一区画だけ茂った木々の奥。アイヴォリーたちは一日かけてここへと辿り着いた。そもそもが不自然な生態系、調整された世界であるこの遺跡の中でも、この一角だけは異様だった。ずっと続いていた人工的な石畳の床が途切れ、土を付けた根が床を侵食しようとするかのように石畳の端を割って地下へと向かっている。無論そういった、境界線の付近の木々には力がないのだが、そんな外側の木々に守られて、その内側にはまさに森が広がっていた。
森の外からでも分かるほどの大木が一本、一番奥にそびえている。恐らくはそこに、目的のものがあるのだろう。アイヴォリーたちは足早に森へと分け入っていく。
「そういや昔、ぶら下がり健康法ナンつーのもあったよなァ。」
一体何の話なのか、そもそもそんな健康法が実際にあったのかも怪しいものだが、アイヴォリーは相変わらず彼の相方に向けて軽口を叩いてふざけていた。どうやらおぶってくれというメイリーの話をうやむやにしようとしているらしい。
「ウデをこう持ってだな、びろーんとな……。」
横を歩くメイリーの手を取ったアイヴォリーが、彼女の手をつかんだままで万歳させるようにして彼女を持ち上げた。かなりの身長差があり、その上に手足の長さにもかなりの差がある二人なので、あっけなくメイリーはアイヴォリーに吊り上げられる形になってしまった。
「ちょっと、アイ、降ろしてよ~。」
両手をアイヴォリーが握り込んで吊り上げている上、足も付かないメイリーには抗議することしか出来ない。アイヴォリーは吹き出しながら大喜びで笑っている。
「はッはッは、メイリーのタッパだとぶら下がりッつーよりか、高い高いみてェだな?
たかいたか~い?」
調子に乗ってメイリーを軽々と上げたり下げたりと遊んでいるアイヴォリー。最初は満更でもなさそうだった彼のパートナーの表情が段々と変わって行っていることに残念ながら彼は気付いていない。
「ちょっと!オコサマ扱いはやめてってあれ程言ったでしょうっ?!」
「高いたかおぶッ?!」
メイリーの声と共に彼の腹の辺りから鈍い音がして、アイヴォリーが手を離しうずくまる。どうやら鎧の無い無防備な部分に彼女の膝が綺麗に入ったらしい。いくら鍛えている者でも、空気を吸う直前は肺の中の空気が一切無いために、衝撃を殺してくれるクッションになるものが無く、直接内臓に衝撃が及ぶ。狙ったのか偶々なのか、そんなタイミングでメイリーの振り回した足がアイヴォリーを直撃したようだった。
「それともなぁに?ちょっとお仕置きしなくちゃ分からないのかしら。
どんな折檻がお好み?」
「せ、セッカンッてイツの時代のニンゲンだよ……?」
相変わらずうずくまって顔を伏せたままで、それでもアイヴォリーはもういつもの声の調子で彼女をからかった。いつも以上に軽い調子で笑い声を上げて、無意味にはしゃいでいる様子が傍目に見ても丸分かりの様子だった。
「まァまァ、その調子なら宝玉戦も大丈夫そうじゃねェか。ま、ガンバろうぜ?」
さっきのダメージが堪えていた様子もどこへやら、平然とした顔でしれっと起き上がったアイヴォリーはメイリーの頭に手を置いて軽く叩くように撫でた。
「もうっ……しょうがないんだから……。」
諦めたように大きな溜め息を一つ、それでも彼女は笑顔をアイヴォリーに向けた。それを見てアイヴォリーは口の端でにやり、と笑い返す。
初めての宝玉戦。初めての大きな山場。サバスもシャルロットも、このときのために腕試しとして戦ったようなものだ。その結果が、今日、すぐそこに迫っている。どこかでいつか見た同じような森の中、あの時と同じようにして、彼らはその戦いに挑もうとしている。負けることは許されない。それだけに、彼女の緊張がアイヴォリーにも手に取るように分かっていた。
だが、こうして笑えるならば大丈夫なはずだ。笑っている彼女は途轍もなく、強い。
アイヴォリーは安堵して、森の奥の大木を見透かすように目を細める。そのアイヴォリーの口元に浮かんだ笑みも、心なしか今日の朝のそれよりも柔らかい。
+ + + 「アリャ、譲葉の嬢ちゃんの知り合いじゃなかったっけか。」
森の奥を目指すアイヴォリーたち三人が向かう方角から、同じように三人連れがこちらへと向かってくる。その手には水色に輝くもの。恐らくは昨日既に水の宝玉を手に入れ、今から立ち去るところなのだろう。
普通、探索者たちはこういった場合には知り合いでもない限り、どちらかが道を譲る。得体の知れない相手と遭遇するということは不必要な危険を呼び込むことに繋がるからだ。探索者たちは協力者であると同時に、競争相手でもある。下手をすれば人狩りである可能性もあるのだ。それゆえに、不必要な遭遇はお互いに避けるのだ。
だが、彼らは一直線に彼らの方へと向かってくる。ふと、嫌な予感が頭を掠めてアイヴォリーが踏み出しかけた足を止めた。
「どうしたの、アイ?」
「まァ……嬢ちゃんの知り合いだしな……。」
