の戦いでも傷を気にして満足に動くことは出来ないだろう。今日で一度撤退とは言え、この島のルールからして負ける訳にはいかない。負けることは即後れを取ることに繋がり、遺跡探索というこの島の目的──それは宝玉のみならず、ハルゼイを見つけるということにおいてもそうなのだが──がさらに不利になることを意味している。

「まァ……どうにかなるとは思う、ケドねェ。」

 大きな溜め息を一つ。しかし彼が気にしているのは今日の戦闘のことなどではなかった。戦闘が厳しく、傷を負って時には倒れるのも、この島ではよくあることだ。アイヴォリーに言わせれば、それはどこの探索でも付きものだし、そもそも前の“イキスギたエンタメ”から慣れきったことだったのだが。それよりもずっと悩ましい問題が今のアイヴォリーにはあったのだ。

「聖誕祭、つってもねェ……。」

 年の終わり、雪が舞う頃。神の子の誕生を祝う祭り。思えば去年の今頃は、よく知った街で二人、静かに聖誕祭を迎えていた。柔らかく暖かな光。肉の焼ける匂い、知り合いの酒場から送らせたワイン。星明りに照らされた静かな夜のかつての離宮を雪を踏みしめながら二人で歩いた。そのときは、こんな静かな日常がずっと続けば良いと、そうささやかに願ったものだったが。

「去年の今年でコレかよ……。」

 あの大きな街は今でも変わっていないだろうか。かつて王国の中心として栄え、国の基幹部が移行されてからも離宮を中心にして静かに賑わいをみせ、その名残を今でも湛えた街。整備されたその離宮の庭は今では公園として開放され、自由に街の人間が立ち入ることの出来る憩いの場になっていた。その広大な緑を静かに白い雪が覆い隠し、魔法で循環する噴水が凍りついたように煌いていた。
 足を危うく滑らせたメイリーに手を伸ばし、引き寄せて、二人は静かに、無言のままで公園を散策した。
 あの、夢のような街。

 だが、今年のアイヴォリーは、傷を抱えて、遺跡の一画で浅鍋と格闘している。それは自分で招いたものであり、ある意味では望みの聖誕祭なのかも知れなかったが。

「冒険者のホンブン、ッてヤツかねェ……?」

 苦笑を浮かべ、諦めて浅鍋を握り直す。パンくずに粉砂糖を塗して星の形に切ったラスクが火の傍で香ばしい匂いを放ち始めている。そろそろ向こうも見てやらなければいけない。幸いこの島には、緑のものと、肉と、パンがあるのだ。出来ることはしなければならない。それは、一年の中で今日しかないのだから。
 細かく刻んでミンチ状にしたものを卵でつなぎ、油を引いた浅鍋に投入する。パンくずはまとめて水でこね、もう一度どうにか大きなパンに見えなくもない形状に仕立て上げてから火にくべてある。どうせ今日が終われば一度帰還するのだ。食料を余らせても仕方がない。
 アイヴォリーは浅鍋を火から下ろすと、焼け上がったパンの塊を包んだ皮を火の中から取り出した。皮を開くとどうにか再生パンが一つずつの塊になっているのを確認しながらラスクも火の傍から取り除ける。島の外で採って来てあった葉の残りを千切り、二つに切ったパンの間に挟むとアイヴォリーはようやく額の汗を拭った。

「さて……と。」

 一番大きな机を天幕の外へと出し、防寒用に持ち歩いている大きな布を机にかけて。九人分の皿を並べるとそこに顔くらいはありそうな再生パンを一つずつ置いていく。横の深鍋で煮込み続けていたソースもそろそろ暖まった頃だろう。固めて焼いたミンチ状のの肉をパンに添えてから、アイヴォリーは声を張り上げた。

「よし、みんなメシにしようぜ!」

八日目──ささやかな聖誕祭──



九日目

 僕は電源を落とすと目を閉じた。部屋の中に静寂が満ち暗闇が訪れる。普通ならば部屋の明かりが灯るはずだが、シェルが気を遣ってくれたらしい。部屋は暗がりの中に沈んだままだった。
 少し、疲れている。
 何事にも喪失というのは付き物だし、新しい一歩を踏み出すときにはそれは尚更重くのしかかって来るというものだ。隙あらば停滞を望む、余りにも小市民じみた僕の思考には、特にそういった、僅かな進歩と共に訪れる傷は、痛い。だが、そもそも喪失から僕の物語は始まったのだから、僕はそれを受け入れ、それを友としなければならなかったのだ。
 時折迷うことがある。僕は、この小さな玩具で何を成したいのか、と。この些細な力で何と戦っているのか、と。

   +   +   +   

「君は運命を、変えたくないかい?」

 それを聞いて、僕は鼻でせせら笑った。

「運命は、変えられないから運命というんだよ。」

 彼は大仰な身振りで僕の言葉を遮る。

「それに対抗するための力が、ここにはある。運命と、戦うための力が。」

 僕は目を細め、いぶかしんで彼を見やった。

「そんなことが、出来るはずはないよ。」

 僕の言葉に、彼はゆっくりと首を振る。

「誰にでも出来ることならば、君に持ってきたりはしないさ。」

 僕は苦笑を浮かべてわざとらしく肩を竦めてやった。

「それならば、なおさら僕に持ってくるのはおかしいんじゃないかい?」

 彼は口の端を歪めて、下から僕を覗き込む。

「何も持たない者。全て失くした者。君でなければ扱えはしない。」

 僕は、僕のことを何故彼が知っているのかと驚愕した。誰も知らないはずの秘密。誰にでもあるような平穏な日々。誰にも知られることのなかった喪失。偽りの中の傍観者。

「これは君にこそ相応しい。自らを書き換えることを許さず、全てを書き換えるこの“魔筆”は。」

 身を滅ぼす“猿の手”。戻らないはずの時間。戻せないはずの運命。

「こんなもの、存在するはずはないよ。」

 そう否定した僕の言葉は、それでも震えていた。

「君は、何をこれ以上失うんだい?」

「これ以上、喪うものなんてないさ。」

 そうして僕は、初めて全てを失った。

   +   +   +   

「チッ! やっぱりだめかぁ……RED……やはりちゃんと手順を踏まないとダメみたい。」

 水晶の中で金髪の少女が倒れる。だが、彼を切り裂いた刃からやってくる力の奔流が僕の前に立ちふさがっていた不死の王の幻を打ち砕き、元の零と一との集合体へと霧散させた。

「Lich the Nightmare崩壊。オーバーフロー遮断のため自動的にポート88012から95750までをクローズしました。データ受信終了、戦闘終了しました。」

 柔らかな少年の声が被害状況を平静に報告する。相手の攻撃を感知してそのまま攻撃に転じるためのウォールが完全に破損したらしい。戦闘が終了したためにこれ以上攻撃はないものの、主だった壁の一つを壊されたことは予想外の痛手だった。

「また派手にやられちゃったね?」

 書斎の中にあどけない少年の姿でシェルが現れた。僕は口の端を歪めたままで、振り返りもせずに彼を追い払う。

「Lichの再構築を早急に行ってくれ。遊んでいる場合じゃないだろう。わざわざ愚痴を言われに来たのかい?」

 それでも喉を鳴らして猫のように笑う彼は、小首を傾げて僕の椅子に手をかけた。歌うように呟いて疑問を僕へと投げかける。

「魔力回路を切り離しておけば、こんな手間のかかることはしなくてもいいはずだよね?
 どうしてわざわざあの宝剣の彼女の力を受けてやるのさ。また天幕の連中からシステムの修復がどうだとか言われるのに。」

 僕はその問いに、さらに深く口の端を歪め、肩を竦めて答えにならない答えを返してやる。なぜなら、そもそもその問いは彼にとって暇潰しの様なものでしかないのだから。

「これはね……ゲームなのさ。
 定められた運命を切り裂くものと僕との。僕は運命を書き換えて管理することによって目的を果たし、彼女は運命を切り開くことによって自己実現を成就する。僕を理想的な仮想敵として認識してくれたのだから、それに答えなければね?」

 それを聞いて不服そうにシェルが眉根に皺を寄せる。もっとも、修復するのは彼で僕はその指示を出すだけなのだから非難の権利を彼は持っているのだが。

「わざわざ、そこまでしてあげる理由が、キミにはあるのかな?」

 その頬に浮かんでいるであろう皮肉な笑みを見るのが嫌で、僕はまだ振り返ろうとはしなかった。自分の分身として作り上げたものながら、この人工知能のそういったところは余りに鼻につき過ぎる。無論それは、僕が自分でそういった欠点を認識しているからなのだが。

「あるさ。彼女がそういった方法で運命を超越できるのならば……僕にとってはとても趣き深い。運命超越者が現れれば現れるだけ、それは僕の目的に近づいたことを意味する。だからこそ僕は、彼女を全力で阻む。」

 そう、そうして彼女が与えられた運命を突き抜ける力を真に持つのであれば、それは貴重なものだった。唯一僕が捜し求める力──僕が望んで止まず、未だに手に入られないもの──だと言えた。もちろん、僕の大切な実験体は一定の成功を得ている。彼は今のところ与えられた運命を超越し、自らの意思で動いてさえいる。
 だが、それはまだイレギュラー、つまり一般的ではない偶然の産物に過ぎない。それでは僕の目的は成就し得ない。僕の影響とは無関係に、その力が存在するのであれば、僕にとってこれほど望ましいことはない。その力を解析し、吸収することで僕の目的は大きく飛躍するだろう。

「そのために、精々データを集めてくれないとね。」

 僕の言葉に、嫌々ながらもシェルは与えられた役割を再開するために姿を消した。
 そう、僕はアウトサイダーの中でも数少ない、影響するものだ。編纂する力を持ったものだ。
 僕は集められた情報を分析するために、もう一度電源を入れた。疲れている暇などない。このゲームは、まだ始まったばかりなのだから。

   +   +   +   

 アイヴォリーは相変わらず溜め息を吐いていた。遺跡の外へと帰還したものの、だからと言って悩みの種が消えるわけではないのだ。

「保存食ねェ……。」

 ようやく帰還したことで、手元にはいくばくかの資金があった。何せこの島へ到着したときには通貨が存在しないために無一文に等しい状態だったのだ。様々な場所から様々な者が集ったこの“イキスギたエンタメ”の現状ではそれも当然だったのだが。ともあれ、そのために食料すらまともに買うことが許されなかった彼らは、他の大勢の探索者たちと同じように、パンくずやらその辺の草やらを食料と称して持ち込むしか手段がなかった。その数日前の状況から比べれば格段の進化だと言えた。
 羊か何かだろうか、一応食用として育てられた何かの動物のものらしい干し肉が数切れと保存に適したパン、チーズ。通常の冒険者の食料としても質素なことは否めないが、それでもまともな食料であることには違いない。

「後はコイツをどう料理するかナンだが……。」

 アイヴォリーがそう口にすると明らかに不穏な空気が漂うのだが、幸いなことに今回に関しては料理以外の何物でもない。アイヴォリーはひとしきり悩んだところで深鍋を取り出した。

「まァ島だしな。最初はコイツで行きますかねェ。」

 干し肉を水で戻し、適当にその辺りから調達した使えそうな木の実を火で炒める。炒めた木の実と干し肉を鍋に開けると、沸かしたお湯を鍋に注いでアイヴォリーはそれを煮込み始めた。

「アイ、何作ってるの?」

 アイヴォリーの料理に気付いたメイリーが興味深々に鍋を覗き込む。アイヴォリーは悪戯っぽく、人差し指を振りながらいつもの笑みを浮かべてみせた。

「ソリャな、懐かしの“アレ”さね。」

「え~、何々?
 教えてよ~!」

 メイリーは当然のことながら──不幸にもアイヴォリーにすら──この後メイリーに訪れる地獄の食事が待ち受けているということに気付ける者はなかった。

~運命──避けられないもの──~



十日目

 大きく広げられたケープには、新しいピンが付けられていた。アイヴォリーがいつも使っている、自らの薄汚れたケープを首の周りで固定するための留め金に付けられた飾り石は、以前のものよりも僅かに白い。地面に大きく広げられたそれを見て、アイヴォリーは小さく鼻を鳴らした。

「もう少し……ケズらねェとな。」

 仲間内で“教授”と呼ばれている彼に預けた白石は、立派に魔力を込められた発動体として戻ってきた。全く白石とは違う、別物の石になって戻ってきたのが多少気になるところではあったのだが。アイヴォリーにとっては別に白石である理由はない。魔力の篭った、“この世界”のものであればそれで十分なのだから。
 アイヴォリーはダガーを使って留め金から飾り石を器用に外すと光に翳した。そうやって見れば、その表面にエルフが好んで使う装飾の文様が刻み込まれているのが分かる。アイヴォリー自身がダガーで刻み込んだものだ。魔力を込められた石に決められた形の文様を刻み、決められた位置に留める。そうすることで、“エルフの銀”と呼ばれる魔法金属の糸を織り込まれたケープは、留め金の石に込められた魔力を全体に充填させ、それ自体を魔法の品に変えるのだ。簡単なエルフ語によって充填された魔力はケープ全体を覆い、それを纏う者の姿を隠す。エルフたちが森の中で究めた隠身の技術の一つ。いわゆる“姿隠しの外套”と呼ばれる“小魔法”、キャントリップと呼ばれるものだった。
 無論、魔術の使えないアイヴォリーにとって、それは便利な道具でしかない。アイヴォリーが知っているのは、魔力の込められた石に決まった形の模様を刻み込み、決まった言葉を口にすることでその力が解放されるということ、石の持つ魔力によってその効果の強弱が変わるということ、その程度だった。
 かつてエルフの住む森の中で暮らしたときに覚えたその技術は、暗殺者として訓練された彼の異常なまでの記憶力と、こういった作業に対する緻密さでもって、本来の手順を知られることなく機械的に継承されていた。

「まァ……こんなトコロかね。」

 ダガーを使って、かりかりと込み入った作業に没頭していたアイヴォリーが大きく吐息をつく。ようやく気の済む程度に加工が出来たらしい。再び留め金の台座にその石をはめ込むと、アイヴォリーは地面に広げていたケープを纏い、留め金を決められた場所に着けた。

「ぼやけろ。」

 エルフの言葉で一言、アイヴォリーが囁いた。同時にアイヴォリーの姿が霞んで薄れる。だが、完全にその姿が見えなくなるほどではない。

「ふむ……。」

 アイヴォリーはもう一度鼻を鳴らすとそのままで天幕の垂れ布を静かに持ち上げて外へと忍び出た。“姿隠しの外套”は便利な道具だが、簡単な魔術であるために制約も多い。一番の難点は大きな動きに耐えられないことだった。走ったり跳んだりといった急激な動作をすれば、ケープを包む魔力は拡散してしまう。また、音や空気の流れといった、視覚以外のものを隠してくれる訳でもない。それはあくまでもエルフたちの隠密の、小道具の一つでしかないのだった。
 まだ日の昇る前、薄闇の中ではその姿は影が動いているようにも見えた。静かにメイリーの天幕へと近づいたアイヴォリーは、外から小さく声をかけた。

「メイリー。起きてるか?」

「ん~、アイ、まだ早いでしょ……あれ?」

 天幕から寝惚けた声と共に小さな妖精が顔だけを覗かせた。気配には聡い彼女だが、薄明の時間帯、寝起きの状態ではさすがにアイヴォリーの姿を捉えられなかったらしい。その僅かな隙を突いて、アイヴォリーは忍び笑いを必死で堪えながら手を伸ばした。

「オイ、ヨダレ。」

 伸ばした指で彼女の頬を拭う。いきなり何もないところから伸びてきた手に触られてメイリーが身を竦めた。

「も~、アイ、こんな時間に悪戯にわざわざ来たの?」

「悪ィ悪ィ。ちっと効果を見てみたかったモンでな?」

 漏れる笑いを必死に殺しながらアイヴォリーが謝った。ようやくアイヴォリーの影を認識したメイリーは、貴重な睡眠時間を削られて不機嫌そうに眉を寄せている。だがアイヴォリーの半透明に透ける姿に、少しだけ拗ねたような、羨ましそうな視線が混じっていた。

「いいな~、アイのそれ。ボクのも作ってよ?」

 確かに、前に島にいたときにもそんなことを言われていた。それを思い出してアイヴォリーが小さく溜め息をつく。彼がこのケープを贈られ、発動体の作り方を学んだエルフの村はもう存在しない。そのエルフたちを村から、その大きな森から追い出すために、人間との関係を悪化させるために、巧妙に偽装された“迷い人”が送り込まれ、十分に信用を得たところでエルフの長を暗殺したから。

「あっ、今アイ女の人のこと考えたでしょ!」

「ッてそんなに見えてんのかよ?!」

 長に近づくために取り入った長の娘に思いを馳せていたアイヴォリーは、そのことをメイリーに指摘され、表情までもこの状況で見えているほどにケープの効果が薄いのかと狼狽した。ふん、とそっぽを向いて小さな妖精が鼻を鳴らす。

「図星です~だ。もう、知らない!」

「オイオイ……カンベンしてくれよ……。」

 安眠を妨害された上にさらに機嫌を損ねるアイヴォリーの言動に、完全に彼女はへそを曲げてしまったらしい。ぷい、とそのまま天幕の中に潜り込んでしまう。

「ヤレヤレ……。」

 半透明のままで立ち尽くす元暗殺者。それは余りにも箔の付かない、切ない姿だった。

   +   +   +   

「撤退命令完了。全ての人員の回収の手筈は整いました。」

 暗い部屋の中で、沢山の計器類に囲まれた天幕のオペレーターが報告する。報告を受けた男は静かに頷くと手元のモニタに目をやった。

「恐らくは“リセット”でしょうが……どうしましょうかねえ……。」

 喉の奥で笑いを漏らす。そのモニタには、白い装束を纏った盗賊の姿が映されていた。島にいるはずの男と瓜二つの男。ただ、その顔に浮かべられた笑みの属性だけが、それが別人であることを物語っている。

「どこから紛れ込ませてきたのかはさて置き……消えてもらうにはまたとないタイミングなのですが……ねえ?」

 モニタをこつこつと叩くと、男は誰ともなしに一人で呟き続ける。世界の崩壊に巻き込まれて消えたのならば誰も──金色ですら──文句は言うまい。一人の人間の生殺与奪を握った嗜虐的な感情がその部屋の暗闇からでも透かして見て取れた。

「君が彼を転送しないのは勝手だがね……。それであれば僕は天幕全体に、世界の崩壊に彼が巻き込まれて消え行く様を大々的に伝えるよ?」

 ふ、と風が流れ、男の後ろに赤い闇が滲み出た。口の端を歪めて島の盗賊に似た、それよりもずっと酷薄な笑みを浮かべて。

「天幕として裏切り者である“アイヴォリー=ウィンド”が死んだということになれば、否応なしに士気は上がるだろうね。“当面は”。」

 “裏切り者”が二人存在する、というのは天幕の中でも一部の人間にしか知らされていない事実だった。それでなくても“金色”による不可侵の命令は天幕実働部隊の士気を下げているのだ。この上に“アイヴォリー=ウィンド”が平行して二人存在するという矛盾が発覚すれば、実働部隊に更なる動揺が広がるのは目に見えていた。

「噂は伝播する。この上で、世界の崩壊に巻き込まれて“ロスト”したはずの“アイヴォリー=ウィンド”がまた現れた、などということになれば、困るのは君じゃないかな?」

 緋色のルージュが皮肉に歪む。それを男は唇を噛み締めて見据えるしかなかった。

「そう、君たちは僕の思う通りに踊っていれば良いのさ。僕は運命調律者なんだから。運命には、誰も逆らえはしない……そうだろう?」

 必要なことだけを伝え、緋色の闇は再び暗い部屋の闇に滲む。哄笑だけが部屋の中でいつまでも居座っていた。

~十日目──姿見えぬもの~



十一日目

 アイヴォリーの戦い方は徹底している。低い姿勢から距離を詰め、相手の懐に飛び込んで相手の間合いのさらに内側でダガーを振るう。一撃を入れ相手の反撃よりも早く離脱する。間合いに踏み込めなければフェイントとステップで相手を幻惑し隙を見つけて飛び込む。相手の攻撃を紙一重まで引き付けて躱すことで踏み込みのタイミングを計る。その日の戦闘もいつも通りのはずだった。

「“右と左のカマイタチ”……ッ!」

 蟻の全身を覆う外骨格の、ほんの僅かな継ぎ目にダガーを捩じ込みながら振るわれた足を躱す。さらに続けて攻撃を入れたかったのだが、その一撃が思ったよりも浅いのを悟りアイヴォリーは牽制の大振りな一撃と共に相手から距離を取った。遊次郎が牙蜥蜴を引き受けてくれている。だが槌の、その大きな一撃にはどうしても隙が伴うものだ。アイヴォリーは襲い来る蟻の牙を跳躍で大きく躱して遊次郎の前に降り立った。振り払われた槌の慣性はまだ死んでおらず、彼の体勢は次の攻撃に反応できる状態ではない。上から突っ込んでくる牙蜥蜴の顎に横から軽く手を添えて押してやる。狙い済ました一撃も、その軌道を僅かに変えてやれば見切るのは容易いのだ。

「当たってやるギリはねェよな?」

 いつもの片頬を歪めた笑みを浮かべて左脇の地面に食いついた牙蜥蜴の頭を支点に、アイヴォリーは地面を蹴って宙返りで体を入れ替えた。アイヴォリーの後ろから噛み付きに来ていたもう一匹の蟻は、その対象を失って牙蜥蜴の大きな頭にぶつかってしまう。三匹全ての攻撃を引き付けながら、アイヴォリーはまだ余裕の笑みを浮かべていた。
 牙蜥蜴を中心に、もつれるようにして集まった三匹の敵に両手のダガーを適当に撒き散らしながらアイヴォリーはようやく体勢を戻しつつある牙蜥蜴の頭を蹴って距離を取った。だが狙いすましたはずの必殺の一撃は躱され、一撃目だけで後が続かない。メイリーの風の槍が風を巻き上げながら横をすり抜けて行くのを見ながらアイヴォリーは小さな声で呟いた。

「ッ……浅ェな……?」

 何か、自らの攻撃のどこかに気を取られたアイヴォリーの隙を見逃してくれるほどまでには敵は甘くない。蟻に噛み付かれながらアイヴォリーは肘と膝を打ち込んで、その強靭な顎を無理やりに引き剥がし距離を取る。

「コイツは……マイッたねェ……。」

 アイヴォリーは明らかに何か他のことに気を取られながら、残りの戦闘をこなして敵を殲滅した。

   +   +   +   

 ダガーを光に斜めに翳し、目を細めるアイヴォリー。光源は天幕の頂点から吊るされたランタンのため、お世辞にも明るいとは言いがたい。だが、アイヴォリーにはそれでも十分なようだった。

「ふむ……マイッたねェ……。」

 小さくそう呟くと、刃に横から力を加える。ある程度弾性を持たされたダガーの刃は目に見えぬほどに僅かにしなっていた。

「アイ、どしたの?」

 アイヴォリーの横で手持ち無沙汰にしていたメイリーが、彼の姿を真似して横から覗き込んだ。アイヴォリーは難しい顔をしたままで、それでも彼女が見やすいように刃を立ててメイリーの視線に合わせてやる。

「??」

 首を傾げるメイリー。アイヴォリーは苦笑しながら肩を竦めた。

「曲がってるだろ?」

「う~ん……良くわからないよ。」

 今度はメイリーがしかめっ面になって、まじまじとダガーに顔を近づける。差し出したままのアイヴォリーの手を両手で握ってぐりぐりと傾けたり回したりしながら彼女は首を捻り続けていた。

「ちょっとだけナンだケドな……右にソッてるだろ?」

「ボクにはまっすぐに見えるんだけどなぁ……?」

 相変わらずアイヴォリーの手をぐりぐりとあちらこちらに回し続けるメイリー。曲がっているのが自分に分からないのが気に入らないらしい。

「い……いでででッ、ソッチには曲がらねェッ!」

 アイヴォリーが腕を極められて悲鳴を上げた。メイリーがアイヴォリーの腕を回し続けているうちに曲がらない方に捻ったらしい。アイヴォリーは笑みを深くして手を引く。

「う~ん、武器のことはよくわかんないや。」

「まァ、使ってねェと気付けねェくれェのモンだしな。オレが魔石にキズが付いてても分からねェのと同じだろうさ。」

 肩を竦めて右のブーツの鞘にダガーを収めた。鞘に滑り込むときにも僅かな抵抗があって、それが確かにダガーが曲がっていることを主張する。アイヴォリーは小さく溜め息をついた。このまま同じように使い続ければ近い内にこのダガーは折れるだろう。恐らくは今日、初撃で蟻の甲殻の隙間に捩じ込んだときに歪んだのだ。自分の腕が衰えていることを実感させられて、もう一度アイヴォリーが大きな溜め息をついた。少なくとも昔、現場にいた頃の技術ならばこんなへまはしなかったはずだ。

「う~ん、じゃあアイ、これ使う?」

 明らかに弱った様子の──もっともそれは、自分の技術の衰えを嘆いていたのだが──アイヴォリーを見て、メイリーが鞄の中から大きな牙を取り出した。それは今日の戦闘で牙蜥蜴から採った物だ。差し出されたそれを受け取ると、アイヴォリーは小さく唸った。

「どう?
 使えそうかな?」

 軽く指先で叩く。象牙質のそれは、どちらかというと金属に近い澄んだ音を返してきた。アイヴォリーがさらに唸り声を上げる。

「……使えないの……?」

 長さは十分だ。削り出すにはやや細いが、その分刃を細く取れば良いだろう。アイヴォリーは最後に笑みを浮かべると無言でメイリーの頭をわしわしと撫で回した。

「……??」

「コイツはイイモノになりそうだぜ……。」

 浮かべられたアイヴォリーの笑みに、若干危ういものが含まれている気がしないでもない。

   +   +   +   

 次の日。夜が明けてすぐにジョルジュに仕様を事細かに伝え、アイヴォリーはメイリーから預かった大きな牙を預けた。細く、長い短剣。刃は付けられるが、あくまでもそれは補助的なものだった。斬ることも出来るが、そのメインの使い方は突きだ。ダガーというよりは、どちらかというと鎧通し、つまりスティレットと呼ばれるそれに近い。騎士たちが馬上から突撃槍で相手を叩き落した後に、相手に馬乗りになって使う、騎士たちの“本当の”武器だ。
 白いその牙から削り出された刃は美しい白で、僅かに黄味がかかった芸術品の趣を得ることだろう。鋼から打ち出したそれとは違ってあまり輝くことはないはずだ。相手の血を帯びるたびに、その色の深みは増していくに違いない。アイヴォリーはその仕上がりに思いを馳せて恍惚としていた。

「アイ、どうしたの?」

 メイリーに声をかけられ我に返る。製作に割けるのは、朝に狩りをしてキャンプを撤収し、移動して次の日に狩れそうな敵の下調べをした後、今日の夜の話だ。つまり、これからの戦闘はこの慣れ親しんだ二本のダガーでどうにかやりくりしなければならない。まだ新しい得物に思いを馳せるには早かった。

「あァ……とりあえずは今日を凌がねェと、な。」

 たとえ武器が出来上がってきても、それを振るうだけの体力が残っていなければ意味がない。今日負けてしまえば撤退するしかないのだ。浮かれている場合ではない。

「うし、今日もキアイ入れていこうぜ!」

 そうして普段と変わらない一日が、今日も始まった。

~十一日目──“牙”~



十二日目

 左目が、疼いた。きりきりと、まるでそれを失ったあの時の痛みを再現するようにして。

「……ッ!」

 アイヴォリーは小さく舌打ちして、今は何も問題がないはずの左目を押さえる。そう、かつて左目を失ったのは、今のアイヴォリーではない。島にいたときの、一人“前”のアイヴォリーのはずだった。今の自分は両目を無傷のまま持ち、かつてとは比べ物にならないほどの視界の広さを確保できている。
 だが、あたかも肉体ではなく、心がそれを覚えているかのようにして、左目が痛んだ。

「ちッ……マイッたな……。」

 小さく毒づき、ようやく去りつつある痛みの原因に思いを馳せる。まるで、手や脚を失った者が、既に存在しない手足の痛みを訴えるごとき、幻のようなその痛みの理由に。

「エリィ……か。」

   +   +   +   

「ここが……そうか。」

 司祭服を身に纏った細身の女がそう一人ごちて眼下に目をやった。平原に広がるその街の中央には巨大な塔がそびえている。送られてきた地図と照らし合わせ、女は背負い袋を担ぎ直した。

「まだ……解放してくれぬとは、な。」

 鼻で軽く笑い飛ばす。自分にこの手紙を送りつけた者を。それに従ってのこのことここまでやってきてしまった自分を。自分を縛り付けて未だ離さない、運命を。そんな笑みを、彼女は浮かべることには慣れていた。
 ただ一言、「後を継いでくれ。」と記された手紙に同封されていたのは塔の構造と自らが切り開いた場所までの仔細な情報。そしてこの街の場所を記した地図。それはよく知る男の筆跡に瓜二つの、巧妙な、それでもどこか違和感のある偽装された筆跡。よく知る筆跡を偽造する技術を持ちながらも、わざと本人ではないということを仄めかすように崩された、偽りの手紙。
 それが届けられたそのとき、まだ辺りには届けたものの魔力の残滓が漂っていた。白と黒の翼を持つ、少年の顔をした悪魔。白い風の守り神。その存在の、あまりに特徴ある名残が。

「つくづく……世話を焼かせるものだ。あの男も、その友人も。」

 虹色天幕の張った、巧妙な罠ではないと言い切るだけの証拠はなかった。何よりあの矛盾する翼に象徴される異界の存在は、虹色天幕を裏から操る男の顕現の一つなのだ。だが、虹色天幕がそれほどに単純な場所でないということも、今の彼女には分かっている。それに、今さら彼らが自分に手を出してくる理由はないのだ。何故なら、虹色天幕の中で唯一歴史に汚点を刻んだ裏切り者のあの白い風にとって、自分は最早何の価値もない人間なのだから。彼を拘束するために自分をわざわざ呼び出すようなことをしても、虹色天幕には何の利益ももたらしてはくれないのだ。

「……ふ……。」

 辺りには、まだ春も遠いというのに芽吹きの匂いが満ちている。それはまるで、厳しい季節に植え替えられた植物が、どうにかして自らの命を保つために、新しく凍えた土に根を伸ばすような、どこか痛々しくも、力に満ちた匂いだった。この辺り一帯が地域的に“世界の崩落”を起こしたことは彼女も知っていた。再構築されたばかりのここは、まさしく植え替えられた植物のようなものだった。まだ世界を構築した際の計り知れないほどの力の欠片が、空気には漂っていた。

「そろそろ行かねばな。」

 新しく構築された場所に踏み込んだ時の決まり事である力の流出によって、今の自分の魔力は著しく制限されている。今の自分の力では、一定の区画に全てを構成する最小単位の融合によって多大なる力を引き出す、魔術の最大の奥義は勿論のこと、炎の嵐すら呼び出すことは出来ないだろう。当然外宇宙に存在する偉大なる存在に呼びかけてその片鱗を顕現させる召喚も不可能だ。手紙によればこの辺り一帯の街道には野盗も現れるらしい。一人で立ち向かうには危険だろう。どこを探索するにしても、それなりに信用できる仲間を早く見つけなければならなった。
 司祭服の女はまだあちこちに雪の残る丘を降りていった。街に向かって。ただ届けられた手紙に従い、何を探すのかも分からないままに。

   +   +   +   

 懐かしさと、安堵。それに僅かばかりの、切なさか悔恨かも分からないほどの小さな胸の痛み。幻視の中の彼女は、アイヴォリーの記憶のままだった。それゆえに、小さなさざなみを、彼の中で引き起こした。白い司祭服。首にかけたストラ。無表情で、見方によっては冷たくすら見える顔立ち。厳密には、彼の記憶ではない。“銀”として虹色天幕に仕えていた彼女を、左目と引き換えに救ったのは。だが、それを全く別人の記憶だと言い張るのは、横にいる大切な妖精との、あの大切な“島”での記憶を、それもまた同じだと言うくらいに、彼には難しいことだった。
 そして、もう一つの、大切な“記憶”。

「こんなクソッタレたモン置いていきヤガッて……。」

 ゲルプという名の、虹色天幕に籍を置く男。彼が投げて寄越したそれは、小さなケースに収められた虹色の円盤だった。貼られたラベルには、懐かしい格式ばった几帳面な筆跡で自分の名前が記されていた。その記録装置はアイヴォリーにも覚えがあった。再生するための装置はルミィが持つ移動式ラボの中にあった。アイヴォリーは、その出所をルミィにも明らかにしてしまうだろうラベルを丁寧に剥がしてから、作業中の彼女を追い出し、一人でそれに記録された映像を再生した。

親愛なるアイヴォリー・ウィンド殿へ
この記録があること自体ウィンド殿は喜ばれない事とは思いますが
常に最悪の場合を考慮するというのが私の性格ですのでどうかご容赦の程を
そしてこれをご覧になっているという事は
残念ながら私がお貸しした物を私自身に返していただくという事は不可能になったという事でしょう
どうかウィンド殿が信じるに足ると判断された人物にアレをお渡し下さいますよう再度お願いいたします


まさかとは思いますが
仇討ちなんて事考えたは居られないですよね?
らしくないと思いますが・・・
私の事などさっさと忘れてリアーン嬢とお幸せになって欲しいと思っているのですが
それが出来るほど器用な方ではないこと位は私にも分かっているつもりです
今更張本人の私が申し上げるのも何ですが巻き込んだような形になり申し訳なく思っております
もしウィンド殿が此方にこられるような事になったら
またお茶会を開いて欲しいものです
その時には・・・
その時には・・・
私の部下も紹介しますから
最も・・・私が部下達の下に逝けるかどうか判りませんがね
ではウィンド殿そろそろ時間ですのでこれにて
どうかリアーン嬢と末永く・・・お幸せに
戦友のハインツ=クロード=ハルゼイより


 それからも映像は続いていた。予定外に残された彼らの日常。意図されなかったものが流れ、映像が途切れても、まだアイヴォリーは画面を見つめたままだった。口の端を歪めて、いつもの笑みで表情を隠して。それでもその瞳の色は、鮮やかな血の色──彼が激昂したときに見せる瞳の色──で輝いていた。
 あの虹色天幕に与する、ハルゼイと同郷の男はこう言った。地上に出たときに探索をしてみろ。面白いものが見つかるはずだ。そうアイヴォリーに伝えた。恐らくはそこでこの記録装置を見つけたのだろう。この島に戻ってきたときにアイヴォリーが初めに行ったのは、かつて彼のラボがあった場所の捜索だった。そこには廃墟こそ残っていたが、目ぼしい機械類は既に存在していなかった。それに、その映像の背景に映されていた場所は、アイヴォリーの知らない場所だった。つまりそれは、彼の知るかつてのラボの他にも、同じような場所があるということを意味していた。

「ヤレヤレ、仕方ねェなコイツは。アダ討ちナンてガラじゃねェッつーの。大体よォ……死んでもいねェヤツのアダ討ちナンかデキるかよ。
 ソレにな……コレは、オレが始めた戦いだ。テメェとな。そして、オレが続けると決めた戦いだ。」

 彼が言う“アレ”、ハルゼイの技術の全てを記した書類は、学園で出会った彼の同僚たちに預けた。学園から追い出される際には、虹色天幕からの追跡を不可能にする跡消しの魔術で持ってシェルが二人を退避させた。共に手分けしてハルゼイを見つけることを誓って別れたのだ。同時にその几帳面さを発揮して全く同じものを作り上げた書類の複製は、まだ何部か彼の手元に残してある。彼から聞き及んだ技術の欠片を総合して今の仕事をこなすルミィには必要なものかもしれない。

「分かってんのかよ。テキも味方も、テメェのコトを探してんだぜ……?
 お茶会ナンざ、テメェが出てくリャいくらでも開いてヤるさね。姿絵だけで参加ナンてだせェ方法は絶対認めねェケド、な。」

 既に何も映していない画面に──もしくは“島”のどこかにいる彼に──向かってアイヴォリーは呟くと、暗い部屋を後にした。まずは彼の小さな願いの一つを叶えるため、信頼できる仲間の一人であるルミィに、彼の技術を伝えるために。

~十二日目──“伝えたいもの”
  1. 2007/05/17(木) 09:20:07|
  2. 偽島
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偽島テストプレイ期:後半

後半。サバス戦、アルミル戦、初詣にホワイトデーとイベント目白押し。Eden's Shiftに存在中の“闇色の羽”クラウス君の話などもちらほら垣間見えます。
クラウス君はアイヴォリーのプロトタイプであり、まだアイヴォリーの素体で継続的に実験を始める前の、適当にピックアップされて運命を書き換えられた上でそれを超越できるか、という模索段階の存在。
ゆえに、その運命はアイヴォリーと同じく“裏切り者”ながら、その外見はまったく異なった別人です。
当然彼を使った実験は失敗した訳ですが、記念碑としてなのか何なのか、調律者の手駒として消去されずに存在しています。


十三日目

「でェェェい、分かった、言やイイんだろ!」

 言うよ、言ってやるさ、オレだって暗殺者の端くれだったんだ、と、朝も早いうちから砂漠で絶叫する男が一人。いつもながらのお騒がせ男、アイヴォリーである。彼は日も明けやらぬうちから、何やら一人で明後日の方向に向かって叫んでいるのだった。周りの、その奇怪な叫びに叩き起こされた探索者たちの白い目もお構い無しのその様子からも、大分追い込まれている様子が見て取れる。

「アイ……どしたの?」

 当然ながら、一番アイヴォリーの近くに天幕を張っていたメイリーも目を擦りながら顔を覗かせた。ひく、とその眠たそうな声に、時間がそこだけ止まったかのように硬直するアイヴォリー。

「アイ、顔引きつってるよ?」

 ぎぎぎぎぎ、とぎこちない動きでアイヴォリーの顔が、人形のように首だけを動かしてメイリーに向けられた。以前顔は硬直して引きつった半笑いのようなそれなので、時間が時間ならばそこらのアンデッド顔負けの不気味さだと言えた。

「……メイリー。」

 つかつかと──硬直した姿勢と半笑いの顔のままで──メイリーに歩み寄るアイヴォリー。速度的にはつかつかと、だが、擬音としては「わさわさ」とか「にじにじ」辺りの方が正しいように見えなくも無い。

「アイ……顔ちょっと怖いよ?」

 怖いのは顔だけではないのだが、とりあえずはそこに絞ることにしたらしい。メイリーもまた引きつった表情で、それでもアイヴォリーとの長い付き合いの賜物か、どうにか笑みを浮かべてそうアイヴォリーに指摘した。

「まァ……入れ。」

 メイリーのすぐ前までやってくると、アイヴォリーは彼女が顔を覗かせる天幕に半ば無理やり彼女を押し戻した。続いて辺りを見回すと、周囲がようやく平穏な夜明けの眠りに戻り始めているのを確認して、誰かに見つかるのを恐れているかのようにこっそりと自分もメイリーの天幕に滑り込む。

「とりあえず座れ。」

 座れも何も彼女の天幕なのだが、アイヴォリーにはそんなことを気にする余裕もないのか、普段からメイリーが椅子に使っている手近な切り株を指してそう言った。自分は天幕の天井から吊り下げられた角灯に灯をいれ、手持ち無沙汰に狭い天幕の中をうろうろと歩き回る。

「アイ……どうしちゃったの?
 何だか変だよ?」

 夜明けの闇の中では分からなかったが、こうして明かりの下で見ればアイヴォリーの目元には隈が出来ている。普段から徹夜での武器の整備や技の研究なども平気でこなし、それでも平然とした様子でいるアイヴォリーにしては珍しい。

「どこか……具合悪いの?」

 ぎこちない動きのアンデッドから檻に閉じ込められた猛獣へと若干進化したアイヴォリーの、その明らかに不審な様子を見て、メイリーがさすがに心配になったのかそう尋ねた。その間も何か上の空でぶつぶつと口の中で何かしら呟いていたアイヴォリーは、ぴたり、と動きを止めるとゆっくりと首を振った。

「メイリー、オマエに言っときてェコトがある……。」

   +   +   +   

 果たして、それが正しいことなのかどうか。アイヴォリーには分からなかった。無論、今の彼女にこれを預けることで、彼女の技術は格段に進歩するだろう。だが、それが望まれていたのかどうか。
 あの時は、“彼”は彼女の戦闘技術を信頼してはいても、この絶望的な戦いに巻き込むことは望んでいなかった。なぜなら彼女はまだ若く、未来があったからだ。アイヴォリーと、そして“彼”には、覚悟が出来ていた。だが、彼女はまだ幼かったのだ。
 だが、あの記録装置に記録された“彼”は、信頼できる者にそれを託してくれと、アイヴォリーに伝えた。それを受け取った一人目──お嬢と呼ばれていた衛生兵──に渡したのは正しいことだっただろう。彼女は元から“彼”の戦友の一人であり、アイヴォリーと同じ程に“彼”のことを案じ、捜し求めていたのだから。
 これを“彼女”に託したとき、あのドワーフの英雄は自分に何を言うだろうか。終わりの見えない絶望的な戦いに巻き込んだことを責めるだろうか。
 そこまでを考えたところでアイヴォリーは苦笑した。彼女は今、自分たちの仲間として共にある。それだけでも十分に巻き込んでしまっているだろう。それに、彼女もまた“彼”の大切な仲間だったのだ。あの衛生兵の少女がそうだったように、その想いは異なってはいても、“彼”を見つけたいという想いには変わりはない。
 だからアイヴォリーは意を決して彼女を呼んだ。

「嬢ちゃんに……コイツを渡すのは果たしてアイツが望んでるコトなのかどうか……。」

 目の前の、ウィンドミルの少女はいつもの長閑な笑みで、倍ほども上背のあるアイヴォリーを無邪気に見上げている。アイヴォリーはそこまで伝えると言葉を切って、覚悟を決めるために彼女を見下ろした。

「まァ合成に関しチャ、多分役に立つだろう。“アイツ”は支援にかけてはピカイチだったからな。」

 手に持った書類の束は、思ったよりもすんなりと彼の目の前にいる少女に向かって差し出された。彼女は、“彼”から聞きかじった情報を元にして、今やアイヴォリーの仲間たちの合成を一手に引き受けている。それは、まるであの時の“彼”が乗り移りでもしたかのようにして。差し出された紙の束を受け取ったルミィは、それに目を落とすとぱらぱらと捲って適当に目を通した。

「あ~、これ?
 うん、大体知ってるよ。ハルちゃんの書類でしょ?」

 へッ、と間の抜けた声を出すアイヴォリー。

「この前アイにーちゃんと戦った後で荷物から落ちてたから。」

「ソレッてオレがブッ倒れてたアイダッてコトか……?」

 思わず眉間を指で押さえそうになるのに気付いて止める。メイリーに良くない癖だと以前言われたのだ。

「うん、めくってちらっと見ただけだけどね!」

 たはー、と奇妙な溜め息がアイヴォリーから漏れた。どうやら自分の今までの苦労は無駄だったらしい。

「ハルちゃんに会いたいのは、みんなおんなじだよ。だから自分で選んでここにいるんだもん。」

「そうか……ヤレヤレ、仕方ねェな。」

 もう一度小さく溜め息をつき、肩を竦める。自分よりも彼女の方が一枚上手だったらしい。アイヴォリーは彼女の後ろに、偉大なる英雄の影を垣間見た気がした。

   +   +   +   

 朝。レザーアーマーの点検と補修に余念がないアイヴォリー。最終的な許可をもらおうと大きな牙を持って物陰から覗いているジョルジュ。

「えーっと、アイヴォリーさん。」

「今ちっと忙しい。後でな。」

 昼。戦闘後にカレーの鍋をかき混ぜているアイヴォリー。再びやってきたジョルジュ。

「アイヴォリーさん、ちょっと良いですか?」

「おゥ。ナニか用か?」

「昨日頼まれたダガーの、最終的な確認を……。」

「あァ、ソイツはな……やっべ、ナベ吹いてるッ!!」

「アイヴォリーさん……?」

 夕方。何やらメイリーと言い争っているアイヴォリー。おずおずと近寄るジョルジュ。

「えっと……。」

「うるせェテメェオトトイ来ヤガれッ!」

「…………。」

 結果。

「さて……新しい武器を試……オイジョルジュ、ダガーはどこだッ?!」

「まだ出来てませんよ。」

 こういうことだったらしいです。無論妄想。

   +   +   +   

「お参り?」

 天幕の中で、メイリーが首をかしげた。アイヴォリーの申し出はあまりに唐突なものでそれも無理はない。朝早くから何事かと思えば、突然彼はお参りに行こうと言い出したのである。

「あァ。まァこの島だ。外に出リャそういうのもナンかあんだろ。」

 自分から誘っておいて酷い物言いだが、正直なところアイヴォリーにはお参りといっても何をするのかさっぱり分からない。生まれた地域には教会はあったがスラム育ちの彼には全く縁のないものだったし、それ以外の宗教儀式ともなると任務で潜入した場所の、詰め込み式で覚えた知識しかない。東方に出向いたことのないアイヴォリーにとってはまさに未知の儀式だった。

「アレだろ、キツネにアブラアゲ食わせるんだろ?」

 大分間違っている。それでもメイリーには伝わったのか、首を捻っていた彼女はくすりと笑みを漏らした。

「あー、初詣?」

 この場合、メイリーの祖母が東方に赴いたことがあったのは幸いだったかも知れない。少なくとも彼女はそれがどういうものかは知っていた。

「あァ、今度出たときにでも、ッて思ってな?」

「でも神社なんてあるのかなぁ?」

 神社があったとしても、大分季節として間違っている気はしなくもない。だがメイリーは敢えてそこには突っ込まなかった。何せアイヴォリーがこれだけ挙動不審になって伝えに来たのだから、それを一蹴してしまうのは余りにも酷だと思ったのだ。

「まぁ、探してみましょ?」

「おゥ。まァオレも遺跡の外のヤツらに聞いて探しとくぜ。
 ソレ……着てくんだろ?」

 そう言って立ち上がったアイヴォリーの視線を追うと、そこには新年のお祝いで彼女が着ていた着物があった。そんなに気にしなくても、戦闘時以外は結構気に入って未だに着ていたりもするのだが。もう一度首をかしげたメイリーに、入り口の垂れ布を潜りながら明後日の方へ向かって小さな声でアイヴォリーが呟いた。

「……そのカッコも似合ってるとオレは思うぜ?」

 いつものように、一方的に自分の“言いたいこと”だけを言ってアイヴォリーは立ち去ってしまう。僅かな間があってから、メイリーはもう一度小さく笑みを漏らした。不便そうなほどに素直でない白い盗賊に向かって。

   ~十三日目──伝えなければならないもの~



十四日目

 サバス戦を突破した者が出た。その情報は当然のことながらアイヴォリーたちにも伝わった。他の部分での特殊な敵の突破者も出ている昨今、それ自体は珍しいことではない。誰かが戦うことによって敵の戦術が明らかにされ、それに対して探索者たちが突破口を探る。“島”で幾度となく繰り返され、そしてこれからも繰り返されていくであろう手順。
 突破者が出たとはいえ、アイヴォリーたちが勝てるかどうかはまた別の問題だ。サバスが召喚する取り巻きの雑草を全てサバスの行動前に処理し、そこからサバスが得る能力上昇の効果を妨害しなければ勝ち目は薄い。
 小さな折りたたみ式の机に垂直に突き立てられたダガー。アイヴォリーの手元にはかすかに光る細い束。机に突き立てたダガーを支えにして、アイヴォリーはごくごく細い鋼線を無言で巻き取っていた。
 ジョルジュに頼んだダガーはアイヴォリーの指示通りに、ごく細い刀身を持つ刺突用の短剣として仕上がっていた。鎧通し、スティレットと呼ばれる尖った武器と異なるのは、その細さでも半ば無理やりにアイヴォリーが刃を持たせたところだろうか。両手のダガーをフェイントとして効率的に振るうためには、相手に浅くではあっても傷を負わせるための見えやすい振りの動作が必要になる。相手の体勢を崩すためには、避けにくい突きの動作だけでは駄目なのだ。相手からその軌跡が予測しやすい振るという動作が必要になる。その軌道によって相手の行動を制限し、最終的に支配することでアイヴォリーの攻撃は初めて効果的なものになる。彼の戦術上、刃はどうしても必要なものだった。

「後はコイツで……どうにかなリャイイケドねェ。」

 一本の鋼線を最後まで巻き終えてアイヴォリーが肩を回した。この根気の要る作業は、アイヴォリーのもう一つの“銀の弾丸”として、どうしても外せないものだった。サバスに対するには、その召喚された雑草を速やかに排除することが前提になっている。そのためには、単一の攻撃対象だけではなく、戦場自体の空間を攻撃するための方法がどうしても必要だった。
 新しい鋼線を手に取り、再び陰鬱な作業に没頭するアイヴォリー。彼が暗殺者であった時代、ギルドの中ではよく使われたものだった。目立たないように黒く焼きを入れられたその鋼線はごく細く、ある程度の質量と速度があれば触れたものを裁断してしまう。たとえ鋼線自体が静止していても、馬のように加速が付いた柔らかいものであれば綺麗に切断してしまうのだ。そうやって馬車を止め、目標を抹殺するというような仕事はどちらかといえば簡単な部類に属する。
 同時にその鋼線は、ギルドの中では“死線”の象徴だった。訓練と天性の勘の効果によって戦闘能力を引き出された暗殺者には、それが見える。相手の動き、視線、筋肉の僅かな動き。予備動作によって直感的に相手の太刀筋は“見える”のだ。それは、相手の体勢を少しずつ崩して、最終的に致命的な一撃を躱せない状態で打ち込むという“詰み”の状態を作り上げて手練の相手をも仕留める暗殺者たちのやり方からすれば、理解できるものだった。攻撃者の行動は全て次に繋がっており、そこから行われる動作は数限りなくても必ず選択肢の中に絞られる。体重移動による重心の位置や相手の武装による反動の違いによって、必ずそれは“限られて”いた。その中から相手がさらに行動を狭めるようにこちらが動いてやることで、どれだけの手練でも人間である以上超えられない制限を課せられ続け、最終的に必殺の一撃を躱すことができない状態へと導くのだ。そして、そのためには自らの“死線”を管理し、相手の“死線”を読む必要がある。そのための訓練が“蜘蛛の巣”だった。

「へッ、懐かしいねェ。」

 部屋中に張り巡らされた鋼線。それは暗殺任務に倦むほどにそれを繰り返した教官たちが仮想敵を設定し、その太刀筋に合わせて設置したいわば合わせ絵のようなものだ。答えは唯一つしかなく、僅か数十歩しかない部屋の中を、決められた時間内で通り抜けるためにはそれを設置した者が思い描いた通りの角度で、思い描いたままの体勢で抜けなければならない。それが出来なければ、待っているのは自らの体重と加速による自滅、腕や脚を失うか、運が悪ければ首が飛ぶという過酷なものだった。仮想敵の得物に合わせられたその鋼線の中を、アイヴォリーたちは幾度も掻い潜り、“死線”に対する身体の支配を覚えさせられた。彼ら暗殺者にとって、“死線”が読めるか否かは大きな問題ではなかった。コンバットドラッグと、常に死と隣り合わせにあるという特異な環境の中でそれは当たり前のことでしかなく、それでも“死線”が読めないというのは既に落第──そもそもそんな素質のない人間を育てるという過ちをギルドが犯すことはなかったが──、つまり任務前から死体になることを決定付けられたようなものだったのだから。それはつまり、“詰め将棋”の中で、いかに相手に対して不利な体勢に追い込まれずに相手を追い込むかという基本的な訓練だった。今でもアイヴォリーは、相手に合わせて、林の中で似たような訓練をしている。張り巡らされた鋼線の中を自分の体術の全てを駆使して駆け抜ける。だが、それはあくまでも自分で仕掛けた謎解きを自分で解くようなもので、さほど効果があるとは言えなかった。
 だが、鋼線自体は非常に有益だった。戦闘が始まってからも縦横無尽に戦場を駆け回るアイヴォリーにとって、“それ”を設置することはさほど難しいことではない。相手の死角を利用して戦場全体に張り巡らされた鋼線はお互いの張力で際どいバランスを保ちながらその力を溜め込んでいる。そのどこかが切れれば、お互いを引き合って静止していた鋼線の力関係は崩れ、辺りを溜め込まれた張力が許す限り跳ね回ることになる。アイヴォリーが持つ数少ない空間への無差別攻撃、それが彼が“クモの巣”と呼ぶそれだった。

「コイツ……メンドクセェんだよなァ……。」

 アイヴォリーが、さらに一本の鋼線を巻き終わってぽつりと漏らした。彼の手元には既にかなりの巻き取られた束が出来上がっている。片側に錘が付けられたそれは、その元々の細さから極々小さく薄い。そこからすればかなりの量が巻き上がっているはずなのだが、それでも彼にはまだ足りないようだった。
 普段から両腕に付けている格闘用のグローブの腕の内側を開く。そこに設えられた小さな隠しポケットには、鋼線が絡まることのないようにいくつも収まるための個別の空間が設けられていた。鋼線の束の片側を、ポケットの中の支柱になる革の帯に結びつけ、逆側の錘が付けられた端を、ポケットから僅かに出るように長さを調整する。必要なときに引き出し、そのまま駆け回り、何かに投げつけて遠心力で巻き付けて、固定してようやく一本のワイヤーが固定されるのだ。それを何度も繰り返すことによって、お互いの鋼線は引っかかり、支えあうことで複雑な蜘蛛の巣を描いていく。

「後半分ッてトコですかね……。」

 夜は長い。アイヴォリーは小さく溜め息をついた。

   +   +   +   

 ようやく朝が来て、今度はアイヴォリーが格闘しているのは水汲み用の桶だった。近くに森があるということは、それを維持するための水がどこかで見つかるはずだ。そう考えたアイヴォリーは、サバスを前にしてわざわざその出所を探しに来ていたのだった。遺跡の外部から再度中へと突入したばかりの彼らにとって、食料や水といった探索に必要な物資はそれほど困窮している訳でもない。実際教授のペットたちが多量に運ばされている水袋の中身はまだいっぱいで、わざわざ水を現地調達する必要はないはずだった。
 やっとのことで水を汲んできたアイヴォリーが桶を下ろす。湧き出している清水を見つけることは、野伏の知識を持つアイヴォリーにはさほど難しいことでもない。だが、それを多量に持ち帰ることは別だった。

「ヤレヤレ……まァコレだけアリャ足りるだろ……。」

 息を乱しながら、桶の水を小さな瓶に移し変えるアイヴォリー。ここからが“本番”だ。彼は手元の布で包みを開くと、中から小さな黒い粒を取り出した。それを瓶の中の水にざらざらと一気に空けると、小さく揺すって馴染ませる。

「まァ昼くれェには準備完了、ですかねェ。」

 独り言を呟いてから、今度は近くの砂地へ走って採って来たココナッツを取り出した。前に潜ったときにたまたま自生しているのを見つけたのだ。かつての“島”では海辺に行けばいくらでも手に入れられたものだが、さすがに遺跡の中ともなると厳しいものがある。日当たりがよい場所が滅多にないのだからそれも当然なのだが。

「よッ……と。」

 地面に置いて足で固定した実に、真上からダガーを突き立てる。捻りを加えて綺麗に外側の実を割ると、アイヴォリーはそこから小さくくり貫くようにしてダガーで穴を開けた。
 中から果汁を鍋に開ける。山羊の乳は遺跡の外で手に入れたものだ。それを合わせた鍋の中に、今度は砂糖を目分量で投入してかき混ぜる。大きな鍋用の匙でそのまま一口掬い上げて味を見たアイヴォリーは、首を捻るとさらに砂糖を追加した。

「まァ甘ェケド……丁度イイだろうさね。」

 既にかなりの砂糖が投下されているのだが、アイヴォリーにはまだ味が微妙なラインらしい。自分で食べるならば絶対に入れないような量の砂糖を鍋に放り込んで、それを溶かすために必死でかき混ぜている。それから僅かな量の蜂蜜を加えて味を調える。甘味に関してはこの二つと果物くらいしか選択肢がないのだが、まぁそれもここでは贅沢というものだろう。
 後は、あの種が水でふやけるのを待つだけだ。

   +   +   +   

「ハジメに言っとく。オレはテメェらみてェな、いわゆる“人狩り”が大キレェだ。」

 アイヴォリーの前には三人の人影。刀を携えた青年。大型の合成弓が玩具に見えるほどの巨漢。そして別の場所で幾度か見かけたことのある、魔術師の女。
 アイヴォリーの後ろには、あの刀使いの青年と同じ剣術を用いる着物姿の女と出遭った頃から共にあった小さな妖精。そして、新しい仲間。

「“サムライ”の手並み、見せてもらうぜ……。
 お高ェプライドをブレイクされるココロの準備は……オーケィ?」

 口の端を歪めてアイヴォリーがいつもの笑みで宣戦布告した。

~十四日目──“戦い”の前に~



十五日目

 遺跡外では様々な交流が行われている。食料や素材の売買が格段に多いのだが、中には銀行と呼ばれるようにアイテムやパワーストーンの預かりを行っている者もいる。彼らは出所や所属は様々だが、どれも概ね一度も遺跡に潜ることはない。仲間の支援として、敢えてそういう道を採り、自分の鍛錬ではなく仲間の安全性を確保することをその役割として担っているのだ。
 それとは別に、所謂露天商なども存在するのだが、その中の一つで食料を買い付けたアイヴォリーは、次からもここで買い付けるという口約束の元、無理を言って遺跡の探索に不要なアイテムを預からせることを約束してきたのだった。遺跡の探索に使えないというくらいなので、食料としても既に食べるには効果が低く、材料としても使えない、いわばがらくたがその対象だった。預かる身としても無料サービス出来るのはその程度まで、ということだったらしい。だが、契約したアイヴォリー本人には当面それで十分だった。

「コレ、三袋全部頼むぜ。」

 そう言ってアイヴォリーが差し出したのは、明らかに乾燥してもう食べられないだろうおいしい草だった。しかしその量が尋常ではない。その辺に生えているものを摘んできたのか、背負い袋よりも大きな麻の袋が三つ。乾燥しているから体積は減っているはずだが、それでもどの麻袋もいっぱいに満たされていた。中身を見て店主が首を捻りアイヴォリーに至極妥当な質問をした。

「あんた……こんなもん一体どうする気だ?」

「アンタが気にしなくてもイイんだよ、約束だろ。コイツを棚にマンベンなく拡げてシッカリと乾かしといてくれ。次に戻ったときニャ取りに来るからよ。……湿気らすんじゃねェぞ?」

 明らかに迷惑そうな顔をする露天商を顧みることもなく、アイヴォリーは勝手に店を物色すると、浅い棚を見つけてコレが丁度良さそうだな、などと奥へと入っていく。店主は溜め息をつくと半ば諦めた様子で棚の中身を他所へと移した。
 麻袋を開くと、アイヴォリーは店主に手伝わせながらその中身を棚へと空けていく。手で丁寧に均して均等に敷き詰め終わると、また勝手に次の棚を手に取った。

「おい、それも使うのか?!」

「イイじゃねェか、デキたらオスソワケしてヤッからよ。」

 出来たらも何も、おいしい草としては既に出来上がり過ぎていて消費期限すら過ぎている。明らかに食べ物とは呼べない。無論、おいしい草そのものが食べ物と呼んでいいのかは微妙な線だったが。店主はもう一度溜め息をつくと三つ目の棚の中身を他へと移し始めた。九人分の探索者の食料をこれからもまとめて注文すると言われたときにはちょっとしたお得意様が出来たと喜んだのだが、今では逆に高い買い物をさせられたものだということに遅まきながらに気付いてやるせない気分でいっぱいだった。

   +   +   +   

「オイ、テングのにーちゃん。」

 アイヴォリーが低い声で遊次郎に呼びかけた。若干目が据わっている。それに対して呼ばれた遊次郎の方は若干目が泳いでいた。

「なんじゃ。準備は出来とるぞ。」

「イヤ、マダだねェ。連携が、な。」

 勝手に否定し、しかも一言で断定するアイヴォリー。その手には何束かの鋼線が玩ばれている。口の端には酷薄な、薄い笑みが浮かんでいた。

「ココは……丁度イイねェ。」

 突然辺りを見回して、唐突に関係ないことをアイヴォリーが呟いた。辺りの森は静寂に満ちていて、これからサバスとの戦いが行われるようには見えない。

「……やるんか……。」

 少し悲しそうに、半ば諦めの混じった様子で遊次郎が切なそうに呟いた。胡坐をかいて木の根元に座っていた遊次郎は小さく溜め息を漏らすと立ち上がり、傍らに立てかけられた槌を手に取る。アイヴォリーは丁寧に束ねられた鋼線を一本、その端に結び付けられた錘を掴んで引き出した。

「最近ちっとばかしナマッてんじゃねェのかい?
 まァ少しは手カゲンしといてヤるさね……。」

 酷薄な笑みのまま、いきなりアイヴォリーが鋼線を放つ。彼の手元から、まさしく蜘蛛の糸のように鋼線が伸びた。

   +   +   +   

「ひぃぃぃぃっ!」

「ホレ、さっさと行け!
 ウッカリ引っかかったらイノチの保障はデキねェぞッ!」

 木の間に張り巡らされた鋼線を必死で避けながら遊次郎が跳ねている。腕組みをしたアイヴォリーはその様子を見ながら次に避ける方向を一応程度で指示していた。

「そう、ソコで右だッ!
 よしッ、後二十三本ッ!」

「ひぃぃぃぃっ!」

 サバス戦が始まる前から、なぜか森の中では遊次郎の悲鳴が響いていたという。

   +   +   +   

「後は……帰ったらツブして発酵させるだろ……もっかい乾燥して……。」

「アイ、何か楽しそうね?」

 サバス戦を目の前にして何かを一人呟くアイヴォリーにメイリーが問いかける。これから始まる戦闘の算段を立てているのかと思いきや、メイリーが言うようになぜかアイヴォリーは楽しそうな、どちらかと言えば穏やかな目をしていた。

「お、そうか?
 そんなコトもねェんだケドな?」

 そういうものの、口元には笑みさえ浮かんでいる。そんなアイヴォリーの様子にメイリーは小さく笑みを漏らした。

「それなら今日のサバスさんも大丈夫そうね?」

 そう言われてようやくアイヴォリーの表情が険しくなった。サバスの召喚する歩行雑草は戦力としては脅威ではない。だが、それを吸収して強化されるサバス本人は別だ。雑草をサバスが吸収してしまう前に速やかに排除してサバス自身の強化を妨げなければならない。そのために“蜘蛛の巣”を展開するための鋼線はしっかりと持ち込んできていたが、それでもアイヴォリーには落ち着きがなかった。彼の蜘蛛の巣は空間を攻撃するが、一撃の威力が低い。しかも無差別に暴れ回る鋼線は、その軌跡が把握できているアイヴォリー本人にも効率的に敵に当てるのは非常に難しい。要するに彼の蜘蛛の巣だけでは排除しきれないのだ。威力を補うメイリーの魔術はといえば、単体に魔力を集中するものがほとんどであるために雑草を全て排除することは出来ない。

「後はテングのにーちゃん次第、ナンだよなァ……。」

 重い一撃がメイリーにしかないこともあって、彼ら三人にはサバスだけが残った後の有効な攻撃はさほどない。彼女の気力が尽きてしまえば、その後に残るのは壮絶な泥仕合、どちらかが根負けして諦めるまでひたすら殴りあうしかない。もし雑草が残ってそれによりサバスの基礎能力が強化されてしまえば急激に不利になる。

「まァ……どうにかなるだろうさね。イツも通り、イツかのサバトみてェに余裕で抜けてやろうぜ?」

 かつて島で、同じような森の中。彼ら二人は水の宝玉の守護者サバトに出会った。初めての守護者との戦闘。ワイヤーで彼の呼び出した影を打ち払い、肉薄してダガーを叩き込んだ。

「大丈夫、オレたちならな。今までだってそうヤッて抜けてきたじゃねェか。」

 自分に言い聞かせるようにして、メイリーの髪を乱暴にかき回す。髪を乱されながらもメイリーはアイヴォリーを見上げて微笑んだ。

「ふふ、アイは怖い顔してるよりも、そっちの方がずっと良いよ。」

 その彼女の言葉を聞いて、アイヴォリーはようやく口の端に笑みを浮かべたのだった。

   +   +   +   

「むッ!……何だい、私に何か用かい?」

 男はこちらに気付くとそう問いかけた。しかし男は答えを聞かずに話を進める。

「悪ィケドな、ユクエフメイの捜索ッてヤツで……」

 額に指を押し当てて目を閉じたままで、背中を逸らして彼はアイヴォリーたちの目的を断言した。

「そうか!私の可愛いペットを奪おうというんだね!?」

「ムシかよオイ。」

 だがどこかの幽波紋使いじみたいささか苦しそうなポーズで、サバスはアイヴォリーのツッコミを気にした様子もなく話を続ける。何やら背中辺りが痛そうな気がしなくもない。

「奪う!いやむしろ殺して食べようという魂胆だな!?」

「イヤ……草はもう食い飽きた。」

 平然と言ってのけるアイヴォリー。確かに彼らはようやく草やらパンくずやらといった、食料以前に人間らしくない食物しかない生活からようやく脱出し、簡単ではあるが保存食を食べられるようになったばかりなのだが、この場合は会話としてかみ合っていない。

「確かに彼の髪は美味しい、だがこの私……サバスがいる限りそうはさせないッ!」

「余りオイシイとは言えねェと思うんだケドねェ……。」

 サバスが妙な姿勢のままで雑草との間に立ち塞がり、さらに妙なポーズ──恐らくは構え──を取った。アイヴォリーも低い姿勢でサバスに向け疾走する。後ろにしっかりと遊次郎がついて来ているのを気配で察知し、アイヴォリーは小さく鼻を鳴らした。訓練の効果は多少なりともあったようだ。

「イイか二人とも、手ハズ通りヤリャ大丈夫だッ、イクぜ!」

 メイリーの詠唱により巻き起こった風が背中を押す。普段よりもさらに軽くなった腕でアイヴォリーはダガーを抜き放った。

~十五日目──準備、そして始まり~



十六日目

「ヤレヤレ……マダマダッてトコですか。」

 アイヴォリーは大きく肩で息をしながらそう呟いた。辺りには力を解放されておとなしくなった“クモの巣”の残骸や遊次郎がなぎ倒した下草、多人数が戦闘を行った痕跡がはっきりと残っている。だが、既にそこにサバスの姿はなくただ三人が残っているだけだ。戦闘不能にまで追い込んだはずのサバスは、どこにそんな余裕があったのか雑草を召喚すると動けない自分を雑草に運ばせて逃げたのだ。追おうにも雑草が立ち塞がって、全ての手を使い尽くした三人には無理な相談だった。もっとも、ここにやってきた本来の目的はサバスが連れ去ったという雑草の救出──それをそう呼べるのならばの話だが──だったのだから、無理に追う必要もなかったのだが。

「二人とも、大丈夫か?」

 アイヴォリーの問いかけに二人が答える。ほう、と大きく溜め息を一つつくとアイヴォリーは傍へとやってきたメイリーの髪をぐしゃぐしゃと撫でた。

「よくガンバッたな。ヤレヤレ……。」

 確かに当面の目的であるサバスは倒した。本来の目的である雑草も救出した。助けた雑草がメイリーに何かを渡している。感謝の気持ち、というやつだろうか。だが、どう見てもそれは雑草の塊にしか見えなかった。
 溜め息をもう一つ。アイヴォリーはメイリーにこそ優しい笑みを向けたものの、それでもすぐに渋い顔へと戻った。そう、まだまだなのだった。

   +   +   +   

 サバスが雑草を召喚するのを待って戦場に展開された鋼線の一端を足元から手繰り寄せる。遊次郎の一撃が盛大に雑草を跳ね飛ばすのを見ながらアイヴォリーはそのタイミングを見計らっていた。

「気づかなかったのか……ソコはもう、風の中だ。」

 限界まで張り詰めたその一本の“トリガー”にはほとんど遊びは残されていない。添えられたダガーに僅かな金属同士の軋りが感じられ、すぐにそれは抵抗を失った。風を切る鋭い音とともに、黒く塗られた鋼線がほとんど目に見えない刃となって辺りを蹂躙する。巧妙に、事前に計算された通りに敵だけを切り裂き、その中央にいる遊次郎には傷を付けることもなく、唐突に人造の嵐は終了した。細かく千切られた下草が舞い上がる中をメイリーの詠唱によって構成された風の槍が突き抜け、さらに雑草を打った。

「ッ!残ったかッ!」

 全ての雑草は排除されたはずだった。だがたった一体、ごく僅かな差で残っている雑草がいた。アイヴォリーは舌打ちする暇もなしにさらに手首から引き出したワイヤーをサバスに向かって投げる。

「メイリー、イイぞッ!」

 投げられたワイヤーはサバスの脚を絡め取りその場に釘付けにした。たとえ雑草が残っていても、もうサバスがそれを吸収してしまうまで倒すには間に合わない。後は最初に決められた手順通りに行動し、どこまでその力を発揮できるかだ。メイリーの強力な魔術の詠唱時間を確保しその狙いを定めるために、アイヴォリーは予定通りサバスの動きを封じた。

「準備完了ッてなァ?」

「……お願い、あなたの力を貸してっ!」

 メイリーの長い詠唱が終わり、拘束されたサバスを中心に風が逆巻き始める。本当の鎌鼬がサバスを玩ぶように切り裂いていく。期待していた、メイリーの魔石に魔力付与された効果が発動しないことに舌打ちしながらも、ようやく収束し始めた鎌鼬の中へ、遊次郎と肩を並べてアイヴォリーが駆け込んだ。

   +   +   +   

 正直なところ、思っていたほどではなかったのだ。三人は準備していた技を使い切ったとは言え、まだサバス一人が相手ならば戦い続けるだけの余力を残していた。食事から得られる効果、聖誕祭で得た道具の魔力付与、ふんだんに装備に施された様々な効果。それら全てを用いていたのだから。そもそもアイヴォリーは、準備していた手の内だけで戦闘を終わらせられるとは思っておらず、その後の泥沼のような殴り合いまでを予定してそうした準備を行っていたのだ。
 だが、彼の予想に反してサバスは倒れた。それさえもアイヴォリーには気に入らないことの一つだったのだ。もちろん戦闘は安全であるに越したことはない。それは当然のことだ。だが、相手の戦力を過小評価することはもちろんのこと、過大評価するのも同じ失策には違いなかった。それならば、たとえ泥仕合を演じることになったとしても、もっと前、数日前にサバスを倒せていたはずなのだ。実際二日ほど前からサバスを倒したパーティはいくつかある。排除しきれずに残った雑草。予定よりも早く倒れたサバス。どちらの失敗にしても相手の戦力を読み違えるというのはアイヴォリーにとっては痛恨の失敗だった。まだまだやらねばならないことは多いようだ。アイヴォリーは渋い顔のままでもう一度溜め息をついた。

   +   +   +   

「はいっ♪
 今日はいつもより気合い入れて作っちゃったんだからっ。……全部食べてね?」

 そう言ってメイリーが手渡してくれたのは、綺麗にリボンを幾重にも重ねてラッピングされた小箱だった。確かにその包装からしてかなり手が込んでいる。彼女が大事にしているリボンをふんだんに使ったそれは、ありきたりな形容ではあるが、まさに“小さな宝石箱”だった。以前学園にいたときにはアイヴォリーも彼女から渡されたこれをかなり挙動不審で受け取ったものだったが、流石に少しは慣れてきたらしい。今回はそこまでではなく、割と落ち着いた様子でメイリーから受け取ったアイヴォリーだった。

「あァ……アリガトよ……。」

 というか、サバス戦の後で消耗して疲れているだけらしい。ほとんど徹夜で準備していた鋼線の“クモの巣”と、それよりは太いワイヤーで作られた拘束用の投擲武器。その二つが響いているのだろう。アイヴォリーの視線はどことなく虚ろですらある。
 昨日と今日の二日間で、メイリーから貰ったそれの他にも幾つかの小箱がアイヴォリーの荷物の中には納まっていた。まぁ要するに“義理”というやつなのだが。
 少し前に知り合ったフェアリーの彼女からはシンプルなピンクの小箱。魔石の作製師らしく小さな魔石の欠片が中央に貼り付けられたそれは淡い桃色の光を放っていた。
 前の島で出会った魔族の彼女にも久々に再会した。一見して真っ黒な箱には、角度によって薄らと見える、控えめな金色の複雑な魔術言語が一面に透かされている。
 前の島から彼を知っていたという少女が手渡してくれたのはハート型の小箱だった。人狩りだが、あの侍の青年とは違った意味で彼女とは当たりたくない。
 学園で生徒として出会った彼女は今はどう転がったのか、天幕に身を寄せていた。彼女から貰った小箱はなぜか白木で作られていた。

「…………。」

 改めてこうしてみると、貰ったものの内約半数が敵かもしくは出会えば戦闘にならざるを得ない相手からの贈り物だということになる。それに気付いたアイヴォリーは流石に絶句した。何というか、相変わらず因果な“島”だった。

「ま、まァでも悪ィ気で送ってきたワケでもねェからな。アリガタくイタダキますか。」

 メイリーから貰った小箱のリボンを、その精緻な編み込みを崩さないように注意しながら解いていく。せっかく大事にしているリボンを使ってくれたのだ。その一本だけを貰って後はこっそり彼女の荷物に返しておこう。そんなことを思いながらアイヴォリーは梱包を解き終わって小さな箱を開けた。
 丸いシンプルな形のそれの上には、ハート型に切り抜かれたバジルの小さな葉が一枚添えられていた。この前料理で添えておいたのを残しておいたらしい。砂糖漬けにされたその葉は、それでも清らかな香りを微かに残していた。その緑と対照的に白い、風に飛ばされた雪の一片をモチーフにした砂糖の飾りが添えられている。周囲には妖精たちが好んで使う風を意匠化した文様が刻まれていた。選んだ一本の黒いリボンを、手甲の下、自分の手首に巻き付ける。“お守り”といったところだ。

「確かにコイツは……キアイ入ってるねェ。」

 早速口に運ぼうとその可愛らしい塊を手にして、アイヴォリーはふと手を止めた。何か引っかかる。

「キアイ……入れたッて、言ってたよな……?」

 まじまじと、アイヴォリーは思わず止められた手に乗せられたその美しい芸術品を注視した。だが、無論そんなことで味が分かる訳もない。徐々に、“それ”が危険で恐ろしいものに見えてきたのはアイヴォリーの思い過ごしだろうか。

「はッ、マサカねェ。」

 “そんなところ”に気合を入れて何かが変わるはずもない。そもそも元々の素材は普通のチョコレートなのだろうから、いくら気合を込めても味が盛大に変わるようなそんなことは、決してあるはずがない。アイヴォリーは自分にそう言い聞かせてから、なぜか意を決して、その愛らしい贈り物を口に放り込んだ。

「…………。」

 甘い。アイヴォリーの想像以上に甘い。アイヴォリーの“甘い”覚悟を軽く笑い飛ばすかのように、甘い。バジルの砂糖漬けがそれを緩和しているはずなのに、それでもその甘さはある種驚異で脅威だった。
 ようやくふう、と吐息をついて。

「まァ、疲れたときニャ甘ェモン、ッてな。」

 苦笑と幸せがない混ぜになった、そんな笑みを浮かべてアイヴォリーは小さくそう呟いたのだった。

~十六日目──“贈り物”~



十七日目

 敵は三体。砂地では良く見られる巨大な芋虫。サイズこそ本物に劣るものの、その姿は確かに眷属であることを明らかにしている小さなドラゴン。そして魔力の塊で構成された魔法生物の黒い球体。アイヴォリーは敵を一瞥すると相手の戦力を計算する。
 芋虫に関しては比較的戦いやすい相手だといえた。さほど巨大な種類でもなく、かつて砂漠の只中で襲われた、その地方で“波砂”と呼ばれていた凶悪なそれと比べれば格段に劣る。衰えた目の代わりに触覚と聴覚を発達させた“波砂”はそれこそ小さなドラゴンほどの大きさがあり、砂の中から突然現れて潜伏中だった暗殺者の一部隊を食い散らかしたのだ。砂の中に身を潜めて唯ひたすらに待っていた暗殺者たちは、振動には気付いたものの逃げるには遅すぎた。両者が砂の中から姿を現した時には既に三人がどこまであるかも分からない砂の底へ──もしくは単純に胃袋の中へ──引きずりこまれた後だったのだ。砂上に姿を現した一匹を始末する間にさらに二人が他の“波砂”に引き込まれ、残った暗殺者たちはどうにかして五人、三匹の“波砂”を片付けるとほうほうの体で彼らの縄張りから逃げ出した。あの凶悪な芋虫に比べれば明らかに楽な部類に入るだろう。
 小さな竜の眷属はその炎の吐息に注意する必要があるだろうが、それも本物のドラゴンが吐き出すものに比べれば明らかに劣る。アイヴォリーは村を丸ごと一晩で焼き払うような竜と対峙したこともない訳ではなかったが、その記憶は“波砂”のそれよりもさらに悪い思い出でしかなかった。この時代まで生き残っているのだ。その肥沃で広大な彼らの狩場を荒らさずにそっとしておき住み分けている方が、少なくとも人間にとっては無難な選択だ。英雄譚や叙事詩の登場人物ならまだしも普通の腕利きの冒険者がどうこう出来る代物ではそもそもない。それに比べればこの小さな竜は、かつて学園で召喚されたものと戦った記憶もあって、姿と範囲こそ狭いが効果は一人前の吼え声に怖気づきさえしなければ倒せない相手ではない。
 それよりも、三体の中で一番危険なのが奥に控えている黒い球体だった。魔法生物というよりは純粋なエネルギーの塊に近いそれはその身体自体が武器だと言える。恐らくは魔力を繋ぎ止めている小さな核が中心にあるはずなので、物理攻撃でも倒せないことはなかったが魔法に弱い前衛二人にはいささか荷が重い。

「とりあえず今回は小手先でどうにかしねェとな……ッ!」

 ざっと相手の戦力を分析したアイヴォリーは、間合いを詰めながらケープの隠しポケットから投げナイフを抜き出し球体に向かって投げた。意識を朦朧とさせる毒が塗られたそれは、核となっているのが肉であれば効くかも知れないが、それが鉱物のような無生物から構成されているタイプであれば効果を発揮しない。どれだけ効果を出せるか怪しいものだったが、案の定一本は魔法障壁に阻まれもう一本は核を削ったものの毒が効果を現したようには見えない。

「先手必勝!って、言うじゃない?」

 メイリーの詠唱が完了して魔術の矢がドラゴンを撃ち抜き爆ぜる。ブレスや咆哮を使われる前に片付けておこうというのは賢明な選択だ、アイヴォリーはそう思って彼女の対象選択に誰にするでもなく頷いた。それこそ普段アイヴォリーが冗談で言っているように、メイリーの魔術で一撃で敵を薙ぎ倒せるのならば早々にブラックボールを片付けて欲しいところだったが、実際はそれほど甘くはない。そうすれば結局は前衛の二人も芋虫と小さな竜を倒してようやくブラックボールに到達できる訳で、それならば魔術に弱い相手の前衛をさっさと魔術で削っておくのは良い考えだった。

「ならばッ!」

 前衛が二、後衛が一ずつでお互いに前衛が相手の後衛に弱い。つまり良く似た構成なのだ。モンスターの連携がどこまで取れているのかは謎だったが、アイヴォリーが早めにブラックボールを片付けてしまいたいように向こうも一番危険なメイリーからどうにかしようと動いてくる可能性は高い。アイヴォリーはそう考えて敢えてぎりぎりまで相手との距離を詰めた。相手の注意を引くために軽く短剣で芋虫とドラゴン、両方に傷を与えてやる。芋虫の甲殻の間に突き立ったダガーを抜きながらアイヴォリーは小さく跳んで下がろうとした。

「ッ!」

 地面を蹴った瞬間に、自分の向かう先に黒い染みのようにして魔術の雲が沸き起こるのが見えた。着地点よりも大分手前だがもう跳んでしまった以上突っ切るしか道は残されていない。エルフの村で学んだ方法でイメージを練り上げ精神を集中し、魔術の衝撃に備える。沸き起こった雲は一点へと凝縮し、それから弾けた。

「呪いかッ?!」

 引き出された怨念の力が衝撃波を伴ってアイヴォリーに襲い掛かる。腕を交差して顔を守りながらもその怨嗟の声に耳を貸さないように集中したままで、彼は闇の中を飛び抜けた。十分注意は引いたらしい。アイヴォリーと入れ替わるようにして敵の前衛に飛び込んだ遊次郎が槌を振るっている。彼に纏わり付くようにして、アイヴォリーは遊次郎の動いた軌跡を後ろから正確に追いかけた。槌のように振り回す武器にはどうしても多大な隙が生まれる。後ろを追いかけることでアイヴォリーがその隙を巧妙に塞ぐようにして消していくのだ。ドラゴンの腕と芋虫の牙に掠められながらも致命的な一撃は避けておく。ケープの裾が切り裂かれるが構っている暇はない。

「行くしかッ!!」

 アイヴォリーよりも上背のあるドラゴンの腕を切り付けながら、その横幅もある巨体で自分を隠す。外側から回り込むように体重を流して身体を泳がせてドラゴンの注意を引いたところで、アイヴォリーは切り返すと芋虫とドラゴンの間をすり抜けた。そのまま黒い球体に一撃を入れるとドラゴンの短い脚の後ろ側に蹴りを入れて体勢を崩し、その間に芋虫との間合いを詰める。ダガーを芋虫に突き立て、引き抜き様に背後から迫っていたドラゴンに深くダガーを捩じ込んだ。

「スリーテンポくレェ遅れてるぜ。ダンチッつーのさ。」

 鼻で笑い飛ばすと上から押し潰そうと振るわれた芋虫の胴体を軽々と避け、アイヴォリーは相手から離脱した。全体的に傷は負わせたものの、まだどれにも致命傷は与えていない。メイリーの詠唱が完了すればいつもの大きな傷を負わせる魔術で前衛のどちらかを屠れるだろうが、メイリーの様子を見たところそれにはまだ少し時間が必要そうだった。まだ戦闘は始まったばかりなのだ。

   +   +   +   

「集え……ッ!」

 アイヴォリーがダガーを構えて小さく呟いた。すると、白い工芸品のような刃に微かに、不快な印象を与える黒い魔術文字が浮かび上がった。すぐに霧散したそれは、だが刀身に纏わり付くようにして霧のような状態で停滞している。

「ふむ……。」

 刃をもっと観察しようとアイヴォリーが集中を途切れさせると、あっけなくその仄暗い霧は消え去った。やはり魔法の一端なのか、持続させるにはアイヴォリーの魔術に対するときに必要な集中力が足りないらしい。薄暮のような魔術の霧は切れ味を増加させる魔力付与によるものだが、魔術の素質が全くないアイヴォリーでは直後の一撃が限界だろう。
 しかも、魔力のないアイヴォリーから力を供給されない魔力文字は、周囲の魔法の品から代わりに発動のための魔力を吸収していた。ケープに付与された戦闘序盤の魔力付与が力を失っていたのだ。エルフたちが好んで使う“真の銀”を一定の割合で糸として織り込まれたこの“姿隠しの外套”は、その恩恵を発動するときにそのような代償は必要とせずに、中に蓄積した魔力を解放していくだけだったのだが、その蓄積された魔力を吸収して今の魔力付与は発動しているらしい。

「コイツは……ちっとばかし厳しいかもねェ。」

 この魔力を維持したままで相手に一撃を加えるためには、発動してからそれまでの僅かな間ではあっても途轍もない集中力が必要そうだ。よほど威力が高まるのならばまた別なのだろうが、“祝福”と探索者たちが呼ぶ、戦闘序盤での魔力付与は有意義なものだ。それを消してしまうというデメリットを負ってまでのものかどうかは正直アイヴォリーにも疑問だった。そもそも、昨日のジョルジュたちとの練習試合でこれを使った結果、遊次郎の“祝福”までも吸収してしまうことが分かっていた。味方どころか敵の、要するにその戦場全ての“祝福”の恩恵をかき消してしまうのだ。使い方によっては敵にかかっている“祝福”を排除して攻撃できるのだろうが、今現在の彼ら三人にとっては弊害の方が大きい。おまけに強力な集中を維持のために必要とするこの魔力付与は戦闘中にそうそう連打する訳にも行かないものだった。

「ヤッパダメかねェ……。」

 送られてきた黒いチョコレートの箱を見てアイヴォリーが小さく溜め息をついた。書いた当人にとっては造作もないことだったのだろうが、やはり専門の知識がないアイヴォリーが見よう見まねで攻撃の意味のルーンだけを抜き取って写したところでまともな効果が出るはずもない。そもそも全くの素人が思いつきでやってみた結果が全くの無駄にならなかっただけ驚きというものだった。

「まァ……もう一回使ってみますか……。」

 今日はルミィのところと練習試合だったはずだ。彼らは後ろに控えた教授が前衛の二人に“祝福”の効果のある魔力付与を行うのが常道だったはずだ。上手く行けばそれを打ち消すことで、デメリットだけではなくメリットをも得られるかも知れない。
 何にしても使ってみるしかないのだ。まだこの島の中で、こういった技を使う人間はいないのだから。自分が使ってみなければその威力の程は判明しない。

「実験だと思ってアキラメるしか、ねェか。」

 口の端に笑みを小さく浮かべて、アイヴォリーはそう一人ごちた。

~十七日目──戦い~



十八日目

「定めから、解放する……?
 俺をか?」

 そこだけが闇に沈んだように、薄らと夜を纏った暗い目の男は呟いた。口の端に自嘲の笑みを浮かべて。その笑みは“彼ら”全てに共通する感情表現だった。だが、彼のそれは名の知られた誰かのそれよりも遥かに投げやりで、本流である誰かのそれよりもさらに自嘲的だった。その不必要なまでに尖った雰囲気は彼が育つ過程で熟成されたのか。世界の全てを諦めきって、道具として働くことを受け入れた、“短剣”の笑みだった。

「この世界では……生、死、星の流れ。貴方に定められた“運命”を覆せるわ。」

 その温和な笑みは、暗い笑みにかき消されることなく、たじろぐことすらなく。ただまさしく孫を見守る老婆のそれで、彼女は静かに彼に語りかける。元々彼がどう生きようと彼女にとっては何の影響もない。だが、それであっても彼女の視線はただ暖かく彼へと向けられていた。
 クラウス。ただ名前だけが自分を意味するものの名残であるかのように、その男はそのときも自嘲の笑みでそう名乗った。初めて彼と出会ったそのときから、彼女には彼が“背負って”いるものが見えていたのだ。
 彼の黒い髪とは別に、まるで彼を守るようにして、濡れ羽色に、烏の羽のように漆黒の色をした美しい髪が、翼を形どっていた。細く、時に絹のように煌くその優美で見事な翼が広がる様は、息を呑むような美しさと病的な陰鬱さを併せ持って存在していた。

