「ヤレヤレ、カンベンしてくれよなァ……。」
アイヴォリーは大きく溜め息をついた。サバスとの戦闘を前にして大分参っているらしい。一人の今では、普段人前で見せている余裕の表情も、そして普段常に口元に浮かべている人を食った笑みも浮かんではおらず、ただ眉間に寄せられた皺だけが彼の精神状況を如実に示していた。
「大丈夫かよ、こんなんで……。」
結局、あれから会議の終わった仲間たちの部屋へ怒鳴り込んだアイヴォリーの案は、一部だけが採用されたもののそのほとんどが却下された。具体的には、三人が互いを補ってどうにか機能している彼の班に関しては、サバスとの戦いでの三人での挑戦は受け入れられたものの、その後に続く戦いでは三人の組み合わせは受け入れられなかった。既に決められていた通り、二人で挑むように説得されたのだ。
無論、仲間たちの言い分はもっともだ。自分たちの手に余る敵を相手にするときは、そもそもの遭遇確率を減らす方が安全なのはアイヴォリーにも分かっているのだ。三人で二体の敵を相手にするよりも、二人で一体の敵を相手にする方が明らかに効率が良い。相手の攻撃はどちらかが捌けば済むのに対して、こちらは相手一人に集中すれば済む。背中を気にしながらもう一体に攻撃を仕掛けなければならないのとは明らかに訳が違うのだ。だが、アイヴォリーの場合はそれで済まされない精神的な問題があった。
「ッつーか、ソレならオレとメイリーを一組にすればイイだろうがよ……。」
アイヴォリーは、その二人組の行動においてやえと組むことになっていた。つまりそれは、メイリーとは別行動になるということを意味している。それは、耐久力に劣るアイヴォリーとメイリーの組み合わせが危険だという判断によるものだったのだが、アイヴォリーにとっては承服しかねる内容だった。
「コレじゃ、メイリーがケガしてもどうしようもねェだろうがよ……。」
心底参った様子で呟くアイヴォリー。もちろん、彼女と二人で戦うことになっている黒猫の実力を疑っている訳ではない。だが、それでも自分がメイリーの傍にいられないということは、彼にとってあまりにも不安な要素だった。
結局、彼女から離れられないのだ。かつてメイリーが危険な目に遭ったのは自分が傍にいなかったときだ、ということを思い出させられ──確かに、そういう場面もあった。二人で一緒に危険な目に遭った回数と同じくらいには、という意味だが──再びアイヴォリーが苦い表情を浮かべた。そう、要するに自分が、メイリーの傍にいられないということが不安なのだった。
「まァ……でも決まっちまったコトは仕方ねェよな……。」
そう、それは既に決まってしまったことだ。今さらアイヴォリーが煩悶してどうこうなる問題でもない。それに、現実的には自分が前に立つよりも、黒猫の方が打たれ強いのだ。自分といるよりも安全だと割り切るしか、アイヴォリーに残された解決方法は存在しない。それに、戦闘において一番危険なのは、そうした心の迷いであることは、自分自身で痛いほどに理解していた。今日はサバスと三人で戦わなければならないのだ。その先の心配のために、三人で戦う今日の戦闘で後れを取るようなことがあっては、まさに本末転倒というものだ。
「後は……アイツのコトか……。」
今のアイヴォリーのもう一つの心配ごと。彼が“アイツ”と呼んだのは、皆無と名乗るのーねえむが連れてきた男のことだった。
会ったときから、生きる意思が薄いのは感じていた。のーねえむがいなければ存在できないのではないと根拠のない不安を感じたのは、あながち間違いでもなかったのかも知れない。それほどまでに、この“島”で“生きる”ために必要な、精神面に不安がある人物だったのだ。それは、存在感といっても良い。自らで道を切り開き、思考することで自分を確立出来ているのかが、アイヴォリーにとって不安な人物だった。
その彼が、離脱すると告げてきた。闘技での度重なる敗北の責任を取るためだと彼は言った。いくつか思いついた、引き止めるための言葉はあったのだが、それをアイヴォリーは結局口にはしなかった。
まったく同じ戦い方をしていれば、いずれその戦闘方針は次の相手に読まれ、瓦解する。そのために、誰もが技のタイミングをずらし、相手の意表を突く技を敢えて用いることで流れを自らに引き寄せるのだ。それを出来ずに勝つことは、いくら強くても出来はしない。そういった面で、彼にはこの“島”で生き抜くために必要なものが欠けていた。このままでは他の仲間たちにも危険が及ぶ。咄嗟にそう判断したアイヴォリーは、彼の申し出を止めなかったのだ。
闘技大会は、あくまでも、島の遺跡内部で起こるであろう人狩りとの戦いの、いわば模擬戦闘だ。普通の探索者に容易に技を読まれるようであれば、対人戦闘に長けた人狩りを相手にしての戦闘においては言うまでもない。勝負は見えている。そしてそもそも、それを読まれないようにしようという意思こそが、“ここ”ではもっとも重要な、“生きる”ための道具なのだ。
