結局、ジョルジュに頼まれたのは、普通の斧だった。普通といっても、それはあくまでもアイヴォリーの普通であって、唯の斧という訳ではない。確かに見た目に関しては、遺跡外でも良くありそうな極普通の手斧というやつだった。だがその見た目にもかかわらず、斧頭として使う金属の比重から柄の細かい長さまで詳細な指定が付けられていた。振るうときのバランスを取るためにそういった全ての指示が為されている。身の軽さによって相手の攻撃を凌ぐアイヴォリーにとって、そういった質量で攻撃する武器は一歩間違えば命取りになるかも知れない代物だ。手数によって相手を圧倒し、常に自分の回避を優先する彼の戦い方においては、自らのバランスを崩す攻撃というのは、それで相手の止めを刺すとき以外には決して行われない類の行動だからだ。
「どうすれば良いかなぁ……。」
ジョルジュは悩んでいた。与えられた素材は優秀な武器を作るのに十分なものだ。それは斧でも同じことで、アイヴォリーが与えた指示通りに作っても見事な手斧が出来上がるだろう。アイヴォリーは素材の性質までを考えた上で全体的な武器の完成図を頭の中に持っているらしく、一見すれば与えられた素材を使ってこの指示以上に優れた武器を作ることが不可能なほどに、彼の指示は的確そのものだった。
だが、それに納得できない自分がいることにも、ジョルジュは気付いていたのだった。昨日の簡単な立ち合いを見るまでもなく、彼のように身軽さを身上とする軽戦士タイプの前衛にとって、斧というのは非常に相性が悪い。バランスのために全体の重量を下げれば、それは一撃の威力という斧の利点を殺して単なる使いにくい棍棒になってしまうし、かと言って重量を上げても筋力が足りなければ十分なスピードを乗せることが出来ない。威力が乗らなければこの手の武器は簡単に見切られ、弾かれることで致命的にバランスを崩してしまう。そもそも、両手で別々の武器を操りながら手首の動きによって多くのフェイントを繰り出すアイヴォリーの戦闘スタイルには、真正面からスピードを乗せて一直線に叩き付ける斧というのは、いかにも相性の悪いものだった。それは、アイヴォリーの絶妙な武器への知識を持ってしても、それ自体が武器の特性という根源的なものに由来しているだけに、避けようのないものだった。
「う~ん、こんな感じかな……アスカロン、手伝ってくれるかな?」
何かを決めたらしいジョルジュが、自らが常に佩いて手放すことのない聖剣に声をかける。いつものように、表面だけはうんざりした表情を浮かべて具現した少女が、ジョルジュが描き始めた武器の設計図を覗く。
「あんた、こんな言われてもないもの作ったりしたら、またあの男にうるさく言われるわよ?」
聖剣のそんな呟きにも耳を貸さずに、ジョルジュはアイヴォリーが寄越した詳細な指示を脇へ届けると、自分が練り上げた武器を実現するために手早く設計図を描いていく。彼から与えられた指示をそのまま実行するだけでは越えられない壁を越える何かを、自分なら創り出せる。そう信じていた。
+ + + 完成品を見せられたアイヴォリーは、ただ小さく鼻を鳴らしただけだった。ちらりと目をやって、鼻を鳴らして。
「……どう、です。アイヴォリーさん……。」
これを作っている間、ずっとアスカロンに“アイヴォリーがどれだけこの斧に対して文句を言うか”を、様々なバリエーションで延々と言われ続けたジョルジュは、流石に恐る恐るといった感じでアイヴォリーに尋ねる。それに対して、アイヴォリーは彼女が言っていた反応の内の、どれでもないものを返して来たのだった。
ジョルジュが創り上げたのは、今までに誰も見たことのない“斧”だった。何に近いかといわれれば、ハルバードの穂先に一番近いだろうか。ショートソードほどの片手で握る柄と、その先にあまりにもバランスの取れていなさそうな巨大な斧の刃が取り付けられた奇怪な武器。まるで護拳のようにして斧の刃が柄よりも長く垂れ下がり、さらに先端側は次第に細くなってグラディウス──幅広の小剣のように突き出している。あまりにも珍妙な武器だった。どう考えてもアイヴォリーが喜ぶとは思えない、異様な形の武器だった。
「まァボウズ、ちょっとソイツ貸してみろ。」
ジョルジュがおずおずと見せるその“斧”に手を伸ばし、彼からそれを受け取るアイヴォリー。柄を握りこむと、まさにその刃は護拳であることが分かる。握った拳の周りを取り囲んで守っているのだ。結構な重量があるものの、刃が手首の周りに配置されているためにそれほど重くは感じられない。もう一度小さく鼻を鳴らして、アイヴォリーはジョルジュを促した。
「ちっと手伝え。」
ジョルジュを天幕の外へと連れ出し、適度な間合いを取ったジョルジュにアイヴォリーは顎をしゃくる。促して剣を抜かせ、アイヴォリー自身は構えることすらしない。左手にその“斧”を持って自然な体勢で立っているだけだ。
「ホレ、実際に使ってみねェと分からねェダロ、さっさと来な。」
ジョルジュを急かし、いつものように口の端で笑みを浮かべる。気乗りのしない様子でジョルジュは剣を構えた。昨日の、斧に振り回されるアイヴォリーの様子は無論彼の記憶に新しい。それでなくても昨日の練習試合ではジョルジュの大技を避け損ねて手酷い一撃を被ったアイヴォリーは、その後もかなりの間足元がおぼつかない様子だったのだ。それでまた切りかかれと言われても、躊躇しない方がどうかしているというものだろう。