 それは、女の生首だった。

 クラウスは見下した笑みを浮かべて彼女に聞いた。“彼女”が見えるのか、と。

   +   +   +   

 俺は、逃亡兵だ。隣国のしがない兵士で、休戦の間に逃げてきた。自分の国の大まかな軍隊の配置や何かを盗み出して、それを土産にして。
 俺の国は知っての通りの魔法至上主義で、魔力を持たない人間は低く見られる。それは戦争でも同じことで、俺たち一般の兵士なんていうものは唯の壁、捨て駒だ。魔法使いたちが詠唱を完了するまでの間、彼らを守るためだけの。だから俺は逃げ出した。上手く国境を越え、こっちの兵士にわざと捕まって切り抜けた。情報と引き換えにして俺はこの国に潜り込んだ。もう二年も前の話だ。事情を包み隠さずに話し、恥も外聞もなく取り入ったのさ。去年の暮れくらいまでは国お抱えの間諜なんだろうな、見張りが付いてたみたいだが、大人しくしてた──情けないとも言うな──俺の様子を見ていい加減金と時間の無駄だと悟ったらしい。来なくなったよ。休戦交渉の雲行きが怪しくなって一介の兵士如きを構ってる暇がなくなったのかも知れないな。
 結局、戦争がまた始まって、それでも俺はこの国の一般人として逃げ続けた。当たり前だ。わざわざ元々敵国の兵士だった人間を兵士として使うような奴はいない。それに俺もせっかく逃げ出したのに、また戦場に舞い戻るようなことになるのはごめんだった。だから俺を受け入れてくれたこの国が負け戦で追い込まれていても、ただ逃げ続けてるのさ。そうして王都の手前、こんな城壁都市まで来ちまったんだよ。
 それにな、やっと見つけたんだよ。落ち着ける場所を。黒い髪と目をしたパン屋の娘さ。綺麗な、鴉の羽みたいな濡れ羽色の髪をした小さな子だよ。やっと自分以外の、大切なものを見つけたんだ。ちょっと気が小さいところがあるが、いい子だよ。また始まった戦争で傷ついていく人たちのことを憂うような、そんな優しい子なんだ。
 ここも包囲されてから二ヶ月か。そろそろ最後の攻撃があるかも知れないな。でも、この城壁都市は強固だよ。しかもここを通らなきゃ王都まで辿り着けないなんて、王様も良いところに王都を造ったもんだな。
 さて、そろそろだな。上手く、やらないと。
 悪かったな、与太話につき合わせちまって。今の、全部嘘なんだ。そう、全部。だから俺は向こうからこっちへ来た。だから俺はわざわざこんな門まで来た。だから、あんたの胸にダガーを突き立てた。
 全部、嘘なんだよ。全部。……まぁ、もうあんたには関係ない話かも知れないけどな。


       +       

 全部……嘘なんだ。嘘なんだ。ゆっくりと目を開くと、街は相変わらず燃えていた。鉄壁の城壁都市と呼ばれたこの街が。魔法によっていたるところに火を放たれ、混乱に乗じて乗り込んできた魔法騎士の部隊は整然と、狩りでもするかのように守備部隊を駆逐していった。
 俺は暗殺者として訓練された技術の全てを用いて燃える街を走っていた。攻撃に先駆けて裏口を開け、魔法使いたちを招き入れ、火事の混乱で正門の守りが薄くなったところに乗り込んで正門を開いて。それが俺の役目だった。“バックドア”、つまりそのまま“裏口”と呼ばれる俺の役目だった。
 だが、嘘だった。俺は聞いちゃいなかった。奴らは必要以上に火を放ち、一般人と兵士の区別すらなく虐殺を始めた。俺の役割は、この城壁都市を最小限の被害で陥落させるためのものだったはずだ。しかし、そんな口当たりの良い言葉はこの状況を見ただけで嘘だと誰にでも分かる。それほど酷かった。誰が言ったことが嘘だったのか。俺を迎えに来た軍人か。俺を暗殺者風情だと見下しながら話をしていたあの魔法使いの宰相か。それとも、任務を俺に伝えたギルドの幹部連中か。
 何にしても、俺は走らなければならなかった。燃える街だけが現実の、この中で。たった一つの、俺の真実のために。たった一人、自分以外に守りたいと思った彼女のために。
 街の中心部の辺り。ありがたいことに、まだパン屋の建物は燃えていなかった。中に駆け込んだ俺は、そこで信じられない光景を見た。
 乱れた衣服。欲望の証。転がった首。
 夜の闇のような髪は地面に広がり、それでも美しかった。暗い雲がたち込め揺らめく炎が照らす幻のような嘘の中で、俺のたった一つの真実は、ただ現実としてそこに転がっていた。
 俺は転がった彼女に、ゆっくりと歩み寄り、彼女を抱き上げた。頬を汚した涙と泥を拭いとり、優しく胸に抱き寄せた。炎で巻き起こされた強い風が彼女の長い髪を揺らし、その濡れ羽色が意思ある本物の翼のように俺を包み込んだ。
 その暗闇の中で。俺は呟いた。

「こんな嘘っぱちの世界、壊れてしまえ。」


   +   +   +   

 彼は静かに、自嘲の笑みを崩すことなく、自らの“生い立ち”を語った。人を逸脱し、そこから生まれた存在は、それから自分に課せられていた本当のものが何だったかも知らされた。
 彼は、“実験体”だったのだ。
 裏切り者としての運命を与えられ、そしてその運命のままに生かされた、その終着点だった。裏切り続けた男は最後に運命に裏切られて、偽りに塗れた自分よりも大切な、たった一つ見つけた“真実”を失った。
 そこで知らされたのは、ただ自分が運命を超え、裏切り者であるという定められた役割を逸脱できるかどうかの試金石でしかなく、もうその役割ですら終わったということだった。その現実を教えた男に、彼は逆らうことが出来なかった。綴られた言葉に拘束され、自らが本当に彼によって造り出された“実験体”に過ぎなかったことを悟らされた。

「案ずることはないよ。君の経験を活かして、次はもっと上手くやるから。」

 緋色のローブを纏ったその男は、酷薄な笑みでクラウスにそう言ってのけた。そこには同情も憐憫も存在しなかった。ただ、実験用に捕まえた動物を見る冷たい笑みがあった。それどころか、その笑みには僅かながらにではあるが、実験が失敗したことへのやりどころのない怒りすら見え隠れしていた。行く宛のない運命に対する恨みと発散すら許されなかった怒りによって人ならざるものとして無限の命を得た彼は、そうして運命を固定してしまったが故に“実験”を終わらされて──もしくは自ら終わらせて──しまったのだ。
 彼女には、長く生きて沢山のものを見てきたその目で、そうした全てを読み取った。暗い眼をして自分を見つめる、自分よりも遥かに永く生きてきた男と、彼よりもさらに暗い眼で自分を見つめる彼の後ろに浮かぶ女の血の気のない、美しい顔を見て取った。

「だがな……俺を“定めた”のは“あの男”なんだぞ。奴は全てのやり取りを見ている。俺は書かれた、記された。それは今も続いている……。それをどうやって出し抜こうと言うんだ……奴は、今のこの俺たちのやり取りですら見ているんだぞ?
 奴が綴るだけで……思い通りに俺の、彼女の、終わりなき結末を決めることが出来るというのに……あんたは、それをどうやって覆せると?」

 彼にしては酷く饒舌に、クラウスは捲くし立てるようにして彼女にそう言った。そう、彼女もそれは分かっている。この哀れで、“生きること”を遥か昔に止め、そうして──恐らくは幸運なことに──再び“生きること”を思い出したこの酷く拗ねた若造を造り出したのがどんな存在かは分からないが、それでもその男はクラウスの全てを支配しているのだ。強大な存在なのだろう。
 だが、この男を此処へと送り込んだのは──彼を永遠に道具として使い続けるつもりなのであれば──その存在の失策だと言えた。ここは神の力が緑色の宝玉として普遍的に存在する世界。そして今ここにいるのは──

「このルーブル=ナイツに任せておきなさい。貴方にその気があるのなら、ね。」

 彼女はそう言って暗い眼の二人に優しく微笑んだ。

~十八日目──とてもとても長い夢──失敗した初めての暗殺者~



十九日目

 探索とは一切無関係に、彼は今、意味もなく忙殺されていた。
 まず砂地で現れたのは“カニ”だった。全身を褐色の甲殻に覆われたその身体、特徴的な一対の大振りな爪、外見から見て取れる残り三対の脚。もう一対脚が存在するのだが、その脚は外から見て取ることは出来ない。突き出した丸い目、甲殻の頂点に尖った六つの突起。足の裏まで褐色だった。

「ふむ……確かにタラバガニだねェ、しかもオスだ。」

 どこでそんな知識を仕入れたのか、アイヴォリーは自信満々で断言した。一般的にカニはズワイと呼ばれる種類よりもタラバと呼ばれるそれの方が美味だとされている。しかもタラバの中ではメスよりもオスの方が美味だとされていた。
 要するに、食材として最上級のカニだということだ。

「しかし……デケェな。」

 唯一そのどこから見てもカニでしかないそれが、カニだと言えないところがあるとすれば、それはこの生物のサイズだった。
 とにかく大きい。カニは大きければそれだけ高価になるが、これは収獲に命の危険が伴うので既に高価とかいうレベルではないのかも知れない。伏せた──無論カニなので常に伏せているが──状態でアイヴォリーの上背を優に上回るその体格は立派の一言に尽きた。それが三杯も揃うと、既に圧巻というかそういうレベルを超越して、逆に相手にとって自分が美味でないことを祈る方が現実的なレベルだった。
 だが、ここに人外と呼んで差し支えない、常識を間違った方向で超越した人間が一人いた。

「脚だけで3人はイケるッ!!」

 よく分からない快哉を上げて敵に率先して突撃していく主夫──もとい白い風──がいた。

   +   +   +   

 得られた巨大なタラバガニの脚は大活躍だった。一部は出汁用として取り分けられ、その他は焼きガニに蒸しガニ、鍋にサラダにとこれでもかというほど彼らはカニを堪能した。特に脚で出汁を取った水炊きの鍋は絶品だった。その後には次の日の朝食として雑炊まで振舞うという念の入りようで、そんな訳で最初のカニをばらすところから一人で奮闘していたアイヴォリーは既にぐったりしていた。特に雑炊に使う米がないのが彼にとっては厳しかったらしい。パンをルミィの怪しげな溶液で小麦粉に戻してもらった挙句、それを小さい塊に千切るという作業を徹夜でやっていたのだ。その努力の甲斐あって、見た目は米に見えなくもないものが人数分完成したのだが、アイヴォリーの現状を見るだけで二度とやらないと堅く心に決めているのがはっきりと見て取れた。

「ヤレヤレ……後は……シコミもしねェとイケねェんだよな……。」

 朝食の雑炊を作り終えた後で一息入れると、アイヴォリーはすぐ次の作業に取り掛かった。どこから採って来たのか、山のように葵が積まれている。しかも根の部分だけで装備には適していない。ここが“島”とだけ呼ばれていた頃、遺跡の外、広い平野などでは葵が見られ、材料として重宝されていた。恐らくはその生き残りなのだろう。
 アイヴォリーはその根を、丸い鉢の中ですり潰し始めた。採って来たばかりの根は、十分な水分を蓄えている。一つ終わるたびに出てきた僅かな汁を隣に置いたボウルに空け、また新たな根を取って潰し始める。高く積まれた根の量からすると、それはかなり地道な作業に見えた。

「さて……とりあえず作ってみますかねェ……。」

 ボウルがいっぱいになったために、アイヴォリーは大きな溜め息をついてそれを鍋に空けた。葵の根から採れたその液体はかなり粘度が高い。大きな返しで適当にボウルから鍋へとその怪しげな汁を掻き出したアイヴォリーは、次に卵を取り出した。
 器用に割った卵の殻を使って黄味を取り除けたアイヴォリーは、それをまとめて他へと移した。取り分けた白身だけを次々と鍋へ投入し、怪しげな汁に加えていく。

「まー……全部白でイイかねェ?」

 自問自答だったのだろうか、それでも妙に凝り性のアイヴォリーは考え込んだ後で、チョコレートの欠片を、熱湯を張った鍋に浮かべた小さなボウルに投げ込み始めた。
 怪しげな汁と卵の白身が混ざって混沌としてきた鍋に今度は砂糖を投入する。山羊の乳を少しだけそこに混ぜると、そこでなぜか彼は自分に気合いを入れた。

「ココからがッ!
 ウデの見せドコロッ!」

 さっぱり意味不明の気合いを入れて、アイヴォリーはその混沌とした鍋の内容物を泡立て器ですごい速さでかき混ぜ始めた。

   +   +   +   

 芸術的というよりは、どちらかというと体育会系の作業から出来上がったのは、ふわふわとした塊だった。ほとんどが白く、稀に茶色いものが混じっている。とてもさっきの怪しげな溶液から出来たとは思えない、石ころ大の可愛らしい雲のような塊が、先ほどの溶液とは比べ物にならないほどの量出来上がっていた。

「コレだけアリャ十分だろ……。」

 明らかに作りすぎのような気がしなくもない。アイヴォリーが埋もれるほど出来ている。その山から一つ、小さな塊を選んで取ると彼はそれを口の中へと放り込んだ。

「……うわッ、甘ェ……。」

 顔を顰めて渋い表情を浮かべるアイヴォリー。どうやら普段のメイリーの嗜好に合わせて無意識に作ってしまったために、予想よりも甘く仕上がってしまったらしい。だが、量がそうであったように作ってしまったものは仕方がない。気付くには既に遅かった。

「まァ……仕方ねェな……。」

 止血や料理の時に使うために持ち歩いている大きな麻布を、ダガーで小さく切っていく。清潔なものといえばこんなものしかないからだ。魔法で小箱を出すことも出来なければ、可愛らしいリボンを持っている訳でもない。それでも、装備の修復用として持ち歩いている革紐をさらに細く裂くと、白い麻布で包んだ口をそれで器用に縛る。幾重かに束ねた細い革紐にらせん状に巻きつけた別の紐で飾りを施し、ようやくそれが一つ完成した。同じものを後四つ、作らなければならない。普段から作り置きしてある島製のジャムを小さな瓶に小分けにし、とりあえず一つ目が出来た袋に革紐で結びつけると、すぐに彼は二つ目のラッピングに取り掛かった。

   +   +   +   

 アイヴォリーの作業はまだ終わっていなかった。今度は白く輝く枝をダガーで念入りに削っている。その枝はかなり硬いのか、珍しくアイヴォリーは苦戦していた。

「まァセッカク手に入ったしなァ……使わねェのも勿体ねェよな……。」

 昨日砂地で見つけたアルミ缶。それをどういう方法でかは知らないが──知りたくもないが──ルミィに余ったカニの身と合成してもらった結果、渡されたのがこれだ。カニの身はかなりの量があったので、燻製にするとか何らかの方法で保存すればかなりいい食料になったはずなのだが、アイヴォリーは迷うことなくその余りをルミィに預けてしまった。いわく、“カニナンてのは新しいからウメェんだ。”ということらしいのだが。
 何はともあれ、それから出来上がったのがこの銀色の枝だった。アイヴォリー自身、銀の枝のことは情報で聞き及んでいた。何人かの合成を生業とする人間が作り出した素材で、その強さは現状ではかなり高品質の部類に入る。ここから削りだされた刃があれば、これから進む地下二階の敵に対する大きな力となるのは間違いなかった。だが、未だにその合成方法ははっきりしておらず、運任せの部分が強い。

「ま、こんな風にいキャラッキーだよな。」

 ある程度その新鮮なカニの身が合成にとって優れた素材であるとは予想していたものの、適当に頼んだ合成でそれが手に入ったのは幸運としか言いようがない。さっそくその白く輝く枝をジョルジュに預けると、それを短剣に仕立て上げるようにとアイヴォリーは依頼した。そうして、短剣に必要な分を大きく切り出してもらうと、彼は残った木っ端を貰ってきたのだった。
 どういうものなのか、その銀色は枝の表面だけではなく切り出した内側まで及んでいる。皮ではなく、全てが銀色なのだ。端の部分がほとんどなので、それは何かを作るにはあまり向いてはいない。湾曲していたり、細すぎたりとまちまちだった。
 だが、大きな布に全てを拡げて考え込んでいたアイヴォリーは、いくつかの部分を手に取ると、無心にそれをダガーで削り始めた。

「しッかし……硬ェな、コレ。」

 さすがにうんざりした様子でアイヴォリーが呟く。彼の手元では、いくつかの部品が出来上がり始めていた。
 細い端切れをさらに削り込み、そこからエルフたちが好んで使う自然を意匠化した装飾の一部分に仕上げていく。エルフたちの装飾は華美ではないが、やたらに手が込んでいるものが多いのでその一部分ともなればそれはかなり小さなものになっていた。
 それからそれらの部品を差し込みや切り欠きなどを利用して組み合わせていく。要するに端切れでも、装飾の一部としてそれを削り出し、パーツごとに組み合わせることで一つのものを作り上げようとしているらしい。大の男がその小さな部品を相手に細かい作業に没頭しているその様は、どこか滑稽ですらあった。

「さて……と。」

 怪しげな液体から作った小さな雲の入った袋を一つ。そしてようやく出来上がった腕輪を持って。アイヴォリーはメイリーの天幕へと歩いていった。

   +   +   +   

「メイリー、ちっとイイか?」

「どしたの、アイ?」

 小首を傾げて彼を見やるメイリー。なぜかやつれているのを不審に思ったのか、少しだけ不満そうな声で彼女はアイヴォリーを嗜めた。

「あんまり熱中しすぎてたらダメなのよ?」

 あれはカニ鍋用の雑炊のせいだ、と言いかけたが、アイヴォリーは苦笑いでそれに曖昧に答えるしかない。

「とりあえず……コイツはオカエシッてヤツな。」

 そっぽを向きながら袋を差し出すアイヴォリー。袋を受け取った彼女はもう満面の笑みを浮かべている。

「ありがと、ねぇ、開けていい?」

 軽く頷くアイヴォリーの顔を見ながら、その白い袋を解いて現れたのは雲のような白い塊。

「わぁ、マシュマロね?」

「あァ、ハジメて作ったケドな。まァクチに合うとイイんだが……。」

 あぁそれから、と思い出したようにしてアイヴォリーはもう一つ、小さい包みを差し出した。付け加えたようにして、忘れるところだったぜ、などと白々しく装いながら。

「ハッピーバースデー、メイリー。」

 もう一つの包みから現れたのは、白く輝く腕輪だった。繊細な装飾の組み合わせで作り上げられ、中央には魔石をはめ込むためだろう、彼女が使っている魔石に合わせた大きさの台座が付いていた。

「学園とキャイロイロ手に入ったから良かったんだケド、ココじゃ中々……」

 言葉の途中で、メイリーが自分を見つめているのに気が付き思わず彼は口を噤む。満面の笑みを浮かべて彼女が言ってくれた一言で、アイヴォリーはそれ以上弁解する気も無くしてしまった。

「ありがとう、アイ。ほんとに嬉しいよ。」

~十九日目─贈り物~



二十日目

 サバスを予定以上に余裕を持って退けたアイヴォリーたちは、それでも当初の予定通りに地下二階への階段を目の前にして一度帰還した。地下二階へと既に進んでいる者たちもいるのだが、アイヴォリーたち本人がその敵と実際に戦ってみた訳ではない。技を使いきり消耗した状態で無理に地下二階へと進むよりは、一度英気を養ってから予定通りに地下二階を探索しようということに決まったのだ。それでもなくても食料の点でも既に心もとない。無理に探索を推し進めてこれまでに培ってきた恩恵を失う訳にはいかなかった。
 同時に、アイヴォリー個人としても遺跡の外でやらなければならないことがいくつかあった。預けていた雑草の“出来具合”──既に乾燥した状態に出来具合という表現が当てはまるのならばの話だが──も気になっていたし、メイリーと交わした約束もある。昨日は遺跡の中で忙殺されていたアイヴォリーだが、それが外に出れば緩和されるかといえば、全くそんなことはなく、さらに忙しくなるのは分かっていた。

「まァ……約束だし仕方ねェやな。」

 そう独り言を呟いて全員分の食料を買出しに出かける男の背中には、微妙に哀愁が漂っていた。店主に預けた雑草の葉の山のことは、今のところは彼だけの秘密で何をしているかは知られたくなかった。そうなると、あの店主と約束した九人分の食料の調達は自ずと彼がやらなければならないことになる。何というか、些細なサプライズのために厄介ごとを自分で増やしていくのだからある意味救いようのない男ではあった。

「おゥオッサン、約束通り食料を買いに来たぜ。」

 遺跡外の店の中でも店構えは立派な──ほとんどは露店なのでその中で、という意味でしかないのだが──その雑貨屋の店主にアイヴォリーが挨拶すると、彼は明らかに引きつった顔で彼を出迎えた。また何か厄介ごとを押し付けられるのではないかと口達者な白い盗賊を露骨に警戒しているのが一目瞭然だった。もっとも彼にしてみれば、よく分からない乾燥した雑草の山を押し付けられてそれを湿気ないように管理しろといわれたのだから無理もない。

「ヤレヤレ、九人分ともなるとサスガに多いな……。」

 自分で頼んでおいて明らかに嫌そうな顔で食料を見やるアイヴォリー。保存食なので一回分の量はさほどではないのだが、流石にそれが九人分、しかも一週間近くもの分量ともなるとその量は半端ではない。カウンターに並べられた保存食の小さな山を、面倒そうに空けてきた背負い袋に詰め込みながらアイヴォリーは奥を覗き込んだ。

「で、この前頼んどいたのはどうなったよ?」

 溜め息をつきながら店主が出してきた、乾いた葉の並べられた棚を覗いてアイヴォリーは溜め息をつき返した。砕かれた葉が満遍なく敷き詰められた棚は全部で五つ、後から後から出される棚を次々と脇へとどけていく。

「マタ豪快に湿気らせヤガッたな……。」

「これでもあんたの言った通りに薄暗い乾燥した場所に置いてあったんだ。これ以上文句を言うならこの干物ごと食料の代金も返すぞ。」

 流石にうんざりした様子で顔を引きつらせる店主の肩を馴れ馴れしく叩くと、アイヴォリーは彼に迎合して笑みを浮かべてみせた。口で言うほどには悪くはなかったらしい。

「まァまァ、そうシケたカオすんなッて。ってそら、コイツはアンタの“取り分”だ。」

 アイヴォリーが予想した通りに上手くいったのだろう、黴の生えていない一つの棚の葉を一掴み取ると、アイヴォリーはそう言いながらカウンターに置いてあった空き瓶に勝手にその葉を詰め込んで店主に手渡した。残りの葉を水袋などに使うような小さな皮袋に詰め込むと、それも背負い袋に突っ込んでいつもの笑みを浮かべて見せる。もういい加減諦めたのだろう、小瓶を投げやりに手で玩びながら店主はそれでも彼に問いかけた。

「で、この乾燥した草は一体何なんだよ。」

 呼び止められて、店から出て行こうとしていた盗賊は振り向くと、珍しく彼の問いに邪気のない笑顔で、どこか嬉しそうに答えた。

「コイツか、ソリャお茶さ。“島”特製、スペシャルブレンドの、な?」

 不審そうに瓶を見つめて首を捻る店主をほったらかしのまま、白い盗賊は店を嵐のようにかき回すと来たときと同じように平然と去って行ったのだった。

   +   +   +   

「じゃあメイリー、ソロソロ出かけッか?」

 食料を纏めて持って帰ってきたアイヴォリーは、それを仲間たちに配り終えると彼の相方に声をかけた。アイヴォリーとの約束を期待して彼を待っていたのだろう、準備万端といった様子で飛び出してきたメイリーがいつものようにしてアイヴォリーの右肩へと腰をかける。

「うん、じゃあレッツゴー♪」

 腕を突き上げて景気良く掛け声をかける彼女に苦笑しながらも、アイヴォリーは辺りを見回しながらゆっくりと遺跡外の中心部へと歩き始める。島の地上部では、遺跡への入り口となっている二箇所の魔方陣を中心にして、人の多い部分とそうでない部分が存在する。利便性の高い魔法陣に近い人の多いところには食料などを扱う露店や簡易店舗といった現実的なものが、そこから少し離れた部分には比較的不便な場所には宗教施設や遺跡で朽ちたものたちの墓地などといった精神的なものが寄り集まっていた。アイヴォリーはそういった中で人の多い部分を通り抜けると、小さな丘に繋がる小道を登り始める。

「ねえアイ、こっちで合ってるの?」

 段々と人気が少なくなる様子を見てメイリーが首をかしげて辺りを見回す。何せ時期外れにしても“初詣”には違いない。そういったイベントは人の多いところへと向かうのが普通だ。だが、今までにいくつかそれらしい宗教施設があったにもかかわらず、アイヴォリーはそれには見向きもせずにその小高い丘を上り始めた。

「ねえ、アイ?」

「あァ、コッチでイイんだよ。」

 言葉少なに坂を上り続けていたアイヴォリーは、ようやく顔を上げると彼女に微笑みかけた。坂を上りきった彼らのその先には、小さな社が忘れられたようにして佇んでいた。辺りには、咲き乱れる一面の桜。

「“島”にも……こんなトコあったんだねェ。」

 かつて島で“イキスギたエンタメ”の参加者としていたときには見なかった光景だった。あのときには桜がまとまって育っている場所などなく、またこれだけ長閑な場所自体が存在しなかったのだから。だが、確かにかつての“島”の一部であるここに、この場所は存在していた。

「すごい……こんなところ、あったのね……?」

「あァ……。」

 去年、つかの間の休息の間に彼らが訪れた、あの山の桜にも劣らない、それよりも華やいだ、咲き乱れる桜がそこにはあった。感嘆の溜め息を小さく漏らす彼女を見やって、アイヴォリーもまた小さく笑みを浮かべてみせる。

「さて、“オマイリ”しようぜ?」

 苦笑を織り交ぜた、どこか寂しい笑みを隠すかのようにして、アイヴォリーはメイリーを急かした。その小さな社はどういった宗教のものなのだろうか、どこにも見たことのない、社でありながらどこか宗教の色を廃した、何を祀っているのかも分からない、物静かで物悲しい風情で彼らを迎えていた。
 アイヴォリーが膝を付き、社の前で静かに黙祷する。冗談で運命の女神を信じるとしか言ったことのないアイヴォリーが、珍しく真摯に祈りを捧げていた。
 たった二人きりの空間、音もなく舞い落ちる桜。無音の時を風が妨げて、ようやくアイヴォリーが閉じていた目を開ける。メイリーは目を開けたアイヴォリーに静かに聞いた。

「アイは、何をお願いしたの?」

「ん……ソイツはヒミツさ。」

 いつものように、口の端を歪めて、それでもどこか少年のようにして、アイヴォリーは真面目な表情を崩す。小さく吐息を漏らして見上げた空はどこか霞んで、身を切る冷たさはもう和らいでいた。
 そう、確かにかつて“島”にいたときには、こんな場所はなかったのだ。なぜなら、此処はその後に“作られた”場所なのだから。
 社の裏に建てられた小さな碑には、沢山の名前が刻まれている。持ち寄られた白い花を咲かせる木々は、あれから毎年彼らを慰めている。
 全ては、かつての“島”の名残。
 あの時、島へと降り立ったものに対して小さな小島で力を合わせ、そして帰ってくることがなかった、数々の探索者に対する想いの結晶。島に残った者たちが、伝えられることもない英雄たちのために建てた碑。話に聞いて、一度来てみたいと彼が思っていた場所だった。
 アイヴォリーはもう一度社に目をやると、あの日を懐かしむようにして静かに微笑んだ。ここを訪れたのも、あの時の彼を知る小さな少女に、彼のあの時の小さな決断を掘り起こされたからかも知れない。あの時の、彼の身体は持たないはずのあの“イキスギたエンタメ”の記憶を呼び起こされたからかも知れない。
 だが、それでも、だからこそアイヴォリーは、静かにあのときのようなことが二度と起こらないようにと、この島を護った者たちに静かに祈りを捧げ願ったのだった。

~二十日目──“休息”~



二十一日目

「もう、アイってばどこ行っちゃったのよ!」

 出発──といっても今日は遺跡に潜るだけなのだが──の時間も近いというのに、アイヴォリーの相方である小さな妖精が何やらものすごい剣幕で怒っていた。彼女の言葉からするに、出発の直前でその相方が見当たらなくなってしまったらしかった。つい先ほどまでは彼女と二人で遺跡外部にある小高い丘にちょっとした遠出をしていたのだから、当然ながら彼は彼女の隣にいた。彼らが遺跡外で逗留することに決めた小さな池のほとりに戻ってくるまでも、すぐ横にいた。だが、風に由来する二つ名を持ちいつでも約束にルーズな盗賊は、キャンプ地に彼女を送り届けるとまさしく風のように姿を消してしまっていた。いくら約束を守らないことが多いとはいえ、根本的なところでは几帳面な性格のアイヴォリーは重要な物事に関してはきっちりとしている。実際これまでに移動の集合時間に遅れたことはなかったのだ。そんな訳で彼女が血眼になって彼を探しているのも無理はなかった。

「またどっかで女の人口説いてるに違いないわ!」

 その小さな握りこぶしを固めて、誰にするでもなく力説するメイリー。かつてのこの島で彼と出会ったばかりの時には、びくびくしながらお互いに、疎まれないように相手の行動に干渉するのを躊躇っていた二人だったのだから、同じ島で今、彼女が自らの相方のどことも知れない行方に怒っているというのは、ある意味では発展なのかも知れなかった。もちろん当人のどちらに聞いても否定するのだろうが。

「あ、ねえ、アイ見なかったかしら?」

 メイリーが最初にそれを尋ねたのが“彼女”だったのは不幸──この場合主にアイヴォリーにとってだが──だった。彼女の問いに、首をかしげてはて、と明後日の方向に目をやる姿すらどこか絵になる妙齢の女は、ややあってぽんと手を打つと思い出したように彼女の問いに答える。

「そういえば、“ヒミツの場所”に行くというようなことを仰っておられましたねえ。」

「秘密?」

 訳が分からないというようにこちらも首をかしげたメイリーに対して彼女はにこやかに頷く。

「ええ、秘密と言うからには誰にも教えられない場所なのでしょうねえ。あんなところやこんなところとか……。」

「?!?!
 もう、絶対許さないんだからっ!!」

 頭から本当に湯気を噴き出しかねない勢いで激昂したメイリーは、すごい速度でどこかへと飛んでいった。恐らくは彼を見つけてお灸を据えるつもりなのだろう。

「ええ、秘密の食料保管庫とか、秘密のお宝が眠る洞窟とか。秘密の部屋、なんていうのも何かの副題っぽくって浪漫がありますねえ。
 ……っておやおや、もう探しに行かれてしまいましたか。」

 話も途中に飛び去った小さな妖精の姿を、あくまでもにこやかに見送る女。
 語部朽梨。人が彼女を“毒”と称するのも、まったく故なきことではない。

   +   +   +   

 その頃、アイヴォリーはというと、埃まみれになりながらある建物の中にいた。薄らと床に積もった埃を乱さないように気を遣っていても、長年に渡って放置されていたのであろうその建物には、時間が形あるものとして結実したかのように堆積して全ての輪郭をまろやかなものにしている。大きな穴の穿たれた部屋ではそこから吹き込む風と雨によって部屋は乱され放題になり、他の部屋とは別の意味で荒れていた。地上部には既に何も残されてはいない。一週間ほど前に訪問者があったことを唯一残された足跡が物語っていたが、その長靴の足型をアイヴォリーは当然のようにして記憶していた。かつて戦った中年の男が履いていたブーツと同じもの。それはつまり、この建物の主や、今この島で天幕の一員として探索を続けている男のそれと同じものなのだった。地上部を三階まで全て探索したその足跡は続いて地下へと向かっていた。そしてそれよりも古い、黒い染みもまた、入り口から地下へと続いていた。
 アイヴォリーがここを見つけたのはもちろん偶然ではない。あの天幕に身を寄せている軍人から受け取った円盤上の記録媒体をルミィの持つ機材で再生し、次に地上部へ戻るときを待っていたのだ。社のある小高い丘からは、島の全景を見渡すことが出来た。そこで、島の中心部からはるかに外れた何もない地域に、取り残されたように佇むこの白い建物を見つけたのだった。
 とはいえ、アイヴォリーがここで見つけたものはそう多くはない。三階で見つけたたった一枚の写真には、まだ空からの侵入者がこの島を訪れる前の、懐かしい時間の一面が切り取られていた。まだ幼いルミィ、夜陰と名乗っていた女の姿をしたあの防具の職人──そしてハルゼイ本人。それはまだ真相を誰も知らされず、宝玉の噂を信じて──今この島を訪れている大半の探索者たちと同じように──島で生きていた時代のものだった。彼の趣味なのだろう、その部屋の調度と同じように無機質で実用的な写真立てに収められたそれは、ここが打ち捨てられてから動かされた形跡があった。ここの存在をアイヴォリーに知らせたあの男は、これでここがハルゼイのラボであると気付いたはずだった。
 アイヴォリー自身、既に家捜しをされてしまったここで、さらに何かが見つかるとそれほど期待をしてきた訳ではない。だが、それでも自分の目で確かめておく必要があった。それが彼にとって、この島での本来の“探索”なのだから。足跡と寄り添うようにして古い血の跡を辿って地下へと降りたアイヴォリーは、中を一通り巡って訪問者の足跡と血の跡を追い続けていた。

「ココからが……シーフのウデの見せドコロッてな……。」

 彼に記録媒体を渡した男が血の跡に気付いていなかったのは確かだ。埃の上に残された足跡は、その堆積した埃に隠された血の跡を確認しながらゆっくりと進んだのではなく、何かに追われるようにして小走りに駆けている。こういったところで床に注意を払うのは、建物の中に仕掛けられた罠などに注意して進まなければならない職業、要するに盗賊くらいのものだ。半ば埃に埋もれて隠されたままになっている血の跡は、それを見つけたのがアイヴォリー以外にいないことを物語っていた。
 かくしてアイヴォリーが予想した通りに、埃の上に残された足跡と血の跡がその道を別にする場所をアイヴォリーは見つけ出した。足跡は大きなモニタの前で立ち止まり、そこをうろついた後で地上へと戻っていく。だが、血の跡は迷いなくその奥へと進んでいた。モニタの奥、その裏側へと回り込んで、アイヴォリーは壁に向かって進み、そこで途切れている血の跡を見つけた。
 そこは何の変哲もない、唯の壁だった。だが、まるで壁の中へと歩み去ったかのようにして血の跡はそこからどこへも行っていない。アイヴォリーは鼻を小さく鳴らして壁の埃を払い始めた。パネルを組み合わせて張られた金属製の壁板は、見たところ完全にきっちりとはまっていて動かせそうな様子はない。だが、アイヴォリーには確信があった。

「回廊状……ドッカに仕掛けがあるハズだよな……。」

 探索者たちは、未探索の洞窟や遺跡を調べるときには“マッピング”と呼ばれる行為を怠ることはない。地図を描くことで自分たちの退却路を確実に確保し、中で迷うことを防がなければならないからだ。また、それは同時に未探索の部分を検証するための大きな手がかりになることもしばしばだった。
 そうして、アイヴォリーが見つけ出した鍵は、小さな黒い箱だった。壁に取り付けられたその箱にはスリットがあり、箱はそれを覆うフードから構成されている。アイヴォリーは彼のラボで、これの使い方も心得ていた。
 常に外すことのない革製の篭手を外し、人差し指をスリットの中へと差し入れる。自分の指が反応するかどうかが心配ではあったのだが、他のラボで登録されたデータをこちらにも使用していたのだろう、どこかで空気の抜ける音がして、血の跡が途切れた壁が静かに滑り隠された通路を開いた。
 中には、一片の枯れ葉も、埃すらも残っていない。封印されたままの隠し部屋だった。それほどの広さはなく、中には小さな金属製の台と人間が丸々収まる密封式の寝台。そして壁には棚に並べられた薬品。注射器が台の上に転がり、その隣には血に塗れた小さな刃物があった。空になった注射器の臭いを嗅ぎ、アイヴォリーは小さく呟く。

「麻痺毒、か……。」

 血管に注入してその部分を麻痺させる毒、つまりは麻酔薬だった。そして血に塗れた医療に使う刃物。何を行ったかはアイヴォリーにも大体想像がついた。寝台へと歩み寄り、密閉されたその中を覗き込む。今は機能していない。アイヴォリーはこれを天幕でしか見たことがなかった。床に固定され、様々な配線とチューブでつながれたそれは、致命的な傷を負った人間を中で効率的以上に治療する、アイヴォリーにとっては魔法の寝台だった。
 半透明の蓋の腕の部分が僅かに曇っている。おびただしく血が流れた跡だった。

「自分で……ウデを、落としたか……?」

 無表情のままで、“戦友”と呼び合った仲間の悲痛な決意を見方によっては冷酷にアイヴォリーは診断する。そこでふと、台の横に置かれた布に彼の目が留まった。彼が手術に使ったものらしく、血で汚れたそれの端に、しっかりとした字で走り書きがされていた。

遺跡最深部。宝玉を作り出していた者。探索者用の欠片ではなく本体?

 自分用の覚書だったのだろう、それだけでは全くといっていいほど意味を成さないものだった。だが、アイヴォリーは知っていた。
 探索者たちがいくら訪れても、全ての者に対して宝玉は与えられた。そしてあのとき、この島を作り出していた者は力のほとんど失い眠りについた。探索者たちが手に入れ、島を守るための防壁として生み出された宝玉はそれと同時に全て失われた。つまり、どこかにそれを作り出した者がいた。宝玉の力の大元となる存在が。
 そして何よりも大切なことを、アイヴォリーはここで理解していた。

「死ぬんなら、ウデは落とさねェよなァ?」

 旧友が、まだこの島のどこかにいると信じる彼は、その男に語りかけるようにして優しい微笑みを浮かべたのだった。

~二十一日目──“秘密”~



二十二日目

 負けた。武器を新調していて、最高の状態で。アイヴォリーは唇を噛み締めて何かに耐えていた。

「クソッタレッ!!」

 思いっきり、まだ血の滲む包帯の巻かれた手で木を殴りつける。いつもの冗談めかした悪態が、今は本当の悪態としてつかれていた。それだけ悔しかったのだ。いつも同じ笑みで本当の心を滅多に露わにしないアイヴォリーが、傷も癒えないままに本気でものに八つ当たりするほどに。
 ジュルジュが持ってきた短剣は良く出来ていた。アイヴォリーがその出来に気を良くして、かつてこの島で短剣使いの代名詞ともなったほどの技の名前をつけるほどに。シルバークラット──銀の悪鬼と呼ばれたその技は、相手に必殺の一撃を叩き込みながら石化毒で敵全体にも効果を及ぼすレベルの高い技だった。短剣自体の扱いを究め、さらにそこに毒を乗せるための技術をも究めてようやく使いこなすことが出来る、まさに短剣の奥義だったのだ。銀の枝から削り出された美しい細身の短剣は、その柄の部分に悪鬼の目が刻み抜かれ、だがその意匠と名に反して使用者を衰弱の呪いから護る加護が付与されていた。まだこの島の中でもこれだけの逸品を持つ者はそう多くはない。今のところ島で随一の短剣の技術を誇っている──そう、いつの間にかこの島で、アイヴォリーは短剣を使うことに関しては、その技能自身も、そして熟練度の面でも最先端に至っていた──彼が振るう限り、この島でもっとも効果を発揮するはずだった。
 だがその技術にしても当たらなければ効果を発揮することはない。相手の持つ動物本来の身のこなしはアイヴォリーの器用さを上回っていた。全体に連撃を加えてからさらに狙い澄ました一撃を入れるその必殺の一撃も本当に当てたい最後の一撃を躱されては威力の低い全体攻撃に過ぎない。一瞬で集中を極限まで高めることが必要とされるその技を撃ち終わったアイヴォリーには、それ以上の手駒は残されていなかった。
 だが、アイヴォリーが本当に怒っているのは攻撃を外した結果論としての敗北にではなかった。
 逸品といえる短剣があった。それを使いこなす自信もあった。それゆえに、彼はそれ以上の詰めを怠ったのだった。
 教授が届けてくれた新しいエルフの姿隠しの外套用のピンがあった。あれを用いれば、この無尽蔵の魔力を秘める魔法の品は、今までとは比べ物にならないほどの魔法に対する耐性を与えてくれたはずだ。相手が本来後衛に控える魔法系の敵三体だったのだから、その魔法抵抗は魔術に弱いアイヴォリーにとって有効に機能したはずだ。だがアイヴォリーは、回転率を上げることを優先して自分の脆さを放置したのだ。
 技の選択にしてもそうだった。アイヴォリーが今一番信頼している技は、かつてこの島でジャック・オー・ランタンと呼ばれる悪霊──それはあのサバトの夜に魔除けとして飾られるカボチャの魔物の頭の由来でもある──が振るっていたそれと同じものだ。あの技を持ってすれば、その激しい連撃で多少の回避をものともせずに一体に絞って相手の体力を削れたはずだった。だが、その武器の出来に慢心し、彼は本当に強い技を使うことをしなかった。

「クソッタレッ、クソッタレッ!」

 要するに、手抜きだったのだ。遺跡の外からやってきたばかりで体力的にも余裕があり、どうにかなるだろうと高をくくっていた。これから地下二階の探索を続けることに気を奪われ、目前に現れたその地下二階の敵に対して全力で当たることをしなかった。その結果がこれだった。

「マタオレは……繰り返すッてのか?
 コレじゃ前に島にいた時とちっとも変わらねェじゃねェか……ッ。」

 木に三度拳を打ちつけ、額をぶつけて唇を噛み締める。俯いたその顔と、握り締めていた拳が細かく震えていた。

これでは、何も護れない。

 最大の敵は、遺跡の魔物たちでも人狩りでもない。こうして勝てるはずの戦いで負ける原因は。己の心が最大の敵だと、手練の兵たちは一様にそう言い残している。その言葉を軽んじ、忘れ果てて、その教訓を自らに活かせないのでは、どれだけ技術を究めようとも、まだ遠く彼らには及ばないのだ。
 自分は彼女を護らなければならない。かつて“ここ”で、彼女にそう約束したのだから。彼女の盾となると、自分の誇りに誓ったのだから。
 ルミィたち、ジョルジュたち。アイヴォリーが集めた仲間たちは同じ日に全て負けた。本来ならばそれを予想して押し止めるのも彼の役割だったはずだ。メイリーについてはもちろんのこと、遊次郎も、そしてそれ以上にも、今のアイヴォリーには護らなければならない者たちがいる。あの遠き日のように、敗北の代償が自らの命だけ、という訳には行かないのだ。
 血の気をなくした顔で唇を噛み締め、俯いて小刻みに震えていたアイヴォリーがようやくその顔を上げた。いつものように勝っていても、こうして負けていても、何も変わらずに次の朝が来る。踏み込んでしまった以上、地下二階から脱出するまでは、この苦しい状況は続くのだ。上げた面差しで口の端を歪めてみせる。闇狐に引っかかれた頬の傷が小さく痛んだが、そんな痛みは本当に、余りにも小さいもので、笑い飛ばしたくなる程度のものでしかなかった。

大丈夫、まだやれる。

 笑みが不自然でないところまで心を落ち着かせて。アイヴォリーはようやく仲間たちがキャンプを張っている場所へと戻り始めた。これ以上負けないために、今日からも続いていくために。
 まだまだやらなければならないことがある。

   +    +    +   

「えーッと……?」

 黒猫から、預けていたラベンダーの香りを抽出して付与した小袋が届いた。これはアイヴォリーがエルフの姿隠しの外套に取り付けようと思っていたものだ。それでなくてもこの外套には結構な数の内ポケットがついているのだが、その上にさらにアイヴォリーはポケットを増やしていた。中には、比較的遠距離──無論弓などのそれには遠く及ばないが──で相手に毒を与えるためのダートと呼ばれる小さな投げナイフや毒を空中に散布するための割れやすいガラスの小瓶、盗賊たちが罠や鍵の解除に使う様々な道具類、ワイヤーの予備、はたまたちょっとしたものを遺跡外で買うための小銭まで、様々なものが収められている。そのために見た目よりはかなり重い。普通ならばどこに何を収めたか分からなくなるほどのポケットの数なのだが、そこは使い慣れた本人であるからか、もしくはその人並み外れて機械じみた記憶力のせいか、アイヴォリーは全く迷うこともなくその時に欲しいものを取り出してみせる。そこにさらにポケットを増やすために、アイヴォリーはこれを黒猫に頼んだのだった。
 だが、アイヴォリーは不審そうな顔で彼を見つめている。

「コレだけか?」

「ん~?」

 アイヴォリーの曖昧な問いに、黒猫が首を傾げた。僅かに顔を引きつらせて、アイヴォリーが黒猫を急かす。

「もう今日の戦闘まで時間がねェ。冗談はヤメて早く渡してくれ。」

「何のこと?」

 本当に何のことか分からない黒猫は首を傾げるしかない。アイヴォリーが自分で言っているように、今日の戦闘までもう余り時間が残されていない。昨日の敗北で手痛い傷を負い、まだそれが癒えていないアイヴォリーは流石に焦り始めたのか、自分の胸をくいくいと指差して見せた。

「ああっ、防具か?!」

 いつも着けているはずの革鎧を、アイヴォリーは珍しく着ていない。金属鎧や硬くなめした革鎧を身に着ける者ならば綿を入れた鎧下を着ているが、盗賊が動きを妨げないために好んで着る、胸の一番重要な部分以外は柔らかい革で作られた胸甲を着けるアイヴォリーはそれすらない。今彼が着ているのはチュニックと呼ばれる袖なしの短衣と足首で裾を縛ったパンツだけだった。

「ッてオイ、マジかよ?!
 もうルミィの嬢ちゃんにヨロイ渡しちまったんだぞ?」

 島で手に入る素材は無限ではない。偶然出来上がった銀の枝を武器に削り出し、ピンクローズを教授にピンの代価として渡してしまったアイヴォリーには、防具を作り出す素材の余裕はなかった。実際にはそれでも恵まれている方なのだが。そんな訳で、防具を新調するよりもちょっとした風の加護を付与された飾りを今ある革鎧に使って性能を向上させることをアイヴォリーは選び、そのためにルミィに鎧を託したのだ。とりあえず合成が成功するまでの代替品として、黒猫が不要になった鎧を借りるということになっていた。出来る限り早く鎧を完成させるために、アイヴォリーは既にルミィに革鎧を預けてしまっていた。

「あはは、ゴメン……。」

 えへへ、と鼻をかきながら笑う黒猫に、アイヴォリーが引きつった笑いで応える。昨日の今日で、防具無しで戦えるほどの心の余裕は、流石のアイヴォリーも持ち合わせていない。

「うん、多分これでそのケープの防御効果が上がると思うしさ、とりあえず今日はそれで大丈夫だよきっと!」

 アイヴォリーの笑みに影響されたかのように、黒猫もどこか笑みを引きつったものにさせながらじりじりと後退さる。もう今から他の鎧を見繕うのは時間的に無理だろう。アイヴォリーは逃げていく黒猫を追いかける気力もなくしてその場で大きな溜め息をついた。

「マジで……鎧なしかァ?」

 誰に確認するでもなく呟いたアイヴォリーの言葉に答える者は、当然ながらいない。まだ昨日の戦闘で負わされた傷は痛々しく残っている。この上に今日の戦闘が装甲無しというのは神の悪戯にしても出来すぎている。アイヴォリーはその嫌がらせのような運命にうんざりしながらもう一度溜め息をついた。

~二十二日目─“敗北”戦闘に見切りに~



二十三日目

 榊──黒い服を身に纏った、にやけた男がアイヴォリーの前へとやってきた。アイヴォリー自身は彼を見たことがない。声を幾度か聞いたことはあるものの、実際にこうして面と向かって会うのは初めてだった。かつての“島”で温泉が湧き出したときにそれらしい男には会ったものの、その時にはその男は名乗らなかった。あのときの彼だと言われればそのような気もするし、だが全くの別人だったような気もする。あのときに出会った男の印象は、なぜか思い出そうとすればするほどアイヴォリーの記憶から逃げるようにして薄れていくのだった。

「いや~、ご苦労様でした。」

 開口一番に、彼が言ったのはそれだった。突然の訪問の上に──今回この“島”に探索者たちを招待状で呼び寄せた、いわば“主催者”が探索者の中の一人に過ぎないアイヴォリーを、何の前置きもなしに訪れたのだから突然以外の何物でもない──突然の言葉。アイヴォリーは彼の意図を汲みかねて無言で彼を見据える。

「貴方たちのお陰で良いデータが取れました。ですから、ここで一度終わりにします。」

 ちょっと待ってくれ、そう言おうとしたアイヴォリーの思いは、だがあまりの宣言に言葉にならなかった。だが、それでようやくアイヴォリーは、彼の意図を理解した。
 この“島”が終わる。遺跡も、仲間も、宝玉も。慌ててアイヴォリーは彼に反論しようとした。まだ宝玉は一つも見つかっていない。その情報すら流れていない。そして、自分は見つけなければならない探し物にたどり着いてすらいない。

「ええ、あれ嘘なんですよねえ。」

 あっけらかんと、榊がその笑みのままで平然と言った。まるで宝玉のことに思いを馳せたアイヴォリーの考えを読み取ったかのようにして。大きくうんうんと頷きながら榊は言葉を続ける。

「あの戦いで力を失った“彼女”は、まだ力を十分に回復していなかったんですよね。だから、貴方たちの能力を見極めるために、少しだけ踊ってもらいました。
 かつての“島”が持つイメージを集めて、願望や希望も織り交ぜて。そうして出来た幻、準備だった。」

 ふざけるな、そう榊に掴みかかろうとしたアイヴォリーは、思わず体を捻った。

   +    +    +   

「ユメ……か……?」

 思わず身体を捻ったことで覚醒したアイヴォリーは一人呟いた。妙な夢を見たものだ。突然あの謎の男が自分を訪れるなどとは突拍子もないこと甚だしい。そう思いながらアイヴォリーは小さく苦笑を浮かべた。
 そう、あの招待状に示されたこの島の位置は、確かに自分が知るかつての“島”のそれだったし、遺跡の外には確かにハルゼイのものであるラボがあった。多くの探索者が訪れ、その中にはかつての“島”で見知った面々がいた。そして何よりも、自分は今、この島の遺跡に、しっかりと立っている。“幻”などであるはずもない。
 だが、その鮮明に残る夢で、榊は何と言っていたか。“願望や希望も織り交ぜて、かつてのイメージを集めた”と言っていたのではなかったか。
 心に微かにわだかまる不安を消すようにして、アイヴォリーは自らの天幕を出た。そこで目の前にいた小さな人影にぶつかりそうになって慌てて彼女を受け止めた。

「おっと、嬢ちゃん、アブねェぜ。こんな早くにどうしたんだ?」

 まだ夜も明けきっていない。昔の訓練の賜物か、アイヴォリーはそれでなくても余り睡眠を必要としないのだ。だが目の前にいた少女──ルミィは彼よりもさらに早かったらしい。

「嬢ちゃん……どうした?」

 微妙な違和感。普段は感じられない何かが、彼女に纏わり付くようにしてルミィを覆っていた。僅かに思案しながら彼女を眺め、その要因にアイヴォリーはすぐに気付く。常に前向きで、無謀なほどに前のめりなるルミィが、迷っていた。

「アイにーちゃん……んーとね……。」

 言いよどむルミィに、アイヴォリーは彼女の頭をぽんぽんと軽く叩いてやった。彼がいつもメイリーに良くやるようにして。気付けば彼女の眼の下には、微かに疲労の跡が見て取れる。あまり眠っていないか、もしくは全く眠っていなかったのか。アイヴォリーよりも早かったのはそのためらしい。

「どうした、ナニか心配ゴトか。おにーさんに話してみな?」

「うん……“しんぱいごと”じゃないんだけど、その、ね。もう少しで……」

 さらに言いよどむルミィに、僅かに首をかしげてアイヴォリーは次の言葉を待ってやった。こういうときに急かしても、言いたいことなど言える訳もないとアイヴォリーは知っている。だが、はっと顔を上げたルミィの口から出たのは、アイヴォリーの予想もしない一言だった。

「うん、やっぱいいや。アイにーちゃんじゃどーしよーもないことだし!」

 走り去っていくルミィを見送るしかないアイヴォリー。彼女の姿が見えなくなってようやく、アイヴォリーはぽつりと漏らした。

「……オレじゃどうしようもねェッて、どーゆーコトだよ?」

 背中が、大分と煤けていた。

   +    +    +   

 運命調律者──赤いローブを身に纏った、冷たい笑みを浮かべる男がアイヴォリーの前へとやってきた。アイヴォリー自身はほとんど彼に会ったことがない。彼の“書斎”へと幾度か強制的に召喚されたことはあるものの、実際にこうして島の中で会うのは初めてだった。かつて天幕にいた頃に本部で幾度か彼には会ったものの、その時には自分とは無関係の、データの管理者だと思っていた。あのときからすれば、色々なことが分かったものだ。“魔筆”を振るって様々なことを“綴り”、改変していくこの男に嘲笑われながら、少しでも歯向かうようにして自分で自分の歩く道を選び取ってきた。あのときに出会った男の印象は、今でもなぜか思い出そうとすればするほどアイヴォリーの記憶から逃げるようにして薄れ、その血のようなルージュを引いた口元だけが思い出されるのだった。

「いやはや、ご苦労様だったね。」

 開口一番に、彼が言ったのはそれだった。突然の訪問の上に──今回この“島”にアイヴォリーをシェルを使って転送した、いわば“張本人”が、天幕に逆らうアイヴォリーを、何の前置きもなしに訪れたのだから突然以外の何物でもない──突然の言葉。アイヴォリーは彼の意図を汲みかねて無言で彼を見据える。

「君のお陰で良いデータが取れたよ。だから、ここで一度終わりにしよう。」

 ちょっと待ってくれ、そう言おうとしたアイヴォリーの思いは、だがあまりの宣言に言葉にならなかった。だが、それでようやくアイヴォリーは、彼の意図を理解した。
 “自分”が終わる。いつかの、あのときのようにして。メイリーを一人で置き去りにしてしまったあのときのように。役割も、仲間も、目的も置き去りにして。慌ててアイヴォリーは彼に反論しようとした。まだ宝玉は一つも見つかっていない。その情報すら流れていない。そして、自分はまだハルゼイにたどり着いてすらいない。

「うん、あれ嘘なんだよ。」

 あっけらかんと、緋色の魔術師がその笑みのままで平然と言った。まるでかつての“戦友”のことに思いを馳せたアイヴォリーの考えを読み取ったかのようにして。小さく頷きながら運命の道化は言葉を続ける。

「君も良く知る戦いで力を失った“彼女”は、まだ力を十分に回復していなかった。だから、君の能力を見極めるために、少しだけ踊って貰ったんだ。いつものようにして。
 かつての“島”が持つイメージを集めて、願望や希望も織り交ぜて。そうして出来た幻、準備だった。

 ふざけるな、そう傲慢な笑みを浮かべる男に掴みかかろうとしたアイヴォリーは、思わず体を捻った。

   +    +    +   

「コレも……ユメ、か?」

 呆然と立ち尽くしていたアイヴォリーは、舞い上げられた砂から目を守るために体を捻って我に返った。辺りにはルミィがいた痕跡もない。だが、夢から逃げ出すようにして自分の天幕から出てきたのは確かだ。そこで彼女にぶつかりそうになって、何にか迷っているルミィの、その原因を聞きだそうとし、失敗したのだ。それが現実だとするならば、その後のあの皮肉な笑いを浮かべる赤いローブの男との会合は何だったのだろう。そこまでを考えて、アイヴォリーは自分のこめかみに手をやった。
 頭が痛い。どこか身近な、確かに覚えのある痛み。学園にいた頃に幾度となく味わった、あの痛みだった。

「ッ……。」

 小さく舌打ちして頭を振ると、嘘だったかのようにして痛みは霧散した。あの頃にはなかったことだった。目を細めて空を仰ぎ、今も自分をどこかで監視しているはずの姿を探すようにして世界を見渡す。
 世界は確かに、存在していた。幻などではないと、高らかに宣言するように、厳然と。

「どうしたって今までのコトは変わらねェし、確かな想いは……ホンモノさね。コレまでに築いてきたいろんなモンは、な。」

 小さく呟くように、だがしっかりと、アイヴォリーは“誰か”に向かって宣言した。

「大丈夫、心配しなくても終わったりはしない。新しく続きが始まるだけなのだから。たとえそれが幻であったとしても。」

 アイヴォリーの宣言に答えるようにしてどこからともなく流れてきた声に、アイヴォリーは不敵な笑みで答えた。

~二十三日目──夢、幻──始まりへ続く終わり~



二十四日目

「ちゃんと炎上機構は組んどいたよー。」

 ルミィに渡された新しいダガーは、その前にジョルジュに削り出してもらったダガー“SilverKlatt”には、切れ味の点では遠く及ばないものだった。それ以前の問題として武器としてのバランスが余りよろしくない。柄がアイヴォリーが普段好む長さよりもかなり長く、しかも重心が刃の方に大分偏っている。しかもアイヴォリーの得物にしては珍しく、それは片刃のダガーだった。

「おゥ、アリガトよ。……しっかし、準備万端ッてワケニャイカねェよなァ。」

 地下二階、アイヴォリーが略して“チカニ”と呼ぶこの階層では、遺跡の初級階層となる地下一階と比べて敵が格段に強くなっていた。敵の戦力を読み違えたアイヴォリーたちがことごとく敗北するほどに、その差は大きかったのだ。
 だが、それでも彼らは当初の予定通りにここに待ち構える石像たちに挑むつもりでいた。彼らが会議を持ってその中で決めたように、数日の間訓練し、地力をつけ、戦術を練れば勝てない相手ではなかったのも確かではある。何よりも、先に彼ら石像に挑んで撃破された者たちからもたらされた敵の戦闘傾向から、対策が立てられるというのは非常に大きなメリットだった。
 しかし、そこに降ってわいた“リセット”の情報。島を駆け巡ったそれは、その発生源こそまちまちだったが、今では曖昧な夢に疑問を呈していたアイヴォリーを含めて全ての探索者たちがそれを事実として受け止めている。ここには宝玉はそもそも存在せず、これから露わにされる本来の遺跡への導入でしかなかったという事実。それを機にこの島を去る者、新しくどこかに所属する者。“腕試し”と称してどさくさに紛れて人狩りを始める者。何にしても急激に、今までの、これまでの変わらない探索の日々という日常が動き始めていた。
 “リセット”が行われれば、アイヴォリーたちがここに着いたときのように、それまでに磨いてきた技術は失われる。知識は残っても身体はそれについていかない。探索者たちが“レベル”と表現する、自らの総合的な“強さ”が失われるのだ。探索も訓練も、全てが一からやり直しという訳だった。つまりそれは別の世界に転送されるときの“召喚酔い”と同じ効果だといって良い。

「ソレでも……乗りかかった船だ、途中で降りるワケニャイカねェんだよ。」

 この島の地上部で見つかったハルゼイのラボは本物だった。この島の“理”を支配するものがかつての“島”──アイヴォリーが“イキスギたエンタメ”と呼ぶ場所──のそれと同じであることは、ここへ彼らをはじめとする全ての探索者を導いたものが榊からの招待状であったということから明らかだった。その支配者が榊であるにしろ、かつての“島”そのものであるにしろ、“ここ”がかつての“島”であることは確かなのだ。それならば、アイヴォリーは“ここ”の、宝玉が眠るその場所で、為さなければならないことがあった。

「ハルゼイ……待ってろよ、必ず見つけてヤるから……。」

 暗い天幕の中で、アイヴォリーは足元に転がっていた石を手に取った。かなり大きなそれは、恐らくは遺跡の壁の破片か何かだったのだろう。その大きな塊を見つめ、彼は新しいダガーに目をやってから左手で構えたそれで、石を削るようにして素早く振るった。
 暗い天幕の中に火花が飛び散り、僅かな間の後でその刃自体が炎をまとって輝き始める。彼が“SparkFlint”、つまり“火打石”と名づけたそれは、アイヴォリーの顔を照らして静かに輝いていた。

   +    +    +   

「おゥ、嬢ちゃん。結構イイ具合だぜ。アリガトな。」

 新しいダガーをぷらぷらと指の間で──抜き身のままで──玩びながら、笑顔でアイヴォリーは言った。このバランスの悪い新しい得物を、以外にもアイヴォリーはいたく気に入ったようだった。
 片刃であるのは、そのもう片側の“刃”が、やすり状になっているからだ。細かいおうとつを施されたそれはまさにやすりとでも呼ぶべき表面仕上げで、光を柔らかに反射して鈍く光っている。軽く何かに擦り付けるだけで火花が散るような、そんな作りになっていた。
 バランスの悪い、やたらに軽く長い柄にもそれなりの理由がある。その柄は空洞になっていて、柄の終端が取り外せるようになっていた。この“蓋”を取り外すことで、柄の中に液体を溜めておくことが出来るようになっているのだ。その液体は刃に刻まれた細かな溝を伝って徐々に、刃のない側の刀身に行き渡るようになっている。そこに獣脂から作られた、極めて発火しやすい油を満たすことでアイヴォリーの目的が果たされるのだった。

「しかしまァ……コイツは派手だねェ?」

「かっこいいでしょ?」

 ルミィの満面の笑みにアイヴォリーは返す言葉もない。暗殺者の時代であれば、このような松明かと見紛うような武器を使うことは絶対にしなかっただろう。こんなに目立つものを武器に用いる者は、いなかったとは言わないまでも少数派であったのは明らかだった。
 だが、今の彼は暗殺者ではない。使えるものは全て使うということが身上の、一人の盗賊だった。
 手の中で玩んでいたダガーを、隣にあった木に適当に擦り付ける。盛大な木の破片と共に、いとも簡単に、まるで伝説に語られる魔剣のようにしてダガーは燃えあがった。

「セッカクイイモンもらったんでな、オレも少し遊んでみたぜ?」

 ルミィに悪戯めかした笑みを向け、アイヴォリーは手首に仕込んでいる鋼線を一本引き出した。するり、と引き出されたそれは、いつもの黒く焼きが入れられたそれではなく、どこか悪意のある光沢を持っていた。そのワイヤーをいつものようにして近くの木に投げつけ絡ませる。手首の側の端も枝に絡ませて固定してから、普段のダガーで切り離すとアイヴォリーはルミィを振り返った。

「イクぜ?」

 静かに、だが安定した炎を携えた新しい得物を──それが纏った炎を──鋼線へと近づける。その瞬間に、張られていた鋼線に沿って炎の筋が走った。

「わ~、アイにーちゃん、きれいだね?」

 目をきらきらさせて喜ぶルミィ。得意げに口の端を歪めるアイヴォリー。

「要は今までのワイヤーに油をカラませたモンなんだケドな。結構イケそうだろ?」

 確かに、“リセット”によって時間が区切られてしまったことで、十分な時間は取れていない。だが、それでもこの島で、最後に挑戦するには十分すぎる相手を前にして、アイヴォリーは“秘密兵器”の出来にいたく上機嫌だった。

   +    +    +   

「んあ~、キュービーにフェリシアにハルクの次はオーガとドワーフとエルフかよ。相変わらずよりどりみどりに知っちゃかめっちゃかな島だねェ、ココは。」

 自分たちも大概ろくでもない組み合わせであることは棚に上げて、頭を抱えてうめいたアイヴォリーに、メイリーが首を傾げて尋ねる。

「昨日も言ってたその、きゅーびーってなあに?」

「蜂だが若ェ世代は知らねェか。まァ気にすんな。」

「??」

 割と投げやりな答えを返しつつ、アイヴォリーが体重を預けていた木から身体を起こす。今日の練習試合の対戦相手がやってきたらしい。

「ふむ……まァガッツリ体格系が二人、後はメイリーと同じ魔石の作製師が一人か……。」

 昨日の戦いのように、完全に攻撃が散らばることはないにしても、それでも相手の前衛は二人。それもどちらもペットとは比べ物にならないほどに硬い。メイリーの魔法は良く効くだろうが、不幸なことに向こうのチームは昨日遺跡外からここへとやってきたばかりらしい。アイヴォリーたちと違って疲弊の色が一切見えなかった。

「まァ……新しいエモノを試させてもらうニャちょうどイイかねェ……。後は……シルバークラットのテストもしとかねェとな……。」

 昨日練習試合の中でその効果の程を見るつもりだったアイヴォリーの新しい技は、アイヴォリーが戦うことに集中し過ぎてしまったためにテストされることが無かった。そのテストもしておかなければ、明日の最終決戦に間に合わない。流石に性能の分からない技に勝敗を預けられるほどには、アイヴォリーも楽観的ではなかった。

「よッと……よし、ソロソロヤるぜ。イイか、二人とも?」

 アイヴォリーが、物見やぐらに使っていた木から、一跳びで地面まで降りてきた。木の根元で瞑目していた遊次郎が目を開けて、傍らに立てかけてあった槌を取り立ち上がる。メイリーが飛翔してくるりと空を一周すると、定位置であるアイヴォリーの左上で滞空した。

「ブッちめたら、次までの休みのアイダにたらふくレモンクッキー食わせてヤるよ。」

 メイリーに向かって器用なウインクを一つ。なぜかは知らないがレモンを崇拝する彼らは大量にレモンを持ち歩いていることで有名だった。

「アンタら、オレたちが今日の相手だ。まァ不足はあるかも知れねェが気楽にヒトツ頼むぜ?」

 相手に声をかけて手を振ってやる。こちらに気付いて武器を構えるのを十二分に待ってから、アイヴォリーは低い姿勢で駆け出した。
 ケープの隠しポケットに手を突っ込み、中から燃えやすい調合油と行動を束縛する毒を混合したガラス瓶を取り出す。右手から油を絡めた鋼線を引き出し、いつでも投げられるように準備を整えた。走り込みながら都合の良さそうな遺跡の壁の残骸を見つけると、アイヴォリーは抜き放った新しい武器を手の中で切り返して駆け抜ける速度のまま、やすり状になった側の刃をそれに触れ合わせた。擦れた刃が燃え上がりアイヴォリーを追いかける。
 場所が変わっても、仲間たちが変わっても。それでも自らが出来ることに変わりはない。体格に勝る相手には、搦め手を用いなければアイヴォリーに勝ち目はないのだ。

「さァツイてきな、アンタがツイて来れるならなッ!」

 この島で最後の“挑戦”に向けての、最後の調整が始まった。

~二十四日目──消える前の輝き~



二十五日目-試験最終日

「ツイに来たねェ……。」

 アイヴォリーは目を細めると、目の前に現れた黄色と青の二人に目をやる。予想では赤い同じような存在が現れると思っていたのだが、少し予想から外れたようだ。その赤がいないのでは、防具に偶然にも付与された紅護法は残念ながら役に立たないだろう。蒼護法であれば良かったのにと心の中で悔やんだが、それを今さらどうこうする時間は、当然のようにしてない。

「準備はイイか、二人とも?
 ヤるぜ、最後のパーティだ。──アーユーレディ?」

 いつか島で見せたのと同じ仕草で、人差し指でおどけながら。だが、アイヴォリーの目は真剣だった。
 ここには宝玉はなかった。自らを鍛え、連携を磨いてきた今日までの時間は一度終わる。それが、宝玉を手にするということで報われないのであれば、その意味は自分たちで刻み付ける必要がある。
 別れる者。共に歩み続ける者。今日までの全てが、試されようとしている。長いようで短かった二十五日間の全てを込めて、アイヴォリーはいつものように駆けだした。遊次郎と二人、互いを互いの影に隠すようにしながら。

   +    +    +   

 僕は目を細めると、“彼女”の考えを理解して口の端を歪めた。余りにも愚か過ぎる。そして、余りにも下らない。それは個人的過ぎて、一言で言えば“人間的”だった。そう、人の身から解放されて肉体すら持たぬ彼女には似つかわしくないほどに。
 だが、僕がそれを指摘するのもまた滑稽な話だ。僕はそう気付いてさらに笑みを深くした。そうして彼女にそれを指摘する代わりに、彼女の言葉を遮った。

「そういう心積もりならば止むを得ないね。彼のドワーフには今度会った時に謝るしかなさそうだ。」

彼女は、自らが消えることに恐怖を感じないのだろうか。たとえ、それがひとときのことではあるとしても。

「消えたまえ。小さき彼女の傍から、永久に。」

 僕は心の片隅にふと浮かんだ疑問を振り払うようにして魔筆を綴る。そこまでの覚悟があるのならば、精々自分が消失するというその感覚をじっくりと堪能してもらうしかあるまい。僕は自分でも驚くほどに酷薄な笑みを貼り付けて、“彼女”が還るべきところへと送還されるように呪文を綴った。一瞬で消し去ることも出来るのだが、僕は敢えて時間のかかる浄化の呪文を選んだ。

「そうして、その残留思念は彼女の転送と共に守護の役割から解き放たれた。」

 まったくもって愚かな話だ。そうやって自ら選んだ守護天使の役割を放棄するとは。“運命”を、自ら捨て去るとは。

──たとえそれが、今必須のものだとしても。

 彼女は小一時間ほどもかけてその意識を徐々に削り取られ、少しずつ還るべきところに帰るだろう。それは帰属する過程で個を失い全体に包括されていく。少しずつ“忘れていく”という恐怖がどれほどのものか。それを認識出来ていなかったのならば、彼女は狂気に満たされて、蠢く混沌の核に同一化しもう戻ることも叶わない。僕は口の端に浮かべていた笑みを消し去り、彼女の思念から接続を切り離して立ち上がった。

そのときに、ふと。

大丈夫、あの子は私の守護を必要としないほどに、もう強い。私はそれだけで──

流れ込んできた思念に、一瞬だけ、硬直した。意思とは無関係に、身体が。

 僕はその思念を振り払うようにして息を小さく吐くと、もう一度笑みを浮かべて部屋の隅を見上げた。

「精々“彼女”によろしくね。
 ……もし君が、“そこ”に辿り着けたときには。」

 今度の笑みは、先ほどのそれよりも、心なし柔らかいような、そんな気がした。

   +    +    +   

「さて、次か……。」

 僕は小さく吐息をつくとお気に入りの回転椅子に腰を下ろした。いつの時代、ドコの世界に対するときでもそうだが、この時期は非常に忙しくなる。多少なりとも出入りがあるからだ。それを全て管理する訳にも行かないのだが、結局のところ、運命を調律して“なるべきようになる”ように管理するのは僕でなければ出来ない仕事なのだった。“彼”の仲間に新しく加えられるであろう六人の運命を僅かに書き換え、僕の実験体のそれと僅かに交錯するように仕向けておく。これはどちらかと言えば楽な作業だった。元々“彼”の知り合いであった魔族の少女がその中にいたからだ。

「次は……あの聞かん坊の処理をしておかなければね……。」

 僕は小さく呟いて回線を開く。彼の意識に接続するのは難しいことではない。すぐ傍にいる剣精がこちらの存在を知っているからだ。僕は魔筆で簡単な文を綴り彼女を呼び出した。

「ふん、突然ボスの部屋にご招待とは良い待遇ね?」

 彼女は、いつもの金髪の少女の姿で具現した。こちらに攻撃を仕掛けてきたことがあるくらいだ、彼女は今までここへと召喚された他の者たちのように驚くことはしなかった。

「ようこそ、僕の書斎へ。湖の淑女に並び立つ伝説のお嬢さん。」

 僕はおどけた笑みを浮かべると、立ち上がって慇懃に礼をした。彼女からすれば敵であるこの僕に、抵抗も許さずにここへと呼び出されたことが気に食わないのだろう、それでなくても勝気な彼女の表情は既に怒りへと変わりつつあった。

「さっさと戻しなさい。今の私は高次元体、あの子とは違ってあなたの魔筆でも書き換えることなんて出来ないんだから。意味もないでしょう?」

 聖ゲオルギウスの剣、アスカロン。魔剣──彼女は聖剣だとでも主張するだろうが──の中ではさほど名の通った武器ではない。だが竜を殺しその所持者に徳を与える。いかなる悪徳にも侵されず、傷つけられることがないという徳を。今の彼女はあの少年の姿を纏った“彼女”を守護する役割のため、確かに僕の影響が及ばないところにいた。

「そう……君の考えを書き換えることは出来ない……だけど、これくらいのことは出来る。」

「っ?!」

 僕は指を鳴らすと彼女を“拘束”した。ここは僕の“世界”の中。僕がそう望みでもしない限りここへと召喚されるのは意識だけだ。それを投影したアイコンでしかないものを束縛するくらいのことは難しくはない。それでも、後ろ手に手首を束ねられた彼女はすごい形相で僕を睨みつけていた。

「離しなさいっ、こんなことして、無事に済むと思ってるの?」

 本当に五月蝿いお姫様だ。

「此処ではね。君が戻ってからどうなるかは試してみなければ分からないけれど。それよりも、まず君よりも先に話をしたい相手がいるんだ。その間は静かにしていてもらおうか。
 ……それとも、君が“大好き”らしい触手にでも遊んでいてもらう方が良いかな?」

 彼女自身を改変することは出来ない。だが、ここでどのようなイメージを与えるのもそれは僕の自由だ。彼女は意識でしかなく、残像のようなものなのだから。

「……要するに攻撃できないから嫌がらせしておこうっていうことね?
 小さい男ね。」

 まぁ否定のしようもないところだが、一定の効果はあったらしい。彼女は喚くのを止めて鼻を鳴らし僕を嘲笑した。取りあえず静かにはなったので、僕は彼女を意図的に無視して本当に話したかった相手に声をかけ始める。

「さぁ、彼女を通して聞いているだろう、記録保持者。君に伝えておくことがある。
 君は今すぐ本来の役割に戻りたまえ。つまり、集め、記録する者へと。君はまだ、書き換えることの意味を理解していない。好き勝手に書き換えて良いものではないのだよ。運命とは、“なるべくようにしてなる”よう調律され続けなければならない。」
 そう、今は君の力に矛盾は起きてはいないね。だが……それはどうしてだと思う?」

「あなた……誰と話しているの……もしかして……。」

 隣で立ち尽くす彼女がまた喚きだしそうになったので、僕は彼女を一瞥し顎で部屋の隅を指し示す。そこには虹色の球体の集積物がぼんやりと具現し始めていた。再び静かになった彼女から目を逸らし、僕は言葉を続ける。

「君が好き勝手に書き換えた物語は、誰かが──それを理解できる誰かが、その矛盾を封鎖しなければならない。……分かるね?
 それは非常に手間のかかることだ。君は僕と同じように無限ではない。だから、警告する。
 今すぐ本来の役割に戻りたまえ。でなければ……君は僕を敵に回すことになる。覚えておきたまえ。その使い方を理解するまでは、改変するというのはとても危険なことなのだと。」

 僕はそこで言葉を切ると、彼女に向き直った。“拘束”を解いてやり、今度は彼女に向かって問いかける。

「さて、君はどう思う。彼は……僕の警告を聞いてくれるかな?」

「ふん、そんな訳ないでしょう。それで止めるくらいなら、最初からしていないわ。」

 挑戦的な瞳のままで、僕を睨みつけて彼女は言った。僕は肩を竦めると小さく笑う。何かを投げ捨てるように。

「だろうね。
 ……そこで提案だ。僕に、協力したまえ。僕へ攻撃するのではなく。僕が必要としたときに、その運命を切り裂く力を振るうだけで良い。僕は彼の書き換えたものを調律し、避けようのない致命傷から守ってあげよう。分かるね、自らの敵を見定めるのは大切なことだ。」

「話はそれで終わり?」

 僕の真似をしてか、彼女は肩を竦めると僕に挑戦的な視線のままで言い放った。

「私のジョルジュはあなたに助けられなくても上手くやるわ。話が終わりなら、帰してもらえるかしら。」

 僕はその挑戦的な笑みを受け止めて、いつもの冷徹な笑みのままで鼻を鳴らす。“伝えるべきこと”は伝えた。後は彼女がどうするか、時間を待つだけだ。

「良かろう、あるべき所へと帰りたまえ……また会うだろうけれど、次はもう少しおしとやかにお願いしたいね。」

 僕は魔筆で言葉を綴り、彼女は魔力の奔流に包まれて薄らいでいく。
 伝えるべきことは伝えた。後はしばし、待つだけだ。

~二十五日目─始まりの終わり~

  1. 2007/05/17(木) 09:16:25|
  2. 偽島
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“操り人形”

潜入のために天幕に属してから語られていなかったマキャフィは、その間に天幕の一員としてDK2に送り込まれています。時間軸としてはちょうどSDにリセットがかかる直前まで。つまりDK2終了時まで、彼は団員として有能な人間を見繕うという裏の任務を与えられ、世界に送り込まれました。

そして帰還。ちょうどアイヴォリーが塔の崩壊の直前、“島”からの招待状を受け取ったときのこと。

アイヴォリーの偽島への導入編。


「さて……これで得物は十分だね。」

 僕は友人から渡された棍を軽く振るうと肩に担ぐ。そのバランスは絶妙で、今までに僕がギルドから支給されたどんな業物よりも僕の手に馴染んでいた。これならば思った以上に“やれる”はずだ。

「出来ればね……“仲間”のために振るいたかったよ。僕だって。」

 何に言い訳をしたいのかも分からずにそう呟いて、道を異にした、ひと時を過ごした仲間たちが去った自分の背中を振り返った。だが、その言葉は、それ自体ですらあの短くて長い日々に対する裏切りのような気がして、僕は小さく苦笑する。

「どの道僕は中間管理職さ。しがないね。」

 “操り人形”。かつて僕を嘲笑して周りの奴らは僕のことをそう呼んだ。だが、そんなことは僕にとってはどうでもいいことだったのだ。僕には“先見の明”があり、自分を護ることが出来た。全ての敵を陥れ、屠り、上へと向かうことが出来た。
 だが、それも今となっては何の意味もない。僕は今やギルドに敵対する身となり、その身の保障を天幕の力で得ている。あの男の縁者であることを理解された上で、僕は獅子身中の虫として天幕にいる。
 それすら人形の踊りだというのなら、どこまでも踊らされてやろうじゃないか。僕にある“先見の明”と暗殺の技術は、それがたとえ誰から与えられたものであるにしても、僕本人のものに間違いないのだから。

「そろそろ……行きましょうか。“鉄面皮”最高にして、最後の舞台へ。」

 振るった棍はあくまでも僕の手に馴染んで空を裂いた。

   +   +   +   


「“漆黒”、任務より戻りました。」

 大柄な男の前で頭を垂れ、膝を付き平伏する。僕の直属の上司に当たる男。ただ“泥”と呼ばれている。どこかの世界の傭兵だったこの男は、その世界でそれ以上自分が為すべきことがなくなったと感じて天幕の門を叩いた“正統派”だ。そしてまた、僕が天幕に“正面切って”乗り込んできたときに僕を拾い上げた人物でもある。面白いことを唯一の信条とし、天幕の目的と自分の目的が見事に合致してしまったが故に、ここを最終目的地としてしまったタイプの人間だ。それはそうだろう。ここにいれば際限なく強い者が敵として現れ、それを超える度に自らも認められていくのだから。
 何にしても、この巨大な体躯の持ち主は直接的に敵に回せば、天幕の中でもかなり凶悪な部類に入る。

「で、どうだった、久々の外は。仲間ゴッコは楽しかったか?」

 鼻を鳴らし、僕の方を見ようともしない“泥”。あくまでも今回の僕の任務は、同じ天幕から派遣された鶯の監視だ。彼が真っ当に任務を果たし、そこから逸脱しないかどうかを見ているだけのものでしかない。腕前はともかく、性格や嗜好に問題がある彼の、天幕としてのテストなのだ、そう“泥”は僕に言っていた。

そして、同時に僕がどう出るかのテストでもあった。

「監視対象の行動は資料にまとめデータベースに上梓してあります。まぁ、問題はなかったと言えるでしょう。」

「お前も、な。」

 隠し事が出来ないタイプの彼は、そういうと溜め息をついた。仲間であればいい友人にもなれたかも知れない人物だが、そもそも僕は“獅子身中の虫”。それに、僕は元より友人など必要とはしていない。

「で、これを見ろ。」

 “泥”はそういうと、数枚の写真を投げてよこした。塔を中心とした街。僕もデータベースで見かけたことのある数人の天幕の構成員。そして、それとともに塔を探索する小さな妖精と、白い盗賊。

「お前が出張っている間に、向こうからアクセスがあった。学園と呼ばれる場所、そしてその塔の街。そこへは、協力者として参加している。
 どう見る、お前なら。」

 僕は細心の注意を払って言葉を選んだ。もう、僕の舞台は始まっている。

「彼ならば、心の底から天幕に戻ることはないでしょう。安全のために協約を結ぶのも一時的なもの。近い内に、再び離反します。」

 その僕の言葉に、“泥”は鼻を鳴らした。僕が予想通りの答えを返してきたことが、彼としては気に入らなかったらしい。

「R,E.D.なき今、“金色”と奴との決め事は機能していない。いずれ“金色”もこの男に対しての聖域を解除してしまうだろう。そうなれば……お前はどうする。ここに残る意味もない。さりとて、行く当てもない。ここを出ればまたギルドの連中との追いかけっこが始まるだけだ。」

「ですが、使える間は使い、安心しきったところで全ての希望を断つ。“見せしめ”として、これから“唯一の男”を出さぬために。違いますか。」

 そう、“涼風”はいつかまた、再び離反する。それは天幕も理解しているのだ。後は、その処刑のタイミングをいつにするかの問題でしかない。最も効果的に、再び離反者が出るようなことを決して許さぬために。そのときが来れば、“涼風”は何も出来はしない。天幕は自らの面子を回復するために、全ての力でもって彼を抹殺する。
 それまでに、僕は出来る全てのことをしておかなければならない。そのために不要なものは、全て排除しなければならない。

「まぁ良い。お前の“先見の明”は、実際に天幕にとって有意義なものであることが今回のテストで証明された。お前のその能力が活用される限り、お前は天幕から排除されることはないだろう。精々考えておけ、ややこしい事態に陥る前に、な。」

 それは“泥”の、僕への善意だったのかも知れない。上手く立ち回れば、“象牙”とお前を切り離してやることも出来る、と彼は言ったのだ。

 だが、そんな気遣いは僕には不要だ。

 僕は懐に忍ばせた連結棍を抜きながら、背中を向けようとする“泥”へと踊りかかった。蛇のようにしなる棍が一撃必殺の威力を持って彼の頭へと伸びる。どれほどまでに鍛え上げられた彼の頭でも、その一撃を受けて立っていることが出来るはずもない。
 そして、僕の必殺の一撃は彼の太い腕に弾かれた。

「もう少し……我慢強い男かと思っていたんだがな……“漆黒”よ。」

 右腕をだらりと垂れさせたままで、“泥”は僕に向き直った。その間に僕は連結棍を引き、一本の長い棍に組み合わせながら間合いを詰める。顎を狙って突き込んだ次の一撃は左手でいとも簡単に払い除けられた。

「今の僕が存在する理由など、戦場の犬のお前には判るまいっ!」

 払い除けられた反動を利用して足を横薙ぎに払う。半歩下がった“泥”は僕の出方を見るようにして反撃してこない。

「“先見の明”は、お前たちのためにあるんじゃないっ!」

 間合いを詰め、下がることで後ろに傾いた重心を崩すべく僕は“泥”に肩を当てた。それを、子供を親が受け止めるようにして受ける“泥”。

「そんなこと、お前が決められるとでも思っていたのか?」

 同時に、僕の首が鈍い音を立てるのを、僕は自分の耳ではっきりと聞いた。

   +   +   +   


「“先見の明”、どこまでが本当に有用なものやら……。」

「有効に機能するならば、“泥”に彼程度の能力で斬り込んだりしなかったはずなのですがね。」

「とは言え、R,E.D.の運命編纂による能力付与、研究の価値はあるでしょう。こうしてデータを取る分には悪くない。」

 全ての音は、信号として与えられているようだ。恐らくは、カメラをつなげられれば視界も与えられるのだろう。
 僕は、こうして不要なものを全て捨てた。彼にこれから必要なものは、彼が死んだという事実。天幕により処分された、という事実。本当に“涼風”が動くときに、その準備をするためにどうしても必要になるのは時間なのだ。
 僕がここで少しの間眠れば、すぐにあの電子妖精が現れるだろう。“涼風”の、有り余る魂なき肉体を拠り所にしてスケープゴートを作り出すために。そのときに、完全に“涼風”を模せるのは、僕を置いて他にはいない。
 僕はこうして不要なものを全て捨てた。後は時期が来るのを待つだけだ。
 “先見の明”を舐めてもらっては困るのだ。


あくまでもアイヴォリーにかつての恩を返して自らが死ぬために、と書かれてますが実際はどうでしょうなぁ。DK2で出会った天幕団員以外の仲間を守りたかったのかも知れませんが。
ちなみにこれでアイヴォリーはSD世界で摩り替わりをすることにはなりますが、その後リセットがかかってしまったためにマキャフィはアイヴォリー=ウィンドとして死ぬことは出来ませんでしたw
多分アイヴォリーの顔のままどこかで生きているか、世界の崩壊に巻き込まれて人知れず憤死かのどっちかでしょう。誰かがその場その場で運命をひねくり回しているために被害にあった一番可哀想な人です。ま、その内な。
  1. 2007/05/16(水) 16:01:48|
  2. 過去前振り:DAA以前
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SDイントロ

学園の後、アイヴォリーはメイリーとともに彼らの生まれた世界の、大きな街に戻ることになります。そこから再び呼び出しがかかったのは、学園ではなく別の世界でした。

それ用Intro。Seven Devilsに現れた二人は天幕の一員として塔を上ることになります。ちょうど塔が崩壊し、同時にあの招待状が届くまで。

 アイヴォリーはあれから緩やかな時の流れの中にいた。天使の顔をした悪魔も姿を見せず、学園は閉鎖され再び呼び出される様子もない。いつか二人で過ごしたはずの見知らぬ街で、いつか過ごしていたような、和やかな時。許されるはずのなかった安寧が今の彼には与えられていた。

