ようやく、この大きな広間の壁が見えてきた。アイヴォリーたちの前には、遥か遠くにではあるが、確かにその部分だけ茂る木々が見えている。
「やっと、かねェ。」
床の中央に配された魔法陣“黒い太陽”を踏んだのが昨日のこと。そこからさらに床を全力で突っ切って、ようやく三日がかりでアイヴォリーたちは目的地へと到達しようとしていた。
水の宝玉。遺跡の力の源。それを手にすればするだけ自らに力がもたらされ、遺跡の力が弱まると最近の情報は告げていた。だが、それでも、アイヴォリーはそれを手にし、持ち帰らなければならない。
そのために“ここ”へと戻ってきたのだから。
かつて、ここが“偽島”と呼ばれるよりもさらに前、ただ単に“島”と呼ばれていた頃に、初めて手にしたのも水の宝玉だった。メイリーと二人で遺跡の奥へと潜り、その一角だけ鬱蒼と木々の茂る森の中で、彼らは守護者と初めて対面した。サバトと名乗るその慇懃な態度の男から、戦いの後で彼らはその宝玉を渡されたのだ。
あの時と同じように、今アイヴォリーの視線の先には、その一角だけ不自然に茂る木々が映っている。またあの男に会うのかとアイヴォリー自身は考えていたのだが、そうではないらしい。水の宝玉の守護者は二人組で、両方とも女だということだった。
片方が強力な回復を用い、もう一人はその宝玉の影響を多分に受けた水の魔術を使う。同時に水属性の魔術に対する抵抗力を弱められるため、長期戦となれば非常に不利だった。
回復役の女か、攻撃役の女か、そのどちらか一方に集中攻撃を浴びせて早めに彼女たちの連携を崩す。どちらかと言えば攻撃役を倒してしまいたいところだが、回復役を倒しても後は人数の差によって押し切れるだろう。どちらを狙うにしても、全員の攻撃を集めるのが常道だと言える。アイヴォリーはそう結論付けていた。
今日の移動で、あそこまで辿り着けるはずだ。明日一日をかけてあの地域を探索し、二人組が守っているもののありかを補足する。
宝玉を手にして、“戦友”を救うために自分はここへと来たのだ。負ける訳には行かない。アイヴォリーは自分にそう言い聞かせながら遥か先に霞む森を望む。
「ん……。」
遥か向こうへと視線を飛ばしていたアイヴォリーの表情が険しくなった。視線を今までのそれよりはずっと手前、すぐ近くの壁際へと向ける。
「ソレニャ、マダ障害があるッてな……。」
ゆらりと現れたフレッシュゴーレムに向かい、ダガーを抜き放つ。
+ + + 「んーと……。」
アイヴォリーは、分厚い資料と格闘していた。そこには、いつもアイヴォリーが合成に使っているルミィの置き土産の画面に良く似た、だがそれよりも煩雑な、画面の解説が載せられている。三角形を逆さに組み合わせた六芒星の中央に、人間に似た、だが一目で人間そのものではないと分かる亜人の女の顔を意匠した紋章。その周囲に並ぶ、恐らくは選択肢だろう見出し。一つ一つの項目がメニューとしてさらに中で細分化され、枝分かれしている。覚えるのは得意だが勉強は苦手というアイヴォリーにははっきり言って向かない作業である。
傍らには実際に、その画面を表示させた置き土産──要するにノート型のコンピュータなのだが──が開かれて、メニューの暗い画面を時折脈動するように明滅させていた。
「召喚手順の方法として……DDS.Netからのダウンロードと、実際に捕獲したものをデータ変換した再召喚に分かれ……ダウン?ロード?」
そもそも、その取扱説明書に書かれている用語が理解できないアイヴォリーには、この取扱説明書の説明書が必要なようだ。その証拠に全くといって良いほど読み進められていない。
合成をようやく理解したアイヴォリーが、次に挑戦しているのがこの“召喚”だった。ハルゼイが島の素材から組み立てたこの合成用の機械には、それだけのためのものではなく、汎用性の高い統合機構がその根幹を成している。その機構が様々な計算や作業の指示を出し、その下に組み込まれた作業専用の機構がそれを実行する。つまり、合成は出来ることの一つとして組み込まれている機能に過ぎず、作業専用の機構さえあればその使い方は無限大に広がる優れた機械がこの薄っぺらい板の塊なのだった。ようやくそこまでは理解したアイヴォリーだったが、そこまでの理論を理解したからといってその専用の機構を使いこなせる訳もなく、その結果こうして唸っているのだった。
アイヴォリーが、そういった明らかに自分向きではない作業を始めたのには当然訳があった。元々ハルゼイが研究の主題に置いていたのは、物質を一つの箇所からまったく別の場所へと移動させるという“転送”についてだった。実際に、彼は、宝玉から得られる無尽蔵のエネルギーを用いるという、制限付きではあったが、それを完成させたらしい。そして、その研究結果をアイヴォリーの手を介して伝えられたルミィも、ここにあるこの機械を使って他の世界へと飛んだ。つまり、この機械はアイヴォリーを、ルミィやハルゼイの求めていた場所や今いるかも知れない世界、果てはハルゼイが行こうとしていた彼の戦友たちの元へと導いてくれるものなのだった。