「じゃ、じゃあ行きますよ……?」
恐る恐るといった様子で、どこか腰の引けた一閃をジョルジュが放った。鋭い金属音とともにその一撃を跳ね上げて、今まで立ち尽くしていたアイヴォリーがジョルジュの懐へと滑り込み、その喉元に斧の刃を突きつけていた。その護拳で一撃を受けて跳ね上げ、そのまま間合いを詰めたのだ。
「……ボウズ、ソイツは手をヌキスギじゃねェか?」
冷たい目で、吐息が触れ合わんほどの距離で。アイヴォリーが押し殺した声で呟いた。ジョルジュが後悔のいろを瞳に浮かべるがもう遅い。
結局、武器の出来を手放しで喜ぶほどに認められたにもかかわらず、ジョルジュは予定通りアイヴォリーに延々と怒られたのだった。
+ + + 遺跡の中で、床と呼ばれる通路部分はその他の地形よりもいわゆる“遺跡”に近い。その地域によって材質は異なるものの、床はほとんどが舗装されていて、壁も存在する。ところどころ剥がれた石畳や崩れた石柱などが転がって障害物となっていたりもするが、ほとんどの部分は寒々とした石造りの灰色の地形だった。
「ヤレヤレ、こういうトコはなァ……コマるんだよな。」
うんざりした様子で呟くアイヴォリー。“床”では現れる敵が砂地や平野に比べて格段に強い。必要がなければわざわざそこで野営する者も少ないのが“床”だった。だが、今のアイヴォリーはそういった“目の前にある危機”に対してではなく、もっと日常的な問題に対して愚痴をこぼしているのだった。
遺跡の地面が完全に石畳では、火を起こすのが非常に手間がかかる。それはつまり料理をするのに不必要な時間がかかることを意味していた。それでなくても、アイヴォリーの料理というのは自然の中では、その様々な要素を使って行われている。石を組み合わせて竈を作り、枯れ木を使って火を起こし、地面を掘って蒸し焼きにする。そういった全てが石畳では行えないのだった。
結局、アイヴォリーが今やっているのは持ち込んだ固形燃料で小さな火を起こし、携帯用の保存食を水で戻して煮込んでいるという、探索者にはありがちな、味気ない食事の準備になっていた。
それでも、火を起こせるだけでもありがたい。この固形燃料にしても、エルフの村でその作り方を教わっていなければ今こうして火を起こすことさえ出来なかったのだ。よく乾いた草を練り込んだ粘土と一緒に、発火の小魔法を封じ込めた糸を巻き乾燥させたもの。この粘土で作った泥団子のような見かけの小さな物体は、その見かけによらず安定した火力で結構な時間の間暖かな火を提供してくれる。エルフたちが森の中で培ってきた、自然と魔術を高度に融合させた日常の生活用品だった。だが、それ単体での火力は大きな焼き物をするには不十分で、水を沸かすか覚めたシチューを温め直すくらいにしか使えない。彼らの知識はあくまでも自然の中で用いるために考え出されたものだからだ。
「ヤレヤレ、まァ仕方ねェやな……。」
アイヴォリーは中々温まらない鍋の中を覗き込みながら、手元の小さなクッキーを齧った。これもエルフたちから教わったものだ。彼らは長距離を素早く移動しなければならないときに必ずこれを食料として携帯していた。“焼き菓子”という意味のエルフ語で名付けられたそれは、魔術師や野伏たちには“エルフの焼き菓子”として知られている。一欠け口にすれば一日を不眠不休で乗り切れる。一つ食べれば一週間何も採らずに移動できると言われる、魔法のような糧食だった。
実際に、エルフの森にいた頃にアイヴォリーはそれを口にしたことがあった。蜂蜜を練り込んで焼かれたそれはほんのり甘く、どれだけ時間が経っても焼き立てのような歯触りで、それは感動したものだ。
だが、今アイヴォリーが齧ったクッキーは、味こそ似てはいるものの、こういった遺跡特有の湿気を吸ってぼそぼそとした味気ない、時間の経ったクッキーでしかなかった。それもそのはず、アイヴォリーは未だにあの“エルフの焼き菓子”を作れないでいた。エルフたちの秘伝の一つ、本当の魔法の品。固形燃料のような日常の便利な道具ではなく、あれはエルフたちが長い時間の中で作り上げてきたものなのだ。作り方を知らない訳ではない。あの村で偽りの平和なときを過ごしていた人間の間者は、取り入ったエルフの娘と一緒によくあの焼き菓子を作っていた。だが、そのときから一度も上手くいったことはなかったのだ。それは、人間では到底及ばない、長く平和な、時の止まったエルフたちの時間の中で覚えるものだったから。
「チッ、ウマくねェな、相変わらず。」
自分で作ったクッキーに不平を漏らし、アイヴォリーは鍋をかき混ぜる。メイリーが絶賛してくれるそのクッキーは、彼には今でもどこか苦く、裏切りの味がした。
まだ壁は乗り越えられていないようだ。
~二十六日目──“壁”~
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- 2007/11/27(火) 05:27:52|
- 偽島
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