「アイ~、今日の晩ご飯どうするの~?」

 キッチンから、甘い香りとともに流れてきた声に、アイヴォリーはしばし思案する。内ポケットを探って取り出した銀貨は、生活するには困らないにしても彼が思っていたほどに多い訳でもなかった。
 実際のところ、街で生活をしていくためには金が必要だ。シーブズギルドから指南役としてたまに与えられる講師の役も、それなりには足しになるものの十分ではない。学園からこの世界の通貨に換算できるものを大して持ち出せなかったのも、生活の枷になっていた。一番価値がありそうなのはアイヴォリー本人の装備一式なのだが、こともあろうか彼は、それを売り払うどころか法外な金額を払って修理したのだった。
 それでも、当面の生活に困るほど困窮している訳ではない。好きな菓子を焼かせてやり、日々の糧を得る程度には。

「そうさねェ、じゃ今日はオヤジんトコにクリ出すか。」

 彼が“オヤジ”と呼ぶ酒場の主人。実のところアイヴォリーが籍を置いているシーブズギルドの関係者なのだが、その店がそれなりの酒と旨い肴を出すということで、表の仕事の方でもそれなりに繁盛している。アイヴォリーはギルドとの連絡はもちろんのこと、ちょっとしたつまらない依頼──人探しや形式だけの護衛といったような──を主人から回してもらうといったようなことまで彼にしてもらっていた。無論、そういった口利きの対価として、ギルドに回すまでもないような開錠や鑑定といったような作業があるのだが。とりあえず今のところはお互いに持ちつ持たれつで上手くやっていた。

「う~ん、それもいいけど……。」

 メイリーがキッチンからふわり、とアイヴォリーの傍らへと飛んできた。“島”の時にそうだったように、今の彼女は本来のフェアリーのサイズになっている。魔力を身体の組成に使っているフェアリーにとって、学園のように無理なく人間の大きさでいられるということは稀らしい。それでも、その“島”の時と同じくに食べる量は人間と変わらないのだから、食費という面に関しては何の援助にもなっていない。だが、人間の大きさで彼女が背中に背負うその羽翅はあまりに人の目を引く。そういった意味では十分に彼女の大きさは、アイヴォリーの役に立っていた。何せ、これだけ穏やかな時間が流れていても、あくまでもアイヴォリーは逃亡者なのだ。あの運命の調律者を気取る男の言葉を信用するならば、少なくとも天幕からの追っ手はないにしても、アサシネイトギルドに関しては全く解決していない。それに、そもそもあの緋色の魔術師の言葉はどこまで信用できるのか怪しいものだった。
 アイヴォリーが装備を手元に、万全の状態に整備して置いているのもそれが理由だった。いつ何時追っ手が現れても後悔だけはしなくて済むように。そういった意味では、やはりアイヴォリーに本当に平穏な時間というのは訪れることはないのかも知れなかった。

「お金……大丈夫なの?」

 だが、そのために装備一式を整備したその金額を、アイヴォリーは最も知られてはならない人物に──そもそもこの街ではそんな存在は一人しかいないのだが──知られてしまっていた。たまたま買出しで彼がいないときに、あの腕に関しては信頼できる鍛冶屋は彼の宿にご丁寧にも装備を届けてくれたのだ。請求付きで。その結果、その法外なまでの金額は留守番をしていたメイリーの知るところとなり、責められこそしないものの未だに理解はされていない。ついでに財布の事情も知られてしまった、という訳だ。当然メイリーからすれば、エルフの姿隠しの外套はともかくとして、革の手甲と脚甲にどうして騎士が式典で着る全身鎧ほどの金額がかかるのか理解できないのは当然のことだったのだが。

「まァな。ソロソロウデもナマッてきそうだしな。ちッとばかしアソビに行こうかと思ってよ?」

「ふふ……。」

 アイヴォリーの言葉を聞いた妖精が容姿にしては大人びた忍び笑いを漏らす。いつも彼女がアイヴォリーをからかう時にそうするように、メイリーは人差し指を立てると彼の目の前で振って見せた。

「そろそろだと思ってたっ♪」

「ヤレヤレ、仕方ねェな……。」

 いつも口癖を呟いて、アイヴォリーが渋い顔でケープを取り上げた。

   +   +   +   


「悪いな、今お前に回してやれる仕事はない。」

 まさに即断即答とはこのことだ。酒場の主人はアイヴォリーが最後まで言い終わらない内にそう答えた。予想外の答えだったらしく、さすがのアイヴォリーも普段見せないような間抜けな顔で凍り付いている。仕事の内容をある程度──犯罪すれすれのものは除外するとしても──選ばなければ、それなりに仕事はあるものだ。第一、それでなければ冒険者などという職種が食っていけるはずもない。

「オイオイ、ソリャねェダロ。オレとアンタの仲じゃねェか?」

「んー、実はな、ちょっと前に団体様が来てあらかた仕事は持っていっちまったんだ。明らかに腕が足りてねぇ奴も混ざってたんだけどな……。俺は止めたんだが、一気に腕を上げるためだとか何とか言ってよ。どうしても、っつーんなら俺も紹介しねぇ道理もなかったんでな。」

 主人曰く、ある程度の頭数を揃えたパーティが複数、この一週間の間に訪れたらしい。彼らが受けれるだけの仕事を根こそぎ持っていってしまったというのだ。腕が足りていない、というのは主人から見て、仕事の表面上の難易度から推察されるものでしかないから、主人の方も紹介している以上無意味に断る訳にも行かない。無論、そこには最終的には依頼が達成できるだろう程度の主人の調整は入っているのだろうが。

「ふむ……マイッタねェ。」

 アイヴォリーとしては、今日ここである程度の報酬がある依頼を受け、ついでに同じ方角にある遺跡を簡単に覗いて帰ってくるつもりだった。そのための景気付けに派手にやりに来た、というのももちろん含まれてはいるのだが。
 完全な遺跡の探索だけでは空振りに終わる可能性も高い。自分たちの腕に見合わない場所であることも考えられる。かといってただ依頼を遂行するだけではこの平和な地域ではスリルも見込めない。そんなつもりでアイヴォリーはここへやってきたのだが……。

「まァ仕方ねェな。とりあえずメシにすっか。」

 メイリーを促して適当なテーブルにつく。少し遠出をして他の街の依頼を当たらねばならないようだ。どちらにしても景気付けは必要らしい。

「オレはトリのジゴクソテーな。イツものヤツ。」

 アイヴォリーの注文を聞いてメイリーがあからさまに顔をしかめた。よほど彼の注文が気に入らないらしい。

「アイ~、またあの辛いの?
 あれ辛くて食べれないよ……ほっんとに辛いもの好きなんだから。
 あ、おじさん、ボクは“神の酒”ね。今日は桃にしようかなっ♪」

「メイリーこそ、あんな甘ェモンよく飲めるよな……。」

 “神の酒”とは、この地域に伝統的に伝わる極々軽い酒のことだ。だが、その異様なまでの濃度と甘さは他のどの酒にも負けないといわれている代物で、普通の酒とは違った意味で飲む者を選ぶ。要するにどっちもどっちといったところらしい。

「あ~。」

 アイヴォリーが何を考えていたのか、突然間の抜けた声を上げた。早くから席を陣取っていた数人の目を気にすることもなく、無意味なほど大きな声でアイヴォリーは主人に呼びかけた。

「やっぱイイ。ココで食うのはヤメだ。天気もイイしな。適当にホカのモンも見繕ってバスケットに入れてくれや。」

 主人があからさまに迷惑そうな顔をするのも構わずに、アイヴォリーはさっさとケープを羽織って代金をテーブルに置いた。メイリーがようやく来たグラスに口をつけようとしてあたふたとそれを机に戻す。

「ちょっとアイ、いったいどうしたのよ?」

 宝物を目の前から奪われた子供の表情で、口を尖らせて彼女は相方に抗議した。いつも行動が唐突で説明がほとんどないアイヴォリーの行動に、これで済むのも彼女が慣れているからなのだろうが。

「セッカクだしよ。外で食おうぜ。ちょっとのアイダ、この街ニャ帰ってこれねェみてェだしなァ。」

 他の街まで遠征するとなれば、確かにある程度の期間この街に帰ってくることはできなくなる。そこで仕事を請けるのならばなおさらだ。何を思っているのか、アイヴォリーはろくに説明もせずにメイリーを急かし、嫌そうに主人が差し出したバスケットを受け取った。

「もう~、どこ行くっていうのよ~?」

「ハイハイ、ハナシは後だ。おっと、そういうワケで一月くらいアケるんでよ、頼んだぜオヤジ。」

 まるでフェアリーを攫う奴隷商人さながらにメイリーを捕まえると、主人にそう言い残してアイヴォリーはあっという間に出て行った。

   +   +   +   


 アイヴォリーは街の門を抜けると、そのまま街が築かれている山を登っていく。山の中腹に築かれたこの都市は、居住区こそ山の中腹にまとめられているもののその小さな山全体にかつてのドワーフ郷が存在し、それを利用することで全ての方角の敵に対して迅速に兵力を向けられるようになっていた。だがアイヴォリーは、そういったドワーフ郷跡の入り口を目指すでもなく、かつて初めてここに人が移り住んだときに築いた、山の頂上の遺跡へと入り込んでいった。かつては様々な者たちが想いを抱いて集ったであろうこの街の出発点は、今では全く人気もなく、ただ崩れかけた石造りの家々がひっそりと佇んでいる。

「わぁ~……。」

 迷宮じみた遺跡の角をいくつか曲がったところで、メイリーが溜め息とも歓声ともつかない声を上げた。そこには、沈んでいく夕日に照らされて古々しい巨木が、ひっそりと立っていた。その老木は、衰えてもその大きな枝全てに白い花をつけていた。夕日に染まり、その淡い桃色の花は赤く燃えている。それでもなお、その赤に立ち向かうようにして花の白さは際立ち咲いていた。

「昔ココに来たヤツらの一人が、小さな苗木を持っていた。旅で弱り、ほとんど枯れかけていた。ココに辿りついた連中と同じように。
 ソレでも、ソイツはココに苗を植えた。自分たちの運命を託すかのようにして。
 もうホトンドのヤツはそんなコトがあったナンて覚えていない。ソレどころか知らないヤツがホトンドだ。
 ……ソレでも、この木はこうやって毎年花を咲かせている。小さな集落がやがて大きくなり、村が街になってこうやって、人々が眼下に移り住んだ後も。そうやって見守っている。」

「さく……ら、だよね?」

 メイリーの呟きに、アイヴォリーは街を見下ろしたままで頷いた。

「昔バナシさね。
 イツか見たいッて言ってたろ?」

 それだけを言うと、アイヴォリーは手近な石の土台に腰を下ろしてバスケットの中身を取り出し始めた。“神の酒”と、自分が飲むエールを樽から詰め直した瓶。アイヴォリーが頼んだ鳥のソテーやメイリー用に別に味付けされた鳥、パンや米を炊いたものらしい飯盒など、思ったよりも中身は豪勢だった。

「へへ、オヤジも気が利くじゃねェか。」

「わぁ~、これって同じ花かな?」

 メイリーが開いた飯盒には、桜の花とともに炊いたらしい、ほんのりと桃色に染まった米がまだ微かに湯気を上げている。どうやら訪れる前から大まかなアイヴォリーの行動は彼に読まれていたらしい。アイヴォリーは微かに苦笑するとグラスを取り出し“神の酒”を注いでやった。

「すぐに散っちまうからな。多分今日見とかねェと今年は見れねェぜ。今日は風流に花見だ。」

「うん、ありがとアイ。」

 めいっぱいの微笑みを浮かべた彼女と、二人してアイヴォリーは頭上に咲く桜の木を見上げた。夕日は沈み、東の空からは夜の藍が迫ってきている。だが、同じ東の空には大きな満月がかかり、日が沈んでもカンテラに火を入れるような無粋なことはせずに済みそうだった。

「ホイ、お疲れさん。」

 何に対してなのかは分からないがアイヴォリーがそう言ってグラスを合わせる。乾いた音がして、映った星が揺れた。

   +   +   +   


「う~ん、綺麗だね~、アイ。」

「あァ。」

 とうに日は暮れ粗方皿も片付いて、アイヴォリーは斜面に寝転がって空を仰いでいた。いつかそうしていたようにして、胸甲の上にはちょこんとフェアリーが座っている。月と星に優しく照らされ、夕日の中で見たそれとはまた違った趣きを巨木は見せていた。

「さッてと。ダレかさんが寝ちまわねェウチに撤収しねェとな?」

「それ誰のことよ。……も少しだけ良い?」

 メイリーのその問いに、喉の奥で発したからかうような忍び笑いだけが答えた。はらり、はらりと、冷たい光の中で白い花びらが一枚ずつ散っていく。幻のような風景に二人は同時に小さな吐息を漏らした。

「ずっとこうしてられたらいいのにな。」

「マタ来年は来年の新しいハナが咲くさね。」

 そのアイヴォリーの言葉に応えるようにして、唐突に一陣の風が吹いた。巻き起こったその風に、アイヴォリーはメイリーを摘み上げると、口の端を歪めながら舌打ちし立ち上がる。

「来ヤガッたな……。」

「お楽しみのとこ悪いけどね。来ちゃった。」

 舞い散る白い花びらの中。黒と白の翼を背負い、あまりに似合い過ぎる少年がそこには立っていた。その整った中性的な顔立ちには柔らかな微笑みが浮かんでいる。だがそれが偽りの仮面であることを、アイヴォリーは嫌というほど思い知らされていた。小さな嵐を巻き起こし、ひっそりと咲く花を散らした天使は、まだ宙を舞う花びらの中で口を開く。

「時間だよ、“象牙”。」

 その言葉を聞いて、メイリーがはっと身を竦ませる。いつか夢で聞いた言葉。自分の一番大切なものが奪い去られたそのときに、天使の顔をしたこの少年が発したその言葉。

「テメェのスキ勝手させるかよッ!」

「ダメっ、アイっ!!」

 アイヴォリーも、彼女の記憶に感応したかのようにして奇しくも同じ台詞を吐いた。だからメイリーは思わず彼を遮った。低い姿勢から地を蹴って間合いを詰めようとするアイヴォリーの前に出て、まるで彼を守るかのようにしてメイリーは両手を拡げる。

「オイッ!?」

 メイリーを吹き飛ばしてシェルに詰め寄る訳にもいかず、アイヴォリーが咄嗟に手を突いて自分の勢いを殺した。そのまま片手を軸に宙返りして着地すると再びいつでも走り出せるように低い姿勢へと戻る。そこにくすくすと忍び笑いが聞こえてきた。

「まぁ聞いてよ。今度はキミだけじゃない。キミをフォーマットする気もないよ。
 ……ただ、約束は守ってもらわなきゃね?」

 そう言って、その柔和な面持ちの少年は似合わぬ皮肉な笑いを口の端に浮かべた。アイヴォリーがいつもそうしているように、だがそれよりもずっと冷徹に、かつて様々な略号で呼ばれた深紅の手品師が浮かべた笑いで。

「……学園か……イヤ、違ェな。まァオヤジのトコに手が回ってた時点で来るのは予想してたケドな。」

 そう言って舌打ちしたアイヴォリーは彼の特異な戦闘態勢を解いた。だがその鋭い視線は少年から外されることはない。

「で、今度はドコに行けッつーんだ。言っとくが、オレだけ戻される気はサラサラねェぞ。」

「キミたち二人で、ここへ行って欲しいんだ。天幕が優秀なシーフを探している。当面の目的はこの中央にある塔の制覇だよ。その間の報酬は出す。手に入れたものも分配されたものは自由に使って良いよ。」

 シェルとアイヴォリー、二人の間に煌く魔力で構成された見取り図が現れた。大きな街と、その中央にそびえる塔。それ以外、街の外は大まかな地図しかない。

「ウカウカ行ったらイキナリブスリ、じゃねェだろうなァ?」

「キミたちの安全はまだ“金色”に保障されてるよ。もっとも、運命調律者の保護はないけれどね。」

 そう言うと天使は物憂げな顔で小さく溜め息をついた。だが、口を開こうとしたアイヴォリーを制するように首を振ってシェルは言葉を継いだ。

「キミたちの準備が良ければ転送するね。僕もここにいるのは疲れるから。」

 有無を言わさぬ彼の調子に、アイヴォリーはメイリーへと視線をやった。決定権は彼女にある、とでも言うようにして。その無言の問いを察して彼女がいつものように微笑む。

「ボクは大丈夫だよ。どんなところでも、どんなことがあっても。今までも、これからも。
 ……それに、約束は守らなくっちゃね?」

 宿を出るときと同じように小さく笑いを漏らした彼女の顔を見て、苦笑しながらアイヴォリーはわざとらしく溜め息をついた。大げさに、いつのようにして肩を竦め。

「ヤレヤレ……仕方ねェな。オレは“裏切り者”だぜ?
 約束ナンざ守らなくてもイイんだよ。」

「あら、今は違うでしょう?
 ほら、じゃあ早く行こう。どうせ冒険に出かけるつもりだったんだしね?」

 もう一度溜め息をついたアイヴォリーの周囲を包むようにして虹色の魔力が渦巻き始める。メイリーが慌てて彼女の“指定席”に腰掛けた。

「ずっと……一緒だよ?」

「あァ。」

 その短いやり取りを最後に、再び二人はこの世界から姿を消した。
  1. 2007/05/16(水) 15:51:32|
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SSA本編:後半

30日分なので半分に分けますた。


十六日目

 今日からは楽になると、オレは確実に思い込んでいた。何しろ出現する敵のランクが丸々ひとつ落ちる地域に入るのだ。それゆえに、オレは昨日までを何とか踏ん張れば今日から訓練に時間を費やすことが出来ると思っていたのだ。

「で……コレは一体ナンだ?」

「ボクに聞かないでよ~。」

 眉根を寄せてメイリーがオレに反論する。まぁ確かにメイリーが今日の相手を決めている訳ではない──当然のことだが。そんな訳で、メイリーの不服そうな顔は至極妥当なものだといえた。

「……くまが二つ見えるのは気のせいか?」

「知らないってば~。」

 何かの間違いだというオレの朝霧よりも儚い期待は、メイリーの不機嫌そうな声によってあっさりと潰えた。オレは溜め息を大きく吐いてもう一度、何かの苦行の最中であるかのように、強大な精神力を振り絞って手元の紙に目を落とす。その小さな紙きれ──今日の相手を告げる指示書なのだが──には、はっきりと今日の相手が書かれていた。

くま

くま

新体操部員

…………。

……………………。

シッカリ見ろオレッ!コレが現実だッ!!

 危うく逃避して目を逸らしそうになる自分を叱咤して、さらに──ある種恨みがましく──オレは指示書を睨みつける。だが、当然のことながら一行減るのはもちろんのこと、名前が変わるようなこともなかった。

「マイッタねェ……。」

 今日からは楽が出来ると高をくくっていた。というか、一昨日と昨日の戦闘でオレもメイリーも限界だ。オレに至っては毎日ブッ倒れながらも何とか戦っているのだ。正直昨日の戦闘などは勝ったのが不思議なくらいだった。メイリーもオレも、訓練や部活動の時間をほとんど潰してひたすら身体を休め、傷を癒すことに専念してこれだ。僅かずつ能力の訓練は行っているものの、現状ではそれによって急に戦闘が楽になるようなことは有り得ない。つまり、今日も昨日と同じように──イヤ、敵が多い分昨日よりもさらに──厳しい戦闘が待ち受けているということだった。

「……今日も勝ちに行くの……?」

 明らかに勝てないと分かっていれば、その次の日からの勝ちに貢献するように少しでも訓練する、という案はある。メイリーはそうしないのかと確認しているのだ。至極妥当な、そして建設的な意見だが──。

「ッたりめェだ。」

 オレの手よりも素早い口は、即座にそんな無謀な答えを彼女に返していた。自分で聞いても普段よりも粋がっているような口調になっている。が、オレの意志とはある種関係なく、オレの口は即座にそう答えていた。
 もっとも、勝ちに行くこと自体は悪いことではない。昨日まで必要以上に踏ん張っていたのも、連勝を途切れさせずにその分成長促進の恩恵を受けるためだ。それが今日負けてしまうのでは、昨日の踏ん張りが意味のないものになる。そういう意味では、今日も勝たなければならないのは明白だ。
 だが、それは昨日までのエッジな日々が、今日一日分増える──下手をすれば明日も明後日もだが──ということを意味している。それは、エンドレスに続くダンスを間違えるまで踊れ、と言われているようなものだ。足がよろけ、次のステップがさらに難しくなるのが分かっていて、それでもどうにか次の一歩を踏み出す。そのダンスを止めるのは、自分の「もう良い」という諦めか、もしくは完全に身体がついて来なくなったミスステップ以外には無い。オレとメイリーは、既に二人とも足がほとんどついて来ていないことを知っていながら、まだ踊るという選択肢を選んでいるのだ。

「…………。」

 オレが無言であるので、メイリーが小首を傾げてオレの言葉を待っている。ここは敢えて、苦痛に耐えながら、言わなければなるまい。

「今日も休憩ッ!」

   +   +   +   

「ヤレヤレ……。」

 オレは小さく呟くと、木に背を預けたままで溜め息を吐いた。サボっていると言うなかれ、この後の戦闘に向けて充分に身体を休めなければならない。メイリーもここ数日は部活動は全く行く暇がない。オレに至っては普段以上に講義を放置している。ある種ヤバい気もするが、まずは勝たなければならないのだからこの際止むを得ないだろう。

「思い出すなぁ……。」

 もそり、と横でオレと同じようにして木に背中を預けていたメイリーが動いてそう言った。オレは足を投げ出したまま、元アサシンには有り得ないような無防備な体勢で、億劫にメイリーの方へ顔を向ける。

「こうやって……エージェントさんと戦う前に森で休んで。ドライアドのお話しして……」

 メイリーも半分寝かかっているらしい。言葉が既に途切れ途切れになっている。いつもは話してくれない“かつてのアイヴォリー=ウィンド”との思い出を話してくれるのも、意識のレベルが下がっているからなのかも知れなかった。

「アイの……鎧の上に、乗っかって……」

 絶妙な、その間延びした間がオレにも眠気を誘う。冬の乾いた空から降ってくる優しい光が身体を仄かに暖める。戦闘が終われば即移動で時間の余裕がないために、もう天幕は片付けられている。が、こんな昼寝も悪くない。オレもほとんど眠りに落ちていきそうになっていた。
 そのとき、木枯らしが吹いた。

「うゥ……寒ィな。」

 オレは閉じかかっていた目蓋を開くと、一閃した頬を切り裂くような風に舌打ちした。流石にこれだけ寒くなると、日差しはともかく風が厳しい。オレはケープでそれほど風を受けないが、いつも薄着のメイリーには応えたようだ。隣に座っている彼女の身震いが微かに伝わってきた。

「オイオイ、カゼ引くんじゃねェぞ……ホレ。」

 冷たい風に頬を撫でられて覚醒したオレは、ケープの合わせ目を開くと、横に座っているメイリーごと包むようにしてケープを羽織り直した。普段何重かに巻きつけているこのエルフのケープは、広げると結構な大きさになる。色々な巻き方が出来るのは彼らの知恵の結晶だ。オレはエルフたちからそれを教わっていた。多少薄くなったが彼女が風邪を引くよりはよっぽど良い。

「ヤレヤレ、こんなに冷えてたのかよ……。コレじゃ休憩にならねェじゃねェか。」

「うん……あったか……いね……。」

 合わせ目を開き、その上に冷えたメイリーが内側に入ってきたことでケープの中の温度が下がる。オレは冷えた彼女の腕を擦ってやった。ケープの中でメイリーがオレに体重を預けうとうとし始める。よっぽど寒かったのだろう。腕は冷え切って氷のように冷たい。

「う、ウィンド先生、そこで何をなさってるんですか……?」

 ケープの中でもぞもぞしていると──単にメイリーの腕を擦ってやっていただけだが──後ろから聞き覚えのある声が飛んできた。何か危険なものを見てしまったかのように、微妙にフェリシアの嬢ちゃんの声は押し殺されているような気がしないでもない。

「んー、ご休憩。」

「……お邪魔しました。」

 ……事実を言っただけだが、微妙に語弊のある言い方だったかも知れない。だが、オレの頬をくすぐる寝息からするに、今さら彼女を追いかけることは出来そうになかった。

「まァ……イイか……。」

 半ば投げやりに呟いて、晴れた冬の空を見上げる。風さえなければ気持ち良い。再び睡魔が襲ってくるのを感じながら、オレは意識のどこかで、黒いスーツに身を包んだ宝玉を管理する者を見たような気がした。

   +   +   +   

 まァ、ゴタクを並べちまったケド、サバドとヤリあう前に手数を減らすようなコトは避けたいっつーコトに集約されるワケだ。そんなワケで、今日のオレの昼メシ後の行動は既に決めてあった。

「メイッ!」

 オレが考え込んだママナニも言わなくなったんで、サラームと遊んでいたメイを呼ぶ。エサでもやってたのか、あのトカゲも割とゴキゲンらしい。

「どうしたの、アイ。」

「寝るぞッ!」

 予想通り、メイの反応は分かりやすいモノだった。

「ええっ?」

「昼寝だ、昼寝ッ!」

 飛んでいたメイの不意をついて彼女を捕まえ、寝転がった自分の胸当ての上にムリヤリ寝転がらせる。遺跡が大きな範囲で崩れて青天井になっているこの辺りは、昼スギの光が差し込んできてて至極イイ按配だった。

「もう~、ご飯集めなくていいの?
 ボクだって、魔法の修行とかしなきゃいけないし……。」

 このサイコーのひと時に対してブツクサ文句を言うメイ。ふてェヤツだ。オレは既に寝たフリで一切の苦情を却下するコトにした。

「すぴー、ぐー。もう食えねェ~。」

「…………」

 微妙な沈黙。

「ぷっ……アイってば、そんな分かりやすい寝かたする人はいないよ?」

「うむ、そうか。」

 どうもバレバレらしい。ヤレヤレ、ナンでもお見通しだとさ。
 日の光が優しい。暖かく降りそそぐソレは、数日前までのヨワヨワしい光から、次第に春の柔らかくもシッカリとしたモノに変わってきていた。

「も~……アイったら、サボってばっか……りじゃ、強く……。」

 オレが陽光を堪能してる間に、オレの胸元からはカスかな寝息が聞こえ始めていた。はは、メイも遺跡の進軍続きでダイブ疲れてたらしいな。

春だねェ。

 目を閉じて、優しい光が目蓋の裏を焼くのを意識しながら、オレも眠りに落ちていた。


十七日目

 オレは傷の痛みに呻きながらどうにか身体を起こした。まだ完全に傷が癒えるには遠いようだ。当たり前だろう、あれだけの傷を負ったのだ。そもそもアサシンというヤツは、傷を癒すなんてことは期待されていない。身体が動くだけの最低限を維持していればそれ以上は必要ない。ただ動くことが出来れば、それで相手を殺すことが出来る。その後がどうなろうが、そんなことは上のヤツらの知ったことじゃない。アサシンは道具であり、使えなくなったそれは捨てれば済むのだから。

「ヤレヤレ……仕方ねェな。今日はどうにかしねェと……。」

 昨日の敗北を引きずっている訳には行かない。昨日の、予想外の敵の強さと数ならばともかく、同じ数をそろえた状態で負ける訳には行かないのだ。ひたすら相手を倒すことだけに専念していれば良かったあの頃とは違う。負けても、その負けを引きずらずにすぐに復帰できるかどうかがシーフの腕の良し悪しでもあるのだ。与えられたどんな状況でも最善を尽くして生き残るということが。

「とりあえずは……装備を頼まなきゃねェ……。」

 昨日の戦闘で完全に破壊されたブレストプレートは、ある程度補修を施したものの今日一日持つかどうかも怪しいものだ。あれは新調しなければならないだろう。

   +   +   +   

「クソッタレ……。」

 オレはそういつもの悪態を呟いてどうにか身体を起こした。その拍子に髪の際から血が流れてきて、それをオレは手甲をつけたままの手で拭う。だがすぐにまた流れてきた血が視界を隠す。オレは目を細めながらメイリーを探した。

「……メイリー、大丈夫か?」

「あはは……ゴメンねアイ、負けちゃった……。」

 メイリーもどうにか立っている、といった感じだ。身体を張って彼女への攻撃を減らしたつもりだったが、オレが倒れた後は全ての攻撃がメイリーに行く訳で、結局オレの努力は無駄に終わったようだ。
 片膝を突いて自分の装備を確認する。流石にと言うか、この状態でもダガーを握り締めている自分の癖にオレは微かに苦笑を浮かべた。ケープとその下の装備は爪の攻撃でずたずたになっている。ケープはルシュの嬢ちゃんに直してもらわなければ駄目だ。胸当てに至っては吹き飛ばされて傍らに落ちていた。身体に固定するためのバンドはもちろん、本体もほとんど原型を留めていない。これに関しては作り直さなければならないかも知れない。そんなことを思いながら、落ちている胸当てを取りに立ち上がろうとして、オレはこめかみを押さえた。一気に血が流れたせいか軽く目眩がしたのだ。

「アイっ……!
 大丈夫、すぐ手当てするから……!」

 メイリーがふらつきながらこちらへやってくる。オレの方はというとまだ立ち上がれないようだ。こめかみを押さえたままで、自分の脚を見つめながらそこに付けられた傷をひとつずつ数える。ここでもう一度意識が飛んでしまってはあんまりにもあんまりというものだ。
 自分の周りには血溜りができている。爪の一撃にやむを得ず捨てた左手は皮一枚で繋がっているような状態だ。そのまま脇腹を抉られ、そこからは止め処なく血が失われていくのが感覚で分かる。ダガーをブーツに収めて傷を抑え付けるのが、今のオレにできる精一杯の処置だった。傷が内臓に達しているのか、喉の奥から血の臭いがせりあがって来て、オレは無理やりそれを飲み込もうとした。それでも抑え切れずに唇の端を温かい血が一筋流れ落ちた。
 やってきたメイリーが簡単な治療魔術を詠唱し、僅かに傷の痛みが和らぐ。だが、流れ出てゆく血の量が減ったようには見えない。明らかに簡単な治療魔法で癒せる範囲を越えた傷だった。

「アイ……嫌だよ、嫌だよ……!」

 涙を浮かべながらメイリーがもう一度治癒魔術を行使する。失われていく体温に、手を翳されたその部分だけ微かに暖かさが感じられた。オレは膝を突いて俯いたままで、必死に傷の痛みに耐えていた。

「へへッ……ザマァねェな……。」

「喋っちゃダメっ!」

 血だらけの腕を伸ばし、どうにかしてメイリーの髪を掻き混ぜる。必死で上げた視線の先に、必死で泣きじゃくりたい衝動を堪えながら治癒魔術を行使しているメイリーがいた。

「へへ……心配すんな、オレはマダクタバレねェよ……。
 メイリーが、生きてる限りは、な……?」

 少し乱れた、それでもいつもと変わらぬ柔らかで細い、繊細な髪の感触にアイヴォリーは安堵した。大切なものは、まだここにある。それが傍にある限り、自分は朽ち果てることはない。

   +   +   +   

 オレは傷の痛みに顔をしかめる。流石にアサシン式のやり方では限界があったようだ。毎日ひたすら身体が動くところまでどうにかコンディションを回復して、そのままその日の戦闘に臨んでいたのだ。だがそんな状態で身体がまともに回復する訳も無く、毎日敵に出来る限りの攻撃を入れてぶっ倒れるということを繰り返していたのだ。その内に昨日のように無理が生じて限界に突き当たることも自分のどこかでは分かっていたのだろうが、勝ち続けることに意識を持っていかれていたせいで騙し騙し毎日の戦闘を遣り繰りしていたのだ。
 今日は敵の種類こそ昨日と同じだが、相手の主力であるくまが一体だけだ。新体操部員の属性攻撃は危険だが、メイリーと二人で攻撃を集中すれば体力に劣るヤツは早々に落とせるだろう。そうすれば後はくまを二人でどうにかすれば良い。

「アイ~、傷の具合はどう?」

 ウワサをすれば何とやら、天幕の垂れ布を捲ってメイリーが顔を出した。流石に彼女も昨日の戦闘による憔悴の色が隠しきれないようだ。戦闘直後ほどでは無いものの顔色は優れない。

「ん、マダ良くねェな。正直イテェ。」

 ここに来てすぐの頃に、神父がオレのことを妖精騎士と呼んだ。妖精騎士というのは伝説上の存在だ。一人のフェアリーに忠誠を誓い、妖精たちの長である女王から超人的な加護を得、そのフェアリーを護る役割を与えられた者。妖精の加護により驚異的な回復力を与えられ、無限の再生能力を持ち、たとえ首を飛ばされたとしても再び立ち上がることが出来たという、伝説上の存在。彼は約束したフェアリーが死ぬまで、老いることも、滅びることもなかったという。
 “初めての一人”は、最後まで一人の妖精に付き従ったという。妖精郷を護るための戦いに忠誠を誓ったフェアリーとともに参加し、獅子奮迅の働きをした。妖精郷を護り抜き、護ることを約束した彼女と、そこで彼女が最期を迎えるまで暮らし、彼女の命の灯が消えたそのときに灰になった。二人の魂は手を取り合って妖精たちの生まれた自然の中へ還っていった、として伝説はハッピーエンドで終わっている。
 だが、この手の伝説にしては珍しいことに、妖精騎士の伝承はこれだけで終わっていない。その“初めての一人”以外にも、それから何人かの人間が、同じように妖精と共にあることを誓い、同じように不老不死の加護を与えられたという話が残っているのだ。彼らはある者は最後までフェアリーとともにあり、ある者は別れそこで灰となった。またある者は、戦いの最中で約束を果たし切れずに二人で事切れた。
 オレが本当にそんな大それた伝説に残るような存在だったならば、こんな傷など気にもならないのだろうが。だが、現実には未だにオレは傷の痛みに呻いていた。フェアリーという稀有な存在が傍にいて、それと肩を並べて戦っているのは伝説の中の英雄と同じだったが、オレの今の現状はそれとは程遠いものだった。

「ん~、でも昨日よりはマシになったかねェ。」

 オレはメイリーが差し出してくれた新しい包帯を受け取り、着ていたチュニックを脱いだ。腹はマミーばりに包帯でぐるぐる巻きにされている。治療魔法というのは確かに便利だが万能ではない。傷を受けたそのときには効果を発揮するが、一定以上時間の経った傷には効果を及ぼしてくれないのだ。恐らくこの脇腹の傷も痕として残ることだろう。

「腕の方は……大丈夫?」

「ん……まァ動くだけでもオンノジかねェ。」

 オレは戦闘の中で躱し切れない攻撃を受けたときに、盾として革製の篭手を使う。この特注のグローブは指先から手首、そして肘までを守るもので、外側は何度もなめされた、鎧として機能する頑強なものだ。手首の部分は手を反らせると腕のパーツが手の甲のパーツの下に滑り込むようになっている。これを使って、どうしようもない攻撃を身体の外側へと逃がすのだ。
 だが当然、身体の一部を使って攻撃を受けるということは危険を伴う。昨日のように腕が使えなくなることもある。下手をすれば腕ごと持っていかれないとも限らない。昨日の傷にしてもメイリーの治療魔法がなければ、今こうして両腕が動く状態で残っていたかどうか怪しいものだ。

「もう。あんまり無茶しちゃ駄目よ?」

「あァ……まァな。」

 オレはメイリーの声に曖昧な答えを返す。確かに無茶と言われても仕方がない。腕の一本を捨てて相手を倒すのは、明らかにその先を考えていないアサシンのやり方なのだから。

「でも今日も頑張らなくちゃね♪」

 敵の数が少ないとは言え、昨日と同じメンツであることには変わりない。今日も余裕という訳にはいかないだろう。とは言え昨日と同じように腕を捨てたりすればこの口うるさい相方に何を言われるか分かったものではない。

「まァ……連敗はデキねェさな?」

 オレがそう言ってメイリーに目をやると、彼女は弾けるような満面の笑みで笑い返してきた。神秘という言葉から程遠く、あまりに人間ぽい彼女が背負う薄い羽翅が、天幕の隙間から差し込む朝の光に白く煌いた。

「よしッ、今日もキアイ入れて行きますかッ!!」

 オレは気合を入れて立ち上がると二人で天幕を潜る。今日も“イキスギたエンタメ”の始まりだ。

   +   +   +   

ドコからか、オレの中のドコかから、声が聞こえる。

護れ。ソレがオマエの役割だ。

その声に従うのは、それほど気分の悪いことじゃない。


十八日目-Merry Christmas and Happy New Year!-

「さて……じゃ準備にかかりますかねェ……?」

 オレはいつもの準備室で軽く指を折って鳴らすと、いつものように一人で呟いて部屋を見回した。適当に手分けして集めてきた鍋が五つ。天幕のメンツが十六人に、後はまぁ集まっても四、五人というところだ、これくらいでとりあえずは足りるだろう。

「まァみんなに任せリャどうにかなるかね……。」

 自称鍋奉行に腕の良いヤツがいるのかどうかは怪しいが、まぁこういう団体モノはやるヤツがやらなければ何も進まない。後は料理人の兄ちゃんにもひとつ任せられるな。問題は残り二つの鍋を誰に任せるかなのだが……。
 メイリー。生クリーム鍋とか甘味どころの鍋は遠慮したい。
 CatRYU。普段猫用の食事しかしてるのを見たことがない。猫は人間の食い物も普通に食うが鍋は食ってるトコ見たことねェな。
 ルシュ。野菜は鍋の基本だがタンポポとかは遠慮したい。
 キーロ。未知数だがドワーフ郷の鍋なら……まぁ良いか。
 キミドリ。……モツ鍋一択のような気もするがオレの予想に反論するヤツはまさかいるまい。
 アキラはどう見ても料理が出来そうには見えない。やまぶきは……まぁ田舎クセェつーか素朴なヤツなら行けそうか。
 ケーニッヒとフェリシアの二人は軍関係だからダッチオーブン辺りを使わせれば何か出来そうか。ピコはお子サマだし火からは遠ざけておいた方が良さそうだ。
 ルーは料理以前の問題として、RIGAちゃんも脳髄鍋とかになりそうで却下。幻月はこれまた未知数か。

「ん……手が足りてるのか足りてねェのか……。」

 危険物を作るには手が余りそうだが旨いモノを作るには足りなさそうな気がして、オレはイヤな予感に小さく溜め息を吐いた。まぁやってくる学生諸君には、当たり外れは諦めてもらおうか。オレは前にもらったビールの残りを外に運び出しながら、料理の出来そうな連中を組み合わせてどうにか五つの鍋のメニューを考え始めた。

・100%学園栽培、(付加の)残り野菜の水炊き田舎風味:ゲンさん&やまぶき
・軍隊式ブラックポット、煮込みハンバーグに魔法の小瓶:フェリシア&ケーニッヒ
・今や高価な兎(モツ)鍋、辛さアサシン級:キミドリ&アイヴォリー
・名料理人が捌く実演、死屍累々くま鍋:マーガス
・観光冊子にも載らないヒミツ、ドワーフ郷直伝煮込み─式神の火力:キーロ&幻月

 ……どれも危険な臭いがするのはオレだけだろうか。

   +   +   +   

「おいおい嬢ちゃん、水炊きなんだから味噌はいらねぇぞ。」

「神父様……タバスコ入れ過ぎじゃないでしょうか?」

「そんなに香辛料を入れては身体に良くないと思うのですが。主に胃の辺りに。」

「ってくま今から狩ってくるんか……?」

「…………。」

 始める前から大騒ぎだ。まぁ宴会だしこういうものでもあるとは思うのだが。

「あァ、メイリー!
 来たヤツに席順選ばせといてくれ!」

 オレは講義室にそろそろ姿を見せ始めた連中を指差し、メイリーにクジを渡す。当然座る場所に関して選択権はない。ある種闇鍋くさい。

「ソロソロどの鍋も準備デキたかよ?」

 オレは料理担当全員の顔を見回すと進行具合を確認する。まぁ後は具材を入れれば行けそうか。

「よしッ、じゃあソロソロ始めるか!
 そこの座席表と自分のナンバー照らし合わせて座りやがれ!」

 オレは準備室の扉を開放すると講義用の教室で待たされていた連中を招き入れた。天幕で料理に関わっていなかった面々に、後は維緒の嬢ちゃん、人狩りのお子サマといった講義で顔を見かけたことのある面々、その知り合いが数人ずつ。

「神官のお子サマ、外に置いたビール持ってきてくれ。イイ具合に冷えてるだろ。
 じゃみんな適当に食ってくれ。以上、以降は無礼講ッ!」

 この後さらに大騒ぎになったのは言うまでもない。

   +   +   +   

「うゥ、寒ィと思ったら今日は雪かよ……。」

 メイリーはそれでもいつもの薄着を崩そうとしない。この前制服着ていたのを見た以外には常に薄着なのだから、ある意味良い根性だ。

「コドモは風の子ッてな……。」

「何か言った?」

 地獄耳の彼女がオレの呟きを耳聡く聞きつけた。オレは適当に首を振っていつものように誤魔化しておくことにする。

「しっかし珍しいねェ……雪か。」

「うん、思い出すなぁ。遺跡の中ですっごい雪降ってきたときのこととか。」

 その言葉を聞いて、オレは唐突にメイリーの可愛らしい要求を思い出した。何がどうソレを連想させたのかは分からない。だが、恐らくは窓の外で薄っすらと積もっていた雪を見て、オレはソレを思い出したのだった。材料は適当に購買から揃えられるだろうか。まぁ買い出しに行ってみるのも悪くは無い。

「よし、今日はケーキでも作るかねェ。」

「ほんとほんと?
 やったぁ♪」

 オレは適当にケープを羽織ると、いつもの癖でダガーをブーツに佩いた。休み中は必要は無いはずなのだが、身体に染み付いた昔からの習慣というのはイヤなものだ。オレは自分に微かに苦笑すると、それでもダガーの位置を僅かに直してしっかり固定する。

「んじゃ行くかねェ。」

「アイってばまたそうやって……お行儀悪いんだから。」

 いつものように準備室に繋がっている講義用の教室の窓から身を乗り出したオレを見てメイリーが眉をひそめた。まともに扉から出て行くと当たり前のことながら廊下を通らなければならない。そしてこれまた当たり前のことながら、校舎の出口は限られたところにしかないのでちょっとした遠回りになるのだ。そこでオレは学生よろしくいつもこの窓から出入りしていた。ここから中庭に出れば購買までは一直線だ。

「どうせダレも見ちゃいねェよ。ホレ?」

 窓枠を飛び越えて振り返りメイリーに手を差し出す。何やら非難を口にしながらも、オレが越えてしまったので彼女はオレの手を取ると窓枠に腰掛けて乗り越える。ふわり、と、オレの手を取ったまま少しだけ浮かび上がると、メイリーは軽やかにオレの横に降り立った。

「しっかしマジで寒ィねェ……。」

 肩を竦めるようにして身を震わせる。薄っすらと積もった雪が陽の光を反射して白い。握ったままの彼女の手が小さく震えているのに気付いたオレはケープを外してメイリーに掛けてやった。

「アイは寒くないの?」

「裾引きずるんじゃねェぞ。」

 答えになっていない答えを返すと、オレはさっさと歩き出した。少し遅れてからオレの後を付いてきた彼女から、小さな笑い声と言葉が飛んできた。

「……ありがと♪」

 久々の連休で校舎には人影もない。どうせ休みの日は戦うことも禁止されている。単位も装備も得られないのにわざわざ戦うようなヤツはほとんどいないのだ。休みの日は休んでおくに限る。白い世界をオレたちはゆっくりと二人だけで歩いた。

「……イチゴ……あるとイイケドな?」

 振り返ってそう彼女に問いかけると、満面の笑みが返ってきた。

   +   +   +   

 流石にイチゴはなかったが、まぁこればっかりは仕方がない。代用品としてイチゴソフト──スポンジにカットしたイチゴと生クリームを挟んだアレだ──は買ったのだが。

「アイ~、デコレーションやっていい?」

「あァ、まァ始めるか。」

 イチゴがなかった割にはメイリーもご機嫌だ。まぁ食べるのもともかくとして、こういうプロセスが楽しいらしい。オレは彼女に急かされてどうにか手に入ったホールのスポンジを箱から取り出す。メイリーは鼻歌を歌いながら、オレが任せたクリームの泡立てをやっている。

「ッてソレだけ舐めるな。ッつーか鼻のアタマにツイてるぞ?」

 ふと目を上げると、ボールに突っ込んだ指をメイリーが舐めていた。しかもどうやったのか、ご丁寧に鼻にクリームまで付けている。

「えへへへへ♪」

 彼女が目じりを下げて、思いっきり幸せそうな顔で微笑んだ。オレは苦笑しながらスポンジを机の上に敷いたシートの上に置く。
 僅かな休みの時間は、思ったよりもゆっくりと過ぎていく。

   +   +   +   

「ん~、ソロソロイイかねェ。」

 オレは火の消えた焚き火をかき混ぜると小さく息を吐いた。闇に沈んでしまった校舎は黒々としていささか気味が悪い。中庭で枯葉を集めて勝手に火を起こしたオレは校舎を見上げると小さく溜め息を吐いた。
 火をかき混ぜるのに使っていた太目の枝を使って、オレは熾き火の形を整えていく。どこかで見た不恰好な地上の星にオレは苦笑を浮かべた。

「懐かしい……ね。」

「ん?」

 唐突なメイリーの言葉に、オレは彼女を振り返った。膝を抱え込んで地面に腰を下ろした彼女はぼんやりと熾き火を見つめながら小さく吐息を吐いてオレを遠い目で見透かす。だが、思い出からすぐに引き戻された彼女は急に微笑みを浮かべて見せた。

「やっぱり……アイはアイだから……。こうしてるだけで、何かを一緒にするたびに……そう思えるから……ん。」

 小さく、自分に納得させるように呟いた彼女は最後に頷くと、健気な笑みを見せた。オレは大きく息を吐くと目を細めてメイリーに口の端で笑みを浮かべた。どうやら“オレ”は、前にも同じものを彼女に作ってやったことがあったらしい。

同じモノ送るッつーのはイケてねェなァ。

 オレは自分に抜け落ちている──もしくはそもそも知らない──その記憶とそのときのオレに心の中で肩を竦めた。まったくどうしようもない話だ。

「ソレでも……オレはオレだからよ。デキるようにヤッてくしかねェさ。」

 それはオレを肯定する言葉であり、同時に彼女の希望を打ち砕く言葉だった。それでも、オレは嘘を吐くことは出来なかった。

「うん、分かってる。大丈夫だよ。ボクは大丈夫だから……。これからだって、沢山のものを作っていけるから……アイがいれば、大丈夫だよ。」

 彼女の微笑みは、メイリーをオレが苦しめていることを如実に物語っている。そして、オレは彼女に、多分救われている。

「ソレでも……デキるコトをヤッてくしか……ねェんだよな……。」

 また戦いの日々に戻る。少なくとも、そこはオレの領分だ。彼女をせめて肉体的に傷つけないために、オレはもう一度覚悟を決めた。


十九日目

 短い休みはあっという間に終わり、オレたちはまた戦いの日々に戻っている。敵の強さは相変わらず厳しいが、待ってくれる訳でもない。オレたちはマリモ戦を明日に控えていた。

「ん……技能はどうにかなったかねェ……後は地リキがモノを言うッてトコですかね……。」

 オレはメイリーを見やって思案した。どうしてもこの手のイベントには、準備の時間が足りなくなる。無論時間などいくらあっても足りないというのは真理ではあるのだが、それでも予定通りに行くとは限らない毎日の戦闘の連続で、オレたちは疲弊していた。

「訓練の時間……足りるかなぁ?」

 メイリーが珍しく気弱な発言をしている。まぁオレも毎日ぶっ倒れることこそ無くなったものの、相変わらずカツカツで毎日を遣り繰りしているのだ。彼女もそれは同じだろう。

「後は今日ルシュの嬢ちゃんが作ってくれる装飾と、付加の具合次第かもな。」

 正直そこが大きなウェイトを占めているといっても過言では無い。魔法に撃たれ弱いオレが、一人で相手全てのホーミングミサイルを捌かなければならないのだ。あの追尾性能に優れたマジックミサイルを、魔法に疎いオレが全段躱すなんてのは不可能な話だ。それで体勢が崩れればタックルだってどれだけ躱していけるか怪しいものだ。そのための魔法防御用の装飾と、それに付与される防御系の付加。それが今回のオレの銀の弾丸だ。

「メイリーも、しっかり回復頼むぜ?」

「うん、大丈夫よ。当たるかどうかだと思うけど……。」

 そう、もうひとつ奥の手がオレたちにはある。メイリーの覚えたボロウライフだ。この魔術の威力はさほどでもなく期待は出来ない。だが、相手に与えたダメージの一部を術者の仲間に癒しの力として還元してくれるのだ。恐らくは前衛に立ったオレの傷を減らす役目を果たしてくれる。それまでにメイリーのマジックボムとそれで生じるダメージ追加、オレの混乱を引き起こすトラップ。それで相手をどれだけ削れるか。その後は根性試しだ。

「へへ、まァどうにかなるさね。コレまでもそうやって来たしな?」

「うん、ちゃんと鍛えてきたんだから負けないのよ♪」

 実際にはどうなるかは分からない。せめてあと一日か二日あればまた違ったのだろうが。それよりも何よりも、それ以前にまだ今日の戦いがあるのだ。

「今日は……昨日のうぃっちと……ネコ学生……??
 ナンだ、ねこっちの知り合いかナンかかァ?」

 オレは猫学生という言葉の響きから、学生服を無理やり着せられた唯のネコを想像した。まぁまさかとは思うがこの学園のことだ、いろんな意味で油断は出来ない。

「ふふっ……それはないと思うよ??」

 向かい側から忍び笑いが聞こえてきた。どうもよっぽど変な顔をしていたらしい。メイリーがオレの想像しているものがどんなものだと思ったのかは分からないが、一切それを確認することもせずに否定された。

「まァ……な。」

イヤイヤ、マリモもあんだけ訳の分からない物体で教師なのだ、充分に有り得ると思うぞ。

「でも……やっぱり懐かしいね、こういうの。」

 メイリーは“島”で、何度かこうやって区切りになる戦いを経験しているらしい。オレはともかく、彼女もそういう経験をしているというのは非常に大きい。見た目では全く争いごととは無縁のように見えるメイリーだが、本当にそういう大きな戦いを経験しているのといないのでは、実際の動きが違う。彼女に対して使うのは適切かどうか分からないが、俗に言う“戦い慣れしている”というヤツだ。

   +   +   +   


   +   +   +   

「さて、貴方の欲しているものは私が所持しております。しかし、それを貴方に預ける前に、まずは一度お手合わせ願えますかな?」

「ゴタクはイイぜ。さっさと始めような?」

 いつものような、片頬だけを歪めるその笑みで、しかしいつもの愛嬌を全く感じさせずにアイヴォリーは笑う。サバドは表情を変えずに、芝居がかった仕草で両手を広げ、アイヴォリーの言葉に答えた。もう一つ影が伸び、サバドを模したような黒い影──マイナークラークと呼ばれるエージェントの部下──が一つ現れる。

ざわり。

 再び木々がざわめいた。その重なる木々、葉と葉の間に、縦横に張り巡らされたワイヤーを、アイヴォリーは見た。そのワイヤーは、アイヴォリーが“クモの巣”で駆使するそれほどには細くはなく、しかしそれゆえに強靭さを秘めている。相手の行動を束縛し、行動速度を低下させるための“蜘蛛の巣”だ。
 アイヴォリーは一度目を閉じると、しっかりと頭の中でそのワイヤーの位置を把握する。それは同時に、ワイヤーが解放された時にどのような軌跡を描くのかを理解する作業でもあった。

「アンタ、サバドッつったな。アンタの持ってるモン、貰い受けるぜ。」

 それに応え、微かに微笑む──口元を歪めてみせるサバド。三度森の木々が呼応した。それは、その糧たる水の宝玉を失いたくないからなのか。

キン。

 澄んだ、金属質の音。
 唐突に、だが確実に戦闘は、その金属音で始まった。

   +   +   +   

「あぁ……もう会ってんだな、解った解った。それなら話は早い、さっさと喧嘩しようじゃないか。」

 そう、役割として宝玉の管理者という役を任されている神崎は、そう言うしかないのだった。そして、それを聞いたアイヴォリーがその鮮血色の瞳を細め、楽しそうに──本当に楽しそうな表情で──笑う。

「へへ、イイねェ。ケンカしようぜ?」

 無造作に立っていたように見えたアイヴォリーが、瞬時に低い姿勢から砂を蹴って走り込む。不意打ちに見えたその一撃は、全てを見透かしていたかのように神崎の腕に阻まれた。
 純粋で素直な──生きるということに対して素直過ぎる──二人が、一瞬だけぶつかり合い、すぐに別たれる。先制攻撃を往なされたアイヴォリーが不敵な笑みを浮かべた。神崎から離れるアイヴォリーを庇うようにして、メイの弓が一杯まで引き絞られ、放たれる。矢を素手で叩き落した神崎が、満面の笑みを浮かべた。

「来いよ。叩き潰してやる……しっかり立ってろよ?」

 今度は神崎が動いた。浴びせられる矢を払い落としながら一気にアイヴォリーに肉薄し、拳と蹴りの乱打を打ち込んだ。その軌道のことごとくに、アイヴォリーが割り込ませたパリィングダガーの刃が邪魔をして神崎は致命的な一撃を打ち込めない。そして、二人が今一度、間合いを取って構える。

「ヤるな、オッサン。」

   +   +   +   

「暑ィのは、テメェが守ってるソレのせいだろうがよ?」

 アイヴォリーが思わず嫌味を言う。だが、アイヴォリーたちの様子も、アイヴォリーの嫌味すら気にした様子もなく、ニィと名乗った宝玉の守護者はあくまで気安く話しかけた。気安さを通り越して軽薄な雰囲気すら感じさせる。それも、かなり軽い部類に入る。
 だが、次の瞬間。ニィがその身に纏う雰囲気が僅かに変わったことを、アイヴォリーははっきりと感じ取った。アイヴォリーとすれば、僅かに、ゆったりと流れていた風の向きが唐突に変わったように感じたのだが。

「……ソロソロ……楽しいお喋りの時間は終わりかァ?」

 僅かに距離を取り、姿勢を低くするいつもの構えにアイヴォリーが入る。アイヴォリーは、ニィと名乗ったその男の気安い笑みが、一瞬だけ凶悪な、火の如き残虐さを内に秘めたそれに変わるのを確かに見た。

「多分解ってるよね!
 勝てば宝玉ゲット!負ければまた今度!てことで、はじまりはじまり♪」

 ニィの言葉とともに、彼の右側で陽炎が揺らめいてスーツを纏った人影──守護者が使役する、マイナークラークと呼ばれる魂を持たぬ人形──が現れる。アイヴォリーはメイに、顔はニィの方へと向けたままで声をかけた。

「来るぞ、メイ!」

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「テメェに用はねェんだよ、退きな。」

 冷たい笑みとともに振るわれたアイヴォリーの右手のダガーが、実体化したマイナークラークの眉間に叩き込まれ、それと同時にその部分から石化して、砕けてゆく。最期の一撃を入れようとして足掻くように振るわれたその腕を掻い潜り、アイヴォリーはダガーを念入りに、一度に神経毒が注ぎ込まれてショックを引き起こすように捩じりながら、引き抜きつつ膝からくず折れるマイナークラークの肩を踏み台に、さらにホリィへと接近した。

「精霊さん、私に纏わりついて!!」

「風よ、集えココにッ!」

 同時に自らの信じる“風”を呼び込み、ホリィは風の刃を、アイヴォリーは導く風の流れをその身に纏う。マイナークラークから跳躍して放たれた必殺の一撃を、ホリィは手に集めた風の壁で横へと逸らせた。アイヴォリーの後ろで石化仕切ったマイナークラークが倒れ、粉々になったその破片を風が吹き散らす。

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   +   +   +   

「ッつッ……。」

 唐突に、会ったこともない黒尽くめのお仕着せを着た四人の顔が浮かんだ。そして、そいつらと戦うために、メイリーと肩を並べているのは間違いなくオレだった。だがその景色は、同時に襲ってきた頭痛に押し隠されるようにして瞬時に霧散してしまう。

「アイ……大丈夫?」

「あ、あァ……イツものだ……大丈夫、すぐに収まる……。」

 オレはメイリーを心配させないように、こめかみを押さえたままでそう言った。最近収まっていたんだが、やはり過去のことになるとダメらしい。大して弊害もないので放っておいたのだが、やはり元凶をどうにかしなければならないらしい。

「まァそうさな……マリモ戦が終わったらフェリシアの嬢ちゃんに診てもらうとするかねェ……。」

「うん、それがいいと思う。本当につらそうだし……。」

 戦闘中に頭痛でぶっ倒れたりしたら何のための護衛なのか分かったものではない。だが、それもこれもとりあえずは今日とマリモ戦とを乗り切ってからだ。

「ドレだけ効果が出ますかね……。」

 続いていくために、終わらないために、今日も勝たなければならない。


二十日目

「さて……。」

 オレは小さく溜め息を吐くと机の上に目をやった。そこにはいつも罠に使っているワイヤーの束が並べてあった。普段と同じ手順、普段と同じやり方。戦いに大切なのは、どれだけの部分を単純作業化できるかだ。
 だが、今日は全てが普段通りという訳ではなかった。机の上に置かれたワイヤーの束の数は普段とは比べるべくもない。今日の相手の数が格段に多いからだ。そしてそれに加えて今日のオレの戦闘は、能動受動を織り交ぜて全てトラップで構成されていた。
 相手を惑わせる“螺旋の刃”。“クモの巣”は能動的にオレから発動しにいくものと相手の行動がトリガーになって不意を突くものの二種類を用意してある。今日の主力はあくまでもメイリーの火力だ。その火力を補佐するために相手の耐久性を落とすガスまで準備してある。これもトリガーはワイヤーなのだ。そんな訳で、机の上にはワイヤーの束で山が出来上がっていた。

「ヤレヤレ……まァコレだけあれば足りますかねェ……。」

 オレは立ち上がると身体を伸ばした。緻密な作業で固まった身体の隅々に新鮮な血液が行き渡り冷えた身体が暖まってくる。気付けば空が明るくなり始めていた。冬の朝日は遅い。そろそろみんなも起き出して来る頃合のはずだ。

   +   +   +   

「アイ~、何だか今日のアイ、手おっきくない?」

 変なところばかり見ていると言うか、流石に気がつくと素直に褒めておくべきか。メイリーはオレの特盛り大サービスのワイヤーが仕込まれた手甲を見てそう言った。戦闘が始まるまでにはそのほとんどは敷設してしまうので問題は無いのだが、流石に違和感があった。

「だァァァッ、触るんじゃねェッ!
 絡まったらコマるんだッ!!」

 腕にまとわりつこうとしたメイリーをとっさに躱し、触れられないように腕を上げる。流石に冗談だったらしくメイリーはくすくす笑いながらオレを下から覗きこんだ。

「準備、もう良いみたいね?」

「当たり前だ。もうイツでもイケるぜ。」

 机の上に、メイリーが持ってきた今日の戦場の地図を広げる。今日の相手であるマリモニアンは校長から棟の一角を丸々一部与えられている。その区画は実験室や準備室、資材置き場などでちょっとしたダンジョン状態らしい。元の校舎の地図がどれだけ役に立つかは怪しいものだが、まさか基本的な部屋の配置までは変わっていないだろう。オレはもちろんのこと、メイリーも生物は履修していなかったらしくオレたちは二人ともその辺りには不慣れだった。

「今日の主役はアクマでもメイリーだからな。オレはタダのカベだ。相手はほっといても勝手に自壊する。オレはデキるだけ相手を引き付けるから、そのアイダにメイリーは少しでも相手をケズるんだ。イイな?」

「うん、頑張るよ。」

 真剣な面持ちで頷くメイリー。オレは自分が設置するトラップの位置を地図に書き込んでいく。能動的なトラップはメイリーの位置を見て発動させれば済むのだが、完全に設置しておく受動的なものに関してはメイリーにも位置を覚えてもらわなければならない。メイリーがそのトラップを踏んでしまっては何の意味もないのだ。まぁこれも勉強の一環といったところか。
 メイリーはオレが書き込んだ地図の、トラップの位置と種類を必死に睨みつけている。あまりに真剣な表情で地図を見ながらぶつぶつ言っているメイリーを見て、オレは少しからかってやることにした。

「まァデキればオレが倒れるまでに相手をカタしてくれよな?」

「うん……えっとここの罠の向きがこうで……ええっ!?
 あーん、もうわかんなくなっちゃったじゃない!」

 何と言うか、予想通りに違うことを言われて覚えていたことがすっ飛んだらしい。オレは苦笑を浮かべてメイリーが振り上げた拳を躱す振りをする。オレはメイリーの頭を軽くぽんぽんと叩くといつもの人を食ったような笑みを浮かべて見せた。

「シッカリ覚えてくれよ?」

「うん……でも大丈夫かな。マリモ先生すごく固いらしいし……。」

 何を心配そうな顔をしているのかと思えば、どうやら今オレが言ったことを真剣に気にしているらしい。オレは肩を竦めて見せる。

「気にすんな。メイリーが最後に立ってればソレでイイ。」

 彼女の行動が、全て主力を撃ち切ってボロウライフに移ればオレの生存率は確かに上がる。だが、メイリーには言ってはいなかったが、実際にはそこまでオレが残っている公算は非常に低い。あくまでも耐久力に劣るメイリーが前線に押し出されてから、少しでも彼女の耐久力の足しになれば良い。オレとしてはそういうつもりだった。

「でも……どうせなら二人で勝てれば良いよね。」

 カツカツの戦いってのは、そんな甘ったれたもんじゃない。もっとエッジの、お互いに相手を削り尽くすのが、本当の踏ん張りどころというヤツだ。そう心の中でオレは思ったが、それでもオレは違うことを口にした。

「あァ。大丈夫、あの程度ホイホイ避けてヤるさね。心配すんな。」

 肉体の傷など直に癒える。たとえ自分が動けなくなるほどの傷を負っても、そんなものは負けて彼女が傷つくのを見るよりもずっと軽いものだ。
 オレは“盾”なのだから。

   +   +   +   

 そうして、オレたちはようやく生物室のある建物に足を踏み入れた。薄暗い一直線の廊下に窓はなく、壁を埋め尽くすようにして置かれたショーケースの中から気味の悪い標本がオレたちを恨めしげな目で眺めていた。大概は見知った動物や何かのものだが、中には全く想像も付かないような奇形や、どこの無能な魔術師が魔法を失敗したのかと思わせるような趣味の悪い合成生物などのものもある。胎児や内臓系の標本は何が違うのか呆れるほどに数があった。

「アイ……何だかここ嫌な感じがするよ……。」

 メイリーがそう言って、もはや唯の小さな白い四角と化した、オレたちが入ってきた扉を振り返る。何だかもナニも、誰がどう見ても出来の悪いお化け屋敷といった感じだ。エリートだか何だか知らないが、この棟の丸々一角を与えられてそこをこんな状態にしているとはいい度胸だ。オレは嫌悪か嫉妬か良く分からないドロドロとしたものを押さえ込んだ。

「まァもう少しのガマンさね……ホラ、ソコだ。」

 オレが指差した少し先の廊下には、そこだけショーケースが途切れている部分があった。そこには薄汚れた扉があり、扉よりもさらに汚れて薄緑色と化したネームプレートがかかっていた。マリモニアンと書かれていたのだろうが汚れすぎていてその字は読めない。緑の液体で書かれたらしいそれは、インクを付けすぎたのかおどろおどろしく文字の端々が滴りで乱れている。その様子は、字が緑色であるにもかかわらず、なぜか血を連想させた。

「風が……吹いてねェな。」

「うん……風の精霊様が感じられないよ……。」

 空気の流れを頼りにするシーフと、風の精霊の加護を受けたフェアリー。その二人でなくても分かるほどに、空気は澱んでいた。メイリーに至っては頭痛がするのか眉根を寄せている。オレもあまり調子が良くなるような空気だとは口が裂けても言えなかった。今日も既に何人かがここへ入り、昨日までにはかなりの人数がここを訪れて激しい戦いを繰り広げたはずなのに、その空気はずっと閉め切られたままの地下墳墓を思わせた。

「さて……行くぜ、メイリー。」

 扉に近づくと、それだけで異臭が強くなった。オレは小さく吐息をついて澱んだ空気を吐き出すと、肩越しにメイリーを振り返る。そしてその小さな扉のノブを掴み……。

べちゃり。

「ッ!!」

 ノブは、粘性の何かで濡れていた。オレはあからさまに舌打ちすると唇を噛み締めてメイリーに呼びかけて自分も駆け出す。

「メイリー、逃げろッ!!」

   +   +   +   

「はぁ、はぁ、こ……ここまで来たら大丈夫……よね?」

 突然オレに急かされたメイリーは、まさに弾かれたようにして逃げ出した。どれくらい走っただろうか、ようやく外へつながる扉の輪郭が分かる辺りまで走ってオレたちはようやく足を止めた。

「あァ……多分……な……。」

 オレはそうメイリーに答えると、外へ出ようとして扉に手をかける。そこで小さくオレは鼻を鳴らした。

 背後から異臭がする。

「ヤァ。」

 ケープの背に、その異臭の発生源があった。オレは驚愕の表情を浮かべてそれを剥ぎ取ろうとした。

 背中にマリモがへばりついている。生物教師のマリモニアン先生だ、こう見えてもエリートらしい。

「あ……アイ……っ、それっ!!」

 メイリーが小さく悲鳴を上げた。

「ダミジャナィ、カンタンニハィゴトラレチャ。ソレジャタンイアゲラレナィヨ?」

 背中から離れると、空中にほわほわと浮んで分裂し始める。

「ダィジョォブカナァ、イクヨ?カッタラタンイヲアゲルカラネ。」

 マリモはどんどん分裂を繰り返し―――……

 そこで、オレは眉をしかめて悪態を吐いた。

「クソッタレ……ヤレヤレ、メイリー、もう“イイ”ぜ。」

 いい加減驚きの表情を浮かべたままなのも疲れる。それよりも、予定外にケープを汚されたことでオレは少しムカついていた。

「あ、そう……?」

 オレにそう声をかけられたメイリーも、若干オーバー気味な驚きの表情を引っ込めた。オレは溜め息を吐くとマリモを振り返る。分裂したマリモたちは、何が起こったのか理解出来ないのか、もしくはそれでも一応戦闘準備なのか、増えすぎてお互いにぶつかり合いながら廊下を埋め尽くしていた。

「あのよォ……いくら非常勤でもシーフの講師がそんなカンタンにバックアタックされチャ、コマるワケよ。オーケィ?」

 オレは姿勢を低くして構えると、両足に佩いたダガーを抜き放った。扉を後ろに蹴り開け、風を呼び込む。差し込んだ明かりに、無数のワイヤーが微かに煌いた。口の端を歪めて片頬で笑みを浮かべ、オレは鼻で笑う。

「気付かなかったか……ソコはもう、オレの領域だ。」

 指を鳴らすと、メイリーの両手に魔力が収束し始める。オレは彼女を庇うように位置を取ると床を蹴ってマリモの群れに突っ込んだ。

「クリーニング代の分、余計にイテェ目に遭ってもらわねェとな……。
 ……ようこそ、風の吹き荒ぶテリトリーへッ!!」


二十一日目

「さてと……じゃちょっと行ってくるぜ。……大人しくしてろよ?」

 オレは重い腰をようやく上げるとコート掛けに引っかけたケープを手に取った。メイリーを振り返りそう念を押す。大丈夫だとは思うが、準備室は言ってみればトラップの山だ。迂闊に触れば対侵入者用の危険なものを発動させてしまわないとも限らない。

「大丈夫よー。もうここの準備室も慣れたしね?」

 メイリーはそう言って小さく笑った。確かにここも三日目だ。オレたちはマリモ戦直前にはぐれたキミドリの嬢ちゃんと、その相方であるキーロの爺さんのためにマリモを倒した後もここに逗留していた。まぁ天幕全体としては時間のロスではあるのだろうが致し方ない。そして、その時間はオレにとってはちょうど都合の良い空き時間を与えてくれていた。
 校舎には保健室を始めとして様々な施設がある。マリモニアンが陣取っていた生物室の区画もそうだ。そういった施設はフェリシアの嬢ちゃんにとっては非常に価値あるもので、オレが診察を受けるにはこれ以上ない環境だと言えた。
 続くフラッシュバック。突然襲う頭痛。知っているはずのない──もしくは知っていなければならない──数々の情報。そういったオレの個人的な様々なことを解決しておくには良いタイミングだったのだ。

「じゃ後は頼むぜ。」

 適当にメイリーに後を託し、肩にケープを引っかけるとオレは扉に手をかける。その背中にメイリーが声をかけた。

「うん、行ってらっしゃい。」

 明るく、オレにいつもの微笑みを浮かべて。だが不意に、その笑みが微かに、だが確かに翳った。まるでちょっと思い出したことを付け加えるようにして、彼女は口に出そうか迷っていた──恐らくは本当に聞きたかった本題を──口にした。

「アイ……もういなくなったり……しないよね?
 あの時みたいに……大丈夫だよね?」

 僅かに瞳が揺れていた。一度口に出してしまえば、それが実現してしまうのではないかという恐れ。オレの知らない“イツか”のように、また置き去りにされてしまうのでは無いかという──。

「大丈夫さ。心配すんな。な?」

 だからオレは、いつもの人を食ったような笑みを浮かべて、いつものようにそれを一笑に付した。そう、その時のオレもそう言ったのかも知れない。いつだってそう言って彼女を裏切り続けてきたのかも知れない。
 だが、それはオレに出来る唯一の意思表示で、オレの一番の約束の仕方だったのだ。

   +   +   +   

「で、どうなんだ……?」

「物理的な要因は……見られませんね。もっともこの施設では何とも言えませんけど……隊長ならともかく私では……。」

 そういうとフェリシアの嬢ちゃんは表情を曇らせた。ここの設備は素人のオレから見てもかなりのハイレベルだ。もっとも天幕本部のそれには及ぶべくもないのだが。無論嬢ちゃんの腕に関しても施設を持て余しているようには見えない。

「やはり精神的なものが原因であると思われます。人間の脳というのは複雑で強烈な刺激……要するにショックですね、を受けると、自分に都合の良くないことを防衛のために消してしまったり捏造してしまったりすることもあります。」

「ソコまで打たれ弱くはねェと思うんだケドねェ。」

 オレの呟きを聞いてフェリシアの嬢ちゃんは小さく首を振った。アサシンの時代から大抵の厳しい状況は経験してきたオレだが、どうもそういうことでもないということらしい。

「そうですね……では……。」

 嬢ちゃんが手直に置かれた封筒を手に取った。試してみましょうか、そう呟くと彼女は封筒の中身を取り出す。それは何かの分厚い書類だった。

「これが何か分かりますか、ウィンド先生?」

 それは何かの報告書らしかった。ページによっては込み入った表や何かの組み合わせなどが詳細に記述されている。手書きらしいそれは、書き手の性格を表しているかのような几帳面な文字で、びっしりと書き込まれていた。だが、オレにとっては全く意味不明で何のことを書いているのかさっぱり分からない。

「見覚えは無いですか?
 では、これは?」

 嬢ちゃんは次に、一枚の紙切れを取り出した。こちらはオレにでも分かる。どこかを攻撃する際の手筈を論じたものだ。これだけでは断片的で全体は把握できないが、かなり戦力の彼我に差があり、それを埋めるためにかなりトリッキーな方法を採るようだ。先ほどの難解な書類と同じ書き手が書いた元々の文書に、後から付け加えられたらしい注釈があちこちに付いている。

「コレの……ホカはドコに行ったんだ?」

 オレは肩を竦めて嬢ちゃんにそう聞いた。これだけではどうにも判断のしようがない。だが彼女は薄っすらと笑みを浮かべてオレに首を振った。

「こちらは……これ以上は今の段階ではお見せできません。危険ですので。」

 そう言われて、仕方なくもう一度書類に目を落とす。嬢ちゃんはどうやら細心の注意を払って、この書類の概要が掴めない一枚を選んだらしい。だが、そこであることにオレは気付いた。気付いてしまった。

   +   +   +   

「ヤレヤレ、面倒な宿題を置いてイキヤガッて……。」

 アイヴォリーは小さく溜め息をつくと、その書類の一枚に手製の果汁インクで何ごとかを書き入れた。問題のありそうな箇所を修正しているらしい。だが、そもそもが、虹色天幕などというとんでもない組織に対抗するための作戦なのだ。問題があるどころの話ではなかった。特に、天幕本部に乗り込んでからの戦闘の実行手順に関しては、問題というよりも無茶で無策なものだとしか言いようがない。
 当のアイヴォリーとて、天幕の“真の本部”の内情を全て知っている訳ではない。そもそも、通常の団員に至っては“金色”との面会すら許されず、彼の居場所を知りもしないのだから、彼を倒すというその目標は困難窮まるのだ。現にアイヴォリーがエリィを解放するために“金色”の寝所に侵入した時でさえ、事前に宝玉が集まった場合の行動手順を知らされていたから分かったようなものだ。しかもそれでさえ、幾重にも重なる厳重な警備を突破してようやく辿り着いたのである。
 その上、天幕の“真の本部”は次元の狭間に存在するという特異な性質上、技術さえ伴っていれば如何様にでもその形状を変化させることが出来る。だからこそ、突然の団員の増加があっても困ることもなければ、団員に与えられた個人スペースの他にもトレーニングルームから実験室、会議室や果ては大浴場、ガラクタ置き場までの一切合財を内包して存在できるのである。本部内であっても幾層にもその階層が分かれ、次元転移装置を使用して行き来しているのだ。そして、アイヴォリーが潜入してエリィを解放した時と構造が同じであるという確証は何一つとしてない──団員の顔ぶれも、“銀”の肉体も変わった今となってはそうしておく必要がない──のだった。

「まァそうさなァ……とりあえずは見つからねェようにナカマを集めるのが先決だろ……。」

 相変わらず独り言を呟きながら書類に書き込みを続けるアイヴォリーを、横からメイが覗き込んだ。書類の影から顔を出し、何が楽しいのか満面の笑みでアイヴォリーを見つめている。

「ん?
 どした、メイ。」

 妙に嬉しそうなメイの顔を見て、アイヴォリーが怪訝な顔で尋ねた。それでなくても今日は宝玉戦なのだ、いつもならばメイは緊張して硬い表情を浮かべて、この休憩時間もろくに休めないような有様のはずなのだ。

「ううん。そんな困ったアイの顔見るのって、珍しいなぁ~って。」

 真剣に難儀していたアイヴォリーは、その言葉を聞いてじろりとメイを白い目で見た。だがその原因である当人は気にした様子もなく、アイヴォリーのその表情を見てくすくすと笑っている。よっぽど情けない顔でアイヴォリーが書類と格闘していたに違いなかった。

「マッタク……ナンだよ?」

 不機嫌そうに尋ねるアイヴォリーに、メイが何かを差し出す。それは薄い香りを漂わせた褐色の液体を湛えた、アイヴォリーのカップだった。

「もう、夜にはホリィさんと戦わなきゃいけないのに、そんなに根を詰めたらダメでしょ?」

 にっこりと笑って差し出されたカップを思わず受け取り、アイヴォリーはその中身を一口啜る。それは、島に来たばかりの頃に作っていた、歩行雑草の実から作ったコーヒーだった。

「ね、アイ。少しは休んだら?」

 殊勝なメイの言葉に、今度はアイヴォリーが苦笑を浮かべる。もう一口カップの中身を啜ると、香りの薄く、やたらに渋いあの頃と全く変わっていない薄いコーヒーだった。

「あァ……まァ、そうだな。」

 書類を傍らに投げ出し、無造作に横になるアイヴォリー。いつものようにメイを摘み上げて胸の装甲の上に乗せると、天井の落ちた遺跡の壁の上に、透き通るような空があった。

   +   +   +   

「コイツは……そう、か……オレの字か。」

 オレの、当たり前といえば当たり前すぎる言葉に、フェリシアの嬢ちゃんは深く、真摯に頷いた。そしてこの書類を書いた几帳面な字の主は、嬢ちゃんが捜し求めているはずの男、ハルゼイだったのだ。

「では……頼みます。」

 薄い眼鏡の奥で、決意に満ちた鋭い瞳。いつか確かに聞いたことのある青年の声が頭の中のどこかで、確かに響いた。

「ハルゼイ……そうか。そういうことか。」

 オレはそれで、メイリーが言う“島”を断片的に思い出した。紅茶の精霊、影を扱う少年、大きな斧を構えた小さな少女。沢山の仲間たちが──そう、確かに仲間だった──いた“島”。小さく、それでも強い白い輝き。

「少し……考えさせてくれ……。」

 オレは肩を落として、嬢ちゃんの答えも待たずに保健室を出る。どうすれば良いのだろうか。

「メイリー……ナンでメイは、“ココ”にいるんだ……?」

 オレの呟きは、唯空に吸い込まれるようにして消えた。まずは、彼女に聞いてみなければならなかった。


二十ニ日目

「よッ……と。」

 オレは手の中で二振りのダガーをくるりと回すと、その鞘を払った。かなり細身に作り込まれた鋭利な刃が現れる。極々シンプルな、分かりやすいダガーだった。一切の装飾を排した実利的な、殺しの道具。
 オレが依頼し、メイリーが預かっていてくれたものだ。コイツを打ったキーロの爺さんは相変わらずいい腕をしている。見た目は確かにシンプルだが、相変わらずオレの武器には注文が多い。特に前のダガーでも彼を苦労させたであろう左右の刃の微妙な湾曲は、その刃が細く鋭くなればなるほどに加工が難しくなる。ある程度の弾性を持たせておかなければ湾曲によって武器が攻撃の力で折れてしまうからだ。その発想は東洋のカタナに近く、しかもそれは短いダガーの長さで行われなければならない。カタナは主に力のかかる方向への弾性を持たせておけば良いが、オレのダガーの湾曲は左右の手で切り込む際の切りつける角度の差によるものだ。つまり、力がかかる方向とは垂直に湾曲させなければならない。明らかに得物の強度を落とすその仕様に、爺さんは今回もひとつの文句も言わずにこれだけのものを送ってきた。

「サスガはドワーフッてトコですかね……。」

 生まれつき両手利きだったオレは、アサシネイトギルドの訓練によって矯正された他の連中よりも左右で器用に得物を扱うことが出来た。今から思えばスラムのチルドレンでしかなかったオレをあのクソッタレなギルドが“見初めた”のは、恐らくはこの特徴ゆえだったのだろうと分かる。自らの腕と引き換えにでも相手を倒すアサシンという職業には武器を扱える“利き手”が多いに越したことは無いからだ。それは腕に限ったことでなく、中には足で武器を扱う訓練を受けた者までいたのだから。
 オレは両手利きの利点を活かして、両の手でコンパクトに休みなく攻撃を繰り出せる二振りのダガーを基本の武器として与えられた。アサシンは仕事に武器を持ち込めないことも多いが、それでも初めに何かひとつの武器を教えられる。それは上層部が個人の特性から判断して振り分けるものだ。果たして上層部の見立て通り、オレは二振りのダガーという極めて接近戦用のその武器に慣れ、彼らの期待以上にそれに習熟した。体術を絡めるようになってからは自分の隙をほぼなくし、相手の行動を押さえ込みながら毒で相手を徐々に削り込んでいくという戦い方を確立し、それで仕事を達成した。
 今も身に付いている緻密な戦闘の組み立ては、その頃に培ったものだ。相手の挙動を見れば攻撃のパターンとそこから発生する隙は分かる。後は詰め将棋のようなものだ。自分がこう動けば相手がこう動く、というパターンを大まかにいくつかに分類し、その相手の行動によって次の自分の手が決まる。それを繰り返して行き相手の行動範囲をどんどん狭めていく。それによって最終的に相手が全く行動できなくなればオレの勝ち、という訳だ。戦闘が始まる前に無限にあったパターンは、オレが、そして相手が挙動を繰り返すたびにその中のどれかひとつに向かって収束していく。だが、それはどう転んでもあくまでパターンの中を逸脱することは無い。
 ともあれ、そうやってダガーを得意武器として仕込まれたオレは、武器を持ち込める仕事の時にはアサシネイトギルドの中で精錬されたダガーを二振り携行していた。非常にシンプルな形状だったそのダガーは、それでも両手利きのオレが使うのに特化された、二本で一対になった専用のものだった。見た目からは想像できないほど良く出来たそれは、後から知ったことだがかつて神話の時代にドワーフたちに鍛冶の技術を伝えた竜族の末裔が打っていたらしい。薬漬けにされた伝説の存在は、それでも素晴らしい出来の得物を、ギルドの言うままに、唯自分を支配する薬のために打っていたのだ。
 そのとき、与えられたダガーには左右の差があった。右専用と左専用の違いは素人が見てすぐに気付けるようなものではなく、本当に僅かなものだったが。両手でダガーを振るうオレたちは、それをただこう呼んでいたのだ。“ライト”と“レフト”と。
 キーロの爺さんに頼んだのは、そういうダガーだった。“ライト”と“レフト”の呼び名は、これが当分オレの主力の得物になるだろうと踏んで使うものにしか与えない。それは裏を返して言えば、あの爺さんが打ち出したこのダガーが、それだけの質を持っているということだった。

「さて……。」

 まずは“ライト”から。手のひらに傷をつけ、滴る血を刃に吸わせる。前のWidowとMariaの時にもメイリーに見つかってこっぴどく叱責されたが、これだけは迷信だと言われようが止めるつもりは無い。初めて手にする得物は、まず自分の血を吸わせておかなければいずれ自分に向けられる。実利一辺倒のアサシンたちが唯一実行する“儀式”。
 人の命を奪うために存在するアサシンたちは、それほどに自分の命が失われることを恐れていた。それは滑稽ですらある光景だっただろう。もちろん上層部はそんなことは望んでいない。彼らが必要とするのはただ殺すための精巧な機械であって、生き残ることを欲する生き物ではなかったから。
 だが、まだ生きる望みを捨てていない連中は、密かにこの“儀式”を行っていた。そして、その“儀式”を止めてしまった者たちは、上層部の望み通りに、任務を自らの命と引き換えに達成して死んでいった。当たり前だ。その“儀式”を止めるヤツは、完全に精巧な機械として完成されてしまい、自らの生死など顧みることはない連中だったのだから。それは、言ってみればオレたちの、小さな抵抗だったのだ。

「コレでよし……と。」

 同じようにして“レフト”にも血を吸わせると、オレは手のひらに簡単に包帯を巻いた。そんなに深く傷つけた訳ではないから放っておいても治るのだが、メイリーに見つかると少々厄介なことになる。
 しかし、このダガーもいいタイミングでオレに渡ってきたものだ。オレは“儀式”によって乱れた心を抑え込むことが出来た。昔から繰り返してきたこういう意味のない動作は、それでもオレを安心させてくれる。過去の断片を拾ってしまい、それによって動揺していたオレはいつもの冷静さをこれで取り戻すことが出来た。それだけでも“儀式”の意味があったというものだろう。
 あのハルゼイという青年はもちろんのこと、彼と肩を並べて戦っていたオレ──それが厳密な意味でオレなのかどうかは分からないが──も、天幕と敵対していたはずだ。どうしてそうなったのかは分からないが、オレと一緒にいたメイリーも天幕からすれば同じような扱いだったはずだ。それがなぜ、天幕の実働部隊と共にいてオレの相方になっているのだろうか。無論天幕が敵対者を取り込むことは充分に有り得る。だがそれは、それが非常に有能な相手であったときに限るだろう。わざわざ天幕以外の連中も混じっているこんな場所に放り込むような相手をわざわざ取り込むとも思えない。第一、肝心のオレには天幕に吸収された記憶も、それ以前に天幕と戦っていた記憶もないのだ。

……連中に記憶を……消されたか?