合成は、専用の機械に別々に収められた二つの素材を、同じ場所へと転送することで再構成している。召喚は、どこかに別の場所に存在するものをその場に呼び寄せる。どちらも最初の位置から移動する際に、情報だけを保存して一度物質を分解し、その情報を別の場所に再構築することで効果を発揮している。再構築の際には、合成ならば二つの情報を混ぜ合わせ、召喚ならばその行動を自分の都合良く、味方として行動するように弄っている。もちろん、アイヴォリーにはそうらしい、という程度の認識なのだが。何にしても、そうやってどこか決まった場所にある物質を瞬時に移動させているというのが基本的な機構であり、それを自分に対して安全に使用できれば、彼の先達たちが実際にやってのけた“転送”を実現できるはずなのだった。
だが、魔力をほとんど持たず、魔術の知識もないアイヴォリーには、当然のことながら召喚というもの自体が、自分の知識の範疇になかった。そんなアイヴォリーに与えられた召喚の方法がこのプログラムだったのは、アイヴォリーにも可能であるという意味では幸運だったと言える。だが、それはアイヴォリー本人にとっては、現状から察するにどう見ても不幸でしかないのだった。
+ + + フレッシュゴーレム。主に様々な死体の肉を魔術によって合成したゴーレムを指す。その他のゴーレムと同じに、魔術で精錬された“真の銀”やその他の魔力を秘めた鉱物から作られた細い繊維で命令を各部位へと伝達し、身体に収められた魔力を発する“心臓”からのエネルギーで実際に駆動部を動かす。他のゴーレムにおいても駆動部には防腐処理を施された動物の筋肉などが用いられることは多いため、その構造の全てが有機物から構成されているフレッシュゴーレムは、ある意味もっとも基本に忠実なゴーレムと言える。
だが、アイヴォリーのそんな知識を吹き飛ばす勢いで、それは予想外の行動をやってのけた。
「こ、こっち来ないでよ!」
「……しゃ、喋ったか?」
アイヴォリーの空しい確認に答える者はいない。答えられる唯一の人間は隣にいるやえなのだが、彼女もぽかんと口を開けて呆けたままでそのゴーレムを見つめていた。
フレッシュとはいえ、フレッシュ過ぎる。何ならゴーレムの会社でフレッシャーなのかも知れない。意味不明な“フレッシュ”の定義がアイヴォリーの脳裏を駆け巡るが、当然それは、先ほどの彼の問いよりもさらに空しいものでしかなかった。
『DDS.Netへようこそ。召喚プログラムを起動します。』 アイヴォリーが脇に抱えた、板状の部品を貼りあわせたようなそれが、放置されている現状に不満気に、自分の存在を訴えた。実際に戦闘で召喚を使ってみようとしたアイヴォリーは、その機械を戦闘に持ち込み準備していたのだった。
「えーッと……?」
『被召喚物を選択してください。』 せっつくようにして、何を召喚するのかと板状の機械は生意気にも音声で聞いてきた。無論、その間にもフレッシュゴーレムはアイヴォリーたちとの間合いを詰めている。こっちに来るなと言いながら。
『被召喚物を選択してください。』 一定時間が経過しても何の行動も起こされなかったために、召喚プログラムは再度使用者に行動を促した。それを聞いたアイヴォリーのこめかみが、一瞬引きつるのがやえには見えた。
『被召喚物を選択し──』「だあァァァァッ、ウルセェッ、んなモン適当に決めやがれ!」
三度目にその音声が聞こえた瞬間、アイヴォリーは機械を投げ出した。慌ててブーツからダガーを抜き、自分の肉をその素材に組み込もうとして──無論一般的なフレッシュゴーレムならばそういう行動を指定されている、という話だが──迫るフレッシュゴーレムに身構えた。
「第一後ろでのうのうと機械弄ってられるヤツならともかく、前衛のオレにそんな悠長なヒマがあってたまるかよッ!」
アイヴォリーが誰に対してなのかもよく分からない愚痴をこぼし──叫びながら光学迷彩を起動し間合いを詰める。
『タイムアウトにより被召喚物を自動で選択します。歩行雑草に決定しました。』 アイヴォリーの愚痴に答えたのは、相変わらず無感情な機械からの音声だった。
「ウルセェ、ちっと黙ってろ!!」
最早怒号と化したアイヴォリーの言葉に答えるものは、当然いない。
~二十一日目──理論と理論上と机上の空論~
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- 2007/10/15(月) 11:46:44|
- 偽島
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