そういった様々な要素を考えて、アイヴォリーは、彼を“切り捨て”た。
これから先、彼は単独で探索を続けるという。それは非常に危険な選択肢だ。二人での遭遇が安全か危険かという階層の話ではない。一人は、常に一番危険なのがこの“島”なのだ。だから、アイヴォリーは心の中で彼のこれからの安全を祈ることしかしなかった。
選ぶこととは、捨てることと同義なのだから。一つの何かを選んだものは、常に選ばれなかった側のものを捨てて生きている。そして、メイリーという揺るがない唯一のものを選んだアイヴォリーには、全ての比較対象は常に捨て去る側のものでしかなかった。
口の端を歪めて、いつもの笑みを浮かべてみる。いつもよりも皮肉な笑みが、ほんの少しだけ、自分にしかわからない程度に少しだけ、皮肉に歪んでいるのを痛いほどに感じて、アイヴォリーは自分にもその笑みを向けた。
それは単に、彼の気のせいだったのかも知れない。だが、それは今の彼にとってはたった一つの真実なのだった。
+ + + 昼前。アイヴォリーが昼の準備もそこそこに、何かの書類と格闘している。かなり分厚いその紙の束は、細かい字でびっしりと書き込みがなされ、さらにそこに追加された注釈が混沌として紙を埋め尽くした、かなり難解なものだった。
「コイツを……こう……ココに繋いで……。」
その資料を見ながら、ルミィが置いていった薄っぺらい機械から伸びたコードを弄繰り回す。普段は二つ折りにされ、使われるときでもそれが開かれるだけだったその板状の機械は、いまや分解といって差し支えないほどにばらばらにされていた。
「この配線はココのトコだろ……えーと、だから……。」
手先が超人的に器用な盗賊職のアイヴォリーであっても、その機構が理解できていなければ弄りようがない。傍らに置かれた資料と睨めっこをしながら、元あったらしい場所を何度も確認しつつ開かれた機械の中身を弄っている。
今までにも、何度も開けるとこまでは繰り返した。中身の構造は完全に諳んじている。目を瞑ったままでも中の配線を全てあるべき場所に繋ぐことが出来る。だが、それでも彼はその未知の機械と資料とを、何度も見比べながらその作業を少しずつ進めていた。
合成に使われる移動式のラボと呼ばれていた、ノート型の小型PC。ハルゼイがその時代にそぐわぬ知識と知能で開発し、ルミィがその技術を受け継いだブラックボックス。アイヴォリーは今、二人が残した情報を手がかりに、その機械に自分の改造を加えていたのだった。機構など一切彼には分からない。だが、同じ機械でルミィはどこかの世界へと飛ぶゲートを開いて消えた。ハルゼイは、ここに集約された知識で持って他の様々なことをやってのけた。
そして今、アイヴォリーの手元には、残された機械と、記された知識、その両方が手元に揃っている。ならば、彼らと同じことがアイヴォリーにも出来るはずなのだ。通常の合成にはもう迷うこともない。次に彼が必要としているのは、二人の先人がやってのけた“もう一つの”機能だった。
物質を、他のところへと送り届けること。ハルゼイは、その機能を使ってかつての島で離れた仲間たちに物資を送っていた。ルミィは自分自身をどこかへと送り込んだ。今でも、既に二つの箱の中身を集約して片方に収束させるという、アイヴォリーにしてみれば魔術でしか為し得ないことをこの機械はやってのけているのだ。ならば、後はその移動距離を伸ばすだけ──のはずだった。
「う~ん……マイッたねェ。」
ようやく、その細かな基盤から目を上げたアイヴォリーが誰ともなしに呟いた。目頭を揉みながら吐息を一つ。
「……メイリーに魔術で送ってもらった方が早ェんじゃねェ?」
アイヴォリーがその技術を習得するには、まだ先は長いらしい。
+ + + サバス。“ここ”を出る前に、一度見えた相手。雑草を呼び出す能力。それを自らの力に変えた戦闘力。──“島”に設定された、“障害”。
「……礼儀知らずな奴め。このサバスが矯正してくれる……」 アイヴォリーは、もう敢えて何も言わなかった。彼ら“障害”に、会話は通じない。ただそこにあるのは、まだ“障害”を乗り越えていない者に対する、障壁としての役割。
「悪ィケド、テメェのヤリ口はお見通しナンだよ……。」
小さく呟いたアイヴォリーの、口の端が酷薄に歪む。壁を越えなければ、その先へ続く道は進めない。アイヴォリーは足元の砂を蹴った。
~十九日目──道程~
スポンサーサイト
- 2007/10/15(月) 11:41:17|
- 偽島
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0