 そうして体のいい使い捨ての兵士としてここに送り込むことは簡単だろう。天幕の技術を持ってすれば。だがそれならば、こんな生温いところではなくもっと適したクソッタレな戦場はいくらでもある。

「まァ、今はイイ、か……。」

 せっかく落ち着いた思考をもう一回乱してしまってはバカらしい。大体フェリシアの嬢ちゃんはハルゼイを探しているのに天幕に同行しているのだ。あの書類の存在を知っているのも彼女だけらしい。このまま隠し通すことも今の状況ならば簡単だ。鉄面皮には自信がある。メイリーとフェリシアの嬢ちゃんのためにも、今は大人しくしていた方が良い。

「アイ~?
 そろそろ準備しないと遅れるよ~?」

 扉の外からメイリーがオレを呼ぶ声が響いてきた。そろそろ定例会議の時間か。オレはいつもの人を食ったような笑みを頬に浮かべて、それが不自然では無いことを鏡で確認すると扉を開ける。ケープを肩に羽織り、メイリーにニヤリと笑って見せた。

「今日も頑張らなくっちゃね♪
 お爺さんたちに負けてられないんだから!」

 キーロの爺さんとキミドリの嬢ちゃんは今日がマリモ戦か。うっかり遅れはしたものの、今から戦ってアレに後れを取る二人でもないだろう。オレも負けてはいられない。

「よしッ、今日もキアイ入れてくぜッ!」

 メイリーの頭を手で引っ掻き回すとオレは準備室を出た。

   +   +   +   

 大まかには予定通りに、記憶の断片が活動を始めている。ここからが実験の本番といったところだろう。
 それとは別の問題だが、今日興味深い報告を目にした。別の平行世界に送り込まれている天幕の人間に同行している人物に関してだ。
 青い髪をしたハーフエルフの侍。こんな珍しい存在はそういないだろう。あのフェアリーのお嬢さんと繋がりの深い彼だ。時間軸がずれているようで、彼はまだ森から出たばかりらしい。彼は後々“空白”とも出会うはずだ。これは非常に面白い。
 さらにもう一人、面白い人間がいる。二次大戦の時代の独軍から飛ばされた衛生兵らしい。風貌からすれば学園にいる彼女の上司に当たる人間だと断定して間違いない。
 送り込んだ“裏切り者”の失敗作に、監視をさせるとしよう。ハルゼイ本人は見つかっていないが、あそこから彼の友人が既に学園に飛ばされてきている。そろそろ彼が見つかった時のことも考えておく必要があるかも知れない。
 ジンク=クロライドのことは、今でも僕の胸に小さな傷のようにして残っている。僕は、彼女のときと同じく彼を救うことが出来なかった。今は本部で冷凍睡眠で固定されているのだろうが、あれだけの精神操作を行ったのだから、一定期間ごとに“再教育”が必要だろう。でなければ崩壊してしまって使い物にならなくなる。彼を壊してしまったのは、ある意味僕の責任だ。だが、今彼はあの連中の手の中にあって僕からは手を出せない。ハルゼイが見つかれば、また彼は差し向けられることになるだろう。また同じことの繰り返しになってしまうのだけは避けなければ。
 それは、僕の義務なのだ。僕が赦しを得るための。彼女と同じように。僕は彼を悪夢から救い出さなければならない。僕のために。


二十三日目

「おぉらァ行くぜぇぇっ!!」

「来るッ!?」

 身体を慌てて右に流した。微かに空気を焼くあの独特のニオイがすると、手甲の下で左手の毛が逆立つのが分かった。左を見やることもせずにオレはとっさに倒れ込む。そのオレの身体があった位置を、僅かに遅れて閃光が通り過ぎた。

「な……ナンだ今のはッ!?」

 思わず呟いて後ろを振り返った。オレが背中にしていた校舎の壁に、一抱えほどの大きさで穴が開いていた。パリパリと音がして、未だに穴の周辺が放電しているのが分かる。思い出したように壁から遅れた瓦礫がひとつ、転がり落ちた。

「その程度で守り切れると思ってるのかにょー!!」

「……にょ?」

 唐突に、その風貌から漏れた明らかに違和感に満ちた語尾に、オレは思わず聞き返す。とりあえず今のがシュートだというのは信じがたいが、もう一発まともに食らえば危険だということは、オレの本能が警告していた。すぐに攻撃に移って相手の動きを封じた方が良い、それは分かっていたのだが、その明らかにおかしな語尾にオレはどうしても聞き返さずにはいられなかったのだ。

「お前なんて頭脳も運動能力も──」

「テメェ、ボール足にくっついてるだろ。」

 何やら流れがおかしくなってきそうなことに気付いたオレは、相手の言葉が終わらない内に遮って口を開いた。相手がナニモノか、分かってしまったのだ。

「言っとくケド、メモド○なんてヤラねェからな?」

 相手が会話の流れを止められて黙ったのを良いことに、オレはさらに言葉を続けた。

「大体テメェ、くに○くんじゃあるまいし、サッカーで相手にボールぶつけてどーすんだ、え?
 サッカーッてのは相手のいねェトコ狙ってボールツッ込むのが一流のストライカーじゃねェのかよ?」

 相手の異様に出た前歯をそれとはなしに見ながら、オレは一歩相手に詰め寄った。

「…………。
 どぉけどけどけぇぇっ!!」

 いきなり相手が逆ギレした。タックルなのかナンなのか、すごい勢いでこっちに突っ込んでくる。オレはソレを躱して──

   +   +   +   

「アイっ!?」

 メイリーがオレを揺さぶって、オレははっと身を起こした。辺りを確認し、あの色黒のサッカー部員がいないことを思わず確認する。そこはオレの準備室で、当然ながらそんなヤツはどこにもいない。

「ッうぅわッ?!
 ッて、ユメ……か……。」

「うん、アイ……すごくうなされてたよ……。……昔のこと……?」

 メイリーが心配そうにおずおずと聞いてくる。オレが昔のことを思い出してうなされていたのだと思っているらしい。オレはとりあえず全力で首を横に振っておいた。

「120%違ェ。」

「なら、良いけど……。」

 気にしているのだろうが、それ以上は聞いてもオレが話さないと思ったのか、メイリーはそれ以上追及してこなかった。オレからすれば、昔のことなんかよりも今の夢の方がよっぽど悪夢だ。オレは辺りを探し回って、昨日拾ったひとつの戦利品を見つけ出した。

「あァ、コレか……。」

 白と黒の五角形が組み合わさった、昔懐かしいデザインのヤツだ。少し前から、公式試合ではこのタイプは使われなくなったと聞いている。だが、サッカーボールといえばやはりコレだろう。

「昨日のサッカー部員さん、怖かったよねー。」

イヤ、メイリー。タダのサッカー部員ならマダ怖ェコトナンかねェぞ。

 心の中で呟いて、オレはボールを持ったまま窓から外に出た。辺りはまだ静かで、今日の活動までには時間があるようだ。オレはそのボールを足元に落とすと、軽く回転がかかるように足で蹴る。
 蹴り出された白と黒のボールは、オレが蹴り出した角度から垂直くらいまで急カーブを描くと、オレの真左にある木に直撃してそれを、粉砕した。

「……え……ッ!?」

 見事に粉砕した。
 思わず動揺して木に駆け寄ろうとしたオレを、幹をへし折られて倒れてきた木の上半分が遮る。慌てて避けたオレのすぐ横に、一抱えできそうな太い幹が転がった。地響きに、何が起こったのかと窓から顔を覗かせたメイリーが目を丸くしている。

「ちょっと、アイっ?
 何があったの?
 何したの!?」

 矢継ぎ早の質問に、オレは転がっているサッカーボールから何とかして目を逸らせようと努力しながら答える。努力も空しく、オレの視線はその“何の変哲も無い”サッカーボールに釘付けのままだったのだが。

「えーと……フリーキック?」

 ボールを曲げるのは、さして難しいことでもない。コツさえ分かっていればある程度曲げることは出来る。だが、素人のオレがここまでファンタジスタなピンポイントシュートを出来るというのは、どう考えても普通のボールでは無い。

「てゆーか、普通のボールで木は破壊デキねェだろ……。」

 なぜかオレの脳裏にはタイガーな色黒のサッカー部員が浮かんで離れなかった。


二十四日目-Happy Valentine!-

「うん、これの使い方。教えて欲しいの。」

 そう言ってメイリーがカバンから取り出したのは、一本の良く磨かれたスティレットだった。簡単な装飾が施されているが、それほど装飾過多でないところから見ても実戦に耐えうるものに見える。
 スティレット、いわゆる“鎧通し”と呼ばれるそれは、一応は短剣の部類に入る。ただし突くために特化されたそれは、普通の短剣のように刃を持たない。形状だけを見れば短剣なのだが、ダガーのように斬ることはできないということだ。
 それは、騎士たちが戦争で着るような完全鎧に対抗するために編み出された、非常に特殊な武器。騎士たちはそれを携行し、相手を突撃槍で馬から叩き落とした後に、相手に馬乗りになりそれを振るう。金属で全身を隈なく覆った相手に止めを刺すためには、鎧のパーツとパーツの間を刺し貫く必要がある。そこに斬りの動作は必要ない。

「コレ……な。」

 オレは小さく呟くと溜め息をついた。フェアリーは、悪戯や護身のために、小さな針を持っているという。古い伝承に出てくるような、そんなフェアリーたちは。そういう意味では、武器としての使い方が同じであるスティレットは、一番彼女に使いやすい武器であるとは言えた。
 だが、そんなことは重要ではなかったのだ。それよりも、オレの目に入ったのは、その装飾だった。恐らく元の素材は銀だったのだろう。シルバーならば、かつての彼女のサイズに合わせたとしても、ダガーの切っ先で充分にこれくらいの装飾はやってのけたはずだ。そして、いくらずっと一緒にいたとは言え、あそこにいたその時に、メイリーに護身用として武器を渡しておくということは、充分に考えられることだった。

「ソイツはな……そんなツモリで渡したんじゃねェぜ。」

 こうして等身大としてみると、明らかにその装飾は荒削りだ。当たり前だ。これを、オレが刻んだときには、これはこの大きさではなかったのだから。要するにあの竹を割って作ったカップと同じだ。きっと彼女が自分自身のサイズを変えたときに、それに合わせてついてきたのだ。
 島で、オレはこれを、恐らくは針か何かから加工して彼女に渡したのだろう。オレが好んでよく使うエルフ式の装飾が、何よりもそれを如実に物語っていた。毎日続く戦いの中で、せめて彼女が、魔法を使えないときでも無力だと感じずに済むように。それを振るうことはなくても、身を守るための何かがあるというその事実で、彼女が少しでも安心できるように。
 きっと、その時のオレは、そんなことを考えてこれをメイリーに渡したに違いなかった。

「コイツはな……ナンつーか、オマジナイみてェなモンさ。
 実際に振るうコトナンてなくてもイイ。でも、持ってリャ安心デキるだろ?」

「でもでもっ、ボクだって使い方を覚えといた方が良いと思うのよ?」

 予想はしていたことだが、メイリーは不服そうな顔をした。まぁそれなら渡すな、ということになるのだが。

「ん……まァどうしてもッつーんなら、教えてヤッてもイイケドな。
 でもよォ、オレの訓練はキビしいぜェ?」

 片眉を吊り上げて、冗談めかしてオレは口の端を歪めた。自分でそれほど厳しいつもりはないが、オレの場合はそもそも基準が違う。素人が一から習うには厳しすぎるスパルタになってしまうのは目に見えている。

「ソモソモ使う機会ナンてねェぜ?
 オレが前に立ってる限りは、な。」

 まぁ自分で言っていてもなんだが説得力は無い。これだけギリギリの状態で毎日戦っていて無傷で済む訳がないのだが。

「でもでも、せっかくくれたから……少しでも、使えるようにしたいんだ。」

 少しだけ俯いて、真摯な口調でメイリーがぽつりと呟いた。恐らくは、それをもらったときのことを思い出して。

「それにねっ、やっぱりアイとお揃いで戦えたら、楽しそうじゃない?」

 一瞬だけ漂った陰は幻だったのか。ぱっと顔を上げた彼女は何が楽しいのか目をきらきらさせて胸にスティレットを抱き締めていた。オレは思わず苦笑を浮かべて肩を竦めて見せる。

「オイオイ、そんなにカンタンにオソロイにされてタマるかよ。ソレじゃオレは商売上がったりだぜ?」

 喉の奥で漏れる笑いを噛み殺しながら、彼女の髪をかき混ぜる。上目で頬を膨らませて抗議するメイリーに、オレは軽くダメ押しをくれてやることにした。

「ふむ、じゃマズは筋トレからだねェ。
 オレのダガーを持っただけで重いみてェじゃ、ソイツを使いこなすのはムリだからな?
 ウデがムキムキになるまでキタエてもらうぜ?」

「ええっ?」

 明らかに嫌そうな──まぁ当たり前だが──彼女の様子を見ながら、オレは彼女がそれを振るうようなことがなければ良いと、心の底から願っていた。

   +   +   +   

「ちょっと早いかも知れないけど、ハッピーバレンタインってことでね♪」

 いきなりメイリーから渡された小さな包みには、ご丁寧にも彼女が集めているリボンのひとつが可愛らしく結ばれていた。かなりの乙女チックさだが、まぁこればかりは渡してきた本人が本人だけに当然といったところか。

「むごッ!?
 あ、あァ……ああああアリガトよ。」

 どうも動揺が言葉に滲み出ている気がしないでもないが、当人のオレがそんなことを気にしている暇はなかった。辺りを必死で見回して、オレとメイリー以外誰もいないことを素早く確認する。

よし、ダレもいねェな。

 メイリーに礼を言うのもそこそこにして、オレはケープの下にその可愛らしい包みを隠すと準備室に飛ぶようにして帰る。しっかりと三重に鍵をかけると、ようやくオレは吐息をついた。ケープの下に隠した包みを取り出し、それを机の上に置く。

すーはー、すーはー。

よし、落ち着けオレ。
これは……バレンタインチョコッてヤツか?
当たり前だ。メイリー本人がそう言っていた。

すーはー、すーはー。
よし、落ち着けオレ。

 どうも思考が進みそうにないのでとりあえず部屋の隅を見上げてみる。

うむ、いつも通りだ。あまりキレイだとは言いがたい。

 次に窓の外を眺めてみた。

うむ、いつも通りだ。静かだ。

 いい加減進まないので、とりあえずダガーを抜いてみた。光に黒塗りの刃が鈍く反射する。これこそいつも通りだ。そのいつもの鈍い輝きに、オレは少しだけ落ち着いた。だが、明らかにその黒い刃は、机の上にちょこんと鎮座ましましている可愛らしいラッピングとは相反していた。

開けて……イイのか?

 まぁオレ宛なのだから、オレが開けるべきというか、オレが開ける他ない。
 維緒の嬢ちゃんなどは誤解しているようだが、実際にオレはこういう手のものをもらったことはほとんどない。仲は良くてもその他大勢の扱いか、そうでない場合はもっとドライだ。もしくは大っぴらにそんなものを渡せないような関係か。というか、そもそもそんなものをもらうほど長続きした例しがない。……まぁオレがさっさと他に行ってしまうからなのだが。

とりあえず……コレをどうするかだ。

 そんなもん開けるしかないに決まっているのだが、それでもオレは誰もいない室内を優に五回は見回して、覚悟を決めるまでにかなりの時間を要した。

「ふむ。」

 小さな包みを解くと、中にはカップケーキが入っていた。上には丁寧に一つ一つがハートの形に整えられたチョコチップが振りかけられている。手が込んでるな、とオレは一人ごちた。

「さて……。」

 開けたからには、次は食うしかないのだが。

 一口。

「……甘いな。」

 甘い。決して不味くはない。美味い部類に入る。メイリーにこんな特技があったとは中々に驚きだ。
 だが。
 頭痛がするほど、甘い。
 イヤ、メイリーの名誉のために言っておくが、非常に美味しく仕上がっている。
 だが。
 眩暈がするほど、甘い。

「まァ……こういうモンか。」

 幸せと、僅かな苦笑を織り交ぜて、慌ててカップに注いだ味の薄いコーヒーを啜る。これならちょうど良い、か。メイリーの味の好みなら、確かにうまく焼きあがっていると言えるだろう。

「ま、バレンタインのアジッてヤツ……ですかね?」

 オレは最後の一欠けを口の中に放り込むと、その甘すぎる幸せの味を噛み締めた。

……んん??

 何が引っかかる。オレの中で、何かが警告している。

……ちょっと待てよ。ナニか忘れてねェか?

 暫しの思考の後で、オレは自分に何が迫っているのかをはたと思い至った。

「マサカ、なァ……?」

 メイリーがこの前言っていたこと。手料理を食わせてやるというその申し出に、オレは感心しながら快諾した。中々に殊勝な趣味があると思ったものだ。大喜びで腕まくりしていた彼女の姿がオレの記憶に新しい。

「このアジ付けで料理はヤベェだろッ!?」

 料理の味付けが何となく想像できたような気がして、オレはそれまでの動揺も忘れて慌てて準備室を飛び出した。


二十五日目

「クソッタレッ!」

 オレはいつもの悪態をつくと、手首に残ったワイヤーを切り捨てた。初撃の“クモの巣”は綺麗に掻い潜られてどちらにも掠らなかったようだ。
 ダークエルフばりに黒い女の魔法攻撃が火炎を伴って着弾する。ケープの裾が炙られて火がついたのを見てオレは小さく舌打ちした。メイリーの魔法がオレの横を駆け抜けて相手にヒットしたのを見ながら、オレは相手の背後に回り込む。

「後ろがガラアキだぜェッ!?」

 その得物はナギナタだろうか。槍と刀の中間、もしくはそれを組み合わせたような形状の得物は、今までオレが実際に手合わせをしたことがないものだった。ハルバードに似たその形状から、恐らくは同じような利点があるのだろう。それでなくても、いわゆるポールウェポンに属する系統の武器は、遠心力を威力に上乗せできるために、薄手の装備で立ち回るオレには分が悪い。しかも間合いが圧倒的に違うのだ。いかにして懐に詰めるかが勝負の分かれ目なのだが──。

「オイソコ、黒板消し。」

 思わず上を見上げたナギナタ女に遠慮せず、オレは設置したトラップのトリガーを切った。オレとメイリーの周りを、僅かに白く煌く粉が舞い、視界が少しだけクリアになる。アッパー系のクスリを配合した、味方の補佐をするためのトラップだ。だが、その効果はオレが期待していたほどではない。クスリに耐性のあるオレはともかく、メイリーにも効果が及ぶこのトラップで、副作用が起きるような量を使う訳にはいかなかったからだ。
 メイリーとガングロの魔法の応酬で、オレもナギナタ女も削れている。だが、炎の付加効果がある分、分が悪いようだ。

「マダだ、マダ終わッチャいねェ!」

 オレは気を吐くと設置してあったワイヤーを解放した。荒れ狂う“クモの巣”が、今度は二人を捕らえる。だが、まだ相手の前衛を倒すには至らない。オレはもう一度毒づいた。もう手持ちのコマは使い切った。あのナギナタ女をオレがどうにかしなければ、後衛同士の削りあいになったとしても厳しいのは目に見えているのだが、せめて後二撃はなければ相手を落とせそうにない。オレは敗北を司る死神の足音を聞いた気がした。

「ッ!」

 もう一度、相手の炎が手の中で膨らむのを見て、オレは思わず唇を噛み締める。後一撃すらも許されそうにない。

「ッ!油断しスギッてかよ!」

 炎の塊に包まれて、オレは意識を失った。

   +   +   +   

「あ~あ、負けちゃったね。」

 メイリーがそれほど残念でもなさそうな調子で呟いた。昨日の戦闘は惜しいとかもう少しとかいう領域を超えて、明らかな完全敗北だった。要するに地力の違い、というヤツだ。

「あァ……悪ィ。」

 寝転んで天井を見上げたままで、あまり反省もしていなさそうに呟く。まぁあれだけ完敗だと、にっちもさっちもいかないというか、反省してどうなるモンでもないといった感じだ。
 こういうときに、メイリーの前向きな性格はオレを助けてくれる。昨日の敗北を引きずらず、もう一度今日からやり直せばいい。そんな彼女のポジティブな考え方は、多分にオレを立ち直らせる効果を持っていた。これがオレだけならば、腐って数日はうだうだやり続けるはずだ。

 だから、オレもわざと気にしていないような素振りで呟いた。

「しッかし……マイッタねェ……。今日もあの連中かよ。」

 昨日の敗北の後で告げられた、さらにオレに追い討ちをしてくれた事実。それは、今日もう一度、昨日のあの連中と戦えという非情な通達だった。

「うーん……どうすれば勝てるかな……?」

 メイリーが首を傾げて、オレの見上げる天井を一緒に見上げた。オレから言わせれば、地力が足りないというのは数日でどうにかなるものでもない。つまり、昨日の今日でもう一度戦っても勝てる訳がないというのが基本的な意見だ。
 だが、天幕からの命令で負け続ける訳にはいかないのだし、そもそも魔石の作製師であるメイリーが戦闘で負けなくて済むようにするのがペアの片割れであるオレに課せられた役割だ。第一、いくらメイリーが腐らない性格だとはいっても、連日ボロクソに負けるのではいい加減ヘコみもするだろう。オレがどうにかしなければならない。

「ッつッてもなァ……。」

 オレが出来ることはそれほど多くは無い。搦め手に困ることは無いのだが、どちらにしろそれは補佐の領域だ。あくまでも威力のメインはメイリーの魔法攻撃であり、それが相手を削る手助けをするのがオレの役割だ。後は如何にして相手の攻撃がメイリーに向かうのをオレが防ぎ、盾としての役割を全うするか、なのだが……。

「あのエモノは……キビしいねェ……。」

 ハルバードと同じく、あの一撃は痛い。数発もらうだけで、いくらオレがガードを固めていても致命傷といったところだ。オレは小さく溜め息を吐いた。

「まァ……雌伏の時、ッてヤツですかね……。」

 地力が足りないなら、それを認めるしかない。地力が充分なレベルになるまでは、どうにか耐えるしかないのだ。天幕全体で移動の許可が下りれば、それまでの時間をもう少し楽なところで稼ぐことも出来るだろうが、少なくとも今日明日は凌がなければならないのだ。
 そう言えば、今までにもこんなことがあったような気がする。オレの記憶にないオレが、オレの記憶にない場所で。いつもエッジを見極めながら、どうにかして毎日を凌いでいた、そんな日々。

「……メイリーは、“ココ”に来る時に……迷わなかったのか?
 コワくなかったのか?」

 思わず、オレがあの書類を──フェリシアの嬢ちゃんが持っていた、天幕に対する反攻計画書を──見てから、ずっと思っていた疑問が口をついて出た。あの時のオレは、ハルゼイという青年と同じくに天幕に敵対する立場だった。メイリーには直接関係はなくても、天幕に追われるオレとともに生活していた彼女が、オレが突然に姿を消し、それを追って“ココ”にやってきたその心境はどうだったのだろうか。

「…ココ? この世界のこと?」

 僅かにズレた彼女の答えに、オレは小さく首を振る。そう、メイリーにしてみれば、元いた場所から全く異なる世界である“ココ”へとやってきた、それだけでも大変なことだっただろう。天幕だとか、敵味方だとか、そんなこと以前の根本的な問題として。だが、彼女は首を振ると、その後に言葉を継いだ。

「…うぅん。
 全然不安がなかったわけじゃないけれど、アイが居る場所だって聞いたんだもの。だからボクには、恐れる必要なんてない。」

 ゆっくりと、その時の自分の気持ちを確認するようにして、真摯な瞳で。唐突に姿を消したオレが、そこにいると聞かされたから。ただ、それだけの理由で。それが本当のことかも分からず、オレの敵から聞かされた事実であるというのに。

 それでも、メイリーは“ココ”へやってきた。

「……ふゥ……。」

 オレは小さく息を吐くと目を閉じた。恐れることもなく、ただオレがここにいるからという理由で、オレを追ってココへやってきたその張本人に、少しだけ涙腺が緩みかけたその証拠を見られたくなかったから。

「シンプルだねェ、メイリーは。」

 口の端を歪ませて、いつものようにして冗談めかした口調で。それでなければ、悟られてしまいそうだったから。故郷の森から飛び出したお姫サマは、島どころか世界を超えて“ココ”までやってきてしまった彼女のその答えは、それだけにシンプルで、迷いも、恐れもなかった。

「……勝たねェとな。」

 出来ることは多くは無いが、まだその全てを試した訳でもない。負けを認めて引き下がるのは、全部試してからでも遅くは無い。

ずっと、そうやってきたじゃねェか。なァ?

 島にいた頃の、オレの知らないオレに向けて、オレは小さく心の中で、そう問いかけた。

   +   +   +   

 やれやれ、困ったお嬢さんだ。実験体にあれを見せてしまうとはね。トリガーを引くのが早すぎれば、充分に狙いを定められずに相手を捉えることが出来ないのだけれど。
 だが、もう動き出してしまった。
 後は埋めていた断片が連鎖的に動き出して次第に結合し、仮初めとして与えた封印用の今の魂を覆い尽くしてしまうだろう。後はもう自動的なものでしかなく、単に時間の問題でしかない。完全に修復されてしまったときに、もう彼は偽り続けることはできないだろう。後は、どちらかを選ぶしか残されていない。早過ぎた感はあるものの、こればかりはどうしようもないだろう。
 さらに、“空白の記憶”が役割から解放された後に出会うはずの、青い髪の侍もそろそろ監視しておかなければならないだろう。“黒い羽”からの報告だけで済ませていたが、あの勝手な失敗作はすぐに穢そうとする。強い意志の持ち主だから心配することは無いのかもしれないが、それで未来を勝手に変えられでもしたら、また書き直すのが手間だ。“黒い羽”には良く言い聞かせておかなければならないな。堕ちた魂に影響されて腐った蜜柑の喩えの通りになってしまっては困るのだから。
 だが、困ったことに、僕自身が雑事に追われて時間が取れなくなるようだ。やれやれ、僕としては出来ることならば、ずっと此処から眺めていられればそれに越したことは無いのだけれど。

-血色の文字で綴られた走り書き-



二十六日目

 正直なところ、どうにか耐えたというのが実際のところだろう。第一前日こてんぱんに負けた相手にもう一度戦って、負けない方がどうかしている。それからすれば手持ちのコマでどうにか引き分けに持ち込んだ昨日の結果は大金星と言って良い。だから、それなりにオレとしては満足だった。急にどうこうできるものではない。少しずつ上乗せを続けて確実に進むしかないのだから。
 だが、それは天幕の意図に沿うものでないのも確かだ。天幕の求めるものはただひとつ、終わりなき戦いに勝ち続けることなのだから。

「メイリー、良くやったな。オマエはガンバッたさね。だから、少しずつ積み重ねて、次に来る日に勝てるようにしていキャソレでイイ……。」

 たとえ、天幕が望むものに今及んでいなくても。オレはメイリーの頑張りを知っている。だから疲れて準備室で転寝をしている彼女の髪を撫でながら、そう小さく呟いた。

「タマニャ……休まねェと……ヤッてられねェよな……?」

 頬杖を突いたままで、少しだけ暖かくなってきた窓越しの光が閉じかかってきた目蓋の裏を焼く。今日も厳しい相手だ。恐らく昨日の相手よりも厳しいだろう。でも、だからこそ、今この瞬間だけは、彼女と二人しかいないこの柔らかな、穏やかな空間を少しでも感じていたかった。

「オレも……少し疲れたかねェ……?」

 答える者は誰もいない。それで良い。わずかなこの時は、静かな休息のときなのだから。オレはメイリーと並んで午睡みに落ちていった。

 ~ わずかな休息 ~ 

   +   +   +   

 休息は必要だ。だが、それは次の戦いのための充足期間だ。次の戦いを見据えてもらわなければね。
 とはいえ、厳しい時もあるかな。僕も少し疲れたみたいだ。紅茶でも飲んで気分転換することにしようか。

 ~ 机に置かれた緋色のメモ ~ 

   +   +   +   

「どうして、私を選ばないのだ?
 あの時、お前は私に言ったではないか。“二人で遠くに逃げよう”と。あの言葉は嘘だったのか?」

違ェ、違ェよエリィ。分かってくれよ。

「分かるも何も、お前はその小さな妖精を選んだのだろう。私ではなく。」

そうだ、そうだケド……コイツには、メイにはオレが必要なんだよ。分かってくれよ。

「違うな。お前が、その少女を必要としているのだ。
 私ではなく、その少女を、お前が、必要としているのだよ。それすらも気付けぬほどに、純粋たる風は落ちぶれたのか?」

エリィ……。


 ~ 夢 ~ 

   +   +   +   

「この教会には私しかおらぬ。何分辺境故な。全ての生活の雑務を自らでこなさねばならん。国教ではない故に国からの保護も行き届いてはおらぬ。だが村では唯一の教会だからな。絶やしてしまう訳にも行かぬのだ。」

 そう語りながら、かつて自分が宗教者として学んでいたときからここの教会にいて、その時には人格者として名高い司祭が住んでいた、そんなことを歩きながら彼女は語った。中庭に出ると、左手には同じように石造りの少し大きな建物がある。庭の中央には井戸。まだ乾ききっていない朝露に法衣の裾を濡らしながらエリィは建物へと彼を案内した。

「ここは教会の心臓部とも言える場所。つまるところの教会だ。村人が安息日に集まり祈りを捧げる。中央の祭壇で私が進行を務めるという訳だ。正面の締まりのない間抜け面が我らが神だよ。」

 ~ エリィ ~ 

   +   +   +   

 もう一度二人で優しく微笑み合って、心を繋げて。今までやってきたように強く、優しく。沈んでいく夕日に目を細め、アイヴォリーは彼女を落とさない様にそっと立ち上がった。

「ソロソロオレたちも行くか、お姫サマ。竜か、不死鳥か。次はナニが見てェよ?」

「ボクはアイが行く所なら、どこでもいいよ。」

 その答えに思わず苦笑したアイヴォリーは、ケープに付いた砂を払うと島の奥を振り返る。幻でない真の島。そこにある筈の遺跡。その中では宝玉に近い物が眠っているという。

「シーフが宝モノ見過ごしたとあッチャ、名折れだよな?」

 くすりと笑ったメイの髪を撫で、藍に染まり行く空を見上げる。二人なら、どんな壁だって越えられる。どんな遺跡だって制覇出来る。そこには、また新しい二人の冒険がある筈だ。

「ヨシッ、決まった。行くぞ、メイッ!」

「うんっ、どこまでも一緒に行こう♪」

 目を閉じた二人は、未だ見ぬ冒険を思い描く。二人で創っていく冒険を。
 砂地に微風が吹き、砂が巻き上げられた後にはもう誰もいなかった。

 ~ “最終日” ~ 



二十七日目-White Day, and Birthday-

「あァ、マイッたねェ……。」

 オレは準備室に戻ることも出来ずに、自分の天幕の中で一人頭を抱えていた。そもそもこういうことには慣れていないのだ。

「まァどうにもならねェよなァ……。」

 独り言を呟いて、諦めの溜め息をつきながら何ともなしに肩をすくめる。もう準備は出来ているのだから、後は実際に実行に移すだけなのだが。その踏ん切りがつかないオレは、もう今日何度目かも分からなくなった溜め息をついた。
 幸い、ここではいつかのようにして材料に困ることはない。後はどこかで覚えた技能でそれを加工すればいい。
 だが問題は、その後どうするかだ。

「あー。」

 どうしようもないオレはケープの下から小さな包みを出した。黒いリボンで口を縛ったその袋の中には、かなり質のいいディンブラの葉を細かく刻んで焼いたクッキーが入っている。どこで手に入れたものかも思い出せないが、最高級のディンブラだ。同じ重さの金と等価値と言われるほどのそれはもったいなくて使うことも出来ずに、未だにオレの荷物の中に開封すらせずに缶のまま入れてあったものだ。オレ自身はそれをいつ荷物に投げ込んだのかも覚えていないが、未開封だった訳だし風味はまぁ落ちていなかった。使うならば今しかない、誰かにそう背中を押されたようなそんな気がして、どこか見たこともないような王宮の刻印が入ったその缶を、オレは初めて開けたのだった。
 種はナイフで刻んで雪の形にした。これだけ暖かくなってきたのに雪の結晶も何もないと、そう自分でも思ったのだが、何となくこの意匠が贈り物として最適なような気がしたのだ。上にはパウダーシュガーを振って白く飾り付けて。甘いものが好きな彼女にはちょうど良いだろう。上手く焼きあがってくれた中から、割れたもので味見してみたが、さすがに素材が良かったからか出来は非常に良い。まぁ自分で言うのもなんだが、クッキーに関しては才能があるらしい。

「コッチも……まァまァかねェ。」

 レモンの果汁をスポンジを焼く前に混ぜて風味をつけたケーキ。甘みを抑えたクリームに、砂糖漬けしたオレンジをカットして適当に飾りつける。こっちは才能がないのか、いまいち地味なのだが、これ以上何かを増やすと味のバランスが崩れる気がしてここまでにしておくことにした。

「ローソクは……サスガにねェよなァ……。」

 呟いたオレをそっちのけで、シェルが珍しそうにケーキを覗き込んでいる。まぁ今回に関してはコイツに感謝しなくてはならないだろう。何せ紅茶の葉以外の素材はほとんどシェル経由で天幕から送ってもらったのだから。今回は生存競争が主目的ではないから、その辺の支援は自由が利くらしい。これが食料を自前で準備しなければならないようなエンタメならば、これだけのものを送ってもらうにはかなりの交渉が必要だっただろう。そういった意味では案外今の状況はラッキーな部類に入るのかも知れなかった。

「んー、そんなに珍しいかよ?」

「うん、僕は誕生日とかないからね。まぁそういうイベント自体が珍しいって言うかさ。ちょっと羨ましいかな?」

 シェルにしては殊勝なこともあったものだ。オレには今のコイツの態度の方がよっぽど珍しい。天変地異でも起こるんじゃないかと思うくらいだ。

「まァ、じゃあそのウチオマエのもヤッてやっか。」

 相変わらず物珍しそうにケーキを眺めているシェルにそう振ってやる。まぁずっとこの殊勝な態度ならば本当に考えてやっても良いと思えるほどだ。

「僕は自分が生まれたのがいつかなんて分からないよ。大体キミたちの時間の流れに僕を当てはめてどうするのさ。僕はすごいお爺ちゃんになっちゃうよ?」

「まァまァ、そういうなッて。」

 何がおかしいのかくすくす笑いを漏らすシェルにオレは肩をすくめる。そう、誕生日が分からなくたって、祝うことは出来る。自分が生まれたことを。仲間が生まれたことを。大切な者が生まれたことを。でなければ、出会うこともなかったのだから。

「その代わりにな……オイ、ミミ貸せ。」

 オレはいつまでも珍しそうに──もしくは羨ましそうに──ケーキを眺めているシェルにそっと耳打ちした。ろうそくがなくても、もっと派手なヤツはどうにかなるはずだ。

   +   +   +   

「アイ、どしたの?」

 天幕の毎日の定例会議が終わって、メイリーをオレは校舎の隅に呼び出した。壁に背中を預けて待っていたオレは、いつもの笑みを浮かべたままでメイリーが持ち歩いているカバンを指差した。

「ソイツ、開けてみな?」

 自分で人のカバンにこっそり忍ばせておいて開けてみなも何もないとは思うのだが、まぁこの際そこは棚に上げておくことにする。

「……あっ……。」

 カバンを覗き込んだメイリーは、僅かな間の後で小さく声を漏らした。黒いリボンが結ばれた、差出人のない小さな袋。

「……さっきダレだかが入れていったのに、気づいてなかったみてェナンでな?」

 明後日の方角を見上げながら必死で嘯くオレ。正直コレが限度だ。うん。

「まァナンだ、ナンかのお返しじゃねェか?」

「うふふ……。」

 忍び笑いを意味深に漏らしたメイリーに、思わず顔を歪めてオレはぎこちない笑みを返した。やっぱりというか何というか、はっきり言って柄じゃない。

「じゃあ、その誰かさんにお礼を言っとかないとね?
 “ありがとう”、って。」

 ありがとうをやたらに強調して、彼女はオレにそう言った。目を逸らすと、これ以上耐えられそうにないオレは早く話を逸らすために、メイリーの肩を叩く。

「次は、オレからのプレゼントだ。」

 木の根元に置いてあったテーブルを隠していた光学迷彩を剥ぎ取ると、小さな机と二人分の紅茶。シンプルなケーキ。
 指をぱちりと鳴らして合図を送る。シェルはしっかりと千里眼の魔法で見ていてくれたらしく、オレの頼んだ通りにやってくれた。
 大きな音とともに、校舎の間から空に火花が打ち上げられた。魔法で白く輝く文字が空に刻まれて、簡単な言葉が意味を成す。

「ハッピーバースデー、メイリー。」

 オレはいつもの笑みをどうにか浮かべたままで、彼女に出来る限りの心を込めて、そう言ってやることが出来たのだった。


二十八日目

「あぁ、それと手甲の方は夕方まで待ってくれ。ダガーを中に仕込めるようにする細工が少し複雑でな。」

 朝の会合でオレにそう言ったミラーシェードの男、アキラ=コガネイ。オレからすれば謎の男だ。そもそも、天幕のルールのひとつして決められているものに、団員は何かしらの色に由来した名前を名乗ることというものがある。元々の通り名が“純白の涼風”であったオレも、ただ身を隠すために名前を変えただけ、という訳でもなかった。盗賊団を名乗りながらもその歌舞いた実態に、心意気を汲んだのだ。だから敢えて、もう一度新たな名前を自らに付けた。もっとも、それは多分に自嘲と自戒を込めた名前になったのだが。
 その、色にまつわる通り名の付け方にも、ある程度決まったルールがある。少なくとも活動中の団員と同じ色を使用しない、というものだ。無論これは厳格な意味での制約ではなく、最終的な判断は当人に任されているのだが、同じ色がバッティングしたときに混乱を避ける意味から、今までに使われたことのある色を使った者はいなかった。どうせ色というものは、同じような色でも幾通りもの呼び方が出来るものだ。少しだけずらして自分の気に入った表現にしてやればそれでいい。
 そしてもうひとつが、永遠に天幕の首領である“金色”とその腹心である“銀”の名を用いない、というものだ。金と銀は彼らにだけ許された色のはずなのだ。あのアキラという男がそれを知らないはずはない。まさか本名だとは思えないが、本名ならばそういった名前の人間に天幕が干渉するのには、何かしらの意味があるはずだった。

「アイツ……ナニモンだ……?」

 オレは机に置かれた一対のレザーグローブを見やって目を細めた。盗賊が使うにしては明らかに重厚すぎる代物だ。見た目に関しては、ほとんど前回のレザーグローブと変わらない。手首の部分の複雑な構造もそのまま継承されている。ほとんど革製のガントレットと表現するべきこのグローブは、それでも手の動きを妨げないためにお互いが干渉しないようになっている。しかも、腕を最後の盾とするオレのこの“篭手”は、防御姿勢を取って腕を立てたときに、手の甲の部分が腕の部分を覆い隠すようにしてスライドするのだ。逆では意味がない。上から切り込まれる刃を滑らせ、外側に逃がすためにはより上になる手の甲が、腕よりも外側になるようになっていなければならないのだ。そのためには、手の甲の部分の保護パーツを、手首の反りに合わせて稼動するようにしなければならないのだった。
 だが、あの男はそれを平然と実現している。オレが改良に改良を重ねてようやく作り上げたこの品を、その最も複雑な部分まで、あの男は忠実に再現してみせたのだ。しかも、その硬度は前回の手甲の比ではない。より強靭に作り上げられたこの革の鎧となる外側の部分は、その内側の柔らかい“グローブ”の部分と確実に結合させるために、前回よりも難易度が上がっているはずだ。だが、その完成度は前回を明らかに上回っていた。オレがメイリーくらいにしか見せたことのない内側のポケットの構造も、前回と同じように手首の内側からワイヤーが引き出せるようになっており、しかもその容量は前回よりも大きく取られていた。容量が大きくなったということは、オレにとってはまさに“手”数が増えるということを意味する。死活問題なのだ。

「このウデも……タダモノじゃねェよな……。」

 オレは手甲を前にして、あの男の出自をいぶかしんでいた。


二十九日目

 現れた光の輪。いつか、どこかでオレは、それを手にしたいと願ってやまなかった。宝玉を持つ者だけに許された、最後の扉を。次々と発って戦いを挑む仲間たちと、肩を並べて自分も戦えるあのフィールドへの、扉。
 だが、それは叶わぬ願いであり、宝玉を奪われたオレには、もう手に入れることが叶わないものだった。自分を倒して宝玉を持って行けと言った小さな妖精に、オレはそれは不可能だと答えた。“ここ”が自分の居場所だ、と。彼女のいるそここそが、そうなのだと。たくさんの仲間を、世界を、全てを捨てて、そのときにオレはたった一つ、“彼女”を選んだのだ。それは明らかに自分の記憶ではなかった。だが、誰かから伝え聞いたのでもなかった。まるで、誰かの記憶を記録した映像を見せられたかのようにして、それをオレは“知って”いた。
 告げられた秋休み。第三教師を倒した者たちの頭上に現れた光の輪。突然訪れた休止。
 そういったものに、天幕の連中も慌てふためいていた。何せオレたちは状況を見て第三教師──クリスとそれに憑いているクレア──に戦いを挑むために準備をしている最中だったのだ。オレたちの準備が整う前に誰かが抜けるであろうことは予想されていたことで、それさえも織り込み済みだった。だが、その後に知らされた状況は、天幕の、少なくともオレたちの予想は超えていたらしい。

「……あー、済まないッ!トラブルが発生したッ!!輪に触れれば次の舞台へと自動的に移動するはずなのだが、教頭の話によるとどうやら次の舞台の単位争奪用カスタマイズが完全には終わっていないようなのだッ!!
 それが完了するまで――そうだな、冬……いや、秋休みかッ!秋季休暇とするッ!!学園内の全ての活動は明後日までとするッ!!申し訳ないがゆっくりと体を休めて欲しいッ!以上だッ!!……おい教頭おま」

――プツンッ

脳内放送が終わった。

 第三教師を倒した者たちが受け取ったメッセージは瞬く間に広がった。そして僅かに遅れるようにして、正式に告知が出された。告知によれば、後自由に行動できるのは二日間。それ以降、当面この学園は完全に閉鎖される。それが一時的なもので終わるにしろ、永久的なものになるにしろ、全ての学園内の人間は一度ここを追い出されることになるらしい。

「マイッたねェ……。」

 溜め息を吐いたオレを、小さな机を挟んで赤い瞳が見据えていた。ヤツは冷笑を口元に湛えたままで、オレのことを何か面白い見世物か何かであるようにして、先ほどからただ眺めている。

「まぁ大丈夫さ。あの学園での時間の進行速度からすれば、いずれこうなることは分かっていた。それすらも僕の中では“織り込み済み”だよ。」

「テメェら上の都合ナンざオレニャどうでもイイんだよ。オレ自身も、回収する気になリャこうやって回収デキるんだろうさ。
 ……だケド、テメェが勝手に呼び出したメイリーはどうなるッ?
 アイツは元にいた世界からテメェが転送したんだろうッ!
 このママじゃメイリーは帰れねェだろうがよッ!?」

 そう、メイリーは元々あの世界の住人ではない。恐らくは“島”のあった世界の、どこかの森から出てきた。そして、彼女は自力でその世界へと帰る術を持たない。オレが出奔したアサシネイトギルドのあったあの世界へと。だが、そのオレの言葉を聞いてクソッタレた運命の魔術師は冷笑を深くしただけだった。

「そんなこと、僕は知らないね。彼女が、君がそこにいるなら自分も行きたい、そう言ったんだ。帰れなくても良い。ただ、君に会えるなら、とね。
 いやはや、羨ましいほどだよ。泣かせるね?」

 そう言って喉の奥で笑いを殺しきれずに漏らして僅かに俯いたコイツを、オレは思わず殴りそうになった。恐らくは、ヤツが持つ魔筆の力で阻まれるだろうと分かっていても。だが、ヤツはそれさえも分かっていたかのようにして、オレが動く前に緋色の時代がかったローブから細い手を出し、人差し指を立てて見せた。

「無駄なことはしない主義だろう。……それよりも、そんな君に打ってつけの提案がある。もし、あの学園が再開されるようなことがあったら、君は彼女とともに、天幕の人間としてあそこへ戻れ。それを約束出来るならば、君たちを、君たちがかつていたことのある場所に僕が戻してやってもいい。そこは、少なくとも彼女は知っている場所だ。
 どうだい、悪い提案じゃないだろう?」

 それからヤツは、自分で立てた自らの人差し指を見やって、小さく“気障な仕草だな”と、明らかにオレに向かって言った。オレの真似をしたつもりだったらしい。だが、オレはそんなことに一々構ってやるほどの余裕はなかった。

「……天幕の人間として、ッつーのはどういう意味だ。」

「何も。今まで通りということさ。お望みならば、もっと素敵な小道具を用意しておいてあげても良いのだけれどね。」

 それは魅力的な提案だった。どちらにしても、学園から退去させられるということになれば天幕はオレを回収するだろう。そして、彼らにメイリーを回収して戻してやる義理はない。
 そうなれば、彼女は何一つ頼るものもなく、眠る場所さえない状態で、あの世界に放り出されることになる。たった一人で。そしてオレは、またしても彼女を放り出して、“誓い”を破ることになるのだ。
 それだけは、何としても避けなければならなかった。

「……少し……少し、考えさせてくれ。退去させられるまでニャ決める。今日一日でイイ。……考えさせてくれ。」

 コイツらのやることだ。絶対に今まで通りなどという訳はない。だが、今ここで、コイツらの手を躱し、なおかつメイリーを一人にしない方法など思いつくはずもなかった。

「良いよ。どうせ“未来”は見えているのだから。精々考えるが良いさ。
 ……おっと、そろそろ帰ってもらわなければね。退去までは、君たちにはあそこで足掻いてもらわなくてはならないのだから。」

 唐突に、そうやってヤツは話を打ち切った。いつの間にかその右手には紅の魔力を撒き散らす“それ”が握られていて、ヤツはそれで宙に文章を綴り始める。

「さぁ、戻りたまえ。……君の答え、楽しみにしているよ?」

 オレの視界はブラックアウトした。

   +   +   +   

「アイ~?
 今日の相手なんだけ……」

 天幕の“真の本部”から転送されたオレの目の前に、彼女がいた。目を丸くしてオレをすぐ目の前に。

「あ……アイ?」

 どうやら転送されてくるところを見られてしまったらしい。極々短い時間ではあるが、完全に実体化されるまでには間がある。恐らくは、渦巻く魔力の中で半透明のオレが立っていたようにして彼女には見えていたはずだ。

「……悪ィ。オヨビがかかってな……?」

 何とも間が悪いところへ転送しやがったものだ、あのクソッタレは。もしくは、これも当然のようにして“織り込み済み”だったのか。

「う……うん、ちょっとびっくりしちゃっただけだから……。
 それよりね、今日の相手なんだけど……。」

 そういって彼女は、今日の対戦相手であるケルベロスの話を始めた。地獄の番犬。三つ首で炎を吐く魔獣。オレも一度見たことがあるだけだ。そのときは幸運にも、オレが実際に戦う必要はなかった。先に向かった連中が肉片に変えられてその三つの首に咀嚼されているのを見て、上は退却することにしたのだ。
 だが、オレはそんな彼女の話を空で聞き流していた。話している当の彼女が、そもそも上の空だったのだ。俯き加減で、微かに瞳を潤ませて、それでも平静を装って。明らかに、さっきのオレを見て彼女は動揺していた。
 そう、ヤツは間違いなく、このタイミングを見計らってオレを送り返したのだ。

「メイリー。」

「ん?」

 オレの呼びかけに、どうにかして瞳の揺れを隠しながら彼女はオレを見た。オレの答えは決まっていた。それが、たとえそれしか選べないように誘導されたものであったとしても。

「ナニも言わなくてイイ。
 ……心配すんな。オレはメイリーを置いて、ドコへも行きやしねェ。」

 オレの答えは、最初からそうやって決められていたのだった。


三十日目-学園最終日-

「さて……じゃあこれで君たちは、今日が終わり次第“約束の地”へと転送される。」

 オレはそのクソッタレの言葉に軽く頷いた。メイリーも、訳が分からないままにとりあえずオレを信じることにしたらしい。まぁオレたちのそんな実情も恐らくは把握しているのだろう、緋色のローブをまとって魔術師然とした皮肉屋は軽く頷き返すと、その右手に握った小さな魔導器で数言の文章を宙に綴る。ヤツとオレとの間に刻まれたその一文は、赤黒い輝きを残しながら光の粒子となって淡く消えた。

「アイとボクを……あの街に送ってくれるって本当なの?」

「大丈夫ナンだろうな?」

 オレのその問いを、まるで馬鹿馬鹿しいとでもいうようにして運命の調律者を名乗る男は鼻で笑い飛ばした。その赤く光る邪眼がオレを射すくめようとするかのようにその呪われた光でオレを見やる。だが、その光は最早オレには何の影響も及ぼさない類のものだった。
 オレたち二人を、このクソッタレは、オレたちが“島”から戻ってきたときに滞在していた街に戻してくれるらしい。そこにはオレが武具を修理に出す顔見知りの腕の良い鍛冶や、メイリーのお気に入りのパン屋、冒険者たちが集まるギルドもある。オレは実際にそこにいた実感はないが、それでも戻ってきた記憶によってその街の情景は“知って”いた。あそこなら大丈夫だろう。街の暮らしに飽きればちょっとした冒険に出ることも出来る。悪くない街だ。

「当たり前だよ。僕が書き残したものは、事実として厳然と存在する。例外などないさ。」

 そう言って肩を竦めると、赤い道化師はオレに背を向けた。もう用は済んだらしい。
 この学園からの退去が今日に迫っていた。オレは昨日の彼女の瞳を見て、このクソッタレに対する答えを決めた。シェルを通じてそれを知らされたこの男は、天幕の学園からの撤退を前にしてオレの前に現れたのだった。
 たとえもう一度天幕に戻ることになっても、オレには悔いはない。あのとき、あの場所で、世界の願いを振り捨ててたった一人を選んだのと同じようにして、オレはもう一度彼女を選んだ。何を捨てたとしても、もうメイリーを一人にはしない。それは、オレが彼女に出来る、唯一の、“妖精騎士”としての誓いだったのだから。

「……強く、なったね。アイヴォリー=ウィンド。君は、もう僕の実験体ではないのかも知れない。」

 オレに背を向けて立ち去ろうとしていた赤いローブが空を見上げて足を止めると、ふと思い出したようにしてそう言った。背を向けたままのヤツの表情はうかがうことが出来ない。だが、どちらにしてもヤツの深層は分からないのだろう。オレがいつもの笑みで心を隠していたように、イヤ、それ以上にコイツは自分の心を隠しているのだから。

「君は僕が与えた運命を超越した。それは僕が望んでいたものだ。僕自身の望みが叶えられるかはまだ分からない。だけど……きっと君は、僕の希望になった。
 とりあえず、君の試練は一度此処で終わりにしよう。もう一度呼ばれるまでは。それまでは、望んでやまなかった平穏を……僕が与えようじゃないか。」

 それは、決してこの男から聞ける類の言葉ではなかった。いつも皮肉な笑みを浮かべ、全てを嘲笑してアウトサイダーを気取っていた、捻くれ者のコイツから。だが、だから、オレはいつもの笑みを浮かべたままで、ヤツの背中に言葉を投げつけた。

「オレはテメェの希望にナンざなってやるツモリはねェ。欲しいモノがあるんなら、人でテストナンてしてるんじゃねェよ。自分自身で、あのクソッタレた書斎から出てつかみやがれ。
 ……ま、天幕の命令ならマタ出てヤッケドな。ソイツはアンタとの約束だからよ。」

「……そうそう、メイリー=R=リアーン。君のその胆力には驚嘆する。素晴らしい働きだった。尊敬するよ。君がいなければ、彼も此処まで到達できなかっただろう。君には、感謝しているよ。」

「ボクもお礼を言わなくっちゃ。貴方が教えてくれたから、ボクもここまで来れた。貴方がいたから、アイと出会えた。ありがとう。」

 そう言うと、あろうことかメイリーはクソッタレに対して頭を下げた。鼻を鳴らす音が緋色のローブの背中から聞こえた。いつものように、下らないとでも笑ったのだろう。

「ふふ、照れ屋さんなところもアイとそっくりなのね?」

“ヤレヤレ、仕方ないな。”お嬢さんは。
 ふふ……“島”が終わり、僕が出向いた世界が終わり、そして此処ももうじき終わる。でもきっと、君たちの旅は終わらないだろう。僕が書き続けるまでもなく、ね。」

 ヤツはそう言って、右手のペンに目をやった。小さく含み笑いが聞こえた。

「こんなものでは……何も変えられない、か。だけど、それでも、僕の武器はこれ以外にないんだろうな。」

 そう独りごちると、ヤツはその強大で矮小な玩具をいつものごとく振るって宙に文字を描き出した。ヤツがどうするのかは分からない。だが、それはヤツ自身が決めることだ。

「じゃあね、“僕の欠片”よ。もう、会うことはないのかも知れない。」

「あばよ、“オレたちの中のひとつ”。へッ、どうせマタすぐに会うコトになるだろうさ。」

 “オレたち”はつながっている。“オレたち”は繰り返す。だから、その運命の預言者の言葉を、オレは真っ向から否定してやった。
 渦巻く魔力がヤツを取り巻き、紅い残滓が緋色のローブを包み踊る。その次の瞬間には、道化師の姿はもうなく、ただ消えていく緋文字が宙に溶けていくだけだった。

「ふゥ……。コレで準備はデキたかねェ。
 ……よしッ、メイリー。最後にいっちょ派手な見せ場とイキますかッ!」

「うんっ!」

 ずっと離れない。なぜならば、たった一つ、オレが見つけた大切な輝きだから。隣で頷く小さなお転婆姫の頭をいつものようにかき回すと、オレはいつもの笑みで微笑んだ。

   +   +   +   

「さて……これで“準備”は出来たかな。」

 僕はそこまで書き付けたものを脇に退けると、自分の城である書斎を見回した。僕の力場の焦点であり、僕の鉄壁の守りであるデータの集合体。これまでに集めた書物はどれくらいになっただろうか。データでバックアップはとってあるが、実際の原本はそれほど持っていくことは出来ない。でも失われるのはあまりにもったいないものたちだ。僕はそういったものを次元の狭間に隔離しておくことにした。シェル自身がアイスとして常駐するのだ、滅多なことでは破られないだろう。

「じゃあシェル、僕のいない間頼んだよ?」

 コマンドを認識。書庫1~13までを隔離しました。

 聞きなれた少年の柔らかな声ではなく、あまりに冷たく機械的なその声に、僕は実際に小さく身震いさえした。前に進むことに常に痛みが伴うと言うならば、僕の半身を模ったこの電魔の眠りも、そうなのかも知れなかった。

「不便になるけれど……仕方ないな。」

「大丈夫、ちょっとしたAIは残しておいたから。あいつのフォローとキミの暇潰しの相手くらいは出来るんじゃないかな?」

 当分聞けないと思っていた少年の声で突然呼びかけられ、思わず僕は苦笑する。創造主に似て勝手ばかりする存在だ。

「ヤレヤレ……まぁ良いか。それより、そろそろ時間だろう。お客さんを招待しなければ、ね。」

「じゃ“通路”を開くよ。カウントダウン開始──5──4──3──2──1──」

 シェルの声が途切れるとともに、書斎の扉が乱暴に開かれた。黒い司祭服に胸には銀の十字の縫い取り。“銀”たちだ。

「R,E.D.、貴君を天幕の名において、反逆の疑いで拘束する。抵抗しても無駄だ。この書斎への魔力供給は我々の突入と同時に天幕の回路から外されている。いかに魔筆……Cosmic Forgeと言えども、もう何も書き換えることは出来ない。」

 “銀十字”の部下がそう言い放って僕を遠巻きに取り囲んだ。その輪の向こうで“銀十字”が嫌らしく笑みを浮かべていた。何度見てもつまらない顔だ。“蛇のような”とでも言う凡庸な形容詞くらいしか与えようのない、つまらない男だ。いくら素体に困っていたからといって、ナンバー2をこんな男に与えておいて良いものかと、僕は小さく溜め息を吐いた。

「済まないね、R,E.D.君。そういう訳だ。釈明は“金色”の前でしてもらおうか。」

「悪いが君と話すことは何もない。僕は此処を出て、少しの間暇を取ることにした。早く出て行った方が身の為だ。それじゃ。」

 形式上だけでも避難勧告を出してやった。後で“金色”と揉めるのは面倒だからだ。

「愚かな。もう魔筆は何も綴れんよ。大人しくした方が、それこそ君にとって“身のため”という奴だと思うがね。」

 “銀十字”。ダメだ、君は諜報員を失った前例があるというのに。最期までその愚かさを改められないとは。僕は口の端に笑みを浮かべると肩を竦めた。

「……僕を誰だと?
 ……僕は“運命を編纂する役割”。僕によって書き記されたことで実現しないことなどない。僕の生み出した彼らが為し得た偉大なる成果以外には、ね。」

「だからもうその魔筆は──」

 あまりの茶番じみたやり取りに僕は腹を抱えて笑いそうになるのを必死で堪えていた。誰にでも人生の中で一度は主役が回ってくるというのならば、アウトサイダーの僕にとって、これほど出来すぎた舞台もない。僕は舞台の俳優よろしく手を拡げて“銀十字”の言葉を遮った。

「僕によって書き記されたもので、実現しないものはない。」

 僕の前に、膨大な量の文章が浮かび上がった。それは流れ、次々に現れては消えていった。そして、このところいい加減に書き慣れた量──4500字の最後の文章が現れて、それは消えることなく僕と彼らの間に留まった。

「さぁ、終わりだ。僕がさっき書き終えたこの文章が消えれば、此処は消える。無論君たちはそれまでの間僕を傷つけることなど出来ない。逃げたまえ。扉はすぐ其処だ。君たちにとって有難いことに、どうでも良い君たちの結果は僕が書いた文章の中には含まれていないからね。」

 既に書き終えられた“この”文章が僕を取り巻き、魔力の奔流となって僕を包み出した。使い慣れた“夢の国の王”の虹色の色彩が狂ったようにして踊る。少しの間、さよならだ。魔力の渦の向こうでようやく自分たちの現状を理解した彼らが、慌てふためいて扉へと走り寄るのが見える。“銀十字”は助からないが、他の連中はどうでも良い。僕は最後に、僕がこよなく愛した此処を目にしっかりと焼き付け、目を閉じた。

 さぁ、新しい旅立ちだ。
  1. 2007/05/16(水) 15:33:44|
  2. 過去前振り:SSA
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SSA本編:前半

テストプレイのせいで大分痛々しいことになった状態でスタートです。半ばヤケクソ気味に、自分の書いた文章をパロディするというか、大分愉快なことになっていますw

文章的には、ここから爺の使っていた「最後にタイトル」がカッコよかったので真似していたりとか。


二日目(一日目は登録のみ)

 ヤレヤレ……今日から後期だ。だりィ……。つってもオレはソレホド授業があるワケでもねェんだケドな。ビジンで山モリの生徒ズならトモカク最近の盗賊志願といッチャあ、無意味に露出度の高ェ女王サマみてェなヤツとかやたら暗ェ目の暗殺者志望とか、ロクでもねェヤツしかこねェ。そんな連中は自習だ自習。盗賊のイロハを教えてヤるのもアホクセェ。時間のムダッてヤツだ。第一オレはビジンと準備室でしっぽり特別授業するので忙しいしな。まァ今期もテキトーに……

   +   +   +   


 そこでオレはふと目を細めた。学園内の雰囲気が変わったのだ。それは簡単に感じられるものではなく、目に見えるようなものでもない。敢えて言うならば、今まで吹いていた風の向きが変わったような。流れが変わったことを身体のどこかで感じるような、そんな感覚。

「来ヤガッたか……。」

 この感覚は知っている。それはまるで夢で見たことがあるような、確かな既視感。あの仮想空間での訓練のお陰だ。そう、つまりは……天幕の構成員として活動を始めるべき時が来たという、ゴーサイン。オレの耳に、聞き覚えのある放送が聞こえてきた。

「後期学園生活を迎えるにあたり、訓練用の棒を用意致しました。後期の学園には様々な敵が徘徊することになります。戦闘の練習にご利用ください。」

「あァ、分かってるぜ。さっさと出しな。」

 コイツはマイケルとかいったか。学園のどこに隠されていたのかも定かではないが、オレは仮想訓練で会ったことのあるコイツを余裕を持って観察し、以前に戦ったときの大体のデータを頭の中から引き出した。
 所詮は訓練用の相手だ。コイツは放っておけば勝手に自分で自分に攻撃を放ち自爆する。わざわざ手を出すまでも無い。だが、ここでどれくらい身体が動くのかを確かめておくというのは悪い提案でもない。
 全ての装備は現地調達が命令だ。オレは手近にあった、罠作成に使うワイヤーを切るためのナイフを手に取り重さを確かめる。武器として優れたものではないが仕方がない。

「はいこんにちはッ!私はマイケルと申しまーす!校長の御指示でアナタの戦闘練習のお手伝いをさせていただきますよォッ!!前期で鈍った勘を取り戻してくださいネェーッ!!」

「さっさとかかって来い、一人リアルボクシング。」

 確か、コイツのパーツは後々役に立つ素材になるから上手く処分しろという指示が本部から出ていたはずだ。頭か、腕か脚か。上手く使い物になるように、欲しい部分を傷つけずに倒さなければならない。殴りかかってきたマイケルを躱すと、オレは椅子の陰にあるボタンを踏んだ。狭い準備室の中に設置されたピットトラップがマイケルを飲み込む。どんな時でもシーフは安全第一、油断大敵がモットーだ。

「もう上がってくんじゃねェよ一人ロッキー。」

 ようやく穴の端に手をかけて上がってこようとしていたマイケルに蹴りを入れてもう一度穴に叩き落すと、オレはこれからしなければならないことを頭の中で列挙する。まずは信用できる仲間──要するに他の天幕の構成員や、天幕と関係のある連中だ──との合流。そして、メイリーも探さなければならない。

「…………。」

 オレはそこでふと溜め息を吐いた。メイリー……オレは思わず仮想空間での偽りの記憶を思い出す。彼女は、あの彼女は本当に唯のプログラムに過ぎなかったのだろうか。オレに見せた微笑み、オレに見せた涙、オレに語ったオレの思い出。あれが全て偽りだったというのならば、オレはそのメイリーというフェアリーを見つけ出したその時に、どんな顔をすればいいのだろう。ただ偽りだと断定してしまうには、あまりにも鮮明で切ない記憶。

「ここからが私のやり方ですッ!」

「ウルセェ自爆マッチ棒。」

 オレはもう一度マイケルを穴に蹴り落とすと、もう立ち上がってこないように念には念を入れて落ちたマイケルの上に飛び降りた。適当に踏みつけているとマイケルはその内動かなくなった。オレはそれを念入りに確認した上で、ようやく自分の開けたピットトラップの穴から一跳びで抜け出て散らかった準備室の惨状に溜め息を吐く。マイケルが所構わず暴れ回り──オレがトラップとしてあちこちのロッカーやら棚やらを使い──部屋の中はありえないほどに散らかってしまっている。これでは当分この部屋は使えないだろう。オレは散らかった部屋の中から必要な装備を探し出すと、いつも分かるところに置きっ放しにしている背負い袋に片っ端から詰め込んだ。大して使えるものは無いのだが持っていかないよりはマシだろう。

「ヨシッ!」

 オレは憂鬱な気分を振り切るように自分に気合を入れ、少々重くなった背負い袋を担ぎ上げた。訓練通りならば他の連中もこの近くにいるはずだ。オレは天幕からここに来るときに与えられたメンバーのリストを眺めて集まるはずの連中の名前を名簿から探し出した。仮想訓練のときに名前を見たことがあるヤツが数人、残りは覚えの無い名前だ。恐らくデータが間に合わなかった飛び入りなのだろう。まぁそうは言っても天幕から紹介された人間だ、信用しても大丈夫なはずだ。
 オレはリストの中にメイリーの名前を見つけて、もう一度溜め息を吐いた。

どんなカオでアイサツしろッつーのかね。

 会ってみなければ彼女がどこまでを知っているのか、どこまでを覚えているのかは分からない。イヤ、もちろん本当は分かっているのだ。あれは唯の仮想訓練で、彼女はそんなことは知る由も無いのだと。だが、それでもオレは僅かな望み──たとえば、メイリーも同じ訓練を受けさせられていたとか、たとえばあのクソッタレの道化師が彼女に訓練のときの記憶を埋め込んでいたとか──そんな小さな望みを抱いていたのだった。
 迷路じみた校舎の廊下を抜けようやく外に出たオレは、辺りを見回してすごい数の人間の群れの中から見知った連中の顔を見つけ出す。これからちょっとの間、信頼できる連中はこの十五人だけだ。だが、その中にまだ来ていないヤツがいることに気づいて、オレはもう一度辺りを見回した。

「アイ~?!」

 人込みの中からオレを呼ぶその声。それは確かに訓練で聞いていた通りの声で、オレは呼びかけられた方を見透かす。そこには必死で空中に身体を浮かせて自分よりも高い人垣の上にどうにか頭を出そうとしている、“見知った顔”があった。

「おゥ。コッチだ、嬢ちゃ……」

 軽く手を挙げて彼女に見えるように振ってやると、オレは人垣を分けてそちらへと近づく。嬢ちゃん、と呼びかけようとしてオレは思わず口を噤んだ。

「えへへ、やっと見つけたよ、アイ。」

「あァ、どうやらそうみてェだな。」

 鼻の頭を掻きながらメイリーを見下ろす。彼女は仮想訓練で見たままの小さなフェアリーだった。どうやって彼女のことを呼べば良いのか、そんなくだらない悩みは、メイリーの笑顔を見れば掻き消えてしまった。それほどまでに、彼女は屈託も迷いも無い、純粋な喜びを全身で表現していたのだ。

「コレからは“ウンメイキョウドウタイ”ってヤツだからよ。ヨロシクな、メイリー?」

 オレは自分が悩んでいたその悩みが馬鹿馬鹿しくなって、苦笑を浮かべて空を仰ぐ。旅立ちの日としてはこれ以上ないほどの、晴れた秋の空がそこにはあった。

「ヨシッ、コレからガンバろうぜッ!」

「うわっ、アイっってば下ろしてよ~?!」

 人込みで歩きにくそうなメイリーを左肩に抱え上げると、他の連中が待っている辺りに向かって歩き出す。メイリーは少しの間オレの肩の上でじたばたともがいていたが、やがて観念したのかおとなしくなると、大きくひとつ息を吐いた。肩の上から降ってくる忍ぶような笑い声。

「ん、どうしたよ?」

 オレが彼女を落とさないように見上げると、オレを見下ろしているメイリーと目が合った。満面の笑みで空を仰いで大きく伸びをするメイリー。

「ふふ、やっぱり“ここ”が良いね?
 うん、がんばろうっ!」

 こうしてオレたちの、“本当の”後期が始まったのだった。

   +   +   +   

 実験開始。
 実験体も、どうにか迷いは心の底に押し込めたようだ。少々ややこしいことをしてしまったせいで混乱したようだけれど、そこは元暗殺者、それくらいの切り替えは出来なければね。これから、“訓練”で感じた以上の混乱が待っているのだから。
 でも大丈夫だ。歴史は綴られた以上、厳然と、現実として存在している。感情も、絶望も、そして希望も、綴ったもののフィルタを通してしか歴史が残らないのと同じようにして、逆説的に綴られた歴史は綴られた時点で存在するのだ。たとえそれが、綴ったものの感情や絶望や、そして希望でしかなかったとしても。
 僕に、その“可能性”を見せてくれ。
──魔筆と紅いインクでどこかに綴られた、観察者の日記──



三日目

「さて……問題は彼ではない。そう貴方にあるのだと思われるのですが、そこはどう申し開きをなされますかね?」

「そこまで僕の責任だと?」

 やってきたこの面倒な言いがかりに対して、僕は鼻で笑って応対した。彼ら黒の司祭服に銀の十字をあしらったこの画一的な間抜けたちは、要するに天幕の中に存在する言いがかり専門の連中なのだ。いちいち真に受けてまともに取り合っていては時間がもったいない。

「我々が許可を出したのは、貴方の実験に付随する“それ”が、我々虹色天幕としての喧伝効果にもなりえると、そう考えたからです。
 それなのに、この体たらくでは困るのですよ。」

「結果的に、無駄になるものを生産する気は僕にはない。」

 そう、僕は“意味を綴る”存在だ。意味のない冗長なものを綴るようになってしまっては本末転倒なのだ。それは“書かされている”のであって、決して“書いている”のではない。だが、それを聞いてこの苦情発生係の一人は予想通りに眉をしかめた。

「今回……前回からですからもう始まって大分経ちますが、貴方の実験をイレギュラーケースとしてどうにか承認させたということの顛末は……貴方もご存知ですね?」

 要するに“自分たちが貴様のために努力してやったのだからその分の働きをしてもらわなければ困る”、ということだ。まぁ彼らのレベルには相応しい要求ではあるのだけれど。僕は口の端を歪めるようにしてモニタにいびつな笑みを浮かべると、僅かにあごを引いて首を傾げて見せる。その角度が、僕の瞳で相手を威圧するのに最適な仕草を作る──相手をもっとも不安に陥らせる仕草である──ことを充分に把握して。

「そんなに宣伝用の看板が欲しいのならば、AからZまで百五十回ほど並べるボットでも投入したまえよ。大丈夫、今の連中はそれと大差ないさ。」

 それを聞いて黒服の銀十字は気色ばんだ。“シロガネ”、つまり天幕の中の順位で二つ目に位置するものに直接仕える者としては、唯の“紅”に凄まれた上に一切を拒絶されるというのは気持ちの良いものではないだろう。だが、そんなことは僕も充分承知の上だ。

「とにかく、今のままでは困ります。早急に手立てを講じてください。」

「断る。僕は僕のやり方で、必要なことだけを綴る。今まで通りに、ね。」

 それだけを告げると、僕は一方的にモニタを閉じて通信を遮断した。いつまでもこんな茶番に付き合っているのは時間の無駄だ。
 だが、確かに彼が言うように、このままでは具合が悪いのも事実だ。今回の僕の実験が彼らの言う“イレギュラーケース”として許可を得たのも、天幕の総意としてはかなりの無理を強引に押し通された形になっている。かつて天幕を離反した者の素体を再度使うというだけでも彼らにとっては許されざる行為といったところだろう。それを認めるためには、形だけでもある程度の利点がなければならないというのは僕にも分からなくはない。
 だが、“意味を綴る”ことは苦しいものだ。それを継続的に行うのは決して楽な作業ではない。第一これからはさらに時間的な余裕がなくなるのだ。はっきり言って苦痛に等しい作業になるだろう。
 それでも、僕は綴り続けよう。意味のあることを、僕のやり方で。僕は“運命を編纂する役割”、意味を綴るものなのだから。
 全ては、喪われた、灰色の見透かす瞳のために。
 絶対に、誰にも邪魔はさせはしない。

──どこかに、血の色で記録されたある日の備忘録──


   +   +   +   

「オイオイ、ソイツはマジで言ってんのかよ?」

 オレは僅かに非難の調子を込めて相手を見た。相手は二人、中年、ヒゲ面のオヤジと、冥い目をしたドワーフの爺さんだ。明らかにオレが好き好んで話をしようッつータイプじゃねェ。だがそれは向こうも同じようで、二人とも不機嫌な様子でオレの抗議を適当に流している。

「仕方ねえつってんだろがい。ケンカするには準備ってもんも必要なんだよ、分かるだろ?」

「元々この場所から開始すると決めた時点で決まっていたことじゃ。今更変更は出来ぬな。」

 二人が順番に、オレの意見を速攻で却下した。オレは僅かに気色ばんで後退さる。だが、オレもハイハイと引き下がる訳にもいかないのだ。
 問題はこうだ。マイケルとの一戦が終わった後で、オレは今回のメンバーと合流した。だが、そこで告げられたのは、「移動を共にするが戦線は別々に展開する」という、明らかに非効率な指示だったのだ。その指示を聞いて、オレは今回のリーダー格である二人に考えを改めるように迫ったのだ。だが、二人のリーダーたちの意見はひとつ、「パーティを組織する時間の余裕はない」というものだった。
 確かに、パーティを編成するとなると時間はかかる。メンバーの振り分けや戦闘方法のすり合わせ、攻撃のタイミングの打ち合わせや作成に関する割り当てなど、決めることは多い。それよりも技の修練に時間を割いて戦力を確保しようというのはもっともな意見ではある。だが、問題はそこではなかった。

「ソリャオレたちはイイぜ。戦うのがオシゴトみてェなモンだしな。だケドよ、他の連中もみんなそうじゃねェッてコト忘れてねェかよ?」

 そう、オレたちは良い。ある程度戦闘に慣れていて、敵に向かい合っても一人でどうにかできるヤツは良いのだ。だが、十六人という大人数を抱えるこの集団には、当然そういった荒事に慣れていないヤツもいる。そういったヤツらに一人でこれから数日を戦って生き延びろというのは酷な話だった。

「今回は召集に当たって、全員がある程度の戦闘をこなせるような人選になっている。本部にもそう条件付けをしたからな。第一、これから先のことを考えればこの程度の戦闘で音を上げる連中など不要。」

 ドワーフの爺さん──キーロがそう断言した。それに合わせて用務員のオッサン──ゲンさんとかいうヤツだ──も頷いた。

「まぁ兄ちゃんが心配するのも分かるけどな。大丈夫、あのお嬢ちゃんも一人であれくれぇの敵はさばけるさ。な?」

 そう言って器用にウィンクしてくるゲンさん。まぁこのオッサンとはそれなりに気が合わなくもなさそうだが、ヤツは知った風にオレの心配事をニヤリと笑ってずばり指摘して見せた。

「そういうコトじゃねェッ!
 メイリーはともかくフェリシアやらナンやら、戦闘に向いてねェヤツがいるだろうがッ!?」

 思わず口走ってから、オレは迂闊な自分の一言に遅ればせながら気が付いた。ゲンさんはしてやったりと言った様子でオレに向かって余裕の笑みを浮かべている。

「あの軍人のお嬢ちゃん……フェリシアンカとか言ったか、あのお嬢ちゃんは軍人なんだ、それこそ一人でもどうにかなるだろうさ。」

 実際仮想訓練のときの情報から考えれば、一番危なそうなのはあのフェリシアッつー嬢ちゃんだ。だが、それをこうやって封じられてしまうと非常に分が悪い。

「とにかく、まずは相手を確実に倒せるだけの戦力の確保が肝要。お主もそれくらいは分かるであろう?」

 畳み掛けるようにしてキーロの爺さんが言う。言い返すことも出来ずに無様に押し黙るオレ。

「まっ、そういうことでパーティとしての合流はもうちっと先ってこったな。まぁ応援でもしてやれや兄ちゃん。」

 気軽にオレの肩を叩き、ゲンさんが慰めにもならない提案をしてくれた。オレは仕方なく大きく息をひとつ吐いて肩を竦める。どちらにしても、もう集団としての方向性として当面の作戦は決まってしまっているのだ。ここでオレがむずがっても時間の無駄でしかないということくらいはオレにも分かっていた。

「ッ、仕方ねェな……。」

 オレは舌打ちをひとつすると、苦渋の表情のままで仮の本部として設営されている天幕を後にした。

   +   +   +   

「ヤレヤレ、参ったねェ……。」

 大きく溜め息を吐いて切り株に腰を下ろす。向かいにちょこんと腰掛けた妖精──メイリーに向かって、オレは先ほどの会議の顛末を聞かせていた。

「うん……このくらいならボク一人でも何とかなるから……アイは心配しないで?」

 にっこりと、いつもの──もっとも、オレはその笑みを仮想訓練の中でしか知らなかったのだが──笑みを浮かべてメイリーはそう言った。そう、“いつも”の笑みで。それは、彼女が心配をかけまいとするときに、いつも見せていた笑みだった。この小さなオテンバ妖精は、そうやって繊細な一面を見せることがある。それが分かる程度には、オレは彼女のことを“知って”いた。要するに、あの愚にもつかない仮想訓練も、そのくらいには役に立っていたということだ。

「んなコト言ったってよ、メイリーはそもそも前衛に立ってどうこうッつーのは得意じゃねェだろ?」

 彼女の主武器は魔法だ。魔力を練るための集中時間、詠唱を完成させるための間合い。そういったものが必要であることぐらいは魔法の知識がないオレにでも分かる。第一、その細い体躯がどれだけ相手の攻撃に耐えられるかは非常に不安だった。

「も~、そんなの大丈夫よ。だいたい前だってボクを前に出してアイは後ろに隠れてたことだってあったじゃない?」

 彼女は、こともなげにそう言った。まるで当たり前のことのようにして。オレは思わずその彼女の言葉を素通りさせそうになって、その重大な意味に僅かに逡巡する。
 確かに、仮想訓練の最中には、そういったこともあった。メイリーは優れた魔石作成の素養を持っており、それに必要な生命力を持っていた。つまりそれは打たれ強いということだ。対してオレは、その攻撃の主軸を罠に置いていて、それが発動するまでの時間稼ぎをしなければならず、また同時に身の軽さで打たれ弱さをカバーするシーフの戦闘スタイルだったために、魔法を主とした攻撃には滅法弱かった。そのために、敵によってはメイリーを前衛に置いて魔法攻撃を凌ぎ、オレの罠が発動するまでの時間を稼いだこともあった。
 だが、それはあくまでも、仮想訓練の中での話だ。つまり、オレしか体験していないことのはずだった。

「オイメイリー、それ……ソイツはイツの話だ?」

 それは、オレが心の底で微かに抱いていた儚い願い──あの短い、僅かなときが、現実のものだったという、絶対に有り得ないはずの願望を実現してくれる、僅かな補強材料だった。
 だが、メイリーは空を見上げると、いとも簡単にオレの希望を打ち砕いて見せた。

「さ~、いつのことだったっけ?」

 自分でも頭の上に疑問符を乗っけていつのことだったか思い出そうとするメイリー。オレは額に手をやると、微かにしてきた頭痛を抑えようとして歯を食いしばった。……もしかすると頭痛ではなく怒り──もしくは諦めか呆れ──だったのかも知れないが。

「まァメイリーに聞いたのがマチガイだったぜ……。」

「も~、とにかくボクは大丈夫よ。そんなに長い間でもないみたいだし。ね?」

 オレはその天真爛漫な笑みを前にして、溜め息を吐く他ないのだった。


四日目

 予想通り、ある程度の連中はレースから脱落らしい。一応のところはこれで双方の顔を立てることが出来ただろう。後はこれを落とさないように維持しつつ、少しずつ這い上がれば良いだろう。ただし、切れと締めだけには気をつけなければ。

 僕はそこまでを綴って、ふと目を上げた。あることを思いついたのだ。傍らに置かれた小さな鈴を鳴らして、涼やかなその音が呼んだものが現れるのを待つ。

「どうだろう。やはり歴史の認識に齟齬が生じているようなんだけれど。いっそのこと記憶を改変してしまった方が都合が良いかな。
 それとも選択肢としての要素──逡巡を生み出すものとして残しておいた方が良いのかな。君の意見を聞いてみたいんだけれど。」


「僕に聞いてどうするのさ。キミがやったことでしょ。
 大体“綴られたものは過去として存在する、それは既に決定されたことだ”、っていうのはキミのお決まりのセリフじゃなかったっけ?」

 緩やかな風を巻き起こしながら机の上に現れた光球を、僕は椅子を回して振り向いた。黒と白、二対の羽を持つそれは、くすくすとボーイソプラノの軽やかな笑い声を漏らしながら滞空している。その声音とは正反対の──もしくは似合いすぎる──嫌味な物言いに、僕は僅かに口を歪めた。

「しかしシェル、どうして君はいつもそういう言い方しか出来ないんだろうね。つくづく嫌になるよ。」

 その言葉を聞いて、僅かに光球の色が明るくなり風が強くなる。流石に気に入らなかったらしい。

「そりゃあね。そういうところを凝縮して作ったのはキミでしょ?」

「まぁ自分の嫌な部分を凝縮して見せられるというのは、いつもながらに気持ちの良いものではないね。
 それよりも、机の上の書類を飛ばして散らかさないでくれよ。それは“シロガネ”に提出するデータなんだから。」


 僕は風を巻き起こして不満を表現するシェル──この翼を持つ光球の名前だが──に注意した。この上に報告が遅れたりすれば、その苦情発生係に何を言われるか分かったものではない。

「まぁいいけどさ。で、今さら周囲までを混乱に巻き込んで記憶の再構築をするよりかは、今のままの方が良いんじゃない?」

 もう既に混乱は生じているのだが。とは言え彼が言わんとすることは理解できたので、僕は小さく頷いた。こういったところは便利なのだけれど。まさに、手に取るようにどころか“自分のことのように”理解できる訳なのだから。

「まぁそうだね。もう綴ってしまったしな。これに関しては、再構築するよりも状況を見ながら適当に処理していくことにしようか。
 もう良いよ。ありがとう……あぁ、ついでにそのデータ、撒き散らす前に“シロガネ”に届けておいてくれないか。」


「メールに添付して送れば良いじゃないかよぅ……。」

 シェルは不平をたれながらも、書類と共に姿を消した。僕の指示を実行の命令として認識したのだろう。僕は再び椅子を戻すと書きかけていた書類に目を戻した。

 それよりも、実験用のデータとして受け取っていた時点から気になっていた存在がある。自らを“物語記録者”と称する存在がそれだ。
 彼──便宜上“彼”としておこう──は、全ての位置に存在するという意味では非常に僕と立場が近い。つまりは観察者として世界の外側に置かれているということだ。彼自身は歴史に干渉する方法論を持たず、その主たる役目は“記録すること”にあるらしい。そこが魔筆を用いて運命を編纂する僕との違いのようだ。
 だが、彼は今、世界の中に自らを置いている。──僕がエルタ=ブレイアと呼ばれた世界に自らを収束させた時のように。そして、僕の魔筆に当たる運命改変装置を手に入れようとしているようだ。“彼女”が真に運命改変装置として、彼に機能するかどうかはまだ分からないが、それはまるで僕が魔筆に出会った頃を思い起こさせる様でもある。
 彼が“彼女”をどう用いていくかはこれから非常に興味深いところだ。上手くやれば可能性の展開をも可能にするかも知れない。少しの間観察することにする。


──あるデータベース内から発見された「reminder54.bhgl」の一部から──


   +   +   +   

「ヤレヤレ……指示書ですか……。」

 オレは小さく溜め息を吐くと、プリントアウトされたものらしいハードコピーに目を通す。シェルが朝方に持ってきたものだ。要するに天幕からの文書である。中にはいつもながらの読みにくい、筆記体を模ったフォントを使った血の色の文字が並んでいる。

 四日目戦闘終了後に、各員に通達した指示書の通り合流、パーティ編成を行うこと。

 その下には十六人を半分ずつに分けた名前のリストがパーティ編成として列記されている。オレはその組み合わせを確認するともう一度溜め息を吐いた。

「四日目ッて……要するに今日だろうがよ……。」

 当日にこんな重要な指令をブッツケで送ってくるというのは正気の沙汰とは思えない。現に一人、牧師だか神父だかが合流をトチッている。そういえば神官のお子サマも初日をブッチしたせいで遅れているはずだ。こんなことで上手く行くのかと、オレの頭を微かに不安が過ぎる。

「聖職者ッつーのはドイツもコイツも、ナンでこう時間にルーズナンですかねェ?」

 自分のことは棚に上げてオレは独り言を呟いた。オレも自慢じゃないが集合時間にはかなり遅れていることが多い。ブラックリストにしっかり名が載っているせいで間に合っているようなものだ。

「さて、とりあえずは今日の戦闘か……。」

 今日はウォーキング部員がいる辺りに行けッつー指示だったはずだ。ウォーキング部員は……スピードアップとブロウだったか。手数がブーストで多いのは危険だが、ピットトラップがある程度入れば充分余裕はあるだろう。そもそも昨日の戦闘を全開でこなしたために、罠の手持ちが今日は少ない。無理は禁物だ。間合いを詰めて連撃がキレイに入ればそれで勝てるだろうが、こればかりは実際にやってみないことには何とも言いがたい。

「まァどうにかなりますかね……。」

 オレは近くに置いたワイヤーの束から、発動用のトリガーにするために適当な長さを見繕って切り取った。戦闘が起こる地形にはいくつも罠として使える障害物や何やらがあるが、それだけでは罠として機能しない。屋外で罠を張るにはこうしたトリガーが必要なのだ。切り取ったワイヤーを束ねて引き出しやすいようにまとめると、オレはそれを手甲の内ポケットに収めていく。戦闘時にこれが絡まったりすればそれだけで致命的なだけに、いつもこの作業には非常に気を遣う。
 だが、ありがたいことに、キーロの爺さんに預けたワイヤーを切るためのナイフは見違えるようにして戻ってきた。このまま武器として使えるレベルの出来だ。流石ドワーフの手によるもの、といったところか。その鋭さは、武器として振るったときの切れ味だけではなく、この罠の仕込みのときにも大きく影響するだけにこれは非常に助かった。

「さてとッ!」

 自分に気合いを入れて立ち上がる。そろそろ集合時間だ。オレは傍らに置いたインスタントのレーションの残りをかき込むとワイヤーカッターをブーツのポケットに収める。一番信頼できる得物はやはりここが一番収まりが良い。

「しっかし……この食料はどうにかナンねェのかねェ……。」

 かき込んだレーション──要するに乾麺に適当に味付けをしたものだが──のロクでもない味が時間差で胃から戻ってきてオレは顔をしかめた。天幕から支給されたものだが、これはアサシン時代の保存食料の次くらいにマズい。要するに最低ランクだ。

「前期は良かったんだケドねェ……。」

 落ち着いている時分であれば、適当な女の子を見繕っておけば昼メシには困らなかったんだが。こんなロクでもねェ後期が始まってしまった今となっては、手製の弁当なんていうものは夢のまた夢というヤツだ。オレは仕方なく貰い物のビールで無理やりに後味ごと胃に流し込むと自分の天幕を出た。

「料理でも……デキればイイんだケド、な。」

 そう言ってみて、オレは何かをふと思い出した。捕まえた動物を端から煮込んだシチュー、やたらに味の薄いカレー、ウサギの蒸し焼き。オオトカゲの皮に包んで焼いたレモンクッキー、無理やり雪を降らさせて二人で作ったケーキ。雪の紋章の形に切り取って焼いたクッキーを入れた小さな包み……。机の上にはオレのピューターのカップと、もうひとつとても小さな、竹を割って作ってやった専用のカップが……。

「…………。」

 オレは、その途轍もなくサバイバルな食生活に、どこか懐かしさのようなものを覚えた。あのときの料理はあり合わせのもので作ったものばかりで、お世辞にも味が良いとは言えなかった。だが、あのときのメシは、確かに旨かったはずだったんだが。

「……イツの話だよ?」

 オレはデジャヴュのような、その奇妙な料理の記憶を無理やりに頭の隅の方へと押しやると、気分を切り替えようとして、空を見上げ大きく息を吸い込んだ。後期が始まったばかりの空は高く、秋の雲が微かに浮かんでいる。
 それは、どこかで見たはずの、遠い遠い、遥かに高い空だった。

「……レモンクッキー……な……。」

 まぁそんなものを作ってみるのも、たまには悪くないかもしれない。十六人もいれば、誰か甘いものが好きな物好きが食うことだろう。
 オレはふと思いついたそのレシピを、何となく心に留め置いて歩き出した。これから戦闘のために、冷静でいなければならないと言い聞かせる自分が、レモンクッキーで誰かが喜んでくれる、そんな悪戯めいたわくわくするような気持ちに浮かれている自分を必死で抑え込もうとしている、そんなちょっとした葛藤を味わいながら。


五日目

 さて、今日からはデュオでの戦闘だ。要するに敵も複数になる訳で、その分技編成の見直しが必要だろう。しかも悪いことに、メイリーはあれだけ言われたにも拘わらず、ホーミングミサイルすら強化して覚えていない。強化が出来ないマジックボムはともかく、何も強化されていないというのは中々に厳しい。所謂“ボーナス”を得る条件は、ここ三日間の間は全員に通達されており、平等だったからだ。──それはつまり、ある条件で習得できる技を覚えた連中は、全員それを強化して習得しているということだ。その時点で既に、それは“強化”ではない。“弱化”だ。三日目までの強化習得条件──俗に言う“初習得”というヤツだ──の緩和にに乗り遅れ、四日目にホーミングミサイルを覚えたメイリーは、少なくともホーミングミサイルに関して言えば、“弱化”の範中に入ってしまっているのだった。無論、メイリーはフェアリーであるため基礎体力としての魔力が高い。普通の人間よりかはずっと有効に魔法を行使できるだろう。だが、上乗せできるものがあるならばそれを乗せておくに越したことは無い。それがタダならばなおさらだった。

「ソレを補うのがオレの役割、ッてな。」

 そう、メイリーの魔力がいくら高いとは言え、彼女はそもそも戦闘には向いていない。いくらメイリーが自分も戦えると言っていても、十人並みに戦えるというのはあくまで人並みであって、戦闘に特化した連中には及ばない。簡単に言えば、それは“覚悟”の違いだった。

まァ、そのためにオレがいるんだし、な。

 こうやってヘタレた盗賊科の非常勤講師をやっているが、これでもオレは元アサシンだ。所謂“戦闘系”というヤツだ。敵を仕留めるのはあくまでオレの仕事であって、メイリーの仕事ではない。

「ソロソロ解禁しますかねェ。」

 敵が複数ならば、それに対応した戦い方というものがある。敵が何人であろうと、それに応じた戦い方というものは存在するのだ。それを適切に選択し、的確に敵を屠る。それは敵と刃の間合いで向き合う者の──要するに“戦闘系”の──必須の技能だといっても良い。そのための、オレの選択肢のひとつがこれだった。
 罠設置用のワイヤー。これ自体が、凶悪な罠となることもある。トリガーではなく、罠そのもの──吹き荒れる風、全てを薙ぎ払い切り刻む刃──として。
 オレはアサシン時代に“クモの巣”と呼ばれた装置を相手にひたすら訓練させられた。それは大きな部屋の中ほどに障害物を設置し、様々な方向に張り巡らせた細いワイヤーの集合体だ。障害物は野外や室内、次に向かう任務に適応するよう、任務中に遭遇するであろう地形を忠実に再現している。そして、そのワイヤーはそこで遭遇するであろう敵の間合いに合わせて張り巡らせられるのだ。相手がオレと同じような短剣使いであれば狭く、しかし濃密に、逆にツーハンダーのような大剣使いや槍使いが相手ならば広く、しかしその間を広くワイヤーは設置される。その他にも、情報から得られるだけの相手の使う武器の特性に合わせて、ワイヤーの張り方は変わる。
 ワイヤーは極めて細く、スピードが乗った状態でそれが身体に掠ればその部分が裂ける。しっかりと固定されたワイヤーは、その細さゆえに相手のベクトルをそのまま威力に変換するのだ。相手の視線や予備動作、呼吸や僅かな癖などから──そしてオーバードーズによって極限まで感覚を研ぎ澄ませるため──オレたちアサシンは“死線”と呼ばれるものを見ることが出来る。それは、大まかに言えばまだ発動していない攻撃の武器の通過するであろうラインだ。武器が通過する場所、つまりは武器が当たる場所である。
 相手の攻撃が完全に読めているなら、それに当たることなんて有り得ないだろう、というのは素人の考え方だ。無論相手の攻撃が絶対に届かないところにいれば、自分は攻撃を受けないだろう。だが、それでは自分の攻撃も届かない。自分と同じ程度の腕と間合いを持つ相手と相対して相手を倒すためには、相手の攻撃を避け自分の攻撃を入れなければならないのは当たり前のことだ。そうなると、後はいかに相手の攻撃を躱した上で自分が攻撃できるか、ということなのだ。さらに、たとえ相手の攻撃が全て予測できても当たらないということには繋がらない理由がもうひとつある。避けるという動作によって生まれる隙は必ず存在する。隙が生まれないのはまったく身体を動かさなくても元から当たらない攻撃に対してだけだ。それですら、相手の武器の位置が変わり相手の体勢と次の動きが違うために、全く安全だとは言えない。次に発生する攻撃を躱せなければ、その一撃を避けた意味は無いのだ。
 要するに、戦闘というのは詰め将棋のようなものだ。お互いの手番が存在し、その中で相手の動きを制限して、最終的に相手を全く避けられない状態に追い込んだ者が勝つ。
 “クモの巣”は、その勘を養い訓練するための初歩的な訓練装置だった。だが、同時にそれは非常に凶悪なものとしても知られていた。
 何せ少しでもワイヤーが掠ればそこが切れる。それによって体勢が崩れ、次のワイヤーがさらに致命的な場所で待っている。僅かに跳躍の距離を見誤りでもすれば、着地する前に首の通過する場所にワイヤーが待ち受けていないとも限らない。そんなことになれば着地するまでに自重と勢いだけで肉片になってしまう。
 そんなワイヤーの網に向けて、オレたちは全力でダッシュさせられていたのだ。実際に敵に相対したときに“死線”を全て躱し、相手に一撃を入れるというそれだけのために。

ヤレヤレ、こんな経験はもう役に立てたくねェんだケド、な……。

 そんな訳で、オレは幸か不幸かワイヤーが凶悪な武器になることを──しかもその攻撃が広範囲に渡ることも──知っている。当然あの頃訓練で使っていたような、繊細で鋭利なワイヤーは手に入らないが、普通に罠を設置するためのトリガーワイヤーでも使い方によっては充分凶悪だった。地形を利用し様々な角度に、切れる直前まで力をかけてワイヤーを張り巡らせるのだ。それを何度も繰り返し、ある一点を中心にしてクモが巣を張るようにワイヤーを展開していく。それは耐え得るぎりぎりの力をかけて引き絞られているために、たやすく切れる。そして、切れた瞬間にそれまで維持していた張力を一気にベクトルに変える。切れたときに力を解放しワイヤーが通過するルートは前もって完全に計算されていて、自分はその安全な場所に身を置くのだ。一度暴れだしたワイヤーは、そのルート上にある全てのものを切り裂きながら次のワイヤーを切る。まるで張り過ぎて躱しようのない仮想の“死線”のように、それは濃密に、次から次へと連鎖しながら敵を巻き込みながら全ての予定されたワイヤーを解放するのだ。もちろん予定外のものがルート上にあったり僅かに計算が狂うだけでもワイヤーは途中で動きを止めてしまう。下手をすれば自分のところへ向かってこないとも限らない。繊細な精密機械のようなものだ。だが、その分手持ちの武器だけでは成し得ない立体的な、空間への同時攻撃が可能になるのだ。

後は……メイリーが巻き込まれねェようにしねェとな……。

 昔は良かった。彼女は人間よりはるかに小さくその分計算も楽だったのだ。だが、今のメイリーは人間と同じだけの空間を占め、しかも飛行が出来るために行動の予測が昔以上に付きにくい。

「……昔?」

 思わずオレは一人で呟いた。“昔”っていつだ。確かに小さい、人形くらいの大きさのメイリーは計算のときにも楽で……。

「……クソッタレッ!」

 訓練で幾度となく覚えのある頭痛。頭の奥から染み出すようにやってくる冷たい痛み。オレは手近に置かれた椅子を蹴倒して八つ当たりし舌打ちする。

「アイ、どうしたの?」

 派手な音を聞きつけて、天幕の入り口にかけられた垂れ布をめくりメイリーが顔を出した。オレは慌てて口の端に笑みを浮かべると何でもないというように彼女に手を振った。だがそれに構わずメイリーはオレの元へやってくると、俯いて表情を隠したままのオレの顔を下から覗き込んだ。

「……大丈夫だよ、アイ。」

 唐突に彼女はそう言った。僅かに目を伏せて少し考え込んでから、オレの目を見上げて。

「ん……?」

「ボクも分からないこととか不安なこととか、いっぱいあるけど。
 ……でも、大丈夫だよ。」

 ぱっと差し込む光のように、純粋な笑顔を浮かべて。迷いの欠片もなく。

「ボクは全部覚えてる。だから大丈夫。ね?」

「あ、あァ……。」

 オレは戸惑いながら頷いた。歳以上に大人びて見える彼女の表情が、覚悟に裏打ちされたそれであるのに気付いて。

「苦しかったことも、楽しかったことも。全部覚えてるよ。いつか二人で話せるときが来るから……ね?
 だから、今はできることをやろう?」

「あァ。そうだな。」

 オレはメイリーの言葉に頷くと、いつもの笑みを浮かべて見せた。そう、今オレに必要なのは腐ることでも、迷うことでもない。今日からの戦いで、彼女を護ることだ。オレが迷っていては役目を果たせない。彼女を護れない。

大丈夫、ずっとずっと昔からヤッてきたコトさ。

 そう、ずっとずっと昔から。そんな気がして、オレはもう一度頷くと立ち上がった。

「よしッ、行くぜメイリーッ!」

 これから忙しくなりそうだ。だが、不思議とオレにとってそれは心地の良いものだった。

   +   +   +   

 合流、WireSliceデバイス解放。行使プログラムの動作チェックが必要。精神の向上によるSP増強、器用の向上による威力向上。能力制限の緩和を進める必要あり。やることは山ほどあり時間は必要に到底追いついていない。
 エリィ=マクシミエル関係の情報整理、解放のタイミングを見計らう必要あり。ハルゼイ関係も同様。あまり一気にデータが流れ込まないようにしなければ。崩壊の危険性。
─────────────情報統制?─────────────

 僕の関係者を含む、複数の情報ソース。隔離するか?