意味の無い呟きを口に上らせて、メイリーに声をかけられたアイヴォリーは足を踏み出した。知り合いの知り合いならば大丈夫だろう。そもそも彼らは今まで人を狩ったことがある訳でもない。自分たちはあの先にある水辺へ行かねばならない。そんな様々な思いが、油断に繋がった。
十分に距離が詰まったところで、アイヴォリーが手を上げて挨拶する。仲間内の知り合いならばそうするのが当然だと思ったのだ。
だが、それに対して彼らは無言で得物を抜き放った。
「ッ、メイリー、嬢ちゃん、宝玉の前にメンドクセェ厄介ゴトしょっちまったみてェだぜッ!」
叫びながらアイヴォリーは低い姿勢を取ってブーツに佩いたダガーの柄を掴む。油断していた。自分の予感に従って、普段通りに彼らを避けておけば良かったのだ、だがそう思っても既に遅い。
相手は三人ともが剣を得物にしているらしく、かなりの業物であることが遠目にも見て取れた。一撃には注意しなければならない。また後衛に据えた魔法使いを問答無用で攻撃してくる剣技にも注意が必要だ。あれをもらえばメイリーが危ない。彼ら三人の構成では火力であるメイリーが戦線を離脱するというのは、そのまま敗北に繋がることを意味している。
それだけのことを見、把握し、考えながらアイヴォリーは間合いを詰めた。後は後方からメイリーが魔術で相手の体力をどれだけ削ってくれるかにかかっている。ここで負ければ、すぐこの後に起こるだろう宝玉戦に傷を負ったままで挑まなければならない。多少疲弊することは仕方が無いにしても、その傷のせいで今日の“本番”である宝玉戦に負ける訳には行かなかった。お互いに遺跡に潜って大分経つはずだ。残っている技の数はそう多くない。この戦闘が終われば帰還するだけの相手と、その後で宝玉戦をこなさなければならない自分たちとでは、有利不利には雲泥の差があるが、その状況が逆に自分たちの有利な点でもある。自分たちは、彼らと違って“負けられない”のだから。
「自分たちは宝玉掻っ攫っといて不意打ちとはイイ根性だ、そのクサッた考え方叩き直してヤるぜ!」
アイヴォリーが吼えて相手へと踊りかかった。
+ + + その木は大昔から生きているような感じで、枝分かれしたその先にはたくさん美しい葉があり、輝く水色の果実も生っている。
木の下には二人の女の子が腰掛けていた。「ヤレヤレ……ココか……。」
アイヴォリーは彼女らの背後の大木を見上げ、口の端を歪めた。状態は万全と言いがたい。先ほどの人狩りとの戦いの傷は癒える訳もなく、それは妖精騎士の加護を得ているアイヴォリーでさえそうだった。大分疲れ切った様子の二人を振り返り、彼女たちの前で指を鳴らす。
「ツイたぜ、二人とも、キアイ入れろ!」
突然上げられたアイヴォリーの怒声に、疲れからどことなく茫然としたいろを湛えていた二人の瞳が、はっと生気を宿す。それを見て、アイヴォリーは一つ頷いた。再びアリッサとメグリアに向き直り、口の端の笑みを深くする。
「私たちはこの果実を守っているの。」
「欲しいのよね?この”宝玉”が。」
二人が立ち上がると、周囲の水辺が急に荒々しくなる。 アイヴォリーは、言われなくても持って帰るつもりだった。どうせ何を言っても彼女らには通じない。彼女たちもまた、“島”に囚われた“障害”なのだから。
ざわり。騒ぐ水が、蛇のような鎌首を持ち上げる。彼女たちを癒す壁として、敵を傷つける刃として。
「さて、貴方の欲しているものは私が所持しております。しかし、それを貴方に預ける前に、まずは一度お手合わせ願えますかな?」
「ゴタクはイイぜ。さっさと始めような?」
いつものような、片頬だけを歪めるその笑みで、しかしいつもの愛嬌を全く感じさせずにアイヴォリーは笑う。サバドは表情を変えずに、芝居がかった仕草で両手を広げ、アイヴォリーの言葉に答えた。もう一つ影が伸び、サバドを模したような黒い影──マイナークラークと呼ばれるエージェントの部下──が一つ現れる。
ざわり。 一瞬、かつての光景がアイヴォリーの脳裏でフラッシュバックした。どこかの森、遺跡の中の、砂地に囲まれた、そこだけが不自然に茂った森。
“島”にあった森。
アイヴォリーは頭を振ってその記憶を振り払う。目の前にいる敵はサバドではなく、もっと強力だ。
「アイ……ここ、あのときの森と同じだよ……精霊様が苦しんでる。」
そうか、とアイヴォリーは納得した。この雰囲気は、それなのだ。強制的に力によって精霊たちを捕らえ、それを宝玉の恩恵としてこの周囲に満ちさせるという、人工的な自然。
「あァ。だケド、あの時オレたちは勝った。今回も、勝つ。」
振り返らずに、背中に向かってそう声をかけた。そう、負ける訳には行かない。
~二十二日目──正念場~
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- 2007/10/15(月) 11:48:52|
- 偽島
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