 監視レベルの引き上げ

──とある書斎の机に置かれた走り書き──



六日目

「んー、ッつってもそんなに話すコトもねェぜ。オレはアサシンだった。」

 オレはご丁寧に神父の衣装を着込んだにーちゃんに向かって、適当に話をしてやっていた。どうにもこのにーちゃんはオレのことを妖精騎士か何かと思ってやがるらしい。そんな大それたもんだったらオレはそもそもこんなことはしてねェッつーのよな。そもそもコイツ、どこまで天幕のことを知っているのか知らないが妙に詳しい。天幕の紹介で合流したんだから仲間には違いないんだろうけども、あんまりベラベラしゃべるのは得策では無いかもしれない。

「オレはとある大きな街で、親のカオも知らずに育った。要するに“スラムの子供たち”ッて呼ばれるようなガキの一人だったってワケだ。」

 その頃、あの世界、あの街は商都であることも幸いして、スラムの連中もまぁ食っていけないような悲惨な状況ではなかった。頭の回転とそれなりの手先の器用さ、後は身のこなしがあれば、それなりに。もちろん身体の弱いヤツやトロいヤツは生きていけない。だが、それでもそれなりの目端が利けば集まったガラの良くない連中に混ざって生きていくことはどうにかできる、そんな感じだったのだ。
 だが、ふとした拍子に大きな転機なんてものは訪れる。

   +   +   +   

「おい、そろそろ逃げるぞ?」

 “片目”がそう言って入り口を振り返った。辺りには俺たちがブッちめた連中がうめきながら転がっている。確かにそろそろ衛視の来る頃かも知れない。俺たちはリーダーである“片目”の指示に従って撤収の準備を始めた。今日はここからが“本番”だ。
 そう、今日は“仕事”だった。普段と同じようにして仲の悪いグループと喧嘩し、衛視を引き付ける。そこから衛視の数をできるだけ増やすようにして、付かず離れずでスラムを逃げ回る。仕事として俺たちにコイツを紹介したあのいけ好かない男にはもちろん他の目的があるのだろうが、そんなことは俺たちの知ったことじゃない。俺たちは引き付けた衛視の人数と時間で追加報酬をもらえるということになっていた。第一、陽動だとか何だとか、余計なことまで知っても得をする訳じゃない。俺たちはただ言われたことをやればそれで良かった。

「……おい、何だお前?」

 入り口に注意を向けていた“片目”が不審気に声をかけた。俺たちが騒動に使ったあばら家の戸口に、黒い人影がひとつ。それは明らかに衛視のおっさんとは違う、気配のない幽霊のような男だった。

「俺たちは忙しいんだ。悪いな。」

 無言で戸口をふさぐ人影に、“片目”が近づいて押し退ける。俺たちのどこかにあった嫌な予感とは裏腹に、その黒いフードの人影はあっさりと“片目”に押し退けられた。

「おい、みんな。行くぞ?」

 幽霊のように、相変わらず無言で立ち尽くすその人影に、“片目”も不気味に思ったのか俺たちを急かす。衛視のおっさんに見つけてもらわなければ“仕事”が始まらないのだが。俺は不安と仕事を天秤にかけながら戸口に近づき、その黒い姿の横を通り抜けようとした。

「……こいつ、か。」

 聞こえたのは、ただその一言だけだった。すれ違おうとした俺の耳に、その小さな独り言は、それでもはっきりと届いた。
 思わず黒い人影に振り向こうとした俺は、何が起こったのかも分からずにバランスを崩して倒れた。意識ははっきりとしている。ただ、身体の自由が利かない。目は見えていても、指一本動かすことが出来なかった。ローブから抜き出された細い手が何か針のようなものを掴んでいる。一瞬の内にそれで刺されたらしかった。

「おいっ!?」

 まだあばら家の中に残っていたやつが声を荒げる。ばたばたと駆け寄ってくる足音。

「何しやがった!?」

 視界の外から“片目”の声がして、やつも走りよってきたのが足音で分かる。だが、俺の傍まで来た足音が唐突に途絶えると、“片目”が俺の目の前に倒れ込んできた。身体の動かせない俺の目の前に、打ち捨てられたように倒れ伏した“片目”の首はあらぬ方向に曲がっている。驚愕に見開かれた片目は何が起こったのかすら理解できなかったのだろう。傷で醜く塞がれたもうひとつの目と、それはおかしな好対照を成していた。

こいつは、俺たちの敵う相手じゃないっ!

 視界の外からその黒い人影が滑るように現れ、戸口の近くにいたメンバーの一人に音もなく近づいた。そいつは慌てふためいて腰のナイフを抜こうとしていた。ローブから蛇のように滑り出た細い腕がそいつの肩を軽く押す。思わず押し返そうとしたところに黒いブーツに包まれた足が膝を蹴ってそいつは簡単に転がった。そのまま顎をかかとで押し付けるようにして嫌な音とともに顎が外れ、異様な角度でそれが首にめり込む。それだけでそいつは動かなくなった。あっという間だった。
 慌てて逃げ出そうとする他の連中を、黒い人影は虫でも殺すようにして全員殺した。素手で、何の抵抗もさせずに。最後に静かになってから、そいつは倒れていた俺に歩み寄ると無言で俺を抱え上げ、一言こう言ったのだ。

「お前には見込みがある。」

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 あの時、連中はご丁寧にもオレに全てを見せて連れてきたのだ。逃げ道がないことを理解させるために。オレにあのクソッタレな訓練を受けさせる、それだけのために、連中はわざわざヤツらを皆殺しにしたのだった。

「そうしてオレはアサシネイトギルドに……要は拉致されて入れられた。訓練を受け、アサシンとして育てられた。
 だケド、ある時にちょっとしたイザコザに巻き込まれて天幕へ来た。そう、アイツを逃がすタメに……。」

 オレはそこで言葉を切って神父を見やった。何を思ってるのかは知らないが、聞きたいと言ったから聞かせてやっただけのことだ。深く瞑目してオレの話を聞いていた神父はようやく目を開ける。

「それで、その後はどうしました?」

「その後?
 その後なんかアリャしねェよ。オレはそのままこうして……イヤ……。」

アイツッて……ダレだ?

 アサシネイトギルドを出奔したとき、確かに誰かを助けるために、オレは連中を皆殺しにした。そうして天幕へと身を寄せたのだ。あの時の……白い……。

「アイツってダレだ?……どうして、大切なコトなのに、思い出せねェ……??」

「その後は、どうしました?」

 後は僕が代わりに伝えておいてあげよう。君にはまだ、無理だろうから。

 突然目の前が暗くなり、そこでオレの意識は途切れた。

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 どうして前の素体のことを知っている者が外部から紛れ込んでいるのか、それは僕にも分からないが、とりあえず彼の誤解を解いておいた方が良いだろう。書斎に呼び出して取り込んでおく必要がある。

 僕はそこまでを記録すると運命の玩具を取り出して宙に詠唱を綴った。破滅を呼び込むと言われる“宇宙を創り上げるもの”が紅い軌跡を残して使い慣れた術式を展開していく。夢の国の王の扉を使って彼をここに転移させるのだ。澱んだ虹色の色彩が収まると、そこには神父のお仕着せを纏った若い男が立っていた。

「ようこそ、僕の書斎へ。」

「ここは……?」

 辺りを見回した彼に、僕は来訪者にいつもやるようにして、完全に計算されたタイミングで回転椅子を回す。邪眼で見つめ、心を乱す。口の端に意図して笑みを浮かべると、僕は静かに彼に告げた。

「ここは時の狭間にある僕の書斎。君のことは聞いているよ、ケーニッヒ。まぁ座りたまえ。紅茶でも出そう。」

 僕は彼に来客用のソファを示して勧めると、どこまでを話して聞かせるか図っていた。少なくとも今の素体が島のそれではないことは告げておいた方が都合が良いだろう。微かに笑みを浮かべて、僕はゆっくりと口を開く。

 彼にある程度実験の内容を仄めかして、恭順を迫っておくのも良いだろう。どうせ天幕に関われば、天幕か僕、どちらかに従わざるを得ないのだから。それならば天幕よりも僕の直接の手駒として確保しておく方が都合が良い。かのグババ翁のようにして。
 何にしても、彼が知るその内容が、既に知っていて良い内容では無いことを認識してもらわなければ、ね。もっとも、僕にとっては可能性提示がより増えるのだから、願ってもない事態ではあるのだけれど。

──とある、奇異な会談の始まり──



七日目

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──会談:Scene 2;Take 0──

 僕が呼び付けたというのに、この神父は堂々としていた。まるで何が行われたかを理解したように。“召喚酔い”はあるのだろうが、少なくともいきなりここに飛ばされてこれだけ平静でいられるというのは珍しかった。

「座りたまえ。妖精騎士を知る者よ。」

 僕は有無を言わせぬように、だが強圧的にならないように注意しながら彼を促した。他の者にするように最初から魔筆の力を見せつけて従わせても良いのだが、神に仕える者には僕は慎重なのだ。いくら外宇宙の存在と言えども、炎で印された十字に排除されたという記録もある。

「簡単に、用件だけを言おう。
 君は知り過ぎている。そして、迂闊にもそれを隠すことをしなかった。どこからそれを知ったのか、もうそれはどうでも良い。だけど、それを君が吹聴し続けるのならば、天幕は君を排除にかかるだろう。」


「それは……あの黒い装束を着た彼にも教えられましたがね。」

 神父はあくまで冷静に言った。その自らの言葉の意味を知るように平然と。だが、僕はもう一押ししておくことにする。それが記述の差分によってまた面倒を起こす可能性を持っていても。今後やりやすいようにある程度の道筋を、彼に付けておく必要があったのだ。

「彼の言うことは聞いておいた方が良い。仲間だと思っていた者に後ろから屠られたくは……ないだろう。もっとも、僕ならそれを止めることも出来るのだけれど、ね。」

「だから黙っていろ、と?」

 僕の方を透かし見る彼に、僕は口の端を歪めて微かに笑みを浮かべて見せた。“同じもの”だ、と彼に伝えるために。

「君はあの場所で生きた“象牙色の微風”を知っているようだ。だが、彼は本質的に天幕の敵なんだよ。それを今、君が口にすることは余計な混乱を招く。あくまでも、今存在する彼は、天幕の構成員なのだから。」

「“自らの幻”……いや、“創造された命”ですか?」

 ホムンクルスと想像するのはオカルトの造詣が深いからだろう。当たらずとも遠からず、といったところだ。だが、全てを教えてやる必要は無い。それは可能性提示の摘み取りでしかないのだから。

「それは想像にお任せするよ。
 とにかく君に伝えておきたいのは、今存在する彼は“従順な天幕の僕”だということだ。……分かるね?」

 言うべきことを告げた僕は、それ以上の質問を許さないために彼に椅子ごと背を向けた。あの暴虐な父性に仕える者はどこまで僕の力を乱すか分からない。無論修正は効くのだけれど。

「心に留めておくとしましょう。」

 彼が立ち上がったのを気配で察して、僕は再び虹色の門を開く。彼は迷うことなくそれに歩み入った。僕は彼の気配が消えたのを確認して小さく溜め息を吐く。

「どこまで“イレギュラー”なのか……今回は気になる存在が仲間内に多いようだね……。」

 まだ僕の心労は絶えないようだ。

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 指輪。細い、女物の。それを昔着けていたのは男だった。いつ託されたのかは覚えていない。『乗り越えるためのものだから。』、ただそれだけをソイツはオレに伝えて、それをオレに託した。

「ん、ナンだソレ?」

 オレは朝の光に煌く細いチェーンに目を留めた。仕事柄首周りのモノには気付きやすいのだ。それは、急所により近いから。メイリーが首にしている細いチェーンは、そういった金属系のアクセサリーらしいアクセサリーをしない彼女との組み合わせは、オレにちょっとした違和感を与えるものだった。

「え、ええ?
 なんのこと?」

 オレに言われて慌てた様子でメイリーは聞き返した。オレが指差した先が自分の首元であるのに気付くと、僅かに逡巡した様子を見せてから彼女はそれを引き出した。その細いチェーンは、何かを繋ぎとめるようにしてシンプルな女物の指輪を提げていた。

「ん、大事なモンなら無くさねェようにしろよ。戦闘中とかに引っかけんじゃねェぞ。」

「……大丈夫よ。大切にしまってあるから。」

 その瞬間、メイリーはふと遠い目をした。思い出に心を馳せるようにして。

「でも、ナンで指にしてねェんだ?
 大事なモノナンだろ?」

 それは、指にするよりも大切にされていることが一目で分かった。まるで外に出すことさえ避けて、胸の中にしまい込んでおくようにして、彼女はそれをそっと捧げ持つようにして持っていた。

「……クビにそういうモンを巻いとくのはあんましいただけねェな。シメるニャ最適だぜ?」

 その、明らかに特殊な扱いに、わざと意地悪く、横目で冷たく言い放つ自分の言い方が明らかにイヤなものであるのが自分でも分かって、オレは自分に嘲笑を浮かべる。だが、そんなオレの物言いに動じた様子もなくメイリーは微笑みを浮かべたままだった。

「でも大切なものなのっ!」

 少しだけ怒ったように、それでもどこか自信に裏打ちされた彼女の微笑み。揺るぐことのない。

「ボクはいつか来るときまでしっかりと、忘れないようにこれを持ってる。捨てたんじゃないなら、いつか戻ってくるから。ね?」

 なぜかメイリーは、最後にオレに向かって相槌を求めた。その、ひたむきに信じたことを疑わずに、“そのとき”へと向かっていく力に満ちた純粋な意思に、思わずオレは気圧されて頷く。

「も~、でも鈍いのは昔からだし、まだまだ始まったばっかりだもんね?」

 そうオレに言うと、メイリーは悪戯っぽい笑みを浮かべてウインクして見せた。オレはその言葉がオレを指していることに気付いて眉をしかめる。悪いがいくらなんでもそこまで鈍くは無い。

「ダレがニブいッてェ?」

 オレが凄んで見せると、メイリーはくすくすと笑みを漏らしながらオレの振り上げた拳を躱す振りをする。人差し指をオレに向けて立てると、彼女はそれを左右に振ってオレを下から覗き込んだ。

「ふふ、いつか全部分かる日が来るよ。
 ……それまでは、二人分ボクが大切にしまっておくから。」

 いつものことながら、メイリーの晴れやかな笑みはひと時も揺るがない。オレはその事実になぜか安堵していた。

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──Interlude──


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そう、始まりは“揺らぎ”だった。もしくは、終わりがそうだったのかも知れない。

 彼は「希薄な」存在だった。どこかの世界で、いつかの時代にそう自分のことを評し、それによって恐怖を振りまいた少年がいたが、彼とその少年はきっと近しかったのだろう。もっとも、その少年は周りから希薄な存在として扱われることに憤り恐怖を振りまいた。対して、こちらの希薄な存在は、自らそれを望んだからそうだったのだが。
 そもそも、彼は初めから少し違っていた。世界の全てを見通す目、全ての声を聞き取る耳。それを全て受け止めることが出来てしまったが故に、その行為を行えない他の人間が疑問に感じないことを、痛烈な疑問として背負っていた。

この世界には、どうしてこれだけ意味がないんだろう?

 人間は、何かしらに意味を見出さなければ生きていけない。そういう意味では、彼は生きていくことが出来ない不具者として生まれ落ちたのだった。

 だが、彼は同類を見つけたことで、たった一つ、世界に意味を見つけることが出来た。
 同類。
 灰色の目で、世界の全てを見通すことを背負った同類。

 彼はそれまでの、全てが灰色に染まったその世界の中で、唯一の色を、意味を見つけた。彼から虚無は消え、やっと普通の生活を始めることが出来るようになった。

 見つける。

 見るということは、そこに意味を与えるということと同列だ。逆説的に言えば、意味を与えるから見えるようになるのだとも言える。
 そういう意味では、彼はたった一つしか、世界の中に見えるものがなかったという訳だ。しかし、ひとつでも見えるものがあれば世界は構築され得る。何もなければ世界を構築することが出来ないけれど、何かひとつでもあれば世界は構築できる。もっとも、無というのが世界であるとすれば、何もなくても世界を構築することが出来るのだが。

 ともかく、彼はようやく“世界を構築”した。

 だが、“揺らぎ”だ。

 世界は揺らぐ。そのように出来ているのだから。そして、彼の世界は、外からの揺らぎによって完全に破壊された。
 有り体に言えば、彼の見えていた唯一のものは、揺らぎによって唯の肉の塊、もしくは血袋と化した。それからすぐにそれは燃やされて、肉塊ですらなくなってしまった。世界は肉の塊から唯の灰へ変わり、再び彼に見えるものはなくなってしまった。

意味は、この世界に意味は存在しないのか?

 だが、彼はそれで諦めることをしなかった。長く長く続いた、世界のない世界から抜け出し、彼は意味を求めた。
 物語。意味の集合体。無意味が存在の意義として存在し得ないもの。
 彼は物語を吸収し続けた。実際には、彼はそこにあった意味を吸収していたのだ。

 そうして、彼は自ら意味を語り始める。存在の、その意味を。世界を構築するに足る、意味を。いつしかそのための武器は音声からペンへ、そして四角い箱へと変化して。しかし、常にその中で変わらない、“言葉”を真実の武器として。彼は意味のない世界に自分で構築した意味で立ち向かった。

 たった一つ、それが彼が生きていくために出来る方法だから。“物語”を得るために、物語を語るという──。

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 暗い部屋。入り口には金属製の階段が数段設けられ、その先には分厚い金属の扉が外界との全ての接続を拒んでいる。奥はずっと先、暗闇の中に沈んでいて見通すことが出来ない。
 まるで何かの神殿であるかのように、その部屋には左右に柱が並んでいた。ガラスで出来た、僅かに照明を施された柱。その中は空洞になっていて、液体が満たされているのか偶に気泡が天井に逃げていくのが、微かな照明によって見て取れる。
 部屋の中央には、その柱の一つを見つめる黒い染みが一つ。この神殿の司祭の如く、尊大に、唯一人で卑小に。

 彼が見つめる柱の中には、人影があった。身動ぎすらしない人影が。
 白い髪。もしその人影が目を開ければ、その赤い瞳が見て取れるのだろう。目の高さほどのところに薄汚れたラベルが貼ってあり、そこにはこう記されていた。

“betrayer”

 そのすぐ下に貼られたもう一枚のラベルには、気の遠くなるような桁数の無意味な数字が羅列してあった。もっとも、気が狂わん程に数に長けた者ならば、その数字の意味が理解できるのだろうが。だが、鉄扉で閉ざされた入り口から無数に並ぶ無人の柱の本数と、その数字が一致することを理解できる者が果たしているのかどうか。
 紅をその身に纏った道化師が、部屋の中央で笑みを浮かべた。かつて、そこで暗い目をした男がそうしたのと寸分たがわずに。
 彼は、鉄扉に背を向け部屋の奥へと視線を飛ばす。彼の瞳には、同じ姿をした白い髪の持ち主が、全ての柱に閉じ込められているのが見える。今はまだ、魂を持たない唯の木偶人形たちが眠り続けているのが。

 いつか、彼がそこを訪れたときから変わった点がひとつ。その気の遠くなるような数の柱で眠る男が、一人減っている。それの意味するところは、彼以外に理解できる者はいない。世界に許された存在は、常に一人なのだ。今はもう、人々が知る“彼”のターンは終わった。次は、今の“彼”次第だ。

 全ての柱には“裏切り者”の同じラベルと、一ずつ加算されていく数字のラベルが貼られているのだろう。男はいつまでもそのガラスの柱を眺めていた。


八日目

 オレは大仰に溜め息をついた。同時に指示書を放り出す。目下のところの悩みのタネであるだけに、オレはこれ以上それを見ているのもイヤだった。

「第一ナンだ、この唐突な指令はッ!?」

 オレはこのクソッタレな命令文書を持ってきたシェルに食ってかかる。だがいつものごとくヤツは気圧された様子もない。

「仕方ないでしょ。天幕のシステムがトラブってて配送が遅れたんだからさ。」

 口を尖らせてで言うシェル。その仕草は計算されたかのようにコケティッシュで完全なバランスを保っていた。その表情は外見だけでいうならば、男のオレでも間違いなく可愛いと断言できる。だが、オレはそれが実際計算し尽くされた悪魔の笑みであることも知っている。という訳でオレの追及は止むことはなかった。

「大体コレ、日付からすリャ一昨日くれェには届いてねェとおかしいハズだろうがよ?」

「それはシステムがダウンしたからでしょ。基本的な通達は先にしてあったんだからさ、準備してなかったキミが悪いんじゃないの?」

 まぁそれを言われるとこちらとしても厳しいのだが。確かにシェルの言うように、ここに来た時からシャインを第一の目標とすることは決まっていたし、余り後送りに出来ないということも決まっていた。そして、オレはそういう時にこそ役に立たなければならない戦闘役としてここにいるのだ。
 だが、数日後にやれと言われても出来ることと出来ないことがある。

「ヤレヤレ、仕方ねェな……。」

 オレはブーツに佩いたワイヤーカッターを抜き放ち刃の具合を確かめた。あのキーロッつー爺さんに鍛えてもらってから、この簡素な道具の具合はこの上なく良いのだが、それでも得物としてシャインに挑むには余りにも心許ない。

「でもさ、もう素材の確保は出来てるんでしょ?」

「オレはナンにも言ってねェよ。勝手に人のアタマん中覗くんじゃねェ。」

 人の考えを覗き見て、さらに余計な口まで挟んできたシェルにそう言って黙らせる。確かに今日には確保した黒い石が届くはずだ。あの黒曜石に似た色合いの、金属並みに硬い石は武器として鍛えればかなりの業物になるだろう。その威力を充分に発揮できれば勝ち目もあるだろう。
 だが、そのためには相応の技量が必要だ。今のオレの技は“クモの巣”がメインでダガーを使った攻撃はほとんど使っていない。範囲に対する攻撃である“クモの巣”に比べると、いくら威力が高くても対象の狭いダガーでの攻撃は使いにくい。

「まァソレでも……頼むしかねェか。」

 罠の威力は、純粋に自分の巧妙さ──どれだけ複雑な罠を展開し、そこに誘い込めるかということ──にかかっている。それは自分の器用さに直結するもので、武器の良し悪しに関わらず安定した威力を出せる代わりに即座に威力を上げられない。シャインは案外タフだ。“クモの巣”は行動を阻害する役には立ってくれると思いたいが、それだけで相手に止めを差せるほど強力で無いことは自分でも分かっていた。

「とにかく、もう決まってることなんだからしっかりやってよね?」

 シェルはオレにそう念を押すと、その二色の翼を広げて即座に消えた。自分が戦うわけじゃないからいい気なものだ。
 オレはもう一度小さく溜め息を吐くと、諦めてクソッタレな指示書を拾い上げた。それを裏返して机の上に置くと、シャインが陣取る校舎の屋上の見取り図を書き始めた。目ぼしい戦闘の場所となりそうな三つの校舎の構造は前期で全て頭に叩き込んである。事前にある知識は大いに越したことは無いのだ。そしてアサシンとして非常識な方法で鍛えられたオレの記憶力は、今でもこんな方法で役に立っていた。

「“クモの巣”が使えそうなのは……ココと……」

 頭の中にある屋上の風景と見取り図で罠が展開できそうなところに印を付けていく。同時にタイルが緩くなっていて相手の足を捉えられるところにも別の印を付けておく。シャインの戦闘方法は仮想訓練で充分に知っている。シャインはああ見えてもサマナーだ。サラマンダーやらミニドラゴンを呼んでくる。トラップでウィスプまで召喚するのだ。要するに好き勝手させておくと敵が増えて厄介なことになるってことだ。動かさせないに越したことは無い。

「んー、ココのタイルを使うとワイヤーの収束ポイントから遠くなるよな……ココは……メイリーが避けれねェよなァ……。」

 オレが独り言を呟きながら必死で知恵を絞っていると、いきなり天幕の垂れ布が持ち上げられて小さな顔が覗いた。

「ボクがどしたの?」

「うわわわわッ!?」

 答えが返ってくるとは思っていなかったオレは思わず大きな声を上げた。その声にメイリーも驚いたようで、驚かせた方のメイリーが目を丸くしている。オレは思わず苦笑を浮かべると彼女を振り返る。彼女はオレが書いていた見取り図に気付いた。

「あ~、また女の子ナンパリストでも作ってたんじゃないでしょうね~?」

「そんなワケあるか。」

 思わずツッコミを入れるオレ。メイリーは指示書の裏に細かく書き込まれたその見取り図を見てもう一度目を丸くする。

「あァ、まァナンつーかねェ。ダレかさんがオレのトラップに巻き込まれねェようにオベンキョしてたのさね。」

 そのオレの言葉を聞くと彼女はむっとした表情でオレに抗議した。まぁ確かにメイリーがトラップに巻き込まれたことはない訳だが。

「ふ~ん、アイのトラップなんて全部分かるのよ?
 昔から罠の置き方全然変わってないんだもん。」

 まぁ確かに個人個人でトラップを展開する場所に選ぶポイントには多少の癖が出る。相手が分かっていればオレのように訓練を受けた人間なら、トラップを回避できなくもない。だが、彼女にそこまで見抜かれているというのは意外だった。

「ヤレヤレ、ソイツはマイッタな。オレとしチャソレじゃコマるんだケドねェ。」

「アイってば罠使う前に絶対ボクの方意識するでしょ。後はアイの罠の範囲さえ分かってれば相手からその分離れるだけで大丈夫なんだよ?」

 確かにメイリーを巻き込まないために、オレは彼女の位置を一瞬確認する。それは視線であったり風の流れであったりまちまちだが、それに気付いているとは。オレは心の中で舌を巻いた。

「う~ん、シャイン先生かぁ。前は勝てなかったから今度は勝ちたいね。」

 彼女が言う前の時とは、オレがバーチャルとして過ごした訓練のことだが、それについてはオレもあまり気にしないことにした。昨日メイリーがオレに言ったように、それが幻でも仮想でも繋がっているものがあって、そのお陰で今がこうしてあるのならば、それはそれで良いのかも知れないと思ったのだ。そういう点に関しては、メイリーの方が考えがシンプルなだけ強い。色々なことを教えているようでいて、教えられているのはオレの方なのかも知れなかった。

「でも何だか懐かしいな。こういうのって。」

 メイリーがふと呟いた。オレは思わず二人で覗き込んでいた見取り図から目を上げて彼女に視線をやる。だがメイリーは思い出の向こう側にある、オレには見えない光景を見つめていた。

「……あの時もこうやって、欠片さんとハルゼイさんが大慌てで……アイは難しい顔で考え込んでて……。みんなで徹夜で準備して。お祭りみたいで楽しかったな。
 そうやってみんなで頑張ったからスペードに勝てたんだよね……?」

 ふ、とメイリーの瞳がこっちを向いた。昔の情景の中からオレにそうやって相槌を求めた彼女は、次の瞬間に思い出から覚醒して少しだけばつの悪そうな笑顔を浮かべた。

「えへへ、アイ、覚えて……ないよね?」

 そう、オレにはそんな記憶は無い。スペードというものが何なのかはもちろん欠片というヤツも、フェリシアの嬢ちゃんが探しているハルゼイの顔も知らない。
 でもその状況は想像できた。何かひとつの大きな目標に向けてギリギリまで粘って、追い込まれてテンパッて。それでも妙なテンションに酔いながら必死で時間と勝負して。そのお祭り騒ぎはオレにも想像できた。

「でも、オレもその場にいたかったと思うぜ?」

 彼女からすればその場に“オレ”はいたのだから、それは否定の言葉でしかなかったかも知れない。だけど、オレは心からその場にいたかったと思った。嘘を吐いても仕方がない。だから代わりに精一杯の笑顔を浮かべて見せた。それを見て、メイリーは寂しそうな笑みを消して大きく頷いた。

「うん、とっても楽しかったんだよ?」

「へへ、今度もマタギリギリっぽいケドな?」

 オレは苦笑を浮かべてメイリーと二人で見取り図に戻った。そう、勝たなければ意味は無い。武器を新調し、付加を受け。これだけの支援を受けて負ける訳にはいかないのだ。

   +   +   +   

「ウィンド殿……貴方は非常に運がいい。上手くいきそうですよ。」

 笑顔を浮かべて書き付けを示すハルゼイ。だが、アイヴォリーにはさっぱり内容が分からない。横から覗き込んだメイも首を捻っている。

「これなら、あるいは勝機があるかも知れません。」

「だからナニよ、ソレは?」

 全く理解できないアイヴォリーは最早お手上げらしい。だが、合成を生業にしている欠片には意味が分かったのか、その書き付けを見て頷いている。

「これは忙しいな。二日間いっぱいいっぱいで働かなきゃこれは揃えられないよ。」

 欠片は書き付けを読み終わると、ふう、と大きく息を吐いた。それからアイヴォリーに向けて諦めたような視線を送る。

「仕方ないな。助けてやるから次は絶対に勝てよな。」

「だから、ナニ?」

 ハルゼイはしきりに頷くと、アイヴォリーの肩に手を置いた。不審気にその手を見返すアイヴォリー。

「ウィンド殿はマジックポーションCを急いで作ってください。時間がありません、今日中に仕上げて欠片さんに渡してください。いいですね?」

「はァ?」

 有無を言わさぬというのはこういう状況を言うのだろう。ハルゼイはにこやかな笑みをうかべたままで眼鏡をもう一度光らせた。

「私はガムとキャンディの作成に入ります。時間がありませんので失礼します。」

「ガム?キャンディ??」

 まるで難しい数式の解を見つけた少年のような、そんな瞳の輝きがハルゼイにはあった。颯爽と立ち去っていくハルゼイ。

「……で、ナニ?」

 取り残されたアイヴォリーの問いに答える者はもう誰もいなかった。


九日目

「ヤレヤレ……ヒデェ目に遭ったぜ……。」

 オレは大きく溜め息を吐くと切り株で作られた簡素な椅子に腰を下ろす。大きな傷はなかったようだ。相手が“でたらめ”な人数だったのが幸いしたらしい。

「しっかし、あのオンナ……。」

 オレは苦笑を浮かべるとロクでもないことになった元凶を思い出した。

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「油断しているところを後ろから抉るのも非常に有効です。」

 一度聞いたことをなぜか意味もなく強調する女。奥二重の印象的な、まぁ美人と言って良い部類に入る女だ。君島美禽、“内臓えぐえぐ団”という名前からして“アレ”な団体の代表者にして今回の仲間の一人。相方がキーロの爺さんッつー辺りからもそのアレさ加減が分からなくもない。

「……あァ、聞いたッての。」

 意味もなく妙なところを強調する彼女にオレは目を細めて疑問符を浮かべて見せた。いくら頭が軽そうに見えるとは言え、今聞いたことを忘れるほどの鳥頭になった覚えは無い。……もっともそうならばそれ自体覚えていられない訳だが。
 そんなどうでも良いようなことを思っていたオレは、明らかに油断していたらしい。というか、そもそもこの時間帯は戦闘が起こらない“はず”だった。

「あと、本日の内臓えぐえぐ団の聴講者は86人です。」

「ンなワケねェだろ!?」

 妙にのほほんとした庭園に、話を聞いているも何もオレとキーロの爺さん、この嬢ちゃんの三人以外には人影も見当たらない。静かな……イヤ、静か過ぎた。“風”が流れていない。まるで、息を詰めているかのように。

「あるのですよ。なんと申しましょうか、そう――アイヴォリーさん人気というものです。」

 オレはすぐさま立ち上がった。口上に気を取られて油断しすぎていた。この嬢ちゃん、“ユダンタイテキ”ッてヤツを地で教えてくれるつもりらしい。

「ご紹介します。被害者の会の皆さんです。」

 淡々と、だがどことなく嬉しそうに言う嬢ちゃん。キレイに囲まれている。被害者の会ッつーのは良く分からないが、まぁ何と言うか無意味にキレイどころを集めたようだ。中には見知った顔もいる。

「……コレ、計画的な待ち伏せだよなァ?」

「いいえ。座学に続いてちょうど良い実技の時間です。」

 実技と言うか、向こうにとってはそうかも知れないが無闇に攻撃できないオレにとってはそれですらない気がするのはオレの気のせいか。

「……盗賊も真っ青の悪質な言質だぜ、それ。」

 諦めて溜め息を吐き、渋々周りを見回す。辺りのお嬢さん方は一様に思い詰めた──もしくは単に殺意に満ちているだけかも知れないが──表情で思い思いのエモノを構えてにじり寄って来る。

「……ッつーかアレか。一応聞いとくが、コレはウワサに聞くオレの被害者の会か。」

 少しずつ状況が把握できてきたオレは、今さらながらに無意味な質問をしてみる。まぁ確かに、オレがフェイバリットな時間をしっぽり過ごした面々が揃っていると言われるとそうかも知れない。無論はっきり覚えがあるのはその中の数人だけだったが。

「ッてオイ。」

 質問に対する答えが全く返ってこないので、思わずオレはキミドリの嬢ちゃんを振り返った。いつの間にか彼女は包囲の輪から抜け出して爺さんと二人でナニやら日和見モードに入っている。

「ヤレヤレ、仕方ねェな……。」

 オレは色々な意味で色々なものに呆れながら──無論このステキすぎる状況を招いた自分の言動は棚に上げつつだが──肩を竦めた。人差し指を振ってお嬢さん方にウィンクして見せる。

「お嬢さん方、アツい夜が忘れられねェッつーキモチは分からなくもねェケドも、ちっとばかしアプローチの方法がカゲキスギるぜ?
 どうしてもヨリ戻してェッつーなら考えなくもねェケドな?」

 この場合火に油、というのは適切な表現だろうか。妙な連帯意識でオレを完全に敵だと認識してしまっているらしい八十余名は明らかに殺気立って包囲の輪を詰めた。どうにも交渉の余地は無いらしい。

「オイ、一応もうひとつ聞いとくが──」

 二人の方を振り向いたのが引き金になったらしい。キレイに輪になっていた人波が一気に崩れた。

「あァクソ、もう一回イタされてェヤツはど──ちょ、待っ、せめて決めゼリフくれェ言わせろッ!」

 雪崩を打って飛び掛ってきた中の一人目の首に手刀を入れながら、オレは言葉になってない叫び声を上げた。

   +   +   +   

 この後オレは、どうにかその八十余名を素手で気絶させるとぐったりとして座り込んだ。まぁ中には当たり所が悪かったのかぴくぴくしてるヤツが数名いたような気もするが、この人数をしてこの結果ならば許される程度というかどう考えても上出来の方だろう。どうにか最悪の状況を切り抜けたオレは肩で息をしながら自分の身体を見た。致命傷がないことが不思議なくらいだ。

「……ひでェ目に…………合った、ぜ……。」

「お疲れ様でした~。」

 至極にこやかに笑みを向けてきたキミドリの嬢ちゃんにオレは白い目を向ける。コイツは間違いない、オニだ。
 だが、“最悪の状況”はまだやってきてもいなかった。

「……団体ってのァ、脱退も自由なんだよな?」

「はい。基本的には。」

 “基本的には”が微妙に気になるところだが、とりあえずこんなところにいては身が持たない。スタッブの技術向上と自分の安全を天秤にかけるような状況は昔のそれだけで充分だ。

「じゃあこの場で即刻――」

「ちなみにここに、メイさん宛のお手紙が84通ほどありまして」

 …………。オレは思わず思考停止しそうになった自分を叱咤してキミドリの嬢ちゃんに詰め寄った。ナニがどうなっているのか分からなくもないが、その真実を認めるにはあまりに酷な宣告だった。

「――ナンで、ソコでメイリーの名前が出てくるッ!?」

「いえ、そこで良い感じに死屍累々している方々から、
 『もしものときはこれを』と頼まれまして。」

 その手紙だか投書だかの束をひらひらさせながら、『何でも、自分たちがされたこと全て事細かに書いてあるとか』などと平然と、完全に他人事のように言ってのけるキミドリの嬢ちゃん。その瞬間、オレは彼女にさっき下した評価を心の中で撤回した。

コイツはオニじゃねェ。アクマだ。

「ついでに、私にセクハラを働いた責任も、取っていただきましょうか?」

 微妙に放心していた辺り、やはり思考停止していたと自分で思った。というか既に真実を認められなかった時点でやはり思考停止していたとも言える。後は手紙を書かなかった二名はドイツだったのだろうかとか、イヤイヤ連名がいてもおかしくないとか、オレはあまりにどうでも良いことを考えながら声を絞り出した。

「……ヤレヤレ、ひでェオンナに引っかかったモンだ。」

 どうやらこの団体、性質の悪い新興宗教バリに脱退不可能らしい。オレは大きく溜め息をついてワナにハメられたことを今さらながらに後悔していた。

   +   +   +   +   +   


   +   +   +   

「しっかし、あのオンナ……。」

 オレは溜め息をつくと呟いた。シーフをワナにハメるとは良い度胸だ。しかも目下のところ、深すぎて這い上がることすら出来そうにない。オレの呟きが聞こえたのかメイリーが微妙に白い目でオレに聞いてきた。

「オンナってなぁに?」

「イヤイヤイヤ、ナンでもねェ。メイリーは悪人ニャダマされねェように気をつけろよ。世間は悪人だらけだ。」

 オレのその言葉に、あまりにも哀愁が漂っていたらしい。メイリーは首を傾げるとオレを見つめてくる。

「そろそろ始めますよ~?」

 向こうの方から地獄の召喚状にも等しい呼びかけが聞こえてきた。まさか連日ってことは無いとは思うが、昨日の今日で油断するのはあまりにも賢くない選択だろう。オレはウッカリ刺されても良いように、服の下にフライパンを仕込んでいくかどうかを真剣に検討していた。

「せめて……昨日より少ねェとイイな。」

「??」

 オレの、小さく儚く切なる願いにメイリーがもう一度首を傾げた。

   +   +   +   

 メイを促してそちらへ近づくアイヴォリー。そこには、一種異様ともいえる一行がいた。偽妖精、歩行雑草、怨霊犬。そして、それらに守られるように、それらを引き連れるように、ある種の威容を備え立つ、女。首から十字を下げ、修道女のような質素な黒い服を身に纏って。

「この度は。御礼を申し上げます。」

 乏しい表情のまま、全く礼には聞こえないないような台詞を口にして、女は頭を下げた。対して、それを全く気にした様子もなく肩を竦めるアイヴォリー。

「レイナ嬢ちゃんだったな。一度聞いたら忘れてねェだろ?」

「自分で自分を呼ぶとすれば、ですが。」

 話は噛み合っているようでいて噛み合っていない。もしくは噛み合っていないようでいて噛み合っているのかも知れなかった。

「まァオレも似たようなモンだ。未だに涼風って呼ぶヤツもいリャ、ドッカニャオレの昔の名前を知ってるヤツもマダいるのかも知れねェ。でも、オレはアイヴォリーで、タダのシーフだからな。」

「……ねぇアイ、この人……何て言うんだろう。不思議な感じがする……精霊様とも違うし、魔法の力でもないけど……。匂い、みたいな……。」

「それは例えて言うならば、ヤドリギ、でしょうか?
 ですが、それはとうの昔に捨てたものです。流石に森育ちの妖精は違いますね?」

 女──零無は、メイの感じた違和感をそう評した。誉められたのかどうかも良く分からないその評価に、メイは頭にハテナマークを浮かべて首を傾げている。

「ですが、今の私は私です。それで充分、不足はありません。」

 口元を歪ませるような、僅かな笑みを浮かべて零無は言った。それをじっと見据えるアイヴォリーは、いつもの気の抜けた、それでいて人を食ったような笑みを浮かべてそれに答えた。

「昔から、樫の木に宿ったヤドリギは崇拝の対象だったらしいな。樫を崇めるんでもなく、ヤドリギを崇めるんでもなく。ヤドリギの宿った樫を、連中は崇拝した。今でも救世主とやらを崇めタテマツる連中はヤドリギを信仰の対象の一部に見立ててヤがるしな。
 まァオレにとっチャ、アンタが昔どうだろうと関係ねェ。今のアンタはオレの知り合いで、丁度アンタがコマッてる時に、オレがアンタの近くにいた。ソレだけさね。」

 そう言ってもう一度肩を竦め、付け加える。

「オレはアンタがコマッてそうだから、勝手に助けた。もしオレたちがコマッてようと、その時にアンタが何か思う必要はねェ。フィクスはシーフのウデの見せドコロだからな。使えるモンを使っただけのコトだ。」

「酔狂な方もいたもので。」

 零無はそう呟くと、傍らの偽妖精に耳を近づけた。それから首を傾げ、独り言のように呟く。

「いえ、私は酔狂で生きているつもりはないのですが。」

 それを聞いて、アイヴォリーがニヤリと笑みを深くした。彼女が何を言われたのかを察したらしい。

「まァ、アンタはスキなようにやんな。今日じゃムリだろうケド、明日ニャメイがトビッキリの攻魔を作ってくれるだろうさね。な?」

「へ?」

 間の抜けた声を出したのは、今回はメイの方だった。アイヴォリーは攻魔のことについて適当に説明しながら自分たちの荷物を降ろし始める。最初から、今日はここでキャンプを張るつもりだったらしい。

「も~、仕方ないなぁ。零無さん、どれくらいのものが出来るか分からないけど、期待しないで待っててね?」

「いえ、貴方なら大丈夫だと思いますよ。」

 お世辞にしか聞こえないその台詞は、やはりお世辞を言っているようには全く見えない彼女の口から紡ぎ出されたのだった。


十日目

 オレの前には注文通りの黒い線対称が並んでいた。刃との重量バランスを計算されて僅かに長めに設えられた柄は滑り止めを施せるように細めに作ってある。光を吸い込む漆黒の刃には毒を保持させるための溝が掃いたように刻まれており、その刃自体が僅かに──目では確認できないほど僅かに──湾曲している。右と左、左右の手の動きに合わせたためだ。右用にはクモの、左用には馬車の意匠が刃に透かされていた。
 オレの前に並べられた一対のダガーは正しく芸術品だった。

「ふん、ヤるねェ。正直コレだけのモンが出てくるとは、な。」

 冥い目でダガーを持ってきた男を見やった。彼もいつもと変わらぬ冥い目でオレを見返している。

 ふ、と風が揺らいで、並んでいたダガーのうち右の“Widow”が机に突き立つ。その刃は研ぎ澄まされていて、気持ちが良いほどにすんなりと樫の机の表面に滑り込んだ。僅かに刃が湾曲しているにも関わらず、その細い刃は“突く”という動作にも充分以上に役に立つようだ。オレは口の端で笑みを浮かべた。

「カンペキだ。」

 斬るためには、刃は薄く、細くなければならない。その鋭さがそのまま相手を切り裂く際の効率を決めるからだ。そして、突くためには力を受け止めて折れないだけの強靭さが必要だ。力を伝達し切るための“針”としての強靭さが。その二つは相容れない。斬るための薄さと突くための強靭さは。それはカタナと鎧通しの形状が全く違うことを考えれば容易に想像できるだろう。攻撃の動作を追求すれば、そのための武器も異なるのだ。
 しかも、その上でオレはさらに難題を突きつけた。斬る際の効率をさらに上げるために、刃を湾曲させるように頼んだのだ。無論、それは突く際に必要になる強靭さを大幅に損ねる。しかも、それは両手利きであるオレが右と左で振るう僅かな差を補正するための、本当に僅かな湾曲だった。
 だが、この爺さんはオレの要求を満たした上に、さらに毒を保持させる溝まで入れてきたという訳だ。

「気に入ったようじゃな。」

「あァ。」

 オレは抜き身で置かれた一対のダガーを鞘に納めた。滑り込むように滑らかに、二振りのダガーは気持ち良く鞘に。オレはその鞘ごと左右のブーツの外側のポケットに差し込むとバンドで固定する。左右の足に均等に、安堵感をもたらす適度な重さが感じられた。
 そう、オレはコイツを気に入った。昔の──“涼風”の──気持ちが戻ってきてしまうほどに、オレはコイツを気に入っていた。凶暴なまでの“芸術品”だった。

「後はお主次第……負けるなよ、“今度は”。」

 立ち上がって天幕を出て行くキーロの爺さんを見送りながら、オレは口の端に薄く笑みを浮かべたままで小さく呟く。“二度も同じ失敗はしねェさ。”と。

そう、“今度”は絶対に負けねェ。

 現実にシフトしたあの訓練では、メイリーと肩を並べて戦った。そしてシャインに負けた。だが、今度は違う。オレは今日の動きを頭の中で組み立てながら懐から革紐を取り出し、それを丹念に柄に巻きつけ始めた。握った時にオレの手に馴染むように、少しのずれも許されない。ぴたりと手に吸い付かなければそれは雑念を生むからだ。革紐も新しいものをコイツのために用意していた。新しいといってもそれ自体は前からかなり使い込んである。新しい革では綺麗にダガーに馴染まないからだ。身体に直接繋がっている部分には、使い込んでくたびれ始めたくらいのものがちょうど良い。そのために、今まで使っていた革紐とは別に訓練のときに慣らしてきたのだ。オレは普段から、戦闘で使っているものが駄目になる前にそうやって予備の革紐をストックしている。
 何度か巻き直しを繰り返し、ようやく握った感触が落ち着いたのを確認してオレは小さく息を吐いた。

「次、か。」

 “Widow”を抜いて、右手に握り、それでグローブを脱いだ左の手のひらに小さく傷をつける。良すぎる切れ味で必要以上に切り裂いてしまわないように気をつけなければならない。オレは手のひらから滲んできた血を確かめると、左手をダガーの上にかざした。
 滴る血が、ダガーの黒い刃に飲み込まれていく。一滴、一滴。刃に滴り落ちる血が。黒く染め上げて。

   +   +   +   

「そうそう、礼と言っちゃあナンだケドよ、面白ェモン見せてやるか。」

 そう呟くと、アイヴォリーはニヤけた顔のままで右足に佩いていたダガーを抜き放つ。それで彼は、自らの左手を少し切り裂いてからダガーを収めた。そして今度は架那から受け取った新しいダガーの鞘を払い、自分の右手の下にそっと翳した。手の平から流れ落ちた血が、新しいダガーの刀身を赤く染める。

「こうして、ッと……これでヨシ。」

 一人ごちて呟くと、滴った自らの血を新しいダガーから拭い、鞘に戻した。包帯を取り出そうとしたアイヴォリーを遮って、ディンブラが一言、二言呟くと、手の平の傷は僅かな痕を残して癒された。

「へへ、アリガトよ。」

「で、今のは何なんだい?」

 不思議そうな様子でアイヴォリーの儀式を見ていた架那が尋ねた。手の平を物珍しそうに見やりながら、サスガだな、と妙なことで感心していたアイヴォリーが頷いて答える。

「ん~、まァ迷信さね。暗殺者でも、現実以外のモノを信じないワケじゃねェ、ッて珍しい例かな。」

 自嘲気味にくすり、と笑ってからアイヴォリーが説明する。

 初めて使われる、新しい獲物を手にした暗殺者は、今のようにしてまず自分の血を刃に与える。いつか自らの血を欲して、自らに災厄を与えないために、先に自らの血の味を刃に知らしめ、自らにその切っ先が向くことがないようにしておくのだ、と。

 まァ、暗殺者だって自分の命はムダにしたくねェからな。迷信さね、アイヴォリーはそう架那に告げてから、もう一度自嘲の笑みを浮かべて見せた。

「ん~、剣の精霊との契約は無駄じゃないぜ。奴らはすぐに血を欲しがるからな。あながち迷信とも言えないさ。」

 アイヴォリーの解説を、木に背中を預け腕組みをしたままで聞いていたディンブラが不意にそう言った。

「そうしておけば、その刃はあんたに向くことはない。前の短剣もそうだったろ?」

 確かに、奪われたダガーは人狩りの手に渡ってもその切っ先を他の誰かに向けることなくその役目を終えた。もっともそれは、人狩りが魔法の使い手だったからなのだが──

   +   


「アイっ!!何してるのっ!?」

 オレは急に耳の傍でした大きな声に我に返った。驚いて目を見開いたメイリーが天幕の垂れ布から顔を覗かせている。彼女の視線がオレの手元に向けられているのに気付いたオレは自分の手元へと目をやった。手のひらから滴り落ちた血は刃を濡らすだけでは飽き足らず、かなりの量が地面へと落ちていた。

「あ、あァ。ちょっと考えゴトを、な。」

「そういうことじゃなくって!」

 至極真っ当なメイリーの怒気を孕んだ指摘に、オレは反論の言葉も見つけられずに曖昧な苦笑を浮かべた。飛んできたメイリーが白魔術でオレの手のひらを癒すのを呆然と見ながら、オレはふと呟く。

「あァ、そういやメイリーは白魔術が使えたんだったな……。」

 オレの何気ない呟きに、メイリーがはっとしてオレを見上げた。オレは自分の言葉が彼女に与える意味を今更ながらに気付き、少しだけ微笑んで見せた。

「アイ、それって……」

「イヤ、悪ィケド、そうでもねェ。タダ、ナンとなく、な。」

 だが、前にもこうしてメイリーに傷を癒してもらったことは、確かにあったような気もした。それともそれは、単に厄除けの儀式がもたらした幻想だったのだろうか。オレには判然とはしなかった。

「さて、と。」

 オレは“Widow”に流れた血を拭うと、今度は“Maria”と取り出して今度は反対側の手のひらに傷をつけた。メイリーが呆然とオレの方を見つめている。わざわざ癒したのにまたこれではまぁ当たり前だろう。オレはメイリーが口を開く前に機先を制して言った。

「んー、ナンつーんだ。エモノッつーのはそのウチ自分に向くんだよ。血を吸ってるとな。使ってるヤツの血を欲しがるようになる。だから、そんなコトにならねェように、先にこうして吸わせとくのさ。まァオマジナイッてヤツですかね。」

 今度は適度なところで切り上げて、オレは刃に付いた血を拭った。迷信と言われようとこれだけはやっておかなければ気が済まない。メイリーは半ば呆れた表情でオレの右の手のひらも癒してくれた。

「も~、自分で傷増やしてどうするのよ。」

「まァそういうなッて。コレで準備はオーケィだ。」

 そう、今からシャインが待つ校舎に乗り込んでヤツと勝負だ。ここまでのお膳立てをされておいて、今度は負けられない。

「“前”の借り……キッチリ返させてもらうぜ?」

 オレは口の端に浮かべた笑みを深くすると目の前の校舎を見上げた。メイリーを振り返ると彼女は僅かに緊張した面持ちで無言のまま頷いた。

「安心しな。オレたちは二人だ。サイコーのコンビのな?」

「うん♪」

 強張った彼女の顔が僅かに綻んだのを見て、オレはゆっくりと校舎の扉を開けて薄暗い中へと足を踏み入れる。

   +   +   +   

 屋上の扉を開くと、そこには記憶通りの地形があった。細部まで完璧な自分の記憶力に少しだけ満足してオレは自分を鼻で笑う。勝負はこれからなのだ。
 記憶の中にあるのと寸分の違いもない景色の中で、シャインが踊り狂っている。それもまた、訓練で見た姿のままだ。その周りにシャインにのされた連中が転がっていることすらも。

「次は君たちかい?」

 オレたちに気付いた踊り狂いが、こちらへとそのにこやかな笑みを向けた。オレはせり上がってくる笑みを隠し切れずに口元を歪ませ、冷たい笑みで待ち受ける。

「始めようぜ、マカブルなダンスをよ!」

「どんな物語で魅せてくれるんだい?」

 微笑みを浮かべたままのシャイン。だが、その前には揺らぐ陽炎とともに伝説の幻獣の姿をした小さな生き物の影がぼんやりと現れ始めている。

「風よッ!!」

 オレは全ての知覚を動員して、相手の動きから効率良くこの得物を叩き込むルートを把握しながら揺らぐ影の横を駆け抜ける。メイリーの魔弾が風を切ってシャインに届く。オレの投げた小さなナイフに結ばれたワイヤーは屋上のタイルの隙間を綺麗に縫って跳ね返り、半ば倒れ掛かった手すりに巻きついた。滑り出るようにして、二振りの凶暴な芸術品がブーツからオレの手の中へと納まる。

「右と左のカマイタチ、行くぜェェッ!?」

 振り抜いた刃がシャインを追い、“二度目”の教師戦が始まった。


十一日目

「右に三歩、左に七歩、後ろに五歩……と動くなよ?」

 黒く塗られたワイヤーが幻獣二体を襲う。これで最後のワイヤーだ。後は罠なしで、地力でどうにかしなければならない。シャインを倒したとは言えヤツが置いていった召喚物はまだ二体とも残っている。だが、メイリーはもう立っているのがやっとの状況だった。

「ッ!」

 ワイヤーで後れを取った相手を冷静に見極めて、オレはミニドラゴンへと走る。だが、それはフェイントだ。後一撃でサラマンダーは落ちる。手数をさっさと減らさなければこちらの体力が持ちそうにない。オレはミニドラゴンの目前で軽くステップを踏むと、相手の注意を引きながらサラマンダーの懐に飛び込んだ。

「感じるだろ……風乙女の一撃ッ!」

 左手のダガーで相手の行動範囲を狭め、それで躱せなくなったところで右手のダガーを相手の眉間に叩き込む。ゆっくりとサラマンダーの姿が薄れ、それで相手が元の世界に送り返されたことを確認してオレは気を吐いた。

「一つッ、次ィッ!」

 だが、そのオレのフェイントは余計な手間を増やしたようだった。オレの攻撃が入ると同時に、薄れてゆくサラマンダーに白い魔力がまとわりついて、メイリーが同じ対象を攻撃していたことをオレはそこでようやく気付く。

「ッ!!」

 オレはもう一度舌打ちすると残ったミニドラゴンとの間合いを詰め、滑り込んで一撃を入れた。だが、一番厄介なのはコイツだ。サラマンダーと比べても格段にタフだ。まだ致命傷になる様子は無い。
 相手も厳しい状態の敵から減らすというだけの知能はあるらしい。ミニドラゴンはまとわりつくオレを無視すると彼女との間合いを強引に詰めてその爪の乱打を浴びせる。体格は小さいとは言えそれでも相手は伝説の幻獣の端くれだ。オレたちと同じ程度のサイズを持っているそれの物理攻撃はメイリーには厳しすぎた。

「むーうぅー……再試験通告ー?…痛いなぁ。」

 力が抜けたようにかくり、とメイリーが膝から崩れ落ちる。これで残ったのはオレとドラゴンだけだ。オレは振り回される腕をどうにか掻い潜りながらミニドラゴンとメイリーの間に割って入り、彼女が下がれるように少しの間時間を稼ぐ。オレが抱えて下がらせてやれればいいのだが、相手に背を向ける余裕はなかった。

「ちょっとソコで休んでな。すぐに終わらせッからよ。」

 背を向けたままでメイリーに声をかけると、どうにか自力で彼女が安全な場所まで下がるのが気配で分かった。ざっと見て後一撃か二撃といったところだろう。オレの方も連打をまともに受ければ立っていられるかどうかは怪しいものだ。
 そのときに、風の流れが変わった。
 僅かな、相手に風が集まるその感触。そして体感出来るか出来ないかという程度に上がった周囲の温度。

「来るッ!?」

 オレの中のどこかで、掛け金が外れるようにして何かの記憶が掠めた。荒れ果てた岩山、その上に聳える赤い巨体。──焼けるような風。
 オレはとっさに相手との間合いを詰めた。準備動作が同じようにあるならば、その前には隙ができるはずだ。口を開いてその特殊な呼吸を始めた相手に対してオレは一直線に走り込む。

「間に合えええええッ!」

 ぎりぎりのタイミング。頭を反らせて露になったその首に、オレはとっさに左右のダガーで切りつけた。メインである右の一撃が確かに相手の存在を断ち切ったのを感じながらオレは思い切り地面を蹴って飛び退った。
 薄れ行くその蜥蜴に似た頭、大きく開かれた口から火弾が覗く。それは小さいとは言えオレの頭ほどのサイズがあった。

「ふッ!」

 気を吐いて、相手の頭から弾道を予測し右に跳ぶ。僅かに遅れてオレがそれまでいた場所を炎の吐息が薙いだ。転がって立ち上がるとオレはようやく笑みを浮かべて呟く。

「魔法も避けれねェとな。こちとら避けるのがお仕事なんでよ。」

 だが、最後の気力を振り絞ってブレスを撃ち出したその幻獣は、もう掻き消えたようにして元の世界へと送り返されていた。オレは小さく吐息を吐くといつもの笑みを浮かべてメイに歩み寄った。

「メイ、良くガンバッたな。もう大丈夫さね。」

   +   +   +   

「ヤレヤレ……ホントにヤるのかよ?」

 オレは小さく溜め息を吐くと肩を竦めた。ようやくシャインを倒して休めると思っていたらこれだ。

「……さて、日頃の薪砕きの自主訓練の成果も……見せてもらおうか。」

 槌を肩に掲げ、爺さんがじわり、と間合いを計る。オレは相変わらず平立ちのままだ。正直あまり今の状態で面倒なことはしたくない。シャイン戦の傷は回復されたものの、今日も暴れ兎やらおしとやかやら面倒な相手が待っているのだ。これ以上自分から厄介ごとを増やすのはゴメンだった。

「ツレをエグるのは趣旨に反すると思うんだケドねェ……。」

 だが爺さん──キーロはオレの意見を聞いてくれる様子もない。微動だにせずに、ただ静かにオレとの間合いを計っている。オレはもう一度、今度は心の中で溜め息を吐くと片頬にひねくれた笑みを浮かべた。爺さんが担ぐウォーハンマーはオレのキリングダガーと同じ、黒い石から精錬されたものだ。装備を作るのに打って付けのあの石から作り出した武器に爺さんの体格が乗ればその威力がロクでもないものになるのは明らかだ。
 なぜかオレは、あの新興宗教バリに退団不可能な同好会で味方と死合う破目に陥っていた。何でも「真剣勝負の最中に繰り出せること」が必要だそうだが、その意見には頷けてもそもそも味方と真剣勝負をする気はオレには無い。シャインとの戦いが終わってようやく一息つけそうな今このときではなおさらだ。
 だが、その“味方”はやる気充分で今このときもオレとの間合いを計っているのだった。

後……半身分ッてトコか。

 当然両手持ちの戦槌とオレのダガーでは間合いの差は歴然としている。かと言って下手に下がろうとすればその瞬間に出来た隙に襲い掛かってくるのは間違いない。……が、それはともかくとして、この爺さんはウォーハンマーでどうやってエグるつもりなんだろうか。

「ッと……!!」

 オレの考えの隙を読んだのか、オレが益体もないことを考えた瞬間に爺さんは間合いを詰めてきた。斜めに振り抜かれたその一撃を身を反らして危うく躱し、さらに返されたもう一撃を身を沈めてやり過ごす。爺さんが元の体勢に戻り、オレは半歩下がったところでゆっくりと立ち上がった。

……ふむ、見切りおったか。

 一挙動で必殺の一撃を送り込み、さらに返す一撃で相手の反撃を封じる。その動きは完結していて相手の割り込みを受け付けない。その早さも動きも槌という武器から想像される攻撃とは全く異なっていた。
 もう一度最初の体勢に戻ったオレたちは、さっきと同じようにして静かに間合いを計りながら向き合っていた。いわゆる“千日手”というヤツか。だがオレから仕掛けるつもりはない。そこでオレは今の一撃で分かったことを“武器”として使うことにした。

「爺さん……あの“英雄”と同じ郷の出身か?」

 片頬を僅かに歪めて冷たく。相手の一撃を刹那で見切ったという優位を最大限に利用して。オレは薄く笑みを浮かべて爺さんを追い込みにかかる。

「だケドソイツ、元々はオノの動きだよなァ。そのウォーハンマーじゃ、イマイチキレにかけるんじゃねェか?」

「あの男……知っておるのか?」

 オレの言葉は予想以上に効果的だった。唸るように小さく、爺さんはオレをねめつけてそう呟く。
 そう、オレはアサシン時代に、同じようにして戦斧を軽々と使い、攻防一体の流れるような斧技を繰り出す男と向かい合ったことがあった。その男は冒険者の中では有名だったらしい。オレたちアサシンを敵に回しても全く動じない、肝の据わった男だった。その名、グババ=ナイツは戦いの中に身を置く者ならば知らぬ者は無いとまで言われていたのだ。

   +   +   +   

 一瞬だけ、静けさが戻った。冒険者の最後の一人が動いていなかったためだ。涼風の胸ほどまでしかない背丈に重厚な金属鎧を纏った彼はドワーフか。彼は自らの身体ほどもある両刃の斧を構え、扉の前に立ったまま身動ぎもしない。

「ここは……通さぬ。」

 そのドワーフの声が再び戦闘の口火を切った。涼風が走りこみ、それに合わせて弓手が必殺の矢を射る。涼風でも一人では防ぎきれない連携だ。
 放たれた矢を斧で払い、ドワーフと涼風の視線が一瞬だけ絡み合った。その揺るぎない意志を秘めた眼に、涼風は無表情な冷たい視線で応える。
 矢を落とし無防備となった懐に飛び込み、涼風は鎧の隙間を穿つようにダガーを放った。

 金属が触れ合う乾いた音。涼風が必殺を確信して放った右の一撃を、ドワーフは体を僅かに涼風に向けてずらすことで間合いを逸らし、鎧で受け止めた。

出来る、な。

 普段戦闘に何の感慨も抱かない涼風が、その時にふとそう思った。だが、その間にも身体は無意識に左の一撃を叩き込むべく動いている。

 その時に、兜の下でドワーフが少し笑ったように見えた。師匠が弟子の技量を見切りまだまだだ、そう語りかけるような笑みで。
 同時に涼風の死角から襲った拳が、ダガーより早く涼風を弾き飛ばした。無理な体勢から放ったとは思えないほどの重い一撃に、涼風は止むを得ず力に逆らわないようにして自分から身体を飛ばす。でなければ戦闘に差し支えるほどの怪我を負ってしまうからだ。
 派手に吹っ飛ばされて受身を取り、起き上がった涼風が見たものは、暗闇に向かって投げつけられた巨大な斧だった。
 ドワーフの夜目か、戦士の勘か。弓手を捉えた一撃は正確に弓手の命を奪ったに違いない。闇の向こうで弓手が倒れる音が聞こえた。
 ゆっくりとドワーフが涼風に向き直り、腰の小剣を抜く。見れば鎧に防がれたダガーはその刃だけがドワーフの足元に落ちている。恐らくは止めた時に鎧で挟んで捻られたのだろう。涼風は柄だけになった得物を捨てた。

 再び静寂が満ちる。片方のダガーを失い、弓手のいない状態では重装甲の戦士を倒せるはずも無かった。涼風は、残った左手のダガーを投げつけて、すぐさま背を向け街の暗闇に消えた。

   +   +   +   

「聞かせてもらおうか。あの男の何を知っているのかを……。」

 冷たく冥い目が、仄光りながらオレを見据えていた。


十二日目

「あ~、コレなァ……。」

 オレはこれでもかと言うほどに気の抜けた声を出した。それからその紙切れをぴらぴらと振り回す。綺麗に印刷されたカラフルなそれが翻る様は中々ににぎやかなものだったが、それはこの問題と同じく上辺だけのものだということが分かっていて、オレは相手に気付かれないように小さく溜め息を吐く。

「それで……一体どういう組織なんでしょう?」

 オレにパンフレットを奪われて手持ち無沙汰になったのか、オスカーが目の色を沈ませて呟く。コイツは多層世界の監視者だったらしい。つまりはあのクソッタレと同じように世界の外に立つ者だったってことだ。だが、コイツからはあの紅い道化師のような傲慢さは感じられなかった。真摯に傍にいる少女のことを護りたいと考えているらしい。

だケド、ソレとコレとは別ナンだよねェ。

 オレはもう一度小さく溜め息を吐くとどうしたものかと思案する。この少年が“監視者”として、あのクソッタレと同じように様々な世界のあらゆる場所、あらゆる時間を渡れるのならば、今から跳躍して天幕が為してきたことを“リアルタイム”でもう一度見てくれば済むことだ。
 それが出来ないということは、コイツが自分で任意の選択による多層世界跳躍が元々出来ない受動的なタイプの“観察者”であるか、もしくはこのムラッ気のある少女──ルーシファーという爆弾──との関係性を構築したことによって、跳躍の制限を受けているのかのどちらかだ。

とにかく、様々なものを見てきたこの少年に深く追求させるのは危険だ。

 そこまでを考えて、オレはふと我に返った。一体なぜそんなことを、オレが詳細に知っているのだろう。そして、どうしてコイツが深みに入ることにストップをかけようとしているのだろう。

それはね、僕がそう望んでいるからさ。

 頭のどこかで、クソッタレの含み笑いが聞こえたような気がした。

「ッ……。」

 オレは思わず舌打ちする。要するに、オレを送り込むときにあのクソッタレが断片的に自分の知っていることを流し込んだということか。自分の、望む方向に物事がうまく流れるように仕向けるために。オレはそのやり方に舌打ちしたのだ。
 だが、それを自分に向けられたと思ったのか、少年がオレの目を覗き込むようにしてこちらを見た。嬢ちゃんもオレの不穏な気配を察したのか僅かに眉を寄せている。オレは自分の迂闊さを呪った。

「んー、まァアンタなら知ってるかも知れねェケドな。要するにクソッタレの集まりだってコトさね。ソイツは対外的なモンで、ウソは書いちゃいねェが全ての真実も書いてるワケじゃねェ。」

 取り繕うように。だが、確かに天幕の実態がもうひとつあるというのも本当だ。問題はそれが途轍もなく危険だということなのだが──。

「どうしてそうする必要が?」

 オレはその問いに肩を竦める。流れが良くない。このまま話せば拙いことをぺらぺら喋ってしまうか、もしくは強制的に話を打ち切るしかなくなる。それはあのクソッタレの考えを別にしても、この二人にとって良いことにならないのは確かだ。

「んー、天幕ッつーのはナンつーかねェ。特殊な能力者のアツマリなのさね。そういったヤツらを集めるためニャ、ある程度表立ったコトをする必要もあるダロ?
 んでも、連中もそうそう自分らのヤッてるコトを、ナカマウチ以外のヤツらに知られたくはねェ。コレからの活動に影響しねェとも限らねェからな。」

 それでこの少年は理解してくれただろうか。仲間内以外には公に出来ないようなことをやっているのがこの組織だ、と。オレの願いが通じたのかどうかはともかく、少年はオレの手にあるパンフレットにもう一度目をやると沈黙した。

「とりあえず、アソビ半分で深入りするのはオススメしねェぜ。カクゴ完了してるなら止めねェケド、な。」

 オレは溜め息を吐くと偽りのパンフレットを少年に投げ返した。その薄っぺらい紙切れはふわり、と風に乗って彼の前に置かれた机の上に着地する。オレは少年が押し黙ってそれ以上質問する気がなくなったのを見て、肩を竦めると部屋を出た。

   +   +   +   

 そう、本来ならばあのような二つ名を付けることも止めてやらなければならなかったはずなのだ。面白半分や中途半端な連帯感のためにやっていいことでは無い。そもそも天幕があの二人を受け入れたということは、天幕として何かの目論見があってしたことなのだ。天幕は能力者を欲しがっている。天幕の“戦力”とは、卓越した科学力や情報ではない。無論それらのものは作戦を遂行する際に強力な助力となる。だが、それはあくまで助力であり戦力そのものではないのだ。
 天幕の“戦力”。能力者。
 そう、天幕が常に必要としているのは、わざわざ自分たちの存在を世間に知らしめてまでまで必要としているのは、能力者自身なのだ。それがあのクソッタレのように世界を超えるようなものであればなおさらに……。

天幕は、必ず求めたものを手に入れる。

 オレは天幕を知る人間が天幕に対して下す評価を思い出して目を細めた。そう、もう遅いのかもしれない。あの少年が天幕の庇護を求め、天幕がそれを受け入れたその時点から既に。イヤ、それどころかあのクソッタレにはそれよりもずっと前から見えていたのかもしれない。ヤツにはその能力があるのだから。オレは運命に絡め取られた二人のことを思って空を見上げた。少しずつ冬の気配が忍び寄って、空が塗り潰された平板な色へと変わりつつある。オレは風の冷たさに少しだけ身を竦めた。

もう……逃げられねェかもな?

 どうでも良いことのはずだ。だが、オレのどこかにはイヤな予感があった。背筋が寒くなるような、そんなイヤな予感が。二人が天幕に吸収されることでオレに影響があるとは思えない。だが、それでもなぜか感じるその予感を振り切るようにしてオレはゆっくりと息を吐き出す。息が白い。

「今年の冬は……寒くなりそう……か……。」

 これからの戦闘のこと、メイリーのこと、オレ自身のこと。いくらでも考えなければいけないことがあるというのに、どうしてもオレはあの二人のことを振り捨てられずにいるのだった。

   +   +   +   

「『象牙』。お前の今の行為を背信と見做し、『金色』の安全の為に排除する。」
 澄み切った、感情すら感じさせないその声の持ち主は、銀の髪と瞳を持っていた。アイヴォリーよりも一回り以上小柄なその影は、少女の風貌に似合わぬ冷酷な声で死刑執行の宣言を口にした。
 だがアイヴォリーは一瞬目を細め、動じた様子も無くマジカルパンプのカプセルを口へ放り込む。彼の視界にクスリによるオーバードーズで「魂の緒」を繋ぐ結線が見えた。

一人なら逃げられた。
 彼の左眼が魔力に耐え切れず血を噴き出す。
彼女の心だけは守りたかった。
 一太刀目をフェイントで浴びせかけ、弾かれたダガーが宙を舞う。
同じ世界に住むべき存在ではなかった。
 首元に肉薄した彼のダガーが少女の首を拘束する輪を断ち切る。
 彼女の長刀が腹に突き立てられた。
「さあ、戻ろうぜ、あのお屋敷へ。」

   +   +   +   

 まだあの少年を──僕と同じような能力を持つ彼を──此処に招待するには早い。此処を今訪れてしまえば、恐らく天幕は『吸収』か『排除』かの二択を彼に迫るだろう。僕から教えてしまうのが最も手っ取り早い手段ではあるのだが、それでは可能性の拡張どころか削除にしかなり得ないのだ。彼には自分で選択が出来るようになるところまで自分で知ってもらわなければならない。
 実験体のときならば設定してやった“空白”をトリガーにして簡単に操作できた。だが、それの代役としてあの赤い瞳の少女が機能するかどうか。僕の創造物ではなく、しかも運命の束縛を振り切るほど強力な力を秘めた彼女では、彼を思い通りに動かせるかどうかも怪しいものだ。

 僕は溜め息をつくと机から目を上げた。“願わくば、彼が運命を超越するだけの力を得んことを。”と書き記そうとして止めたのだ。そう、彼には自分で乗り越えてもらわなければならない。僕の二の舞では困るのだ。
 同じ“世界を見通す目”。それを持つ彼と僕が本当に向かい合える日はいつ来るのだろうか。そのときに、彼は僕と同じ方向を目指しているのか。それとも敵対するのか。僕は似たような役割を与えられた彼が、僕と争うことにならないように願っていた。
 だが、僕はその気持ちも今は押し込めておかなければならない。あまり僕が肩入れすれば、それは実験体にまで影響を与えてしまう。

「可能性を……拡げてくれよ……。」

 僕は口の中でそう呟くと、もう一度彼らを映す端末の画面に目をやった。その少年に、僕は恐らくは、かつての自分を重ね合わせていた。


十三日目

「ヤレヤレ……こんなコトオレにヤらせて大丈夫なのかよ……。」

 オレは呆れた独り言を呟いた。ベッドには軍服を着崩した若い男が眠っている。そのエンブレムはフェリシアの嬢ちゃんと同じものだ。コイツを見つけた時の嬢ちゃんの慌てようからするとどうやら知り合いだったらしい。オレたちがこの兄ちゃんを拾ったときには死に掛けてたんだが、一応山は越えたらしい。今のところその呼吸は生死の境を彷徨っている人間のそれではなかった。
 嬢ちゃんはコイツを見つけると、オレと神父を駆り出して手術を始めた。どうも銃か何かで撃たれていたらしい。だが、神父はともかくオレが何が出来るかと言われれば非常に困る。オレの世界には嬢ちゃんの世界のような高度な医療技術はなかったし、代わりに治癒魔法があった。天幕ではポッドの中で適当に眠っていれば傷は癒えた。嬢ちゃんの技術はそのちょうど間にあるものらしく、オレはほとんど手持ち無沙汰で適当に雑用をこなしただけだったのだ。
 そして、今もこうして“大切な”仕事を預かっている。何かの薬液が入った袋が傍らに吊るされていて、そこから伸びたチューブがコイツの腕に刺さっているのだ。オレはそのチューブの中ほどにある水で出来た砂時計のような良く分からない代物を見つめながら、一定の間隔で水滴が落ちるように見張っているのだった。オレには何が行われているのかはさっぱり分からない。だが、水滴の速さを調節するスイッチらしきものの使い方は聞いている。後はオレの時間に対する感覚で、水滴の間隔を一定に保つだけだ。自分の勘だけで時間を完全に計る訓練を施されたオレには、それ自体は造作もないことだった。

「でも……ナンかあったらどうすんだよ?」

 容態が急変するか、もしくは目を覚ましそうになったら嬢ちゃんを呼ぶことにはなっているのだが──。

「うぅ……。」

 拾われた男が呻いた。確かに嬢ちゃんが言っていた時間よりも僅かに早いくらいで、そろそろ彼女が言っていた目を覚ます頃合だ。オレはソイツを起こさないように静かに立ち上がると、嬢ちゃんを呼ぶために部屋を後にした。

   +   +   +   

「曹長……分かりますか?」

 嬢ちゃんがその若い男に声をかけるのを、オレは壁に背中を預けて何とはなしに見つめている。嬢ちゃんから聞いた話では、コイツはアッシュ=ソーダー、嬢ちゃんと同じ部隊の仲間だったらしい。そして、それは取りも直さず嬢ちゃんが探しているという部隊の他の連中──ジンクとかいうおっさん、そしてハルゼイという青年──とも同じ部隊の仲間だということを意味していた。
 メイリーは、そのハルゼイという男が、オレの知らないオレと会ったことがあり、一定以上の関係──お互いに“戦友”と呼べるのならばそれも間違いないだろう──にあったと言っていた。それならば、このアッシュという男からも何かを聞き出せるかもしれない。そう思ったのだ。

「お嬢……ここは?」

 薄っすらと目を開けたアッシュという男が言う。嬢ちゃんは安心させるように彼の肩に手を置くと微笑んで声をかけた。

「もう大丈夫ですよ。ウィンド先生やケーニッヒ神父のお陰で、私でも手術を成功させることが出来ましたから。」

 減点1。起きたばっかりの患者に自分の施した治療の技量に関して不安を抱かせるのはあまり良いやり方じゃない。そんなどうでも良いことを考えていたオレの方へ、辺りを見回した男の視線が飛んできた。

「ウィンド……てめぇ、アイヴォリー=ウィンドかっ!?」

 ついこの前まで死に掛けていたソイツは、驚くべき精神力で嬢ちゃんの手を振り払うと身を起こした。その視線は明らかにオレに向けられている。しかもあまり好意的な類のそれではない。オレは自分がまた何か新しい面倒に巻き込まれつつあることを自覚して、心の中で溜め息を吐いた。

「……クロードを……クロードをどうしたっ!?」

「曹長!
 まだ動いてはいけませんっ!!」

 その男──アッシュは、驚嘆すべき生命力でベッドから飛び降りると嬢ちゃんの制止を振り切り、オレに走って詰め寄った。ケープの首元を掴まれたオレは無言のまま、冷たい瞳で兄ちゃんを見つめ返す。怒りに我を忘れているのか、彼は傷を気にするような様子すら見せずにオレを睨み付けている。オレはちらりと兄ちゃんの肩越しに嬢ちゃんへと視線を送ると薄い笑みを浮かべて彼に視線を戻して口を開く。

「オイオイ、ダレだソイツは。悪ィケドそんなヤツは知らねェな。第一ダレだテメェは。」

「てめぇ、何抜かしてやがるっ!
 クロードの紹介で、あのひでぇ島で会ってるだろうがよ!
 あの後クロードはどこに行ったんだっ!?」

 その瞬間。鉄拳が飛んできた。もちろん“見えて”はいたが、ここで避けてどうにかなるものでもない。オレは敢えて一発もらってやると、自分から大げさに吹き飛んでやった。さり気なく受身を取りながら腕で手術用具の乗った机を引っかけて倒す。結果、音だけはやたら派手にオレは自分に転がった。頬を拭ってゆっくりと立ち上がる。相変わらず兄ちゃんはオレを怒りに燃えた形相で睨んでいた。

「曹長……隊長と……曹長も隊長と会われたのですか?」

「あぁそうだ!
 そのときにこいつはクロードの戦友気取りで居やがった。あの時は髪も長くて眼帯してやがったけどな、でも間違いねぇ、絶対にあそこにいたのはこいつだ!」

 嬢ちゃんの問いにまで怒りの色をにじませて、背中越しに兄ちゃんがそう怒鳴る。ヤレヤレ、軍人はドナッたり殴ったり乱暴でコマるぜ、などとどうでも良いことを心の中で呟きながらオレはもう一度口の端に薄っすらと笑みを浮かべた。

「もう一度言うぜ。悪ィケドな、オレはそんなヤツのコトは知らねェ。」

「ふざけやがって!
 ラボに大量の血の跡があった!
 クロードをどこにやりやがったっ!!」

 嬢ちゃんに身体ごと制止されながら、兄ちゃんはオレにもう一発パンチを繰り出した。だがオレもそうそう当たってやるのも気分が悪い。

「オイ、オレをどうにかしてェなら雑なパンチは止めとけ。その腰に下げたリッパなエモノがあるだろうがよ。」

 見切って受け止めた拳を、わざと脇腹につけられた傷に響くような角度で軽く捻る。まともな訓練もしていないケンカじみた拳で殴られるほど鈍ってはいない。痛みに呻いて屈み込んだ兄ちゃんと、それを介抱する嬢ちゃんを見下ろしたままで、オレは冷たく呟いた。

「……次に素手で向かってきたら、殺すぜ?」

 そのまま背を向けて保健室を出た。殴られた頬が疼く。後ろから追ってくる二人分の呼び声を無視してオレは自分の天幕へと戻り始めた。

   +   +   +   

 そう、実際にオレがアイツと素手でやりあったら、オレはヤツを殺してしまう。そもそもオレが仕込まれたのは相手を適度に痛めつけて戦意を奪う喧嘩の仕方ではない。徹底的に身体の弱い部分を狙って相手を破壊する、殺しの技なのだ。あの様子ではアイツは人を殴り慣れているのかも知れなかったが、それはあくまで殺さないための攻撃であってオレのそれとは違う。次元の違いではない。純粋に目的が、方向性が違うのだ。

「……クソッタレ……。」

 小さく毒づいてまだ朝の光も差し込まない廊下を歩く。何かが擦り切れていくようで酷く苛立たしい。なぜか無性に、あの小さな妖精の無邪気な微笑みが見たかった。

「今度は……ナンだよ。」

 気配に気付いて足を止めた。廊下の先、暗闇に沈む行き当たりの扉に小さな影がひとつ。剣呑な雰囲気を発散して。オレが仲間だと知っていなければ即座に人狩りだと判断する類の。

「お主が娘に駆り出されたせいで話が途中でな。さぁ、聞かせてもらおうか。あの男の何を知っているのかを……。」

 オレの半分ほどしかない身長。暗がりに薄っすらと浮かび上がる砂塵色の外套。キーロの爺さんがオレの行く手を阻むようにして佇んでいた。

「……マッタク、カンベンしてくれよ……。」

 思わず泣き言を漏らすオレ。徹夜明けのかわいそうな非常勤講師はまだ休ませてもらえないらしい。

「何ならお主が話したくなるまで付き合っても構わんが……の。」

 そう言って爺さんは自分の戦槌の柄に手をかけた。本気か冗談かはこの離れた、しかも薄闇の状態では分からない。だが、怪我人の看病で徹夜させられてあまつさえその怪我人から殴られた哀れな非常勤講師にかけるものとしては、それは冗談にしてはあまりにも悪質なものだった。

「ヤレヤレ……。」

 オレは諦めたように呟いて大きな溜め息を吐くと、肩を竦めて天井を仰ぐ。まだ長い夜は終わってくれそうにもない。戦槌を肩に担いだその小さな姿は、夜が明ける前の濃い闇も手伝ってかつて剣を交えたあの高名なドワーフに見えなくもなかった。どうやら今日の夜はひたすら過去に付き纏われる夜らしい。オレは爺さんを促して校舎の外へと出ると、適当なところでベンチにどっかりと座り込んだ。

「大して話すようなコトは知らねェぞ……。
 オレはな……昔アサシンだったコトがある。その時分にあの爺さんに会ったんだ。
 アイツはあの頃から有名な冒険者だったらしい。オレはあの爺さんと三回……イヤ……二回、か……会ったんだよ。」

 そうしてオレは、どこか、いつかに誰かにしたようにして昔語りを始めた。一度目はアサシンとしてオレが襲撃した家で、襲撃者と護衛として渡り合った。二度目はオレが天幕に来る前、ギルドを抜け出したときに偶然に出会った。まだ今でもはっきりと覚えている。オレは一度目はもちろん、二度目に会ったときですらあの爺さんとの格の違いを思い知らされた。

三度目は……イヤ、そうだ。オレは天幕に来てからはあの爺さんには会ってねェ。会ったのはその二回だけのハズだ。だが……前には確かに三度会ったと誰かに話したような気がしたんだが。

 オレが大体のことを話し終えると、剣呑な雰囲気のままで聞いていた爺さんは落胆したように鼻を鳴らした。やはり価値のある話でもなかったらしい。それはそうだ。オレがヤツに会ったのは大分昔のことで、しかもほとんど会話すらしていないのだから。

「だケドなァ……爺さんよ。アイツ……グババ=ナイツは強ェぜ。あの時でも、オレよりも……そして多分アンタよりも、な。」

 この爺さんが何を思っているのか、何を彼に求めているのかは知らない。だがその雰囲気だけで充分に分かりすぎるほど、それほどに剣呑な雰囲気を爺さんは発していた。

「ふん……分かるまい……やってみんことには、な。」

 立ち上がって爺さんが暗闇に消えていく。オレは今日何度目かも分からなくなった溜め息を吐くと彼を見送った。

みんなが……過去に翻弄されてヤがるな。

 ふとそんなことを思い、小さく舌打ちする。一番翻弄されているのは他ならぬ自分なのだ。
 純粋な笑みが、メイリーの笑みがなぜか遠く、懐かしいように思えて、オレはもう一度小さく息を吐いた。


十四日目

 オレはワイヤーを思いっきり引っ張ると、その端を天幕の柱に固定した。それからワイヤーカッターの柄を使って、反対側の端からワイヤーを巻き取り始める。ワイヤーカッターの柄が細く長く出来ているのはこういった罠を設置するための作業に使うためでもあるのだ。
 はっきり言って地道な作業である。楽しいとはお世辞にも言えない類のものだ。だが、昔からこの手の作業に慣れたオレにとってはさほど苦痛な訳でもない。たとえその量が膨大なものであっても。

「にしても……コイツは微妙だな。」

 思わずオレは独り言を呟いて手を止めた。巻き取っている途中のワイヤーを緩めると絡まってしまうので、手を止めるといっても休める訳ではない。結局全部自分でやらなければならない。どうせ他人に任せてよい類の作業でもない。それで発動しなかったら悔やむだけでは済まされないのだから。
 オレはワイヤーカッターを片手に保持したままで、傍らに投げ捨ててあった紙の一枚を拾い上げた。コイツを使うのならば綿密にワイヤーを編み込まなければならない。足元や机の上に散らばった山のような紙の中から必要な一枚を見つけるだけでも骨が折れる。オレは自分に舌打ちした。
 今、オレは新しい罠を考えていた。自分の行動によって発動する能動的なものだ。今の“クモの巣”では効果が薄いと考えたからだった。
 そもそも、トラップというものは受動的なものと能動的なもので、大きく二つに分けることが出来る。前者はワイヤーなどをトリガーとして展開し、相手の行動がそれを発動させるもの。ピットトラップのスイッチや地雷なんかがそれに当たる。簡単なものではスネアトラップなどもこれに含まれるだろう。それに対して、後者は厳密な意味でのトラップではない。相手をその罠の効果範囲に追い込み、こちらが自分の行動によってそれを発動させるものがそれだ。こちらは狭義での罠には当たらないためにタイプとしては少ないが、相手がその場所にいれば自分で発動させることが出来るためにそのタイミングを自分で決めることが出来る。“クモの巣”は基本的には前者だが、オレは別途自分用のトリガーを用意して自分から故意にそれを発動することもある。空間に対する三次元的な攻撃である“クモの巣”は、攻撃として相手を傷つける以外にも防御用の“陣地”として使用できるという訳だ。そうやって防御的に、使い捨てる場合には相手にトリガーを引いてもらうのではなく、自分で発動させなければ意味は無い。“クモの巣”であればその軌跡は事前に完全に計算して予測できるので、設置したオレにだけ分かる範囲内での安全地帯もある。そこにいるときに発動させれば近接攻撃を一切受けることなく態勢を立て直すことが出来るのだ。
 だが、今回オレが考えたのはもっとアグレッシブなものだった。完全に能動的に発動する、攻撃的な罠。相手を撹乱し、その上で動きを束縛している間にダガーで一撃を入れられるように一定時間相手を拘束できるもの。

「さて、と……。」

 オレは巻き終わったワイヤーを注意してワイヤーカッターから抜き取ると腰を上げた。まずは単品で効果が出るか実験してみる必要がある。

   +   +   +   

 コイル状になったワイヤーを手のひらの中で玩びながら、オレは天幕の外に出た。まだ誰も起きていないようだ。罠の実験にはちょうど良い。

「コレでイイかねェ。」

 オレは立ち枯れた一本の木を選んだ。大体人間大の幅だ。高さに関しては人間と比べるべくもないが、発動範囲が平面であるこの罠ならばまぁ問題は無いだろう。
 オレは木の周囲の地面に黒く塗られた小さな釘を刺していく。これだけ完全に事前に設置してしまうタイプの罠は、オレの中では珍しかった。オレは自分で罠の材料だけを準備し、戦闘中に展開できる簡素なものを使うことが多い。建物やダンジョンの中で相手を待ち受けるのならばともかく、冒険者のように移動しながら敵と戦う今の現状では完全設置型の罠は機能しないことが多いのだ。せっかく展開してもそこで戦闘が起こらなければ何の意味もない。だが、今の学園のシステムから言えば、全く役に立たないということは無いはずだ。その罠が設置された場所に戦場を設定できるのならば、後はその範囲に追い込むのはオレの腕の見せ所というヤツだ。
 オレは釘を打ち終わるとそれに引っかけるようにしてワイヤーを張り巡らせていった。木を囲むように何重にも、オレは木の周りをぐるぐると回ってワイヤーを張っていく。それは傍から見れば何かの儀式のようにも見えるのかも知れなかった。一周ごとにワイヤーを固定する釘の位置は変えてある。大体十周くらいはしなければならないから、釘の総数は百程度といったところか。一人に対する準備としては周到すぎる以外の何ものでもない。
 ようやくワイヤーを張り終えると、オレは残った側の、石を結び付けた端を引っ張ってその張り具合を確認した。この辺りは“クモの巣”でも慣れたものだ。大体予想したくらいの張りになっていてなおかつ設置した釘が一本も抜けていないのを確認し、オレは小さく鼻を鳴らす。オレは石よりも外側でワイヤーを最後の釘にしっかりと固定しもう一度安堵の息を吐いた。ぱっと見には草や何かに紛れて分からないが、実際に使うとなるともっと偽装しなければ役に立たないだろう。もっともそれは発動の仕掛けには関係ない部分なので後からいくらでも誤魔化しようがある。今はこの仕掛け自体が上手く機能するかどうかなのだが──。

「……ッ!」

 オレは小さく気を吐き、固定していた最後の釘の辺りに小さなナイフを投げた。軽い金属音とともにワイヤーが切断され、いつもよりは澱んだ、ワイヤーが風を切る音が小さく囁く。

「……ヤレヤレ、コイツは繊細スギだねェ……。」

 途中で異音が混じり、木を中心にして収束するかに見えたワイヤーは途中から木の皮を叩きながら力なく地面に落ちていた。オレは今度は落胆の溜め息を大きく吐き出す。
 人一人分ほど、木を中心からずらして設置した。それだけでこの様だ。たった人間一人分ずれただけで効果を発揮しないのでは、実際の戦闘時にどれだけ役に立つか怪しいものだ。ワイヤーの巻取りが細すぎたのだろう。
 オレは肩を竦めると、後片付けもせずに天幕の中へと戻った。

   +   +   +   

 もう朝日が昇っている。今日中に実用にこぎつけるならば、次で実験は最後といったところだろう。オレは天幕の垂れ布を捲ると朝日の眩しさに少し目を細めた。

「あら、アイ、今日は早いのね?」

 天幕から出てきたメイリーと鉢合わせた。オレは曖昧な笑みを浮かべながら肩を竦めて見せる。

「オイオイ、オレだって案外研究熱心ナンだぜ?」

 確かにメイリーが言うように、お世辞にもオレの生活パターンは規則正しいとは言いがたい。それでもこういった新しいものの実験の時には、あまり人目につかないように早くから起きているときもある。──場合によっては寝ていないことも多いのだが。
 例によって興味深々でオレが何をするつもりなのか見守っているメイリーに気付かれないように苦笑を浮かべると、オレは黙々と木の周りにもう一度ワイヤーを設置し始めた。巻き方を替え、それに合わせてワイヤーを替え、とやってもう五度目だ。これで駄目ならばそもそも発想自体を諦めなければならないかも知れない。

「……才能が……ねェかもな。」

 ぽつりと呟いたそのオレの独り言にメイリーが首を傾げた。オレはワイヤーを展開し終えると小さく溜め息を吐く。

「よっこらせ……ッと。」

「やだアイ、おじさんくさ~い。」

 どうもオレの立ち上がるときの声が気に入らなかったらしい。露骨な非難の声が後ろから聞こえたが、とりあえずは目先の問題を解決することにして聞こえなかったことにする。

「さて……近づくなよ。
 ……どうなるか……見てな?」

 無造作に投げたナイフ。金属音。ワイヤーの風切り音。そして──
 ぎっ、という鈍い音ともに、木はワイヤーによって締め上げられていた。

「うわ~、なになに、どうやったの?」

 ふむ、とオレは鼻を鳴らして満足気に木を見やる。ワイヤーの弾性を考えて太い物に替えたのが良かったようだ。これならば一撃入れるまでの間は充分に相手の行動を阻害できるだろう。罠の準備に気が遠くなるほどの手間がかかり、そう何発も撃つことは出来ないだろう。ワイヤーを太くしたためにこれ自体には殺傷能力もない。相手を束縛し、その後で自分で一撃入れるためにその威力を高めるためには自分の物理的な攻撃力が必要になる。だが、唐突に相手を絡め取るこのワイヤーは、事前に完璧に敷設されているがゆえに相手の不意を付き、しかも発動が能動的であるために相手にその予兆を感じさせることもない。それは相手を混乱させる充分な要素になる。威力を完全に放棄したためにワイヤーの強度を上げることが出来たので、この機構を使えばもっと大規模に、複数人数を一気に巻き込むことも出来るかも知れない。
 とりあえずは何よりも、オレは罠自体の発想が間違っていなかったことに満足していた。コイル状に巻かれたワイヤーを引き伸ばし、端に錘を付けておく。いっぱいまで張られたワイヤーの張力を利用するのは“クモの巣”と同じ原理だ。だが、“クモの巣”が直線的なワイヤーの動きを複数組み合わせて立体的な攻撃を順次行っていくのに対し、これはワイヤー一本で組まれている。相手を中心にして地面に釘で縫い付けられているワイヤーは、その端が解放されることによって元々癖として付けられているコイル状に戻っていく。端に結び付けられた小さな石が遠心力によってワイヤーを振り回し、地面にささった釘を順番に解放していく。それは一見、相手の足元で何かが弾け、それとともに黒い螺旋が相手を包み込むようにも見えた。

「一撃入れるタメに、相手の動きを止めるワナ──“螺旋の刃”さね。」

 オレは得意満面の笑みを浮かべてメイリーに振り向いた。


十五日目

 彼らはいつでも常に限界にあり続けなければならない。そうして常に極限状態に置かれることでこそ、彼らの性能はさらに磨かれるのだから。少しでも彼らが安全を覚えると、それによって性能は低下する。安全に甘えてしまうのだ。安全は生命への欲望を生み、切っ先を鈍らせる。それは性能の重大な低下でしかない。
 彼らは常に死と隣り合わせにあることで最大の性能を維持している。それに追随できないものは不良品であり、いざというときに致命的な失敗を犯すため、性能が低いというだけにあらず、害悪であるといって良い。彼らは常に張り詰めている必要があるのだ。

 その、死と恐怖に支配された彼らの戦術は、常に我を守るという基本的な事項がないために脅威である。彼ら実働部隊は、まさに死と恐怖に慣らされることによってどんな状況にも恐れを抱くことなく、自分の命を投げ打って対象を抹殺しようとする。
 戦わないこと、そして対象にされないこと。これに勝る対処法はない。

──アサシネイトギルドに対する調査を行った調査員の走り書き──


   +   +   +   

「ふ~……うゥ……寒ィな……。」

 オレは包まっていた毛布からどうにか顔を出すと、手を伸ばして暖房のスイッチを捻った。今朝はまた急に冷え込んだらしい。そういう日に校舎にいたのは非常にラッキーだったといえる。校舎に備えられたこの暖房は、パイプに蒸気だか熱湯だかを通す方式のもので、部屋が暖まるのに時間が掛かるがそれでもあるだけでありがたい。そもそもオレの元々いた世界にはそんなものすらなく、暖房といえば焚き火か暖炉くらいのものだった。完全に機械で温度を一定に保たれている天幕の本部と比べるのは贅沢というものだろう。

「アイ~っ、おはよ~!」

 オレが毛布の中でぐずぐずしていると、いつも薄着な風の子が勝手に準備室の扉を開けて入ってきた。いつもながらに朝からテンションが高い。このクソ寒いのにある意味賞賛に値する。

「もしかして、魔法で自分の周りだけ温度上げるとかズルしてんじゃねェだろうな……。」

「??」

 メイリーがオレの呟きに耳聡く反応した。何と言うか相変わらずの地獄耳だ。

「イヤ、メイリーはイッツも元気だねェ、ッてな。」

「そうよ~、アイが寒がりなだけで。」

 毛布を被って顔だけを出したままのオレを見てメイリーが半ば苦笑しながら言った。まぁメイリーの言うことももっともだ。ようやく部屋も暖まってきたのでオレは毛布を剥ぐと身体を起こす。

「しっかし急に寒くなりヤガッたよなァ……。」

「はい、どうぞ。早く起きてね?」

 メイリーがコーヒーをオレのカップに注いで差し出す。何やらやり取りが人に聞かれると誤解されそうな感じではあるが、それを否定も出来ないくらいの素晴らしいタイミングだ。オレはケープをぞんざいに羽織るとメイリーからカップを受け取り一口啜った。

「さて……と。」

 ブーツを履く。
 このいかついブーツを脱げるのはこうして校舎に立ち寄った日くらいのものなのだが、やはりこの重みがないと落ち着いて眠れないような気がするのはアサシンの癖が抜け切っていないからだろうか。オレは枕元に置いた二振りのダガーを引き寄せるとバンドで鞘ごとブーツに固定した。何回か足踏みを繰り返すと金具が小さく音を立てる。オレは一度留め金を外してもう一度足を締め付け、しっかりと、オレの動きで一切音がしないようにブーツを履き直した。
 次に胸当てを着ける。
 机に置かれたそれも、準備室でなければ外せない類のものだ。外では野営のためにこういった装備を外して休むことが出来ない。いくら完全にオレに合わせて作られたものだといっても、何度もなめされた革の鎧を着たままでは熟睡できないので、こうやって休める日は貴重なのだが。
 レザーのガントレットを取り上げる。
 昨夜きっちりと手入れをして吊るしておいたそれは、冷たい感触でオレの手にぴったりとフィットした。罠の設置に使うワイヤーが充分に足りているのを確かめてからオレは何回か手を握り締めてグローブを完全に馴染ませた。
 最後にケープを羽織る。
 今度はしっかりと襟元の留め金を留め、しっかりと身体を包むように僅かにずらす。エルフの隠身の技術の粋を集めたこのクロークは容易に相手の機先を制することを可能にしてくれる。微妙に光を屈折させることで自分の姿を辺りの風景に溶け込ませる力を持つ魔法の品なのだ。正直レシピを教えたとは言えあの嬢ちゃんがここまでしっかりとこれを再現できるとは思わなかった。まだ改善の余地はあるものの素晴らしい出来だと言って良いだろう。

「よしッ、今日もガンバッて行きますかッ!」

 オレは装備を全て身に付け点検し終わるとカップに残ったコーヒーを飲み干し、メイリーにそう声をかけた。

   +   +   +   

「でもアイっていっつも準備にすごい時間かかるよね~?」

 オレの準備の様子をずっと傍らで見ていたメイリーがそう言った。オレは今日の集合場所へと歩きながらも笑みを浮かべて頷く。

「オレはメイリーと違って色々準備があるからねェ?」

「ボクだって準備してます~。アイのとこに来る前に全部済ませてくるだけだもん。」

 まぁ女にはまた違った意味で準備があるのかも知れないが。確かにオレは装備の点検や準備にかなりの時間をかける。こればかりは自分の命を──ひいては仲間の命をも──預けるものであるだけに手を抜くわけにもいかない。夜は夜でその日使った道具を完全に手入れする。鎧と手甲、ブーツには念入りに油を擦り込む。ダガーは研ぎ直し、細々とした道具類は分解し、全てを一片の曇りも許さずに磨き上げる。特に鎧と手甲、ブーツの三つは完全に特注で、普通の店では手に入れるのも難しい代物だ。これだけで実は騎士が式典で着るような完全鎧が一式買えてしまうようなもので、使い捨てていればその内に破産する。それでなくても道具というのはある程度くたびれてこなければ自分に馴染まず、かなり使い込むものだ。そんな訳で、オレは物持ちが非常に良い代わりに装備に異様なほどの時間をかけるのだった。

「さて、今日はダレが相手だったかねェ……。」

 オレは適当に話を逸らすと指示の書かれたメモを探してポケットをごそごそとまさぐる。この学園では次の日に戦う相手がこうやって事前に指定される。それがここの“ルール”だからだ。本当に命に関わるようなことは少ないものの、“イキ過ぎたエンタメ”であることには変わりなかった。逃げることも、その日の戦いを事前に回避することも出来ないという点では非常に質が悪いと言えた。

「ん~とね、天文部員さんと……くま。」

「昨日のアレかよ……。」

 メイリーが微妙な表情を浮かべたのを見てオレも小さく吐息をついた。昨日の今日だ、彼女もくまのことが気になっているらしい。そもそもアレを熊と呼んでいいのかどうかは怪しいものだが、昨日現れたその“くま”は非常に厄介な相手だった。タフで一撃が重く、しかもこちらの動きを鈍らせるほどの一撃を持っているのだ。昨日は何とか最後までメイリーが立っていたものの、今日は向こうの組み合わせが良くない。

「天文部員のアレは……魔法じゃねェんだよな?」

「天文部員さんの攻撃は……魔力が感じられないし、多分。」

 オレがメイリーに一応確認すると、彼女はあまり自信がなさそうながらもそう答えた。そもそも敵である天文部員──しかも名前すらないエキストラだ──にさん付けするのもどうかと思ったのだが、この際それは関係ないので敢えて指摘せずにおく。
 天文部員の攻撃が物理を介した射撃だとすれば、オレは僅かにそれに対しては強く、逆にメイリーは弱いということになる。だがメイリーを後ろに下げていても攻撃を受けるというのはあまり嬉しいことではない。その分今日は相手が延々と手下を呼び出すこともなくウィスプを設置するだけで、昨日のようにどうでも良い相手に彼女の主力攻撃が邪魔されることがないのが救いだが……。

「この辺よねー?」

 メイリーの声でオレは我に返った。今日勝てば、明日からは少しは楽になることが分かっている。何としても成長促進の恩恵を受け続けるために今日は勝たなければならない。それは勝ち続けることで与えられるもので、一度でも負ければまた一からやり直しなのだ。そう、何としても今日は勝たなければならない。

「ん、じゃあソロソロ準備しますかねェ。」

 オレは指定された小さな広場を見渡すと、罠として使える地形や障害物をピックアップしながらこれまた気の長い“準備”を始めた。

   +   +   +   

 広場にくまを連れた天文部員が──イヤ、オレからそう見えるだけでくまが天文部員を連れている可能性もある訳だが──現れた。細身で中空に視線を彷徨わせているその姿からは、一見ヤツが危険だとは思えない。だが恐らく、今日の相手で危険なのはヤツの方だ。

「よし、行くぜメイリー。」

 オレはメイリーにそう声をかけ、広場へと姿を現す。メイリーも無言で頷くと、オレのやや斜め後ろに位置取って相手に相対した。オレは僅かに頬を歪めて薄く笑みを浮かべ、人差し指を立ててみせた。

「へへ……テメェらも懲りねェな。」

「準備が出来たら始めましょっ♪」

 メイリーは軽くステップを二、三度踏んで身体を慣らしている。オレはケープが自分を包むその柔らかな感触と、そして足に僅かに伝わってくる、ブーツがしっかりと地面をグリップするその感触に集中する。
 メイリーがオレの真似をして人差し指を立てた。

『Are you ready?』

 二人の声がひとつに揃い、オレはケープで景色に消えながら低い姿勢で地面を蹴った。
  1. 2007/05/16(水) 14:37:17|
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SSAtest

島から戻ったアイヴォリーたちは街で平和な時間を過ごしていました。その間に何やらメイリーの旧友と決闘したりもしていましたが、個人宛なので割愛。

そんな中、急にアイヴォリーが姿を消します。一人取り残されたメイリーは不安に駆られながら生活し、あるときに“召喚”されます。
アイヴォリーサイドから書いたものがあったはずですが行方不明。まいったまいった。
↑と思ったら十日目にありました<何

ぶっちゃけてしまうと、島で一応の結果を得たR,E.D.は、新たな実験段階に入るために一度アイヴォリーを消去することにしたのです。
新しく起動したアイヴォリーに、それまでの知識を断片的に刷り込みメイリーの傍に置いておくことで、もう一度同じように天幕を裏切り、それまでいたアイヴォリーを取り戻せるか。“裏切り者”の運命を再び振り払って生きられるのかが実験の内容。

そのために、SSAでは島での記憶がないアイヴォリーと、彼とともに時間を過ごしてきたメイリーという、それはもう頭の痛くなるようなパラレルな組み合わせでした。しかもテストが終了し本編でもう一度同じことをやらされたために、中の人は悲惨なパラレル具合に泣いていたそうです、ええ。

ちなみに緋影の中の人が新しく加わったのもSSAから。素晴らしいまーしゃるさん。

Introは相方に送りつけてその後をメッセで話すというTRPG形式になっているため本当にIntroのみです。意味不明。

 島に戻る日が近づいて。アイヴォリーは唐突に姿を消した。荷物も、愛用のケープも、勿論二振りのダガーも。まるでそもそもそんな人間は存在しなかった、とでもいうように何の痕跡も残さず消えた。彼の失踪を知る者は誰一人としておらず、それ以前に彼が存在していたことを知る者すらいなかった。彼と知り合いだった数人の友人たちはその特異な自らの故郷へと帰り、それ以外の彼を知るはずの街の住人たちはそんな人物は知らないと口を揃えて言うだけだった。
 まるで、存在した証をかき消されてしまったかのように。象牙色の微風は、いつの間にか吹き止んでいた。ただ一人、小さな妖精の心の中を除いて。

「アイ……どこ行っちゃったの……?」

 珍しく彼女が見せた不安の表情は、その人物が存在していたならば絶対に見たくないと思う類のものだったに違いない。だが、それを思う当の本人はどこへ行ったのか、その痕跡すら残していないのだった。
 久々の孤独。全く知らない沢山の街の住人たち。たった一人きりでここにいる理由が分からなくなるほどの、そんな静かさ。つい数日前まで彼が座っていた向かいの椅子の背を見つめ、メイは小さく溜め息を吐いた。出発はもう明日に迫っている。二人分の食料と乗船券。そして冒険に必要な様々な荷物。それは今は当て所もなく部屋の隅でただ主が帰ってくるのを待っている。

「どうしたら良いんだろう?」

 ルミィはグババと共に一度故郷へ戻り島で落ち合うことになっていたし、ディンブラは自らの狭間の王国に帰ってしまって連絡の取りようがない。唯一彼が残していったと言えるイヴニングスターは、ディンブラがかけた擬人化の魔法が解けてしまい話も出来ない。誰も彼を知る者は、彼女の他にはここにはいないのだった。

「帰って……くるよね?」

 呟いて立ち上がった彼女の周りを、唐突に緋文字が意味を成して取り囲んだ。空間を歪める意味の術式を構成する緋文字からは、膨大な魔力が溢れ出るように、煌く残滓を宙に放っている。

「魔法……?!転送??」

 その術式の意味を理解したところで、メイの意識は澱んだ虹色の色彩の中へと落ち込んでいった。

   +   +   +   


 壁を覆いつくすほどの本棚。まず目に入ったのはそれだった。ぎっしりと並べられた本たちの間には様々な時代の呪具が詰め込まれている。唯一小さく取られた明り取りの窓の下には、大仰な書き物机が設えられ、回転椅子がその高い背を向けている。来客用のソファと小さなティーテーブル。時間の止められた書斎。回転椅子がくるりと回り、部屋の主が誰にどこか似た、その傲慢な笑みで彼女を出迎えた。

「ようこそ、小さな姫君。僕の書斎へ。」


一日目

 ヤレヤレ……今日から後期だ。だりィ……。つってもオレはソレホド授業があるワケでもねェんだケドな。ビジンで山モリの生徒ズならトモカク最近の盗賊志願といッチャあ、無意味に露出度の高ェ女王サマみてェなヤツとかやたら暗ェ目の暗殺者志望とか、ロクでもねェヤツしかこねェ。そんな連中は自習だ自習。盗賊のイロハを教えてヤるのもアホクセェ。時間のムダッてヤツだ。第一オレはビジンと準備室でしっぽり特別授業するので忙しいしな。まァ今期もテキトーに……
 オヤ、呼び出しか。メンドクセェな……。

   +   +   +   


「やっほー“象牙”。元気してた?」

 コイツはシェル。天幕の連絡要員だ。とりあえずオレがココに潜入した前期の時に会ったキリだから……半年振りくレェか。ホントのトコはどうか知らねェケド、黒と白の羽も飾りじゃなくてモノホンらしい。天幕から連絡があるときだけ出てきヤがる。

「ナンか用かよ?」

「うん、指令だって。ちゃんと届けたから読んでよね?
 昨日の放送であったでしょ。後期は実技メインだとかで、やっと天幕も活動するんだって。キミは昔から全然指令とか書類読まないんだから……。」

 昔からもナニも、オレは前期の潜入命令の時に一回会ったキリでこんなヤツにそんなコト言われるホド深い仲じゃねェんだが……。まァとりあえず話がソレるのもコマるんで、オレはシェルから渡された書類を開く。


象牙

 後期開始に合わせ、実際の指令の遂行を命令する。同行者は学園に在籍しているメイリー・R・リアーン、その他こちらから送り込んだ面々と合流すること。また、緋影と合流し、彼を当面のリーダーとして作戦の指示を仰ぐこと。詳細については追って連絡する。

 貴君の働きに期待している。


“金色”

銀十字

R,E.D.


 ちなみに、驚くべきコトにと言うかやはりと言うか、ココに来た時にはこのメイリーという人物はモチロンのコト一人のメンバーの名前さえも伝えられていない。連絡を取るべき人物として書類に数名の名前が挙げられているからには、彼らもこの学園に存在するのだろうし指令も間違いないとは思うのだが。オレは胡散臭げな視線でシェルを見やった。

「そんなの、僕が知る訳ないじゃん♪」

 いささか嬉しそうな声で、どうやったのかシェルがオレの思考を先回りした。オレは苦虫を噛み潰したような表情でシェルを睨み付ける。とりあえずのオレの仕事は、このメイリーとかいうヤツを探し出すコトらしい。

「そうそう、後ね。これ預かってきたんだ。渡しといて、って。」

 オレがこれからどうやって潜伏しているメンバーを探し出すか考えていると、シェルはそう言って分厚い封筒を取り出した。その何の変哲も無い茶封筒の表には、ナンとも分かりやすいことに朱で「丸秘」の文字がでかでかと躍っている。裏は封蝋なのかテープなのか、しっかりと分厚い糊付けで封が施されており、その上から紅いインクでよく分からない意匠を象ったサインが為されていた。インクに魔力が込められているのか、そのサインは光の加減によって薄らと紅い残滓を煌かせながら宙に軌跡を残す。

「渡しといて……ッてテメェ、ダレにだよ?」

 オレは肩を竦めてシェルに聞いた。ぱっと見初めて見たモンだし、ヒミツの文書ならウッカリ他人に渡すワケにもいかねェ。だが、シェルはオレのマネのツモリなのか人差し指を立ててウィンクしながら振ると、ニヤリと笑みを浮かべてみせた。

「誰に渡すかは自ずと分かる、って送り主が言ってたよ。そうそう、開けようなんて思わない方が身のためだろうね。呪いかけたって言ってたから。
 じゃ、僕そろそろ帰るね。ちゃんと渡したからね?」

「ッてオイ、待て!ダレに渡すんだコレ!!」

 シェルはオレのコトはほったらかしで来た時と同じようにさっさと煙みてェに掻き消えちまった。残されたオレは仕方なく小さく溜め息を漏らすと預かった──というか押し付けられた封筒をひねくり回して眺める。
 呪いッつーコトは、この紅い封は魔法の錠を兼ねているらしい。普通の錠前やトラップのような物理的な仕掛けならともかく、魔法を介したモノはオレの範疇外だ。頼まれたって開ける気はしねェ。ダレに渡すのか分からねェのは困りモンナンだケド、要するにこの書類はオレを経由するだけで、ツマリは単に預かっておけッつーコトだろう。暗殺任務ナンかでもこのテの回りくどいヤリ方ニャ慣れてるんで、オレはアキラメてコイツをタダ預かっとくコトに決めた。
 書類を机の上に放り出し、ツイでに足も机の上に放り出してオレはこれからのコトを整理するコトに決めた。マズはメイリーとか言うヤツを探さなキャいけねェ。まァコレに関してはナンとかなるだろう。本部が指定してきたッつーコトは、天幕の構成員かもしくはナンらかの関係者だろう。少なくともオレが一方的にソイツを探してて向こうに合流の指示すら行ってねェッてコトはねェハズだ。向こうがオレを探すのは結構カンタンなハズだ。オレは学園に一応表向きは非常勤として雇われてるワケで、少し調べればイツもココにいるッつーコトが分かる。オレは学園のデータベースからそのメイリーってヤツを特定して現在位置を特定すリャイイだけのコトだ。緋影ッつーヤツもまァどうにかなるだろう。

「後は……ヤッパコイツか。」

 足の横に無造作に投げ出された丸秘書類を適当に足でいじくりながら、オレは宛先すら分からねェこの危険物の処分を考える。適当に魔術科のオトコに開けさせるッつー案も無くはねェが──オンナノコにヤラセるのは酷だしもったいねェからな──ウッカリ普通に開封されてもコマる。一応ヒミツの文書だ。
 その時だった。いきなり放送が響いてきた。

「後期学園生活を迎えるにあたり、訓練用の棒を用意致しました。後期の学園には様々な敵が徘徊することになります。戦闘の練習にご利用ください。」

「は?」

 オレは目を丸くした。訓練用の棒ナンつーモノは聞いたことがねェ。だが、確かに“ソレ”はオレの目の前でニョキニョキと伸びた。

「はいこんにちはッ!私はマイケルと申しまーす!校長の御指示でアナタの戦闘練習のお手伝いをさせていただきますよォッ!!前期で鈍った勘を取り戻してくださいネェーッ!!」

「……ッてオマエ、どっかで会ったコトねェか?
 しかもビミョーにオレとキャラカブッてるだろ?」

 だケド、オレの様々な疑問は一切シカトしてソイツは構えを取ると殴りかかってきた。オレは机の片隅に投げ出してあった講義用のナマクラを咄嗟に探し出すと、ナンとかソレを手にバク転で一撃目を躱す。

「だァァァァッ、イキナリコレかッ!」

 後期は中々に忙しくなりそうだ。オレはクチの端で苦笑を浮かべてナマクラの鞘を払うとマイケルに向き直った。


二日目

 夢を見ていた。長い夢を。

 白い髪、無表情な冷たい目をした女が、暗い部屋で長剣を突きつけて言った。
「『象牙』。お前の今の行為を背信と見做し、『金色』の安全の為に排除する。」

 温和な笑みを浮かべた黒いローブの男。どこかの森の中。少しだけ寂しげに、諦めの表情を滲ませて。
「本当に……君は僕達全てを敵に回してしまうつもりなのかい。ならば君は、大切なものを持つべきじゃない。失うようなものを。」

 金色の髪をした天使のような笑みを浮かべた少年。背中には白と黒、二対の羽を背負っている。為すべきことのために力を求めたオレに向かって。
「じゃあ、僕にタマシイを頂戴よ。」

 透き通る空の色をした瞳。森の中で過ごした偽りの平和。
「さようなら、人の子。貴方といた半年ほどの間、本当に楽しかったわ。皮肉ではなくて、本当に。」

 強く揺るぎない幼い勇者。退くことをせず、常に向かっていった仲間だった。
「良くわかんないけど、あんちゃんとは『むかしのなかまのしりあいのまご』ってゆうのみたいです。」

 穏やかで苛烈なその意志。自らの道を迷うことなく進む英雄が。
「人は……変われるものじゃのぉ。
 涼風、いや、アイヴォリーよ、あのお嬢さんを大切にするのじゃぞ。」


 黒い髪の少年。いつでもオレと一撃の鋭さを、神速の切れを競っていた。
「出来ることを、少しずつ積み重ねていく……それで良いんですよね?」

 ネコのようなその仕草。そうだ、アイツは元々ネコだったっけ。オレがヘコんでた時に助けてくれた。
「まぁいいじゃない。楽しくやろうよ?」

 青い髪の竜族。彼女の打ったダガーは最高のキレを持っていた。絶妙のバランスと切れ味。何度もオレの命を助けてくれた。
「相変わらず手慰みだけどね。結構な素材だったからさ。
 そいつはディンに感謝してやってくれよ。あたしは材料預かっただけだしさ。」


 撫で付けた髪、スーツと色眼鏡。イツか共に肩を並べて戦い、イツか敵同士になって。
「さて……貴方のボスに対する裏切りの数々、目に余ります。
 私の愛でもって悔い改めなさい、象牙!」


 アイツは消えちまった。戦場で鍛えたトラップ、鋼鉄の意志。もう会うコトはねェのか?
「ふん、恐らく貴様のような不躾な男には、金輪際会うこともなかろうよ。」

 霊体の気のイイヤツだった。イツでもオレと仕合いたがってたよな。
「オニーちゃん、霊体相手の攻撃にこの程度の魔力はナイんじゃないの?」

 昔見た顔。どこかでオレが殺したはずの。でもまァ、今から思えばピッタリだったのかもな。
「あたしはいつでもあんたの傍にいるじゃないか。ねぇ?」

 暗い目をした、紅い魔術師の走狗。でもアイツがいなかったらオレたちは最後の勝負には勝てなかった。
「あの人は、いつも僕を支えてくれる。それだけさ。」

 何のためにあんなトコまで来たんだ。アイツはずっとアンタのコトを探してたんだぜ。何であんなコトになっちまったんだ?
「悪いが……まだ俺にはやらねばならんことがある……仲間のために、な。」

 口の悪い紅茶の王子サマ。楽しかったな。今頃どうしてるんだ?
「形あるものな……いつか滅ぶんだよ。
 それに今のとこ、俺には色々面倒見なきゃいけない奴らがいるから、な。」


 出会った大切な仲間。オレに全部押し付けやがって、アレだけ無理はすんなって言ったじゃねェか。オレには荷が重過ぎるぜ……。
「ウィンド殿、リアーン嬢。それでは、ご武運を。」

 …………。

 白い煌き。出会ってからあっという間に過ぎた大切な時間。大切な思い出。交わした約束。
「アイって呼んじゃダメかなっ!」

   +   +   +   

 裏切り者。裏切り者。裏切り者!!
   +   +   +   



 ……メイ……?



   +   +   +   

「起きるんだ、僕の欠片。新しい節の始まりだ。さぁ、もう一度超えて見せてくれ。僕のために。」
   +   +   +   

さァ、次はナニが見てェよ?
   +   +   +   


──ウィンド殿、後は頼みます──


「うゥ……」

 オレは頭を押さえて呻きながら起き上がった。どうも昨日の夜の寝酒が過ぎたらしい。オレは舌打ちして横に置いたカップから水を呷る。

「クソッタレ……。」

 長い夢を見ていた気がする。とても長い夢を。それはとても長く、まるで一生を過ごしてしまったかのような。だが、それでもその夢の内容はいまいち思い出せなかった。ただ、とても大事な何かを失くしてしまったかのような、そんな喪失感だけが残っていた。
 昨日はマイケルを何とか倒してから指示されていた連中と合流した。どうにも変わった連中ばっかりだケド、まァマトモなヤツもいるみたいだし大丈夫だろう。

──ウィンド殿、後は頼みます──

 ふと、夢の中で誰かが言った言葉を思い出した。それと同時に、物思いに耽っていたせいで荷物の上に投げ出してあった書類が落ちる。オレは昨日渡されたその正体不明の封筒を眺めて少しの間考えた。

──ウィンド殿、後は頼みます──

 眼鏡の奥で光る冷静な光と、穏やかな微笑み。オレに全ての技術を遺して……。

「ッ……。」

 こめかみをきりりと締め付けられるような痛み。オレはもう一度舌打ちすると頭をかき回した。何だって言うんだ、コイツは。オレは唇を噛み締めて痛みが去るのを待つ。

「アイ……じゃなくてアイヴォリー先生、どうしたの?」

 オレの後ろから心配そうに覗き込んでくるちっこいのが一人。このお子サマが件のメイリーってヤツらしい。背中には一対の透明な羽翅。まるで伝説の妖精のような、まァ顔も後五年もすればビジンになりそうな。
 ただ、それはあくまで五年後の話であって、初等部の遠足じゃあるまいしこんなお子サマとオレをペアにするってのは天幕も気が利かないコトこの上ない。しかもこのお子サマ、オレの準備室でのフェイバリットなしっぽりタイムを邪魔するんだから困ったモンだ。昨日もビジンと準備室にバックレようとしたら、いきなりやってきておめめウルウルときた。しかも泣きそうになりながら手はマジックミサイルの印組んでるんだからどうしようもない。女の子は興削がれて逃げちまうしイイコトなしだ。

まァイヤガラセでヤッてるワケでもねェみてェだし、仕方ねェトコナンだケドな。

「あァ、ちっとユメ見が悪くてよ……ソレとも飲みスギちまったかねェ?」

「も~、今日から大変なんだから、しっかりしてよね?」

 口ではそう言いながらも、メイリーがくすくす笑いながら水差しからコップにもう一杯水を注いでくれる。その様子を見ながらオレはこっそり溜め息を吐いた。

「ま、仕方がねェか……。」

 口の端に笑みを浮かべてメイリーを見上げると、彼女は微笑んだままで首を傾げた。本部の命令だしな、それに魔術を齧ってるっても、こんなお子サマを放り出しておくのも気が引ける。オレにしても昨日のマイケルに手を焼かされたのだ。それに今日からは練習用のデクじゃなくもっと危ない敵に会うだろう。オレ自身いつまで余裕をカマしていられるか分からない。オレは弾みをつけて立ち上がると首を鳴らしてメイリーを振り返った。

「今日からはキビしいからな、ちゃんとセンセについて来いよ?」

「大丈夫よ、ボクはもう見失ったりしないから♪」

 弾けるような微笑みを浮かべて立ち上がると彼女はオレの左を歩き出す。その、オレの左側の視界を塞ぐ彼女にオレは妙な安心感を覚えて少しだけ戸惑った。シーフには──そして暗殺者にも──視界は重要なファクターだ。それを制限されて安心するなんてどうかしている。

「ここはまだきっとボクの居場所だから……。」

 メイリーの独り言が、何となくオレの耳に届いていた。


三日目

 ばさり。天幕の垂れ布を捲ってアイヴォリーが姿を見せる。手には分厚い封筒。鮮血色の目をすっと細め、アイヴォリーは滑るように、仲間の天幕を縫って走り出した。敵地の中にいる斥候のように警戒心に満ちた動きで、僅かな動きも見逃すまいと辺りに視線を配りながらの疾走だった。

「ココ、か。」

 カーキ色に染められた実用一点張りの小さな天幕。静かにその中に忍び込むと、アイヴォリーは中の人間を驚かさないようにそっと声をかけて揺さぶった。

「んん……隊長……あ、あなたは……。」

 中にいた野戦服の少女は目を擦ると、目の前の男を見て僅かに怯えの色を見せた。それも当然だ。女の噂には事欠かない手癖の悪い非常勤講師が目の前にいたのだから。彼女は傍らに置いたガラス瓶を咄嗟に手にすると、いつでも中身をぶちまけられるように身構える。

「何かしたら大声を出しますよ?」

 だがアイヴォリーは、その赤い瞳で彼女を見据えながら人差し指を立て、それを自分の口の前に持っていく。その手を広げて掌を彼女に向け、それから指を二本揃えて天幕の入り口を指差した。それは軍隊で使われる手話で"静かに、待て、敵がいる"を意味する。軍人以外が滅多に知ることのないはずの動作を彼が行ったことに彼女は驚き、僅かに安堵した。それを見たアイヴォリーは、抑えた声で口早に、重要なことだけを口走った。

「アンタの大切な人からだ……オレは長くはいられない……確かに、渡し……ぞ。」

 唇を噛みながら僅かに苦悶の表情を浮かべ、手にした茶封筒をフェリシアに押し付けると、アイヴォリーは彼女の天幕から飛び出した。早く戻らなければならない。いつ"今の"アイヴォリーが帰ってくるか分からないのだから。

   +   +   +   


「あ~……。」

 オレは目を覚ますと、転がったままでとりあえず呻いていた。昨日の戦闘は思った以上にハードだった。歩行雑草は思っていた以上に強く、実質二匹の攻撃を全て受けることになって堪えきれずに倒れたのだ。

「先生、怪我はどう?」

 メイリーがオレの顔を覗き込んできた。自分が戦闘慣れしていないせいでオレが倒れたと思って責任を感じているらしい。確かにそれも理由の一つではあるが、それ以前にオレの腕が落ちていたのが原因だ。

「ちょっと見せて?」

 聞いているように聞こえるが実際には有無を言わさず勝手にオレの傷を検めている。しかし勝手に服の裾を捲り上げたところで彼女の動きが止まった。

「オイオイッ、ドコめくッてんだよッ!」

 流石に驚いたオレが声を荒げると、彼女も同時に声を荒げる。

「アイっ、こんな怪我で戦える訳ないじゃないっ!!」

 彼女が見つけた腹の傷は、昨日最後の一撃としてオレが貰ったヤツだ。確かにマジックミサイルの熱で焼かれ、肉が抉れて爛れている。一番大きな傷だった。

「あ~、でもヤラねェワケにはいかねェしなァ。」

 そう言って肩を竦めたオレに指を突きつけ、メイリーは仰天するような提案を口にした。

「今日は先生は後ろ!ボクが前ね!」

「はァ?
 オンナコドモ前に出して後ろでのうのうとしてられッかよ!」

 バカにしてんのか、と声を荒げるオレ。だが、その有り得ない提案を速攻で却下したオレの顔を睨み付ける様な調子で見据え、怒ったように彼女は高らかに宣言した。

「いいから、もう決定!!」

 そのまま彼女はぷいと天幕を出て行ってしまう。追いかけようとしてオレは立ち上がった。だが、その拍子に挙げた腕に痛みが走る。

「オイ、待てよ!」

   +   +   +   


 オレは溜め息をつき、辺りを見回した。今日は早々に移動だとリーダーから聞いている。オレは荷物をまとめるとメイリーを探し始めた。

「ヤレヤレ……あのお子サマ、一体ドコイキやがったんだよ……。」

 諦めたように溜め息を吐くと、オレは辺りを歩き始める。あの緋影とかいうオッサン曰く、"同行者の所在くらいは己で掴んでおけ。"ッつーコトらしい。しかも今日は昨日と違って少し先を急ぐってことで、オレは集合時間になっても姿を見せないメイリーを探して辺りを散策していた。

「あァ、いヤがったな……。」

 何の建物なのか、校舎の一つらしい小さな建物の陰でしゃがみ込んで数人が集まっている。オレは目ざとくその中に金色の髪と薄い羽翅を持つヤツを見つけてそっちへずかずかと近づいていった。メイリーもこっちに気付き、一瞬オレに目を向けたが、さっきの続きなのかすぐに彼女はつんをそっぽを向いてオレを無視した。

「うん、これなんかどうかなー?」

 どうかなァもナニもオレニャ唯の石にしか見えないんだが、えらく楽しそうにメイリーは石を拾っては弄繰り回して周りの連中と何かを確かめ合っている。あのお子サマに言わせると立派な部活動らしいんだが、やはりオレから見ると石拾いにしか見えなかった。

「ヤレヤレ……仕方ねェな。
オイメイリー、ソロソロ行くぞ。集合時間だぜ。」

「え~、ここはすごく良い石があるのよ~。もう少し、ね?」

 ちらり、とオレの顔を様子を窺うように見上げてから、何を思ったのか居座ろうとするメイリー。もう少しも何もない。あまり時間をかけすぎて置いていかれたら面倒だ。オレはなおもこの一帯の石の素晴らしさを力説する彼女を無造作に掴むと抱え上げた。

「……分かったよ。言うとおりにすッから。ソレでイイだろ?」

「うわっ、先生、何するのよっ!」

 部員ズはあまりの出来事に唖然としているが別にオレは気にしない。じたばたと暴れて抗議するメイリーを無視して、オレは集まっていた他の部員らしきヤツらに指を振って見せた。

「まァそんなワケで今日の石拾いはオヒラキだ。悪ィなお嬢さん方。マタ今度遊んでヤッてくれや。」

「だから石拾いじゃないってば~!」

 相変わらず上から抗議の声がするが続けて聞こえない振りをする。とりあえず集合するのが優先だ。

「ヨシ、回収。まァ命令だしな。さっさと帰るぜ?」

 じたばたと暴れるメイリーの腰を肩に抱え上げ、オレは道を帰り始める。急がないと遅刻だ。

「ちょっ、きゃー、高いって~!
 下ろして、下~ろ~し~て~よ~!」

「フェアリーがこの程度で高ェもヘッタクレもあるかよ。耳がイテェからもう少し静かにしてくれ。」

 オレは歓声だか悲鳴だか良く分からない叫びを上げるメイリーを抱えたまま、集合場所へと戻っていった。

   +   +   +   


 メイリーも騒ぎ疲れたのか、二人が少し歩くと辺りには静けさが満ちた。ただ鳥の声だけが辺りに響く、小さな森の中。もうパーティで決められた合流場所までさほどの距離もない。

「ね~、先生そろそろ下ろしてよ?」

 だが、そのメイリーの問いかけにもアイヴォリーは何も答えずに、前を向いたままで一歩一歩歩みを進めていく。

「アイヴォリー先生?」

「まァ……イイじゃねェか。」

 ようやくアイヴォリーが口を開いた。その口元には、人を食ったような性質の悪い、だがどことなく憎めないような笑みが浮かんでいる。前を向いたまま、アイヴォリーはそっと付け足した。

「イイじゃねェか。よく、こうヤッて歩いたろ?」

 アイヴォリーの口から呟くようにして漏れた言葉。それを聞いたメイリーがはっと身を硬くする。

「心配すんな。"オレ"はどんな時でも、メイのソバにいるからよ。な?」

 ただ、鳥の声だけが包むように。いつか、どこかと同じようにして。

「ねぇアイ、もう少しだけ……こうしてていいかな……?」

「あァ、ユックリ行こうぜ?」

 小柄な少女を肩に担いだままで。白い風の名を持つ盗賊はゆっくりと集合場所へと歩いていった。


四日目

「盗賊科の非常勤講師アイヴォリー=ウィンド先生とお見受けします。」

 明らかに不審者を見る目つきでソイツがオレに聞いた。不審者というか、微妙に軽蔑の眼差しが混じっているような気がしなくもない。確かに噂には事欠かないオレはそういう目で見られることも少なくない。だが、そういう相手にこそ丁寧に、がオレの主義だ。オレは後ろのお子サマを気にしつつ、ナンパ用の柔らかな微笑みを浮かべて彼女に聞き返した。

「あァ、そうだケドよ。」

 だが、その嬢ちゃんは几帳面に、愛想の欠片もない生真面目な様子でオレに答える。

「私の名前はフェリシアンカ=フルール=マントイフェルと申します。
 この学園では看護科に在籍しています。ですが正式には帝国国防軍第7213装甲戦闘工兵小隊、衛生班長を務めております。
 我が隊の小隊長、ハインツ=クロード=ハルゼイ中尉のことをご存知つ聞き伺った次第であります。」

……ハルゼイ?

 何かがオレの頭の中を過った。何か大切な物を落としてきてしまったような、そんな感覚。オレは思わず頭を抱え込んだ。今までになかったような頭痛が襲ってきて足元がふらつく。倒れ込むと同時に視界が狭まっていきオレは意識を失った。

   +   +   +   

 苦労しているようだね。その程度では困るのだけれどな。
 君が会いたがっていた人に会わせてあげよう。ずっと探していた人に。


「ハルゼイのコトかッ?!」

 アイヴォリーの目の前に、一対の赤い瞳が光っている。射抜くように、貫くように。叫んだアイヴォリーを哀れむような輝きで、赤い瞳が言葉を紡いだ。

 ああ。あれは渡してもらわなければ困るんだ。天幕のこれからにも支障が出る。だから、少しだけ思い出してもらうよ。

 紅い瞳が一層輝いてアイヴォリーの目を射る。アイヴォリーの視界が一瞬真紅に染められ、それが去った時には彼の前に人影があった。

『それと……もし……アレがあなたの重荷になってしまうのであれば……
私の事を忘れてもそれは仕方のないことだと思うつもりです。』

 アイヴォリーの目前で、白衣を着て眼鏡をかけた青年が微笑んでいた。アイヴォリーはいつもの笑みでハルゼイに人差し指を立てる。気障な調子でそれを目の前で振ってみせたアイヴォリーはハルゼイにそれを向けた。

「オイオイ、重荷だッて?
 あんなモンいくらでも渡してやるさね。いくらでも、な。
 でも、ソレよりもオレが許せねェのは、テメェがアレだけ言ってたのにムリした上にトンズラしちまったコトよ。」

「トンズラ……ですか。いやはや、ウィンド殿らしい……。」

 ハルゼイは笑みを深くしてアイヴォリーに近づくと、アイヴォリーがやっていたように肩を竦めてにやり、と笑った。

「私の力では、今回彼を如何こうすることは出来ませんでした。」

 そのハルゼイの言葉を聞くと、アイヴォリーは腕組みをして口の端を持ち上げる。ハルゼイの考えていることを見透かしたかのように、悪戯っぽく笑ったアイヴォリーが口を開いた。

「マダ……アキラメてはねェんだろ?」

「……ですが、私は今は動けません。ですから……彼女を頼みます。」

 ハルゼイの言葉に、アイヴォリーが大きく頷いた。目を細めて真剣な面持ちで、しっかりと。

「後は、どうか……リアーン嬢とお幸せに……。
 彼女を泣かせるようなことはあまり感心しませんね?」

 ハルゼイはそういうと掻き消える。だがアイヴォリーはそれに気付いた様子もない。どこからか、か細いすすり泣きが聞こえてきたのだ。それはアイヴォリーの良く知った、とても大切な人の、悲しみの声。

……メイ……どうしてそんなに泣いてるんだ?

 アイヴォリーは一番大切な者のしゃくりあげる声を聞きながら呟いた。昔からそうだが、この小さな妖精のたまに見せる笑顔以外の表情は、それが滅多に見せないものだけにアイヴォリーの心を深く抉る。そんな時、決まってアイヴォリーはどうして良いか分からずに、まともに彼女の顔さえ見ることが出来なくなる。

オレは、イツでもメイのソバにいるさね。この……新しいカラダはマダ自由ニャならねェケド、ソレでもマチガイなく同じオレのカラダだ。
ソレに、こうして目も元に戻った。きっと、今度は今までよりももっとウマくヤレるさね。
だから……泣かないでくれよ。

 僕は、君に新しい身体を与えた訳じゃない。“象牙色の微風”という裏切り者を新しく一つ選んだ時に、少しエッセンスを加えただけだ。誤解されては困るね。
 君の存在が実験に邪魔になるようならば……消えて貰う。早過ぎる覚醒は天幕に対しての申し開きが出来ないからね。もう少し、眠っていたまえ。古い“裏切り者”の断片よ。


 アイヴォリーの前に浮かんだ一対の紅の瞳。嘲笑するように細められたそれが輝いてアイヴォリーを眠りへと落とし込む。

……アイが、苦しんでる姿を見るのは辛いよ……?

 どこからかメイの声がアイヴォリーに届いた。それと同時に真紅の瞳が驚いたように見開かれる。アイヴォリーの額に、微かに暖かい、優しい体温がどこかから伝わり。

 そんな、彼女に、此処に介入してくる力はない筈だ……!

「良い夢が……見られますように。」

 メイの声が届き、アイヴォリーは目眩を感じた。どこかへと引っ張られる感覚。覚醒しているのだ、アイヴォリーは目を閉じて元の世界へと引かれてゆく。意識の欠片として肉体に封印されたあの場所へと。

   +   +   +   

「えっ?!」

 急にお子サマの声がして、オレは目を開いた。気付けばオレは寝台──準備室でオレが仮眠やらホカのコトやらに使っているヤツだ──に寝かされていて、すぐ至近距離にメイリーが浮いている。吐息すら感じられそうな至近距離。しかもなぜかオレのデコとお子サマのデコはくっついていた。
 そして、浮いていたお子サマが、落ちてきた。

「ぐえッ?!」

 無論お子サマはソレホド重い訳じゃない。どちらかというと柔らかく、羽が舞い落ちるようにふわり、とした感覚がオレを包んだ。だが、昏倒から覚醒したばかりのオレには厳しい条件だった。オレはなぜか胸の辺りで組み合わされたお子サマの両拳を鳩尾にキレイに入れられ、声を上げて呻いた。

「あ、あなたたち、ななな何してるんですっ?!」

 すごい叫び声がして、落ちてきたメイリーと一緒に思わず声のした扉の方を見る。そこにはフェリシアが目を丸くして、オレたちを指差していた。心なし震えているように見えるのは怒りのせいか。

「お、お、お……お邪魔しましたっ!」

「ナンか知れねェケド、絶対ソレ誤解だッ!」

 明らかな誤解だ。それを解くために寝台から降りようとしてもがいたオレは、メイリーと一緒に寝台から転げ落ちた。扉が閉まりフェリシアが部屋を出て行く音がする。

「せ、センセ、苦しい……」

 慌てて扉から自分の下に目をやると、メイリーがオレの下敷きになってもがいている。オレが身体で踏んづけたケープが袋状になって、その中でお子サマがばたばたしていた。

「あ、あァ悪ィ。気付かなかった。……よっと。」

 ケープからメイリーを引き起こしてやる。落ちた時にすりむいたのか、彼女の腕から僅かに血が滲んでいた。

「ッと、血ィ出てるじゃねェか。イタかったな。」

「うん、これくらい大丈夫。」

 メイリーの腕の具合を見ようとすると、もう一度扉が開いてフェリシアがまた顔を出した。ちょうどイイ、手当てしてやってくれと言おうとしてオレは口を開く。

「あなたたち、不潔ですっ!!」

 何をどう勘違いされたのか、彼女は顔を真っ赤にしてそれだけを言うと扉を叩きつけるようにして閉めた。


四日目:オマケ

 アイがハルゼイさんの名前を聞いて急に倒れた。フェリシアさんはアイの様子をざっと見ると一時的なものだと診断した。良かった。昨日の戦いではアイはぼろぼろになるまで戦っていたし、あのお腹の傷は酷かったから、そのせいで倒れたんじゃないかって思ったら、気が気じゃなかったら。

「では私は薬を取りに戻りに少し席を外しますけれど……もし容態が急変したり、逆に目を覚まされたら呼んでください。」

 フェリシアさんはそういうと準備室を出て行った。アイは時たまうなされているけど大丈夫そうだ。フェリシアさんがいてくれて本当に良かった。

「く……ハル……ゼイの、コトかッ……?!」

 アイが歯を食いしばって漏らすように呟いた。苦しそうに眉を寄せてハルゼイさんの名前を呼んでる。苦しそうだけど、容態が急変ってほどでもないし……。
 困ったボクは悩んだ挙句にお婆ちゃんから教わった方法を試してみることにした。フェアリーは人間たちよりももっと意識に近い存在だから、“悪い夢を追い払うおまじない”ができるって……。
 そっと力を使って宙に浮いて、寝台に寝かされたアイの上へ行って、両手を胸の辺りで軽く組んで。ボクは自分の額をそっとアイの額に近づけると意識を集中する。唇を噛み締めたアイが漏らす吐息が鼻を擽るくらいに近い。少しだけ緊張しながらアイに顔を近づけた。

こつん。

「良い夢が……見られますように。」

 額と額を合わせてする、悪夢払いのおまじない。少しでも良い夢になるようにと夢の精霊様にお願いしながら。
 そのとき、小さな音と共に準備室のドアが開いた。

「えっ?!」

 びっくりして集中が途切れ、思わずアイの上に落っこちる。

「ぐえッ?!」

「あ、あなたたち、ななな何してるんですっ?!」

 上からボクが乗っかって変な声と一緒に目を覚ましたアイ。扉から目を丸くして覗き込んでいるフェリシアさん。

「ナンか知れねェケド、絶対ソレ誤解だッ!」

 ボクを乗っけたままでアイがわたわたして、ボクたちは二人とも寝台から転げ落ちた。


五日目

 実際、その時の僕は動揺していたと言っても良いだろう。あれは断じて唯の夢などではない。“夢見るままに待ちいたるもの”の力を変容させた、れっきとした力場なのだ。書斎から行使した僕の魔術に狂いが生じるということはほぼ皆無に近い。ここは僕の存在理由を定義する場なのだから。
 だが、そうだとすると疑問が残る。未開拓の部族に過ぎない彼女の一族の、しかも呪い程度の如きものがどうやって力場の調和を破って侵入を為しえたのだろうか。彼女の魔力がそこまで強大でないことは分かっている。確かに彼女の魔力は低くはないが、あくまでそれは通常レベルのものであって、人間と比べて、という程度のものでしかない。フェアリーの中では普遍的なレベルということだ。
 僕の魔術が揺らいだ訳でもなく、彼女が魔力で力場を破ったのでもないとすると、残された原因は何だろうか。現状ではどの説も推測の域を出ず、どれも採用するには弱い。もう少し観察する必要があるだろう。
 まぁ良い。実際に何が起こっているのかは此処からもう少し、見守らせてもらうことにしようか。

   +   +   +   

「お子サマじゃなくって、メ、イ、リ、イッ!! ちゃんと名前で呼んでよねっ!」

 誰かの真似のつもりなのか、お子サマは人差し指を立てるとそれをオレに向けて高らかに宣言した。まぁそれ自体は別に構わないんだけどもな。このお子サマの名前がメイリーであるのは間違いのない事実だしな。
 とは言え、それで簡単にはいはいと引き下がれるオレでもねェ。第一このお子サマのお守りを天幕から命じられて以来、しっぽりタイムは禁止されるわ戦闘じゃお子サマを盾にして後ろで戦わされるわと、やりたい放題……イヤイヤ、やられたい放題だ。ここらでひとつ、ガツッと言っておく必要があるだろう。

「あーあー、お子サマはメイリーッつーんだったな。オーケィオーケィ、お子サマメイリー、ホレ、早く行くぜ?」

 オレはわざとらしく肩を竦めて天を仰ぎ、頬を指でぽりぽりやりながら「お子サマ」を二回とも強調して言ってやった。……イヤイヤ、子供のケンカと言うなかれ。お子サマに対しては、こっちが相手の意思に従うつもりがないと、はっきりと示してやる必要があるのだ。ホレ、その証拠にしおらしい表情で俯いたお子サマは素直にオレの後ろに回って従って……。

「あ~、またオコサマって言った~っ!!!」

「いでででででッ!!」

 後ろに回ったお子サマが、オレの耳元で大音響でがなりたてた。しかもあろうことかオレの頬を思いっきりつねっている。どうにしかして身体を捻り後ろに視線をやると、届かないからかご丁寧に浮かび上がっている。これは明らかに反逆……イヤ、そもそも反体制だ。

「いふぁい、おふぉふぁま、ふぁめふォォォ!」

 まぁ自分で言うのもなんだが、明らかに人語になっていない。頬を思いっきり、力いっぱいつねられているのだから当然だ。だが、以外にもお子サマはオレの人外語を理解したのか耳元で叫び返した。

「止めません。ハイ、ボクの名前は?!」

 悪いがそんな拷問に簡単に屈するようでは元暗殺者の名が廃る。こんなことで断じて……ッ!

「ふぉんはひゃひふぁたふぁりふぁよッ?!」

「聞こえないな~もう。ハイ、ボクの名前は?!

 さらに頬を捻り上げられて、オレは已む無く暗殺者の教えを破ることにした。まぁもっと簡単に、拷問に屈したと言っても良い。

「ふぁい……ふぇいりぃふぇす……。」

「ハイ、良く出来ました♪」

 オレの言葉は相変わらず人外の域を脱していないのだが、これも要領よく理解したのかお子サマ……メイリーは嬉しそうに音符まで付けるとようやくオレの頬を離した。オレは色の変わった頬を擦りながらメイリーを振り返る。コイツ……思いっきりやりやがったな……。
 やられっぱなしでは気分が悪いので、オレはちょっとばかり反撃してやることにした。わざと不機嫌な表情で腕を組むと、大げさな溜め息ととも呆れたように言葉を吐き出す。

「ヤレヤレ……仕方ねェな。オレたちはこんなコトしてるヒマはねェハズだぜ。」

 そう、実際オレたちは負けたのだ。あの程度の相手に。
 三回戦えば二回は勝てる相手だった。だが勝負は時の運とは言え、実際の結果として負けてしまったのでは仕方がない。

「うん……そうだよね、ゴメンね先生……。」

 オレの言葉を聞いて、それまで元気いっぱいだったメイリーが急に大人しくなった。オレの背後で静かに地面に降り立ち、小さく呟くようにそう言って。ヤレヤレ、どうやらこのお子サマ、空元気でやってたらしい。そこに気付かずにオレが痛いところをブスリとやっちまったって訳だ。ナンパ男も形無し、ってヤツですか。

「ボク……もっと頑張るからっ……もっとしっかりするからっ……!」

 背中に柔らかいものがふわり、と押し当てられて。メイリーの声が骨を伝わって響いてくる。小さな啜り泣きと共に。オレの背中を掴む小さな両手に込められた力が、彼女が昨日の敗北で受けたショックを物語っているような気がして、オレは途方に暮れ空を仰ぐと頬を掻いた。

「……気にすんな。今日負けても、明日勝チャイイ。明後日も勝てばソレでオレたちの勝ちさ。ダロ?」

 まだ泣き止まないメイリーに向き直り、オレは前屈みで目の高さをメイリーに合わせてやる。俯いてぐずぐずやっている彼女の顔を覗き込むと、オレは人差し指で頬を拭ってやった。

「なァ、イイかお嬢さん。良く聞きな。
 オレたちはな、きっとサイコーのコンビになれる。サイコーのな。
 だから今負けても気にするコトはねェ。ゼッテェに、サイコーのコンビになる。だから、な?
 今は気にすんな。」

 頭に手を置いて、メイリーの髪をぐちゃぐちゃに掻き混ぜる。何となく、そうやれば彼女が落ち着いてくれるような気がして。
 そう、コイツはオレが自分でもナニ言ってるか分からないような状態で言った言葉でもちゃんと理解した。きっと慣れていけば阿吽の呼吸で動けるようになるはずだ。たとえ今は少しちぐはぐでも、こうやって時間を過ごしていく内に。心の中のどこかで、確信に近いものがあった。

「……うん。」

「ホレ、もう泣くのは止めな。集合に遅れちまう。」

 そう言って二、三歩歩いてから、メイリーを振り返る。涙を拭いている彼女は、それでもまだ同じ場所に立ち尽くしていた。まるで、親を見失った幼子のように。オレは苦笑を浮かべ、ヤレヤレと小さく口の中で呟くと、彼女に手を差し出した。

「ホンットーにお子サマだな、お嬢さんは。
 ……行くぜ、“メイリー”?」

 それは、オレにとってはちょっとした決心でもあった。オレは誰の名前も呼ばない。アンタとか、お嬢さんとか、全員に対してそうなのだ。名前を呼べば情が移ってしまう。それは暗殺者にとって致命的な状況をしばしばもたらすのだ。だから、ちょっとした決心とともに、オレは彼女の名前を呼んだ。口の端を歪めて片頬で、人を食ったような悪戯めいた笑みを浮かべて。
 おずおずと、差し出されたオレの手をメイリーが取る。子供のようにオレの中指だけを握り、迷子になったお子サマのような彼女は、それでも少しだけ顔を持ち上げてオレに向かって笑った。

「うん、ボク頑張る。せっかく……見つけたんだから……っ!」

 小さく、決心するように呟くメイリー。オレは頷くと彼女の手を引いて歩き出す。

「ヨシッ、行こうぜ。ちょっと走るからな、ゼッテェに手ェ、離すなよッ?!」

ずっと、ずっと繰り返してきたことさ。
 どこかで、誰かのそんな声が聞こえた気がした。


六日目

 オレはゆっくり身を起こすと身体の傷を確認した。大丈夫、何とかベストの状態で戦えそうだ。メイリーの言う通り、今のところ耐久性に関しては──特に魔法耐性に関しては──彼女の方が高い。主に回避を被害軽減の手段として用いるオレたちシーフは、体術によって躱せない魔法にはからっきし弱いのだ。魔法も相手の詠唱と視線からある程度着弾点を予想することは出来るが、効果が発現するまでにその着弾点から離れられるかと言われればそれはまた別の問題だ。

「ねぇねぇ、アイってばどんな髪型してる子が好きー?」

 机に腰掛けたメイリーが足をぷらぷらさせながら、のんきに自分の髪をいじりながら言う。本当にのんきなお嬢さんだ。オレがコイツを壁にして戦ってることを気にして延々悩んでいるというのに、その当人は髪型が決まらなくて悩んでいるらしい。オレは溜め息を吐くと、呆れている様子を態度でアピールしてやろうとして彼女の方を向いた。

…………。
…………。
…………。
……あ、案外カワイイじゃねェか。

 普段の三つ編みのお下げを梳いて、オレのことなどお構い無しでメイリーはどんな髪型にしようかを悩んでいるらしい。その内オレの視線に気付いた彼女は、オレが自分の方を向いて硬直しているのを見て軽く小首を傾げて見せた。

「な、な、ナンでもねェよ。」

 慌ててぷい、と視線を逸らす。幸い──本当に幸いだったのかどうかはともかく──まともな答えを返さなかったオレを、メイリーは微かに非難の混じった視線で上目遣いに睨んだ。

「そうじゃなくてー、ボクは先生がどんな髪型が好きかって聞いたんでしょ?」

 まぁ答えになってないのだから怒るのも当然なのだが。オレは意味もなくそわそわしながら、視線を逸らしたままで鼻を鳴らした。

「へッ、別にどんな髪型でもオレニャ関係ねェよ。
 ソレよか、そのアイってのはナンだ、アイってのは。」

 このお嬢さんは、ふとした拍子にオレのことをそう呼ぶことがある。戦闘でピンチになった時や物思いに耽っている時……怒った時。意図的にやっている、というよりは思わずそう呼んでしまう、といった感じでだ。オレは横目でメイリーを見ながらそのことを指摘して話題を逸らした。昔から人を煙に撒いて話題を逸らすのはオレの得意技だ。

「っ……それは、それは別に、何でもないよ。
 ただっ……慌てた時とか、短い方が呼びやすいから……。」

 動揺と寂しさ。その時の彼女はその二つが微妙に入り混じった表情を浮かべた。このお嬢さんは、本当に思ってることがすぐに顔に出る。分かりやすいことこの上ないのだが、この時の彼女の表情に関しては、オレには意味がつかめなかった。

「動物じゃあるまいし、センセの名前を短くして呼ぶヤツがあるかよ。」



イヴ──ルミィがそう呼ぶので長いその名前はあっという間に省略された──の腹を撫でながら、自分も大きな欠伸をひとつ。



「動物じゃ……あるまいし……。」

 何かを急に思い出しそうな気がして、オレは思わず言葉を切った。不審気な様子で──と思ったんだが、メイリーはなぜか張り詰めた、何かを期待するかのような表情でオレの顔を食い入るように見つめている。



「アイって呼んじゃダメかなっ!」



「えっとね、アイさんがいつもボク呼んでるみたいに……」



 いつもと違うその調子。もごもごと口の中で。口にすべきかを迷って、迷った時に良くやるように指を弄くりながら。



「あァ、イイぜ。その、何だ、メイの好きなように呼んでくれリャイイ。」



 どこかで交わしたような、そんな言葉。誰と。何時。いつの間にか刺すような、鋭い痛みに頭が締め付けられてオレは頭を押さえた。

「アイっ……大丈夫っ?!」

「あ……あァ、大丈夫だ。大したコトはねェ。」

 メイリーを手で制し、オレはふらつく自分の足に必死で目の焦点を合わせ、何とか踏み止まった。だが、それと同時に、頭を掠めたはずの何かの欠片は日に当たった霜のようにあっさりと、つかみ所なく消えていってしまう。

「ッ……!」

 オレは音にならない舌打ちをして、歯痒さにいらついて唇を噛んだ。不安げな表情を浮かべ、オレに制されたにもかかわらずメイリーが走り寄って来る。オレを脇から支えるように彼女は手をオレの脇に差し込んだ。半ばメイリーに抱えられるようにして、オレは間近で髪の梳かれた彼女を顔を見下ろした。

「アイ、すごく疲れてるみたい……少し休んだ方がいいよ……?」

「……メイリーの、スキなように呼べば、イイ……。」

 全く、そう、全く会話にはなっていなかった。が、それでもオレは、遠のく意識を必死で手繰り寄せながら、言わなければならないと思ったことだけを、どうにかして彼女に告げて……近くに腰掛けさせられたところで、オレは意識を失った。

   +   +   +   

「大丈夫ですか。」

 目を覚ますとメイリーとフェリシアがオレの顔を覗き込んでいた。どうやらメイリーが呼んできてくれたらしい。オレは軽く頷いて答えを返すと重い頭を気にしながら身体を起こした。

「これは頼まれていた合成品です。制服の生地をばらしてこのグローブに組み込んであります。対刃性と耐久性は上がったかと思いますけど。」

「あァ、アリガトよ。」

 オレはようやくはっきりしてきた視界に安堵しながら、フェリシアが差し出したレザーグローブを受け取って腕に填めた。動きを邪魔するような無粋な改造は施されていない。さすがと言ったところだろう。

「いえ、お礼を言わなければいけないのは私の方ですから。」

 見れば、彼女は分厚い書類の束を大事そうに胸に抱えている。それはまるで想い人を胸に抱いているかのような、そんな優しい抱え方だった。

「これは……隊長のものなんです。初めは信じられませんでしたけど……確かにあの人が書いたものです。色んな合成や付加、様々なデータが記録されています。これを元にすれば高い水準の合成がいつか出来るようになると……いえ、必ず出来ます。」

「ふむ、じゃあコイツもその“隊長”とやらのオカゲってコトか。感謝しなくチャな。」

 非常勤であるオレたちは、当然制服を着なければいけないなどという決まりはない。オレはブレストプレートとケープ、後はこのグローブとブーツ。この探索用の服装の方が動きやすいし技も使いやすい。その情報とやらをこのお嬢さんに伝えてくれた誰かにオレは感謝した。
 ふと気付くと、メイリーとフェリシアがオレを見ている。二人とも、何かの期待を持って。僅かな、微妙な空気の間の後で、メイリーが我慢しきれなくなったのか、口を開いた。

「アイ……んっと、さっきいいって言ってくれたから、そう呼ばせてもらうね、アイヴォリー先生。
 アイは、アイは、ハルゼイさんの……」

「今は……今はまだ、止めておいた方がいいと思います、メイさん。」

 メイリーの言葉を、フェリシアが遮った。どうもオレを見るその眼差しは、医者が患者を診るそれだ。もっとも、さっきまで気を失っていたのだから当然ではあるのだが。

「う……うん、分かったよ。」

「無理をさせるよりも自然に回復を待った方が良いかと思います。本当に記憶を無くしているのならば、無理に聞いても混乱させるだけですから。」

 二人は僅かに寂しそうな顔で、そうやって話していた。一体なんだって言うんだ。

「オイ、ナンだッつーんだよ。オレに関係あるなら、オレのコトならオレに話してくれよ?!」

 オレの頭を掠めた“何か”と関係があるのか。この突然やってくる頭痛はどうなのか。だが、いくら聞いても二人はそれ以上何も教えてはくれなかった。


七日目

「ヤレヤレ、昨日はナンとかなったねェ。」

 オレは口の端にいつもの笑みを浮かべながらメイリーに微笑みかけた。同じワナを使う帰宅部連中との戦闘だった。だが腐ってもシーフの端くれだ。一方的に負けるのはもちろんのこと、ワナにハマッてやるのも気分が悪かった。そこでオレは、前から考えていたひとつのワナを実際に使って見ることにしたのだ。
 通称“クモの巣”。暗殺者の基本的な訓練として、張り巡らされた鋼線をすり抜けながら目標に達するというヤツだ。要するに鋼線を相手の間合いや太刀筋──死線──に見立てたもので、暗殺者にとってはあくまで基礎の基礎にあたるものだが、これが案外ハードだったりする。鋼線は異様に細く、しかもギリギリまで張り詰められているために、掠るだけでもその部位が切れる。自分の力、体重、慣性。そういったものが動かない唯のワイヤーを凶器に変えるのだ。その位置を頭に叩き込んで走り、跳ばなければ腕や脚、下手をすれば首が飛ぶことになりかねない。
 では逆に、いっぱいまで張り詰めたワイヤーを複数設置し、どこか一箇所を切ることでそのバランスを崩してやればどうなるか。ワイヤーは貯めた力を一気に解放して辺りを切り刻む。その力の方向や速度を事前に計算してワイヤーを仕掛ければ"安全地帯"を作り出すことも出来る。それが今回の代物だった。もっとも、そこまで鋭く細い鋼線を調達するのは至難の業なので、今は相手を肉塊に変えてしまうようなものではない。だが、その威力は充分なものだった。メイリーのマジックミサイルでもっとも効果的な位置に追い込まれた一人はそのまま盛大な血飛沫と共にくず折れ、もう一人もメイリーのダメ押しが入ってダウン。オマケに何とか最期の一撃を放とうと近づいてきたところでアナに落ちてゲームオーバーだ。パーフェクトゲームってヤツですかね。そんな訳で今日のオレはかなり上機嫌だった。

「うん、昨日のアイかっこよかったよ♪」

「へへ、言ったろ。オレたちはサイコーのコンビになれるッてな?」

 あの敗北からたった二日で最高のコンビとは調子がイイにも程があるんだが、オレは悪戯めいた笑みでメイリーにそう問いかける。そう、ワナは所詮ワナでしかなく、相手の注意をそこから逸らして初めて真価を発揮する。この勝利はオレ一人のものではなく、二人の息が合って初めて得られるものだったのだ。

「えへへ、これからも頑張ろうね、アイ。」

 メイリーも昨日の勝利が嬉しかったのかご機嫌だ。鼻歌なんか歌いながら髪の毛をいじっている。どうにも昨日から、自分の髪型がいまいち気に入らないらしい……と思わずそこで、オレは昨日間近で見た、見慣れないメイリーの髪を下ろした姿を思い出して僅かに動揺する。また昨日みたいな不意打ちを受けるより先に、オレはいつものようにメイリーの頭を手で掻き回した。

「あぁ~っ……もう、何するのよ~。元通りにするの、大変なんだからね?」

「へへ、まァメイリーはイツものオサゲがお似合いさね。お子サマニャピッタリだしな?」

 オレは憎まれ口を叩きながら肩を竦めてもう一度ニヤリと笑みを浮かべてみせる。メイリーは色々と──その大半は今の"お子サマ"みたいだが──気に入らないようだったが、とりあえずお下げに戻すことにしたようだ。オレはホッとして心の中で胸を撫で下ろし、元通りになったメイリーの髪を見て安堵の吐息を吐く。やっぱりこっちの方が似合っているし、何と言っても見慣れている分何となく落ち着く。
 たった五日かそこらで見慣れているというのも変な話なのだが、どこと無く、オレはメイリーのお下げを見ると落ち着いている自分がいることに気付いていた。何だろうか、表現するのは難しいが、敢えて言うならばずっと昔から傍にあるお気に入りの道具のような。使い慣れた道具がしっくりと手に馴染む安心感、あの感覚に近い。

「あっ、そうだ!」

「はえッ?」

 唐突に、何を思い出したのか、メイリーが素っ頓狂な声を上げた。思わず、自分の考えていたことを見透かされたような気がして、オレは彼女の上を行く素っ頓狂な声を上げる。

「イヤイヤイヤ……どうしたよ、イキナリ叫ぶんじゃねェぜ。」

「そろそろ石を探したいのよね……今の魔石も悪くはないんだけど……。」

 何かと思えば例の石ころ探しらしい。オレから見るとどれも同じ石にしか見えねェんだが……。

「そういやこの前拾った石があったろ。アレじゃダメなのか?」

 オレは歩行小石を倒した時に拾った欠片を差し出す。珍しいくらいに難しい顔をして、メイリーはその石にまじまじと見入った。

「う~ん、良い線行ってるけど微妙なのよね。もう少し良いのがあるといいかな?」

「まァ山岳だしな。その辺見てきたらどうだ?」

 オレたちは今、ちょっとした山の中にいる。もしかしたら貴重な石もあるかも知れない。オレはそう思って適当にそう言った。

「そうだね……じゃ行こ、アイ。」

「へッ?!」

 なぜかチャッカリと、既にメイリーはオレの腕を取って歩き出している。オレは正直、自分がついて行く理由が思い当たらずにマヌケな声を出した。

「だって先生も"すみっこ石ころ研究部"の一員でしょ?
 ほらほら、行くよ、アイ先生!」

 メイリーは"先生"の部分をことさらに強調してオレを急かす。そう言えば、確かにオレは彼女が作ったらしいその石ころ部──長いので石ころ部でイイと思う──に参加していた。まぁ山を歩いて体力は付くし、魔力を石から感じることで自分の中の魔力が高まる……という触れ込みだったのだが。オレとしてはこの前みたいにイキナリどっかに行かれても困るので、お守りのつもりで適当に返事をしておいた。まさか、実際に連れて行かれるとは思わなかったんだが。そんなことを思い出している間にも、メイリーはオレの腕を取ったままでずいずいと山を登っていく。

「う、うひィ……ナンでこんなハードなトコを……。」

「ほらほら、もっとしっかり登って、センセ?」

 明らかに山道とは呼べない急斜面を、メイリーは飛行も使ってぐいぐいとオレを引っ張っていく。伊達に部活動で鍛えている訳ではないらしい。もしかしたら、イヤ、もしかしなくてもメイリーのヤツ、オレより相当タフだ。オレは早くもグロッキー気味の身体に鞭打ち必死で引っ張られながら山を登っていく。

「ま……マダか……。」

「う~ん、この辺がいっかな♪」

 この辺も何も、オレから見ると登り始めた時の光景とほとんど差のないハゲ山の一部なのだが。だが、既にメイリーは真剣な表情で辺りを見回している。オレは息を整えると精一杯の皮肉を込めて声を裏返した。

「『まァ、ステキな石コロがイッパイ♪』」

「アイ、ちゃんと探して。」

 彼女の鋭い視線に口を閉ざされ、オレは已む無く焼けるような斜面にしゃがみ込んで石を探し始めた。石ばかりの場所で石を探し始めたというのも妙な話だが。

「う~ん、コレナンかどうよ?」

 とりあえず、メイリーの魔石に似た白っぽい石を拾ってメイリーに見せてみる。振り返った彼女は即答した。

「それはただの石でしょ。」

 ソウデスカ。オレは逆に近くにあった黒っぽい石を拾ってもう一度メイリーに声をかける。

「んじゃコレは?」

「それは小さすぎて使えないよ。」

「じゃコレ。」

「それは魔力が割れ目から漏れてるでしょ?」

「…………。」

 オレはまだまだ暑い残暑の太陽を見上げてから立ち上がり溜め息をひとつ吐いた。それから呼吸を整えて、大きく息を吸い込む。

「こんなモン区別ツくかァァッ!!」

「大きな声出すと魔力が乱れるよ?」

「……ハイ……。」

 結局、この拷問は敵が現れるまで続いたのだった。


八日目

 今日はあのシャインとかっつー国語教師とイベント戦だ。ヤツはサマナー、召喚師だから一人でも油断はデキねェ。しかもあのミニドラゴンはねこっちが呼び出してたヤツと同じだ。サラマンダーとウィスプにも注意が要る。危険スギだ。

「アイ~?」

 ウルセェな、もう少し時間が必要だぜ。作戦をシッカリ立てねェと……。

「アイっってばぁ。」

 イヤ、頼むからもう少し……。

「起きなさいっ!」

「はえッ?」

 オレは唐突に胸に落ちてきた何かに驚いて、しぶしぶ目を開けた。オレに馬乗りになったメイリーが微妙に不機嫌な顔でオレを見下ろしている。こ、コイツ……オレに飛び乗ったのか……。

「昨日はデコピンで、今日はコレか……。」

 オレはまだ眠い目を擦りながら、胸の上に乗っかったままオレを睨むメイリーの脇を抱え上げて横に下ろす。胸当てを着たまま寝ていたからイイモノの、飛び降りて直撃されたら多分重傷だ。オレは起き上がって頭を掻きながら横目でメイリーを睨んだ。

「だっていっつもアイってば起きないんだもん。仕方ないでしょ?」

「仕方なくてももうちょっとこう、ソフトな起こし方はねェのかよ……。」

 準備室ならイザ知らず、この広い学園を駆けずり回ることになったオレたちは、野営の機会が増えている。今日はたまたま校舎に入れた訳だが、大半はテントでの野営なので疲れも取れて爽快、というまでにはいかないのだ。
 だと言うのに、メイリーは元気なもので今日も朝から快調らしい。しかも何を思ったのかオレの目覚まし役に喜びを見出したらしく、お陰でここ数日はずっとこんな具合だ。オレは溜め息を吐いて心の中で貴重な睡眠時間に別れを告げながら、準備室の中に置かれたコーヒーメイカーからコーヒーをカップに注いで一口啜る。相変わらずの安い……と言うか薄い香りだ。学園の都市伝説では、このコーヒーは歩行雑草の実から作っていると噂もあるくらいだが、この香りを見る限りあながち嘘とも言い切れない。

「オイ、メイリーも飲むか?」

 彼女に背を向けたまま、なぜかオレが持たされている彼女のカップを取り上げる。かなり大振りの竹を割って持ち手をつけた、途轍もなく簡素なカップだった。大きな刃物で削ったらしい、その削り跡も残りっぱなしのかなり荒い作りをしている。だが、彼女はなぜかこのカップを後生大事に持ち歩いているのだった。

「う~ん、これでいいかなっ?」

 後ろから聞こえてきた声に、どうやらオレの言葉が聞こえていなかったらしいと気付き、オレはカップを両手に持ったままでメイリーを振り返った。センセの質問を無視するとはナイス度胸だ。説教をくれてやる必要があるだろう。

「どうかな、アイ?」

 かっつーん。
 オレはコーヒーが入ったままの自分のカップを思わず取り落とした。辺りに淹れたばかりのコーヒーと薄い香りが撒き散らされる。熱い液体が跳ねてオレは咄嗟に飛び退いた。

「あつつつつッ!」

「ちょっとアイってば大丈夫っ?!」

 シーフ渾身の飛び退きでそれほど被害はなかったようだ。オレはその場に屈み込むと顔を下に向けたままで、メイリーに手を出し制止した。

「あァ、汚れるから来なくてイイぜ。オレもそんなにカブッちゃいねェしな。ソコにゾウキンあるだろ、コッチに投げてくれ。」

 だが、いつものことながら、メイリーはオレの制止を無視して雑巾を持ったままこっちへやってきた。視界の隅に黒いリボンが揺れているのが見える。オレはメイリーに気付かれないように小さく深呼吸して息を整えた。
 オレが思わずカップを取り落とした理由。何を思ったか、またまた髪型を変えて喜んでいる無邪気な笑顔。黒いリボンでアップにされた細く繊細な、流れるような髪。メイリーはオレの動揺をよそに、ふわりと横に横に降り立つと一緒に床を拭き始めた。

「あ~、もう。コーヒーって中々落ちないんだよ?」

「……あ、あァ……あちちッ!」

 適当に答えながら二人で大まかに床を拭き終わって、オレは雑巾を流しに向かって放り投げた。どうせ当分ここの準備室には来ないだろう。適当に水で流しておけば良い。それよりもオレには、この隣の七変化の方がずっと“問題”だった。

「あっ、ほら……こんなとこに跳ねてるじゃない。
 ほらほら、ちょっと立って?」

 メイリーが俺のケープの裾を取り上げ、小さなコーヒーの染みを見つけて言った。オレを立ち上がらせると、彼女はポケットから取り出したハンカチでそれを押し取っている。黒いリボンと括られて持ち上げられた髪が、オレの顔の下でぴょこぴょこと揺れていた。オレは自分の胸の辺りまでしかない彼女に、自分の鼓動が聞こえていないかとびくびくして気が気ではない。

「ん~、中々落ちないなぁ……。」

「……ん、あァ、い、イヤ、適当でイイぜ。どうせ汚れるモンだしよ。」

 思わず揺れる髪に目を取られていたオレは慌てて返事をした。そのまま距離を取らせようと思ってメイリーの肩に手をかけ、そこで忘れかけていたことを思い出して思い止まった。

「あァ、後……その、ナンだ。」

「??」

あァ、ちょっとヤベくねェか、コレは。

 不思議そうな表情で、身長差のせいで上目で俺を見上げるメイリー。うっかり彼女と目が合ってしまい、思わずオレは明後日の方向を見上げる。目を逸らすまでの僅かの間に盗み見るようにして見た彼女は、翠の大きな目をめいっぱい広げてオレを見上げていた。

「ナンだ、その髪……結構似合ってるぜ。」

 ふふ、と胸元で忍び笑いを漏らす彼女。それに合わせて黒いリボンが揺れている。顔を少し顰めてオレは彼女を見下ろした。

「もう、相変わらず子供みたいなんだから、アイは。」

「ッ、ヤレヤレ、仕方ねェな……。」

 カップを取り落としてコーヒーをこぼしたことか。それともすぐに目を逸らすことか。お子サマにそう指摘されて、オレは軽く舌打ちした。悪い気分でもないのだが、オレは無理に難しい顔を作ってそれを引きつらせながら肩を竦めてみせる。

「このリボン、アイにも似合うと思うけどな?」

「へッ?」

 何を言い出すかと思いきや、明後日の方向を向いて固まっているオレをよそに、彼女はとんでもないことを言い出した。さっさと自分の髪を括っているリボンを解いてそれを持ったまま浮かび上がる。勿体ねェ、と口から思わず出かけた言葉をオレは慌てて飲み込んだ。

「ん~、やっぱりまだ短いかなぁ?」

「イテテッ、か、髪を引っ張るな。」

 首筋をさらりと柔らかなそのリボンがくすぐる。メイリーはここ数日の行軍でばさばさになったオレの髪を弄繰り回して、どうにかそのリボンを結ぼうとしているらしい。オレはどことなくそのリボンの肌に触れる感触に懐かしさを覚え、彼女にされるがままになっていた。

「似合うはずなんだけどな。う~ん、残念……。」

 ようやく諦めたのか、オレの髪をああでもないこうでもないと引っ張っていたメイリーは名残惜しそうに滞空を止めた。オレは苦笑して彼女を見やる。

「オトコにリボンはねェだろうがよ?」

「え~、絶対似合うんだってばぁ。前だって……。」

 そこで唐突に彼女は口を噤む。はっとした表情で、何かを思い出したか、もしくは思い止まったように。まるで自分に何かを言い聞かせるようにして思い止まったメイリーの寂しげな表情を見て、オレはつい解かれた彼女の髪を掻き回した。

「まァ……伸ばす時があったら、な?」

「うん。絶対似合うの、分かってるんだから♪」

 オレの言葉を聞いてメイリーが破顔した。オレは何とか彼女が笑ったことでこっそりと安堵の溜め息を吐く。どうやらまだまだこのお子サマには油断できないらしい。

「…………。」

「どしたの、アイ?」

 オレはふと、何かを忘れているような気がして黙り込んだ。何か大事なことがあったはずだ……。

「あああッ、単位だ、戦闘だッ!
 メイリー、作戦立てるぞ作戦ッ!」

 オレは一番大事なことを今更思い出して、メイリーが飛びあがるほどの叫び声を上げたのだった。


九日目

 薪潰し部。天幕から送り込まれたドワーフ、キーロのやってる団体だ。個人的には薪はそもそも潰すもんじゃないと思うんだが。割るというか、潰すための体格と、物の弱いところを突くための器用さが身につく。……ホントかどうかは怪しいものだが。なぜか“薪を潰す様を見てみたい”という奇特な趣味を持つメイリーまでついて来ている。しつこいようだが、薪は割るものであって潰すものではない、と思うんだが。

「楽しみ~♪」

「んなモン見てどうす……。」

 キーロの爺さんがいる辺り、木々がまばらになって小さく開けている広場に入ろうとして、オレは言葉を切り足を止めた。何かの違和感。無言で腕を挙げ、横にいたメイリーを制止する。
 それまでの道と風景はほとんど変わってはいない。だが雰囲気が──空気が持っている質感、オレが風として感じるそれが──違っていた。

「アイ、どしたの?」

 メイリーがオレに聞いてきた、その時。

「……ッ!」

 オレは咄嗟にメイリーの頭を抑えつけて上から覆い被さった。危うくオレたちの頭上、さっきまでオレたちの顔があった辺りを拳大の木の破片が通り過ぎる。ケープを彼女に被せたまま、オレは飛んでくるもっと細かい木の破片を手を翳して払い落とした。

「……そこにおったか。」

 広場から抑えた声が響いてきた。オレはケープから木屑を払い落とすとメイリーを伴って姿を見せ、不敵な笑みを口の端に浮かべて見せる。

「随分な歓迎じゃねェか、爺さん。」

「少々手元が狂うたわ。」

 謝りさえせずに、同じように口の端で笑うキーロ。倍ほども身長の違うオレたちの視線が交錯する。だが、僅かな間の後で、オレが口の端の笑みを深くして目を逸らす。ケンカを売りに来た訳でもない。試されたというのは気分が良くはないが、とりあえず躱して見せたのだし良いだろうと思ったのだ。

「メイリー、帰った方がよくねェか?
 今みてェなヤツの近くにいたらアブねェぜ。」

 横にいるメイリーを顧みて俺は声をかける。オレだけならともかくメイリーまで庇えるかどうか自信はない。だが、オレが目をやった先には、切り株の横に立っているキーロに目をキラキラ輝かせて賞賛の眼差しを向ける困ったお嬢さんが一人いるだけだった。

「すごーいっ、ガガルさん、今のどうやったのっ?!」

「ッてオイ。」

 思わずツッコミを入れるオレ。だがメイリーはオレの方を振り返ると満面の笑みで答える。

「だってまだアイがやるとこ見てないよ~。
 それにまたさっきみたいにアイが守ってくれるから良いの!」

「どうやってオレがヤッてる時に守るんだよ……。」

 オレは口ではそう言いながらも諦めの溜め息を吐いた。彼女は一度言い出すと絶対に引かない。それがどうでも良いことならなおさらだ。

「良いか……?」

 ここに来た目的をそっちのけでいつもの遣り取りをしているオレたちにキーロがそう声をかけた。ずっと鋭い視線が注がれていたのは知っている。だが、この爺さんは危険だ。恐らくは、全ての事象に対して唯一の秤しか持っていない。つまり強さだ。この爺さんはオレたちの様子を観察している。だからオレは適度に反応をせず、それなりに強いということを示して帰ろうと考えていた。味方でも最大限の力を見せずに自分の腕を隠しておくというのは、暗殺者の時に得た大きな教訓だった。

「あァ、イイぜ。」

 ようやく視線を向けたオレに、彼は目を細めて口元で笑う。その表情からは、認められたのか呆れられたのかは定かではない。お互いに表情を隠すために笑みを浮かべている、そんな感じだった。
 無言でキーロが切り株の上に、次の薪を置いた。それから自分は二三歩下がり、オレに場所を空ける。

「へ……メイリー、もう少し下がってな。」

 オレは僅かに思案すると、メイリーに声をかけて下がらせた。オレのヤリ方だと、立ち位置が僅かにずれただけでも巻き込まれかねない。

「オーケィ、ソコでイイぜ。」

 メイリーが下がったのを確認してオレは爺さんを振り返り、口元で冷たく笑みを浮かべて見せた。それから、無造作に傍らに立ててある薪を軽く蹴った。薪といってもオレの胴回りほどある太いヤツだ。オレに足蹴にされた薪は、ゆっくりと切り株から傾いで──落ちる。オレはそれを最後まで見る間もなく腰を落として姿勢を低くした。
 乾いた金属音。重いものが跳ね上げられる鈍い音。風切り音。そういったものが次々に耳に届き、オレは上手くいったことに確信を持って顔を伏せたまま口の端で笑みを浮かべた。頭上から細かい木の破片が降ってくる。髪を掠めて奔るワイヤーが計算通りに踊り狂っていることにオレは小さく安堵の息を漏らす。ちらり、と頭上に目をやると、落ちる時にワイヤーに跳ね上げられた薪が空中で翻弄されながら、そのまま切り刻まれて小さくなっていくのが見えた。

「ッ!」

 突如、空中で踊っていた薪が、金属同士が擦れる不快な不協和音と共にダンスを止めた。中途半端に切り刻まれた薪がオレの足元に重い音を立てて落ちる。オレは舌打ちと共に立ち上がりキーロの方を睨んだ。

「……ふん。」

 真横にキーロが突き出した鎚の柄に、薪のダンスの相手が絡まっている。オレの武器、つまりこの辺りに張り巡らされたワイヤーの端だ。

「すっごーい、アイ!」

「……ヤッてくれるじゃねェか、爺さん。」

 オレはメイリーが喜んでいるのにも構わずに、キーロに押し殺した声で呟いた。無表情な瞳で、キーロはワイヤーを鎚に絡めたままオレを見返してきた。
 今のエンタメはここで終わりではなかった。延々と空中で削られた薪は粉々の破片になるまで地上に落ちてこないはずだった。潰すというからにはそれくらいしなければとオレが思ったからだ。
 ワイヤーは、最初に薪の重みで切れたトリガー部分から、次々に巻きつけられて溜め込まれた力を解放しながら連鎖的に切れていく。薪を切り刻みながら、それと同時に次のトリガーを切る役目も果たしている。それは精巧な機械のようなものだ。だが、どこかで力が止められれば、それ以降力は薪へ伝わることは無く、次のワイヤーへ伝えられることもない。キーロがワイヤーの軌道上に鎚を差し出し、そこにワイヤーを巻きつけたことで力の伝達が止められてしまったのだ。
 木屑が舞い散る中、キーロは鎚にワイヤーを巻きつけたまま微動だにしない。まだワイヤーには力が残っている。それに対抗するように鎚を動かさないのには力が要る。オレは密かにこの爺さんの膂力に舌を巻いた。

「これでは、潰したとは言えんな。」

「コレがオレのヤリ方だぜ。文句言われるスジ合いはねェぞ。」

 だが、そこでオレは急に静かになった後ろが気になって振り返った。さっきまで騒いでいたメイリーがやけに静かになっている。オレが目をやると彼女はその場にうずくまっていた。

「オイメイリーッ、大丈夫かッ?!」

 オレは慌ててメイリーに駆け寄った。確かに安全な場所まで下がらせたはずだがあのお子サマのことだ、勝手に前に出てきてワイヤーに引っ掛けられたとも限らない。オレはメイリーの傍らにしゃがみ込むと彼女の顔を覗き込んだ。

「いたた……木の粉が……。」

 涙をぽろぽろ流しながら目を擦ろうとするメイリー。オレはワイヤーが直に当たった訳ではなかったことに安堵しつつも、彼女の手をムリヤリ取って捩じり上げた。

「オイ、コスるんじゃねェよ。……ホレ、コッチ向いてみな?」

「う~っ、いたいよアイ~……。」

 腕を掴んでメイリーをゆっくり立たせると、オレは潤んだ彼女の目を覗き込む。木屑が入ったのに擦ったりしたら面倒だ。思わず目に持っていこうとする腕を捩じり上げたままでオレは彼女に顔を寄せた。

「あ~、赤くなッてるな……ちょっと動くなよ?
 オイ爺さん、悪ィケドフェリシアの嬢ちゃん呼んで来てくれ。続きはマタ明日だ。」

「……まぁ良いわ。」

 キーロは何か言いたそうだったがそれどころではない。オレはメイリーの目を覗き込んだままでグローブを咥えて脱ぐと、小指の先を舐めて湿らせる。

「動くんじゃねェぞ……マバタキもするな。」

「やーっ、無理よアイそんなの!」

 相変わらず誤解を受けそうなメイリーの叫び声は、フェリシアが駆けつけるまでずっと続いていたのだった。


十日目

「んん……。」

 誰かに呼ばれたような気がして、オレは身を起こした。天幕の入り口から隙間を縫って薄い朝の光が差し込んでいる。ちょうど日が昇ったところらしい。ツマリはまだ休息時間で、オレは必要以上に早起きしてしまったらしい。

「チッ……気のせい、か。」

 貴重な睡眠時間を無駄にしたことに毒づき、オレはもう一度寝袋に潜り込もうとした。だが、何かが気にかかる。“風”が、オレを呼んでいた。

「……仕方ねェな。ワナの準備でもしながら朝を待つか。」

 オレは荷物からワイヤーの束を取り出すと、それを持ってオレを呼んでいる何かを探しに──何の当ても無く──天幕から外に出る。こうなってしまえばもう眠ることは出来ない。“シーフの勘”が呼んでいるのか、実際に何かが呼びかけているのか。ともあれ、オレのこういった時の勘は往々にして的中する。それで事前にパーティを導き野営への襲撃を免れたこともあった。自分の勘を信じられるかどうかというのはシーフの腕のひとつだ。
 オレは足の赴くまま、ワイヤーの束を持って仲間たちの天幕を巡回する。この静かな夜明けの時間帯に気の乱れている場所を見つけるのはそう難しい作業ではない。

「ココ、か。」

 ひとつの天幕の前でオレは足を止めた。木を軸に組まれ、枝と葉で覆われた小さなその天幕は、オレの相方、つまりメイリーのものだ。眠っている女の天幕に忍び込むというのはあまり誉められる類の行為ではない。オレは暫し天幕の前で逡巡すると、自分の考えに苦笑いして垂れ布を持ち上げた。女とは言えお子サマだ。誤解されるようなこともないだろう……何回かあったような気もしないでもないがまあ些細なことだ。
 入り口の垂れ布を潜ると、中には中央にハンモックが吊られ、そこで天幕の主が眠っていた。特に異常があるようには見えないが、まだオレの感じている違和感は消えていない。オレは小さく溜め息を吐くと、傍らに置かれた、切り株を適当に加工して作られた椅子に腰を下ろす。少し様子を見ていってやるのも良いだろう。

「アイ……。」

「ん?」

 メイリーが小さくオレの名前を呼んだ。が、答えたオレの言葉に対する反応はない。どうやら寝言らしい。どんな夢を見てるのかは知らないが、のんきなお嬢様だ。オレは苦笑してワイヤーの束をばらし始めた。
 罠を張るのには周到な準備が要る。特にワイヤーを使ったオレの主力“クモの巣”には、張り巡らせるためのワイヤーを準備しなければならない。敵の頭上の岩や木を使うドロップ系のトラップやくぼみを使って即席で展開できるピット系のトラップとは違うのだ。
 ワイヤーの端を咥えて固定し、それを引っ張って束から一本のワイヤーを引き出していく。鋼線といってもかなり細いものだ。展開する時に絡まったりすればそれだけで切れてしまう。歯でしっかりと端を固定したままでワイヤーを次々に引き出すと、適度なところを見計らってダガーで切った。これ一本でも人間を一人完全に縛り上げるのに余りあるほどの長さになる。

「帰って……来るよね?」

 唐突にメイリーが呟いた。また寝言らしい。注意をそちらに向けたが、彼女がまた規則正しい寝息を立て始めたのを聞いて、オレは苦笑しながら作業に戻った。
 切り株にダガーを刃を内側にして突き立て、二の腕ほどの長さを取る。ダガーを支えにしてオレはその長さに合わせ、もう一度ワイヤーを巻き取り始めた。細長い束にして、規則正しく二の腕の長さでワイヤーをまとめていく。そのままの状態でオレはワイヤーの端を使って束自体をばらけないように軽く束ねた。それから咥えていた側の端を使って極小さな小石を結びつけた。

「ふゥ。」

 小さく溜め息を吐くと、オレはレザーグローブを脱いでその内側のポケットにワイヤーの束を納めた。小石が手首の邪魔にならない位置で収まるように少しずらしてからポケットの内側のバンドで固定する。
 ワイヤーの基本はこれで一単位だ。これを無数に両手のレザーガードに仕込み、戦闘が始まった時に小石を引き出して投げるのだ。それで一辺を固定して後はオレが適切なルートを手首からワイヤーを引き出しながら走る。それを何回も繰り返すことでようやくひとつの罠が完成するのだ。

「……アイっ……。」

 またメイリーがオレの名前を呼んだ。一段落して次のワイヤーを取り出そうとしていたオレは手を止めて彼女の傍らに歩み寄る。その呼び声が真摯な哀切さに染まっていたからだ。だがまた寝言だったらしい。もう一度苦笑を浮かべようとしたところで、オレははっと身を固くした。
 閉じられた瞳。そこから流れる一条の雫。彼女は静かに涙を流したのだった。

「……オイオイ、どんなユメ見てるんだい……?」

 オレは小さく呟くと、彼女の頬を伝った雫を指先で拭う。オレは魔法使いじゃないから彼女の夢に干渉出来ない。精々こうやって涙を拭ってやることしか出来ないのだ。それをもどかしく思いながら小さく溜め息を吐く。彼女がどんな夢を見て、何に苛まれているのかを知りたいと、痛切にそう思った。

「ふふ……知りたいかい?」

 頭の中で、唐突に聞き覚えのある傲慢な声が響いた。脳裡に真紅の瞳が閃き、オレは額を押さえてよろめく。

   +   +   +   

白いケープ、長い白髪を黒いリボンで纏め。片目は失われているのか黒い眼帯で覆っている細身の男。砂地に膝を立てて座り込み、右の肩当てに腰掛けて足を遊ばせる小さな妖精と歌を歌っている。ずっと一緒だと奏でる、二人の歌。



どこかの宿。小さな妖精は机に腰掛けたままで窓の外を眺めている。旅立ちが近いのか、傍らに置かれた二人分の背負い袋。足元にやってきて彼女を見上げて鳴く黒猫。それを見下ろして寂しげに彼女は呟いた。

「アイ……どこ行っちゃったの……?」

傍らに白い風の姿は無く。



「悪いね、“象牙”。帰る時間だよ。“裏切り者”の運命を与えられた暗殺者、キミの出番は終わりなんだ。」

「クソッタレ!
 テメェらのスキにさせてたまるかよッ!」

ブーツから二振りのダガーを抜き放ち、白と黒の羽を持つ少年に肉薄する白い影。少年のたおやかな指が白い影の額を指し、静かな詠唱が漏れ出る。



「帰って……くるよね?」

寂しげに荷物を眺めて、一人呟く小さな背中。彼女の心の内を語るように力なく垂れ下がった羽翅。白い影は帰ることもなく。静かに彼女は頬を拭った。その心の中に生まれた不安を跳ね飛ばそうとして。

「寂しいよ……アイ、どこに行っちゃったの?」

   +   +   +   

 オレは呆然と、彼女の頬に手をかけたままで立ち尽くしていた。噛み締めた唇が血の気を失っているのが自分でも分かった。
 “裏切り者”。シェルは隻眼の暗殺者をそう呼んだ。目をきつく閉じ、漏れ出そうになった呻き声を押し殺す。

「寂しいよ……アイ、どこに行っちゃったの?」

ずっと、ずっとオレの名前を呼んでたんだな。

 天幕の裏地を見上げて吐息を吐く。無様にも、オレは感情がコントロールできなくなっていた。ゆっくりと深呼吸して、周りの木々に心に溢れる想いを逃がし、オレは目を開いた。
 メイリーの流した涙の跡が、頬に痛々しく──そう、痛々しく残っていた。それをグローブを外した手で優しく撫でると、オレは眠っている彼女に泣き笑いのような無様な顔で微笑みかけた。

「もう……大丈夫さ。そう、きっと“オレ”は何度もそうやってメイリーに言ったんだろうな。
 ゴメンよ、イツもイツも……な?」

 どうして、こんなことさえ許されないんだろう。たった一人の、大切な者の傍にいてやることさえも。
 オレは沢山のものを裏切り続ける自分に嘲笑を浮かべて、自分の人差し指に接吻けた。それからその指をそっと彼女の額に押し当て、心の底からの想いを込めて小さく呟く。

「イイユメが、見られますように……。」

   +   +   +   

 新しい実験体に関しては、未だに未来は確定されていないようだ。先を覗いても全くの暗闇で何も見えはしない。間に挟まれた条件分岐が多すぎていくつかの可能性提示すらままならないのだ。
 そう言えば、いつか彼女を書斎へ招いて実験体の存在意義を教えた時に、彼女は“かわいそう”だと言った。突然想い人に置いていかれた自分を、ではない。僕の実験体として存在する彼の運命を、だ。それどころか、素晴らしい実験結果を弾き出してくれた礼として僕が提示した「安定した幸福な未来」を拒絶し、彼と共にもう一度挑戦することを選んだのだ。
 確かに、それは素晴らしい決断だとは思うよ、小さな妖精。僕もそう仕向けたのだし。だが、君の知っていた彼は、今の彼が属している虹色天幕の、此処の敵だったのだ。“彼”が戻ったとして、君は一体どうするつもりなのだ。君が作った友人たちは彼の敵となり、彼自身ももう一度裏切りの運命を繰り返さなければならないというのに。
 何にしても、このまま負けが込むようでは困る。彼は天幕に対して戦闘用として引き渡したのだから。欠片として潜伏している以前の存在が統合されれば彼女との相乗効果で高い能力を発揮するだろう。妖精騎士としての能力も解放される。だが、それでは天幕に存在できない。ここからどれだけ実験体が彼女と新しい関係を構築していけるかにかかっている。


十一日目

「あァッ、クソッタレがッ……!!」

 オレは悪態を吐くと相手を睨み付けた。明らかに強い。格上というヤツだ。どうやらメイリーも既に立っているのがやっとらしい。精神力も付き、オレの罠も唯一つを除いてすべて使い切っていた。それでも相手が大きなダメージを受けた様子はない。敵の片割れである黒魔術部員が両手を広げ、その手の間に魔力が収束し始めた。

「チッ……来るぞメイリー!」

 そう声をかけたものの、メイリーもオレもあのブレインイーターをもう一撃耐え凌げる自信など無い。後唯一望みがあるとすればそれは……。

「仕方ねェ……ヤるかッ!」

 オレは手首に仕込んだ小石の中から、識別できるようにひとつだけ色を変えておいたそれを見つけ、手首から引き出した。これだけは、既に編み込んであるので走り回る必要はそう無いのだ。上手くやれば相手の詠唱が終わる前に展開することも出来るかもしれない。

「イケるかッ?!」

 オレは投げた石を追いかけるようにして相手を大きく飛び越した。木の枝にしっかりとワイヤーが絡まったのを見ながら、木の幹を蹴って折り返す。頭を下に滑空してダガーを握った右手だけで着地の反動を殺すと相手の頭上に眼をやった。オレが飛び出したメイリーの横の切り株、石を投げた木の枝、そしてオレの左手の三点を始点にして、相手の頭の上に予定通りクモの巣を模った幾何学模様に、極々細いワイヤーが展開されている。ここまでは大丈夫だ。オレはそれだけのことを一瞬で見て取ると、左腕からワイヤーが引き出されて指を切るのにも構わず相手に走り込む。

「間に合えええええッ!!」

 相手の懐に走り込むと、オレは相手の視線からメイリーを遮るようにして前を通り過ぎる。対象を決めかねたのか、黒魔術部員の無表情な化粧の下から覗く視線が一瞬泳いだのを見てオレは行けると確信する。相手が迷ってくれればくれるだけ、オレに時間が与えられるというものだ。

「ふッ!」

 気を吐いて、オレに狙いを定め直す相手の右を飛び抜けた。着地と同時に地面を蹴って相手の左脇を転がって通り抜ける。最後にワイヤーを切らないように飛び越して、そのままオレは相手に背中を向けたままで離れた。
 背中越しに、メイリーよりも強力な魔力がオレに収束してくるのが分かる。だが、もう遅い。オレは相手に背を向けたままで左手を強く引いた。それによって黒魔術部員の周りに巡らせたワイヤーが一気に巻き取られ、相手を締め付ける。詠唱を妨害されて放たれる寸前だった魔力が霧散していくのを背中で感じながら、相手を逃がさないようにオレは手首を返し、ワイヤーを歯で固定すると唇が切れるのも構わずそれにダガーを当て、冷たく笑みを浮かべた。

「風の乙女に抱かれて踊りな……マカブルなダンスをよ。」

 普段使っているものよりもさらに細い鋼線は、いとも簡単にダガーで切れた。鋭い風切り音。引き絞られた鎌鼬が相手に向かって収束していく音。暗殺者の時代に訓練で使っていた、切り裂くための鋼線で編まれたクモの巣が相手を絡めとり、溜め込まれた力の反動でその肉を切り裂く。

「へへ、ユダンタイテキ、ッてな?」

 オレは勝利を確信してゆっくりと立ち上がり、振り返った。刃の網に捕らわれた黒魔術部員は、それでもどうにかして立っていた。オレは目を細め、相手の強靭さに舌を巻きながらも止めをくれてやるためにダガーを構えて近づいた。その時だった。

「アイっ、危ないっ!!」

「マダかよッ!」

 そう、油断大敵。まだ詠唱を持続させていたのか、黒魔術部員の手の中で魔力が急激に膨れ上がり、オレは魂を揺さぶられるような一撃を受けて吹き飛ばされた。視界が白く霞んで行く。オレは心の中で舌打ちしながら気を失った。

   +   +   +   

ふん、まだこんなものか。もう少しやれると思ったのだけれどね。

 どこからか、聞き覚えのある声が響いてくる。目の前は暗い。オレは徐々に覚醒していく自分を意識しながら何があったのかを思い出そうとしていた。

「もう良いよ、戦闘プログラムを終了してくれ。充分だ、これ以上は見ても仕方が無い。」

「戦闘プログラム、終了します。」

 そこでオレは完全に覚醒した。ここは……ここは天幕の訓練室だ。オレはこれから向かう任務の場所に合わせた仮想システムで訓練を受けて……。そこでオレははっとして、自分が入っていたカプセルのようなポッドの扉を押し開けた。

「……ッ、メイリーは、メイリーはどうしたッ?!」

「まだ混乱しているようだね。困るな、そんなことじゃ。」

 飛び出した先には、暗い訓練室の中に一箇所だけ明かりが灯り、そこに真紅が浮かび上がっている。オレに声をかけた紅のローブ姿は、オレに目をやると傲慢な含み笑いを漏らした。

「今のは仮想世界の出来事だ。分かっているだろう。訓練プログラムは終了だ。
 まだ戦闘力に不安はあるけれど、もう時間も無い。準備をし給え、“象牙”。」


「ばッ、バカなコト言ってんじゃねェぞ!
 オレたちは、オレたちはッ!!」

 だが、覚醒したオレの頭は、もう混濁していた時の幻を現実だとは認識してくれない。オレは胸を締め付ける何かの苦しさを感じながら自分に問うていた。

……全部、嘘っぱちの中での出来事だったのか?
オレを見つけた時の、あの翠の瞳が喜びに輝く様も。
二人で肩を並べて戦ってきた毎日も。
石を拾いに二人で山へ登ったことも、髪を結い上げて無邪気に笑う笑顔も。

……あの時に見せた、あの静かな涙も。

「……さぁ、どうだろうね?」

 オレの考えを読み取ったように、クソッタレの声が聞こえた。オレは無言で傲慢な道化師を睨み付けると小さく舌打ちする。全てを知ったかのように振舞うその顔に、オレは一発見舞ってやりたくてしょうがなかった。

「歴史は……書かれた時点で歴史として確定する。夢も、幻も、想像も。そして、希望すらもだ。
 書き記されたことは厳然として、歴史として存在する。」


「クソッタレ……。」

 オレは小さく吐き捨てて立ち上がると、いつものように自分の観念でしかものを言わないふざけた男の横を通り過ぎ、訓練室の扉を開いた。やり切れない。そう、どこへもぶつけようの無いやり切れなさが、オレの心をクモの巣のようにして絡め取り、切り裂いていた。

全部、ユメだったのかよ?

 オレは呆然としながら、その独特の切なさに潰されそうになっていた。そう、それは確かに、大切なものをようやく見つけながら、それが夢だったと目が覚めて気づいたときに感じるあの切なさだった。

「それを決めるのは君自身さ。
 さぁ、失敗したことも、成功したことも、全てを心の中に留め置いて、君の戦場へ行くが良い。それは君の行く末に少なからず影響を与えるだろうから。
 ふふ……やり直しの機会が与えられるというのは、とても幸運なことだと、僕はそう思うよ?」


全部がユメだったなんて、絶対に認めねェ。

 オレは心の中できりきりと痛むその気持ちを、抱き締めるようにしてしっかりと自分に刻み込み、暗い訓練室を出た。そう、これからが本番だ。今度は──イヤ、もう二度と──負けることは許されない。
 誰かのために。大切な、護ると誓った誰かのために。

   +   +   +   


   +   +   +   

 彼に伝えたことは、唯の観念でもなければもちろん嘘でもない。厳然とした真実の一面だ。確かに、彼が体験したのは天幕が準備した仮想訓練に過ぎないかも知れない。だが、しかしだ。
 それは僕を通じて記されてしまった。後は、歴史として存在したこの真実を、誰が、どのように解釈するかなのだ。歴史というものは、所詮記されたものであって、記した者のフィルタを通した一面的な概念であるのだから。
 後は彼──つまり僕の実験体、“象牙色の微風”と名付けられた暗殺者──が、これまでに起こったことをどう解釈し、どう理解するのか。そして、これを読んだ者がどう解釈し、どう理解するのか、ということだ。そこには無限の可能性が、そう、何一つ確定してはいない可能性たちがある。


 僕はそこまでを書き留めると、君に視線をやった。携帯用の端末を通して事の顛末を追っていた君は、既に紅茶が冷めてしまっているのにも気づかずにそれを啜る。僕は苦笑すると空になったカップにもう一度ポットから薄めに出したアールグレイを注ぐ。紅茶がもう温くなりつつあることに気づいた僕は、立ち上がると流しに残りを捨て、新しい葉を入れてから充分に温められた湯を注いでもう一度淹れ直すことにした。

「それで、どうなんだい?」

 端末にかかりっきりの君を見て、僕はそう静かに聞いた。だが少し待ってみても答えが返ってこない。僕は片頬で歪んだ笑みを浮かべると、もう一度君が気付くように聞き直すことにした。

「それで、どう思うのか聞かせてくれないか?」

 君はようやく端末から目を離すと僕の方を向いた。“これ”をどれだけの人が読んでいるのかは分からない。だが、その数は限りなく少ないだろう。君が大切な読み手であることを再確認しながら、僕は君の目を見つめて小さく微笑みを浮かべた。それから、君は僅かに首を傾げて思案するとゆっくりと僕の問いに答えるために口を開き……

ここでテストプレイ終了。本編との整合性を付けなければならない上に、他の人がどう処理してくるか分からないので「天幕での訓練」(夢オチ1)と、「書かれた物語」(夢オチ2)という、かなり物悲しいことになっています。
結局収拾した訳ではないので要するに投げっぱなし。お陰で本編が始まってから他のプレイヤーはどう処理したのかを手探りしつつ話を進める、という酷い結果になったのでした。
  1. 2007/05/16(水) 12:39:36|
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Alive時代の前振り4期?:Last Day

島に平和が訪れて、退去の日。
字数制限が大幅に緩和された特別な日に、やったのはこれでした。

お茶会はずっとメッセや何やらで出来れば良いと言っていたのを盛大に実現させたものです。

そして二人だけの超絶赤面企画。最後も歌で〆るという暴挙。お互いに歌の詞を書き、それに対する返歌を考えてセットに。さらに彼女には二人で歌う姿まで描いてもらっています。
絵はあるけど許可が出ないだろうので残念ながらここでは出せませんw
許可が出たら載せるかも。

この後二人は大陸に戻りしばしの静かな時間を得るのですが、それから先はまた別のお話。


 最終的に探索者たちが辿り着いた場所。終わりなき、終末の浜辺。昨日の夜はそこに飛ばされて呆然としていた彼らも、今日はいそいそと自らの目的地に向かうために荷物をまとめていた。望んだ場所へと、島の主は送り届けてくれるという。気の早い者は朝も空けぬ内から自らが待ち望んだ場所へと消えていった。それでも、多くの者たちはこの島での生活を名残惜しむように、互いに挨拶を交わしたり、思い出話に花を咲かせたりと、最後の時間を思い思いに過ごしていた。
 災厄は去った。探索者たちの一丸となった抵抗により星から来たものは倒れ、襲撃者は駆逐された。だが、それはまた島の終わりをも意味していた。
 そんな中、砂浜の一角にとてつもない大きさの天幕が立てられていた。その周囲には机や椅子が並べられ、辺りには白く塗られた木の柵が張り巡らされていた。それぞれの机の上には紅茶のポットが置かれ、椅子の数だけソーサーとカップも用意されている。また様々な大きさの皿の上には、果物やクッキーといった茶請けが用意されていた。
 そこが正面なのだろう、柵が途切れた一角にはご丁寧に白いポーチが設えられ、くすんだ白いケープを纏った細身の男がいた。その右肩に小さく輝いて見えるのは彼の大切なパートナーなのだろう。二人はいつもの様にして共にあった。
「よォ、嬢ちゃん。イチバン乗りだぜ。よく来たな。」
「やったー、おかし食べ放題だよね?」
 いつもの様にして人を食った笑みを浮かべて手を挙げ、アイヴォリーが初めての来客に挨拶する。ドワーフの英雄の名を継いだ幼く気高き戦士。ルミィ=ナイツはいつもの旅装で、いつものように無邪気な笑みを浮かべている。
「うん、いっぱいあるから遠慮しないでね?」
 アイヴォリーの肩で足を遊ばせながら弾けるような微笑みを浮かべ、メイが嬉しそうに言った。幸い最後の日は神様も大目に見てくれたらしい。天気も良く、日の光を燦然と浴びて煌く羽翅をはためかせるその姿は、彼女が信じる風乙女にも負けてはいない。
「まァ入りな……ッてナンだ、このニオイは?」
 眉を顰めてアイヴォリーがルミィに顔を近づける。確かに妙に甘い臭いが漂っているような気もしなくもない。

「うん、今日はれいこくな女はんたぁもフェロモン全開なんだよ?」

「ッて、オマエ、後ろに着いてきてるのはナンだアリャッ?!」

 ルミィの後ろにはぞろぞろと、その臭いに惹かれたのか動物が集まり始めている。と、奥の方で皿の割れる音がした。何ごとかと天幕の方を覗こうとしたアイヴォリーを押しのけて、薄い黒のドレスを纏った妙齢の女が出てくる。彼女はルミィに飛び掛ると喉を鳴らして顔を擦り付けた。

「うにゃ~~~。」

「あァ~……嬢ちゃん、とりあえずイヴと奥で遊んでろ。コレ以上ヘンな動物が来たらコマる。」

 しっしっと手を振って二人を追い払うアイヴォリーに、後ろから声がかけられた。

「ウィンド殿、ご招待いただき光栄に存じます。このような場に無粋ではあると思いましたが、正装といえばこれしかなかったもので……。」

 アイヴォリーが振り返ると軍服で着飾ったハルゼイとアッシュがいた。苦笑したアイヴォリーは手を差し出してハルゼイと握手する。

「イヤイヤ、似合ってるぜ。後ろのにーちゃんもな?」

「お詫びという訳にはいきませんが、これもよろしければ。どうぞ。」

 ハルゼイが差し出した大振りの包みを受け取ったアイヴォリーは、その包みをその場で開く。中には色とりどりのキャンディや、果物を使って作ったらしいパイが入っていた。

「ん、マンゴーにパパイヤか。サスガにこの島らしいやな?」

「あっ、アイだけずる~い!」

 一欠け口に放り込んだアイヴォリーを見て非難の声を上げるメイ。苦笑してヤレヤレと呟きながら、アイヴォリーはメイの口にもパイを押し込んでやった。

「そうそう、後、今日は皆さんに楽しんでいただけるものを用意できると思いますよ? 
 “盛大なフィナーレ”に“華”を添えるにはもってこいのものを……。」 

「お、ハルゼイテメェもナンか仕込んできやがったな?
 へへ、アリガトよ。さァ、とりあえず中に入ってクツロいでくれ。最後の日くレェユックリしたってバチは当たらねェさな。」

 ハルゼイに奥を手で示すと、すぐに次の客が来ていた。背の低い、黒い影のような少年と青い髪の少女。サトムとホリィだった。

「オヤ、猫のにーちゃんやホカの連中はどうしたよ?」

 いつもサトムと行動を共にしていた猫人の青年の姿が見えないので、アイヴォリーはサトムに聞いた。だが何を納得したのか、もしくは勘違いしたのか、一人でうんうんと頷くとにやけた笑いを浮かべてサトムに耳打ちする。

「へっへっへ、お二人さんはゴ一緒に今日一日ごユックリとデートですか。イイねェ、お似合いだぜ?」

「いえ、そっ、そんなんじゃあ……。」

 そう言いながらも満更でもなさそうなサトムの後ろではホリィがいつもの如くにこやかに微笑んでいる。肯定も否定もしない。さすがはアイヴォリーも認める“役者”といったところか。アイヴォリーがサトムたちを中に入れると今度はセーラー服の少女がやってくる。

「わー、アイヴォリーさん、ご招待ありがとうございますっ♪」

「オヤ、黒騎士のヤローは一緒じゃねェのか。おかしいな、来ると思ってたんだケド。」

 首を傾げるアイヴォリーの後ろですさまじい勢いで砂が撒き散らされると、いつもの黒装束が立っている。いつもながらの含み笑いを漏らしながら“ドリルッ”などとよく分からない技を出しているのは黒騎士だ。

「テメェ、ソレは中ではヤるんじゃねェぞ。影犬とかも出さねェでイイからな。まァ入れ。」

 黒騎士を適当にあしらいながら敷地の中へと入れると、次の客は霞と密だった。依頼人とメイド──もしくはボディガードだったかも知れないが──には到底見えない二人組だ。

「おゥ嬢ちゃんににーちゃん、最後までオツカレだったな。……そういや包帯巻きのアッシュはどうした?」

「アッシュさんは~、荷物をまとめてから来るってぇ~、言ってましたぁ~。」

 アイヴォリーがそれに答える前に、いつもの格好をした架那と朔夜が何かを担いで戻ってきた。今日はディンブラとともに裏方で使われているらしい。怪しげな黄色い物体が入った大きなたらいを軽々と担いで、架那は朔夜とともにすたすたと入ってくる。

「おい、アイちゃん、これくらいあれば足りるのか?」

 どうやら二人はアイヴォリーに頼まれて辺りのサンドジェリーを狩りに行ってたらしい。大きなたらいに山盛りにされているのはサンドジェリーの蛍光色の死骸だった。

「あァ、使っちまって悪ィな。ツイでにもういっちょ頼まれてくれ。奥に残ったタネがあるからよォ、一緒にソコに運んで中に全部ブチまけといてくれねェか。」

「……全部……入れるのか?」

 顔を顰めながらも二人は厨房に当たる小さな天幕へと向かっていく。今頃ディンブラがその中で必死で紅茶を精製しているはずだ。

「アイ、またお客さんだよ~?」

 メイの声にアイヴォリーは次の客を出迎えるためにエントランスに走って戻っていく。



   +   +   +   


「ヤレヤレ……まァみんな楽しんでるみてェだし、ヨシとしときますかねェ?」

 ずずり、と上品とは言えない音を立ててアイヴォリーは紅茶を啜った。テーブルではようやく紅茶の精製から解放されたディンブラがげっそりした様子で座り込んでいる。その横では、メイとアイヴォリーの頼みを聞いてやってきたアッサム、それに架那と朔夜がテーブルを囲んで談笑しており、その横ではネオンがレモンクッキーの皿を囲い込んで貪るように食っていた。

「イヤァ、アッサムさん、悪ィな、レディにまで働かせちまって。」

 余り悪いとも思っていなさそうな表情でアイヴォリーがアッサムに向かって指を振ってみせた。穏やかに微笑んでアッサムがそれに答える。

「いえ、せっかくですから他の兄弟たちも使ってくだされば良かったのに。」

「イヤ、知り合いでもねェヤツにまでこんなコトは頼めねェよ。アレ疲れるんだろ?」

 アイヴォリーは肩を竦めて彼女が精製したアッサムを飲んでいる。横でやつれて呆然としていたディンブラが白い目でアイヴォリーに突っ込んだ。

「アッサム姉はほとんど出してないだろ……ほとんどディンブラじゃねぇか。」

「ヤレヤレ、ディンブラごくろーさん。」

 ディンブラが普段やるようにしてぱたぱたと手を振り、至極適当にディンブラにもいたわりの言葉をかけるアイヴォリー。アッサムにかけているものに対して、はっきり言ってこちらには労わりの気持ちが微塵も感じられない。

「お前なぁ……。大体紅茶搾り出すって、分かってるのか?
 俺の紅茶は金やミスリル以上の価値だぞ?」

「まぁまぁ、いいじゃないですか。好きなだけ使ってくださいな。」

 いつもながらのアッサムののほほんとした様子に、ディンブラは引きつった表情で答えた。

「……アッサム姉、それだけで人間通貨のどんだけの価値が有ると思ってるんだ?」

「まァイイじゃねェか。カネじゃ人はもてなせねェしよ。同じだけの金やらミスリルが今ココにあったってちっともイキじゃねェさ。」

 アイヴォリーの言葉にアッサムも頷きながら同意する。“粋”かどうかはともかく、桁外れの金銭感覚を持つがゆえに、彼女もアイヴォリーの言いたいことが分ったらしい。

「そうそう、美味しいお茶と楽しい時間はどんな価値にも変えがたいですからね。」

 彼女の言葉を聞いたアイヴォリーは急に遠い目で、いつかの情景を思い出しているらしい。それまでの調子とは打って変わって静かに、真摯な声音でディンブラに言った。

「……メイがずっとヤリてェッて言ってたんだよ。お茶会をさ。ホントにアリガトな?」

「まぁいいけどな……。」

 アイヴォリーの様子に毒気を抜かれて苦笑し、彼を見上げるディンブラも、満更でもなさそうな表情をしている。これだけの人間の“陽”の気が充満することは中々ない。しかもそれが自分の紅茶によってもたらされているというのは、ディンブラのような存在にとってはエネルギー源となるのかも知れない。

「アイ~、お客さんよ~?」

 入り口からメイの声がアイヴォリーを呼んだ。また誰かやってきたらしい。

「げっ、まだ増えるのか……お前一体何人呼んだんだよ?」

「うはは、イッパイ来てくれリャイイんだケドな?」

 恨めしげなディンブラの視線を躱すようにして、笑いながらアイヴォリーは上機嫌で天幕から出て行った。


   +   +   +   


 ハルゼイがフィナーレに添えた“華”で盛大に盛り上げられたお茶会は、それからアイヴォリーの声で解散を告げられた。宴会は終わり、集まった者たちも島の力によって自らの望む所──ある者は故郷、ある者は大切な者の隣、そしてある者はこの島の真の部分にある遺跡──へと去っていった。全員がそこを去った後に、砂地に立てられた大きな天幕や机、椅子、食器などは、ディンブラが砂から創り出したもので、お茶会自体が夢だったかのように一瞬で掻き消えた。ディンブラが魔法で一時に砂へと返したのだった。
 辺りにはもうアイヴォリーとメイリーの二人の影しかない。その影も、この島で過ごす最後の一日の終わりを告げるように、長く長く伸びていた。紅に染まった砂地に腰を下ろしたアイヴォリーは、近くに生えていた草を千切って小さく穴を開け、それを口に押し当てる。祭りの終わりに相応しい、優しくも物悲しい音が旋律を伴って辺りに響いた。一旦草笛から口を外したアイヴォリーは、砂の向こうで夕日に赤く染まる海を見つめたまま右肩に座っている彼の姫君に呟いた。

「……なァ、メイ……聴いてくれるか。オレはこの前、大切な人から歌を貰った。だから、今度は、自分の言葉で想いを伝えてェんだ。借りモノじゃなく、自分の言葉で。」

 草笛が奏でた旋律が、今度はアイヴォリーの口から零れる様に、囁きかける様に流れ始めた。

冥い冥い闇の中、僕は宝物を探して
ずっと暗闇に怯えて逃げ回っていたけど
それでも欲しかった、僕だけの宝物が
僕だけの、僕だけが大切にできる宝物が

そっと小さな世界の中、僕はその蓋を開いて
そよぐ風と森の囁き、風と翼
その中で見つけたんだ、僕だけの宝物を
僕だけの、とても小さな優しくて白い光

ほら、羽をひろげて
僕がどこまでも送り届けてあげる
君の信じる風は、きっと優しくて途切れない
ほら、どこまでも行こう
僕がいつまでも傍にいてあげる
君を護ってる風は、いつも強靭で吹き止まない

僕は、そんな風になりたかったんだ
僕だけの宝物を優しく包めるような、吹き止まない風に


 ワンコーラスが終わるとそれに合わせる様にして、小さな歌姫が歌い始めた。アイヴォリーは彼女の意図を察してもう一度始めから歌い始める。アイヴォリーの旋律に合わせ、お互いの歌を追う様に、追われる様に、先に後になりながら、自然と調和の取れた二人の歌声が響く。

Side-A:Ivory
冥い冥い闇の中、僕は宝物を探して
ずっと暗闇に怯えて逃げ回っていたけど
それでも欲しかった、僕だけの宝物が
僕だけの、僕だけが大切にできる宝物が


そっと小さな世界の中、僕はその蓋を開いて
そよぐ風と森の囁き、風と翼
その中で見つけたんだ、僕だけの宝物を
僕だけの、とても小さな優しくて白い光


ほら、羽をひろげて
僕がどこまでも送り届けてあげる
君の信じる風は、きっと優しくて途切れない
ほら、どこまでも行こう
僕がいつまでも傍にいてあげる
君を護ってる風は、いつも強靭で吹き止まない


僕は、そんな風になりたかったんだ
僕だけの宝物を優しく包めるような、吹き止まない風に


ほら、僕は見つけた
僕をどこまでも導いてくれる宝物
僕の信じる光は、いつも優しくて迷わない
ほら、どこまでも行こう
僕をいつまでも強くしてくれる宝物
僕が信じる光は、きっと微笑んで振り向かない


僕が、そうして光に包まれてるんだ
僕が苦しんでもまた立ち上がれるような、煌いてる光に


だからどこまでも、だからいつまでも


Side-B:Meyre
籠の森を抜け出して
自由を求めて飛び立ったあの日
いつのことだったかな
とおい昔かそれとも昨日か

あの日から世界は変わって
時間なんて必要なかった
森での生活が夢?
目の前の君が夢?
でも、これだけは確かなのよ
わたしの中のあなたへの想い

君の全てがわたしの全て
どんな些細なことでも
幸せな気持ちになれるの
もっとたくさん笑って見せて
きっとわたしも笑顔になるわ

君に声をかけられて
迷うことなく手を取ったあの日
忘れるはずなんかない
あの日が今まで繋がってるの

君はわたしの希望そのもの
君が傍に居てくれるなら
どんな事も乗り切れるわ
もっと強く手を握り合おう
ずっと君の近くに居たいから

君の全てがわたしの全て
どんな壁があるとしても
二人でなら超えられるわ
もっとたくさん笑って見せて
ずっと君と笑っていたいから

あの日から今へ 今からこれから
大切な君と一緒に
大切な君へ 大好きな君へ

…ずっと一緒に居ようね


二人で最後の部分を歌い終わると、思わず目が合って、二人で優しく微笑みあう。ふふ、と小さく忍ぶように笑い声を漏らしたメイが今度はアイヴォリーに語りかけた。

「ボクもね、同じ事考えてたんだ。今度は誰かが歌ってた歌じゃなくて、ボクだけが歌える歌を、ボクが捧げたいと思う人だけに歌いたいって。……聴いてくれる?」

 メイが歌いだしたその歌に、今度はアイヴォリーが彼女にやったようにして歌を重ねた。何を打ち合わせた訳でもなく、それでもお互いに語り合う様に、確認し合う様に、息の合った二人の歌が二人だけの砂地に響く。

Re:Side-A:Ivory Reply

ずっとずっと忘れはしないさ
初めて会ったあの日から何もかも
一度目は他にするように飯をくれて
二度目はぼろぼろになるまで戦った
それからいつも傍に居て
傍にいられるだけで嬉しくて
盗んだつもりが盗まれてたなんて
盗賊の誇りにかけて言えないけど

編み込まれたお下げのブロンド
君は知ってるかい?
撫でてるだけで安心するんだ
薄く煌く羽の軌跡
君は気付いてるかい?
その光がどんな時でも俺の力になる
ご機嫌損ねてむくれた膨れ面も
クリームが鼻に付きっ放しのご満悦の笑みも
俺の名前を呼んで微笑う
全部が大好きだ
俺の愛するお姫様
今日はどこまで行こうか

長く重ねた二人の毎日
でもまだ全て君を知ってる訳じゃない
いつこの儚い輝きが消えるかと
胸を締めつけて夜も眠れないんだ
暗い話なんてしたくない
捨てたもので泣きたくもない
でもそんな事があったから
ずっと俺は護っていける

二人を包む穏やかな風
きっと大丈夫
導かれるままどこまでも行こう
二人を包む優しい風
きっと大丈夫
吹き続ける限りずっと先まで
いつも負けずに浮かべてる強い笑みも
たまに先を見つめる真摯な翠の瞳も
俺の名前を呼んで微笑う
全部が大好きさ
俺の愛するお姫様
明日はどこまで行こうか

君の心の優しい翼
壁を越える翼だから
俺の右肩の白い輝き
ずっとずっと傍にいるさ


Re:Side-B:Meyre Reply

あなたは覚えているかしら?
最初に出会ったあの日のこと
ほんとに気まぐれだったのよ
あなたに声を掛けたのは
気付けばとても近くに居て
余りにも大きな存在になってて
クールでタフガイなシーフさんは
わたしから何を盗んだのかしら

長く伸びた白髪の髪
あなたは知っている?
陽に透けると銀に見えるの
印象的な緋色の瞳
あなたは気付いてる?
その目に引き込まれてるの
口端吊り上げて笑う笑顔が好きよ
赤くなって困る顰めっ面も好きよ
わたしの名前を呼んで微笑う
あなたが大好きよ
わたしの愛する騎士さま
今日はどこまで行こうか

長く過ごした二人の日々
でもまだ全てあなたを知ってる訳じゃないの
時折見せる辛そうな顔が
胸を締めつけるけど理由が全然分からないの
無理なら言わなくていい
辛いなら泣いてもいい
どんな事があったとしても
きっとわたしは近くに居るわ

二人を包む穏やかな風
きっと大丈夫
導かれるままどこまでも行こう
二人を包む優しい風
きっと大丈夫
吹き続ける限りずっと先まで
呆れた時のいつものセリフ好きよ
必死で言い訳けする文句も好きよ
わたしの名前を呼んで微笑う
あなたが大好きよ
わたしの愛する騎士さま
明日はどこまで行こうか

あなたの肩は特等席
わたしだけの場所だから
そこはずっと空けておいてね
ずっとずっとそこに居るから



 もう一度二人で優しく微笑み合って、心を繋げて。今までやってきたように強く、優しく。沈んでいく夕日に目を細め、アイヴォリーは彼女を落とさない様にそっと立ち上がった。

「ソロソロオレたちも行くか、お姫サマ。竜か、不死鳥か。次はナニが見てェよ?」

「ボクはアイが行く所なら、どこでもいいよ。」

 その答えに思わず苦笑したアイヴォリーは、ケープに付いた砂を払うと島の奥を振り返る。幻でない真の島。そこにある筈の遺跡。その中では宝玉に近い物が眠っているという。

「シーフが宝モノ見過ごしたとあッチャ、名折れだよな?」

 くすりと笑ったメイの髪を撫で、藍に染まり行く空を見上げる。二人なら、どんな壁だって越えられる。どんな遺跡だって制覇出来る。そこには、また新しい二人の冒険がある筈だ。

「ヨシッ、決まった。行くぞ、メイッ!」

「うんっ、どこまでも一緒に行こう♪」

 目を閉じた二人は、未だ見ぬ冒険を思い描く。二人で創っていく冒険を。
 砂地に微風が吹き、砂が巻き上げられた後にはもう誰もいなかった。
  1. 2007/05/16(水) 12:08:05|
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Alive時代の前振り4期?:93~96日

いよいよ最後、九十六日目でリトルグレイが倒されてついに島生活も終了。アイヴォリーはスペードに一度負けて装備を整え直し、スペードを倒して最後のジョーカー、というところでタイムアップ。最後まで中途半端な人生でした<ぉ
無論島での生活は“結果”はあくまでも一つの要素でしかなく、全てではなかったのですが。
ちなみにディンブラが言ってるエリィは彼の相方で、アイヴォリーに絡んでくるエリィとは別人。後で読むと悲惨な偶然の一致というかややこしいことこの上ありません。

九十三日目:朝
 惨敗、という表現が正しいのだろう。要するに、全く勝つ見込みがなかったということだ。アイヴォリーとメイは、スペード戦の傷も癒えぬままにその森を離脱した。

   +   +   +   


「クソッタレッ!
 メイ……大丈夫か?」

 口汚く罵るアイヴォリー。それは主に自分に向けての言葉だった。
 発光体の四つ目、スペードを甘く見過ぎていたのだ。先人のいくつもの戦闘結果から相手の戦力を充分に予想できたはずなのに、敗北した。それはひとえに油断が生んだ敗北だと言えた。
 ロージィスペードは、アイヴォリーたちが予想していたよりもずっと強敵だった。そもそも、グレイダイヤモンドまでの三つの発光体はそれほど対処に困るような敵ではなかったのだ。アイヴォリーの石化毒を含む攻撃シルバークラットで動きを封じられ、そこをメイのシルフとイフリートが焼き払う。ほとんどこちらには被害も出ないような一方的な勝利だった。それだけに、アイヴォリーは次のスペードの力量を見誤っていた。これまでと同じように、次も獣に多少毛が生えた程度のものだろうという楽観と、今までに確立した二人の連携で充分に押さえ込めるという誤算が生じていたのだ。
 無論、ルミィたちからスペードの厄介さは耳にしていた。トリプルエイドにより段々と固くなっていく相手には、それでなくても物理攻撃は通りにくい。そして各種の状態異常に対する耐性を持っているために、アイヴォリーの得意とする毒での足止めも効果が薄い、と。しかし、グレイダイヤモンドも耐性は持っていたのだ。その耐性を凌駕する毒の量を相手に与えられたのだ。間違いなく自分に止められないものではない、そうアイヴォリーは過信していた。

「うん……大丈夫だよ。でも悔しいなぁ……。」

 僅かに肩を落とした彼女の顔には憔悴と疲労の影が見える。それに気付いたアイヴォリーが、メイを自分のケープの中へと引き入れた。
 このまま、何の戦術もなしに明日もう一度戦っても絶対に勝てない。アイヴォリーにはそれが今日の戦いで分かってしまった。それほどまでに勝機がなかったのだ。そして、勝機がないのであれば、明日の朝早くにこのキャンプを撤収しなければならないだろう。一端退却して戦術を練り直す必要がある。
 疲れから眠ってしまったメイの、ケープの下からの微かな寝息を耳にしながら、アイヴォリーも倒れこむようにしてテントに潜り込む。メイを寝袋に入れてやり……そこでアイヴォリーも意識が途絶えてしまった。

   +   +   +   


「悔しい~~っ!!」

 次の朝。アイヴォリーはいきなりの叫び声で叩き起こされた。獣か人狩りでも襲撃してきたのかと慌ててテントを出る。そうするとそこには、火を起こしてシチューを温めるためにお玉を持ったままで絶叫しているメイがいた。どうやら朝食の準備をしている途中で昨日の敗戦を思い出したらしい。

「あァ、メイ。朝ッパラから元気だな?」

 思わず安堵の苦笑を漏らしてアイヴォリーが言った。お玉を振り上げて憤慨するメイはそのまま叫び続けている。

「禁魔術まで使ったのに、何あの固さ!
 おまけに抵抗されちゃうし。」

「あァ、悪ィ。昨日のはちょっとばかしアマく見スギてたオレのミスだ。」

 実際、スペードは最初の行動で空中に舞い上がると、炎を纏って烈火のごとく攻撃を仕掛けてきた。空中から赤い魔弾を浴びせかけ、そのままこちらへ向かって突撃してくる。攻撃を食らえば火をつけられるばかりか毒までくれるという念の入用だ。しかも、攻撃のパターンが二種類あるらしく、鋭い勢いで突っ込んでくると延々と纏わり付いて攻撃を浴びせる。すぐに集中砲火を浴びたイヴが戦闘不能に陥り、二匹のメイのペットたちも同じように地に伏すことになった。
 しかも上から降り注ぐ魔弾は質量を伴った物理攻撃で、躱し切れないメイが傷を増やしていく。アイヴォリーの気絶毒や睡眠毒は、ある程度は効果があるものの明らかにそれまでの敵に比べて効きが悪い。神経毒や石化毒に対する耐性が高いのだ。メイの最終手段、禁魔術の奥義で敵は半壊したものの、そこからは上空から魔弾を放ちながら回復行動をとった。トリプルエイドの回復力は大したもので、奥義を撃ってしまったメイと、回復するたびに固くなる相手に物理で攻撃するしかないアイヴォリーは圧倒的不利に追い込まれた。結局はメイが魔弾に耐え切れずに戦闘から離脱した直後に、アイヴォリーも攻撃を躱し切れずに倒れ、完全な敗北を喫したのだ。アイヴォリーも、相手がここまで強いとは思っていなかった。

「うん、ボクも甘く見てたみたい。ごめんねー。」

 だが、昨日の夜は落ち込んでいた彼女も、一晩眠って体力は一応回復したらしい。あそこまで叫べるのなら大丈夫だろう、そう思ってアイヴォリーは安堵の苦笑を抑えることが出来ない。

「まァ、このまま戦っても勝てねェな。イッペン退くぜ。
 態勢整えて、シッカリ戦術考えてからリベンジだ。」

「うん、今度は絶対倒そうね!
 だって、行けない事ないと思うもの!」

 まずは一端退却が妥当だ。リベンジはそれからでも良い。もう島に時間は残されていないが、後二日程度はあるだろう。いや、あって欲しい。アイヴォリーはそう願わずにはいられなかった。最後の戦闘が負けでは島から気持ち良く去ることも出来ないというものだ。

「そうさなァ……でも、どうヤるかが問題だよな……。」

「ギフトもなくしちゃったしね。」

 幸運なことに、万が一を考えてアイヴォリーは欠片にギフトを預けていた。それが残っているのが不幸中の幸いだった。

「まァとりあえずは……片付けかねェ。」

 昨日疲労困憊で帰ってきた二人のキャンプは散らかり放題だ。アイヴォリーは鬱々とした声でそう言ってから、辺りの生活道具をまとめ始めた。

九十三日目:昼
 アイヴォリーたちは何とかしてキャンプを撤収し、自分たちの支援のために待機してくれていた欠片とともに近くの砂地へと退避した。そこにはハルゼイたちが既に陣を構えており、比較的この辺りでも安全な場所だと言えた。傷も癒えきらぬままでの行軍は中々に厳しかったのか、ハルゼイたちの近くに自分たちのキャンプを設営すると、アイヴォリーはどっかりと砂地に腰を落とした。

「おや、ウィンド殿にリアーン嬢。それに……欠片さんでしたか。
 どうしました、その傷は?」

「あァ……コイツはなァ、ちっとミスッちまってな……。」

 アイヴォリーが溜め息とともに肩を竦める。スペード戦の顛末を聞かされたハルゼイは、頷くと口を開く。

「あぁ、シャッフル同盟のスペードですか。あれには我々も苦戦しましたからね。ルミィ君でも苦戦しましたから。」

「あのヤロー、どうやリャ倒せるか見当もつかねェぜ。アソコまで毒が効かねェとはな……。」

 アイヴォリーのさすがにうんざりとした調子の呟きに、ハルゼイはふむ、と独り呟くと眼鏡の位置を直し何事か考え始めた。アイヴォリーとメイ、二人の周囲をうろうろと歩き回ると、時々何やら独りで自分だけ納得しているのか頷いたり、また首を捻ったりしている。

「あァ、どした?」

「いえ、ウィンド殿にはお世話になっていますからね。少しでも力になれないかと思っているのですが……装備をもう少し見せていただけますか?」

 ハルゼイは彼らの戦術と装備から、最良の戦術を考えているらしい。少しの時間考えてから、彼は大きく頷いた。

「おゥ、ナニか分かったのかよ?」

 アイヴォリーの問いにハルゼイが頷く。どうやら答えが出たらしい。自信満々のハルゼイの顔を、二人は期待のこもった視線で見上げる。

「ええ。分かりました。
 今のお二人の戦力では、全く勝ち目がありません。」

「んなコトは今さら言われなくても、昨日の時点で充分思い知らされたぜ……。」

 返ってきた最悪の、しかも冷静な答えに、アイヴォリーがうんざりともう一度溜め息を吐く。確かにあれだけ一方的にやられたのでは、勝機も何もそれ以前に勝負になっていない。

「そうですね……おや、それはアメジストフラワーですか?」

 勝てないと結論を出した上で、それでもハルゼイは何事かを考えているらしい。今度は一緒について来た欠片の持ち物を検分し始めている。

「そうだな……紅術ならウィンド殿とは相性がいいし……。」

 一人でぶつぶつと呟くハルゼイ。挙句の果てに自分のキャンプへと走っていくと、紙とペンを持ってすぐに戻ってきた。それに書き付けては破棄し、また書き付けるという繰り返しをやっている。

「オイ、ハルゼイよォ、ナニヤッてんのか全然分からねェぜ?
 少しは教えて」

「ウィンド殿、少しお静かに。今考え事をしているところです。」

 もう飽きたのか、アイヴォリーは肩を竦めたままでハルゼイをせっついた。だが、眼鏡のレンズをきらり、と光らせたハルゼイの視線は、戦闘中のアイヴォリーの視線にも匹敵するほど冷たく、冴えていた。ハルゼイのそれは、思わずアイヴォリーが言葉を途中で切ってしまうほどの眼力を持っていた。

「ハイ……。」

 教師に叱られた子供のようにアイヴォリーが小さくなる。ハルゼイはそれを気にした様子もなく彼らの装備の検分を続けていた。

「そうだな……リアーン嬢、貴女は確かパンデモニウムを覚えていらっしゃいますね?」

「パンダも煮るん?」

 全く意味不明の会話にまたアイヴォリーが首を突っ込んだ。とりあえず自分に分からないことが進んでいると不安になる性質らしい。

「うん、使えるよ。
 ん~っとねアイ、パンデモニウムっていうのは魔法のひとつで、複雑な魔法円を辺りに描いてそこからどんどん召喚するの。まだボクも試したことがないんだけど……何でも良いからどんどん召喚し続けるんだって。」

「ナンか聞くだけで物騒な魔法だなオイ。」

 二人がそんな会話を続けている間にもハルゼイは何かを書き留めている。彼はもう一度自分のキャンプに戻ると、今度は丸めた大きな紙筒を持ってくると、それを拡げて地図のように大きな表から何かしら探し始めた。

「コリャ……マタスゲェ表だな。いってェナンだよコレ?」

「これは……合成の表だね。ここまで詳細なものは僕も見たことがない……。」

 いつの間にか横から覗き込んでいた欠片が、珍しく小さな声で感嘆を漏らす。最早アイヴォリーには全く理解不能な領域だ。

「ほう、これは……これを合成して……ふむ……。」

 ひたすら表と手元の書き付けを行ったりきたりしていたハルゼイがようやく顔を上げた。新たな紙に、整理した結果を書き込んで、満足そうな顔で頷く。

「ウィンド殿……貴方は非常に運がいい。上手くいきそうですよ。」

 笑顔を浮かべて書き付けを示すハルゼイ。だが、アイヴォリーにはさっぱり内容が分からない。横から覗き込んだメイも首を捻っている。

「これなら、あるいは勝機があるかも知れません。」

「だからナニよ、ソレは?」

 全く理解できないアイヴォリーは最早お手上げらしい。だが、合成を生業にしている欠片には意味が分かったのか、その書き付けを見て頷いている。

「これは……忙しいな。二日間いっぱいいっぱいで働かなきゃこれは揃えられないよ。」

 欠片は書き付けを読み終わると、ふう、と大きく息を吐いた。それからアイヴォリーに向けて諦めたような視線を送る。

「仕方ないな……助けてやるから次は絶対に勝てよな。」

「だから、ナニ?」

 ハルゼイはしきりに頷くと、アイヴォリーの肩に手を置いた。不審気にその手を見返すアイヴォリー。

「ウィンド殿はマジックポーションCを急いで作ってください。時間がありません、今日中に仕上げて欠片さんに渡してください。いいですね?」

「はァ……?」

 有無を言わさぬというのはこういう状況を言うのだろう。ハルゼイはにこやかな笑みをうかべたままで眼鏡をもう一度光らせた。

「私はガムとキャンディの作成に入ります。時間がありませんので失礼します。」

「ガム?キャンディ??」

 まるで難しい数式の解を見つけた少年のような、そんな瞳の輝きがハルゼイにはあった。颯爽と立ち去っていくハルゼイ。

「……で、ナニ?」

 取り残されたアイヴォリーの問いに答える者はもう誰もいなかった。

九十三日目:夜
「アイ兄ちゃんは、足手まといだった時期は……小さい時見上げた誰かはいなかったの?」

 夜、アイヴォリーは妙なモニタの前に座っている。辺りには所狭しと何に使用するのかも良く分からない機材が並んでいるのだが、どうやらそれは何ならの法則によって効率的に並べられているようで、あくまで整然としていた。壁際に並べられた機材の群れは、あたかも古代の大図書館か、もしくは博物館か何かのような印象すら与える。

「ウィンド殿、返信はそこのボタンです……いやいや、そこは触らないでください。」

 アイヴォリーはハルゼイのラボにいた。噂には聞いていたのだが、実際にこうして訪れるのは初めてだ。これだけの機材を島の中で調達したというハルゼイに、アイヴォリーは密かに舌を巻いた。もっとも、そのほとんどは用途すらアイヴォリーには分からないものだったのだが。目の前にはルミィの顔が、モニタに映し出されていた。スピーカーからは彼女の声が聞こえている。どうやら通信装置らしい。
 アイヴォリーは、ルミィと天幕に対する遣り取りを行っていた。ハルゼイとアイヴォリーが彼の英雄グババ──つまりは彼女の育ての親にして祖父──の話をしているのを、彼女は聞いてしまったのだ。彼らが“クソッタレ”と呼ぶあの組織に、かつて傭兵を纏め上げた老練な猛者がいるのは確からしい。それゆえに、ルミィは彼女なりにそのドワーフのことを案じ、こうして彼らの中に入ってきてしまったという訳である。
 無論、ハルゼイもアイヴォリーもルミィに無茶は止めるようにと諭した。彼ら二人には各々天幕との因縁──ジンクのことが発覚した現在では、それは恨みと呼べるものにまでなっていた──がある。そして、何よりも彼らはいざという時の覚悟がある程度はできていた。だが、ルミィはまだ幼く、これからがある世代である。さらに二人ともが何らかの形でグババに恩とでも言うべきものがあったために、彼女を危険に晒す訳には行かないのだった。だが、ルミィの幼さは裏目に出ていた。彼女は純真さゆえの頑なさでハルゼイとアイヴォリーの中に混ざってしまったのだ。もちろん彼女も年以上に優れた一流の戦士であることは異論はない。共に戦えば強力な味方であるのは分かっている。だが、相手が相手だけに彼らにとってこの少女はある種の頭痛の種だった。
 今日も、たまたまハルゼイの近くまでやってきたアイヴォリーがルミィを説得しようとしていたのだ。だが、言葉を渋るアイヴォリーに彼女が突きつけた言葉がそれだった。

「オレの周りニャ、クソッタレしかいなかったさ。見上げるようなダレかナンていなかったんだよ。死ぬホド殴るクソッタレ教官と平気で裏切るクソッタレ同級生はいたケドな。」

 アイヴォリーはかつてのことを思い出すかのように目を閉じ、自嘲に近い笑みを口元に浮かべながらそう吐き捨てた。あの、死と隣り合わせの訓練だけが永久に続いて行くと思われた時代、アイヴォリーには尊敬に値する人物などあろうはずがなかったのだ。それからアイヴォリーは閉じていた目を開けると、モニタの中のルミィを見据えて言葉を継いだ。

「オレはな、そんなクソッタレドモの中で生き残ってきた、言うなリャクソッタレの中のクソッタレさ。アサシンてのはな、そういうコトナンだよ。」

 スラムの中、他の者たちと同じように行き倒れていたアイヴォリー。もしかしたらあの時にアサシネイトギルドに拾われていたのは自分ではなく隣にいた少年だったかも知れなかったのだ。だが、幸運にも──もしくは不運にも──その時にアサシネイトギルドが助けたのはアイヴォリーだったのだ。

「じゃあなんで今でもしーふなの?」

「シーフとアサシンは違うッ!」

 何気なく口にしたルミィが驚いてひっくり返るような、それほどに唐突な叫びをアイヴォリーは思わず口走っていた。だが、自分で気付いた時には既に遅かった。そして、一度口にした思い──想いは自分でも止められなかった。

「イイか、盗賊と暗殺者は似てるようだケドな、全然逆のモンだ。暗殺者は殺す、盗賊は生かす。アサシンは死ぬ、シーフは生きる。ぜってェの開きが、そのアイダニャあるんだよ。」

 “流れる風”。かつて、彼は自分のことを通り名でそう名乗った。本名も知らず、ただ僅かな、朝から昼までの半日を過ごしただけの若い男。
 彼はただ、使わなくなって中途半端に埋められ、上を板で塞いであっただけの“トラップ”に落ちた少年を見つけ、彼を抱えて簡単に井戸の壁面を駆け上がった。“流れる風”にすれば、普段やっているような離れ業に比べれば児戯にも等しい高さだったのだろう。だが、少年にとっては絶対に上がれない壁であり、その時の彼にとっては死の象徴だったのだ。その絶望の壁を、一跳びで自分もろとも超えてしまった男。それが“流れる風”だった。
 男は自分のことを、唯の盗賊だ、そう言った。盗賊は名前なんて持っちゃいない、でも呼びにくけりゃ“流れる風”とでも呼んでくれ。そう言ったのだ。少年は男を賞賛の籠った眼差しで見上げ続け、彼が仲間たちと街から旅立つその間、ずっと手を振り続けた。

「俺か。俺は唯のシーフさ。大層なもんじゃない。」

 彼は、そう確かに言ったのだ。そして、アイヴォリーは長い月日の後にようやくアサシンという職業から解放されたその時に、初めて自分をシーフだと名乗った。唯のシーフだ、と。それからずっと自分で思い続けてきたのだ、自分は暗殺者でなく、唯のシーフだと。

「その人……きっとかっこよかったんだね。あたしのじいちゃんみたいに。」

「あァ、アイツはサイコーにカッコよかったさね。」

 ぽつりとルミィが言ったその言葉に、アイヴォリーは昔の懐かしい光景を大切に味わうように思い出しながら答えた。そう、彼はアイヴォリーが唯一“見上げた人”だったのかも知れない。
 回想から戻らないアイヴォリーをよそ目に、真摯だったルミィの顔つきが歪んだ。その表情は、敢えて言うならアイヴォリーが人狩りを罠に嵌めた時の表情に近いものだろうか。

「じゃ、その人が天幕にいたら助けに行くでしょ?行くよね?」

 画面いっぱいにルミィの顔が大写しになって迫ってくる。アイヴォリーはしまった、という表情を浮かべたが既に遅かった。

「ぬあァァァァ、ウルセェ!ウルセウルセウルセ!」

「ほっとかないよね?ね?」

 まだまだ続きそうなルミィの精神攻撃に、アイヴォリーは手当たり次第にボタンを押しまくって回線を切断する。後ろから覗き込んでいたハルゼイの顔が青褪めているような気がしたがアイヴォリーはそれどころではなかった。

「ヤレヤレ、仕方ねェな……説得するツモリがハメられちまったじゃねェか……。」

 がっくりと項垂れてアイヴォリーが力なく呟く。アイヴォリーが設定を無茶苦茶にしてしまった通信機の再調整を行っていたハルゼイは、そのアイヴォリーの様子に苦笑した。

「いや、ウィンド殿にもそんな時期があったんですねえ……。」

「ウルセウルセウルセ~~ッ!!」

 ハルゼイが思わず口にしてしまった一言がアイヴォリーに止めを刺したのか、アイヴォリーはひたすらそれを連呼しながらハルゼイのラボから逃げていった。

九十四日目:朝
「こうやってたまには綺麗な栄養素も補充しないと寿命が縮まりそうな気がしてねぃ。」

 いきなり訪れた紅茶の妖精は、そうやってけらけら笑っている。アイヴォリーの歌を聴いた後のことだった。アイヴォリーはあからさまに嫌そうな顔でディンブラをジト目で睨んでいた。

「キレイな栄養ねェ。へ、殺しまくって殺すのにアキたようなアサシンの歌でもキレイだってか。」

「あぁ、少なくともお前は覚悟が出来てるからな。」

 ディンブラの唐突な言葉に、僅かにアイヴォリーが動揺する。覚悟ほどアイヴォリーから程遠いものは無いといって良い。いつも迷っては一歩踏み出し、やはり戻り、またそろそろと足を出す、そんな生き方をしているアイヴォリーにとっては。だが、アイヴォリーはそれを押し隠して言葉を返した。

「キレイな栄養素が人の想いなら、汚ねェ栄養素ナンて有んのかよ?」

 アイヴォリーの言葉に、ディンブラは獣のように口を歪ませて笑うと一言、人間とだけ答える。頭痛がしてきた振りをして、アイヴォリーは頭を抱えた。
 そう、人ほど汚れたものはない。私利私欲で人を騙し、時によっては殺す。彼らに言わせれば、生きるためだけにしか殺さない動物たちの方がよっぽど純粋なのかも知れなかった。さらに突き詰めて言えば、人間を綺麗にも、汚くもするのは、その想いのベクトルの違いなのかも知れない。アイヴォリーはふと思った。

「別にきたねェんでもイイケドな、ハラが減ってもオレは食うなよ。」

「まずそうだよなぁ……まぁ毒入りでスパイシーかも知れないけど。なぁ?」

 ディンブラが相づちを求めて振り返る。そこにはネオンがいた。

「ひっさしぶりだネ~♪
 寂しかったヨ。久しぶりにおてあわせしようヨー?」

 その様子を見たアイヴォリーは、振りではなく本当に頭痛がしてきて再度頭を押さえた。泣きっ面に蜂とはいうが、本当にろくでもない時にろくでもないことが重なるものだ。

「オマエらな……今オレがどういう状況か分かってんのかよ?
 森だぞココは。遺跡のだ。ココニャ発光体が現れて、倒したヤツニャ成長促進の恩恵がある。だケドな、発光体ニャランクがあってソイツらは段々強くなってちょうどその四回目の挑戦でオレたちはこのマエ負けたトコなんだよしかもそのリベンジが今からで今日の夜ニャ真剣勝負だッつってんだろがごるァァァァァッッ!!」

「お~、すごいすごい。さすがの肺活量だなアイちゃん♪」

 すごい剣幕で捲し立てたアイヴォリーの意見は全く参考にされなかったらしい。全く関係ないところを賞賛してぱちぱちと手を叩くディンブラと、準備体操なのか身体を伸ばし始めたネオンを見て、アイヴォリーは溜め息を吐いた。

「まぁちょうドいいよネ~?
 スペードの前哨センになるんじゃナイ?」

 地面に座って足を伸ばしながら平然と駄目押しをしたネオンに、アイヴォリーは諦めたようにもう一度溜め息を吐いてみせる。やはり彼らには何を言っても無駄らしい。

「ヤレヤレ……仕方ねェな。ソコまで言うんならヤッてやるよ。その代わり、ホンキで行くぜ?」

「そうこなくっチャ♪」

 嬉しそうに呟いたネオンは、座ったままの状態から掻き消えると即座にアイヴォリーの眼前に現れて手刀を繰り出してきた。それを躱したアイヴォリーが、ネオンの腕を引き込んで地面に引き倒す。すぐに消えたネオンがアイヴォリーの後ろに現れた。

「ダメだヨ、返シ技じゃ?」

 横薙ぎに払われた拳をしゃがんで避け、アイヴォリーはそのまま前に小さく跳ぶ。背中を見せたままのアイヴォリーをネオンが追いすがろうとしてさらに一歩踏み出したところで黒煙に包まれた。

「シーフの鉄則、勝てば官軍ッてな?」

 黒煙に振り返ったアイヴォリーの足を、さらに後ろに現れたネオンが低い体勢で払った。不意を付かれて倒れこんだアイヴォリーにネオンの足が落ちてくる。転がって躱したアイヴォリーが、膝を付いて半身を起こした時にはもう一撃綺麗な中段蹴りが待っていた。

「ッつッ……。」

 両手を交差させ、相手の蹴りの勢いで自分から後ろに吹き飛んで威力を殺す。空中で身体を捻って体勢を立て直したアイヴォリーは、着地点辺りにネオンが現れたのを見た。

「あ~、ソコもワナだぜ?」

 ネオンが巻き込まれた落とし穴の横に降り立つと、アイヴォリーは背中から突き出された手刀を腕で巻き込み、ネオンの腕を引いて穴に叩き落そうとする。だが案の定ネオンは先に消え、穴を挟んだ反対側に現れた。

「ダメだって、返シ技じゃ。」

「ッつーかワナにかかったらスナオに落ちろよなァ……。」

 思わず苦笑混じりにアイヴォリーが呟くと、その隙にネオンが後ろに現れた。獣のように手を地面について伏せた格好で現れたネオンは、アイヴォリーの背中を見上げて笑みを浮かべる。

「ッていうカ、ホンキなら武器使ってヨ?」

 そう言ったネオンの右手は、アイヴォリーの右足に佩かれた真新しい短剣の柄にかかっていた。それを見て、アイヴォリーが蒼白になり叫ぶ。

「あァッ、ソイツはダメだネオンッ!」

「いっただキ~♪」

 ネオンがその、翼が意匠された短剣を抜き放った直後に、辺りは紅蓮の業火に包まれた。

   +   +   +   


「お前なぁ……。」

「だからヤメロッつーったろーがよ。」

 魔法障壁で炎を防いだディンブラが白い目でアイヴォリーを見ている。ネオンも咄嗟に消えたので僅かな火傷で済んだようだった。アイヴォリーはそのことに安堵していつもの人を食ったような笑みを浮かべてみせる。

「じゃなくてな……何で紅術の効果が俺にまで及ぶのか、俺はそれが聞きたいぞ。」

「それはディン君も敵だと思わレてるからじゃナイ?」

 お~、と賞賛の声を上げながらぱちぱちと手を叩くアイヴォリー。余程戦いの前にやられたのが気に入らなかったらしい。

「良く分かったな。アレは敵全部を巻き込む効果でねェ、見境ねェからな。」

「見境がないのはお前じゃないのか?」

 引き攣った笑みを浮かべながらディンブラがアイヴォリーに詰問する。どうということのない程度の炎上効果だったのだが、観戦モードでいたのをいきなり燃やされそうになったのだから無理もない。

「オレだって遊んでるだけじゃねェんだよ。負けるワケニャイカねェ相手だっている。そういう相手と戦うときニャ、こういうモンがいるッつーコトさ。」

 そのふとしたアイヴォリーの真剣な調子に、それまで調子の良い笑みを浮かべていたディンブラがすっと笑みを消した。自分の方に向き直ったアイヴォリーに対して、その真紅の瞳を迎え撃つようにディンブラも蒼い瞳で見つめ返す。

「ディンブラぁ。」

 その声は、彼の表情に比べてみれば非常に気の抜けた、気安いものだった。だが、アイヴォリーは自分で勝手につけた愛称ではなく、彼のことをしっかりと、名前で呼んだ。

「オマエは……オマエはあの島へいかねェのか?
 みんなが戦ってるあの島へ、いかねェのか?」

 アイヴォリーの瞳の色はあくまで優しい。だが、そこに問い詰めるような、非難するような響きがあるのもまた真実だった。今、“あの”島では、空から落ちてきたものに対して、島の住人たちが力を合わせて戦っているのだ。そして、その資格がないアイヴォリーに対して、ディンブラは資格を持つ者──宝玉を規定数以上に持つ者──だった。アイヴォリーが、他の仲間たちのために駆けつけたくてもそれを許されない場所へ行くことが、ディンブラには出来るのだった。その、アイヴォリーの嫉妬か羨望にも似た眼差しに対して、ディンブラはそれを平然と受け止めるようにして笑みを浮かべたまま言った。

「そうだねい。島がどーなろうと俺には興味はない。」

「オイオイ、オレたちはその島で三ヶ月も暮らしてきたんだぜ?」

 そのアイヴォリーの言葉を聞いて、ディンブラはある種冷たく、嘲りにも似た笑みを浮かべてみせた。それは、きっとアイヴォリーには伝わるだろうと思ったから。

「形あるものな……いつか滅ぶんだよ。
 それに今のとこ、俺には色々面倒見なきゃいけない奴らがいるから、な。」

 そういったディンブラの顔には、あくまで気負いはない。ただ彼の表情には、自分に信頼を寄せる者への愛情と、確かな覚悟があるだけだった。永遠とも言える時間を生きる者は、いつか別れを経験する。それは避けられない。アイヴォリーは、もっとも大切なものとの別れこそ経験しなくて済むのかも知れないが、それでもその事実は、彼が知っておかなければならないことだった。
 そのディンブラの言葉に対し、アイヴォリーは目を伏せる。まるで、拗ねた子供のような目で彼は、僅かな、それでも必死のいつもの笑みを浮かべて、アイヴォリーは搾り出すようにしていった。

「オレは、大切なヤツらが戦ってるのを横で見てるだけってのニャ耐えられねェ。
 ケド……ケド、ディンブラの言うコトくレェは分かってるさね……。」

 それからどうにか、アイヴォリーは顔を上げてやっといつもの微笑みで、ディンブラの目を正面から見つめ返した。捻くれたその笑みは、いつもの彼一流の仮面でその心を隠しながらも、それでもディンブラにはその若さが痛いほど伝わっていた。
 だから、ディンブラもいつものように笑った。

「へへ、アリガトよ。まァオレも、自分のデキるコトを、最後までヤるだけさね。」

 まァ見てなよ、そう呟いてアイヴォリーは風と翼が意匠されたダガーをブーツに収め、もう一度ニヤリと二人に微笑みかけた。島には、宇宙から来た者がその所有権を主張して降臨している。島が沈む日は近い。それでも二人の間には、最後まで変わらぬ遣り取りが続くだろう、アイヴォリーはそう感じてもう一度微笑んだ。

九十四日目:昼
「しかし……スペードが卒業試験とは難儀なものですね?」

 自らの相棒を調整していたハルゼイが苦笑しながら言った。かく言う彼も以前スペードには痛い目に合わされている。いずれリベンジを果たさなければならない。

「アンタもソイツはお互いサマだろ?」

 苦笑しながら砲塔に腰掛けていたアイヴォリーがそう言った。彼は遺跡の遥か向こうを見透かそうとでもいうのか、砲身の向けられた東の方を腕組みをしたままでずっと見つめている。

「サトムたち……ウマくヤッてるとイイんだケドな……。」

「彼にはこんな島で倒れられては困りますよ。これから先、もっと厳しい戦いが待っているのですからね?」

 ハルゼイは他人事のようにしてそう言った。この先、島を出れば本格的に天幕への反攻作戦の実施に入らなければならない。その道のりは、この島での生き死にとは比べ物にならないほどに厳しいものになるはずだ。

「まァ……アイツも若ェからな。ルミィの嬢ちゃんと一緒で、デキリャ巻き込みたくはなかったんだけどねェ。」

 運命を調律するあの男に言わせれば、それこそは運命なのだろう。だが、アイヴォリーにしてみれば自分がこの島に逃げてきたことでハルゼイやルミィ、サトムまでもを巻き込んでしまったという罪悪感は消えるものではない。

「彼はしっかりと、自分の役目を果たして戻ってきますよ。ウィンド殿も、しっかりと自分の役目を果たせばいい。私がこうやって後方から支援を行うのが現在の役目であるように、人がそれぞれ出来ることは違うのですから。」

「あァ、ソイツは分ってるんだケド、な。」

 ハルゼイやアイヴォリー自身に言わせれば、アイヴォリーの今の役目は、彼にとっての大切なものを守り抜くことに他ならない。それでも、他の者たちが今もこうして島のために戦っているときに自分がその場にいないというのは非常に悔しいことではあった。無論資格以前の問題として、アイヴォリーはたとえメイと二人であの孤島へ行く条件が整っていたとしても、彼女を連れて行く気にはなれない。かと言って彼女をここへ放り出していくことも出来ないだろう。結局今の自分には、彼女を護ることしか出来ないのだ。

「まァ……精々今日の戦いで、イイトコ見せれるようにキアイ入れますかね。」

 準備をするには余りにも短い時間だった。実際には一日があっただけなのだ。それも準備のあれやこれやに追われてろくに訓練すら出来ていない。もっともアイヴォリーに関して言えば、彼自身は薬品調合を多少しただけで大した作業は行わず、もっぱら戦闘訓練と作戦の吟味に時間を割いている。かつて、休息も戦士の仕事だ、という格言もあったが、アイヴォリー自身は充分に身体を休めることが出来た。後は欠片から送られた新しい短剣“風と翼”と今までのキリングダガーの二刀流というかつてのスタイルに戻すおさらいぐらいのものである。
 だが、アイヴォリーの装備とメイの装備の二人分を請け負った欠片と、そして自分の仲間たちの上にアイヴォリーのための薬品まで揃えたハルゼイはほとんど徹夜に近い突貫作業だったはずだ。特にハルゼイは、昨日の作戦立案に始まって、実際に今日彼自身も戦闘を行わなければならない。かなりの強行軍のはずだ。

「オイ、ハルゼイテメェ大丈夫なのかよ?」

「いえいえ、軍人にしても化学屋にしても、ここ一番で無理が利かなければ役に立ちませんからね。」

 そういうハルゼイの顔は、少しやつれてはいるものの精気に満ちていた。確かに彼が言う通りらしい。

「まぁ私が成さねばならない準備も終わったことですし、スペード戦までに一休みしておきますよ。」

 そういうとあくびをひとつ。ハルゼイは鋼鉄の相棒に背中を預けると静かに寝息を立て始めた。

「あァ、アリガトよ。恩にキるぜ。」

 ハルゼイの寝息を聞きながら苦笑を浮かべるアイヴォリー。思えば三ヶ月程度の間に色々なことがあったものだ。そんな中で、彼のような友人が出来たことは非常に幸せなことなのだろう。
 アイヴォリーは静かに砲身から飛び降りると、辺りに警戒用の罠を敷設するために森の奥へと姿を消した。自分に出来ることは大してない。でも、だからこそ、これくらいはしてもいいはずだ。

九十四日目:夜
 薄暗い夜の森。その木々の影を透かして、真紅の薔薇色をした発光体が踊るように乱舞している。その光景は幻想的であり、ある種の美しさを伴っていた。だが、その紅色は死を呼ぶ炎の舞であり、触れるものを焼き尽くす劫火であることを今のアイヴォリーは知っている。
 霞から聞いた話では、その強さは西の島で現れるエージェントにも匹敵するという。西へ行くことを許されなかったアイヴォリーたちにとって、それは勝ち目のない戦いだった。それでも、アイヴォリーたちは再びこの森を訪れていた。
 島が沈む日は刻一刻と迫っている。たとえこの“スペード”を倒したからといって何かが変わる訳ではない。だが、負けたままで終わる訳にはいかないのも、彼らにとってはまた事実だった。
 隣ではハルゼイが、祈りを捧げるように静かに瞑目している。彼もまた以前にスペードに倒されたことがあるのだ。偶然にも同じ日に、同じように二人は前回の雪辱戦に挑んでいた。

「ウィンド殿、リアーン嬢。それでは、ご武運を。」

「あァ……テメェもな。」

 ハルゼイが目を開き、居住まいを正してアイヴォリーに向き直って敬礼した。彼は彼で、戦いの準備をしなければならない。アイヴォリーは木に体を預けたままで、二本指で適当な敬礼を返す。相変わらずの無礼さだった。しかも口の中にはガムまで入っているのだから、これはこれで根性が座っていると言える。ハルゼイが踵を返して自らの“相棒”のところへ向かっていくのを見て、思わずアイヴォリーは苦笑を浮かべた。

「どしたの、アイ?」

 いつも通り肩に腰掛けていたメイが、アイの笑みを見て不思議そうな顔をして尋ねた。それに答えずに、アイヴォリーは口の中のガムを風船のように自分の息で膨らませ、口でその大きさを変えて遊んでいる。その風船は、夜の闇にも劣らぬ漆黒の色をしていた。

「わっ!」

 風船に驚いたメイが“特等席”から転げ落ちそうになるのに腕を出して助けてやる。それと同時に、アイヴォリーの作っていた風船が弾けた。

「うっわ~……アイ、顔が……あはは……ふふ……」

 支えられたメイが改めてアイヴォリーの肩に腰掛けると、アイヴォリーの顔を見て笑い出した。弾けたガムを拭い取りながら、まだメイは笑っている。アイヴォリーは苦笑を浮かべたままで、メイにされるがままになっていた。
 だが、その瞳は笑っておらず、ただずっと、発光体へと向けられたまま揺るがない。舞い踊るスペードを視線で殺そうとでもするようにして、ただアイヴォリーはそれを冷たい視線で見つめていた。

「軍人ッつーのは、どうもおカタくていけねェやな。」

 唐突にアイヴォリーが呟いた。発光体へと向けていた視線を、ハルゼイが消えていった夜の闇へと向ける。もうその闇は、アイヴォリーの瞳でも見透かせないほどに濃く、ハルゼイとはかなり距離が開いている。彼は彼で、自分の戦いがあるのだ。
 だが、この二日間でアイヴォリーは彼から充分な支援を得ていた。彼が口にしているガムもそのひとつだ。ブラックガムは、自らの感覚を鋭くすることで、効果的に状態異常を叩き込むことが出来るようになる特殊な薬だった。同じように抵抗を上昇させるキャンディ、一時的に打撃力を増すパワーC、身のこなしを軽くするスピードC。アイヴォリーは暗殺者時代にも劣らぬほどの薬品を今日一日で服用していた。全てはスペードに勝つためだ。

「よっと。」

 反動をつけて立ち上がると、アイヴォリーはブーツに佩かれたダガーの鞘を確かめる。アイヴォリーは鞘から静かにダガーを抜き放つと、その刃を僅かな光に翳すようにして確かめた。欠片から送られたその新しいダガーは、柄に絡み合う風が、つばには翼の意匠が施されている。風と翼、アイヴォリーとメイの象徴だ。白銀の柄と、目立たぬように輝きを抑えられた刃。微かに刀身が赤く見えるのは、彼が付与した魔力──紅術と呼ばれる魔力付与──のためだった。右のブーツにそのダガーを戻す。左のブーツには、いつものパリィングダガーではなくこれまで使っていたキリングダガー──架那が鍛えた、“喪失を告げる囁き”──が佩かれていた。暗殺者の時代と同じく、この戦いでは防御よりも攻撃を、アイヴォリーは優先しているのだ。こちらにはいつもの昏倒毒と睡眠毒が塗り込まれている。“風と翼”に仕込まれた麻痺毒、そしてシルバークラットの石化毒も合わせれば都合四種類の毒が、彼の両の獲物に仕込まれていた。

「ヤレヤレ……ソロソロ行く、か。」

 ガムを噛みながらそう呟いたアイヴォリーは、急に顔を顰めると口の中のガムを地面に吐き捨てた。にやり、といつもの笑みを浮かべて、ハルゼイが歩き去った方へと再び視線を送る。

「アジだけは、もうちょっとマシにするように言っとかなキャな。」

 再び苦笑を浮かべるアイヴォリー。正面の発光体に視線を戻すと、二人はゆっくりとそちらへと向かい歩き始めた。

   +   +   +   


「行くぜ、メイ。」

 小さく呟いて彼女を促すと、メイが肩から飛翔するのと同時にアイヴォリーは発光体に向かって疾走する。充分に戦闘距離だ。低い姿勢から、アイヴォリーは左右のダガーを同時に抜き放つと一直線に発光体へと跳躍した。振るわれる軌跡に赤い残像が、炎を走らせたように微かに残る。

「シロガネの……一撃ッ!!」

 振り抜かれた右手を追うようにして、逆手に構えた左手が撫でるように発光体を切り裂く。空中ですれ違ったアイヴォリーは、そのまま木の幹を足場にして通り過ぎた発光体を見下ろす。石化毒が白っぽく広がっているのが見えた。同時に他の毒も叩き込んだが、どれだけ効果があったのかは分からない。一跳びで抜けた発光体の向こう側、メイが詠唱する呪文に合わせて彼女の周囲に複雑な魔法円が白く輝きながら浮かび上がっている。禁魔術の奥義が発動されようとしていた。それだけのことを、アイヴォリーは幹を蹴るまでの僅かな間に見て取った。薬による効果で感覚が普段よりも研ぎ澄まされているのがアイヴォリー自身にも感じ取れた。

「風よッ!」

 暗殺者の訓練法とエルフの精神を統一する方法から編み出した、独自の技でアイヴォリーが“風”を纏う。そのまま滑空して振りぬいた刃が赤く、煌きを放って炎を辺りに振りまいた。

「いっけえーっ!」

 アイヴォリーが着地すると同時にメイの詠唱が終わり、次々に彼女の周りを異形の者たちが包む。“業魔殿”の名を与えられた禁魔術の奥義が異界に封じられていた様々な者たちを呼び起こし、あっという間にスペードはその異形に飲み込まれた。

「ヤッたかッ?!」

 呼び出された魔物たちが消えていく中を見透かすように、アイヴォリーが上空に目をやる。だが、スペードはまだ消えてはいなかった。

「クソッタレ!」

 アイヴォリーが再度跳躍した。戦いはまだ始まったばかりなのだった。

九十五日目:朝
"Retake"─Do you have a dream?─

「えっと、お嫁さんにして下さいって……言うのかなぁ?」

 メイの言葉はいつも唐突だ。そして、アイヴォリーを驚愕させるのもいつもと同じだ。間抜けな叫びを上げたアイヴォリーは、彼女が発した言葉の意味を理解するために間抜けな顔のままでしばし固まった。

そうそう、あの時はビビッたぜ……。マトモに答えもデキなかったか……

 だが、すぐに意図を理解したアイヴォリーは、メイの俯いた小さな顎に人差し指をかけ、優しく自分の方へとその目を向けさせる。メイが恐る恐る見上げたアイヴォリーの瞳には、いつもの茶化すような笑みすらなく、真紅の瞳は唯真摯な色を湛えていた。

「メイ、オレでイイのか?」

そうそう、マッタク会話になッて……ッてえええッ?!

「あ、あのねっ!
 ルミィちゃんにプロポーズの事話して、色々勉強したの♪」

 メイの瞳は切実さすら伴って痛々しい。その瞳を真正面から受け止めて、アイヴォリーは優しく微笑んだ。

「安心しろ、メイ。オレはドコへもいキャしねェ。ずっとオマエのソバにいて、オマエを護る……。」

イツだッ!イツそんなコッパずかしいコトをオレが言ったッ!!

 その普段からは想像も出来ぬような真剣なアイヴォリーの様子に、メイは安心したようにして静かに瞳を伏せ、ゆっくりと閉じた。

「王子様のキスがないと目覚めないんだよ?
 このお約束は、ぜったいふへんの真理なんだぉ。
 これが出来なきゃ、度胸無さそうなおにーさんに格下げしちゃうぞ。」

 いつかルミィに言われた言葉が甦る。そんなことを言われずとも、アイヴォリーはその時がくればそうするつもりだった。目を閉じたまま睫毛を振るわせるメイの小さな顔を目に焼き付けて、アイヴォリーも静かに瞳を閉じる……

   +   +   +   


「アイちゅわ~ん♪」

「ッてうわわわわッ!!!」

 目の前に大写しになったディンブラの顔に、アイヴォリーは良く分からない悲鳴を上げながら飛び起きた。危うくディンブラと接吻けしそうになって、普段でも見られないような驚異的な体勢でディンブラの顔を躱すと、起き上がって彼を睨むアイヴォリー。

「テメェ、イツからいたんだよ?」

「いや、最初から。いや~、アイちゃんってば大胆な夢見るのなぁ?
 しかも本人に了承無しで、なぁ?」

 我慢できないほど可笑しいといった様子で、アイヴォリーの肩をばしばしと叩きながらディンブラは豪快に笑い転げている。それを聞いてアイヴォリーの表情が引き攣った。

「テメェッ、ユメん中ノゾいたのかよッ?!」

「いやいやいや、あんまりアイちゃんが悶えながら寝てるもんだからさぁ、悪夢だったらかわいそうだな~と思って眠りの精に頼んで行ってみたらな?
 うはははは……ひ~……」

 最早硬直してしまったアイヴォリーからは言葉すら出ない。毒使いが石化している様子など間抜け以外の何物でもないのだが、まさにアイヴォリーは“石化”していた。

「いやっはっはっは……そーか、アイちゃんも身を固める気になったかぁ!
 うひゃっひゃっひゃ……」

 相変わらず硬直したままのアイヴォリー。まだ笑い続けているディンブラは、アイヴォリーに駄目押しで止めの一撃を見舞ってやることにした。

「そうだな、なんなら俺が式進行してやろうか?
 いや~、精霊の王族に司会進行してもらえる奴なんて滅多にいないぞ?
 良かったな、うわはははは……。」

「ディンブラ……?」

 ぎぎぎぎぎ、と壊れた機械のように、不自然に首だけを回してディンブラの方を向くアイヴォリー。もっとも、壊れていないかと言えばこの場合そうでもないので当たらずとも遠からずといったところではあった。妙に無表情のまま、アイヴォリーはゆらりと立ち上がった。低い姿勢を保ったままで、暴走した人型決戦兵器のような体勢になっている。

「いや~、うはっはっはっは……」

「……とオサ……す……クゴは……たか?」

 しゃり。極々小さな音で、アイヴォリーの両ブーツからダガーが静かに抜き放たれ。

「どぅるぁがぁぁぁぁッッ、ディンブラ、待ちヤがれ~~~ッ!!!」

 そうやって、いつも通りの──いつもよりは少々過激だったかも知れないが──二人の追いかけっこが早朝から始まったのだった。さすがの騒ぎに眠い目を擦りながら、寝惚け眼のメイがテントから姿を見せる。

「ふわ~ぁ……アイ~、お客さん~……?」

「アイちゃんがな、アイちゃんがなっ!」

 危うく顔を反らせた、叫び出しそうなディンブラの口元を鋭い音とともにダガーがすり抜ける。後ろの大木にそのダガーが突き立ち、一体どんな毒を仕込まれているのか大木はどろどろと溶解して一瞬前の立派な姿からただの粘液の塊へと姿を変えた。

「待てッ、神妙にしヤがれッ!
 ソコへナオれ~~~~ッ!!!」

「断るっ、今お前に捕まったら拷問どころじゃ済まないだろっ?!」

 相変わらず笑い声を上げながら木の奥へと駆けていくディンブラを、野生動物のように壊れたアイヴォリーが追いかけていった。そして、辺りには早朝の静寂が戻る。

「??」

 まだ眠たそうな目で首を傾げ、ハテナマークを頭に浮かべるメイだけがその場に残されていた。

九十五日目:昼
 ようやくアイヴォリーたちは、以前ハルゼイたちとキャンプをともにした砂地へと帰ってきた。さすがに疲れたのか、アイヴォリーは荷物を下ろすのもそこそこにどっかりと地面に直に腰を下ろす。無理も無い、メイのパンデモニウム二連撃が去った後を引き継いでひたすらシルバークラットを撃ち続け、ようやくスペードを固めて倒したのだ。最後の辺りでは集中力が尽きるぎりぎりのところで、何とかメイの攻撃と石化毒によって相手が根負けしたような具合だった。そもそも、アイヴォリーの石化毒は揮発性の薬品の占める割合が大きいために、すぐにダガーを鞘に戻し毒を刃の上に新たに補充してやらなければならない。純粋に挙動が増えるということはその分疲労の度合いを増す技だということでもあった。その技を延々相手に打ち込み続けたのだ、さすがのアイヴォリーも冗談抜きで疲れていた。

「ウィンド殿、リアーン嬢、お疲れ様でした。そしておめでとうございます。」

 ハルゼイがやってきて、律儀に頭を下げる。アイヴォリーは言葉を返すのすら億劫で、メイの方を振り向いてにやりと笑みを浮かべると、ハルゼイに向けて無言で親指を立てて見せた。

「イヤ……悪ィな。オレたちの分までヤッカイゴト背負わせちまったせいで……。」

 うつむいたままでアイヴォリーが呟く。そう、ハルゼイ自身は昨日のスペード戦で敢え無く敗北を喫したのだ。それがアイヴォリーにとっては気がかりだった。

「いえいえ、卒業試験ですからね。まだ時間はあります。三度目の正直という奴ですよ。」

 穏やかに微笑むハルゼイ。ようやく顔を上げたアイヴォリーが、疲れた様子でハルゼイを見上げた。

「で、ホントにヤるのかよ?」

「大丈夫ですか、ウィンド殿。何でしたら今からでも彼女に断りの連絡を入れてきますが……。」

 疲弊した様子のアイヴォリーの問いに対してハルゼイが逆に聞き返した。彼が問うたのは、今日の昼に決まった夜陰との決闘の話だ。スペード戦が終わってハルゼイたちに合流したアイヴォリーに、彼女が申し込んだのだ。

「オイオイ、レディの誘いを断れッかよ。第一ねェさんの方はジョーカーとヤッて来たんだろ。向こうにそう言ってやりてェぜ。
 それにな、アサシンッつーのは、ココイチバンでムリが利かねェと商売にならねェんでな?」

 “レディの誘い”という、いかにもアイヴォリーらしい言葉を聞いてメイがくすりと笑みを漏らした。そして昨日のハルゼイの言葉をそのままに返したアイヴォリーに、ハルゼイもまた苦笑する。

「分かりました。ではそうですね、私は観戦席で楽しませてもらうとしましょう。」

 苦笑を浮かべたままで軽く敬礼してハルゼイはキャンプの設営のために去っていた。戦闘工兵の部隊にいた彼にとっては、こうした普段の生活も仕事の一部であるのだ。それを見送ってから、アイヴォリーはメイを振り向くともう一度いつもの笑みを浮かべて見せた。

「メイ、シッカリ応援頼むぜ?
 ……ソレまで少し、休むとすッか……」

 すぐに寝転んだアイヴォリーからは寝息が聞こえ始める。優しく笑ったメイは、そっと長く伸びた彼の白い髪をかき上げる。

「……アイ、キャンプどうするの?」

 だが、その声はもうアイヴォリーには届いていなかった。

九十五日目:昼
 マズ、危険なのはあのねェさんのウデから繰り出される一撃が重いッつーコトだ。ウッカリイテェのを貰っちまったら、ソレだけでも体格で負けてるオレは不利だ。第一、装備の質は向こうの方がイイ。筋力とエモノのキレが相乗的に効果を生む。デキるだけ貰わねェコトに越したコトはねェ。ッつーコトはイツも通り、相手を動かさせずに封じ込めるラッシュしかオレにメはねェッてコトだ。
 ソレに、あの“吸血鬼への制裁”ッつームチはヤベェ。昨日の人狩りと同じで、テキが流した血を本体に還元する。ソレでなくても一撃の軽いオレの攻撃で負わせた傷をアレで直された日ニャ、ホトンド完封もイイトコだ。
 後は、あのねェさんが暗殺術に長けてるッつーコトも注意しとかねェとな。デッドライン──要するにエッジ、死線ッつーヤツだ──が見えるってコトは、オレのスキを見逃さずにえげつねェ一撃を入れてくるッつーコトだ。油断はデキねェ。
 ムチ自体も危険だ。トワインストリングみてェな連打もあるし、第一アレで足を絡め取られたりすリャ行動に支障が出る。ヤッパリ食らうワケニャいかねェな。
 だケド、オレにも有利な点はある。凍結と炎上が効かねェッつっても、毒はソレだけじゃねェ。連撃で麻痺、昏倒、睡眠のドレかが入っていけば充分に相手の動きを封じられるハズだ。ソレに、今のオレニャ宝玉の加護がある。ねェさんは宝玉を持ってねェ分、装備の不利は多少でも補えるハズだ。
 後はそうさな、ワナ次第ってトコかねェ。ラックの女神サマがドレだけオレに笑ってくれるかが勝負の分かれ目ッつートコか。

   +   +   +   


「オンナのナリしたヤツとヤリ合うのは気が進まねェんだけどな……ホントにヤる気かいねェさん?」

「当たり前ですの。覚悟は良いですの?」

 二人が砂地で向かい合っている。遠巻きにするようにして二人の仲間たちが輪を作って彼らを囲んでいた。

「ヤレヤレ、仕方ねェな……じゃちっとばかしホンキで行かせて貰うぜ。見切ってみな、右と左の鎌鼬ッ!」

 低い体勢でアイヴォリーが一直線に彼女へ向かって走り込んだ。両のブーツから音も無く二振りのダガーが躍り出る。二人を仲間たちの歓声が包み込んだ。

九十五日目:夜
「……テキか。」

 常人には聞き取れないほど微かな警戒音。だが、自分で張り巡らせた不可視の要塞に抜かりはない。先日ジンク──ハルゼイのかつての戦友だった男──に襲撃されてから、アイヴォリーの警戒用の罠はさらに緻密なものにされていた。
 まさについさっき、つかの間の休息を得て仮眠についたハルゼイの周囲に、警戒用の罠を敷設してやったところだ。ハルゼイたち自身は、今日の深夜のスペード戦までは移動の予定はない。つまりは、ハルゼイのところへ向かっている何者かが存在するということをアイヴォリーの罠は示していた。

「ヤッカイな時に来ヤがるぜクソッタレ……。」

 自分たちのキャンプからは、その移動方向からして掠める程度で接触はしそうにない。だが、その未確認の何者かが向かっているらしいキャンプの主は、アイヴォリーたち二人のために徹夜で作業を終えたところだ。僅かに目を細めて無言で逡巡すると、アイヴォリーはメイに声をかけた。

「メイ……テキだ、行くぞ。」

「うん……っ。」

 僅かな緊張に眉を寄せ、彼の小さな姫が答える。こちらから打って出る気はなかったのだが、自分のために働いてくれた大切な友人が狙われているとなれば話は別だ。ブーツのダガーを確認すると、アイヴォリーは滑るようにして森を駆けだした。

   +   +   +   


「オイ。」

 樹上に陣取ったアイヴォリーは、敢えて相手に声をかけた。般若の面を被ったその男は鎌らしき武器を抱えている。動物を二匹連れているものの、単独のようだった。不意を突いても良かったのだが、できれば戦わずに帰って欲しかったのだ。メイは基本的に人同士が争うことを好まないのだから。

「こっから先はオレたちのキャンプだ。用がねェんなら近寄るんじゃねェ。」

 それでなくてもアイヴォリーは苛立っていた。食料の確保はもちろん、夜には大切なスペードへのリベンジが控えているのだ。こんな面倒には出来れば関わりたくない。だが、その一方で、獣のように軟弱ではない、それなりの腕試しの出来る相手に対して新しいダガーの出来を試してみたいという気持ちがあることも、アイヴォリー自身感じていた。

「殺すか殺されるか……Dead or Aliveといきましょうか!!」

 ゆっくりと顔を擡げる男。その表情は般若の形相をした仮面に隠されていて分からない。だが、押し殺したような笑いの後に聞こえたのはそんな言葉だった。いつものにやけたそれではなく、皮肉と嘲笑に満ちた冷たい笑みを浮かべてアイヴォリーは吐き捨てるように言った。

「徒党を組んで人を狩る……ケモノだな、アンタらは。」

 その言葉とともに、メイがアイヴォリーの肩から飛翔し、アイヴォリーが跳躍する。男の構えた鎌がぼんやりと光に包まれるのが見えた。神剣の使い手らしい。イヴがアイヴォリーの影から走り出るようにして横へ回り、その白い翼を広げた。戦闘開始。結局人狩りとそれを忌み嫌う者は相容れずに刃を交えるために距離を詰める。

「風はどんな隙間からでも忍び込む。例えば、オマエの鎧の間からだってな。」

 薄い笑みを浮かべたままでアイヴォリーは石化毒を前にいた仮面の男に叩き込んだ。たとえ脅威と言われる神剣の使い手であっても、一人に対して遅れを取る気などアイヴォリーにはさらさらない。死神よろしく黒い外套を纏ったその隙間に“風と翼”を鋭く突き入れ、鼻で笑う。そのまま男をすり抜けると、アイヴォリーは跳躍し、ようやく戦闘態勢に入ろうとしている二匹の獣の内片方に体重を預けるように着地する。バランスを崩して倒れる猿の顎を正面から踏みつけ、背後に近づいた犬をとんぼ返りで飛び越えると石化毒を頭に叩き込んだ。

「自業自得、アンタに救いの術はねェ。死ぬほど後悔しながら死にな。」

 もう一度鼻で笑うと、アイヴォリーは男に向き直る。だが、石化毒の入りが甘かったのか男は両手を広げると不可聴域の音を辺りに放った。

「貴様が逝くか、俺が逝くか……楽しもうではないか!」

 聴覚の限界を超えた音によって相手を朦朧とさせる呪歌の一種だ。直接身体に危害を及ぼす訳ではないが、その振動は脳に負担をかける。放射状に広がった不可視の攻撃にメイがよろめいて地に落ちるのが見えた。アイヴォリーもこめかみに手を当ててその衝撃に耐える。

「クソッタレ、風よ集え!」

 一瞬で過ぎ去ったその衝撃波を耐え抜くと、アイヴォリーは歯を食いしばって集中する。敵はこれでまとめて相手の動きを止め、それから動けない相手を叩く戦術らしい。相手を何らかの方法で拘束し、一方的に攻撃して被害を最小限に減らすというその戦法は、アイヴォリーもそうであるようにこの島での常道のひとつだ。ようやく衝撃の余韻から立ち直ったアイヴォリーの視界に、男が攻撃に出ようとしているのが見えた。
 だが、相手の行動を封じるのはアイヴォリーの得意とするところだ。一歩足を踏み出した男の足元から黒煙が立ち上り、相手の視界を殺す。

「ご苦労さんッ!」

 メイはまだ動けそうにない。メイの攻撃が壁役の動物ではなく人狩り本人に入るように動物たちを前もって排除しておくのはアイヴォリーの仕事だ。もう一度男に肉薄すると、アイヴォリーは相手のこめかみに肘を入れ、相手が仰け反っている間に改めて動物たちに止めを差す。アイヴォリーの頭に冷たい血が流れ込んでいた。暗殺者の性である、殺しに淫する血が。鮮血色の瞳を熱っぽく輝かせアイヴォリーは思わず快哉を上げていた。

「くはははッ、アサシンの奥義をソノ目で見てェのかよ!」

 暗殺者として培われた身体の切れが、今の自分には戻ってきていることをアイヴォリーは実感していた。それはスペード戦のために服用した複数の薬の力だ。だが、アイヴォリーはその力に酔いしれていた。

「切り裂け、シルフの抱擁の如くッ!」

 低い姿勢から相手の懐に潜り込んだアイヴォリーは、その小回りの差を活かして連撃を浴びせていく。相手の血を浴びその瞳はさらに輝きを帯びていた。

「怒涛の如く吹き荒れる嵐、翻弄されてオドッて見せろよォォォッ?!」

 両の手にキリングダガーを帯びたアイヴォリーが、相手の身体を切り刻むかのようにダガーを掠らせていく。もうどれほどの毒が叩き込まれているのかアイヴォリーにも分からなかった。ただ鼠を追い込む猫のように、毒で身動きの取れない相手に延々と連撃を掠らせていくだけだ。

「ボクの本気、見せてあげるっ!!」

 メイを中心に収束する禁魔術の魔力が風を起こし、不意にアイヴォリーを我に返した。気付けばアイヴォリーの周囲を煌く風花のような魔力が包んでいる。アイヴォリーがあまりに隣接しているのでメイは保護の魔法をかけてくれていたのだが、それすら今までアイヴォリーには気付けなかった。メイが魔法を撃ち込むのに合わせて跳躍し、範囲外へと飛び下がる。

「中々に……やってくれる……」

 呟きとともに、ようやくアイヴォリーの乱撃から解放された男がメイに向かって駆け込んだ。威力があり、そして薄そうなフェアリーから落とそうとしたのだ。鎌が神剣の力により輝きを増し、風とともにメイに襲い掛かる。だが、彼女の横にいたサラームがメイの前に出て、攻撃に割り込んだ。遠心力とともに神剣の力で高められた一撃は、サラームを行動不能に追い込むのに充分な威力だった。サラームに突き立った鎌の刃からは流れる血を糧とするように赤黒く輝く魔力が流れ、男に向かって収束したそれは男に活力を送り込んだ。

「一回で済むと思ったら間違いなんだからっ!!」

 だが、目の前で可愛がっていたペットを倒されたメイの目は、珍しく真剣な怒りに満ちていた。禁魔術で生み出された衝撃波が男を吹き飛ばした。

「そっちの運が、悪かったのよ。」

 ぎり、と冷たい視線で睨み付けたメイは、動かなくなった男に向かってそう言い放った。アイヴォリーもまた、わざわざやってきた人狩りに同情してやる気はなかった。

   +   +   +   


 それは昨日の昼、ハルゼイの周囲に警戒用に罠を仕掛けた後のことだった。結局、あの後装備と食料を奪い取ると、アイヴォリーは自分たちのキャンプから離れた辺りで引きずっていた男を投げ捨てた。その拍子に、これを見つけたのだ。アイヴォリーの手の中には、確かに見たことのある赤と青のガラス玉のようなそれがあった。投げ捨てた男の懐から転がり出たそれは、ゆっくりと浮遊するとアイヴォリーの手の中へと飛び込んだのだ。まごうことなき、火と水の宝玉だった。だが、アイヴォリーは奪われてからずっと求め続けていた、自らの足枷になっていたそれを皮肉な笑みで見つめていた。

「ちっとばかし……遅かったかねェ……。」

 切なげな瞳で自分の頭の上を見上げるアイヴォリー。ようやく肩を並べて戦うことが出来ると思ったというのに。もう、光の輪は消えてしまっていたのだった。

九十六日目:朝
 島の崩壊が始まっていた。それは、手始めに複雑な構造を持つ部分から起こっていった。今では島の住人たちを保護する役割を帯びている遺跡。かつては宝玉を秘め隠し、探索者たちからそれを護り、壁として存在していた場所。星の攻撃によっても侵されることなく、外が荒れ野と化したときでも探索者たちに充分な食料を与えていた場所。
 だが、島の大半は宝玉の力によって“創造された”ものであり、その力が弱まった以上、島が崩壊していくのは止むを得ないことだった。そして、宝玉の力により支えられていた複雑な部分である遺跡から、島は崩壊を始めていた。

「ヤレヤレ……次はジョーカー殺せると思ったのにな……。まァ、仕方がねェか。」

 崩壊する遺跡から投げ出され、海に沈んでいくその地域から脱出したアイヴォリーたちは、今では小さな池のようになってしまった風の遺跡の辺──もしくは畔──にいた。溜め息を吐いたアイヴォリーは、今一歩で次々と自らの目的を阻まれたことで切なそうに空を見上げる。今一歩のところで光の輪は消え、今また、今一歩のところでジョーカーとの戦いが叶わなくなったのだ。無理もない。ジョーカーを倒せることもまた、この島においての一定の強さの指標だと言われることもあっただけに、この島での最後の挑戦としてジョーカーを倒すことを目標にしていたアイヴォリーにとってはショックは大きかった。

「仕方ないよ。でも……夜に外にいるのは怖いね。」

 メイが空を見上げて呟く。また星が降ってこないとも限らないのだ。とりあえずは荒野から比較的安全な場所へ移動してキャンプを設営する必要がある。アイヴォリーもまた、その青い空を見上げると小さく舌打ちした。後数日、何としても彼女だけは護らなければならない。本当に逃げ場のなくなった、この島の中で。

   +   +   +   


「あァ……クソッタレ、イテェ……あのねェさんホンキでシバきやがったな……。」

 アイヴォリーは鋭く切り裂かれた傷口に手を当てた。鋭い金属片を混ぜて織り上げられたしなやかな革の鞭は、当たればその部分を切り裂くのだ。それは遠心力でその威力を高められて、質量で物体を断ち切る剣などよりも余程繊細な武器だった。ナイフの如き切れ味を持つその威力を体感してアイヴォリーは毒づいた。

「ヤレヤレ……あァもカテェとはな。オレが非力スギるだけ、か……。」

 いつもの自虐めいた笑みを浮かべて溜め息を吐く。罠も発動しなかった訳ではないのだが、流石に相手の行動を完全に束縛するほどではなかったようだ。そして、アイヴォリーが見落としていた点がもうひとつ。
 彼女は優れた防具の作製師なのだ。思えばこの島に来て、初めて防具を作ってもらったのは彼女にだった。その時に夜陰は言っていたのだ。戦える作製師になる、と。防具を作製する者は、それを自ら作り出すが故にその特性を熟知している。つまり、その防具の性能を最大限に発揮できるということだ。しかも、優れた作製師であるためには器用さに長けていなければならない。それは戦闘の際には正確に相手に武器をもたらし、さらに相手の弱いところを的確に攻撃することができるのだ。身の軽さが一番の身上であるアイヴォリーを持ってしても、そのうねるような複雑な攻撃の軌道からは逃げることが出来なかった。

「も~、ボク酷い怪我して帰ってきたら承知しないって言ったよね?」

 眉を吊り上げて彼の小さなお姫様が怒っている。彼女はアイヴォリーの周りをふわふわと飛んで傷を探しながら、白魔術でアイヴォリーの傷を癒している。それでなくても、アイヴォリーはその能力で彼女の傍にいれば大概の傷は癒えるのだが、それではメイが納得してくれなかった。アイヴォリーは大丈夫だと言い張ったのだが、本気で怒り出しかねないメイの剣幕に敢えて彼女のしたいようにさせ、されるがままになっていた。

「もうっ、こんなに怪我してっ!
 子供みたいなんだから!」

「イテッ、キズを殴るヤツがあるかよッ?!」

 アイヴォリーは苦笑して彼女を捕まえた。痛がってはみせるものの、実際にはほとんど傷は塞がりかけている。妖精騎士の妖精騎士たる所以のひとつだ。彼女をいつものように“特等席”──アイヴォリーの右肩──に乗せると、アイヴォリーはメイに優しく微笑みかけた。

「もう、馬鹿。」

「ん?」

 小声で呟いたメイに、アイヴォリーは微笑んだままで聞き返す。これぐらいの傷はいつものことだ。次の戦闘で倒れることはもちろん、後れを取るほどですらない。怪我の内には入らない程度のものだ。実際に昨日の夜、決闘が終わった後での群れ狩りをアイヴォリーは悠々とこなしてみせたのだ。
 だが、微笑んでいるアイヴォリーの目の前で、メイの表情があっという間に崩れた。怒りに満ちていた瞳が突然に潤んで、一筋頬に跡を残す。

「……いっつもこうやって、前で戦って……怪我ばっかりして……。
 馬鹿!馬鹿馬鹿馬鹿!!」

 その濡れた瞳を隠すようにして、首にかじりついてきたメイの髪を、アイヴォリーはいつも通りに指でかき回す。その瞳の色は、暗殺者“涼風”と呼ばれたそれからは程遠く、“微風”の名で知られたお調子者のそれでもなかった。機械のような無表情ではなく、運命を笑う道化師の笑みでもなく。ただ純粋に愛しいと思う者へ向けられるそれだった。

「ソイツは仕方がねェな。ソレがオレのイチバン大切な、“役目”ナンだからよ?」

 それから鼻で笑ったアイヴォリーは、メイを肩に乗せたまま器用に肩を竦めた。自分の護りたいと思うものを、自らの身体で護る。それは決して苦痛ではなく、彼にとっては自慢できる“栄光”だった。

「そういや、意味シンなコト独りで呟くんじゃねェよ。気になっちまうじゃねェか。な?」

「意味深って?」

 首を傾げた彼の姫君に、アイヴォリーは僅かに寂しそうな顔で呟いた。まるで、そんなことは聞かなければ良かった、とでも言うように。

「独りゴト……言ってたろ。
 ソイツを言うなら“今まで”じゃなくて、“コレからも”じゃねェのか?」

 僅かに拗ねたように、アイヴォリーは明後日の方を向いたままで呟く。だが、それを聞いた白い妖精は突然笑い出した。

「オイ、ナニがオカシいんだよ?」

「だって……あはは……アイ、あれね、大事にしてた弓の事よ。
 アイには、“これからも”一緒にいて貰わなくちゃ♪
 …じゃないと、ボクが困っちゃうよ。」

 くすくすと笑い続けるメイを見て、アイヴォリーが気抜けしたように溜め息を吐いた。自分に苦笑を浮かべて彼女をもう一度“特等席”に戻すと、アイヴォリーは空を見上げる。星から来たものがあるにも関わらず、その空は遠く、そして青い。

「ヤレヤレ……。そうさな。
 さてッ、じゃあ次はドコに行きますかね、お姫サマッ?」

 もう、島は沈み始めている。完全に沈んでしまうまでに幾日もないだろう。それでも、最後まで二人で、この島で。
 そしてそれからも、ずっと“生きて”いく。

「大丈夫、ずっと一緒さ。ずっとずっと、な?」

 アイヴォリーは風を読むように空を見上げると、声を張り上げて宣言した。まだまだ冒険は終わらない。

九十六日目:昼
 ディンブラがやってきた時に、いつもと彼の“風”が違っていたのにはアイヴォリーもすぐに気がついた。だが、いつも通りの笑みを浮かべ、アイヴォリーは彼を出迎えた。

「おゥ、ディンブラ。毎日来るたァ熱心だな。」

 俯いていたディンブラが、珍しく真剣な様子でアイヴォリーを見据えた。それからゆっくりと口を開いて彼は言った。

「エリィが……行っちまう。」

 それだけを言うと、ディンブラは再び俯く。それは、今までアイヴォリーが見たこともないような、ディンブラの、本当の悲しみの表情だった。まるで母親に置いていかれた幼子のような表情で、彼は無理やり笑ってみせた。

「はっ、別れは突然、てな。」

 切り株に腰掛けたまま、アイヴォリーは何も言わない。彼に正面を向けることもせず、片方のダガーを手の中で玩んでディンブラの言葉を聞き流している。

「エリィがいなくなる。……どうやら俺は、思っていたより寂しがりらしくてな。」

「で、テメェも帰るってか。
 まァサバイバルに疲れたカラダニャ、王宮のナマ暖けェ空気も悪くはねェだろうさ。」

 口の端で、嘲笑するように笑みを浮かべてアイヴォリーが呟いた。誰だって一人では生きていけない。アイヴォリーにしてみても、メイがいなければこの島で生きていなかったかも知れない。彼の痛みが分かるからこそ、アイヴォリーはいつも通りの調子でディンブラの言葉を受け流した。痛々しい笑みを浮かべたままで、ディンブラは言葉をつぐ。

「この宝玉、お前にやれたら、良かったのにな。」

 言葉が終わるか否かの内に、鋭く風が動いた。ディンブラに一息で詰め寄ったアイヴォリーは、本気でディンブラに拳を叩き込んでいた。体格ではディンブラに明らかに劣るアイヴォリーだが、流石に格闘に慣れた一撃はディンブラを吹き飛ばしていた。

「……いってぇなぁ、アイちゃん。」

「ざけんじゃねェッ!
 テメェ、オレにケンカ売ってんのか?」

 上半身を起こして口元を拭うディンブラを見下ろして、吐き捨てるようにアイヴォリーが言った。普段のじゃれあいではなく、本当に怒っているアイヴォリーの瞳は鮮血色に染まっている。そのままダガーを抜いて踊りかかりそうな勢いだった。

「どうしたの……?
 っ、ディンさん、アイ、何したのよっ!」

 アイヴォリーの怒号を聞きつけてメイがテントから顔を覗かせた。二人の様子でアイヴォリーがディンブラを殴りつけたことを悟ったらしい。メイは怒りを露わにするとアイヴォリーに詰問する。だがアイヴォリーは、メイには目もくれずにディンブラを見下ろしたまま怒鳴りつける。

「オレはオレが自分で必要だと思ったらブン盗ってでも手に入れる。オレを見クビるのもタイガイにしろよ。」

「アイっ、止めなさいっ!
 ……ディンさん、大丈夫?」

 メイの怒声を聞くと、アイヴォリーは小さく舌打ちしてもう一度切り株に腰掛けた。ブーツのダガーを抜き、再び手の中で玩ぶ。メイが魔法で手当てをしようとするのを遮ってディンブラは僅かに笑みを浮かべた。

「……まァ、テメェがそんなツモリで言ったんじゃねェとは分かってるケド、な。」

 ぽつりと独り言を呟くように、明後日の方向を見据えたままでアイヴォリーが呟いた。それから小さく溜め息をつき、ディンブラのところまで行って手を差し出す。ディンブラは素直にその手に捕まると立ち上がった。

「精々兄弟ゲンカで殺されねェように、な。
 メイは悲しむだろうケド、まァソレでなくてももうすぐオワカレだしよ。」

 ふっと微笑みを浮かべ、アイヴォリーはそう言った。もうその瞳には怒りの欠片もない。瞳の色は、血のそれからいつもの暗い赤に戻っていた。

「ディンさん……帰るのね?
 また……また会える、よね?」

 メイが今にも泣き出しそうな顔でディンブラを見つめる。その涙脆い姫君を後ろから捕まえて“特等席”に座らせると、アイヴォリーはメイの髪を撫でてやった。

「そうさな、マタ会える……イヤ、マタ会おうぜ。あばよ、ヤンチャな精霊の王子サマ。」

 優しい笑みを消し、いつもの捻くれた笑みを浮かべて、アイヴォリーはディンブラに親指を立てて見せた。僅かに俯いて鼻で笑うようにして苦笑を浮かべたディンブラは、それに応えていつものようにぱたぱたと手を振って二人に背を向ける。

「じゃあな、アイちゃん、メイちゃん。二人とも仲良く、な?」

 いつも通りの、二人のやり取り。二人に背を向けて歩き出したディンブラに、アイヴォリーがその背中に向けて声をかけた。

「イツかオレがテメェを呼び出したら、そん時はいうコト聞いてもらうぜ?」

 もうその声に、ディンブラは振り返らなかった。ただその頬には、優しい笑みが浮かんでいた。

九十六日目:夜
 遺跡の崩壊により、地上に叩き出されたアイヴォリーはようやくハルゼイたちと合流した。地上のほとんどは以前の星たちの襲撃によって荒地と化している。僅かに残った砂地に、探索者たちは身を寄せ合うようにして逗留していた。相変わらず空は紅く、空から来たものがこの島にいることを如実に表していた。今日孤島に残っているのは宝玉を合計で五つ以上集めた者たちだけだ。それはつまり西の島で宝玉を手に入れた者ということだ。要するに、その数はかなり少なくなっているのだった。

「あァ、テメェは良くヤッたよ。でもな、コレからはカンタンに自分のカラダを他人に貸したりするんじゃねェぞ。テメェもオトコなら自分の力でナンとかしてみやがれ。」

 アイヴォリーはハルゼイの通信機でサトムと話していた。昨日、リトルグレイと最後の戦いになると予想したサトムは、ギフトを使って暗夜に自分の体を貸し与えたのだ。サトムなりの最高の手段だと思ったのだろうが、アイヴォリーにはあまりそのやり方は気に入らなかった。

「でもそうしなければ何もできないと思ったんですよ。しっかりみんなを守ってみせろって言ったのはアイヴォリーさんじゃないですか!」

 勝手なことを言いながら、自分は孤島で他の者たちとともに肩を並べて戦うこともしていないのだ。さすがに語気を荒げてサトムはモニタの向こうのアイヴォリーを睨みつけた。だが、平然としてアイヴォリーはその言葉に耳を貸す様子もない。

「テメェでデキるコト以上のコトは、どうヒックリ返ったってデキやしねェんだよ。んなコトくレェは自分で分かってんだろ?
 イイか、イチバン大事なのは自分がデキるコトをヤッて、生き残るコトだ。どうやっても生き延びるコトだ。じゃなきゃ、その先はねェんだからな。覚えとけ。勝手にイキがって死にザマサラしたってダレもヨロコんじゃくれねェぞ。」

「それはそうですけど……。」

 だが、言い澱むサトムを見つめてアイヴォリーはふっと笑みを漏らした。それまでの口調とは裏腹に、優しい微笑みだった。

「まァオマエは良くヤッたさ。ソコで少しのアイダ休んでろ。疲れただろ?」

 それだけを一方的に言って、アイヴォリーは席を立った。ハルゼイに向けて、後は任せたぜ、とだけ呟くとアイヴォリーはハルゼイの天幕からさっさと出て行ってしまう。苦笑を浮かべたハルゼイはアイヴォリーの後を引き継いでモニタの前に座ると、サトムに話しかける。

「ウィンド殿も、あれで中々サトム君のことを気にかけているのですよ。」

「ええ、それは分かっています。」

 僅かに俯いて答えるサトムに、ハルゼイは続けて言った。確かに彼はよくやったと、そうハルゼイも思っていた。人にはそれぞれできることが違い、できるだけのことをやるしかない。それで良いのだ。後方支援に徹しているハルゼイはそのことが痛いほど分かっていた。

「とにかくそちらはまだ未開拓です。気をつけてください。こちらでも遺跡の崩壊によって地上に全員が投げ出されました。今夜……何かが起こるかもしれません。充分警戒するように。……私も貴方も、こんなところでくたばってしまう訳にはいかないのですからね。」

「分かりました。そちらも気をつけてください。」

 通信が終わり、ハルゼイは小さく吐息を漏らした。そう、自分もサトムも、そしてアイヴォリーも、こんなところでのたれ死ぬ訳にはいかないのだ。この先、もっと厳しい戦いが待ち受けているのだから。何があっても対応できるように、抜かりのないように。ハルゼイは立ち上がると、自らの相棒の整備に向かった。

   +   +   +   


 自分のテントへと戻ってきたアイヴォリーは、厳しい目を空へと向けた。夜の闇に満ちて暗いはずの空は、血のような紅に染まっている。嫌な色だった。

「メイ、大丈夫か?」

「うん。何もなかったよ。でも……何か起こるような気がする。精霊様が騒いでるよ……。」

 不安そうに瞳を揺らせてアイヴォリーを見つめる彼女に、アイヴォリーは口元に笑みを浮かべて優しく言葉をかける。どんなことがあっても、誰が来ても、この前のように追い返すだけだ。

「“風”が騒いでヤがるな……でも心配すんな。ナニが来たって護ってやるさね。」

 いつものようにメイの髪を掻き回し、テントの中に置かれた机に背中を預ける。今までやってこられたのだ。後数日、どうということはない。アイヴォリーは自分の不安を鎮めようとでもするかのようにして、無意識にメイの頭をかき回しながら必死で自分に言い聞かせていた。リトルグレイで“終わる”のか。何かが孤島以外でも起こるのか、島は沈むのか。何ひとつ分かることはなかったが、アイヴォリーがすることは決まっていた。

“二人で生き延びること”だ。
  1. 2007/05/16(水) 11:56:02|
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歌~:風になりたい/HERO:90~92日

島が崩壊を始め中央の小島に襲撃者が降り立つ中、島の住人たちは力を合わせてその撃退に動き出します。島の意思に呼応して。宝玉を失いながら、少しずつ襲撃者の力を削り、自らも脱落していく探索者たちに力を与えたのは歌でした。
とある歌い手が呼びかけた島の住人全てへの声は、次第に大きな集まりになり、島との時間を惜しむように流れていきます。
そんな中で島にやってきたジンクも、それを撃退したアイヴォリーも、自らの歌を歌っていました。

的な大団円への足音。

九十日目:夜
 歌が聞こえていた。夜の森、しかも人狩りの常駐しているこの場所で。しかもそれは、一人の歌声ではなく複数のものだった。
 それは、一人の少女が提案した壮大な“イベント”だった。同じ歌を、島に生きた者たちが歌う。島というひとつの世界の崩壊を間近にして、生きる喜びを歌う。友と出会えたことを、この島で過ごした日々を、この島で“生きた”ことを。それは、“生きる”と名付けられたこの“イキスギたエンタメ”にぴったりのイベントだった。
 地上では星が降り、ついに島に住む者全てに対して宣告が行われた。それは、島を崩壊させようとする力に対して戦いを挑んで欲しいという、島としての願いでもあった。間違いなく、島に住む者たちを滅ぼすために星は降っていたのだ。そして、宝玉を護っていた守護者たちは、かつて宝玉を探索者たちに託したように、島の命運を探索者に託した。島の東部にあった塩水湖には、いまや隆起した小さな孤島が現れそこに島の崩壊をもたらす者が“降臨”したのだ。崩壊をもたらす者を倒したとしても島の崩壊は最早避けられない。それは彼の紅のローブを纏った男に言わせれば「書き換えられない運命」とでもいうものだった。つまるところ、別れの時間が来ているのだ。
 アイヴォリーは、頭上に浮かぶ小さな光の輪を見上げて苦笑を浮かべた。それは自嘲の笑みだった。アイヴォリーには、その孤島へ行く権利がない。その孤島で探索者の命を守るものは宝玉であり、西の島への転送装置と同じように宝玉がある程度揃っていなければ転送してくれないのだ。それ故に、島を守るための最後の戦いにアイヴォリーは参加できない。だが、今のアイヴォリーの傍には、今まで通りに小さな妖精がいた。彼女は島を守ることよりも、彼の傍にいることを選んでくれた。アイヴォリーにはそれだけで充分だった。アイヴォリーにはサーガに登場するような英雄になるつもりはないし、なれるとも思っていない。自分は唯の裏切り者の盗賊なのだ。ただ彼女を護るためだけに戦う力があれば、アイヴォリーにはそれだけで充分だったのだ。
 探索者たちは、ある者は崩壊をもたらす者に立ち向かうために孤島へ渡り、ある者は人を狩り、そしてある者は最後まで同じように、思い思いの方法で残された島での時間を過ごす。
 そんな中で、残された時間を惜しむかのようにして、彼らは歌っていたのだった。声を合わせ、想いを合わせ、同じ歌を歌っていた。“風になりたい”、と。

   +   +   +   


 メイはその意図に賛同し、他の者たちと同じようにして歌っていた。彼女の歌は、最近練習を始めたこともあって大分巧くなっている。二人きりのキャンプに響くその歌声は、今日のような、冬の朝の澄んだ空気にも似た、そんな声だった。

「……あのね、この歌……アイに、あげる。」

 まるで独りで呟くかのようにそう囁いてから、彼女は力一杯歌いだした。“風になりたい”と。
 その歌は、まるで二人に誂えたかのように、二人のことを歌っていた。壁さえ越え、微風を捉え、追い風を受けて。その手の温もりを抱き締めて。彼ら二人にとっては、間違いなく“彼らの歌”だった。この歌を歌う全ての者がそう感じるのと同じように。
 どこまでも風が続いていくように、歌は一人の者が喉を嗄らし、途切れさせても終わることはなかった。他の者が後を継ぎ、それに同調する者が声を合わせ。終わることなく続いていた。

「へへ……みんなモノズキだねェ……。」

 小さくなった、揺れる火を見つめながらアイヴォリーは小さく呟いた。あくまでも歌声を妨げぬように、そっと。歌い疲れたメイはもう眠っているだろう。テントの中に下げられた彼女の寝袋で、今頃みんなと声を合わせて歌い続けている夢でも見ているのかも知れない。アイヴォリーはそんな彼女の、どこまでも止めることのないひたむきさに、微かに苦笑した。
 アイヴォリーは歌わなかった。無論メイにも勧められたのだが、断ったのだ。自分は“風”だ。“微風”の名を名乗る者が“風になりたい”では余りに情けない。歌の、そしてイベントの意図に賛同しない訳ではない。その歌に込められた想いは彼にも分かる。
 だが、彼には人に与えられたものでなくても、既に歌うべき歌があった。歌うならば、その歌を、たった一人に向けて、その一人を前にして歌わなければならなかった。しかし、その一人は今ではもう眠りに就いてしまっていることだろう。機会を逸した自分に苦笑して、島に響くこの歌は恐らく島が崩壊するその日まで途切れることはないだろうと、そう思う。要するに、臆して彼は自分の歌を歌う機会を完全に失ったのだった。
 だからアイヴォリーは、火を見つめながらもう一度口の端で苦笑した。それから、ブーツに佩かれたダガーを鞘ごと外し、それで近くの石を叩いてリズムを刻みながらゆっくりと歌いだした。静かに、島に響く歌声に掻き消されてしまいそうなほどに、静かな声で。その歌は、島に響く歌声ほど勢いに満ちたものでもなく、生きる喜びに満ちたものでもない。ただゆっくりとした旋律に乗せて、アイヴォリーは語るようにして歌っていた。

HERO ─Ivory=Wind version─


Example, sacrifice any life for to save this world all,
but I only wait to call others, I only wait to others.
Only one, my only white shinin', change me to a fearsome only thief.


I heard Saga that kill dragons in my childhood.
But I don't think the foolish thing I want to become that the him.


But I want to be the Hero for you, only for you.
If you stumble over a stone or take a false,
I take your hand with usual smile.


In the time, time goes with cruel at any times makes a man of me.
I don't feel sad, I don't feel painful.
But only that did all things over again,
Yes, only that will do all things over again,
My happy, My precious.


I want to be the Hero for you forever, only for you.
I'm not mysterious at all, and now I don't have a secret at this time.
But I want to be the Hero for you, only for you.
If you stumble over a stone or take a false,
I take your hand with usual smile.



例えば、ダレか一人の命をイケニエに世界を救えるとして
オレはダレかが名乗り出んのを待っているだけのヘタレさ
愛すべきたったひとつのキラメキが、オレをヘタレのシーフに変えちまったんだ


小さい頃竜を倒すよなサーガで聞いた
憧れになろうだナンてバカなキモチはねェ


でもヒーローになりてェ、タダ一人、君にとっての
つまづいたりミスッたりするようなら
イツもの笑みで手を差し伸べるよ


残酷にスギる時間の中で、きっとオレも充分にオトナになったんだ
悲しくはねェ、寂しくもねェ
タダ、こうして繰り返されてきたコトが
そう、こうして繰り返してくコトが
嬉しい、愛しい


ずっとヒーローでありてェ、タダ一人、君にとっての
ちっともナゾめいてねェし、今さらもうヒミツはねェ
でもヒーローになりてェ、タダ一人、君にとっての
つまづいたりミスッたりするようなら
イツもの笑みで手を差し伸べるよ


九十一日目:朝
「……ふ……俺もヤキが回ったか……少し遅かったらしい……。」

 アイヴォリーの追跡が確実にないことを確認できるところまで移動して、ようやく血塗れの額を拭うと、中年の軍人はぽつりと呟いた。野戦服は衝撃でぼろぼろに裂け、無残な状況になっている。極められかけた右腕は当分使い物になりそうにない。拳銃は蹴り飛ばされて回収する暇がある訳もなく、短機銃の予備弾倉も僅かだった。
 アイヴォリーに飛びかかられる前に、しっかりと地形を頭に入れておいたから助かったようなものの、後僅かでも手榴弾を投げるのが遅かったら、今頃自分は肉片になっていただろう。これくらいで済んだのだから幸運だと言えた。
 動かない身体を叱咤して、ジンクは立ち上がった。これ以上休んでいては本当に動けなくなる。何としてもそれまでに、ハルゼイに行きつかなければならなかった。荷物どころか食料も水すらもない。だが、一帯の地形とハルゼイの位置は既に頭に入れてあった。

「悪いが……まだ俺にはやらねばならんことがある……仲間のために、な。」

 ジンクは命令を果たすためにゆっくりと歩き出した。

   +   +   +   


 その背中はもう既に疲弊しきっているように見えた。自分ならばフィードバックを考えても魔筆で傷を癒していることだろう。アイヴォリーが極めた右腕は、折れてはいないものの使い物にならないのはもちろんのこと、痛みが激しく銃を支える役にも立ちはしない。爆風で吹き飛ばされた石か木片が当たったのだろうか、額が裂けて延々と血を流している。ヘルメットがあったからまだ良かったのかも知れなかった。

「おやっさん……。」

 運命の調律者の肩書きを持つその男は、その様子を見て思わず右手を持ち上げた。彼の右手の辺りには緋色に煌く魔力が即座に収束し、今から綴られるはずの文字を構成して現実化するために編成の準備段階へと入っている。だが、その魔力は唐突にかけられた一言によって霧散した。

「どうですかな、様子は?」

 後ろから声をかけたその男は、口髭を蓄えたいかにも尊大そうな男だった。その黒い司祭服には胸に銀色の刺繍で十字の意匠が縫い取られている。ほとんど銀色と言っても差し支えないほどの薄い灰色をした瞳、綺麗に撫で付けられた銀の髪。そしてその首からは司祭服には似合わぬ、銀製の豪奢なペンダントが下げられていた。

「“銀十字”、イヤ、シロガネ……君の入室を許した覚えはない。5秒やるから用件を告げてさっさと帰れ。非常に不愉快だよ、この部屋に君がいるという、その事実が。」

 いつもの傲慢で尊大な振りすらせず、明らかに感情を露わにして赤き魔術師が吐き捨てた。振り返りもせず、その瞳はジンクが映し出された水晶球をただ見据えている。部屋の主に呼応して、ゆっくりと部屋の中央に不快な存在が姿を現し始めた。それは、言うなれば虹色に輝く泡の塊、とでも表現すべき姿をしており、意思を持っているのか蠢いてその形を緩慢に変えながら、ゆっくりと空中をシロガネと呼ばれた司祭服の男に向かって進み始めた。

ヨグ=ソトース……全にして一、一にして全なるものですか。貴方がお気に召していらっしゃる召喚物ですな。」

 平然とその異形を見つめ、シロガネと呼ばれた男は呟く。まともな神経をしている者であれば直視することはもちろんのこと、意思を持っていると想像するだけでもおぞましい存在のことを言っているようには到底聞こえないような口振りではあった。だが、そのシロガネと同じように平然とその赤い邪眼で虹色の存在に目をやった紅のローブの男は、口元を歪ませて不敵な笑みを形作ると肩を竦めてみせた。

「これは僕が召喚していると言っても、僕は単にこの存在がここへ来易いように道筋をつけているだけだ。僕の命令に従う訳ではないよ。……もっとも、僕には契約があるから襲っては来ないだろうけどね。少なくともその無邪気さで僕の頭をもぎ取って遊ぶようなことはしないだろうな。」

 確かに、名高いこの存在を召喚するのは天幕でもこの赤き魔術師かそれに連なる者だけだ。召喚方法が秘されている訳ではない。実際、この運命を編纂する男が住む居室の膨大なデータを漁れば、天幕全体の知識として整理され上梓された召喚の方法が書かれていることだろう。だが、普通の神経の持ち主はこのような危険なものを召喚しようとは思わない。本当に契約があるのかどうかは疑わしいが、実際この古き存在は人間とは全く違った精神構造をしており、人間の想像もつかないような残虐なことを平気でやってのけるのだ。それでなくてもこの常軌を逸した姿ゆえ、見る者の精神を脅かす危険な存在である。だからこそ、他の人間はこういった、忘れられた太古の神を使役することはしないのだ。

「ふ……ではそのような目に合わされぬよう、私はそろそろお暇すると致しましょうか……。」

 同じく虹色に染められた粘液質の触手が、虹色の集積物から伸ばされシロガネの方をしきりに探っている。自分に与えられた贄を探しているらしい。さすがに僅かに不快な表情を浮かべて、シロガネは一歩後ろへと後退さった。

「ですが……貴方に与えられた任務は彼を見張ること。“象牙”のフォローはもちろんのこと、あの軍人の手助けも一切許されてはおりません。それをお忘れなきように……。」

 じりじりと進み来る虹色の集積物に押されてもう一歩後ろへ下がると、それでもシロガネは皮肉な口調でそう運命の調律者に警告した。そう、この赤きローブの男が彼らの運命に干渉することを見越して彼はこの書斎を訪れたのだ。その皮肉の笑みは、彼に対する勝利の宣言でもあった。

「分かっているさ……それよりも、次に勝手にこの部屋に君が入るようなことがあれば、その君の魂を、この不定なる存在が跡形もないまでに汚し尽くすことだろう。
 さっさと出て行け!」

 左手で扉を指し示して、R,E.D.はシロガネを半ば強制的に部屋から排除した。本来であれば“金色”の直属の腹心である“銀”に対してのこのような行いはどの団員にも許されてはいない。“金色”との個人的な繋がりがある彼でなければ許されるようなことではなかった。
 その“運命を操る赤”にしても、与えられた命令に違反することは出来ない。どのような結末を迎えるにしろ、彼がジンクの運命に干渉することは許されてはいないのだ。
 R,E.D.が再び水晶球に目を向けると、その中でジンクは呻きながらも歌を口ずさんでいた。戦いに向かう男たちを嘆き、慈しむ兵隊たちの歌。ハルゼイたちがかつて共に歌ったその歌を、ハルゼイとアッシュが歌い、その調べがジンクへと届いているのだ。
 唇を噛み締めて、R,E.D.は目を閉じた。彼がその気になれば、この結末がどうなるのかは詳細に知ることも出来る。だが、それは書き換えることを許されていない運命であり、恐らくは知りたいと思いもしないもののはずだ。R,E.D.はゆっくりと自らの椅子に身を沈めると、深く溜め息を吐いてから彼の監視を再開した。島にも、そしてエルタ=ブレイアと呼ばれる地にも、もう時間は残されていない。そして、ひとつの物語が結末を迎えるのも後僅かなところまで来ていた。その物語を見届け、記録しなければならないのだ。R,E.D.は虚ろな瞳で水晶球の中の景色を呆然と眺めていた。

九十一日目:昼
 かつて『狂王の試練場』と呼ばれた多層の迷宮を擁し、その最下層に座する悪の魔導師を打ち倒す者には、多大なる報酬と騎士への道が与えられたという都。永遠の命を持つ魔導師が、後に甦りその魔除けを自らの手に取り戻すべく災厄を撒き散らしたという都。戦争に狂い血に飢えた王が支配する、腐れた赤子の怨嗟の声によって、灰からですら死人を甦らせる秘術を持つ教団があった都。リルガミン。
 そこでは、遥か東方の伝説が今なお生きていると言われる。完全なる殺人機械にして奇異なる獲物を振るい、相手を一撃の下に打ち倒す存在。彼らは“忍者”と呼ばれた。

「ん~と、マズは相手の不意を突くべし……んなコトは言われなくたって分かってるッつーの。」

 アイヴォリーは何やら古びた巻物を広げ、それを熱心に読みいっている。そこには漢字やひらがなと呼ばれる東方の言語が並んでいるのだが、妙に博識なところのあるアイヴォリーは、そういった言語の知識を持っているらしかった。
 東方から伝わった伝説の存在、忍者。彼らはひと目で相手の急所を見抜き、どんな存在であっても一撃の下に屠り去る奥義を持っていたという。その身の軽さで相手の攻撃をことごとく躱し、音もなく相手に忍び寄り、その首を刈り取る。それは、かつてのアイヴォリーたちのような暗殺者にとって、ある意味目標とすべき姿だった。彼らアサシネイトギルドにもその伝説は伝わっており、その秘術を体得すべく東に調査隊が送り込まれていたほどなのだ。だが、綿密なる調査にもかかわらずその存在は謎のままで、結局のところ“忍者”の名前はアサシネイトギルドの実働部隊の中では、畏敬の念を示す言葉として広がっていた。要するに「あいつはニンジャな奴だ」というようにして、その実力を評価する一種の称号となっていたのだ。
 だが、アイヴォリーは今、偶然にもその“ニンジャ”の教えが書かれた書物を手にしていた。そしてそれを研究し、アイヴォリーなりの“ニンジャ”を実現しようとしていたのだった。

「ん~、素手を用いて相手の急所を一撃の下に刎ねる……」

 奇異なる獲物、“シュリケン”と呼ばれる投げナイフを自在に操り、その獲物なくしても素手で相手の首を刈る。それは忍者が相手の急所を見抜く独自の技術を持っていたからであり、一撃で相手を行動不能に追い込むその術は忍者の秘伝だとその書物は語っていた。

「マズはばぶりーすらいむにて良く訓練を行うべし。そはアクマでも粘液の集合体なれど、行動を司る“首”はアリ。そを見極めるコトこそ一撃の美学と知れ……ば、バブリースライムってあのアレかァ?」

 アイヴォリーが妙な声を上げる。スライムというのは洞窟などに生息する粘液状の生物である。彼らは言うなればアメーバのようなもので、細胞の集合体に過ぎない。それに首があるから見極めろ、と言われても普通の人間には理解できないのは当然だと言えた。

「ナンジどんな姿にあっても敵の攻撃をカワすスベを知れ。マズは一糸纏わぬ姿にてその訓練を行うべし。その姿にて敵の攻撃を捌ききるコトは容易あらざれど……ちょっと待てッ!ソレじゃ変人じゃねェかよッ!」

 素っ裸で相手の攻撃が当たるかどうかはともかくとして、自分がその相手であれば出来るだけ係わり合いになりたくないというのが本音だ。そんな格好で修行をするくらいなら、暗殺者時代のお浚いでもしていた方がよっぽど気が休まるというものだろう。第一そんな格好でメイの横で戦うのは御免蒙るというか、ある意味獣どころかメイにとっても非常に敵対的な行為であるとすら言えた。恐らく一生まともに口も利いて貰えなくなるだろう。

「マッタク……コレホントにホンモノかァ?」

 “リルガミン奇譚”と書かれた巻物を横に捨て、流石にアイヴォリーはやる気をなくしていた。第一島で忍術を覚えている者の中で、人狩りに身包み剥がれた者はともかく、そのような格好で戦っている者をアイヴォリーは見たことがない。見たら敵と見做して即刻排除していただろうが。
 諦めてアイヴォリーは次の書物に手を伸ばした。それはいかにも安っぽい、薄っぺらな紙の束で、無意味に原色を用いたカラフルな表紙に、真っ白な鎧を身に着けた侍のような男が赤と青の蜘蛛の巣を模った仮面を被った細身の男と丁々発止の戦いを繰り広げている様子が描かれている。

「シルバーサムライVSスパイダーマン!世紀の大決闘!!
 ……コレも……なァ?」

 ぱらぱらと中身を捲っていくアイヴォリーの目に、銀色の鎧を纏った“シルバーサムライ”らしき男が、布を手に風景に同化する様子が書かれている。後ろには吹き出しで“NINJUTU!!”と派手な文字が躍っていた。

「イヤ、こんなんで隠れられねェだろ、ッつーかバレバレじゃねェか……。」

 いい加減眉根をひくつかせてその冊子を閉じたアイヴォリーに、後ろから声がかけられた。相変わらず気配を察知させることをしない。

「どうです、忍術の勉強の進み具合は?」

 奇妙な仮面を被った黒装束の男、黒騎士。天幕に所属する人間でありながら、特別な任務を与えられる様子もなく神出鬼没で現れる謎の男である。こちらの方がよほど忍術だと言っても過言ではない。

「ドレもコレもウソくせェ……ホントにニンジャッてこんな変人ばっかかよ?」

 至極真っ当なアイヴォリーの意見に、黒騎士は大げさに肩を竦めると天を仰いで見せた。オーゥ、ノォォォ、とか言っているのはアメコミに影響されているのかも知れない。

「忍術と言えばシルバーサムライ!ハラダケヌイチローですよ!彼が全ての忍術の発端と言っても差し支えありません。
 もっとも、他の資料が少ないために探すのには苦労しましたが……。」

「オレはこんなドハデなヨロイを着るシュミはねェぞ。」

 アイヴォリーの真似なのか、ちっちっちと人差し指でジェスチャーしてみせる黒騎士。どう見ても怪しいその姿は忍者と言うよりは怪人の方が的を得ていると言える。

「ノンノン、それではニンジュツの奥義は究められませんよ。自分の背丈ほどもあるシュリケンを投げて相手を固め、そこからのコンボでさらに相手を固める!延々とシュリケンキャンセルで相手を固めるのが常道です。」

「イヤ、サッパリ意味不明ナンだケドもな……。」

「まぁそれはお貸ししておきますから、ゆっくりと忍者の道を究めてください。
 では……ニンジュ~ツ!」

 黒騎士は、シルバーサムライよろしく布をはためかすと一瞬で姿を消した。呆然としたアイヴォリーが一人残される。

「イヤ、ソレは前にも見たケドな。」

 学習の方向が完全に間違っていることを誰も指摘する人間がいないのが、この場合のアイヴォリーの不幸であった。

九十一日目:夜
 メイの魔力は日に日に向上している。特に風の乙女シルフと炎の魔神イフリートを召喚する精霊の攻撃魔法と、そして相手を薙ぎ払うエクシキューター、無限の穴を相手の足元に呼び込み相手を叩き落すボトムレスホール、重力球を相手に向かって放つグラビティブラスト。禁魔術に属するこれらの魔法の威力には目を見張るものがあった。しかも、欠片が回魔に付加した加速によって、メイの行動速度はかなり上昇している。技を放った後の隙が少ないのだ。アイヴォリーたち二人にとって、メイの行動速度の上昇は威力に直結するだけに重要だった。

「ふむ……後は混乱対策かねェ……。」

 それだけの威力を持つということは、混乱している状態でそれがアイヴォリーに向けられればひとたまりも無いということを意味する。ある程度の魔法攻撃ならば着弾点を予想することで回避することができる。しかし、後ろから、しかも現在のメイの詠唱速度で突然撃ち込まれたのでは躱すことは出来ないというのが実際のところだった。実際、今まで行われたトーナメントの内数回の敗因はそこにある。二人の組み合わせは、お互いがお互いをフォローし合う形式ゆえに、お互いの技を受けることには長けていない。アイヴォリーかメイが敵味方の見境無しに技を放てば相方を容易に打ち倒してしまうのだ。最近ではアイヴォリーは、混乱した場合の対抗策として風を読むことに終始するようにしている。これならば被害は出ず、次の攻撃の布石にもなるからだ。同じような方法がメイにも必要だった。後ろから吹き飛ばされて戦闘離脱では、アイヴォリーも些かやりきれない。

「エレメンタルブレシングかねェ……。」

 精霊を呼び出し、炎と水の加護を自らに与えるこの魔法ならば被害は出ない。二回目からは無意味になるものの、味方を巻き込んで自滅するよりはましだろう。

「うん、分かった。良い作戦だと思うよ?」

 メイは笑顔で頷くと、自分の行動を整理し始めた。混乱して前後不覚になった時でも、ひとつ発動させる技をしっかり覚えておけば大丈夫だろう。
 次のダイヤモンドは大した脅威ではない。実際、多少の状態異常耐性を持つとはいえ、アイヴォリーの初撃に含まれる石化、睡眠、気絶の三種類のどれかが入れば相手の行動は阻止できる。そうすればアイヴォリーの連撃とメイの魔法で一時に焼き払えるだろう。だが、問題は次のスペードにあった。トリプルエイドを乱射されればその内にアイヴォリーの手数が尽きる。そうなってからではメイの魔法だけでは押し切ることができない。どこまで集中砲火を浴びせて一体を素早く倒せるかにかかっている。
 島が崩壊しようとしているこの時でも、二人はそうやって自らを高めることに心を砕いていた。お互いが相手の足を引っ張ることなく、少しでも相手の力を引き出すための役に立ちたい。その想いが、島に来てから延々と続いてきたこういった訓練を、未だに二人にさせていた。

だケド、ソレももう少しで……終わり、ナンだよな。

 ふと、アイヴォリーの心に寂しさが過ぎった。この島で出会った者たち、前の島から連れ立ってきた仲間。そんな者たちも、島が崩壊すれば各々が自らの目的に向かって違う道を歩み始める。ハルゼイやサトムは天幕と戦うための準備に入るのだろう。ルミィもあの伝説の英雄である自らの大切な人を探して天幕と係わり合いになるのかも知れない。ディンブラや架那たちは、またどこか新天地を求めて旅立つのだろうか。
 アイヴォリーたちもその類に漏れる訳ではない。天幕の刺客としてあのハルゼイの戦友が差し向けられたということは、あの運命調律者がアイヴォリーに与えていた一時的な庇護は既にないものだと考えるのが妥当だった。それでいて島の崩壊が近いことを知っている天幕は、島が崩壊して再び彼らの行方が掴めなくなる前に始末しておこうと考えたに違いないのだ。ハルゼイには悪いことをしたが、アイヴォリーにはあの中年の軍人の話をハルゼイにするつもりはなかった。そんなことをすれば、暴走癖が再発してハルゼイは天幕に一人で殴りこみをかけないとも限らない。少なくとも、アイヴォリーは自分の友人たちがこれ以上天幕の手によって消えていくのを見ていたくはなかった。いつかその時が来るのならば、自分もその中に混じり、一太刀を浴びせなければ気が済まなかった。
 だが、今のアイヴォリーには、護らなければならない白い煌きがある。共にあることを望み、傍にいることを選んでくれた彼女を置き去りにして天幕に無謀な戦いを挑む訳にはいかない。少なくとも今はまだその時ではない筈だった。

「メイ、次はドコへ行くよ?」

 アイヴォリーの気の長いその問いに、メイは小首を傾げて疑問符を浮かべてみせる。唐突に問われたのだ、当然だろう。

「う~ん、次も、ここみたいなとこがいいなっ♪
 たくさん自然があって、たくさん友達がいて、いろんなイベントがあって。
 それで、アイのいる、そんなところが。」

 いつも通りなのだろう。彼女にしてみればいつもの通り、思っていることを口にするだけで、アイヴォリーの欲しかった答えを、彼女は見事に答えてみせた。そう、いつもアイヴォリーを支え、常に前向きに進ませて来てくれた、いつも通りのやり取りだった。

「そうさな、じゃあ次はドコにイキますかねェ……。」

 思わず目を細めて、アイヴォリーは遠くを見やる。心なしかその口元には優しい笑みが浮かんでいた。

「ほんとはね、アイのいるところならどこでも良いんだ♪」

 そう言ってくすりと笑みを漏らし、自分の“特等席”に腰掛けた小さな白い煌きを、アイヴォリーは優しい笑みで見やってからその頭をいつものようにして掻き回す。いつも通りの二人のやり取り。
 島は間もなく沈む。それは今日にも起こることかも知れないし、まだ数日先のことなのかも知れない。それでも、二人はこの島に来たときと同じようにして沈んでいく夕日に目を細めていた。
 どこまでも。どこまででも。二人である限りはずっと続いていく。その確信は、アイヴォリーにささやかな安心感をもたらしていた。

九十ニ日目:朝
 この世界を創造した存在がいるとして。その存在が世界の崩壊を望んだとすると、世界は崩壊すべきなのだろうか。その存在を神だと信ずる人間からすれば、その“神”が世界の終末を望んだその時には、世界は崩壊すべきであるのだろう。なぜならば世界を創造したのは神であり、当然その所有権は神に帰属すべきものであるからだ。我々は生かされているに過ぎず、世界は我々にとって借り物でしかない。神がそう望むのであれば返さねばならぬ。
 だが、私は敢えて諸君らに問いたい。神は何処におわすのか、と。
 それは他でもない、諸君らの心の中である。神とは、誰かからその存在を断ぜられるものではなく、あくまで自らが、自らの意志によって、自らの心の中に見出すものである。その自発的な作業を経て初めて、神がこの世界に在ると断ずることができるのである。であるから、この世界は創造者のものではない。その神が、創造者であるとどうして言えようか。その神は、見出した諸君ら一人一人のものである。つまり、世界が神に帰属したとしても、その神はまた、諸君らに帰属するのである。神とともに在れという教えは、即ち自らの内から、神を見出せということに他ならないのだから。
 だから私は、敢えて諸君らに宣言しよう。世界は、創造者のものではない、と。たとえ創造者が崩壊を望んでも、決してそうなるべきではない、と。諸君らの見出した、諸君らそれぞれの神は、世界の創造者ではない。最終的に世界が帰属すべきは、まさに我々一人一人であるのだ。
 諸君らが崩壊を望むのならば、それもまた良かろう。だが、創造者が崩壊を望むからといって、その通りになる必要はない。もし、世界が崩壊するとするのであれば、それは諸君らが望んだ結果である。この世界に息づく我々一人一人が、世界の真の所有者であるからだ。諸君らが、自らが生きるこの世界の崩壊を望まぬのであれば、戦うが良い。崩壊を望む者に宣戦布告せよ。私は諸君らに剣を取って振るえと言っているのではない。そうではなく、崩壊を望まぬというその意志を、自らの意志を示して欲しい。この世界は我々の生きる場所であり、我々のものであると、その揺るぎない意志を示して欲しいのだ。それこそが崩壊を望む者への宣戦布告であり、戦いである。そして、諸君らの意志が揺るぎなきものであるのならば、諸君らの心の中におわす諸君らの神が、諸君らに力を与えて下さるであろう。
 良いか、世界は諸君らのものであり、その行く末は諸君ら自身が決めるものなのだ。それを、忘れないで欲しい。

エリィ=マクシミエル、凶星現れし時、怖れる村人たちへの説教


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 世界の、島の崩壊をもたらす者は、紅き星から産まれた。そして堕ちてきた。それは赤子の姿をしていたが、人外のものだった。それは強靭で、恐るべき耐久性を有しており倒すことは不可能だと思われた。
 それでも、探索者たちは少しずつでも未来を切り拓こうとして、その存在に対し攻撃を始めていた。僅かでも相手の体力を削り、自らが倒れても次の者が続きを引き受けた。そこでは、この島に彼らが降り立って以来初めて、探索者の意志がひとつになっていた。たとえそれは、敵を打ち倒した者に対する報奨──汝の望みを叶える、という法外な──のためであったとしても、探索者たちはひとつの同じ目的に向けて戦っていた。

「クソッタレ……。」

 そんな中、アイヴォリーは機嫌が良くなかった。行けないとは分かっていても、実際に戦いが始まったのだ。戦うことに長けた自分は、そこにいなければならない人間のはずなのだ。そんな焦燥にも似た苛立ちがアイヴォリーを蝕んでいた。

「アイ……?」

「言うな、メイ。その話は前にもしたハズだぜ。」

 分かっている。自分には資格がないこと。自分は祈るしかないこと。自分には彼女を護るという大切な役目があること。全て分かっていた。だがそれでも、いや、それだからこそアイヴォリーは、苛立っていた。
 伏し目がちにアイヴォリーに問いかけた彼の姫は、これまでと同じようにそんなアイヴォリーの苦しみを理解してくれていた。だからこそ、機先を制されて言葉を封じられても彼女は続けた。

「分かってるよ、アイのことだもの。行きたいんでしょ、あの島に。
 ボクの……ボクの宝玉で行ってきたらどうかなっ♪」

 思わず途切れてしまった言葉を取り繕うように、メイは無理やり明るい調子で言葉を切った。だが、そんな彼女をアイヴォリーはちらりと見ただけですぐに明後日の方角へと視線を戻す。

「オレは、裏切らねェ。裏切るとしたって、ダレを裏切るかくレェ自分で決める。
 ……オレを裏切りモノにさせねェでくれ。」

 ギルドを裏切り天幕を裏切ってまで助けたはずの白い少女。だが、アイヴォリーはそれさえも裏切って今、ここにいる。今までずっとそうしてきたように、生きるということがこれから先も同じように二者択一の繰り返しなのであれば、もうアイヴォリーが選ぶものは変わることはなかった。それにより戦友を裏切ることになろうとも、仲間を裏切ることになろうとも、そして世界を裏切ることになろうとも。何かを選ぶことが、もうひとつの何かを捨てることと同義だというのならば、アイヴォリーは常にたった一つの物を選び続け、他を捨て続けるだろう。
 何故ならば。それが、アイヴォリーの見出した“生きる”ことなのだから。

「でもでも、きっとアイが向こうに行けばみんなの役に立つしっ!」

 その言葉を聞いて、アイヴォリーは穏やかに首を振る。大切なのは、そんなことじゃない。誰かの役に立つ、みんなの力になる。そうではなく、たった一人のために役に立つこと。たった一人の力になること。それだけが、彼の生きる意味。
 確かに、一度は宝玉の加護を四つまで受けた身だ。あの死神を名乗る男が言うように、ポテンシャルは高いのかも知れない。それでも、それを発揮できなければ無意味なのだ。そして、その力はたった一人のためにある。もしもあの赤い星が、アイヴォリーの傍で輝く煌きを奪うと言うのならば、その時にはアイヴォリーは戦うだろう。たとえ他の者全てが倒れ、既に時が遅くとも、一人で彼は戦うだろう。
 だが、それは今ではない。

「イイか、メイ。オレのナカマたちは、ドイツもコイツも一筋縄じゃイかねェヤツばっかだ。サトムも、ルミィの嬢ちゃんも。レイナって嬢ちゃんやかーまいん、アッシュもそうだ。
 連中は、デキるだけのコトをヤッて帰ってくるさ。オレの出番じゃねェ。ソレまで、連中が帰ってくるまで、オレはシッカリと、自分のヤレるコトをヤる。だから、もうその話はナシだ。
 な?」

 自分の大切なものは、すぐ傍にこうしてある。それだけが、全て。
 焦燥感を背負ったままでは、ジョーカーどころかスペードにも勝てないだろう。それでは孤島へ飛んだ彼の仲間のいい笑い者だ。
 アイヴォリーは大きく深呼吸すると、指を鳴らしていつもの笑みを浮かべた。大丈夫、彼らならやり遂げるはずだ。自分も負けている訳には行かない。アイヴォリーはメイの頭を掻き回してから、鼻で笑った。この島の“エンタメ”がどれほどのものなのか。まずは今日の戦いでお手並み拝見だ。

九十ニ日目:昼
 予想もしていなかった訪問だった。アイヴォリーはてっきり、彼も他の仲間たちとともに孤島へと飛んだものとばかり思っていたのだから。

「ウィンド殿。調子はどうですか?」

 いつも通りの落ち着いた様子でハルゼイが問いかける。内心アイヴォリーは彼の度胸に舌を巻いた。何しろ、今日にもかつての戦友──ジンク=クロライドが現れるかも知れないのだ。戦いになればどちらかが傷つくのは避けられない。ジンクは、恐らくはアイヴォリーと同じように、何かを選び、過去を捨てたのだ。二人が出会えば戦いは、恐らくは避けられない。それでも、化学屋を名乗るこの軍人は落ち着いているように見えた。

「おゥ。そうさな、今日次第ッてトコですかね……。」

 今日の夜の戦闘は楽ではないはずだ。それはアイヴォリーも分かっていた。
 元々、アイヴォリーはジンクと遭遇し戦闘になったことを、ハルゼイに話すつもりはなかった。ハルゼイのことを慮ったことと、そして彼のかつての戦友を自らが傷つけたという後ろめたさもあって、ジンクのことを話す気にはなれなかったのだ。しかし、後でアイヴォリーが調べて分かったことは、まだあの中年の軍人が死んでいないということだった。自爆するかのように見せかけて姿をくらましたのだ。その戦場慣れした見切りと判断にはアイヴォリーもさすがに驚かされた。何しろ彼は、爆風に紛れて自らの獲物である短機銃すら持って消えたのだ。そして、そこから分かることはアイヴォリー自身は本来の標的ではない、ということだった。不利な戦闘を続けて戦闘続行が不可能になるよりも、本来の目的を果たすためにジンクは巧妙に撤退したのだ。そうだとすれば、あのときの言葉通り、本来の目標はハルゼイであるということになる。それをハルゼイが知らぬままジンクに遭遇したときのことを考えると、さすがに話さずにはいられなかったのだ。

「オレはアンタもテッキリ、ルミィの嬢ちゃんたちと一緒に行ったモンだとばかり思ってたんだケドな。残ったのか。」

「ええ、私は私でやらねばならないことがありますから。
 私が行っても足手まといでしょうからね。相棒は転送されないでしょうし。それに、後方支援には慣れていますからここからでも充分彼らの援護は出来ますよ。」

 確かに転送を使えば、徐々に減退する戦力を補充することもできるだろう。そして、そんなことよりも彼は、彼の“生きる”目的を見出したのだろう。それはアイヴォリーがそうであったように島を救うことではなく、自らのしがらみを解決することだったのだ。
 昨日ハルゼイは、既に運命を調律するあの赤い魔術師から今回のような出来事が起こり得るということを聞かされていたと語った。そして、ルミィが島へと向かったことも教えてくれたのだ。アイヴォリーはハルゼイがすぐに彼女たちの後を追うのだろうと思っていたのだが。

「そうだ、コイツを返しとくぜ。」

 アイヴォリーが何かを思い出し、自分のテントへと戻る。再び出てきたアイヴォリーの手には、ハルゼイが預けた紙の束の一部があった。

「大体こんなモンだろ。コレでもマダ厳しいケドな。仕方ねェさな、ソレだけの相手だ。」

 ハルゼイから預かった内の、天幕に対抗するための作戦要綱。それにアイヴォリーが書き加え、修正を施したものだった。ハルゼイがそれを数枚捲ると、中には普段お調子者を演じているアイヴォリーからは想像もできないほど、きっちりと綿密な作戦が書き添えられていた。

「これは……ありがとうございます、ウィンド殿。」

「大体の内容はオレのアタマの中にも入ってる。ソイツはアンタが持っといてくれ。」

 おどけたように自分の頭を指差し、アイヴォリーが言った。それでなくても武器になりそうな厚さの紙の束に、結構な小さい字でぎっしりと内容が書き込まれているものだ。さすがにハルゼイも、アイヴォリーがどの程度覚えているのか不安になったらしく、彼に目で聞き返した。

「あァ、アサシンッつーのは作戦覚えてねェと仕事にならねェからな。大丈夫さ。」

 涼しい笑みでそう言ってのけるアイヴォリー。どうやらその意外な几帳面さも人外じみた記憶力も、ともに暗殺者時代の遺産らしい。ハルゼイは改めて感嘆の吐息を漏らした。

「あ~、後な。
 アイツは多分右ウデが使いモンにならねェハズだ。銃の反動も抑えられねェくらいに、な。だから、遮蔽のねェトコロで狙われたら絶対に左へ飛べ。
 利きウデじゃねェウデを使って相手にタマを当てるニャヨッポド訓練が必要だケドな、ソレくレェはアイツもヤッてのけるだろうさ。でもな、自分のカラダの内側ニャ撃ち込みにくいハズだぜ。利きウデじゃねェならなおさらだ。
 だから、左に飛べ。イイな?」

 アイヴォリーが極めたジンクの右腕は、腱が伸びていて使い物にならないはずだ。そう考えてアイヴォリーは念のためにハルゼイに言い含めておいた。もっとも、できるならば二人が撃ち合いになるような状況は起こって欲しくないというのが、アイヴォリーの本音だったのだが。

「分かりました。助言をありがとうございます。」

 軍人で銃使いのハルゼイに対して銃の云々をアイヴォリーが語るのはおかしな話ではあったが、ハルゼイはアイヴォリーの戦闘中の動きがどれだけ計算し尽くされた上での挙動なのかもまた知っていた。だからハルゼイは素直に頷いた。

「そうさなァ、セッカクだし、メシでも食っていくか?」

 肩を竦めて言うアイヴォリーに、ハルゼイは苦笑を浮かべながらそれを辞去する。

「まだあちらへ届けなけれ